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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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11月30日(水) [2016年11月30日(Wed)]

11月30日(水)

9:00 菅井明則 笹川平和財団常務理事

9:30 宮本正顕 笹川アフリカ協会常務理事

13:30 Dr. Milena Djordjevic ベオグラード大学Sylff運営委員

15:00 日本財団国際フェローシップ合格者オリエンテーション 挨拶

16:30 衛藤征士郎 衆議院議員

18:30 井本勝幸 グレート・メコン・センター代表

「ハンセン病制圧活動記」その37―インドネシア訪問記― [2016年11月30日(Wed)]

「ハンセン病制圧活動記」その37
―インドネシア訪問記―


多摩全生園機関誌『多摩』
2016年11月号

WHOハンセン病制圧特別大使
笹川陽平


 2016年3月13日から16日にかけて、インドネシアの首都ジャカルタ、東ジャワ州のスラバヤとマドゥラ島を訪問した。インドネシアへの訪問は2014年1月以来2年ぶりで15回目となる。今回は、インドネシアの制圧未達成の州の中でも群を抜いて新規患者数が多い東ジャワ州の状況を視察することと、同州で開催される「世界ハンセン病の日」についての集まりに出席することであった。

 インドネシアは、2000年にWHOの制圧目標(人口1万人に1人未満になること)は達成したが、新規患者の数は毎年16,000〜19,000人の間を推移している。この新規患者数はインド、ブラジルに次いで世界3番目で、ASEAN諸国の中では突出して多い。また、国レベルでは制圧は達成されたが、州レベルで見ると全34州のうち12州が制圧の数字を達成していない。特に今回訪問した東ジャワ州はその12州の中で最も新規患者数が多く、その数は国全体の40%の割合を占める高蔓延地域である。インドネシアではハンセン病患者や回復者、その家族への偏見が根強く残っており、国内に“ハンセン病コロニー”と呼ばれるハンセン病患者や回復者とその家族が住む居住区が今なお多く存在している。

 初日にまずWHO(世界保健機関)のインドネシア事務所を訪問した。ジャカルタの交通渋滞は世界的にも有名で、空いていれば10分とかからない事務所まで約40分かかった。WHOインドネシアのハンセン病担当官アナンダ氏からの説明によると、東ジャワ州の2004年〜2014年の新規患者発見数は横ばい状況で、患者の早期発見が遅れており、その対策のために病気、感染、障害、偏見、差別をゼロにする「Zeroストラテジー」を立てたという。また、WHOのグローバル・レプロシー・プログラムの責任者であるエルウィン・クールマン氏がインドのデリーにある本部から駆け付けてくれ「新規診断患者数が一時的に増えてもよいから、患者発見活動を促進することが大切で、早期診断を実現して感染の広がりを押さえるとともに、障がいが残るケース数を下げることを目標としている」と報告した。私は「それらの計画を成功させるには、メディアの協力が不可欠であることと、医師のハンセン病に関しての知識不足、家族の一人がハンセン病になったら同居家族を診察することの重要性」などについて話した。

WHOでの意見交換を終えてそのまま飛行場へ向かい、約1時間半、インドネシア第二の都市東ジャワ州の州都スラバヤに到着した。

 翌日は、田舎道だが綺麗に舗装され、緑が広がる道をマイクロバスで約1時間走り、ハンセン病の回復者93名とその家族が住んでいるサンバーグラガー村を訪ねた。社会福祉省のサポートによってできたという小さなホールには、お年寄りから小さな子供まで約100人が集まってくれていた。私は「ハンセン病は治る病気です。もし子供たちの身体にハンセン病の徴候であるパッチ(皮膚が白色になった箇所)を見つけたらすぐにお医者さんに見てもらってください」と伝え、同行したメディアにも協力を要請した。

@サンバーグラガー村の人々に歓迎される.JPG
サンバーグラー村の人々に歓迎される

Aホールに集まった人々と.JPG
ホールに集まった人々と


 目もくらむ気温35度を超える暑さの中、歩いて併設するサンバーグラガー病院に向かうと音楽が聞こえてきた。病院の広場で職員が歌とダンスで迎えてくれたのだ。これは「パッチを見つけよう!」という曲に踊りをつけたもので、家族同士でパッチを探し合うための啓発キャンペーンのために作られたものだった。

 病院を案内される。2週間前に入院したというスギノさん(50歳)は右手、右足に潰瘍がある。村でただ一人ハンセン病になったが、お金がかかると思い、誰にも言わず5年間放置していたという。近所の人が病院に行った方がいいと教えてくれたが治療が遅れたために後遺症が残こり妻と子どもから見放されてしまったとのことだった。

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サンバーグラガー病院に入院されている方々を見舞う


 中庭で足を洗い合っていた、ショーレンさん(30歳)とハディリさん(36歳)は兄弟で弟は左足が義足だった。ハンセン病の治療薬は無料である。この兄弟もスギノさんもハンセン病とわかってすぐに病院に来ていたら彼らの人生はこんな悲しいことにはならなかったはずである。これだけ世界を駆け巡り、ハンセン病の正しい情報伝達の重要性を訴え続けてきたが、このような状況を見ると自分の力のなさを反省せざるを得ない。

 病院スタッフへは「みなさんの専門知識を使って他の病院のハンセン病に対する知識の向上を行ってください。また、歌とダンスは、言葉の通じない部族へのハンセン病の知識普及にとても効果的です。CDを一枚日本に持ち帰り、世界中でこの歌と踊りを普及させましょう」と述べたところ、皆さんにこやかに大きな拍手をしてくれた。

 翌日はまだ薄暗い早朝5時に宿泊施設を出発しマイクロバスでマドゥラ島へ向かった。1時間ほど走るとインドネシアで一番長い、スラマドゥ大橋を通過。対岸に靄がかかったマドゥラ島がうっすらと見えてきた。この島の人口は約360万人で、マドゥラ族が多く生活しており、マドゥラ族は全国で1,000〜1,500万人いると言われインドネシアに住む民族の中でジャワ族、スンダ族に次ぐ人数だそうだ。橋を渡って更に1時間程走ると、インドネシアの伝統的な作りの大きな赤い屋根のサンパン市の市庁舎に到着した。朝食の準備をしてサンパン市副市長と市の保健局長が我々を待っていてくれた。

 サンパン市のアバディ保健局長は、「サンパン市では、ハンセン病に対して強い偏見と差別が残っているが、それは市の住民の30%が貧困生活を送っており、就学期間が平均4年間しかなく小学生レベルの教育しか受けられていないことが原因だ。そのために字が読めなかったり言葉がわからなかったりするので、ハンセン病の知識普及は困難を極めている」。また、副市長のブディオノ氏は、「家族間で身体にできたパッチを見つけようという啓発キャンペーンをスタートさている。家族やボランティアの力を借りて早期発見できるように努力をしていきたい」と述べた。

「世界ハンセン病の日」の会場である市民広場には野外に赤と白の布で飾られたテントが張られ、小中学生たちを中心に市民が800人くらい集まっていた。スブ保健次官は挨拶で、2016年の世界ハンセンの病の日に合わせた啓発キャンペーンについて「パッチを見つけよう。早期発見すれば治る家族同士で身体をチェックし合いどこかにパッチを見つけたらすぐに病院にいくことで早期治療につなげよう」と熱弁を奮った。

C啓発キャンペーンでのあいさつ.JPG
啓発キャンペーンで挨拶

D多くの小中学生が啓発キャンペーンに参加.JPG
多くの小中学生が啓発キャンペーンに参加


 啓発キャンペーン開始は、保健省のスタッフ、集まった大勢の子供たち、私も含めた来賓まで“パッチを見つけよう!”ダンスで盛り上がり暑い日差しの中でのダンスで汗びっしょりになってしまった。この活動は、今年は東ジャワを皮切りに、南スラウェシ、中部スラウェシで実施し翌年以降インドネシア全土に拡げる予定だという。

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軽快なキャンペーンの歌とダンスに挑戦!


 我々は確実に実行されて具体的成果が出るよう関係者の意識が低下しないよう注意深く協力していく必要がある。どこまでもハンセン病との闘いは燃える情熱、どんな困難にも耐える忍耐力と成果が明確になるまでの継続的努力が我々には求められている。インド、ブラジルも大切だが今年来年中はインドネシアでの活動を強化したいと考えている。



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