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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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8月2日(水) [2017年08月02日(Wed)]
8月2日(水)

10:30 財団着

11:00 関博之 復興庁事務次官 

11:30 二川一男 元厚労省事務次官

12:00 田南立也 日本財団特別顧問

13:00 岡村善文 元国連大使

14:00 中島精太郎 明治神宮宮司

16:00 月刊「致知」取材

17:35 羽尾一郎 内閣府総合海洋政策本部事務局長

「ハンセン病制圧活動記」その42―インド訪問― [2017年08月02日(Wed)]
「ハンセン病制圧活動記」その42
―インド訪問―


長島愛生園機関誌『愛生』
2017年5・6月号

WHOハンセン病制圧特別大使
笹川陽平


 2017年1月28日から2月5日にかけて、インドの首都デリーと中東部のチャティスガル州を訪ねた。今回の訪問は、毎年1月最終日曜日の「世界ハンセン病の日」に合わせ「ハンセン病に対するスティグマ(社会的烙印)と差別をなくすために」と題した「グローバル・アピール2017」(宣言文)をデリーで発表することと、ハンセン病患者数が特に多いチャティスガル州のコロニーに住む回復者と家族の環境を改善するよう州政府に要請するのが主な目的だった。私のハンセン病活動でのインド訪問は40回を超える。

 2016年度の世界保健機関(WHO)発表によると、インドの人口は13億1105万人。中国13億8392万人に次ぎ世界第2位であるがまもなく世界一の人口になるであろう。多様な民族構成でも知られ近年目覚しい経済成長を遂げ、「ボリウッド」と呼ばれるインド映画業界は、世界一の制作本数を誇っている。ITや自動車産業で有名なタタグループをはじめ、インド企業も好調だ。しかし、そうした経済発展の恩恵を受けている人はまだごく一部で、地方に行けば路上生活者を街中で見掛けることも珍しくない。

 インドの2016年の新規患者数は12万7326人と世界で一番多い。WHOが定義する「制圧」基準、人口1万人当たり患者数1人未満の基準は05年に達成しているが、州レベルでは29州のうち6州が未達成で、ここ数年は患者の数が横ばい状態である。また、地方分権化が進んでいるため、中央政府だけではなく、地方自治体の首長の理解が特に重要になってきた。

 1月30日に「グローバル・アピール2017」を発表した。このアピールはハンセン病の差別をなくすために2006年から続けている。世界中の政治・宗教指導者、それに世界医師会や看護師協会などの賛同を得て毎年発表してきており、今回で12回目となる。今年は、世界171カ国の議会が加盟する列国議会同盟(IPU)との共同宣言として発信した。IPUは各国の超党派の議員が参加しており1889年6月,パリで設立された権威ある団体である。
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グローバル・アピール2017の宣言文を読み上げる


 式典のあいさつでIPUのチョウドリー会長は、自国のバングラデシュで100年続いた差別法の廃止に尽力した経験を基に「笹川氏はモーターバイクの前輪は病気を制圧すること、後輪は偏見や差別を撤廃することと説明したが、それを動かすにはエンジンが必要だ。議会はそのエンジンとなれるのである」ハンセン病の差別法を作ったのも、撤廃するのも、ハンセン病対策のための予算を配分するのも議員。議会は差別法廃止だけではなく、立法、政策起案、予算獲得、政策の実施の権限がある。ハンセン病のない世界、差別のない世の中をつくることが議員の役割。それこそがIPUの精神だ」と力強く語った。

 モディ首相からはビデオメッセージが届いた。「インドの父であるガンジーは人々が尊厳を持って生きていくことが重要だと説き、ハンセン病を撲滅することが夢だった。夢の達成まで最後の1マイルにまで迫っているが、そのためには皆さんの経済的、政治的努力が必要だ」と呼び掛けた。

 私は「インドでは議員が立ち上がり、国会議員連盟をつくり、現在は50人の議員が加盟している。IPUの皆様と共に発信するグローバル・アピールを通じて差別法撤廃の活動に弾みがつくとともに、他の国にも波及することを期待している。ハンセン病制圧までの最後の1マイルを、各国政府、国際機関、そして何よりも患者、回復者の皆様と共に一歩一歩前進していきたいと思う」と訴えた。

 会場には全インドハンセン病回復者協会(APAL)ナルサッパ会長を初め、回復者、アジア諸国およびインドの国会議員、支援団体、報道関係者など300人ほどが集まった。APALはハンセン病回復者の全国組織で、設立準備から今日まで日本財団が財政支援を行っている。インド全域の回復者をネットワーク化し、自分たちの権利や社会制度などに関する知識を身につけ、コロニーの環境改善や生活向上のために、回復者自らが中央政府や州政府、地方自治体の役人側と交渉を行うための手助けも行っている。

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多くの回復者が出席


 式典の後、チャティスガル州へ向かった。州都のライプールはデリーより暖かく、昼は汗ばむほどだった。同州には34ヶ所のコロニーに2500人の回復者が生活し、2016年の新規患者数は1万人あたり3.31人と多い。州保健大臣のチャンドラカー氏との面談ではAPALの同州リーダーのボイさんを大臣に紹介した。ボイさんは「回復者の特別補助金をお願いしたい」と大臣に直接訴えた。熱のこもった訴えに大臣は「省庁を超えた調整委員会を作り、ハンセン病の問題を多角的にとらえる努力をする」と約束してくれた。

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右から保健大臣、ボイさん、筆者


 次に訪れたマハサムンド県の中央医療局では、インド建国の父マハトマ・ガンジーが中央に、隣にはモディ首相の写真が飾られてあり、保健担当官、医療従事者から、この地域の状況説明を受けた後、最近2人がハンセン病と診断されたということで、車で30分ほどのカッティ村を訪れた。

 診断された患者の1人は幹線道路沿いに住む30歳の女性、もう一人は鮮やかなエメラルドの家に住む、体の細い中年の男性だった。2人を発見したのは「ミタニン」という地域のボランティア。ハンセン病を1人見つけるごとに政府から250ルピー(約500円)が支払われ、患者が完治するとさらに手当てが出るという、インドだけではなく世界でも珍しい仕組みで新規患者の発見に努力していることがわかった。

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診断された男性のお宅を訪問


 午後、新患率が最も高いピトラ郡のメムラ村にも2人が病気とわかり、2時間かけて会いに行った。気温は30度を超え、強い日差しが肌を突き刺し、顔がピリピリするほどであった。主に稲作で生計を立てており人口1955人のこぢんまりとした静かな村だった。患者は80歳、50歳で、いずれも男性だった。2人とも腕に斑紋があった。村にはミタニン2人がいて、1人のミタニンは、これまで村全体370軒の約半分、175軒を探し4人を見つけたという。

 なぜ人口2000人足らずの村で、80歳のおじいさんの病気が今まで見つからなかったのだろうか。汚れた病気との思いから家族が隠していたのか、不思議なことである。いずれにしてもハンセン病の正しい知識を広める努力がまだまだ必要だと痛感した。

 夕刻には、州都のライプール市内のインドラ・ダラム・ダムハンセン病コロニーに到着した。幹線道路と鉄道が近いせいか、騒音が激しくレンガ造りの壁に今にも落ちてきそうなボロボロの瓦屋根の家が連なり、蚊やハエが飛び交う不衛生極まりない都市型のコロニーである。

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インドラ・ダラム・ダムハンセン病コロニーを訪問

 このコロニーで暮らしている州リーダーのボイさんよると、ここでは50世帯170人が生活している。そのうち80人が回復者ですべてが物乞いをして生計を立てているという。政府からの立退き要求もありボイさんをリーダーとして行政への陳述を繰り返しているという。コロニーに住む子どもたちは、学校に行ってもいじめられるなどの差別を受けていたが、このボイさんが近隣の学校の校長になってから、差別を受けることがなくなったという。

 ボイさんはかつて声が小さく頼りない印象だったが、今回保健大臣、社会福祉大臣との面談の時には声も大きく、問題点を強く主張している姿に州リーダーとしての自覚と責任感が身についたことに私は、内心嬉しい気持ちを抑え切れなかった。社会福祉大臣からは「他の州と同様に年金を値上げできるよう、また回復者が生活するコロニーの環境改善のために、積極的に今後取り組む」という発言があり、面談は大成功に終わった。

 気を良くしたボイさんは面談ごとに自信をつけ、自分のコロニーに戻った時には多くの人前で「社会福祉大臣からできる限りのことをするという約束をもらった。これで弾みをつけて皆さん共に立ち上がろう」と力強く演説をした。彼の成長を間近で見ることができ、今後は頼りになるリーダーとして活動を続けてくれるだろうと確信した。

 活動の最終日、51社のメディアが出席した記者会見を行った。私は「この州はミタニンという新しい組織をつくり、1軒1軒自宅を訪問し2500人を超える新規患者を発見する成果を挙げている。今一度、メディアにお願いしたい。ハンセン病は治る病気、薬を飲めば治り、早期発見、早期治療で障害が防げる。これらを市民が理解してもらえるように協力をしてほしい」と要請した。このようなメッセージを含んだ記事が、新聞、テレビ、ラジオなどを通じ100件以上が報道された。

 チャティスガル州では、州リーダーが直接、保健大臣と社会福祉大臣に会って要望を伝え、前向きな協力の言葉を得ることができた。これは回復者組織が州大臣に意見を伝えられるほど影響力を持つようになったということだ。しかしコロニーの人々の生活向上のための約束を政府がすぐに実行に移すとは限らない。私の夢であるインドからハンセン病患者や回復者の物乞いを無くすためにも、何度でもこの国を訪れる覚悟だ。

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