「マスコミからのお叱りとミャンマー入国」 [2009年02月13日(Fri)]
首都ネピドーを取材する日本メディア 「マスコミからのお叱りとミャンマー入国」 日本で想像する以上に海外駐在の記者諸君は、最小限の人員で広範囲の取材対象。日夜孤軍奮闘されている。国内の記者クラブを中心に活動されている方々とは雲泥の差であると、私個人は思っている。 特に記者諸君にとって取材困難な国は、アジアではミャンマーと北朝鮮である。入国許可のビザ(査証)を申請しても、特別な場合を除き、ほぼ100%おりない。取材以前の話である。 今回、日本財団の開発した『富山の置き薬』方式によるミャンマー製の伝統医薬品箱を、サイクロンの被害地500村に提供する式典に出席する名目で、日本財団より各社のビザ取得の協力をさせていただいた。 これがマスコミからのお叱りを受けることとなった。 前回は20社以上の入国の希望があり、ミャンマー当局も唖然呆然の体。だからといって日本財団で選択することも失礼であり、結果的に全社不許可となった苦い経験がある。 今回は前回の轍を踏まないように、国際グループでは日本財団の東南アジアでの活動に比較的詳しい記者個人を中心に、テレビ2社、新聞2社、通信社1社に案内し入国ビザを申請したところ、全社OKとなった。中には20回以上も拒否され続けてきた新聞社もあり、大いに喜んでいただいたようである。 問題は声がかからず、事後に知った各社からのお叱りの声である。 ・なんで声をかけてくれなかった ・どんな基準で選んだのか ・私の社内での立場がない ・全社不許可なら納得する 等々 広報グループも国際グループも対応に追われ、弁解にこれ努めることになった。前述した通り、国際グループと比較的関係がある記者に声をかけたとはいえ、まさに忠ならんと欲すれば孝ならずの心境で、入国ビザ取得に懸命の努力した国際担当の大野修一常務理事には気の毒なことをさせてしまった。 しかし、親日国・ミャンマーの実情を一人でも多くの日本国民に伝えたいと、大野修一とミャンマーのカウンターパート某氏の努力は涙ぐましいものがあった。又、ミャンマー大使館も大いに努力してくれた。 取材場所が限定されるミャンマーにおいて、トイレ休憩を理由にバスを止めての取材。予定外の道路際の台風被災者の仮設住宅には5分間の制限取材で担当責任者が渋々OK。 記者諸君だけがバスから降りて取材開始。カメラを担いで窓からの室内撮影はおろか家に上がったのには記者魂の凄まじさにほとほと感心。心配そうな責任者に「家宅不法侵入であのカメラマンを逮捕してくれ!!」と冗談を飛ばして気を和ませる一幕もあった。 新首都・ネピドーの建設状況、農民の住宅や暮らし振りなど、生の声を、十分とはいえないが取材出来たらしい。首都ネピドーからヤンゴンまでの約400Km。飛行機ではなく、わざわざ5時間半のバスの移動を通じて見た豊かな緑やどこまでも続く田園風景の取材も、今すぐに役に立つものではないが「資料撮影」として価値があるものらしい。 しかし記者諸君にとっては「ハイ!! 一丁上がり」かも知れないが、我々にとってはこれからが問題である。軍事政権下、農村に至るまで、国中に張り巡らされた情報網が記者諸君の取材情況をキャッチして報告書が提出されれば、カウンターパート某氏の重大な責任問題となる。彼はそれを承知で見て見ぬふりをしてくれたのである。まさに職をかけて協力してくれたのは大野修一との厚い友情と信頼関係にほかならない。 日本財団の行動指針「世界に良き人脈を作ろう」はその一つである。 |