CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
BLOG 笹川陽平プロフィール 笹川陽平バイオグラフィー

日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

« 2017年08月 | Main | 2017年10月»
leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
Google
<< 2017年09月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
プロフィール

笹川 陽平さんの画像
笹川 陽平
プロフィール
ブログ
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
リンク集
http://blog.canpan.info/sasakawa/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/sasakawa/index2_0.xml
9月4日(月) [2017年09月04日(Mon)]
9月4日(月)

7:20 財団着

9:00 韓国 全女史

9:30 財団発

10:00 羽田空港着

11:30 羽田発

15:20 ロンドン・ヒースロー空港着(空港待機約3時間)

18:20 ロンドン・ヒースロー発

19:30 スコットランド・アバディーン着

20:30 ホテル着
9月24日(日) [2017年09月04日(Mon)]
9月24日(日)

9:00 バルドー博物館

9:05 エラビディン文化大臣(Mr. Mohamed Zine Elabidine)

9:10 2015年のバルドー博物館襲撃事件で犠牲になった方々の慰霊碑に献花
   (日本人3名も犠牲になった)

@バルドー博物館襲撃事件で犠牲になった方々の慰霊碑に献花.JPG
バルドー博物館襲撃事件で犠牲になった方々の慰霊碑に献花

Aエラビディン文化大臣も駆けつけてくださった.JPG
エラビディン文化大臣も駆けつけてくださった

Bピー (1).JPG
襲撃のあった博物館内には弾痕が生々しく残っている
あえてこのままにしているとのことであった


9:30 バルドー博物館見学

C世界最大のモザイク・コレクションという博物館の中を見学.JPG
世界最大のモザイク・コレクションという博物館の中を見学

D古代ローマ時代のモザイクが多数展示されている.JPG
古代ローマ時代のモザイクが多数展示されている


10:30 チュニス旧市街散策

Eチュニスの旧市街にある魚市場は日曜ということもあり大賑わい.JPG
日曜ということもあり、チュニスの旧市街にある魚市場は大賑わい

F新鮮なマグロもJPG.JPG
新鮮なマグロも


11:40 “La Presse” のトラベルシ氏によるインタビュー 

13:00 昼食

15.30 カルタゴ遺跡訪問(Carthage archaeological site)

17:00 ホテル

19:00 JICAチュニジア事務所の江種利文所長と上野貴子氏
    在チュニジア日本国大使館の岩田慎也参事官との夕食会
「英国、タイ出張」 [2017年09月04日(Mon)]
「英国、タイ出張」


今日から英国、タイに出張いたします。

英国の北東に位置する港町・アバディーンで、日本財団とスコットランド開発公社が共同で海洋開発の総合力向上プロジェクトを実施するにあたり、覚書調印式を行います。

日本が得意とするシステム化技術と、彼らの北海油田開発技術との融合を試み、新しい技術開発にチャレンジします。

タイは、ミャンマーの平和構築のための活動です。

帰国は9日です。
「ハンセン病制圧活動記」その43―カメルーン共和国でのハンセン病制圧活動― [2017年09月04日(Mon)]
「ハンセン病制圧活動記」その43
―カメルーン共和国でのハンセン病制圧活動―


東北新生園機関誌『新生』
2017年6月20日発行

WHOハンセン病制圧特別大使
笹川陽平


 2016年7月3日から13日にかけて、アフリカの中西部に位置するカメルーン共和国(以下カメルーン)を訪問した。同国は、北東はチャド、東は中央アフリカ、北西はナイジェリア、南は赤道ギニア、ガボン、コンゴ共和国に国境を接し、西岸は大西洋のギニア湾に面している三角形の形をした国である。またアフリカの国々の中で最も多様な民族で構成されており、およそ250の部族が居住しているといわれている。

 カメルーンは1998年末に、WHO(世界保健機関)の定める公衆衛生上の問題としてのハンセン病制圧目標(人口1万人に1人未満となること)を国レベルで達成している。新規患者数は隣国のコンゴ民主共和国やナイジェリアが3,000人前後に対して、10分の1の300人程度である。しかし国全体の70%の行政単位でハンセン病の報告がされていない、いわゆるデータがない状態であるため、実際の数はわからない。また、ハンセン病による後遺症や悪化防止に対応する施設がなく、俗にピグミーと呼ばれる森の中で移動しながら生活するバカ族などの狩猟民族や、国内難民に対する医療サービスの提供が遅れていると言われている。このような特にサービスの提供が困難な、南部および南東部の森林地帯に住むバカ族ピグミーのハンセン病の実態調査を行うことが今回の主な訪問目的である。

写真@フォーダ保健大臣を表敬訪問.JPG
フォーダ保健大臣を表敬訪問


 日本からパリ経由で丸2日かけて降り立ったときは真夜中近くになっていた。カメルーンの首都ヤウンデは7つの丘に囲まれた高地で、小さな丘がいくつもあり、赤道に近いが暑くはない。7月はちょうど雨季で一日中曇っているという状況だった。
途上国での活動はまず保健大臣への表敬から始まるのが常である。官庁街も丘の上にあり、保健省は重厚な木の壁に覆われた廊下を通り、アンドレ・ママ・フォーダ保健大臣の部屋に入るまでに木製の扉が10メートルの間に3つもあった。

 保健大臣との挨拶を終えて次に向かったのは、ハンセン病担当官のンジ医師の事務所だ。かつてハンセン病患者が入院する施設だったという建物の片隅を事務所として使っていた。別の部屋には蚊帳が山積みになっている。マラリアの予防にもなる蚊帳の配布先はないのだろうか。

 翌朝は早くにバカ族が住む東部地区の州都ベルトゥアに向けて首都ヤウンデを出発した。この日はイスラム教のラマダン(断食)明けとあって、街中は鮮やかな色に着飾ったイスラム教徒の人々が多く、お祝いムードだった。想像以上にカメルーンの道は舗装されており、移動はスムーズであった。道路脇には、土壁で作られた家が続き、多くの家では子供が座って、通る車輌をあきもせずじっと眺めている。突然のにわか雨には歩いている子供が大きなバナナの葉を傘代わりに使っている。車窓からの景色は何時間見ていても飽きることはない。

 景色は楽しい。だが、アフリカで最も恐れるのは地方への移動なのである。都市部に比べ車輌が少ないにも関わらず交通事故が多いのである。アフリカのどこの国でも見られるように、過載とスピードの出しすぎで横転しているトラックを何度も見かけた。

 ヤウンデを出てから約6時間で東部州の州都ベルトゥアに到着し、荷物を解く間もなく、すぐに州知事を訪問。雨がやまず、黄色い壁にヤシの木が生い茂る、グレゴリー州知事のオフィスの敷地は赤土がむき出しでかなりぬかるんでいた。知事の説明では、この州はカメルーンにある10州の中で最も広いが、人口は一番少ないという。また、中央アフリカと国境を接していることから、人口100万人中20万人が難民で、食糧問題や健康問題が深刻になっているそうだ。知事から晩餐会にも招待され、手厚いもてなしを受けた。話の中で、知事がなんと三島由紀夫の『金閣寺』の影響を受け、京都に興味を持っていることがわかった。アフリカと三島由紀夫の取り合わせが興味深い。

写真Aメンゾー村に住むハンセン病回復者たちから話しを聞く.JPG
メンゾー村に住むハンセン病回復者たちから話しを聞く


 次の日は、森の中に住むバカ族の村を訪問。日本の梅雨のようなうす曇の天気だが、過ごしやすい気温で鳥の声がどこからともなく聞こえてきて心地よい。ベルトゥアから車で約1時間半、まずアボンバン保健局でバカ族が多く住むこの県のハンセン病の状況について説明を受け、その後、さらに保健局から2時間近く走ってメンゾー村に到着した。バカ族と近くに住む農耕民のバントゥ族も加え100人ほどが広場に集まり、太鼓と踊りで歓迎してくれた。私もいつもの通り彼らの輪に加わって一緒に踊った。バカ族のリーダー、エレン女史がハンセン病患者を3人紹介してくれた。1人目は杖を突いた白髪の痩せた老人男性。2人目は背中にハンセン病の初期症状と見られる斑紋のある幼児。3人目は手に潰瘍のある中年の女性で、足がとても細く、鼻のあたりに後遺症が残る。彼女に「何かいやなことをされたことはありますか?」と質問してみると「すごく意地悪されて、自殺を考えている。手がないじゃないか、お前は森へ帰れと言われ、家族からものけ者にされる」と私の手をとりながら大粒の涙をこぼした。私は彼女の手を引き、集まった村人に対してハンセン病は治る病気であり、差別をすることは不当であることを説明した。そして「この中にいる人で差別をしないと誓ってくれる人は手を挙げてください」と聞くと、ほとんどの人が手を挙げてくれた。

 私が去った後までその約束が守られることを願うばかりである。差別に対する感情というものは私のような外部の人間がちょっと説明したからと言って、すぐになくなるものではないことは十分理解しているつもりである。しかし、やり続けなければ問題解決にはつながらないのである。
 
 次に訪問したのは、コワンブという村である。両脇の木が覆いかぶさるような森の中のドロ道を30分ほど走るとコワンブ村に到着。村人はまた踊りで歓迎してくれた。村長によると、ここは1936年に近隣に住むバカ族のハンセン病患者を治療・入院させるためにできた療養所で、1970年代には600人を超す患者がいた。昔はアボンバン市内に病院はあったが、ハンセン病は怖いと考える周辺住民の反対に合い、このような深い森の中に施設を移動したという。また、バカ族を森の外に定住させる国家政策で、ここまでの道路が作られ、道沿いには定住・半定住化したバカ族が住み着いているところでもあった。

 村に4人いるという回復者の一人、鮮やかな青い服を着た盲目の老人が歌で歓迎してくれた。事前に準備したのか即興なのかは不明だが、SASAKAWAという名前が頻繁に聞こえ、太くて低い音声は森の中で厳粛に響きわたった。私は老人を抱きしめ「テレビに出られるレベルの素晴らしい歌声ですね。長い間の悲しみや苦しみを乗り越えて生活されていることに敬意を表します」というと盲目の目を大きくあけて強く私の手を握りしめた。

写真Bコワンブ村に住むジャスティンさんの自宅を訪問.JPG
コワンブ村に住むジャスティンさんの自宅を訪問


 そのあと、荒れ果てた建物に住む中年男性のジャスティンさんに話を聞いた。子どものころに発症し、家族と一緒に暮らしていた森から追い出され、親戚や友人もすべて離れてしまい一人の生活になったという。治療薬でだいぶ回復したので、森にまた戻りたいと考えているそうだが、たぶん受け入れてくれないだろうと悲しげな表情で下を向いてしまった。

 最終日には森深くにある集落を訪問した。探検隊のように、見たこともない野生の木々が生い茂るジャングルの中を進む。まるで少年の頃映画で見たワイズミュラーのターザン映画のような場所である。足元がぬかるんでいる所もあるので、転ばないように杖をたよりに注意しながら歩く。しばらくして、バカ族の住む森の集落にたどり着いた。木と葉で作ったドーム形をしたモングルと呼ばれる家が5軒あり、2家族23人が生活していた。集落のリーダーの話しでは、捕った獲物は全員で分け与え、争いなどはないとのことだが、23人の中にハンセン病の回復者が2人、アルビノ(先天性白皮症)を患う人が3人いて、彼らが家族の輪の中に入りきれずに遠くにいるようで少し気になった。

写真C森の中で生活するバカ族たち.JPG
森の中で生活するバカ族


 私は2人のハンセン病回復者に小声で「今までいじめられたことはないですか?」と聞いた。すると2人は「いやというほど経験しているので、もうしゃべりたくない」とだまってしまった。
他の家族に「2人はどうしてこの病気にかかったと思いますか?」と聞いてみると、ひとりの男性が「神様の罰か悪魔の祟りだ」と答えたのである。このような奥深い森の中で、しかも23人という小さい集団の中にも、偏見や差別があることに驚きを隠せなかった。

 私からは、ハンセン病は神様のたたりではなく、色々な病気のひとつであり、早く治療すれば後遺症は残らないと説明し、家族間での偏見や差別をしないで欲しいことを伝えて、森を後にした。

写真Dハンセン病回復者の女性ふたりと.JPG
ハンセン病回復者の女性ふたりと


 アフリカの森奥深くに住むバカ族の間では、ハンセン病にかかっても分け隔てなく生活できていると思っていたが、実情は違っていた。ハンセン病が神様や悪魔によって毒された病気と信じ、情報の入らない森の中でも差別が存在することがわかった。たとえ小さな島でも、大森林地帯でも、人が住むすべての場所でハンセン病に対する差別があることを思い知らされた。私の前で差別しないと誓った人がすぐに行動にうつせるとは限らない。世界中からハンセン病に対する差別がなくなり、すべての人が生き生きと暮らせるようになるためには忍耐強く、正しい知識を広める活動を続けていかなければならない。

| 次へ