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笹川 陽平
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国際ハンセン病学会 [2008年01月30日(Wed)]
(インド滞在)

04:30 ハイデラバード(インド) ホテル着

12:30 第17回国際ハンセン病学会 開会式 挨拶 (参加者1700名)

14:30 同学会で「ハンセン病と人権」について基調講演

19:00 学会参加者と夕食会
山下太郎とアラビア石油 [2008年01月30日(Wed)]
「山下太郎とアラビア石油」
〜日の丸油田に幕〜



「アラビア太郎」と呼ばれた山下太郎氏



元祖『日の丸油田』は、サウジアラビアクウェートにまたがるカフジ油田である。

1957年、アラビア石油権益を獲得。1960年には世界有数の埋蔵量を持つ油田を掘り当てた。かつては日本の石油消費量の5%に相当する量を持ち込み、エネルギーの安定調達に大きく貢献した。

資源小国・日本が海外で獲得した『自主開発油田』の代名詞だったが(12月27日 日経・朝刊)、2000年のサウジとの権益更新交渉に失敗。2003年にはクウェートでの権益も失効した。

原油高の今日、これに変わる『自主開発油田』はない。中国の積極的な石油資源外交にくらべ、大いに劣る状況となっている。

この『日の丸油田』開発の成功の裏には、山下太郎なる愛国者がいた。


石油利権獲得のためにサウード国王に謁見する山下太郎氏

(アラビア石油ホームページから転載)



山下は日本の経済発展の基となる『日の丸油田』の重要性を要路の人達に説明して廻ったが特段の良い反応もない上『山師・山下太郎』などと揶揄され、資金の目途が立たず途方にくれていた。

ある時、“財界総理”といわれた経団連(日本経済団体連合会)石坂泰三会長を訪れ、この開発の重要性を切々と訴え、理解はしてもらったものの、資金協力については「俺にはそんな金はない」と拒否され、しばらく両者に沈黙の時間が経過した。

粘る山下に、石坂は重い口を開いて
「ところで一体どのくらいの金が必要なのかね」

「100億円の保証です」と山下が答えると、石坂は表情を変えて

「100億円? そんな金額は俺には縁がないから・・・夢物語には協力するよ」

「本当に100億円の保証をお願いできるのですか? 有難うございます」

ここから山下太郎の獅子奮迅の働きが始まる。

彼はパートナーの王族と、どのようにすれば信頼関係を濃密に出来るかを真剣に考える。日本人は個人プレーを極端に嫌う民族であるが、海外では、最終的には人対人の個人的信頼関係が重要であることを山下は良く理解していた。

ある時、パートナーの誕生日の為にデトロイト(米国ミシンガン州)に10数台の特別仕様のキャデラックを発注、プレゼントした。パートナーの女の数を正確に把握していたので、殊の外感動を与えたようだ。

西洋には、ビジネスについてもダブル・スタンダードがシステムとして機能しているが、今の日本人は生真面目だから大胆な行動がとれない。山下退任後のアラビア石油では官僚出身の社長が続いた。

官僚の想像力では、パートナーの誕生日に300万円程度の壺を持参するのが精一杯で、相手には何の感動も与えはしない。『日の丸油田』が消滅したのは、山下太郎以降、パートナーと日本側代表者の個人的信頼関係が確立できなかった日本側の失策によるものである。

発展途上国との国際的商売では、指導者へのワイロは常識であり文化でもある。ビジネス・ライクにはいかないのである。

小さな正義を大切にする今日の日本では、山下太郎のような雄大な夢と国益を考える実業家の出現は期待できない。

日経の記事には、一行も山下太郎の苦労話は書かれていなかった。我々は先達の命を賭けた血の出るような努力の結果今日の日本があることを忘れてはならない。
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