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日本財団会長 笹川陽平ブログ

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leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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10月6日(金) [2017年10月06日(Fri)]
10月6日(金)

13:00 財団着

13:00 紀伊国献三 笹川記念保健協力財団最高顧問

15:00 アジア系アメリカ人リーダー訪日団 表敬
    ロブ・ボンタ氏(カリフォルニア州議会下院議員)
    アーロン・リング・ジョハンソン氏(ハワイ州議会下院議員)
    クラレンス・ラム氏(メリーランド州議会下院議員)
    ラーディ・マーム氏(マサチューセッツ州議会下院議員)
    ブライアン・シオザワ氏(ユタ州議会上院議員)
    モニカ・ジュラード・ストーニア氏(ワシントン州議会下院議員)
    アイリーン・ヒラノ氏(米日カウンシル会長)

16:00 IUC(アメリカ・カナダ大学連合日本研究センター)奨学金授与式

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授与式で挨拶

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証書を手渡し

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記念撮影


18:00 韓国 社団法人 南北民間交流協議会 金弘傑理事長
「中国出張」 [2017年10月06日(Fri)]
「中国出張」


8日日曜日より、中国に出張いたします。

中国人が興味のある日本語図書100冊、翻訳出版完成の記念行事に出席。

帰国は10日です。
「私の覚悟」―座右の銘― [2017年10月06日(Fri)]
「私の覚悟」
―座右の銘―


“人間学を学ぶ”を売りにしている月刊誌「致知」の読者が最近、若者を中心に増え、発売部数も増加しているとのことである。

「私の座右銘」という連載に登場しろとのことでお受けしたが、私は漢学の素養に乏しく「座右銘」なるものは持たない。著名人が新聞や雑誌、テレビなどのインタビューで成功談とともに座右の銘を披露するのをしばしば目にするが、本当のところ、どの程度実生活の中で役立っているか、私には分からない。時に、単なる綺麗ごとに過ぎない印象も受ける。

もっとも座右銘を、「生活や仕事で心に留めておく言葉」、「自分への戒めや励まし」、「大切にしている言葉」といった程度に考えれば私にもある。「覚悟」の一言である。

私は父から引き継いだハンセン病との闘いやその他の支援活動に、いつどこで死んでもいいという“覚悟”を持って全力で取り組んできた。一度しかない人生を、今後も「覚悟」とともに生きたいと考えている。

月刊『致知』十月号連載
◎私の座右銘◎


覚悟


■指導者の「覚悟」が人や組織を動かす
かねて私は、50歳になるまではビジネスに取り組み、50歳を過ぎたら社会のために尽くす人生を歩もうと、「人生二度説」を唱えておりました。しかし、結果的には10年早い42歳の時に人道支援活動へと身を投じることを決意し、父・笹川良一が創設した日本財団の事業に携わることとなりました。

私が間近に見てきた父は、辛いとか、苦しいとか一切弱音を吐かず、ひたすら世界のために、人類のために、持てる智恵と情熱を惜しみなく尽くそうとする真の人道主義者であり、真の指導者でした。傷痍軍人の見舞いから就職の世話まで、父は本当に多くの方々の相談に乗り、援助を惜しみませんでした。そして、人間は蓋棺した後に評価を下してもらえばよいのであって、指導者の役割は人々の人気取りをすることではなく、自分の信念に基づいて「世の中はこうあるべきだ!」とはっきり主張していくことにあると言い、その姿勢を最期までぶれずに貫き続けました。

そうした父の生き方を引き継ぎ、私は社会的に恵まれない環境に置かれた人々へ目を向けた支援活動を最も重視してきました。なかでも、終生の仕事として長年取り組んできたのが、父が情熱を傾けながら志半ばに終わってしまったハンセン病の世界制圧です。

私がハンセン病との闘いに導かれた原点には、1965年、父の支援活動に同行して訪れた韓国のハンセン病病院での体験があります。私はそこで手足や顔が変形したハンセン病の患者と初めて接したのですが、それ以上に衝撃を受けたのは、どの患者も人生に絶望し、すべてを諦めたかのように人間らしい表情を全く失ってしまっていることでした。

しかし、父は全く臆することなく、患者たちの膿が出た手足をさすり、一人ひとりに言葉を掛け、激励しているのです。私はその光景を見て、「こんな世界があるんだ」と思わず動けなくなってしまいました。そして、これは自分が父から引き継がなくてはならない仕事なのだという思いを胸に刻んだのです。

私はこれまで世界中のハンセン病病院やハンセン病回復者が集団で暮らしている村などを訪問し、患者の方々を見舞い、父と同じようにその手を握り、肩を抱き、励ましてきました。また、ハンセン病蔓延国への治療薬の無料配布や患者を多く抱える途上国の国家元首にもできる限り会いに行き、目と目で向き合い、語りかけてきました。そうした活動を継続することによって、1980年代から現在までに1,600万人を超える人々が治癒し、ハンセン病蔓延国は激減しました。2017年8月現在、未制圧国はブラジル一国というところまで来ています。制圧とは、人口1万人当たりの患者数が1人未満になることをいいます。

しかし、世界制圧が達成されることで私のハンセン病の活動が終わるわけではありません。患者や回復者、その家族をいまだに社会が受け入れないという現実が世界には存在しているからです。ハンセン病は、医療問題であると同時に人権問題でもあるのです。

ハンセン病の人権問題への本格的な取り組みは2003年から始まり、私は国連人権委員会に働きかけ、その後改組された国連人権理事会に対してもハンセン病患者および回復者、家族への差別撤廃を粘り強く訴えていきました。その結果、2008年6月、日本政府の提案による差別撤廃決議が59か国の全会一致で決議されたのです。とりわけ嬉しかったのは、人権理事会総会で常に日本の提案に反対する中国とキューバが私の説得により共同提案国になってくれたことでした。

さらに、2010年12月には、国連総会において参加国百92か国すべての賛成を得て、「ハンセン病患者・回復者及びその家族に対する差別撤廃決議」及び付属する原則とガイドラインが採択されました。ハンセン病は世界が取り組むべき人権問題であることが、国連によって正式に認められるに至ったのです。

私はハンセン病との闘い、その他の支援活動においても、神に与えられた一度切りの人生なのだから、いつどこで死んでもいいという“覚悟”を持って、常に全身全霊を懸けて取り組んできました。この覚悟については姿勢として職員にも示し、失敗は自分がすべて責任を取るから思う存分仕事をしてほしいと伝えてきました。そして、本当の仕事は冷暖房の効いた部屋でできるほど甘いものではありません。問題点やその解決策は自ら現場に行かなければ見えてこないという信念から、私は世界中の現場を先頭に立って命懸けで走り回ってきました。それは78歳になるいまなお変わりません。やはり、上に立つ人間がいつ何時でも腹を切る、自ら責任をとるという強い覚悟を示していかなければ、人や組織を動かすことはできないと思うのです。

■日本人の素晴らしいDNAを後世に
戦後の日本社会は、一所懸命働き税金さえ納めていれば、あとは国が皆さんの面倒をみてあげますよ、という価値観のもと歩んできました。しかし、気がつけば少子高齢化や人手不足など、国だけでは解決できない様々な難題に直面しています。いまや私たち一人ひとりが自分の生活や国の将来に責任を持たなければならない時代がやってきたのです。

そうした現実を受け、日本財団では「休眠口座」の活用のための法整備、海洋資源の保全、海洋教育の強化を打ち出した「海洋基本法」の制定、障害者が働き自立できる社会づくりやパラリンピックの支援など、民間の立場から様々な取り組みを行ってきました。国の支援がなければ何もできないという声をよく聞きますが、かつての日本人はどうだったのか考えてみてください。例えば江戸時代には約280の藩がありましたが、どの藩も自ら藩校をつくって優秀な人材を育成し、自ら産業を興して財源を確保し、幕府から独立した高度な自治を実現していました。それに比べれば私たちは恵まれていると言えます。

やはり、いくら国の支援があっても、生まれ育った故郷、国に誇りを持って、自分たちの力で盛り立てていこうという意志が根本になければ、よりよい未来はつくれません。

江戸時代だけでなく、明治維新による近代化や、敗戦後僅か50年で世界第二位の経済大国に成長を遂げたことなど、私たち日本人には艱難辛苦を乗り越えていく素晴らしいDNAがあります。先の東日本大震災でも、日本社会の特性である「皆が皆を支えあう精神」が発揮され、世界中から賞賛されました。

その日本人の素晴らしい歴史、DNAを夢を持って語っていくことで日本人のマインドセットを果たし、子供たちのために夢のある国づくりをしていきたい。そのためにこれからも「覚悟」の二文字を深く心に刻み、先頭に立って走り続けていきたいと思います。

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