「ミャンマーからの英霊帰還」その2
―仏教異聞―
前回のブログで、少数民族武装勢力の支配地の一つであるチン州で発見された日本軍兵士10柱の祖国・日本への帰還についての役割を仰せつかったことは既に記した。
この作業は、福岡出身の元僧侶で、タイやミャンマーで長きに亘りNGO活動を続けている井本勝幸氏が、国民から浄財を募り実現したものである。
さて、ここからが本題である。
日本は、テイン・セイン大統領の軍政からの脱却と民主化実現を支援するために多大の助力をしてきた。私が担当する少数民族武装勢力地域での米、塩、油、豆等々の人道支援は、足を踏み入れることさえ困難な地域へ、延べ53万人に届けられている。これは日本政府・外務省の英断であり、日本財団のこの大規模な支援活動は、各国政府や国際機関からも高い評価を得ている。
少数民族武装勢力地域に米を配布
そこでミャンマーと日本との関係をさらに進化・拡大するための友好のしるしとして、この10柱の遺骨の引き渡し式をテイン・セイン大統領に行っていただきたいと依頼した。
大統領は「ミャンマーは小乗仏教です。遺骨は不浄なもの、穢れているものです。それを大統領が持ったりしたら大変な問題になります」と話された。そこでミン・アウン・フライン国軍司令官に直談判で、「あなたは兵士を預かる最高司令官であられます。日本軍の英霊のために、是非、ご遺骨の引渡し式をお願いしたい」と依頼したところ、困惑した表情で「この問題は大統領の特別許可が必要です」と、やんわり断られてしまった。
そのため、担当は文化省とのことで、エーミンチュー文化大臣より引渡しを受けることとなった。大臣は「文化省は考古学資料も担当しているが、古代の人骨すら展示することはありません」と言う。当方の遺骨の資料・写真を提示したところ、同席した高官たちが見て見ぬ振りをされたのには二度びっくりした。
ミャンマーでは火葬の後の骨は全部捨てられ、墓はないのである。日本では、東日本大震災から5年たった今もなを遺体を探しているのに、何という違いだろう。
司馬遼太郎著の「この国のかたち」その1に「日本と仏教」の章があり、「本来の仏教は実にすっきりしている。人が死ねば空(くう)に帰する。教祖である釈迦(しゃか)にも墓はない。無論その十大弟子にも墓はなく、おしなべて墓という思想すらなく、墓そのものが非仏教的なのである」と書いている。これが正統派仏教なのであろう。
救済の思想は、釈迦が開いた本来の仏教には存在せず、その後数百年を経て出現した大乗仏教(日本・韓国)の中に現れる。しかし江戸中期の独創的思想家・富永仲基(なかもと)は、「大乗仏教は全て釈迦とは無関係の偽経である」と考察し、日本の仏教界に衝撃を与えた。司馬遼太郎氏は「現在なお、この富永仲基の説は破られていない」としるしている。
小乗仏教に墓のないことはわかった。
なぜ大乗仏教に墓があるのか、その関係を知りたいものである。