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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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4月13日(水) [2016年04月13日(Wed)]

4月13日(水)

7:00 朝食

8:30 ホテル発

9:00 笹川平和財団米国(SPF-USA)事務所訪問
   デニス・ブレア会長

@ブレア会長と.JPG
ブレア会長


9:20 笹川平和財団米国スタッフとの意見交換

ASPF-USAスタッフとの意見交換.JPG
SPF-USAスタッフと意見交換


11:00 アイリーン平野US-JAPAN Council 会長

Bアイリーン会長と.JPG
アイリーン会長


11:45 ハワード大学着

11:50 SYLFF奨学生との意見交換

Cハワード大学のSYLFF奨学生達と.JPG
ハワード大学のSYLFF奨学生


12:20 奨学生らとの昼食

13:00 奨学生の報告会

15:00 佐々江賢一郎 在アメリカ特命全権大使

16:00 ホワイトハウス訪問? 

Dホワイトハウスにお訪ねしましたが、お留守でした・・・・(?).JPG
ホワイトハウスをお訪ねしましたが、お留守でした・・・

Eリスは歓迎してくれましたが・・.JPG
リスは歓迎してくれましたが・・・


19:00 ブレア夫妻との夕食会

「ハンセン病制圧活動記」その34―インドネシアの国旗― [2016年04月13日(Wed)]

「ハンセン病制圧活動記」その34
―インドネシアの国旗―


インドネシアはインド、ブラジルについで、世界で3番目にハンセン病患者の多い国である。3月13日〜17日までの5日間、シャカルタ、スラバヤ、東ジャワのマドゥラ島でハンセン病制圧活動に汗を流した。

2014年の東ジャワの患者数は4,116名で、インドネシア全体の10.68%を占める。その中でもマドゥラ島は2,000名と圧倒的に多い。ハンセン病は無痛なので、どうしても発見が遅れて手足等に障害が出るケースが多く発生する。そこでインドネシア政府は、マドゥラ島の全ての家庭で、家族同士が皮膚を相互チェックし合う運動を計画した。ハンセン病の初期は、体の一部に皮膚感覚のない『パッチ』といわれる白い斑点が生じる。この斑点のある人を見つけ、速やかに病院で診断を受けさせようとするものである。

我々は、ハンセン病回復者の全国組織である『ペルマータ』への支援も行っているが、インドネシアのハンセン病に対する偏見・差別は世界の例外ではなく厳しい。記念式典でブディノ副市長がわざわざ「笹川さんは回復者一人一人と握手していたでしょう。怖い病気でありません」と挨拶したところを見ると、まだまだハンセン病についての理解は進んでいないことがわかる。中央政府のニラ・ファリッド・モエロク保健大臣は、私と同行することを約束していながら、巡礼のためと言ってメッカに行ってしまった。途上国でよくあることで別に驚きもしないが、何とかこの運動を成功させ、全国展開したいものだと考えている。

ハンセン病啓発の素晴らしい歌と踊りも披露された。しかし残念ながら、最も深刻な低年齢者の感染を防ぐための子どもたちの参加がなかったことは、画竜点晴を欠くものであった。

インドネシアの国旗の話しを書くのに、つい本職の活動の話になってしまった。

世界の国旗についての権威者は知人の吹浦忠正氏である。東京オリンピックの国旗の係りをしていたそうだから年期が入っている。国旗にはそれぞれ故事来歴もあり、国によっては3〜4回変わることも珍しくないそうだ。私が政府代表を務めるミャンマーでも2〜3年前に国旗が変わった。

インドネシアの国旗の話を書くことになったのは、スラバヤのマジャパヒトホテルに泊まった折、部屋のテーブルにホテルの歴史のパンフレットがあったからだ。

このホテルは、コロニアル風で有名なシンガポールの「ラッフルズホテル」やミャンマーの「ストランドホテル」を開設したのと同じ人物で、植民地支配をしていたイギリス人やオランダ人が建設したのかと思っていたら、イラン人ビジネスマン、サーキーズ兄弟を先祖とする一族が建設したらしい。日本占領時代の一時期、「ホテル・ヤマト」と改名した時期もあったが、1945年、第二次世界大戦が終わり、その後オランダ占領軍が進駐してこのホテルにオランダ国旗を掲揚しようとしたところ、インドネシアの独立を熱望する人々がホテルの屋根に駆け上がり、オランダ国旗の青い部分を引きちぎって赤と白のインドネアシア国旗が誕生したそうだ。

オランダの国旗.png    インドネシアの国旗.png
オランダ(左側)とインドネシア(右側)の国旗


Iたまにはこういうホテルにも泊まります(視察のために致し方なくですが。。).jpg
コロニアル風ホテル、WHOの手配で1万円程でした
思ったより安くてホッ!


単純な国旗にまつわる逸話なのに、長々とした説明でお恥ずかしいことです。

以下は、東ジャワ州マドゥラ島で開催されたハンセン病制圧式典でのスピーチ要旨です。

*****************


皆さまご存知の通り、ここインドネシアでは、WHOの定める人口1万人あたり1人未満という公衆衛生上のハンセン病の制圧目標を2000年に達成しています。それでも、この国家レベルでの制圧に甘んじることなく、その後15年以上の間、ハンセン病の蔓延地域を中心に積極的な活動を続けてくださっている大臣閣下はじめ、皆さまに深く敬意を表します。

私たちが次に目指すべきことは、このような蔓延地域をなくすことです。

ここ東ジャワ州マドゥラ島の4県では、年間2,000人のハンセン病患者が発見されていると聞いています。私の経験上、このような蔓延地域では、ハンセン病について知らない人が多いように思います。例えば、ハンセン病はどのような症状が出るか知らない人。治療を受ければ治るということを知らない人。治療が無料で受けられるということを知らない人。その結果、早期に適切な治療を受ける人が少なくなってしまうのです。

この度、インドネシア政府は、「コミュニティ参加型の活動(Community Participation Activity」を新たに打ち出しました。私は、これは非常に重要な取り組みであると思います。この活動によって、東ジャワの人々がハンセン病の知識を得ることができれば、患者の早期発見、早期治療にもつながります。ハンセン病は、初期症状が出た段階で発見ができれば適切な治療へとつなげることができます。これがハンセン病を完治させるための鍵です。

私が、ハンセン病の早期発見、早期治療が重要だと何度も強調して言うのにはもう1つの理由があります。

ハンセン病は、早く発見して治療しないと、後遺症として身体に障害が残ってしまうことがあります。そして、その障害によって患者は恐れられ差別されてしまうことがあるのです。皆さまご存知の通り、ハンセン病の差別の問題は根深く、簡単に解決することはできません。しかし、早期にハンセン病を発見し、治療を受け、ハンセン病に起因する障害を未然に防ぐことができれば、患者が差別される可能性をも大きく減らしていくことができます。

このコミュニティ参加型活動は、東ジャワ州だけでなく、南スラウェシと中央スラウェシにも広めていき、その後、全国に展開していくと伺っています。このインドネシア政府主導のイニシアティブを大いに歓迎します。まずは、この東ジャワでの活動が軌道に乗るよう、スカルウォ知事には、強いリーダーシップを発揮して進めていただきたいと思います。そして、ここでの成功がモデルとなり、インドネシア全土における大きな成果につながることを期待しています。

各市の市長の皆さま、そして各市保健局長および村長の皆さまの積極的な活動にも期待しております。皆さまには取り組むべき課題が他に多くあることは理解しておりますが、ぜひ、この機会にハンセン病への取り組みにも今一度力を入れていただきたく、ご協力をお願いします。

最後に、本日お集まりのマドゥラ島にお住まいの皆さま。この活動は、皆さまやご家族の健康のために非常に重要な取り組みです。皆さまの積極的な参加をお願いします。

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