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アフリカ チャド共和国 ハンセン病制圧活動 [2011年01月16日(Sun)]


ハベナコロニーを視察し、患者を激励

アフリカ チャド共和国 ハンセン病制圧活動


国立療養所松丘保養園機関詩「甲田の裾」


WHOハンセン病制圧特別大使
笹川 陽平

2010年7月18日〜21日、アフリカ中部のチャドを訪問しました。これまでアフリカ諸国にも頻繁に足を運んでいますが、同国の地を踏むのは今回が初めてです。

チャドはスーダン、中央アフリカ、カメルーン、ナイジェリア、ニジェール、リビアと国境を接する内陸国で、国土面積は128平方キロ(日本の約3.5倍)、人口約1100万人。国土の北半分はサハラ砂漠を擁する乾燥地帯、南部は比較的降水量の多く肥沃なサバナ地帯です(主にキビ[主食]、モロコシ、綿花を栽培)。

1960年にフランスから独立しますが、人口の50%を占めるイスラム勢力(北部)と35%のキリスト教勢力(南部)の対立、そして1980年代からはイスラム勢力間での対立も顕在化し、クーデターや内戦を繰り返す事態が続き、現在も政治情勢は不安定で、紛争抑止として国連平和維持軍やフランスの軍隊が駐留しています。さらに、世界で最も汚職が蔓延している国の一つとされていることもあり、外国からの投資はままならず経済は困窮、世界最貧国の一つに数えられ、国民の80%が貧困に喘いでいると国連は報告しています。

今後の経済に期待を感じさせる唯一の明るい材料は今世紀に入り南部で石油が見つかったことで、隣国カメルーンを抜けて大西洋出る1000キロのパイプラインも完成させています(現在、輸出の8割を石油が占めているそうです)。

チャドは1997年に公衆衛生上の問題としてのハンセン病の制圧(有病率が人口1万人あたり1人未満)を全国レベルでは達成していますが、スーダン国境に接する東部等では未だに有病率が高く、また、新規患者のうち重度障がい率が高く、子供の新規患者が多いという懸念される状況があります。

この背景にはチャド保健省の態勢の不備、ハンセン病を正しく診断できる医療施設が少ない、患者のデータの収集や伝達に正確さを欠く、担当者の人事異動が多く、患者のモニタリングが不十分なために治療が途中で終わってしまうケースも少なくない、といった問題があります。そして根本的には必要な人材、資金、物品が不足しているという報告が私の耳に届いていたので、チャド政府のハンセン病対策に対するコミットメントを引き出す必要があると判断し、今回のチャド訪問となりました。

7月18日の午後、チャドの玄関としてはかなりささやかな、首都ンジャメナ空港に降り立ちました。空港では、ボゲナ保健大臣、WHO(世界保健機関)チャド事務所代表のバリー博士、また、コンゴにあるWHOアフリカ地域事務所ハンセン病担当官のビデ博士が出迎えてくださいました。小雨混じりの天気であったため、私が雨を持ってきてしまったのではと詫びたところ、「雨と一緒に来る人は、幸運を持ってくる人です」と歓迎してくださいました。この日は日曜日のために特段の日程は組まれていなく、早々にホテルにチェックインして荷をほどき、身体を休めました。

翌19日、早速にボゲナ保健大臣を訪問し、エイズやマラリアなどの対策と共にハンセン病対策にも力を注いでいただきたいこと、また、「ハンセン病は治る、薬は無料、回復者には社会復帰を」というメッセージを社会に広めてもらえるよう、お願いをしました。これに対し大臣は、私の要請を快諾してくれるとともに、自分の父親の伯母がハンセン病であったことを打ち明けてくれました。

幸運なことにこの大伯母は、家族の協力もあって、孤立することなく地域の中で(しかも裕福にまでなって)生涯を終えることができたとのこと。大臣のお父様は2歳の時に孤児になったためこの伯母が母親代わりであったそうで、つまり大臣にとってはこの大伯母は実質的に祖母で、一緒に暮らしたこともあり、ハンセン病に対する十分な理解を持つことが出来たと話してくださいました。

保健省を後にし、引き続き下院副議長のシレック氏と会談をしました。ハンセン病の医療・社会の両面の問題の解決をお願いしたところ、議会の委員会でハンセン病問題を取り上げることを検討すると約束してくれた上に、必要ならば関連法案を策定・提出することを考えると力強い言葉で語ってくれました。合わせて、地元の選挙民にハンセン病の正しい知識を伝えていただくようにも依頼しました。

識字率が50%以下でテレビもほとんど普及していない(電化率は人口の1.5%)この国では、情報の伝播はラジオや口コミに頼らざるをえません。また、折しもアフリカ18カ国の首脳が集まる国際会議がンジャメナで開催される直前というお忙しい中を、ナディンガー首相も面談の時間を設けてくれました。首相は将来のチャドの開発の道のりの中に医療・社会両面のハンセン病対策をしっかりと位置付けて必要な手段を講ずると断言してくれました。チャドのために一緒に努力をして目標を達成することを誓い合い、首相府を後にしました。

再び保健省に戻り、ハンセン病担当官のムサ氏からチャドにおけるハンセン病対策に関する実務的ブリーフィングを受けました。保健省は1992年、2000年までの制圧を目標に、ハンセン病対策プログラム開始。

当時は年間の新規患者は8,582人、有病率は14.4人でしたが、1997年には有病率を0.96人にまで減少させて、全国レベルで制圧目標を前倒しで達成。2009年の新規患者は484人、有病率は0.54人。1992年からこれまでの治癒患者は2.5万人以上。但し、東部・南部には未だ有病率が1〜2.75人と高い州が4つあり、また最も憂えるのは、新規患者のうち重度障がい率が約17%と非常に高いこと(=早期発見されていない患者が多いことを示す;病気が治癒しても生活に支障をきたし、また、偏見・差別の対象になりやすい)、そして子供の新規患者も約9%と多いこと(=発見されていない感染源[感染者]が多いことを示す)です。

その他の課題としては、政情が不安定な地域での活動、遊牧民のフォロー、資源(人材、物資、資金)不足などが挙げられました(なお、保健省のハンセン病対策の事業費の9割は、フランスのハンセン病NGOであるラウフ・フォレロー財団がカバーしているとのことです)。同席していたWHOアフリカ地域事務所ハンセン病担当官のビデ博士は、こうした様々な課題を解決するのには新たなイニシアチブが必要であると指摘し、今後に具体的な対処作業に入ることになりました。

次の日(20日)は、日帰りで地方の視察をするため、朝7時過ぎに国連機に乗り込み飛び立ちました。上空からンジャメナを眺めると殆どが平屋の建物で、私たちが泊まっているリビア資本の9階建てホテルがほぼ唯一の“高層”建物です。私はアフリカの数十カ国を訪問したことがありますが、それらどの国の首都にも10階建て以上のビルの10や20は建っているものです。ンジャメナのこの現実が、チャドが世界で5番目に貧しい国(国連開発計画の報告書)とされていることの一端を示していると感じます。

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