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「私の写真館」その2―アレクシイ二世 ロシア正教総主教― [2019年01月22日(Tue)]
「私の写真館」その2
―アレクシイ二世 ロシア正教総主教―


一枚の写真は10万語にも優る説得力があるという。

レーニンは宗教はアヘンのようなものだと言った。しかし、ソ連邦崩壊後はロシア正教は公然活動となって信者数も急増。今やロシア社会にその存在と影響力は侮り難いものがある。

レーガン大統領は、プーチン大統領が6〜7歳の頃にロシア正教の洗礼を受けており、話のできる男と認識していたようである。

北方領土を巡る日露交渉は遅々として進まなかったが、安倍総理の努力で、今年は大きな進展があるのではと期待されている。

ある時、「ドストエフスキー」の研究で有名な清水孝純・岡山大学名誉教授から「駿河台にあるロシア正教会のニコライ堂の創始者・ニコライ牧師の日本滞在中のロシア語日記がロシアで発見されたが、痛みが激しく、早急に製本する必要がある。貴重な文献なので協力・支援していただけないか」との要請があり、600万円の費用で100部が完成した。

写真は故アレクシイ二世ロシア正教総主教との献本式の写真で、全ロシアにテレビで中継された。総主教とプーチン大統領は眤懇(じっこん)の間柄で、当時、森喜朗総理は総主教の来日を実現し、天皇陛下の拝謁を実現。北方領土解決へ、総主教がプーチン大統領への側面からの影響力を期待するものであった。

04.09.06 ロシア正教 アレクシイU世総主教.png


森喜朗総理(当時)の父上は、石川県の小さな町の町長を9選も果たされ、当時、左翼が共産圏で幅を利かす時代ではあったが、思想によらず隣国ソ連(当時)との民間交流を活発に行っていた稀な人で、遺骨の半分はバイカル湖に近いイルクーツクの郊外の墓地に埋葬されている。私はイルーツクを訪れた際、早朝に墓参して写真に収め、森喜朗総理が初めてのモスクワを訪問する際、プーチン大統領にご覧頂くようと大量にコピーしてお渡ししたことは、懐かしい思い出である。

90.09.12 森茂喜氏墓.jpg
イルクーツク郊外に眠る森喜朗元総理の父上、森茂喜氏の墓


以来、プーチン大統領は森元総理を「ヨシ」と呼ぶほどの間柄となり、「ヨシが元気でオリンピックを迎えられるなら、必ず参加するぞ」と張り切っているらしい。

安倍総理は信頼関係を更に進展させ、「ウラジミール・シンゾウ」関係が日露の平和条約締結まで進むことを期待したい。ただ、交渉事は当事者間だけではなく、ロシア正教総主教の来日要請など、プーチンに影響力のある方々の来日要請などの戦略的外交も必要ではなかろうか。

私は現在、ミャンマー国民和解日本政府代表を拝命して努力しているところであるが、難航を極めたある少数民族武装勢力との停戦協議で、こっそり仏教の高僧の協力を得て成功した事もある。ミャンマーとロシアを同一視は出来ないことは百も承知しているが、今年のロシアとの正常化を心から期待している一人である。
黄河上流域の景観「乾坤湾」―「秦晋之盟」発祥の地― [2019年01月21日(Mon)]
黄河上流域の景観「乾坤湾」
―「秦晋之盟」発祥の地―


世界を回っていると思わぬ景観、奇観に驚くことがある。昨秋に訪れた黄河上流域の中国陝西省・秦晋大渓谷も印象深い光景だった。黄河による浸食作用でできた大渓谷は巨大なスケールで見る人を圧倒し、中でも乾坤湾(写真)と呼ばれる地点では黄河が左から右へ320度も屈曲、国と国の親しい関係を示す「秦晋之盟」の言葉の発祥の地と聞き余計、感慨深かった。

D乾坤湾は黄河が320度湾曲している美景.jpg
秦晋大渓谷の乾坤湾
「秦晋之盟」の言葉はこの地で生まれたという


「秦晋之盟」は初めて聞く話で不案内だが、周王朝が力を失う中、多くの国が入り乱れて覇を争った中国・春秋時代(紀元前770年〜紀元前403年)の話という。上記写真でいうと当時は手前が、紀元前221年に中国を統一する始皇帝で知られる秦の国、向こう側が晋の国で、黄河が国境線となっていた。

秦、晋とも「斉」や「宋」、「楚」などと並ぶ強国。戦乱が続く中、秦、晋両国は姻戚関係を結ぶことで平和な一時代を築き、やがて秦晋之盟は「夫婦のように親しき仲」を言い表す言葉として定着したという。

陝西省訪問は、姉妹団体の日本科学協会が進める日本語図書寄贈事業の新たな寄贈先に同省の延安大学が決まったのを受け贈呈式に出席するのが目的。贈呈式で筆者は日本と中国の関係について、「時にトラブルもあったが2000年の歴史でみれば世界でも稀有な穏やかな関係だった」とした上で、1989年の天安門事件では日本が率先して各国の経済制裁解除に動き、その後の中国の経済発展につながった事実などを話した。

歴史は時代とともに変わり、日中関係も一時の冷え切った関係から回復しつつある。乾坤湾の雄大な景色を前に、秦晋之盟の故事を受け止めながら今後の両国関係を見守りたいと思った。






「毛沢東の長征」 [2019年01月18日(Fri)]
「毛沢東の長征」


毛沢東率いる赤軍は目的地のない逃避行を続けていたが、甘粛省の田舎町哈達鋪に達したところで、偶然手に入れた敵対する蒋介石率いる国民政府の新聞を見て、陝西省の延安には赤軍の勢力が根拠地を作っていることを知り、長征部隊の北上の方針が決まり、やっと延安という安全地帯に落ち着くことになった。ご高承の通り、延安は中国共産党の革命の聖地である。

延安大学に日本財団の姉妹財団である日本科学協会が行う図書の寄贈事業式典に参加するために訪れた。

延安ときたら、中国共産党第七回全国代表大会(中国では、「七大」と略称される)の開催地として有名だ。「七大」は中国共産党の歴史の中の一里塚と位置付けられる重要な会議で、その後中国革命の綱領と策略を定め、毛沢東を中心とする共産党の指導体制を固めた。楊家嶺に位置する「七大」の会場跡は、200名程度の椅子席がある小じんまりした講堂で、当時の中国共産党120万人の党員を代表する755名の代表が入れる空間だとは信じがたい狭さであった。この講堂で、毛沢東が左手に演説文を持って演説する姿は有名で、筆者も真似したのがブログの写真である。

Hコピー.JPG


山に横穴を彫った住居は20uほどだが、毛沢東の住居だけが隣の横穴式住居とつながっていた。本棚には読書家らしく、孫子の兵法、春秋、唐詩、孟子、水滸伝、紅楼夢などがあった。少し幅の広いベットの上には、新婚当時の「江青」女史とのツーショット写真が額に入って掛けられていた。二人はこのベットの中でピロートークを楽しんだのであろうか。

近くには当時の共産党幹部である朱徳元師や周恩来の横穴住居もあった。アメリカ人のエドガー・スノーやアグニス・スメドリィーとの会談もここで行われたようだ。共産党の聖地とあって多くの観光客で賑わっていたが、ミニスカートにブーツ姿の女性も多く、中には髪を赤く染めた女性も闊歩していた。帰り際には金満家らしき人がロールスロイスで入ってきたのには少々は驚かされた。

革命聖地に現れたロールスロイス.JPG
革命聖地に現れたロールスロイス


毛沢東は天国からこの風景を見て、「資本主義の道を歩む実権派ばかりだ。俺の革命は失敗した」と思っているに違いない。
「私の写真館」その1―金日成― [2019年01月17日(Thu)]
「私の写真館」その1
―金日成―


一枚の写真は10万語にも優る説得力があるという。

私は今年の1月8日、満八十歳になった。未来志向であまり過去を振り返らずに生きてきたが、世界を歩いて出会った人たちのことを記録に残すことは私の務めではないかと思うようになった。思い出に残る人物写真と共に、出会いのエピソードなどを順次掲載してまいります。

***************


シンガポール会談以後、トランプ大統領と金正恩主席との二回目の会談実現に向けて、水面下では激しい交渉が行われていることであろう。

金正恩の祖父である金日成は、北朝鮮人民共和国の国父である。

1992年、私は初めて北朝鮮を訪問した。目的は金日成主席との面会ではなく、私とほぼ同世代の金正日書記(当時)の実像をこの目で確かめたかったからである。

面談の事前了解を得て1992年3月17日夕刻、朝鮮民航で北京を発ち、ピョンヤンのモランボン迎賓館に入ったのは夜8時30分。そこで「金正日は北部地域を視察中で不在ですので、代わって金日成主席が会見します」との連絡を受ける。私は即座に「約束が違うのでこのまま帰ります」と言ったところ、驚いた相手側は、「日本で皇太子の代わりに天皇が会われる場合、断りますか?」と反論。妙な理屈と思いつつも会見相手は一国のトップ。そんなことで金日成主席との会談が実現したわけである。

握手1.png


会見は3月20日午前10時から、昼食をはさんで3時間半に及んだ。場所はピョンヤンから車で1時間半ほどの温泉地で、地味な雰囲気の接見所だったが、玄関というところまで出迎えてくれた金日成主席は堂々たる風貌で、開口一番「日朝交渉は間違いだった」と発言。「金丸訪朝団は日本の与党・自民党と最大野党の社会党が朝鮮労働党との会談で合意済みであり、実現は時間の問題と考えていた。日本の政治決定過程に無知で外交的知識が不足していた」と、若干反省を込めて語った。党独裁の北朝鮮の主席には、日本の支配政党合意が実行されないことは理解できないことだったようだ。

立って乾杯1.png


もう一つの金主席のミスは、「軍拡に走る米国は債務国になり、日本は世界一の経済大国として独自外交を展開できる」と考えていたらしい。私は日米安全保障条約で結ばれた両国の強さを伝え、米国抜きの日朝関係正常化実現の困難なことを説明した。

私が金主席と会見した1992年3月は、北朝鮮の核疑惑にアメリカが最も神経を尖らせていた時期で、核施設へのピンポイント爆撃を真剣に考えているといわれており、米韓合同演習チームスピリッツの不当性を強調するなど、米国の軍事圧力に相当閉口している様子だった。そこで私が、米国要人を招待するのが有益ではと助言。旧知のカーター元大統領の名前を出し、これが94年のカーター訪朝につながった。

帰国後、私は隠密裏に折衝を開始。93年1月、クリントン大統領就任式参加の折、カーター元大統領と在韓米軍撤退問題を議論としないことを唯一の条件に、最終的に快諾してくれた。しかし、かつてカーター元大統領の部下であったクリストファー国務長官を始めホワイトハウスは訪朝に反対で、最終的には元大統領ではなく個人の資格でならとの条件で94年6月15日朝、カーター元大統領は韓国から休戦ラインを徒歩で越え、北朝鮮に入った。

16日朝、クリントン大統領はホワイトハウスのキャビネット・ルームに国家安全保障会議を招集し、北朝鮮への制裁強化を指示。このあと韓国への戦闘機の配備、空母を含む機動部隊の増強、韓国駐留米軍の1万人増員などの検討に入った。出席者は副大統領、統幕議長、防衛長官、安保担当補佐官、国連大使等々。米朝開戦前夜の空気がみなぎっていた。

その時ピョンヤンよりカーター元大統領から電話が入り、金日成が核開発プログラムの凍結とIAEAの査察官の残留を認めたとの内容で、安保会議は中断され、再開された安保会議は「我々は同意し、受け入れる。もしあなたが我々の『凍結』の解釈を容認するなら」との返事を作成。カーター元大統領を通じて北朝鮮に伝えた。後日、「米朝戦争の瀬戸際で新しい展開が作れたのは奇跡」とカーター元大統領は述懐していた。

これは元ワシントンポストの外交記者、ドン・オーバードーファが書いた「ひとつの時代史、二つの朝鮮」を一部引用しました。

ともあれ、歴史に“if”を認めてくれたら、私と金日成との会見、その後カーター元大統領を説得し、ホワイトハススの反対を押し切って個人の資格であれ訪朝していなかったなら・・・。
「中国の小話」その173―俺の親父は誰か?!― [2019年01月16日(Wed)]
「中国の小話」その173
―俺の親父は誰か?!―


成金の御曹司が高級車に乗り、スピード違反で女性の警察官に止められた。

警察官が罰金のチケットを切ろうとしたら御曹司が大激怒し、警察官に向かって怒鳴った。
「俺の親父は誰だか、知らないのか?!」

御曹司は権勢と金銭を持つ親を引き出せば、警察官がビビるだろうと思ったが、警察官は沈着冷静に答えた。

「それは、あなたの母ちゃんに確認した方がいいよ」と。

俺の親父写真.JPG
俺の父親は誰? 


蛇足:「小話」に説明は無用だが、時々知人から説明を求められることがある。   この「小話」は、中国でも妻の浮気が多いことにひっかけ、警察官のトンチのきいた返答が可笑しいのです。
「秀逸?な賀状」 [2019年01月15日(Tue)]
「秀逸?な賀状」


今年も多くの方々から賀状を頂戴した。

近年、ハガキの両面ともに印刷された、率直に言って無味乾燥な賀状が多くなったのは時代の流れであろうか。

不精な性格の私は、無礼を承知で賀状を止めて30年になる。そんな私が頂戴した賀状に感想を述べるなどこの上なく失礼ではあるが、一通だけ、私にとって「さもありなん」と納得する賀状をいただいたので紹介させていただきます。

***************


あけましておめでとうございます。
歯は入歯、耳に補聴器、目は老眼、杖を頼って医者通い。小便近く、筒漏れ多く、恥ずかしながら紙パンツ。鼻水、よだれ垂れ流し、咽んで、せき込み、食べこぼし、済んだ食事をまた催促。貴方は知れど名は忘れ、昔話を繰り返し、誰だったかと首捻る。カギを無くして立ち往生、握り占めてた左の手。お手入れ無用の輝く頭、それでもまだある二、三本、鏡を見ては撫でつける。足腰弱り、肩は凝り、肝心要はフーニャ、フーニャ。ヨイショ、ドッコイショの掛け声だけで動きようにも動けない。顔は班(まだら)の絞り染め、肌は波立つ丹後織、変わる街並み、道忘れ、尋ねてみれば隣の人。会って嬉しや友との会話、昔は可愛い女の子、今は手術と病気の話し、同じ話を何回も。本を読みたし開いてみれば、忽ちこっくり鼾かく。血圧高く、糖多く、脈は乱れて、物忘れ、気力衰え、何処とも無しに、ボーと眺め、目を遣る先はあの世かも。お世話になります、後一寸だけ。
平成31年元旦



「タイ、インドネシア出張」 [2019年01月11日(Fri)]
「タイ、インドネシア出張」


ミャンマーの平和構築活動のため、今日の深夜便でタイ北部に出張します。
いつものように0泊3日で、13日朝、帰国します。

そのまま友人の一周忌に出席し、翌日(14日)午前、ジャカルタ義肢装具士養成学校引渡式典出席の為、インドネシアに出張します。

帰国は16日です。
「18歳意識調査 成人式」―18歳成人後も式は引き続き20歳で― [2019年01月11日(Fri)]
「18歳意識調査 成人式」
―18歳成人後も式は引き続き20歳で―


1月は成人式の季節。民法改正に伴い成人年齢が18歳に引き下げられる2022年以降の成人式をどうするかに関心が高まっている。

第7回目の「18歳意識調査」で、現在の18歳に一足早く意見を聞いた結果、全体の約70%が「公式行事としての成人式は必要」(69.8%)、「成人式には出席したい」(70.6%)とする一方で、4人に3人(74%)は実施時期を引き続き20歳とするよう求めているという結果が出た。

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18歳だと「受験に重なる」(62.8%)、「就職の準備がある」(23.8%)=重複回答=が主な理由。成人式に関する法律の定めはなく、開催は各自治体の判断による。成人式発祥の地とされる埼玉県蕨市や香川県の高松、坂出両市が既に成人年齢が18歳に引き下げられた後も20歳を対象に実施すると発表しているほか、静岡県焼津市のように、成人式の名前を「はたちの集い」に変更して、やはり20歳を対象に行う方針を打ち出している自治体もある。

民法改正に伴い新たに成人となる18歳が現在の成人と同様の“大人扱い”を受けるわけではなく、酒やタバコは22年以降も20歳にならないと認められない。こうした点を受け、「(18歳成人式では)式に合わせに酒を飲んだりタバコを吸ったりできない」と引き続き20歳での成人式を求める意見も38.2%に上っている。

一方で4人に1人(23.9%)は18歳での成人式を希望、その理由として「新たな成人年齢がふさわしい」(62.8%)、「18歳で成人になるのに成人式が違う年齢では混乱する」(39.8%)、「18歳でも成人になったと自覚できる」(30.9%)=重複回答=が並んでいる。

調査結果を見る限り、成人式をどちらで行おうと、それぞれに理があるような気がする。一方で18歳成人を3年後に控え、自治体の議論も今後、本格化する。無責任な言い方になるが、それぞれ地域の特性・事情も絡め、いろんな形の成人式があっていいのではないかと思う。

例年、問題となる荒れる成人式に関しては71.5%が「騒ぐ気持ちが分からない」、87.1%が「騒ぎたくない」としている半面、「自分も騒いでみたい」とする意見も12.9%に上っている。騒いでみたい理由(自由回答)では「もうこれから先、そのような事が出来なくなる年であり節目であるから」(男性)「大人になったら騒げないから」(男性)、「大人になる日でもあるが、子ども最後の日でもあると思うから最後に暴れておきたい」(女性)など、大人への仲間入りを前にした、いささか複雑な気持ちもにじみ出ている。

「習近平と女性」 [2019年01月10日(Thu)]
「習近平と女性」


中国の延安大学が、日本財団の姉妹財団・日本科学協会が行っている日本語図書寄贈対象大学に成り、陝西省延安市を訪問。ここから150kmほどのところに習近平国家主席が青年期を過ごした場所があると聞いて、寸暇を惜しんで旧居を視察した。

文化大革命華やかなりし頃、当時15歳の習近平国家主席は、知識青年として僻地である陝西省梁家河(村民1400人)に男6人、女4人の一人として下放され、父が批判の対象者であったため、一人だけ7年間もの間、荒涼たる風景の貧村の横穴住居で、男6人の共同生活が始まった。

広さは20uほどの横穴住居に6人の雑居寝生活。冬はマイナス20度の寒さの中、トイレは外で電気もない生活であった。その後仲間と住居を別にし、一人で横穴住居で生活。彼は知恵を働かせてメタンガスから電灯を引くことに成功し、昼間は農作業、仲間と別れた夜は読書に励んだようである。マルクス、レーニン、魯迅(ろじん)を読みふけり、中には三国志や三十六計のような娯楽性のあるものも読んだようだ。

C住居は約20平米の一部屋だけの共同生活。左から2番目が習近平の寝床。.JPG
住居は20u程の一部屋だけの共同生活
左から2番目が習近平の寝床


そんな模範的な知識青年の習近平青年の生活を知っていた村のオバサンが、習近平に年頃の女性を紹介したところ、女性の方から断ってしまったらしい。そのオバサンが健在だというので会いたいと思ったが、当日は勤めを休んでいるので実現しなかったのは残念であった。もし女性が結婚に同意していれば、習近平は今頃、陝西省の田舎の行政官になっていたかもしれない。

7年の下放生活を終え、その後、習近平青年は外交官の令嬢と結婚。福建省福州市の常務委員会委員であった頃、夫人から「海外に行って生活しよう」と誘われたが、離婚して福州市に留まった。

その後、人民解放軍のトップ歌手・彭麗媛女史と結婚し、今日の中国国家主席に就任したわけで、女性に振られながら栄達した珍しいケースではなかろうか。

習近平は雄弁ではないが人の話を良く聞き、目から鼻にぬけるような秀才型ではないが才走ったところはなく、茫洋として何を考えているか分からないが、熟慮・断行の人であることは間違いないようである。このような性格と卓越した指導力も、下放青年時代の艱難辛苦の時代に培われたものであろう。

日本でも昔は「若いうちの苦労は買ってでもしろ」との言葉があった。

「新年ご挨拶」―新しい御代の始まり― [2019年01月07日(Mon)]
「新年ご挨拶」
―新しい御代の始まり―


仕事始めは1月4日の深夜便で羽田を発ち、ミャンマーの紛争解決のための活動の旅からでした。

毎朝5時頃起床、40分のストレッチ体操、その後シャワーを浴び、時間があれば読書。7時15分には日本財団で寄附者への礼状書きから日課の始まりです。

幸い、気力、体力も充実しており、日本財団や関連団体の協力を得て働けることは、感謝以外の何ものでもありません。毎日夜明けが待ち遠しいほどです。

「ソーシャル・チェンジ」、戦後70数年培われてきた諸々の社会システムも、金属疲労が目立つようになってきました。日本財団は、国民の権利主張も大切ですが義務の遂行も大切と考え、諸々の社会課題の解決に努力されている福祉団体、NPO、志ある方々と協力し、社会コストの削減は勿論、未来を背負う若者たちに夢と明るい未来の日本を託せるよう活動して参ります。

本年も読者の皆様からのご叱責とご指導をお願い致します。


「初笑い」
―駄洒落の人名―


読書好きの韓国人        チョー・ヨンデル
栄養ドリンク好きの韓国人    チュー・ユンケル
妻に似た韓国人の子ども     カミサン・ニダ
編み物好きなデンマーク人    ケイト・アンデルセン
散歩好きなフィンランド人    サンポ・ニッカネン
小言好きなフィンランド人    キミ・ナンヤネン
ビタミンC不足のイタリア人   クェンサン・タランティーノ
トイレに間に合わないイタリア人 チョビット・モレッタ
耳鼻咽喉科のロシア人      ノゾキミール・ノドチェンコ
チベット人の産婆さん      タライ・マダ
水虫のタイ人          ムレチャッテ・カイチャイタイ
アメリカ人の建具屋兄弟     ショージ・ハーガスとショージ・ハリマス

2012年出版「紳士の品格」PHPからの再録です。



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