CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2010年05月 | Main | 2010年07月»
leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
Google
<< 2010年06月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
プロフィール

笹川 陽平さんの画像
笹川 陽平
プロフィール
ブログ
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
リンク集
http://blog.canpan.info/sasakawa/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/sasakawa/index2_0.xml
「海外出張」 [2010年06月04日(Fri)]
「海外出張」


6月7日からロンドンで開催されるグレートブリテン・ササカワ財団理事会及び創立25周年記念パーティ(日本大使館)に出席。

帰途、北京で自衛隊と人民解放軍交流10周年記念式典に出席、梁光烈国防部長と面談し、12日帰国予定。
6月4日(金) [2010年06月04日(Fri)]

トドロフ大使から親しい友人に贈られるメダルをいただく


6月4日(金)

 07:50 書類整理、決裁、打合せ

 11:00 運輸政策研究機構・鷲頭誠国際問題研究所長

 11:30 笹川平和財団・関晃典理事長

 12:00 バミューダ海洋研究所・笹川奨学生・鈴木健太郎氏と昼食

 13:30 駐日ブルガリア共和国・リュボミル・トドロフ特命全権大使

 14:30 講談社・古賀義章部長

 15:00 カンボジア教育養成学校・笹川奨学生訪日団



 16:30 第10回佐官級自衛官訪中研修結団式・挨拶 於:防衛省

 18:00 東京大学・伊藤隆名誉教授
出版ご案内 [2010年06月04日(Fri)]

左が「笹川良一と東京裁判〜国防と航空」、右が「巣鴨日記」(英語版)


出版ご案内


「笹川良一と東京裁判」

現代史資料研究の第一人者である東大名誉教授伊藤隆先生の編纂による「笹川良一と東京裁判」三部作シリーズの別巻「国防と航空 国粋大衆党時代」が中央公論新社より出版されました。(税別 2200円)

平成九年、伊藤隆先生の編纂による「巣鴨日記」刊行後十三年を経て、亡父笹川良一の巣鴨獄中及び入獄以前の資料はほぼ完全に網羅され編纂されたことになります。

旧蝋、伊藤隆先生は「笹川良一と東京裁判」シリーズ編纂が昭和史研究分野での功績大として重光葵賞を受賞されました。今回の別巻編纂に際しても硬質の解説解題をお書きになっています。

伊藤隆先生の指摘されているように、本書をもって亡父が戦前、我が国航空界の立ち上げに深く関わっていたことを改めて知りました。

何卒ご一読賜り、在りし日の笹川良一の心意気に思い致していただければ幸いです。


「巣鴨日記」英語版

笹川良一著「巣鴨日記」が本年5月、イギリスのハースト出版社とアメリカのコロンビア大学出版部の双方から同時に出版されました。

この日記の解説は、ケンブリッジ大学の気鋭の日本研究者ジョン・スウェンソン-ライト教授が綿密な調査のもとに執筆されました。翻訳はケンブリッジ大学で最近博士号を取られた土野賢氏によるものです。

私の尊敬する日本屈指の同時通訳者で、現在(株)ディプロマットの代表を務められる原不二子女史は、「笹川良一研究」(佐藤誠三郎著)の英訳を担当して下さった際、「巣鴨日記」の英語版も是非にと、勧めて下さいました。

以来5年有余、日本財団の田南立也氏の努力もあり、ようやく本書が出版されることになりました。

両氏に心より感謝いたします。
内戦終結「スリランカ報告」その5 [2010年06月04日(Fri)]

ヘンダラ・ハンセン病病院を視察


内戦終結「スリランカ報告」その5
―ハンセン病事情―


スリランカ訪問の一日目は、ハンセン病制圧活動から始まった。

午前中はシリセナ保健大臣、ルベル保健長官、メンディス公衆衛生局長、WHOスリランカ事務所代表・メータ博士等と精力的に会談。

スリランカは2009年のハンセン病新規患者数が1875人で、年間の新規患者数が1000人を超える世界17カ国の一つである。1995年に人口10,000人あたり新患者一人以下というWHOの目標には達しているが、患者数はその後の15年間は横這い。今一度ハンセン病対策に新しいエネルギーが必要とされている。新任のシリセナ保健大臣には、ハンセン病対策の優先順位を下げないよう強く要望した。

途上国は気候・風土により、感染症(マラリア、ポリオ、結核)が非感染症(高血圧、糖尿病、心臓病)より多いのが実情であるが、スリランカではポリオは根絶、マラリアも年間約400症とほぼ制圧。今では非感染症対策のほうが重要となり、先進国型に変化しているとのことである。

総人口2000万人のスリランカの保健行政は9省、25の県、その下の保健所(MOH)レベルまで、ハンセン病対策は一般保健活動の一環として取り組まれている。制度は整っており人員も配置されているが、根絶を視野に入れた戦略を立て直すことが望まれる。

スリランカは正式にはスリランカ民主社会主義共和国である。一般的に社会主義を標榜する国の医療は基本的に無料で、キューバの医療制度とその質の高さは世界でも有数である。多くの発展途上国から医学留学生を受け入れており、アジアの東ティモ−ルからも多くの留学生がいる。1998年、WHO(世界保健機関)創立50周年記念式典の折、私は、WHO創設の功労者であるカストロ首相と共に表彰された。

午後からは1708年開設で世界最古の現役のハンセン病病院、へンダラ・ハンセン病病院を訪問、入院中の48人の患者を激励する。

先般、アメリカ・ルイジアナ州のカービル元ハンセン病病院を訪れた際、101歳の男性と面会、世界最長老と理解していたが、この病院には103歳の男性が入院されていた。また、先日お越しくださった星塚敬愛園自治会の岩川洋一郎自治会会長の話によると、星塚敬愛園に昨年まで105歳の関サダさんが生活されていたと教えてくれた。

知っていれば激励に訪問出来たのに・・・残念であった。

ヘンダラ病院は、コロンボの北5キロ、ケラニ川の河口近くの南岸に位置する。1708年、オランダの東インド会社により開設されたこの病院は、302年後の現在もハンセン病の病院として機能しており、その意味では世界で最も古くから続いている病院である、という説明を受けた。

尼僧物語のオードリー・ヘップバーンの病院はコンゴ川の河岸であった。
モーターサイクル・ダイアリーズのキューバの革命家・チュ・ゲバラが訪問したのは、ペルーとブラジルの国境に近いアマゾン河岸のサンペドロの病院である。

世界の各地には、河の対岸、中州、河川敷、半島、海上の島など、文字通り隔離を象徴するロケーションにつくられたハンセン病の施設が少なくない。

スリランカにも隔離を象徴する島のハンセン病施設があった。東側のバッティカロア・ラグーンの中のマンティヴ島に1921年に開設されたマンティヴハンセン病施設である。かなり早い時期に隔離は終了したが、現在も数名の元患者が残り、カトリック修道会の介護を受けている。

このほか隔離の象徴的な島としては、日本では長島愛生園、巴久光明園、大島青松園、奄美和光園、沖縄愛楽園、宮古南静園、海外では南アのケープタウン沖に浮かぶロベン島とフィリピンの北パラワンにあるクリオン島があげられる。前者はネルソン・マンデラ元南ア大統領が18年間幽閉された島として知られているが、1847年から1931年まではハンセン病患者の隔離の地であった。島には今もこの地で命を終えた患者たちの墓地がある。

ネルソン・マンデラの幽閉地ロベン島、フィリピンのクリオン島は1906年、アメリカの植民地統治の一環として開設されたハンセン病隔離の島で、1910年には最大人口5000人を数えた。1950年代に隔離法が廃止されるまでに30,000人以上の人がこの地に収容され、世界最大のハンセン病隔離の島であった。

このほかにも隔離の象徴としての島の施設は数多くある。韓国南部の小鹿島、マレーシアのペナン沖のジャレジャック島、フィジーのマコンガイ島、オーストラリアのピール島、南米トリニダードのシャカシャカレ島、アメリカ東部マサチューセッツ沖のペニキース島、中国南岸の大衾(タイカム)島、現在の香港空港にも近い喜霊州(ヘイリンチャウ)、カナダ西海岸沖のダーシー島、エーゲ海クレタ島の北端のスピナロンガ島、そして、ハワイ モロカイ島北端の崖の下に広がるカラウパパ。

天刑病から感染症へ、人類の歴史とともに古くから偏見と差別の象徴でもあったハンセン病は、1980年代に開発された治療薬で治る病気になった。

しかし、この病気とそれを病む人々に付きまとってきたスティグマ、そして我々の心に染み込んでいる偏見や差別を払しょくするには、まだまだ長い時間と努力が必要である。ハンセン病の歴史を物語る文物は、人と社会のあり方を後世に語り継ぐための貴重な「負の遺産」として引き継がれなければならないと考えている。



つづく「シニアボランティア、干物製造で活躍」
| 次へ