カメラを向けても無表情な保母と子ども達(平山人民病院)
「延坪(ヨンピョン)島砲撃と北朝鮮・開城(ケソン)工業団地」
昨年の11月23日、北朝鮮は突然、韓国の延坪島を砲撃。海兵隊2名、民間人2名が死亡、負傷者約20名。山火事や家屋の火災も発生し、一気に南北関係が緊張状態になったことは報道の通りで、金正日後継者の金ジョンウンが指導し、現場で指揮したとの説もあるが、真相は不明である。
この砲撃が行われている最中も、非武装地帯からわずか1キロメートルの最前線に建設された韓国資本の投資による開城工業団地は稼働していたと、消息通はいう。
開城工業団地の現況は、122社が活動し、約4万人の北朝鮮の労働者を雇用。その内の1割は大学卒で極めて優秀らしい。
毎朝集会があり、北朝鮮の幹部が朝鮮労働党新聞の主要項目を読み上げるが、儀式化していて労働者はほとんど聞いておらず、中には編み物をしている女子工員も珍しくない。月給は100ドル程度で30%は税金として差し引かれ、残り70ドルの半分はク−ポンでの支払い。35ドルのみが北朝鮮通貨での支払いである。
実は、このクーポンの支払いが大好評。工業団地内にあるファミリーマートで韓国製の製品を買うことができるからである。休憩時間のおやつには、どういうわけか韓国ロッテのチョコパイが1人5ヶほど配布されるが、誰一人食べる者はおらず、家族のために持って帰ったり闇市で売りさばく労働者が大部分である。また、一週間に一度のシャワーが大人気だという。多分、電力不足で自宅では温かい湯など望めないのであろう。
半島には「南男・北女」の言葉もあり、北の女性が美人であることはアジア大会の美女応援団や「喜び組」などで日本でも良く知られているところだが、入社時には黒い顔の女子工員が一年もすると化粧をして見違えるような美人に変身し、中には韓国の最先端ファッションをまとい香水をつけている女性もいるという。
監視が行き届いているせいか話題はもっぱら食べ物の話であり、時にはこっそり北朝鮮の幹部から食糧品や薬のおねだりがあるが、中国製は絶対駄目と念を押されるらしく、ここでも日本製は羨望の的らしい。
或る運動靴メーカーは、初期投資15億円で昨年の利益は30億円と高収益だった。団地の労働者はこのメーカーの運動靴を履く者が多く不審に思っていたところ、不良品がこっそり持ちだされて闇市で売られており、それを買っているらしく、支給品ではないらしい。122社のうち食糧品メーカーは何社かと尋ねたところ、海藻関係が2社あるだけで「もしカップラーメンその他の食糧品を生産したら、慢性的に極端な食糧不足の国においては何がおこるか想像出来るでしょう」と笑われてしまった。
以上は、消息筋から聞いた話である。
労働者の多くは極端な南北格差を理解しており、開城工業団地の存在は、北朝鮮の人々を啓蒙する絶好の広報の場所になっていると見ることもできる。
私が北朝鮮を訪れたのは1997年が最後である。この年は水害による食糧不足から250万人とも350万人ともいわれる餓死者が発生した時期であった。
訪問時、私は空腹に耐える北朝鮮の人々のことを考えるとご馳走は食べられぬと、大規模な歓迎パーティー中止は勿論、一切のご馳走を拒否。食糧不足の中にありながらも食卓には毎回山海の珍味が並んだが、朝夕、茶碗一杯のおかゆ以外は食べぬと宣言し、滞在中実行した。
この態度が評価されたのか否かは不明だが、張成沢氏との激論交渉の末、日本人妻500人(当時帰国可能な人はこの程度と予想された)の即時帰還で意見が一致。北朝鮮当局のアジア太平洋委員会は、人道的見地から無条件で帰国させると公式発表した。
その後の外務省と北朝鮮との事務関係のやりとりで結果は不幸なこととなったが、その経過はここでは割愛する。
その折、地方の実情視察を無理を承知で希望したところ、了解となった。
金日成ご自慢の大安重機械連合企業所は北の工業生産の最優秀モデルとして世界に喧伝されていた。しかし、従業員1万5千人の9割は休職状態。休職中の労働者は各工場単位で山菜採りや農村地域への買い出しに従事しているのが現状で、工場の機械はほとんど錆びついており、少なくとも数年以上は停止状態であることがわかった。
「電力はいつ、何時間くるかもわからず、ほんの一部が稼働するだけで休止状態だ」と、責任者が淋しそうに説明してくれたことを思い出す。
移動中の車窓から見える風景は戦争直後の日本と同様に車も自転車もなく、疲れきった人々が風呂敷包みを背中に背負って黙々と歩いている姿だけだった。
平山(ピョンサン)では、平壌(ピョンヤン)から同行の幹部を無視して、勝手に次々と農家の内情を覗いた。ある家では狭い部屋に2〜3人の家族が背を向けて横たわっていた。台所には食料に類するものは何もなく、餓死寸前の凄惨な状況に胸がつまる思いであった。動物性タンパク質が不足しているのか、ねずみを飼育している家もあった。
食用のネズミ
鉄道の沙里院(サリウォン)駅には物乞いの浮浪児が多くたむろしているが、私の訪問の折には一か所に集めて収容されていることがわかり、現場に乗り込んだ。
収容されている二階建ての旧商工管理事務所には300人は超すと思われる子供たちであふれていた。皆、一様に痩せこけている。幾人かに年齢を聞いたが全員が実年齢より5〜6歳幼くみえ、慢性栄養不良で成長が止まったとしか想像できない状態であった。
あれから14年が経過した。当時より何ら改善されたというニュースは耳にせず、悲惨な生活状況は今も続いているに相違ない。
活躍するスポーツ選手や華やかなマスゲーム、首都・ピョンヤンの映像に幻惑されてはならない。地方の社会的機能はあらゆる面で崩壊し、金日成の「白い米と肉のスープを国民すべてに」のスローガンは、60数年たった今もなお、実現はほど遠いどころか慢性化する食糧不足は社会秩序すら崩壊させつつある。
極寒の地で静かに耐え忍ぶ拉致被害者や日本人妻は勿論のこと、北朝鮮の悲惨な国民生活は胸の痛むことであり、日本人として自分の無力さに苛まれる日々である。
やせ細った子ども達(黄海北道平山:ピョンサン)
(次回2月16日は、「中国のハンセン病の状況」です)