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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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12月5日(金) [2008年12月05日(Fri)]


NGOがハンセン病についての啓発劇を披露


12月5日(金)

 07:30 ホテル発 空路で地方視察へ

 09:35 シムラ空港着
 
 09:50
  〜  陸路でダヌシャ郡 約2時間
 11:40
  〜  ハンセン病啓発路上劇
 12:30

 12:35 ダルケバ保健所

 13:15 ラルガー・ハンセン病サービスセンター(昼食)

 14:10 空港へ

 16:30 空港で統一共産党リーダーのジーン・カナル氏

 17:00 空路でカトマンズへ

 18:00 ホテル着

 18:00 保健省タクール局長と伝統医療についての会合

 19:00 関係者と夕食会



次期ペルー大統領候補 ケイコ・フジモリ [2008年12月05日(Fri)]


フジモリ元大統領の娘で国会議員のケイコさん


「次期ペルー大統領候補 ケイコ・フジモリ」


ケイコと初めてお逢いしたのは、父であるアルベルト・フジモリ元ペルー大統領が日本で事実上の亡命生活をしている時であった。

ある夏、大統領の慰労と激励をかねて、私の山小屋に泊まっていただいた。その折、ケイコはアメリカ人のボーイフレンドと共に現われた。現在の夫である。長男ヒロ、次男ケンジも参加し、賑やかな夕食と共に話は夜更けまで続いた。

フジモリ氏の子供は長男ヒロ、長女ケイコ、次男ケンジ、次女サチの四人であり、ヒロは日本に、サチは建築家としてドバイで活躍中である。

ケイコは化粧っ気もなく、中南米人特有の少し出っ張った腹をジーンズで締め付けるようなラフなスタイルで現われた。知的で快活なおしゃべりは、なにかと目配り、気配りの出来る人で、フジモリ家の母親役も勤めているように見えた。

フジモリ大統領在任当時、父母の関係が悪化した中で、父親思いのケイコは事実上のファースト・レディの役割りを立派に果たし、大統領が日本で辞任した折、気丈夫にも大統領府をたった一人、堂々と正門から退場したことで、ペルー国民から喝采と大きな評価を得た。

2006年4月の選挙ではリマで圧倒的な人気でトップ当選。現在、フジモリ派は120人の国会議員中13人おり、キャスティング・ボードの一翼を担っている。

当選後、父親のチリでの拘束解除を求めてデモ行進の先頭に立った時は妊娠6ヶ月の身重であった。出産後、3ヶ月の育児休暇を利用し、再度、アメリカのコロンビア大学に戻りMBAを取得した頑張り屋でもある。

ペルーの小じんまりした自宅を訪れたところ、急遽、私のために地方遊説を切り上げ、きちっと化粧をし、1歳の娘・キアラを抱いてにこやかに出迎えてくれた。その姿は母親であった。
「親父のためにも、大統領選挙は頑張ってね」
「ハイ」と、微笑から一転、下唇をかんで頷く。
3年後の大統領選挙に立候補するべく活動中の政治家の厳しい顔に戻った。

限られた道路を車で通過しただけだが、2〜3ヶ所の塀には横幅約7〜8メートル、縦幅約1.5メートルの大きさで「2011 KEIKO」と派手にペンキで書かれていた。既に3年後の大統領選挙は始まっている。

ちなみに予想される候補者は、現大統領・ガルシア、決選投票でガルシアに敗れた軍人出身のウマル、ケイコと3人の争いとなる。

フジモリは伝統的に地方での支援者が多かったが、先の選挙で首都・リマで圧倒的人気を得たケイコの現在の支持率は20%前後。ガルシア大統領と拮抗しており、支持率は着実に上昇している。

現在ケイコは次男ケンジと共に精力的に地方遊説を展開しており、政治は一寸先は闇というものの、3年後、31歳ケンジの国会議員当選は当然であるが、36歳の女性日系人大統領誕生も夢ではない。

皆様のご支援を切に願いたい。
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