「令和6年能登半島地震」―日本財団の方法― [2024年01月24日(Wed)]
「令和6年能登半島地震」 ―日本財団の方法― 能登半島地震、温かいシャワーで避難生活の疲れを流して: 救援物資を満載したトラックを船で運び、迅速に被災地へ 災害支援活動に豊富なノウハウを持つ日本財団が、能登半島地震の被災地への物資運搬に船の活用を開始した。シャワーキットや手洗いスタンドを珠洲市へ届けた1月14日の輸送の様子をリポート。温かいお湯をたっぷりと浴びて、避難者の顔がほころんだ。 最大震度7を観測し、石川県を中心に北陸地方に大きな被害をもたらした能登半島地震の発生から2週間が過ぎた。道路の復旧や住民の移送によって孤立集落は解消に向かっているが、学校や公民館などの避難所に身を寄せている人が1万6000人を超える。輪島、珠洲、七尾、能登、穴水、志賀6市町はほぼ全域が断水している上、地割れや陥没などで通行止めの道路が多く、復旧工事のめどが立たない。 震災発災直後からスタッフを現地に投入して支援活動を展開している日本財団(東京都港区)が、被災者、被災自治体のニーズを調査し、新たに採用したのが、一度に大量かつスピーディーに支援物資を送ることができる船舶での輸送だ。海洋分野で国内外に数多くのネットワークを持つ強みを生かし、貨物を積んだトラックやトレーラーを運搬可能なRORO船「フェリー粟国」(総トン数462トン)をチャーター。港湾施設も地震と津波被害に遭い、コンテナの積み下ろしや荷さばきなどの人手の確保も困難な中、この方法なら現地に到着次第、そのままトラックで避難所などに向かい、支援物資を迅速に届けることができる。 金沢港から輪島市へ1月10日、灯油2000リットルと軽油1000リットル、発電機5台を運んだのを皮切りに、ほぼ毎日、被災地と金沢港をピストン輸送する予定。当初は20日までのチャーターだったが、海上輸送が必要な状況が長期化することが予想されるため、1月末までの延長を検討中という。 陣頭指揮を執る日本財団の海野光行常務は「継続的な支援を行うつもり。冬が終わるまでの長いスパンで考え、支援要望に合わせて予定を組み替えていく」と柔軟に対応する姿勢だ。 冬の日本海を乗り越え、地震の傷痕が残る港に着岸 まだ真っ暗な未明の金沢港で1月14日、フェリー粟国に10台のトラックが次々と乗り込んでいく。目的地は能登半島の先端に位置し、被害が甚大な上にアクセスが困難な珠洲市。主な積み荷は、水処理装置を開発するWOTA(東京都中央区)のシャワーキット10基と手洗いスタンド30台で、水をろ過して何度も再利用するため、断水状況下でもたっぷりと水が使用できるという。その他に今治タオル1000枚、2トンの給水タンクなども積み込んだ。 海野常務は「発災時から自治体との連携、現地での活動をする中で、避難生活の質の向上も支えねばならないと分かった。衛生管理上の問題が起きていることを踏まえ、WOTAさんの協力で全国から100台のシャワーキットを集めることができた。珠洲に30、輪島に30、七尾、能登、志賀、穴水に7台ずつ。残りの12台は、ニーズがあった医療施設へ設置していく」と説明した。 日の出前の午前6時45分頃に出港。この日は晴天で海も穏やかだったが、第1陣の輪島までの海路はひどい揺れだったらしい。荒れることで有名な冬の日本海。毎日のように支援物資を届ける乗組員と支援スタッフには頭が下がる。 金沢港から珠洲の飯田港までは片道約7時間で、この日は予定より少し早い午後1時30分に到着。港には至る所に地割れや陥没した場所があり、荷下ろしの必要がないRORO船のメリットを実感した。 シャワーキットの設置は、たった15分 シャワーキットは避難所となっている蛸島小学校、手洗いスタンドは珠洲市役所などに設置。300人近くが避難生活を送る蛸島小学校までは、飯田港から5〜6キロ。それでも通行止めを迂回(うかい)したり、応急工事で凸凹した道や信号が点灯していない交差点を徐行したりで、20分近くを要した。車窓からは倒壊した家が密集する地域と、被害の少ない地域が見られたが、蛸島町は前者である。 動力の給湯器を屋外に設置。続いて、シャワー室代わりの理科室にシャワーキットを搬入。テント式のため、大人2人で15分もあれば組み立てが完了する。 この避難所には自衛隊の風呂も設営されていたが、温まることはできても石けん類は使用禁止だった。シャワーキットの心臓部、ポータブル水再生システム「WOTA BOX」は、100リットルの“種水”があれば、98パーセント以上をその場で再生して循環利用することが可能。水量の制限なく、石けんやシャンプーを使ってたっぷりとしたお湯で体を洗うことができるのだ。 説明を聞いた70代の男性は「これまでは顔を洗うのも、なるべく我慢していた。シャワーを思う存分浴びられるのは助かる」と胸をなでおろす。 「お湯が熱いくらいだった」と言いながらシャワー室から出て来た60代の女性は、「身体が冷え切っているので、毎日、眠りが浅い。今日は、熱いシャワーで体が温まって、よく眠れそう」と顔をほころばせていた。 シャワー室の管理をする50代男性が見せてくれた予約表には、15分刻みで名前がびっしり。避難者にとって待望のシャワーだったことがうかがえる。「自衛隊の風呂もありがたいが、特に女性は(プライバシーのない)大きなお風呂は苦手という話も聞いていたので、個室のシャワーで少しでも安らいでほしい。さっぱりして、笑顔で出てくる人を見ると自分もうれしいよ」と話してくれた。 避難生活の質を向上させる適切な支援を 蛸島小学校には、教室に入りきらない救援物資が廊下に積み上げられていた。トラックでやって来た支援団体に、「それは足りているので、他の場所に運んであげてください」と断るケースも出始めているようだ。 孫をあやしていた女性は「おむつや粉ミルクもたくさんあるので助かっている」と感謝しつつ、「教室に寝泊まりしている私は大丈夫だが、体育館の人は寒さがこたえるらしい。温かいシャワーで、少しでも体をほぐしてくれれば」と、他の人を思いやっていた。 地震発生から2週間がたち、被災地のニーズは少しずつ変化し、避難所内で抱える問題も各人で違いが大きくなっている。これからは被災地の状況やニーズを細やかに把握した上で、海野常務が言うように「避難生活の質を向上させる」適切な支援が重要になってくるだろう。 日本財団ではRORO船での海上運搬を活用し、今後は大型の浄水プラントを各地に設置していく予定だという。 ※上記、ニッポンドットコム・土師野幸徳氏のレポートを拝借しました。 |