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11月10日(月) [2014年11月10日(Mon)]

11月10日(月)

6:00 ホテル発

8:00 ネピドー着

9:30 ミンマー平和構築に関する協議 アウン•ミン大統領府大臣ほか

12:00 関係者との昼食

14:00 平和構築協議

16:00 USDP ウー・テー・ウ副議長 表敬訪問

テー•ウー副議長.JPG
ウー・テー・ウ副議長


18:30 アウン•ミン大統領府大臣らとの夕食会

アウン・ミン大統領府大臣らとの夕食.JPG
アウン・ミン大統領府大臣らとの夕食

「富岡製糸工場」―世界遺産と女工哀史― [2014年11月10日(Mon)]

「富岡製糸工場」
―世界遺産と女工哀史―


群馬県の富岡製糸工場は、多くの支援者の努力によって世界遺産に認定され、喜びの報道が溢れた。保存に努めた関係者に謝意を表したい。

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富岡製糸工場


明治以降の産業の近代化の中で、全国各地の製糸工場が果たした役割は大きい。しかし、その裏には女工哀史の歴史があったことも忘れてはならない。多くの貧農の娘たちの汗と血の努力なくして当時の製糸工場は成立しなかった。

2008年の小林多喜二の「蟹工船」ブームは、プロレタリア文学の再評価のはじまりかと思ったが、一過性で終わってしまった。

私も今まではプロレタリア文学には全く興味がなかったが、当時、貧困家庭から追い出されるように低賃金で働きに出ざるを得なかった人々の生活を知りたくて、暇な時間に少しずつ読みはじめている。佐多稲子、宮本百合子、葉山嘉樹、林芙美子、大杉栄、中野重治等で、昨日は小林多喜二の防雪林を読んだ。

紡績女工労働者の悲惨な労働の実態をまとめた細井和喜蔵「女工哀史」は未読だが、巻末に収録された付録に「女工小唄」がある。作者未詳だが、日本各地の紡績工場の盆踊歌として女工たちが歌いながら踊って、つかぬ間の憂さ晴らしをしたものだ。

プロレタリア文学第二巻【森話社】から拾ってみた。

*籠(かご)の鳥より監獄よりも、寄宿住まいはなお辛い。

*工場は地獄よ。 主任が鬼で廻る運転火の車。

*糸は切れ役わしゃつなぐ役、そばの部長さんにらみ役。

*偉そうにするな。お前もわしも同じ会社の金もらう。

*ここ脱け出す翼がほしや。せめてむこうの岡までも。

*よその会社は仏か神か。ここの会社は鬼か蛇(じゃ)か。

*ここの会社は女郎屋と同じ。顔で飯食う女郎ばかり。
※女郎とは売春婦のこと。

*親のない子は泣き泣き育つ。親は草葉のかげで泣く。

*うちさ行きたいあの山越えて。行けば妹(いも)もある親もある。

*会社勤めは監獄勤め。金の鎖が無いばかり。

*女工女工と軽蔑(けいべつ)するな。女工は会社の千両箱。

*紡績職工が人間ならば、電信柱に花が咲く。

*嬉し涙を茶碗に受けて、親に酒だと飲ませたい。

*工場しまって戻れば寄宿、蛙なく夜の里おもい。

*こんな会社へ来るのじゃないが、知らぬ募集人にだまされて。

*うちが貧乏で12の時に、売られてきましたこの会社。

ここには働く工場に対する皮肉、批判、悪口、抗議や怒りがこめられている。物事には表裏がある。華やかな世界遺産・富岡製糸工場でも、かつては籠の鳥として朝6時から夕刻6時まで働き、夜は寄宿舎で枕に涙を流して眠りにつく女工もいたのではないだろうか。

先人たちの血と涙の歴史の上に現代の我々が存在することを忘れてはならない。
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