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共同通信社 [2008年03月17日(Mon)]
08:30 東京都モーターボート競走会 早朝会議

終日、稟議書等決裁、打ち合せ、書類整理

18:30 共同通信社 石川社長
カンボジア 地雷・不発弾処理 [2008年03月17日(Mon)]


「カンボジア 地雷・不発弾処理」


カンボジアの首都・プノンペンにおいて日本財団主催で開催された『障害者アジア国際芸術音楽祭』出席の合間に、支援している『日本地雷処理を支援する会(JMAS)』の現場状況を視察した。

JMASは自衛隊OBが中心となって、カンボジア、アフガニスタンラオスで黙々と地雷処理を実行している組織であり、日本財団はラオス、カンボジアでの活動を支援している。

大規模なODAによるインフラ整備支援も重要であるが、住民の生活に直結し、地雷処理のように危険を伴うような支援は、目立たないがもっとも重要な活動だと理解している。

プノンペンから車で約1時間のコンポンスプーの現場は、田や畑ではなく広大な野原で、トゲのある低木の下に地雷、手榴弾、迫撃弾、対戦車地雷など、7〜8点が置かれていた。主に農民達が発見・通報してくれて集めたという。

深さ50〜60cmの小さな穴を堀って埋め、近所に放牧されていた牛を追い払い、500mほど離れて着火すると、“ボーン”というにぶい音と共に20mくらいの黒煙が上がった。

不発弾処理は簡単に終わった。爆発により幅3m、深さ1.5mの穴が出来ており、係官は確認作業のためスコップで丁寧に土を掘り起こし金属片を集めた。対戦車地雷を見るのは初めてであるが、直径25〜30cm、厚さ5〜6cmの円盤型で、錆びもなく塗料もしっかりしていて比較的新しい地雷のようだった。


その日は「地雷について注意する国民の日」だそうで、小学校に集まった生徒にJMASの係官が「今日は何の日ですか?」と質問すると、子供達は声をそろえて「日曜日です」と答えたのには思わず笑ってしまった。

日曜日にも関わらず、我々の訪問のためにJMASの係官が「地雷についての教育」を子供たちにしている様子を見せようと企画したものであった。

子供は正直である。

私は昭和20年3月9日の夜半からの東京大空襲の経験者で、雨あられと降り注ぐ焼夷弾の中をさまよい助かった経験がある。焼夷弾は木造家屋を焼き尽くすために油を詰めたもので、直撃を受けて火だるまになっている人々を何人も見た。その様子は、昨年の3月9日のブログを参照して欲しい。

焼け出された後、大阪の親戚をたより食客となった。小学校登下校の折、1トンの焼弾の炸裂した穴で遊んだものである。直径15〜20m位、深さ3〜4mの穴には、いつも水が溜まっていた。また、小川に焼夷弾の筒を沈めうなぎやどじょうを獲ったのも懐かしい思い出である。

JMASの係官が小学校の子供達に不発弾の危険性を説明している時、ふと62年前の記憶がよみがえり、子供達と一緒に7歳の自分がそこに立っている錯覚に陥った。

JMASの活動のお陰で、2002年の地雷・不発弾による被害者は847人であったが、2007年は277名に激減しているとの嬉しい報告を受けた。

ちなみに1998年〜2007年の被害者累計は18,907名である。


<カンボジア地雷・不発弾処理の模様(動画)はこちら>
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