「個人情報保護法」
個人情報保護法が施行されてから個人の姓名や年齢、住所や電話番号などが入手困難になったにもかかわらず、逆にどこで知ったのか、自宅にかかってくる電話では家族の名前まで知っており、特に振り込め詐欺などの場合は顕著である。
物事は隠すから価値あるものになる場合が多い。小さなビキニ水着などはその典型であろう。かつて流行ったヌーディスト・ビーチなど、経験者に聞くと、何の刺激?もないそうで、やはり秘すれば花がいいようだ。
内館牧子さんのエッセイに、知人のマンションを訪問したがルーム番号を忘れてしまい管理人に尋ねたところ、「個人情報保護法で教えられません」とのブッキラ棒な返事。困った内館さん、「それではあなたが知人の部屋に連絡し、玄関に内館が待っていると伝えてほしい」との願いも「個人情報保護法で出来ません」との冷たい返事で怒りをあらわにされていた。
こと命にかかわる問題でもこの「個人情報保護法」は厄介である。
3月1日、日本障害者フォーラムと日本財団の共催で「東日本大震災における障害者支援活動の現状と復興への課題について」をテーマにした勉強会を参議院会館で行った。
障害者(知的障害者、身体障害者、盲人、ろう者)や介護を必要とする老人などへの支援活動について、行政は「個人情報保護法」を理由に名簿の提出を拒否するケースが多く、支援したくても居場所が分からず活動に大きな障害となったとの報告があった。またNPO諸団体のこれらの方々の自宅への訪問活動も困難を極めている。命にかかわる問題でもあり、臨機応変に対応してもらいたいものである。
かつて、私のブログを読んでほしいと思い、関係団体の職員にメールアドレスの提出を頼んだところ、「個人情報保護法」を理由に断わられたケースもあった。先方は私のことを、多分、知っているはずなのに、何故笹川がメールアドレスを知っていたのかが問題になる可能性があるとの理由であった。
同窓会名簿を作れないケースもあるらしい。
実に几帳面な民族である。メートル法の実施もそうであった。先進国では今でもヤード、ポンドが普通である。しかし、日本では尺貫法は完全になくなってしまった。筆者など古い人間なので、面積は平方メートルから坪を割り出さないとその広さが実感出来ないでいる。
しかし、それなら全ての法律に日本人は忠実かといえば、そうでもない。
終戦直後、関東地方の裁判官がヤミ米を食べるのは職業柄許されないと餓死した事件があった。イザヤ・ベンダサンこと山本七平氏が言うには「イスラエルなら法の番人として賞賛され、銅像が立ったであろう。しかし日本ではその裁判官に対し、そこまでやる必要があったのだろうかとか、中には変人ではとの話が出たそうである」と書いている。
日本には法外の法とか理外の理が存在する。数ある法律の中で、何故に「個人情報保護法」だけがこれほど国民に徹底したのだろうか。
是非読者に教えてもらいたいものである。