「私はしがないストリッパー」 [2008年07月04日(金)]
「私はしがないストリッパー」
ブログを始めて3年4ヶ月になる。
当初は私の勤める日本財団が職員あげて情報公開に汗を流している姿を見て、「はて、財団の情報公開だけで十分なのだろうか? トップの仕事振りも情報公開の必要性があるのでは」と考え、首相の日誌を参考に毎日の面会者や行動をブログ上にアップした。
しばらくして神戸在住の長男より「ちっともおもしろくない。少しは自分の考えやエッセイも書き加えたら」との助言があった。
倅は私の学業不成績、特に作文能力のなさを知らない。
簡単な一言に乗ったことが、それからの私の苦難の道である。
基本はあくまでも日本財団会長としての情報公開であるが、たまに種切れとなってつまらぬエッセイなどを書くと、お世辞半分ではあろうが、逆に評価されて「豚もおだてりゃ木に登る」になった。
初舞台のストリッパーのように、当初は拙い文章に恥かしさいっぱい。「こんな男が日本財団の会長かと思われては日々懸命に働く職員に申し訳ない」という気持であったが、読者よりおほめの言葉にあずかるとついその気になり、初舞台の恥かしさも忘れ、「見せる喜びを感じる」といわれるベテラン・ストリッパーのような気分になってきた。
「好事魔多し」の例えの通り、産経新聞『正論』で「たばこ1箱1000円」の論を発表したところ国民的話題となり、甲論乙駁、たばこ1箱1000円を通じ「税と健康問題」がテレビ、新聞、ネット、議会で爆発的な話題となった。
論争を楽しみにながめていたところ、突如、私のブログのコメント欄に論争がもちこまれ、賑やかになっていることは、読者すでにご承知の通り。
観客の少ない舞台で1人踊っていたストリッパーに、突如、ファンとアンチファンが殺到して入りみだれての熱狂となり、舞台に上がってくる観客も出てきた。
かつて、本物のストリップでジャンケンに勝ったファンが舞台に上がったところ、警察の手入れで、何と、逮捕された観客は私服の警察官であった・・・という笑えない話もあった。
なにはともあれ、私のブログは例え「バカ!」「死ね」のコメントでも削除は致しません。願わくば、多少のユーモアのある楽しい場にしてもらいたいものではある。
ご批判大歓迎!!
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「武原はん 幻のパリ公演と大佛次郎」 [2008年07月02日(水)]

「武原はん 幻のパリ公演と大佛次郎」
WHO総会出席と国連人権理事会へ日本政府が提案する「ハンセン病患者・回復者及びその家族に対する差別撤廃決議」提出に係わる各国代表部との事前折衝終了後、パリで笹川日仏財団・冨永重厚理事長と食事を共にした。
冨永氏については5月16日のブログで紹介したところ大好評で、「笹川さんの知り合いには面白い人がいますね」と、私まで褒められた気分になった。
調子に乗って冨永氏の苦労話をもう一つ披露する。
1983年春、冨永氏が日本興業銀行パリ支店長の時代、知人より「武原はんが是非一度、パリで舞ってみたいと言っている」との相談を受けた。
人に親切がモットーの冨永氏。送られてきた武原はんの代表作、男に捨てられた寂しい女心を舞う地唄『雪』のビデオをフランス演劇界の大物、『天井桟敷の人々』のバチスト役で世界的に知られるジャン=ルイ・バローに見せたところ即OK。シャンゼリーのルノー・バロー劇場の提供とフランス側の実行委員長を承諾した。
帰国の折、喜び勇んではんさんに報告したところ、哲学者・谷川徹三氏が同席のところで、意外や、喜びながらも「私は多くの方々のお世話になっており、その方々のご了承を得なければ」と中山素平(日本興業銀行)、円城寺次郎(日本経済新聞)等の名前を上げたという。
当時、武原はんは財界のアイドルであった。現代風のアイドルの軽さではなく、日本訳の通り『偶像・聖像』である。その美しく気品に満ちた舞姿は多くの財界人の憧れの的であり、武原はん、60歳をすぎても『女』との伝説を作った。
私は若い頃、富士銀行頭取の岩佐凱実氏のお供で、六本木交差点を渋谷に向かって左折した少し先の左側。まわりをビルに囲まれた閑静な一画でたった一回、はんさんとご一緒したことがある。
さて問題は、なぜ80歳の武原はんが急にパリで舞いたいと言い出したかである。
私の仮説は、武原はんは、愛する大佛次郎の鎮魂のため、誰にも相談することなくパリでの舞いを思いついたのではなかろうか?
私は武原はんの大勢の取巻きの中に大佛次郎がいることを小耳に挟んだことがある。丁度、大佛次郎の未完の大作『天皇の世紀』全十冊を読了。次いでパリ・コミューンに材を取る『パリ燃ゆ』を読書中に感じた、私の第六感である。
1983年、武原はんが「パリで舞いたい」と冨永氏に連絡してきたのは、大佛次郎逝去(1973年)からちょうど10年。武原はん80歳の時である。さらに詳しいことが知りたくて冨永氏に連絡したところ、FAXで「はんさんの健康上の理由で中止となったが、私(冨永氏)が考えるに、谷川徹三、中山素平を中心に、財界の有力者が参加した後援会まで組織したのに、どうも単なる健康上の理由ではなさそうだ。中山素平は冨永氏に『男の嫉妬はもの凄い。この判断(公演中止)は実に難しかった』と、当時部下の私に頭を下げた。武原はんを巡って財界お歴々のそれぞれの思い、やっかみ、嫉妬が裏にあったらしい」とのこと。
まさにアイドル(偶像・聖像)を巡る争いに発展したのである。冨永氏のレポートの最後は
「かねて聞いてみたいと願っていた一つの不躾な質問を谷川徹三氏にした。
『はんさんの心を占めていた本当の男は誰ですか?』
谷川先生、ちょっと考えて
『大佛次郎だろう』」
これで私の疑問は腑に落ちた。第六感は当たりであった。
ちなみに『パリ燃ゆ』の出版は1964年、大佛次郎67歳、武原はん61歳の時である。
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「スウェーデン国王と皇室」 [2008年06月23日(月)]
「スウェーデン国王と皇室」
スウェーデンの第三の都市・マルメ市は、デンマークのコペンハーゲン飛行場より東京湾横断道路「アクアライン」を少し大規模にしたようなトンネルと橋を渡って車で約40分のところにある。
マルメ市にある世界海事大学は設立されて今年25周年。笹川奨学生は現役、卒業生を合わせ450人と、国際海事社会では一大勢力となった。
25周年記念式典にはスウェーデンのグスタフ四世国王がご臨席になり、10人ほどの少人数のランチで国王に隣席させて頂いた。
天皇・皇后両陛下のスウェーデンご訪問が大成功であったこと。ウプサラ大学で天皇陛下がスピーチされた場所で私もスピーチの光栄に浴したこと。7〜8年前、王宮の教会で国王、王妃にストラディバリウスの演奏をお聞き頂いたことなど、通訳を通じてお話し申し上げたところ「教会での音楽会は忘れてしまいましたが、スウェーデンの環境財団・イフィアスは離宮に事務所があり、笹川さんと記念植樹したことは記憶にあります」と話された。
国王は教会での音楽会に先導車もなく、車の助手席に乗っておいでになられ、大いに驚いたものであった。
今回もほとんど警備もなく、短い昼食が終わると20〜30人の観光客に気楽に手を振って携帯電話の写真におさまり、お帰りになられた。
実にあっさりしたものである。ランチの際、国王の右席の州知事婦人は、くるぶしの見える短めの白のスラックスに短めのジャケットと、いたって軽装なのもスウェーデン方式なのかも知れない。
日本の皇室も、赤信号では停止するようにとのお強いご希望がおありとのことだが、警備当局の反対で実現しないと漏れ聞いたことがある。
ネパールでは王制が廃止となった。利権に絡む商売と圧政の咎(とが)の結果である。
権力をお持ちでない。
財産は無し。
商売は勿論なさらない。
ひたすら国民の幸せを願って黙々とご活動いただいている我が皇室は、世界に誇る日本の至宝である。
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発展途上国の宿泊場所 [2008年06月04日(水)]
「発展途上国の宿泊場所」
ハンセン病制圧活動で行く発展途上国の現場近くの宿泊場所は、劣悪な条件のところが多い。
バスタブがないのには驚かないが、湯の出ないことも珍しくなく、濁った水のところも多い。しかし何よりも困るのはマラリア対策である。
我々の行くところ、常にマラリアの危険性があり、予防薬を飲んだらとの意見もあるが、何年かに一回の旅行ならよいが、一年に何回も出掛ける場合、副作用で内臓をやられる恐れがあり、原則、服用しないようにしている。
部屋の虫除けの金網が破れていたり、殺虫剤を撒いても扉の下に隙間があり蚊の出入り自由というところは特に閉口する。
その場合、ベットの廻り2〜3カ所に蚊取り線香を燻らし、顔や手など露出している部分にはベトベトになるほど虫除けスプレーをかけて寝ることになる。
ネパールの地方・チトワン地区での活動は、幸い冬季であったのでマラリアの心配はなかったが、窓から吹き込む寒さに参ってしまった。
コテージ風の独立した木造の建物は、ベッド・ルームと石の壁の洗面所にシャワー・ルームでできている。
洗面所の窓はガラスがないため、冷気が部屋の中まで遠慮なく浸透してくる。
部屋の中は極端に寒く、おまけに布団は雨季の湿気を十分すぎるほど含んでおり、じっとりとして重く、セーターを着て靴下を履き、顔にマフラーを巻いて寝るのだが、なかなか布団が温まらず眠れない。
ベットに入ると数分で夢の世界に飛び立つのが自慢の私にとっても珍しい経験であった。
そういえば布団を干す習慣はどうも日本だけのようで、外国で見た覚えはない。陽光はたっぷり過ぎるくらいあるのだから、健康を維持するためにも布団干しをしたらいいのに・・・。
日本の習慣は清潔で優れていると、あらためて認識した。
閑話休題
私が子供の頃、居候していた家で、室内のトイレは使用禁止。外のトイレを使用していた。
冬など寒く、ついつい我慢して寝小便の粗相をしてしまう。朝の物干し場には麗々しく世界地図が掲げられていることになり、恥ずかしい思いをしたものである。
あまりの冷え込みに食事もオーバーを着て帽子を被ってする始末。夕食は午後6時に終了。
7時以降はすることもなく、部屋は停電が続き本を読むこともできない。仕方なく、守衛さんの焚火のまわりで暖を取り、雑談で時間を潰して寝る時間を待つ。
電気のない生活は何度も経験しているが、文明人?になり下がったことを実感させられるホテルであった。
原油価格が120ドルを越え、150ドル時代が来るともいわれる昨今、電気やガソリンの有難さを知るいい機会であったかもしれない。
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「床屋の嘆き」その2 [2008年06月02日(月)]
「床屋の嘆き」その2
かつて『床屋』はコミュニティーの情報の集散所であった。
「ご隠居さん!! 三丁目の角の娘さん、14回目の見合いでやっと相手が見つかったそうですね」
「お前の情報は古いね。あれは結婚して3カ月で別れたよ」
「静かでおとなしそうな娘でしたがね」
「その通り。ただ、あの母親はきつい女だったから、母親のせいじゃないかな」
「相手に女がいたんじゃないですか」
「ところでご隠居さん、あの真面目なHさん、逐電したらしいですね」
「そうなんだよ。株に手を出して大損して、どこに行ったかわからないらしいなぁ」
「昔風にいえば夜逃げですね。そういえば最近、魚屋も店をたたみましたよ」
「そうかい、残念だね。7〜8年前には酒屋がなくなり、畳屋も米屋もやめたね。元気なのは豆腐屋と菓子屋ぐらいか」
「いや、ご隠居さん。豆腐屋も高齢で息子はサラリーマン。後継ぎはないようですよ」
「新しい店はファースト・フードやコンビ二で、なじみがないね。でもシャッター商店街でないことを良しとするか」
てな話が、床屋では日常的に話し合われてきた。
平尾昌晃の歌の文句
「星は何でも知っている」ではないが、
「床屋は何でも知っていた」
特に選挙が近づくと、調査の専門家は必ず床屋に情報収集に行ったという。
床屋は昔を懐かしがりながら、未婚の一人者の息子を、心配そうにちらっと見た。
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ワンガリ・マータイ女史 [2008年05月30日(金)]
「ワンガリ・マータイ女史」
ワンガリ・マータイ女史は、土壌の浸食と砂漠化を防止する植林活動・グリーンベルト・ムーブメントを開始し、アフリカ大陸全土での植林活動により環境保護に尽力したことが評価され、一昨年、ノーベル平和賞を受賞された。
独裁政権下にあったケニアにおいては、公然と政権を批判したことで数度の逮捕と投獄も経験している。
初来日以来、日本の「モッタイナイ」を環境活動のキーワードとして活用し、世界に「モッタイナイ」の言葉を広げている。
日本において、高度経済成長期以前は「モッタイナイ」は生活の規範の一つであった。
贈物の包み紙や紐は大切に保管し、新聞紙は一年に一度の大掃除の折に畳の下に敷いたり、毎日の掃除の時、埃がたつのをおさえゴミを吸い取るため、水につけて畳に撒いてから掃除するなど、大いに再利用された。
しかし、高度経済成長期に入ると「消費は美徳」の言葉とともに「モッタイナイ」の言葉は死語となった。
地球温暖化をはじめ、環境問題が人類の生存のために解決しなければならない重要問題と認識されはじめた今日、ケニア人のマータイ女史によって「モッタイナイ」は世界の共通語として甦った。
日本財団の基本的活動指針は「モッタイナイを形にする」である。
古民家や廃校を再生し、福祉施設や芸術家の活動拠点として活用して頂いているのもこの考えからだ。
自然に感謝しながら「モッタイナイ」の精神で環境問題に取り組むマータイ女史の考えは、一昔前の日本人の生活規範と同じだ。
日本の若者がケニアのマータイ女史から「モッタイナイ」精神を学ぶとは皮肉なことである。
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UNEP笹川環境賞 [2008年05月30日(金)]
選考委員会後、受賞者発表の会見を行う(於:日本財団ビル)
「UNEP笹川環境賞」
UNEP(国連環境計画)は1972年、スウェーデン・ストックホルムで設立された。
当時、地球環境問題は一部の識者の間での問題であった。
ストックホルム宣言より10年後の1982年、UNEPナイロビ総会で、環境問題で活躍する世界の有識者を表彰することにより、環境問題を広く世界の人々に知ってもらうため『笹川環境賞』の設置が決定された。
第1回の受賞者は、イタリアのローマクラブ設立者、アウレリオ・ベッチェイ博士であり、アースポリシー研究所のレスター・ブラウン氏も受賞されている。
近年、地球温暖化問題を含め急速に地球環境問題に世界の注目が集まるようになったことには、隔世の感がある。
今回、UNEP笹川環境賞の選考委員会が東京で開催された。選考委員のノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイ女史、日本からは広中和歌子元環境大臣も出席し、慎重な審査の結果、サンラボブ農村エネルギー会社(ラオス)とNGO団体のプラクティカル・アクション(ペルー)の2団体に決定した。
25年経過し、ようやく環境問題が地球温暖化をはじめ世界的イシューになってきた。
この賞も先駆的役割を果したと思うので、来年度からは環境問題をテーマに実際的な活動家を表彰する方向に変更したいと考えている。
数多くある世界の表彰制度の中で『WHO笹川健康賞』が唯一、賞金を受賞者のものではなく活動に使用しなければならない規約となっている。
この『笹川環境賞』も活動に使って頂きたいと願っている。
<記者会見の様子は、動画で見ることができます。こちらからどうぞ>
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邑久長島大橋開通二十周年記念式典 挨拶 [2008年05月29日(木)]
邑久長島大橋開通二十周年記念式典 挨拶
2008年5月9日
於:邑久長島大橋
本日はお招きいただき、誠に有難うございます。
私は1年の三分の一をハンセン病制圧のための活動にあてています。これまで119カ国で病気を制圧してきました。未制圧国は残り4カ国となり、あと2年くらいで世界からハンセン病が制圧される可能性が出てきたわけです。
これまで訪問したいずれの国も、ハンセン病の施設は島に存在していました。
フィリピンのクリオン島、あるいは南アフリカの初代大統領が幽閉されていたロベン島もかつてはハンセン病の島で、地中海やエーゲ海に浮かぶ島の多くもハンセン病の島でした。
この僅か70〜80mの島に住むということは、単に70〜80mの距離ではなく、絶望の島に追いやられるという、無限の距離として存在してきたわけです。
本日お集まりの皆様の胸中にある、船で島に渡ったという意味合いを理解することは、私たちのような病気を経験していない人間にとっては理解し得ないことではありますが、大変深い悲しみとそれに伴う絶望感があったのではないかという気がいたします。
この橋が物理的に便利であるということだけでなく、長い間回復者の皆様が島を守り、いずれ将来、県民の皆様を迎え入れるであろう希望に満ちた島になるための架け橋として活用されることは大変意義深いことです。
本日はそのための20周年ではないかと思います。
療養所で生活する皆様の平均年齢は80歳と伺いましたが、今まで闘ってきた気力がある皆様ですから、さらに元気を出していただき、希望に溢れた島になることを見届けていただきたいと思います。
また長い間の経験を県民の皆様にもお知らせ願いたいと思います。
<式典の様子は、動画で見ることができます。こちらからどうぞ>
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ジュネーブ(スイス)訪問 [2008年05月28日(水)]
第26回の笹川健康賞受賞者の「モハン」
「ジュネーブ(スイス)訪問」
毎年、WHO(世界保健機関)の総会の席で行われる『笹川健康賞』の授賞式は26回目を迎え、今年の受賞はブラジルのハンセン病制圧活動団体『モハン』であった。
モハンには有名な女優、歌手等を含め、多くの人々がボランティアで参加している。
電話相談は、親や親族にも言えないハンセン病の悩みを抱える多くの人々に利用されている。また、テレビ局の厚意で無料のハンセン病啓発のコマーシャルも流している。
大統領をはじめ、政治家とのパイプも太く、ブラジルでの市民活動として大きな影響力を持っている。ブラジル政府代表も率直に受賞の喜びを語ってくれた。
アフリカのモザンビーク、DRコンゴも制圧に成功し、現在、専門家集団が検証に入っている。
ネパールは総選挙も成功し国内治安が安定してきたので、制圧は時間の問題となってきた。
目処のたたない唯一のハンセン病未制圧国はブラジルだけとなった。この受賞を機会に、ハンセン病制圧活動が益々活発になることを願っている。
ハンセン病の全世界制圧は私の夢の一つである。
ところで笹川記念保健協力財団・紀伊國献三理事長は、26年間、WHO総会・笹川健康賞授賞式に皆勤である。WHO広しといえども26年間皆勤は、職員を除けば皆無である。
私もここ10年ほど皆勤なので多くの関係者に知られるようになった。何よりもWHO総会で、受賞者へのお祝いと激励のスピーチのなかで、民間の立場として主張を加味できることは有難い。
26年間皆勤の紀伊國理事長
また、今回は日本政府が国連人権理事会で『ハンセン病と差別』について決議案を提出して下さることになり、ジュネーブ駐在の各国政府代表に『ハンセン病と差別』の実態についての説明と決議案への賛同を得るための陳情に廻ったが、ジュネーブ代表部の北島大使のご協力で、短時間に効率的な仕事をすることが出来たことを感謝したい。
以下はそのスケジュールと面会リストである。
国連人権理事会議長と面談
5月21日(水)
09:10 WHOアメリカ地域事務局長/ミルタ・ローズ博士
09:30 ブラジル保健大臣/ゴメス・テンポラォン氏
10:00 ネパール保健財団/G. ポッカレル氏
10:30 ミャンマー保健大臣/ウナ・マウ・ルウィン氏
11:00 マダガスカル保健大臣/ジーン・ルイス氏
11:45 モザンビーク保健大臣/P.I.ガリドー氏
13:30-14:30 北島大使主催・昼食会 於:日本大使公邸
15:20 DRコンゴ保健大臣/マクウェンジ・カプト氏
15:40 WHO熱帯病感染局長/ロレンゾ・サビオリ博士
16:15 ロシア/ヴァレリー・ロシュチニン大使
17:30 インドネシア保健大臣/S.F.スパリ氏
5月22日(木)
09:30 ルーマニア/ドルー・コステア国連人権理事会議長
10:00 フィリピン保健大臣/フランシスコ・デュキュエ氏
11:00 ブラジル/フロレンツィオ大使
11:30 WHO障害者担当局長/エティーネ・クラック博士
12:00 インド/S.シンハ大使
12:30 WHO幹部及び受賞者・昼食会
マーガレット・チャン事務局長
14:30 ダグラス・ベッチャー博士
15:15 フランス/ジーン-バプティスト・マティ大使
17:00 WHO笹川健康賞・挨拶
18:00 アサマ・バァー博士
20:00-23:00 マーラー元WHO事務局長・夕食会
5月23日(金)
09:30 パキスタン/マソド・カーン大使
10:15 英国/ピーター・グーダム大使
11:45 マダガスカル/アルフレッド・ランベロソン大使
終了後、飛行場へ直行、パリへ
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