「ローマ教皇とハンセン病発言」その2
―教皇に直訴―
4ヶ月の準備期間しかなかったが、バチカンでのハンセン病国際シンポジウム開催には、田南立也常務理事を中心に、ハンセン病担当チームの大車輪の活躍があり、見事成功裏に終了した。
前教皇でいらっしゃったパウロ二世教皇様には、1983年と2002年、二度に亘り謁見の機会をいただき、ハンセン病の実態を説明させていただいた。今回の国際会議中、先に記述したようなハンセン病を悪い例えとしてご使用されないよう直接ご説明の機会を得たく折衝したが、残念ながら実現しなかった。しかし教皇庁は、6月8日水曜日に行われるサン・ピエトロ広場での一般公開ミサへ、私に特別に最前列の席を用意してくださった。
朝10時からのミサのために8時には現場に行き、暑さと強い日射しに悩まされながら、ジャケットを頭に被り、ミサの始まりを待った。教皇様はいつものように真っ白い衣を纏ってお出ましになられた。儀式は思いのほか短時間で終わり、その後、数万人の信者の中を特製の車に乗られにこやかに手を振られ、祝福を送られた。信仰心厚い信者たちは熱狂し、盛んにカメラを向けていた。かつて教皇様が襲撃されたこともあり、多くの鋭い目の私服警備員が警護に当たっていた。
サンピエトロ寺院の前はミサ参列者で溢れかえっていました
車から降りられた教皇様は我々の席に近づき、順番に挨拶を受けられた。私は教皇様の目を見ながら通訳(イタリア語)を通じて、ハンセン病を悪い例え話にご使用にならないよう直訴したところ、苦笑いしながら事前に用意したお願いする文書をお受け取り下さった。
車から降りられた教皇は、熱狂的な信者のもとへ
事前に用意したお願いする文書をお受け取り下さった
参列者は思い思いのプレゼントを用意しており、中にはサッカーボールを手渡した信者もいたので直訴も珍しいことではないと思ったが、苦言を申し上げる人は、多分、珍しいことであったと思う。
世界中で、今なお多くのハンセン病患者・回復者とその家族が日常的に厳しい偏見と差別に苦しんでいる現状を考えた時、誠に失礼とは重々承知しながらも、直訴せざるを得ない心境であった。
バチカンとの国際会議の成果は、次回報告します。