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12月2日(水) [2009年12月02日(Wed)]
12月2日(水) 休暇
「ミャンマー訪問」その2 [2009年12月02日(Wed)]

僻地の先にある笑顔


「ミャンー訪問」その2
〜届かないところへ届ける 薬とマイクロクレジット〜


長年、ハンセン病制圧活動のため、世界中の僻地を歩いてきた。

私が日本から、時には50時間近くもかかって目的地に行くのは、薬が届いているか、薬の有効期限や品質の劣化はないか等を調査することもハンセン病制圧活動にとって大切な条件だからである。

世界の僻地とはどんな所だろうか? 

まず道路である。

日本人の持っている道路のイメージは、発展途上国の僻地では通用しない。未舗装の道路は凹凸が激しく、平らなところはまずない。まるで腸捻転でも起こしそうな状態で、しゃべれば間違いなく舌を噛む。

沈黙の中、時速10km位で何時間も走ることもあり、乾期は車塵で喉が痛くなり、顔や耳の中まで砂埃となる。雨季は使用不能となり、村々が孤立することもしばしばである。

2日もあれば山間部、離島など、どのような所にも確実に物が届く国は日本をおいて他にない。世界には電気、道路なしは当然で、水汲みや薪拾いにさえ片道数時間もかかるなど、日本に住んでいては想像も出来ない過酷な条件の地域で生活している人が数多くいる。

そして、そういう地域の住民のほとんどは着の身着のまま。財産は藁ぶき家にナタと鍋1個という状態である。そのような地域にもハンセン病者は存在する。

ハンセン病の薬が届いているかの確認のためには、船でしか行けないアマゾンの中州やジャングルの奥地でレパードに襲われかけたような場所にも出向く。そして、キューバの山中、アフリカの砂漠、インドのどのような僻地にも薬は届いていた。

サブサハラの国々の保健省には、壁面の立派な地図上に、保健センターやヘルスポストの位置を示すピンが沢山刺してあった。どこを訪ねても薬らしい薬はほとんどないが、ハンセン病の治療薬(MDT)だけは届いていた。

しかし4年前の訪問時、モザンビークの奥地には一時的に薬が届いていないことがあった。勿論すぐに改善したが、まだまだ世界は広い。

今回のミャンマー訪問の目的は、農民へのマイクロクレジットと伝統医薬品の薬箱の配布状況の現場確認である。

2008年5月2日にミャンマーを襲ったサイクロン・ナルギスは、ミャンマーの主要産業である稲作地帯に大損害をもたらした。復旧が遅れている地域への種籾購入費用のための小額融資制度「マイクロクレジット」立ち上げのため、妻と相談の上1,000万円を送金。今回はその実態調査を3ヶ所で行った。

ミャンマー最大のイラワジ川のデルタ地帯・ペイコン村は、首都ヤンゴンから悪路をバスで2時間、ジープに乗り換えて15分、徒歩で20分。40度を超す炎天下の移動は、露出するジープの座席、トラクターの荷台の鉄板が焼けつくように熱く、体力の消耗が激しい。

しかし、見渡す限りたわわに実った稲穂に、心が洗われる思いがする。終戦直後の輸入米はほとんどミャンマー産であった。ひょっとしたらこの辺で収穫した米だったかも知れない。

ペイコン村の人口は400人。サイクロン・ナルギスは夕方6時ごろに上陸。わずか3時間で6フィートと急激に水位が上昇し、全200世帯中160世帯が全壊した。死者は9名であった。

種籾の他、耕作に使う水牛(1頭約2〜4万円)の80%も失ったが、タイミング良くマイクロクレジットで種籾を購入、収穫も普通であるとの報告を受けた。現在村の水牛は50頭しかおらず、代わりにトラクター1台65,000円をローンで購入。村民共有で使用しているという。



次にペイコン村より船で30分、田圃の畦道を走るトラクターで15分、徒歩15分をかけ到着したチャイパット村も40度の炎天下であった。人口631名160世帯のうち63世帯が農業、他は川魚をとる漁業である。「種籾用のマイクロクレジットに非常に助けられた」との報告と、置き薬が届いていることを確認。

チャイパット村よりトラジと呼ばれるトラクターバスを乗り継いで30分。到着したマヤン村は人口300人。ここでも資金はしっかり活用されており、置き薬も確認することができた。

デルタ地帯の川の入り組んだ孤立した村々にまで我々の手が届いていたことを確認。協力してくれているミャンマーの関係者に「よくぞこんなところまで」という感謝の気持ちと、現場で復興に望みを託し懸命に働く農民の姿は、冷暖房のあるオフィスワークでは得られない感動である。

現場主義―問題と答えは現場にある―これが私の国際協力の原点である。
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