• もっと見る
« 2009年10月 | Main | 2009年12月»
leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
Google
<< 2009年11月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
プロフィール

笹川 陽平さんの画像
笹川 陽平
プロフィール
ブログ
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
リンク集
https://blog.canpan.info/sasakawa/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/sasakawa/index2_0.xml

11月30日(月) [2009年11月30日(Mon)]


監査グループ主体に事業評価を実施


11月30日(月)

 08:15 書類整理、決裁

 10:00 公益法人に関する打合せ

 12:00 公益・ボランティア支援グループ(福祉担当)職員と昼食

 13:00
  〜  事業評価報告会
 17:00

 18:00 山崎パン・山田憲典副社長

「ミャンマー訪問」その1 [2009年11月30日(Mon)]


情熱と忍耐、そして継続のためには・・・


「ミャンマー訪問」その1


今年の2月訪問以来、2度目の訪問である。

初日は夜中の3時起床4時出発。2日目は5時出発、3日目は7時出発である。滞在中の3日間、移動用のバスだけで25時間乗ったことになる。

同行の職員は諸準備のため私よりさらに30〜40分は先に起床しなければならない。世のため人のための活動の基本は自己犠牲とはいえ、日本財団の仕事は体力勝負。黙々と深夜から出発準備に働く職員の努力に心が傷む。

大野修一発案のミャンマーの伝統医薬品による「富山の置き薬」方式は、3カ年で7,000の村に薬を配布しようとするもので、プラスチックの薬箱と薬の説明書のみが日本財団の負担。全ての薬はミャンマー保健省の負担である。

チョー・ミン保健大臣は軍事政権唯一の民間人であり、保健省は市民にとって最も評価の高い役所でもある。ハンセン病制圧も彼の努力の結果で、医療システムは村々を巡回するレッドエンジェルと呼ばれる赤いスカートをはいた助産婦さんや保健婦さんの活躍で、貧しいながらも途上国の中では秀逸である。

2日目は水害で大被害の出たイラワジ管区の小学校3校の開校式にティン・ニュン辺境大臣と共に参加した。大臣は軍服姿で故郷に錦を飾ったごとく、満面に笑みを浮かべて集まった民衆に手を振っていた。首都ネピドーの市長も兼務、タン・シュエ国家元首の側近の一人であり、我々の小学校建設は彼の所管である。

世界には軍事政権の国家が数多く存在してきた。しかし、ミャンマーのように行政の末端まで制服の軍人が実権を握っている例は極めて珍しい。先般カンボジアで、軍人出身のフン・セン首相が私に「軍人は自分を含め頭が固い」といったが、欠点はこれだけではない。軍人の本質は上官の命令には絶対服従であり、自ら考えることもなく命令を待つだけである。いわゆる上官の顔色ばかり見る平目軍人ばかりでテクノクラートは存在せず、行政は停滞するばかりである。

我々の小学校建設(既に100校完成、第2次100校建設に着手)も、細かいことまで建設予定地の軍司令官と首都ネピドーの辺境大臣の許可を得なければならない。担当者は平目状態で、上官の考えを忖度して仲々建設許可を出さないばかりか無理難題を押し付けることもある。

写真をご覧あれ!! 



ティン・ニュン辺境大臣との昼食会の写真である。

このような配置での食事は40年を超える海外活動でも初めての経験である。この食事の配置は決して大臣の指示ではない。部下や地元の関係者が忖度した結果である。まるで徳川将軍との食事会のようで、将軍様にはウチワで風を送る係もいた。

昼食終了後、大臣の部下が見守る中で大臣の横に座り、厳しい顔をした軍服姿の大臣の手を握りしめ「あなたのお陰で小学校建設は順調(決して順調ではなく、在籍した担当官のさまざまな妨害がある)であり、これからも格別の配慮を願いたい」と握った手を大きく振って、その上失礼とは思ったが、腕を組んで写真に納まった。

大臣は「笹川さんとは長い付き合い。大いに協力する」と発言。

その様子を見ていた担当官は「大臣と貴男の関係がよくわかった。これからはうまくやる。心配しないでくれ」と満面の笑みで語った。一件落着である。

時と場合によってはこんな芝居じみたこともやらなければいけない。
溢れるばかりの情熱となにごとにも耐え忍ぶ忍耐力、そして継続は、国際協力に対する私のモットーである。



| 次へ