CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2009年04月 | Main | 2009年06月»
leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
Google
<< 2009年05月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
プロフィール

笹川 陽平さんの画像
笹川 陽平
プロフィール
ブログ
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
リンク集
http://blog.canpan.info/sasakawa/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/sasakawa/index2_0.xml
5月13日(水) [2009年05月13日(Wed)]
5月13日(水)

 午前中 書類整理、決裁、打合せ

 13:00 ロイズリスト取材

 15:00
  〜  作家・工藤美代子女史 インタビュー
 17:30
「イスラエル シモン・ペレス大統領」その2 [2009年05月13日(Wed)]

筆者とペレス大統領(2009年4月・大統領執務室)


「イスラエル シモン・ペレス大統領」その2



ネタニヤフ政権は右派主導の連立政権である。

彼の所属する政党「リクード」は、旧約聖書の教えに基づく領土拡大、占領地入植による大イスラエル主義を標榜。

イランやシリヤの核武装には限定爆撃も視野の強硬姿勢。連立相手の政党は「我が家イスラエル」。党首・リーベルマンは、旧ソ連・モルドバからの移民で、今回、外務大臣に就任。イスラエルに忠誠を示さないアラブ人住民には市民権と参政権の剥奪を主張。国家統一党(右派宗教政党)、シヤス(宗教政党)も連立に参加。

このような右派政権の中で大統領を勤めるシモン・ペレスは、かっては労働党(パレスチナとの融和・共存を掲げる中道左派)の党首であった。2009年2月の総選挙でカディマ党はかろうじて第一党の座を維持したが、労働党はカディマ・リクード「我が家イスラエル」に次ぐ第4党になってしまった。

しかし、リクードのネタニヤフはカディマ(シャロンによって2005年に創設された中道主義のシオニスト党)との連立を希望したが、カディマのリヴニがこれを拒否し、カディマは野に下ることになった。労働党は党内が分裂したが、バラク党首の決断でネタニヤフの連立に加わった。

したがってシモン・ペレス大統領は、労働党出身の大統領であり、政権内の基盤は大きくない。

私は、シモン・ペレス大統領が「政治家のドラマチックなジェスチャーは、硬直した局面打開には絶対必要だ」と、サダトのイスラエル訪問、オバマの南米訪問を譬えにしたのは、ネタニヤフ政権の限界を感じ、外国からの強力な協力なくしてパレスチナとの現状の打開はないと判断した重みのある言葉と理解した。
「イスラエル シモン・ペレス大統領」その1 [2009年05月13日(Wed)]

大統領執務室でペレス大統領(右)と談笑


「イスラエル シモン・ペレス大統領」その1


会談予定の3時少し前に大統領官邸に到着。警備は思ったほど厳しくなく、当方の簡単な確認だけで門扉は開いた。質素なこじんまりした建物で、待つことしばし、女性秘書官が二階へ案内してくれた。

ローマ法王の来訪準備のため、官邸も化粧直しでばたばたしているとのこと。ポーランド出身のパウロ二世は温和な親しみやすいお方でいらっしゃったが、ベネディクト16世法王はドイツ出身で若干厳めしい感じがする。

その発言もユニークで、

「モスレムは危険な宗教」
「HIVはコンドームでも防げない」
「『ホロコーストは存在せず』との司教の破門解除」
「進化論の否定」

と、各地で話題を提供して批判を浴びていらっしゃる。5月8日からキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地・エルサレム訪問では何を発言されるか、楽しみの一つである。

2〜3人が机に向かって仕事をしている前を通って大統領室に入った。何の装飾もない平凡な部屋で、ペレス大統領はにこやかに迎い入れてくれた。

チェコのプラハでハベル元大統領と「フォーラム2000」なる国際会議を開催して今年で13年目になるが、そこで二、三度お目にかかったことがある。

ペレス大統領は、とても86歳には見えないカクシャクたる風貌であった。1984〜1986年には首相を務め、1992年、ラビン政権下、外務大臣としてアラファト議長のPLOとの和平交渉を進めオスロ合意となった。

1994年、この功績でアラファトと並んでノーベル賞を受賞。ラビン暗殺後、1995年〜1996年、再び首相。2001年〜2002年には外務大臣。2005年、シャロン政権で副首相。2007年6月、第9代イスラエル大統領に当選と華々しい経歴で、まさにイスラエルの不倒翁である。

かつて主導したオスロ合意の面影も今はなく、パレスチナもガザ地区のハマス、西岸のファタハと分裂状態。イスラエルの現政権は強硬派が中心で、当分双方の信頼醸成へのアプローチすらかなわない状況である。

ペレス大統領は昔を懐かしむように、「エジプト・サダト大統領(当時)のイスラエル訪問は人々のムードを一変させた。政治家のドラマチックなジェスチャーは局面打開には最も重要である。オバマも南米訪問時、握手だけでムードを一変させた」と、かつての平和構築を思い出し、硬直した現在の中東情勢の打開には政治家のドラマチックな対応が必要であり、現政権の対応には期待が薄いことを表明しているようにも感じた。あるいはオバマの出番を期待しているのかも知れない。

大統領は政治生活の60%を摩擦解消と国民に自信をもたせるために努力してきたという。イスラエルの病院すべてにアラブ人医師を配置しており、ガザの攻撃による5,000人を超える子供達の負傷者の治療にも尽力したと、EUの厳しい批判を意識してか、遠慮がちにちょっぴり弁解した。

最後に、「善意にもとづいた人と人の関係が政治にも効果を発揮するものである」と、私の活動を評価してくださったかのような言葉でしめくくった。
 
50分の長居で、イスラエル側国境閉鎖の5時の通過は不可能となり、同行のビツール氏が30分間の特別延長を大統領府より取り付けてくれたので予定通り国境を通過、日帰りでヨルダンに戻ることができた。
| 次へ