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笹川 陽平
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3月27日(金) [2009年03月27日(Fri)]

3月27日(金)

 11:00 海上保安庁・岩崎貞二長官

 12:00 東京財団・松信章子常務理事

 14:00 日本音楽財団・塩見和子理事長

 16:00 日本財団・鳥井啓一参与

 16:30 笹川平和財団・河野善彦顧問

 
 

「日本・中国 高速鉄道交流史」番外編 その2 [2009年03月27日(Fri)]


江沢民国家主席(左)と筆者


「日本・中国 高速鉄道交流史」番外編 その2


翌日、唐家旋外交部長(外務大臣)との朝食会を、急遽、笹川日中友好基金の于展さんがセットしてくれ、運輸省の黒野事務次官ほか、少人数での食事となった。

黒野氏は知る人ぞ知る肝の太い実力派事務次官であり、訪中団の参加者も彼の指示で決めた。後に「内閣官房副長官に」という話もあった。

唐外務部長は、「私が朱鎔基首相の初外遊に同行してフランスを訪問した際、フランスの大統領は会談の最初に、TGV新幹線と原子力発電所の売り込みから入りました。日本も首相がトップ・セールスをしないと勝負になりません」と、愛情ある辛口の助言をしてくれた。


筆者と朱鎔基首相(右)



帰国後、小渕首相に「江沢民国家主席来日の折には、中国新幹線の話をしてほしい」とのメモを渡した。

江沢民主席の来日時、首相は「中国高速鉄道計画に対する日本の協力」について親書を手渡した。戦後、日本の首相がトップ・セールスをした唯一のケースで、今は亡き小渕首相の誠実な対応に感謝の誠を捧げたい。親書の詳細は、黒野氏が関係省庁の了解を取り付け、首相に提出されたに相違いないと思う。

ただ一つ残念だったのは、江沢民国家主席と小渕首相を山梨県のリニア実験線に乗るツーショット計画。「世界配信の映像ニュースになる」と黒野氏に陳情し、大いに努力していただいたが、日程が固まっており実現しなかった。

話が良い方に進み出すと、色々の方々がおっとり刀で、新幹線売り込みに自薦・他薦で訪中された。

国土交通大臣は当然としても、経団連のミッションや政治家の新幹線売り込みのための訪中には、発案者の一人として心中穏やかではなかった。中国人民の中にある反日の動きを知っていたからである。

案の定、ネット社会を中心に日本新幹線排斥運動が昂まり、中国政府も口を固く閉ざすようになり、替わって「中国製」なる新幹線そっくりの列車が走ることとなった。

今でも大多数の中国人は中国製の列車であると信じて疑っていない。中国政府も日本の協力を大声では言えない状況にあるし、日本のメーカーも商売第一主義で、静かに儲け仕事に精を出している。

それはそれで結構である。既に約3000億円を受注しており、中国政府は2009〜2020年までに75兆円の超巨額投資で5.7万キロの鉄道建設を行う予定だ。今後3年間だけでも52兆円を投入する計画で、車輌への投資だけでも7.5兆円に上る。

2020年に完成すると、中国の鉄道の営業キロは12万キロ、日本の約4倍となる。大都市部の電車、地下鉄などの大量輸送鉄道を加えると魅力ある大市場である。日本企業の活躍を期待したい。

月刊文藝春秋の2003年4月号に、ジャーナリト・青木直人氏による『特集・中国最先端「北京−上海新幹線と笹川人脈」』が掲載された。

全体に良心的な記事であるが、なぜ笹川は「何のメリットもない北京⇔上海新幹線にポンと7億5千万を出すのか」との疑問も指摘された。そこには利権の可能性を探ろうという意図があったのかも知れない。しかし、私は鉄道関係企業からは、今日まで、一度として夕食の招待もコーヒー一杯もご馳走になったことはなく、お礼の言葉を受けたこともない。

それで良いと思っている。生前、竹下登氏は喜んでくれたし、平岩外四氏からは丁重なお褒めの書簡をあずかった。

私は長年、民が公のために働く組織として日本財団を運営してきた。40年にわたるマラッカ・シンガポール海峡の航行安全施設の設置・保全、北朝鮮在住の日本人妻帰還の実現、カーター元大統領の北朝鮮訪問による危機回避、中国人民解放軍と現役自衛隊員の交流等々、全ては公のためへの下働きである。

ところで青木氏が指摘した7億5千万円は、1997年からの6年間、中国における新幹線技術全般に関する計9回の大規模セミナー開催。車輌計画、輸送計画、信号システム計画など、高速鉄道に関する21の技術項目並びにフィージビリティーに関して中国鉄道部と実施し、中国人鉄道技術者522名の来日指導及び432名の中国への専門家派遣費用に充てられた。この結果、日本の新幹線の規格が中国高速鉄道の規格として採用されることとなった。

ただ日本の誇る世界一の鉄道技術を「2000年の歴史を鑑みとし、未来に向かって進む」日中友好のシンボルとし、中国人民の生活向上に寄与したいという夢のイベントは、残念ながら実現しなかった。

最後に好きな一句。
「菊作り 菊見るときは影の人」−吉川英治


*「歴史を鑑みとし、未来に向かって進む」は、江沢民主席が日・中関係について提唱した言葉で、中国政府高官の日本に対する常套句であった。しかし、これでは長い日・中間の歴史の中の近・現代史の一部だけを取り上げ、日本人が中国に災難を掛けたことを強調し、「反省が足りない」とのお叱りを受けているような印象になる。

2000年の一語を加え「2000年の歴史を鑑みとし、未来に向かって進む」とすれば、世界史的に見て2000年もの長い間、ほぼ穏やかな二国間関係が続いたのは日・中関係以外に存在しないことになる。

私が常に日・中両国の為政者にお願いしてきた言葉である。
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