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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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12月27日(火) [2011年12月27日(Tue)]

12月27日(火)

12:30 ミャンマー高僧 ベン・エインダパラ11番目三蔵法師 



13:00〜16:00 職員採用・面接試験

16:00 報謝祭

アウンサン・スーチー女史と会談 [2011年12月27日(Tue)]



―アウンサン・スーチー女史と会談―
「ミャンマー訪問」その2


今回(12月12日〜20日)のミャンマー訪問は、例によって強行日程ではあったが、実り豊かで満足のいく旅であった。関係者の努力を多としたい。

旅の最終日の19日、NLD(国家民主連盟)党首アウンサン・スーチー女史との会談の機会を得た。自宅軟禁から解放されて千客万来の中、日本人としては初めての顔合わせであった。

スーチー女史の自宅は市街地からほど近いカンドージ湖畔に面した二階建ての瀟洒(しょうしゃ)な住宅で、広い芝生の庭もあり、ヤンゴンの一等地に位置する。二年前に訪れた時は、道路は封鎖、兵士たちの警備は厳重を極め、遠くから眺めるのが精一杯であった。しかし今回、門前には兵士も警備員もおらず、NLDの党旗が翻っているだけで静まり返っていた。隣接地は廃屋で、他国ならばこの場所を利用してスーチーカレンダーや記念品を売る屋台が出てもおかしくないスペースがありながら閑散としていた。

それに比べ面会場所のNLD党本部は町中にあり、間口が狭く奥行きのある部屋は、日本の国政選挙の候補者事務所のような賑わいであった。壁にはところ狭しとアウンサン将軍のセピア色の写真とスーチー女史の写真が貼られている。狭い入口近くではカレンダーをはじめNLDのグッズが売られており、両側に並ぶテーブルでは食事をする人、数人で打合せをしている人、所在なく考え込んでいる人、食い入るように何遍もスーチーカレンダーを眺めている人、その間を縫って狭い通路を忙しく行き来する人でごった返していた。

私どもはその熱気に圧倒されながら、人をかき分け一番奥でしばしの時間を待った。聞くところによると、幹部会が開催されており、NLDの政府への登録や来年3〜4月頃に予定されている補欠選挙対策等についての重要な打合せが続いているとのことで、予定より約15分ほど遅れ、案内人が入口近くの階段を上り案内してくれた。

粗末なドアの内側にスーチー女史が待っているという。記者団が揃うのを待ってドアが開かれ、目の前には映像で見慣れたスーチー女史が和やかな笑顔で迎い入れてくださった。部屋は3〜4坪の質素な部屋で、事務決裁用の大きめの机と6〜7人の椅子で一杯であった。

女史に日本財団が1970年代から活動しているハンセン病制圧活動や、少数民族が生活する辺境地域での小学校建設、伝統医療の配布事業、障害者の組織化など諸々の人材育成プログラム等を簡単に説明したところ強い関心を示され、途中で日本財団の連絡先を教えてとの強い反応があった。

女史の「これまでのご支援に感謝します。私は日本人の責任感は素晴らしいと思います。大震災に人々が耐えた姿に感銘を受けました」との言葉に、私が「日本人は短距離は駄目です。お国との関係で今は支援や進出が遅れているように見えるかも知れませんが、長い目で見てほしい」と言うと、「マラソンならエチオピアでしょう!」と切り替えされて大爆笑となった。

事前に、日本人記者団から@日本政府に望むこと A金正日の死去 Bミャンマーと米中との関係について質問しろとの依頼があった。しかし、初対面で切り込む話題としては適当ではなく、30分間の制限時間で終わるには話題が多すぎるので躊躇していたが、意識的に彼女の左手に右手を重ね、手を引っ込める気配もないので思い切って話題にした。

彼女からの返答は
@ 日本政府はODAを再開すると言っています。ODAは我々に役に立つODA、将来彼らの自立のためになるODAにしてほしいものです。他に依存し続けることはしたくない国民なのです。

A とても心配しています。後継者は若く、経験不足です。後継者になるとは決まっていましたが、こんなに早く後を継ぐことになるとは思っていなかったでしょう。

B 中国、アメリカ両方に良い友達がたくさんいます。中国資本が建設中のミッソンダム発電所の建設中止をセイン大統領が決断したことはVery Happy な話です。

初対面でもあり充分ではないが率直な返答を得た。

別れ際にプレゼントを手渡しながら「小さなプレゼントですが、私のミャンマーに対する思いはこのプレゼントの何百倍の大きさです」と言うと、
「わかるわ!! あなたの服装(ミャンマーの民族衣装着用)を見て」と、破顔一笑された。

補欠選挙終了後、ゆっくり再開することを約束して部屋を出た。
気持のよい会談であった。
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