「ハンセン病制圧活動記」その11
―ダライ・ラマ法王とハンセン病―
3月20日、ダライ・ラマ法王のお供で、インドの首都ニューデリー郊外のタヒルプール・ハンセン病コロニーを訪れた。
法王は、チェコの首都プラハで、故ハヴェル大統領と私との共催で17年間にわたり開催を続けた『フォーラム2000』会議に再三出席をして下さった。聖ヴィート大聖堂で行われた宗教指導者による祈りの会にも、キリスト教(プロテスタント、カトリック、ギリシャ正教)、イスラム教、仏教の代表と共に祈りを捧げて下さった。
いつも微笑みを絶やさず、やわらかく温かい手を差し伸べてくださる法王。
「笹川さん、
ババ・アムテ氏を知っているかい。ハンセン病や障害者のために尽くした人だよ。私はそこに泊まったこともあるし、ノーベル賞の賞金の一部を寄付したこともあるよ。」
「行きましたよ。ババは家族と6人のハンセン病患者、牛一頭を連れて荒れた森林地帯のアナンダマンを開拓し、今では5000人のハンセン病回復者と障害者が住んでいるそうです。ところで、私はハンセン病の制圧と差別撤廃のために闘っています。ハンセン病回復者の物乞いをゼロにしたいと思います。」
「それは難しいね。」
「出来るか出来ないか、やってみないと分かりません。やってみせます。」
と約束してしまった。
世界のハンセン病患者や回復者とその家族を激励してほしいと、インド北部のダラムサラの事務所に法王を訪ね、快諾を得てから約一年半振りに実現した今回のコロニー訪問であった。
なにしろ役人や警察も訪ねたことがないハンセン病コロニーへ、超VIPが訪問することになったのである。世話係のインド・ササカワ・レプロシー財団のビニーター・シャンカー女史はその対応に大わらわ。特に警備関係者からの問い合わせの対応に追われているところに、前日には消防車も配備したいとの連絡があったが、狭い敷地に入る余地もなく、丁重にお断りしたとのことであった。
ここは、私が信頼していたハンセン病回復者ダッタ氏のコロニーで、再三訪れたことがある。昨年も病気見舞いに訪れたが、その三ヶ月後に亡くなってしまった。彼の努力でインドでも環境の良いコロニーではあるが、警備の警察官の多さに驚いた。関係者の努力で法王歓迎のための幕が張られ、敷物がひかれ、花が飾られ、全ての準備が整い法王のおいでを待つばかりであった。
歓迎幕の前で記念撮影
参加者が待ち焦がれる中、法王の車は静かに到着した。私との挨拶もそこそこに、回復者の皆さんはどこだとばかり、整然と着席している真ん中あたりで回復者の変形した手を握りしめ、一人ひとりに挨拶された。私は少し足が弱られている法王の右手を握りしめ、ご一緒に壇上に上がった。
手を携えて壇上へ
一人ひとりの手をやさしく包んで
終始にこやかで、そのオーラは一瞬にして参加者を魅了するものであった。私の短い挨拶の後、「身体的な問題があるとしても希望を失うことはない。すべての人間は平等に幸せになる権利がある。自分に自信を持つことが一番重要だ。」と仰り、さらにハンセン病の子供たちを激励され、出版の印税の中から毎年200万円程度を5年間寄付しましょうとのお話もあった。
激励の挨拶
次々に挨拶する回復者に、膝がお悪いにも関わらず、わざわざ椅子から立って幾度となく回復者の手を握り激励された。司会役のビニーター・シャンカー女史の毛の乱れを気にされて手をかざされた時は、会場に笑いが広がった。手を差し伸べてくる老人は勿論のこと、子供たちにもにこやかに激励の握手をされ、数多くの記念写真にも応対されてコロニーを後にされた。
この日の法王のフェイスブックのフォロワーは850万人もおり、今回のご訪問を契機に、ハンセン病の患者、回復者とその家族の現状が世界中に伝わったことは、ハンセン病の制圧と人権の問題に長く関わり闘ってきた私にとって感無量の出来事であり、生涯の喜びであった。