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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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7月29日(水) [2009年07月29日(Wed)]

7月29日(水)

 12:00 公益・ボランティア支援グループ(公益担当)・職員との昼食

 13:30 月刊BOSS・取材

 15:00 防衛省・中江公人大臣官房長

 18:00 わたなべ工房・渡辺起知夫代表

「ザンビアでのハンセン病制圧活動」 [2009年07月29日(Wed)]


地元記者にハンセン病の現状を視察してもらう(ザンビア・LITETAハンセン病病院)


「ザンビアでのハンセン病制圧活動」


私は一年の三分の一強を海外の、主にハンセン病制圧活動に従事しているが、現地訪問で行う活動は、ハンセン病をそれぞれの国民に正しく理解してもらうための三つのシンプル・メッセージを伝えることである。

1.ハンセン病は治る病気である
2.薬は全て無料である
3.この病気を差別してはいけない

以上の三点を
@国家元首との面談
A保健省当局者のモチベーションアップ
Bメディアの協力
によって啓蒙活動を具体化するのである。

少し詳しく説明すると、途上国においては国家元首との面談が重要である。ともすればエイズ、マラリア、結核など、多くの患者を抱える病気に比べ、劇的に減少してきているハンセン病患者根絶の優先順位を維持するためには、国家元首の理解を得た上でのコミットメントが、保健省のハンセン病担当官の仕事をやりやすくする必要条件になる。

タンザニアのある大統領は「笹川さんが来るからといって、昨日、はじめて我国のハンセン病について担当者からレクチャーを受けたよ。我国にこんなに患者がいることは知らなかった。何よりも、私は演説の中で、悪いことをしたらハンセン病になるぞと脅したこともあったよ。随分悪い例を使っていたものだ」と反省された。

ウガンダのムセベニ大統領は「この国にハンセン病患者はいないよ。子供の頃、患者を皆、ビクトリア湖の島に送り込んだと聞いているからね」と言われた。大統領官邸から40分ほどの所に立派なハンセン病施設があるにもかかわらずである。

今回のザンビアのバンダ大統領も正直な方で、「ハンセン病は恐いからね。病院の前を通る時は窓を閉めて、スピードを上げて通ったものだ」と語られた。

A国家元首との会談には保健大臣や事務次官が同席するのが常で、国家元首の発言は保健省でのハンセン病対策を活気付けることになる。だが今回のザンビアでの保健省の対応は、率直に云ってにぶかった。

仄聞するところ、最近ヨーロッパからの保健省に対する支援金約5億円の使途不明金が発覚。関係者20名が捜査の対象となっており、幹部も交代したばかりで心ここにあらずの状態であったようだ。

Bのメディアの協力は大成功であった。WHOと保健省の尽力により、新聞社は勿論のことテレビも同行取材して下さった。私が患者の患部を触るところが撮影され放映されることによって、ハンセン病に対する恐怖感も大いに変わるものと期待される。ただ、メディアの皆さんは私から5〜6メートル離れた場所から恐る恐る取材する状態。制圧活動の現状を物語るひと幕である。

このように3条件が満たされると現地に乗り込んだ意味もあるのだが、正直なところ、満点を得られるケースは少ない。

しかし、私のモットーは「情熱・忍耐・継続」であり、決してあきらめない。

モザンビークのように、状況は最悪であったが、4年続けて訪問したことでガリドゥ保健大臣も真剣になり、大統領直轄のハンセン病対策委員会を設置して見事制圧されたケースもある。

今年5月のWHOの総会で、ガリドゥ保健大臣に「早くハンセン病制圧の祝賀会をやりましょう」と誘いをかけると、保健大臣は「北部の3州でまだ1万人に1以下の基準に達していないところがある。今年中に制圧して、必ず笹川さんを祝賀会に招待しますよ」と、3年前とは異なり、自信に満ちた表情で今しばらくお待ちくださいと言った。

日本から数千キロ離れた僻地でのハンセン病制圧活動も、こういう一語で救われ勇気づけられる。
有難いことである。



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