「国連人権理事会とハンセン病差別問題」 [2008年07月18日(金)]
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「国連人権理事会とハンセン病差別問題」 去る6月18日、ジュネーブで開催された第8回国連人権理事会において、日本国政府が提出した「ハンセン病患者、回復者その家族に対する差別の撤廃」決議案が全会一致で採択された。国際社会であまり目立たなかった日本の人権外交の歴史的な快挙であった。 6月18日のブログでご報告させていただいた私の活動も、少しは役にたったのかも知れない。 この決議案には59カ国が共同提案国として参加した。 人権問題はともすれば政治犯、少数民族問題等、政治、宗教、人種問題を内包する場合が多いが、ハンセン病は政治、思想、人種を超えたグローバルな問題であり、老若男女、子供を含む普遍的テーマである。日本政府の懸命な努力なくしてこの圧倒的な共同提案国の獲得はもとより、全会一致の採択はあり得なかった。 北朝鮮拉致問題では激しく意見が分かれ、強固に反対したキューバや中国も共同提案国になったことは稀有のことである。 マスコミの報道が一部に限られたことは少々残念であった。外務省たたきばかりでなく、立派な成果は評価するという公平な報道を期待したい。 木村徹也人権人道課長を中心にジュネーブ代表部、北島信一大使、磯俣秋男公使、山中修参事官をはじめ、ジュネーブ代表部の懸命の努力と藤崎一郎前大使(現・駐米大使)、そして背後から支えてくださった谷内正太郎前外務次官、薮中三十二外務次官のご支援の賜物で感謝申し上げたい。 私は30年以上、ハンセン病の制圧をライフワークとして働いてきた。1980年代に開発された多剤併用療法によってハンセン病は治る病気となり、世界中で今までに1600万人が病気から解放された。 しかし、医学的側面では大きな成果が収められたものの、社会的側面である患者、回復者およびその家族に対する差別は、依然深刻な問題として存在する。世界には現在も数千万人の回復者とその家族がスティグマ(社会的烙印)を背負い、いわれのない差別に苦しんでいる。 私はハンセン病の差別の問題を重要な人権侵害ととらえ、2003年7月、初めて国連人権高等弁務官事務所を訪問し、この問題を国連人権委員会(現・国連人権理事会)で取り上げることを要請した。 度重なるアピールに応え、2005年、2006年の二度にわたり人権委員会小委員会において、各国政府、国連機関などに対する現状改善のための勧告決議が採択された。2007年3月の国連人権理事会(2006年に国連人権委員会から改組)で初めて、日本政府から正式に問題対応への協力姿勢が示された。このときに先頭に立ってくださったのが藤崎現駐米大使である。そして去る6月、国連人権理事会での決議への道が開かれた。 私の念願がようやく一歩先に進むことになった。これにより、今後は差別撤廃のための基本原則やガイドラインを人権理事会で調査の上制定し、国連総会においても同様な決議が採択される事が目標とされている。 59もの国がハンセン病の差別の問題について理解を示し、差別をなくするための決議に賛同してくれた事実は大きい。WHOハンセン病制圧特別大使とハンセン病人権啓発大使として、この決議をばねに、ハンセン病患者・回復者、そしてその家族の尊厳の回復と社会復帰のため、一層の努力を尽くす所存である。 |









