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写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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「ハンセン病とNTD問題」 [2012年10月29日(Mon)]
「ハンセン病とNTD問題」


最近NTD(Neglected Tropical Disease 顧みられない熱帯病)との闘いにWHOも努力を傾注しており、民間財団や製薬会社なども活動を活発化させようと努力中であり、大いに歓迎すべきことである。

ただ一点私が不満に思うことは、NTDという呼び方である。これは専門家や支援しようとする側のスタンスであって、日夜病気との闘いに苦しんでいる患者にとっては一時たりとも忘れることができないことである。これらの患者たちの救済に携わる側が、患者を見下すように「忘れた」病気というのは誠に失礼なことで、一つ一つの病名で対処すべきことであろう。

NTDとの闘いに多くの支援団体が参加することは喜ばしいことであり、当然、当該発展途上国政府との共働作業が不可欠である。しかし、私がハンセン病の制圧と人権問題の解決に奔走し始めたころ、私の働きは少数意見であった。多くのNGOは、汚職の噂の絶えない発展途上国の政府と共働することは好ましいことではないと、私の活動を非難したものである。しかし、私は1ドルたりとも直接政府関係者に資金を提供したことはなかった。

我々の支援活動は、WHOを通じて薬や専門家の派遣等に使用されたのである。公衆衛生の問題が、WHOは勿論のこと、当該政府の協力なくしては達成できないことは、ハンセン病の世界制圧を目前にした私の活動が正しかったことが立派に証明されたと考えている。ハンセン病制圧は、WHOにとって天然痘撲滅以来の画期的成果であり、NTDの撲滅に関与されるステークホルダーに良いケーススタディーを提供できたのではないかと自負している。

ハンセン病制圧も間近に迫っているものの問題は山積みしており、いまだ世界中で年間20万近くの新患者が発生している。ハンセン病の根絶への闘いと回復者の汚名・差別への闘いを更に進めていくため、残りの人生をかけて全力を尽くし、活動を更に強化したい。

世界の病める人々のために、WHOを中心に、各々の関心ある分野で人類の救済のために共に闘おうではありませんか。
「インドのハンセン病差別法」 [2012年10月26日(Fri)]
「インドのハンセン病差別法」


2003年、私は初めてジュネーブの国連人権理事会(当時は委員会)を訪ね、ハンセン病のスティグマや差別撤廃を訴えた。2010年12月にはニューヨークの国連総会で「ハンセン病患者、回復者及びその家族に対する差別撤廃」の決議案が加盟国192ヶ国(2010年12月時点)全ての賛成で「原則とガイドライン」と共に決議されたことはすでに報告した通りである。

ただこの決議案に拘束力はなく、このまま放置すれば忘れ去られてしまう恐れがあるが、私のハンセン病とその差別への闘いにとって有力な道具となるものではある。

私はこの決議案を世界の人々に理解してもらうために啓発活動を活発に展開しようと考え、今年1月にはブラジルで、10月にはニューデリーで、世界の人権専門家やハンセン病回復者も含め「ハンセン病と人権国際会議」を開催した。

この会議の中でインドの専門家より、ハンセン病に対する差別法についての説明があった。既に私はこれら法律を撤廃すべく活動中ではあるが、読者の参考までに下記に連記した。なお、この会議はエジプト、エチオピア、スイス(ジュネーブ)と世界五大陸で啓発のための国際会議を継続して開催します。


******************

インドハンセン病差別法


1. ムスリム結婚・離縁法(1939):
配偶者が2年間精神病の場合、またはハンセン病か悪性の性病の場合離婚が保証される。

2. 産業争議法(1947):
継続的な病弱を理由に労働者の雇用を停止することができる。

3. オリッサ地方自治体法(1950)及びオリッサ村議会法(1964):
選挙の当選者がもし精神異常者かハンセン病患者、結核患者である場合、当選資格は無効となる。議員がもし精神異常者かハンセン病患者、結核患者となった場合、その職を失うものとする。

4. 特別結婚法(1954):
もし配偶者が3年以上ハンセン病に罹っていたら離婚が保証される。

5. ヒンズー結婚法(1955):
もし配偶者が3年以上無菌性で治癒不可能なハンセン病に罹っていたら離婚が保証される。また、1年以上伝染力のあるハンセン病に罹っていたら法的別居が保証される。

6. ヒンズー養子縁組・扶助法(1956):
ヒンズー教徒の妻は、もし夫が伝染力のあるハンセン病に罹っていたら、権利を放棄することなしに夫と別居する権利が与えられる。

7. 生命保険会社法(1956):
ハンセン病患者・回復者に対して高額な保険料率の請求を認めている。


8. ラジャスタン地方自治体法(1959)及びラジャスタン村議会法(1994):
ハンセン病患者は選挙に立候補する権利がないとしている。

9. インド離婚法(1869):
配偶者が感染力のある治癒不可能なハンセン病に過去2年以上罹っている場合、その結婚は解消することができる。

10. インド鉄道法(1989):
鉄道当局は伝染性または感染性の病気に罹っている人を乗せることを拒否することができる。(ハンセン病を除外する記載がない)

11. インド・リハビリテーション法(1992)及びマディヤ・プラデシュ村議会法及びアンドラ・プラデシュ村議会法(1993):
「障害者」の定義の中で、ハンセン病による障害についてカバーしていない。

12. チャティスガール村議会法(1993):
感染症を持つハンセン病患者が村議会議員になることを禁止。

13. 障害者法(1995):
「障害」の定義にハンセン病「回復者」を含んでいるが、まだ治癒されていない患者が含まれていない。また「障害」の定義が医療的障害のみを言及し、スティグマによる社会経済的な困難については認めていない。

14. 少年司法(2000):
ハンセン病を伝染性で遺伝的にリスクのある病気と分類している。これによりハンセン病に罹った子供が特別照会サービスを通して隔離して扱われる根拠となる。

15. ボンベイ物乞い予防法(1959):
物乞い(ハンセン病患者、回復者が多い)が発見された場合、警察によって逮捕され1回目は記録され、2回目は1年以上3年未満の期間、認証施設(拘置及びトレーニングと雇用のための施設)に拘束される。一度施設に拘束されたことのある乞食が再度発見された場合10年間認証施設に拘束される。これは殺人刑の刑期10年に等しい。
「インドでのハンセン病制圧活動」 ―マディヤ・プラデーシュ州とサラン氏― [2012年10月03日(Wed)]
「インドでのハンセン病制圧活動」
―マディヤ・プラデーシュ州とサラン氏―


マディヤ・プラデーシュには2003年以来の訪問であった。

ハンセン病の制圧は勿論だが、近年、回復者の生活向上にも力を入れており、全国800ヵ所のコロニーの代表者による「インド・ナショナルフォーラム」を設立。その組織の強化も重要な仕事になってきた。

「インド・ナショナルフォーラム」の初代会長P.K.ゴパール氏が引退され、二代目会長はアンドラ・プラデーシュ州の代表である情熱家ヴァガヴァタリ・ナルサッパ氏が就任した。彼を同行し、マディア・プラデーシュ州の代表であるサラン氏と共に、シヴラジ・シン・チョウハン(Shivraj Sing Chouhan)首相に嘆願書を提出した。

首相に調査報告するサラン氏
首相に調査報告をするサラン氏.jpg

首相に報告するサラン氏.jpg


内容は、ハンセン病回復者が集団で生活するコロニーの生活改善に関するもので、主に年金の増額、食料配給カードの発行、職業訓練の実施等である。既に8月20日の私のブログで記したように、最貧州のビハール州で、行政府が確認しているコロニーは27ヵ所、年金は200ルピーであったが、当方の調査でコロニーは64ヵ所であるとの詳細な調査報告書と、年金の1000ルピーへの増額要求に対し2000ルピーの回答を得て今議会で承認されることを報告した。

マディア・プラデーシュ州の150ルピーから1000ルピーへの増額要請は、個人的には全国統一でビハール州並みの2000ルピーにしたかったが、各州のコロニーの置かれている状況も異なり、サラン代表の嘆願書に従い1000ルピーで交渉した。

首相は就任前には国会議員を4期務めていた評判の高い政治家である。担当部署が掌握しているコロニー数はたったの10ヵ所だが、当方の調査結果では34ヵ所、1459世帯、3761人であるとの調査報告書も添えて嘆願書を提出した。最重要の年金月額150ルピーを1000ルピーへの増額要請について、首相は実施すると即答された。

会見後、サランに「よかったね」とねぎらいの言葉をかけたところ、「文書で回答をもらうまでは信用できない」とにべもなく言い放った。今までも再三再四の嘆願を無視され続けてきただけに、彼の心情は痛いほどわかる。「私はビハール州には何回も足を運んで実現できた。ここにも何回でも来るよ。共にみんなのために頑張ろう」と話したらようやく微笑を浮かべてくれた。

州の独立した行政機関である人権委員会では「何でもっと早く陳情にこなかったのだ。ここは州政府に、勧告だけでなく場合によっては実施させる権限もあるのだ。これからも遠慮なく利用してほしい」と激励された。帰り道、サランは「行きたくとも交通費がなくて行けなかったんです」とぽつりと言った。

翌日サランの案内でマガスプール・コロニーを訪れた。彼は松葉杖であった。昨日は大役のため、足に合わない義足を付けて痛みを堪えていたとは知らなかった。

サラン氏と.jpg
松葉杖で現れたサラン氏にビックリ


コロニーでは「ササカワ・インド・ハンセン病財団」からの小額融資を受けて水牛を育て、ミルクを売る事業を視察した。薄暗い粗末な牛小屋には、一つしかないであろう古びた扇風機が回っていて、牛をいかに大切に扱っているか一目瞭然であった。サランに「君は財団からの支援で何かやらないのか」と聞いたところ「私は最後です。役得と思われたくないのでね」。頭のいい、あくまでも謙虚な男である。

今回のインド訪問中、駐在して活躍している日本財団職員の粟津知佳子より、「会長!! これからはコロニー訪問で見舞金を渡すのをやめて下さい。貰わないコロニーでは不満があるし、貰ったコロニーでも代表者が俺が貰ったと強弁する人もいて、問題になっていますから」との忠告を受けた。

いまでも物乞いで生活の多くを支えているコロニーの人たちが、私が訪れるというので歓迎の花飾りを買い、飲み物を買い、準備してくれた費用を彼等の生活費から出させるのは忍びなく、規模に応じて4万から多くて8万の見舞金を全員の前で激励の挨拶後に渡していた。しかし、歓迎式典のないコロニーでは見舞金を渡さなかったことも事実であった。

ささやかな感謝の気持ちも受け取る側によっては大きな波紋を呼ぶことになってしまう。粟津の忠告に従うことは当然としても、私の主義である目配り、気配り、心配り、感謝の気持ちも場合によっては害になることを知らされた。

サランほどの能力があれば、ササカワ・インド・ハンセン病財団から小額融資を受けて事業も出来るだろうに、「自分は最後だ」と言って、週に一度、密かに「物乞い」に出かけ、その金で34ヵ所のコロニーを束ね、組織の団結のために奉仕しているのである。

かつて、笹川良一は「巣鴨日記」の中で、昨日まで大臣だ大将だと威張っていた人たちが、巣鴨刑務所の風呂場で石鹸を取り合い、飯の量を多くしてくれと頼み込む姿を見て絶望したという。

「志」の高さは学歴でも貧富でもなければ役職によるのでもない。個々人の心に宿るものであることを、物乞いをしながら人々に奉仕するサランに教えられた。
「ロシア・ウクライナ ハンセン病事情」 [2012年08月24日(Fri)]
「ロシア・ウクライナ ハンセン病事情」


6月28日〜7月6日まで、ロシア、ウクライナのハンセン病療養所を訪問した。

ロシアをはじめとした旧ソ連の国々・ウクライナ、タジキスタン、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンなどでは既にハンセン病は制圧されているが、その後の実態がどうなっているのか。調査の必要性を感じながらもなかなか訪問の機会が得られなかった。この度、世界のハンセン病事情に詳しい笹川記念保健協力財団の山口和子女史がこの地域で長年活動しているドイツ人女医・ドラヴィック・ロマーナ(Dravik Romana)博士を紹介して下さり、彼女の協力で今回の訪問が実現した。

旧ソ連時代、ハンセン病のセンターであったアストラハン・ハンセン病研究所は、ロシア南部のヴォルガ河がカスピ海に流れ込むデルタ地帯にあり、現在はカザフスタンやタジキスタンから治療にきていた患者が回復者として入所している。

研究所所長のビクトール・ドゥイコ(Victor Duyco)博士は、中央アジアのタジキスタン、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンの専門家を集め、状況説明のための小規模な会議を開いて下さった。各国の保健省は、ハンセン病は既に制圧された病気として興味を失っており、最近は患者の正確な記録も存在せず、回復者の療養所も閉鎖の方向にあるとのことであった。

ヴィクトール博士と.jpg
ビクトール・ドゥイコ博士(右側)と筆者

ヴィクトール博士(男性)とセンターに検査に来ていた回復者.jpg
博士とセンターに検査に来ていた回復者


今回訪問したアストラハン、テルスキ、アビンスキ各療養所とウクライナのクチュンガン療養所も患者はゼロで回復者だけの施設になっており、療養所の存在自体が目的化され、立派な施設の中に回復者より多い医師・看護師などの生活の糧になっており、閉鎖を恐れて実態が明るみに出ることを極度に恐れているのが現実であった。

世界ではこれらの病院の機能は統合化され、病める市民に開放されて有効に活用されているのに、「ロシアでは法律でハンセン病だけの施設として定められているので統合化は必要ない」との返答に、閉鎖された空間で安逸の生活を保障された関係者の姿を見た。

ただ収穫は、タジキスタン国立ハンセン病センターのコシモフ(Kosimod)博士より、患者はアフガニスタンからタジキスタンに流れてくるとの報告であった。トルクメニスタン・ハンセン病センターのナラ(Nara)博士からは、イランのハンセン病の実情調査に、トルクメニスタンからの入国が可能との報告があった。

来年6月には是非、タジキスタンからアフガニスタンへ、トルクメニスタンからイランに入国したいと考えており、両博士は全面的な協力を約束してくれた。
楽しみなことである。

以下は2010年度の各国の登録患者数で、登録患者とはかつて患者であった回復者のこと。ドイツ人医師ロマーナ・ドラヴィック女史の調査結果である。

アゼルバイジャン 75
カザフスタン   590
キルギスタン   15
ロシア      410
タジキスタン   80
トルクメニスタン 128
ウクライナ    20
ウズベキスタン  410
ラトビア     10
エストニア    13
「ハンセン病制圧大使の続投」 [2012年06月11日(Mon)]
「ハンセン病制圧大使の続投」


5月24日、WHO(世界保健機関)の総会中で超多忙の中、各地域事務局長も出席の上、マーガレット・チャン事務局長よりハンセン病制圧大使の続投を依頼され、受託の調印式が行われた。

24日チャンWHO事務局長とのWHOハンセン病特別制圧大使の任期延長調印.jpg


筆者は名前だけの役職は苦手で、知行合一の精神で世界中で実践・活動をしてきたので、今までの活動報告も兼ね、2001年大使拝命以来の各国大統領、首相、保健大臣などの面談リスト一覧を差し上げたところ、ちょっと驚かれたような顔をされ、「だから貴男にお願いするのよ」とのお世辞を頂戴した。

チャン事務局長の前職は香港の保健局長で、サーズで活躍された。総会での保健関係者の表彰式で、アイボリーコースト出身の女性議長が「今回、マーガレット・チャン事務局長は再選(無投票)されました。今回表彰を受けるチャン氏は、おめでたいことに事務局長と同じ名前です」と紹介すると、チャン事務局長、間髪を入れず「同じチャンでも、私、そんな人知らないわ」と反発したので、総会場は笑いに包まれた。ういういしかった事務局長が余裕と貫録のある事務局長に変身していた。正に地位は人を作るということである。

それにひきかえ、日本の政治家は大臣になっても地位が人を作らないのはどうゆうわけだろうか。

夢中で働いてきたことではあるが、面談相手の多くは日本財団の人脈を通じたものであり、感慨深いものがある

以下のリストは、ハンセン病制圧活動で面談した各国指導者リストです。

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*CARは中央アフリカ共和国

「ハンセン病制圧活動」その2 ―インド・オリッサ州ハンセン病差別法改正へ― [2012年04月06日(Fri)]
「ハンセン病制圧活動」その2
―インド・オリッサ州ハンセン病差別法改正へ―


インドは連邦国家で各州の権限が強い。2008年、インド最高裁判所は上告されたオリッサ州の州法に基づき「ハンセン病患者は他の人に病気がうつる危険を回避するため、自治体選挙への立候補や自治体で勤務することは出来ない」とするオリッサ地方自治法を支持し、原告は敗訴した。

この件について筆者は、2008年9月25日付書簡でK.G.バラクリシュマン・インド最高裁判所長官に下記のような抗議声明を発送した。

********************


このたび、オリッサ州のハンセン病患者は“感染者から他の人に病気がうつる危険を回避するため”、自治体選挙への立候補や自治体で勤務することは出来ないとする判例をインド最高裁判所が支持したとの情報に接しました。
ハンセン病は治る病気であり、感染者が最初の投薬を受けた後にはもはや他人に感染することはなく、殆どの人は感染力を持つ人と接触しても感染することはないという事実にご注目いただきたいと思います。
最高裁判所の今回の判決は、今日においてもハンセン病患者・回復者及びその家族が社会的、経済的な差別を受け、彼らが普通の生活を送れない状況に追い込まれる原因となっているハンセン病にまつわる長年のスティグマ(社会的烙印)を強化することにしかなりません。
本年6月、ジュネーブで開催された第8回国連人権理事会において、インドを含む47全理事国の満場一致により、ハンセン病患者・回復者に対するスティグマおよび差別撤廃決議が採択されています。
今回の判決に対し、その再審理が早急に最高裁判所に請求され、ハンセン病についての事実の正しい理解を反映し、患者・回復者の尊厳と人権を尊重する新たな判決が下されることを望みます。

世界保健機関ハンセン病制圧特別大使
日本国政府ハンセン病人権啓発大使
笹 川 陽 平

********************


2007年にインドのハンセン病患者・回復者がインド政府ラジャ・サバ陳情委員会に訴えた陳情の中にも、差別法の撤廃が含まれている。

委員は検討の結果、「ハンセン病患者・回復者の社会的統合とエンパワメントに関する第138レポート」が2010年11月に発表された。その中でインド政府保健省がオリッサ州保健省に当該法の改正を要請する書簡を送付し、州政府は適切な措置を取ると回答した旨が報告されている。レポートには陳情委員長に宛てた筆者の州法改正の要請状も添付された。

2012年2月21日、当該法の改正に州政府内閣も同意した。

実際の法律改正には中央政府とオリッサ州知事の承認が必要で多少時間はかかるが、改正は実現する見通しとなった。

世界は広く、現代でもこのような法律や宗教上の規則も多数あるようで、専門家に依頼して調査をしているところである。国連決議を得ても強制力はなく、悩めるハンセン病患者・回復者及び家族の平穏な日常生活を得るため、我々が一つひとつの戦いの中で勝利していく以外、今のところ方法はない。
「ハンセン病制圧活動」その1 ―差別との戦い― [2012年04月04日(Wed)]
「ハンセン病制圧活動」その1
―差別との戦い―


1月18日、今春上映予定のアニメ映画「The Pirates! Band of Misfits」の予告編の中に、ハンセン病患者・回復者に対する差別表現があり、制作会社並びに関係会社に文書で遺憾の意を伝え、速やかに当該箇所の修正、削除を求めた。

予告編には、メインキャラクターの海賊が乗り込んだ船の船員に金(gold)を要求すると、「金なんてない。この船は“らい病患者(Leper)”の船だから」と答え、「ほらね」の一言とともに船員の左腕が落ちるシーンがあった。

「Leper」は我々の努力で、2010年に国連総会本会議において全会一致で決議された「ハンセン病患者・回復者及びその家族への差別を撤廃する決議」や、これに伴う原則・ガイドラインが排除勧告している「差別用語」に当たる。ハンセン病に罹患しても腕がとれるような症状はなく、誤解と偏見・差別を助長すると抗議し、修正・削除を求めたものです。

上記抗議に対し、2月3日付で米ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント社副会長ジェフ・ブレイク氏から下記の通り、筆者宛に回答があった。

********************


近々上映予定の映画「ザ・パイレーツ・バンド・オブ・ミスフィッツ」の予告編でのハンセン病の描写に関する笹川様からのご指摘に対し、適切な対応を取るようにと弊社マイケル・リントンより連絡を受けました。
アードマン・アニメーションズは問題のシーンを放映版から全て削除すると申しております。また予告編に付きましても、全ての映画館から回収し、ウェブサイトからも削除致しました。
この度の貴重なご意見に感謝申し上げると共に、ご指摘頂いた点を正すための対応をさせて頂きましたことをご報告申し上げます。

米ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
副会長 ジェフ・ブレイク

「ペルー訪問」その5―ハンセン病施設訪問― [2012年03月02日(Fri)]
「ペルー訪問」その5
―ハンセン病施設訪問―


1月28日朝5時起床、ハンセン病回復者を激励するために飛行機で約1時間のアマゾン地帯・ウカリヤ州プカルパ市に移動する。この地域はアマゾン川の源流といわれているが、川幅は優に利根川の河口付近より広い。滔滔と流れる大河アマゾンは、ウカリヤ川とマラニョン川が合流してできた大河である。現地の人は、このウカリヤ川やマラニョン川もアマゾン川とすれば、ナイル川より流域は長く、世界一の大河になるのに残念だと嘆く。



アマゾン川の源流


隣国ブラジルは世界唯一のハンセン病未制圧国であり、インドに次いで患者数の多い国でありながら、不思議なことに、隣国ペルーの患者は極端に少なく、2011年の登録患者数はたったの32名である。ただ、アマゾン流域などアクセスが難しい僻地にはまだかなりの未発見患者がいることは推察できる。

訪れたアマゾニア・デ・ヤリナシア病院の院長は「患者の住んでいる場所が病院より遠く、なかには川を数時間も行かなければならない所もある。患者は貧しく、地域政府はハンセン病を意識しておらず専門家もいない」と嘆く。

今回は20人ほどの患者・回復者が集まってくれた。10代から年配者までいたが、年配者を除けば障害が生じている患者はおらず、順調に治療が進んでいるようであった。


ハンセン病患者の方々と


このアマゾニア・デ・ヤリナシア病院には革命家チェ・ゲバラの逸話がある。ご存知の通り、アルゼンチン出身のチェ・ゲバラはフィデル・カストロと共にキューバのマエストラ山脈に潜入。キューバ革命を成功させた人である。青年時代、医学生としてモーターバイクで南米大陸を縦断したことは「モーターサイクル・ダイアリーズ」として映画にもなり評判になった。そこではゲバラがペルー・アマゾン地帯のハンセン病療養所まで川を泳ぎきり、患者たちと交流する場面が映し出されている。1952年のことで、当時は患者が隔離され、差別も深刻だった時代だが、患者と分け隔てなく接するゲバラの姿が印象的な映画である。

その療養所はロレート州イキトスのサン・パブロ療養所で、今回訪問したプカルパからはウカリヤ川を船で4日間ほど移動したところであった。現在は廃屋になっているそうだが、機会があれば是非訪れたい場所である。ゲバラもサン・パブロ療養所だけでなく、たった二日間の滞在だったそうだが、この病院も訪れたとのこと。当時ゲバラに会ったたった一人の存命者が遠隔地に住んでいるというのに面会が叶わなかったことは残念であった。

ハンセン病患者との心温まる交流は、ゲバラの人生観を形成するうえでも意味深い体験だったのではないかと想像される。

今年は、ロシア、ウクライナ、中央アジア諸国、ルーマニア、イエメン等々の施設を訪ねて激励したいと願っている。
「ハンセン病回復者コロニーの明暗」 [2011年12月16日(Fri)]

アシャディープ・コロニー
母と共に糸を紡ぐ子供達


「ハンセン病回復者コロニーの明暗」


ハンセン病の世界制圧とそのスティグマや差別との闘いを始めて久しい。

ハンセン病回復者が治療を受けた病院の隣接地や、社会からの厳しい差別を逃れて肩を寄せ合って生活するため自然発生的に生まれたコロニーと呼ばれる場所の現情視察と激励に訪れた国々は33ヶ国、100ヶ所をはるかに超える。

私の夢は、患者は勿論のこと、回復者やその家族の生活向上、そして回復者の乞食からの救済であり、最終的には社会からの差別がなくなり、回復者が社会に融合されたコロニーのない社会の実現である。

多くのコロニーでは依然として乞食で糊口を凌いでいる人たちが多い。しかし中には力強いリーダーに恵まれ、自助努力で生活しているころもある。インド笹川ハンセン病財団は、コロニーの人達が自助努力で生活できるようマイクロクレジト(少額融資)を提供し、自活への道を手助けしている。

今秋訪ねたアシャディープ・コロニーは、インドのチャティスガール州の首都ライプールから車で1時間ほどの距離に存在する。財団の融資により購入した機織り機を使い、女性たちが上手に敷物を織っていた。月に約9,000円ほどの収入になり、貧しいながらも貯金もできるようになったと、彼らの生活で預金通帳を持つことは極めて珍しいことでもあり、嬉しそうな笑顔に旅の疲れも癒された。

何よりも印象的だったのは、学校から帰ってきた子供達が母親の動かす機織り機の側で材料の糸を解す仕事を手伝いながら、明るく楽しそうに話し合っている姿で、目の前のほほえましい情景に、筆者が7〜8歳の頃、母親の内職の手伝いで毛糸の束を両手いっぱいに拡げ、他愛のない対話を楽しみながら、母親が球状に巻き取る作業を手伝ったことを思い出した。

これらの家族は現金収入も増え、今夜も家庭ではささやかながらも楽しい団欒があるだろう。箒(ほうき)作りをしている人、竹かごを作っている人、日の光が差し込まない薄暗い作業所ではあったが、仕事のある喜びでどこもいきいきと働く姿があった。

ここのリーダーであるビシュヴァナスさんは病で床に伏せっており、じっくりお話しすることはできなかったが、コロニーの生活改善の闘いの中で19回の投獄を経験している。それにもめげず、長年、子供の教育と自助努力で生きていくことを強く指導してきた。今や博士も誕生、医者やエンジニアになった人もおり、コロニー外の女性から尊敬され結婚した男性もいるという。



コロニーの生活改善のために闘い続けたビシュヴァナスさん


今まで訪れたインドのコロニーの中で、ここが一番いきいきとして活気があった。筆者はこのコロニーを一つの成功事例とし、現在判明している850ヶ所のインドのコロニーをこのレベルにしたいものと、決意を新たにした。

午後訪問した回復者団体、NGOとの会合で筆者は「コロニーの人々は働く意欲も能力もある。ないのは働く機会だ。機会さえあれば素晴らしい成果を発揮する。努力次第ではアシャディープ・コロニーのように社会の差別の心を尊敬の念に変えることもできる」と強調した。

しかし、翌日訪問したセントヴィノヴァ・コロニーには全く落胆した。このコロニーはチャティスガール州最大のマハナディ川を含む3つの川が合流する宗教的聖地の近くにあり観光客が多いためか、ほとんどが乞食で生活していた。住人の顔の表情は乏しく暗い。動作も鈍く元気がない。その上衛生環境も悪く、コロニーのまとまりもないようであった。



セントヴィノヴァ・コロニー
集うことなく、ただ遠巻きに見つめるのみ

昨日のコロニーを天とすれば地を見た感じで、その格差に慄然とした。筆者のハンセン病コロニーから乞食をゼロにするという人生後半の夢は、今までの何倍もの努力の必要性を痛感するとともに、新たな闘志を掻き立てられる旅でもあった。
ジュネーブでのハンセン病制圧活動 [2011年12月07日(Wed)]
「ハンセン病制圧活動」


ハンセン病回復者の療養所は全国に国立12ヶ所、私立2ヶ所、合計14ヶ所あります。

この原稿を機関誌「高原」に掲載してくださった栗生楽生園は昭和7年に群馬県草津町に設立され、約73万uの敷地に現在140人程の方々が静かに生活されています。


栗生楽生園機関誌「高原」
2011年10月号


ジュネーブでのハンセン病制圧活動


WHOハンセン病制圧特別大使
笹川陽平


2011年5月中旬、スイスのジュネーブを訪問しました。今回の滞在期間は3日でしたが、いくつかの重要な目的がありました。まず、来年1月に発表予定の「ハンセン病患者・回復者に対する差別をなくすためのグローバル・アピール2012」への協力要請のため世界医師会への訪問。そして、WHO総会出席のためジュネーブに集まっている各国保健大臣とハンセン病制圧活動についての協議。さらに、プライマリーヘルスケアの発展に貢献した方々をWHO総会の場で表彰する「笹川健康賞」の授与式です。

私たちは2006年から毎年、1月の最終日曜日の「世界ハンセン病の日」に合わせて「グローバル・アピール」を発表しています。ハンセン病は今では無料で手に入る薬により完治するにもかかわらず、患者や回復者、またその家族までもが、就学や就職、結婚などができずいわれのない差別を受け苦しんでいます。このように病気に付随する社会的問題を少しでも改善するため、グローバル・アピールを世界に発信しつづけています。過去の賛同者は、ノーベル平和賞受賞者であるダライ・ラマ師やジミー・カーター元大統領など世界の指導者、世界各国のハンセン病回復者のリーダー、人権的アプローチで活動する有数のNGO団体、主な宗教の指導者、有数の企業の代表者、そして100を超える大学の学長などです。

2012年1月に発表予定の7回目のアピールは、各国の医師会代表者に賛同してもらうため、ジュネーブ入りした翌朝フランス領のフェルネーにある世界医師会を訪問しました。世界の様々な地域で、病気を治すために活動する医師でさえも患者に対する偏見を持ち、診療を拒むケースも少なくありません。また、先進国の医師は、病気の発症率が低いため学生時代に勉強したものの、多くの人が患者に会ったことがないのが実情です。しかし世界にはいまだ多くの患者がいます。適切な投薬治療で治る他の病気とハンセン病は何ら変わらないという知識を医師が持つことは、新規患者の発生を減らしていくためにも重要な意味があります。この話を日本医師会の原口会長に伝えたところ、アピールへの賛同を即決し、世界医師会へ連絡をとってくれました。この日本医師会の紹介で当日タイ出身のウォンチャット会長、ブラジル出身のゴメス次期会長、そしてドイツ出身のクロイバー事務局長と面談できました。3人とも私の訴えをとても熱心に聞いてくれ、ほぼ全世界でハンセン病がWHOの定める制圧基準(患者数が人口1万人あたり1人未満)を達成しても、偏見や差別がなくならない限りこの問題は終わることがないこと深く理解してくれました。そして、世界医師会として、「グローバル・アピール2012」発表のための協力は惜しまないとの了解を得ました。



ウォンチャット会長と会談


また、ブラジルは年間の新規患者数が3万7千人余りと多く、世界で唯一WHOの制圧基準を達成していない国ですが、本年初頭に就任されたルセフ新大統領は、2015年までの制圧達成に意欲的です。ブラジル医師会の会長でもあるゴメス次期世界医師会会長は、ブラジル政府はグローバル・アピールの取り組みを必ず支援すると約束してくれました。また、グローバル・アピールの発表式典をブラジルで開催することにも全面的に協力すると返事をもらいました。

世界医師会での面談を終え、WHO総会に出席する世界各国の保健行政を代表者と面談するためにパレ・デ・ナシオン(国連欧州本部)へ向かいました。最初に会ったのは、ミャンマーで昨年11月に行われた約20年ぶりの総選挙を経て発足した“民主政権”で3月末に保健大臣に就任したペ・テ・キン氏で就任前、ヤンゴン医科大学の学長を務め前保健大臣のチョウ・ミン氏が、大学時代の恩師だそうです。ミャンマーは、2003年に制圧を達成しましたが、現在もハンセン病登録患者数は3,000人余りでまだ持続的な制圧維持活動が必要です。早期発見を進め患者の障害を少なくすることにも一層の努力を注いで欲しいと依頼しました。日本財団はハンセン病制圧活動の他、かねてより置き薬を利用した伝統医療の普及や、辺境地における小学校建設事業を行っています。それは初等教育の中で衛生教育を進めることが大切だと考えているからです。大臣は日本財団の活動に感謝し、引き続き支援活動を要請されました。

ハンセン病制圧の重要国であるブラジルのジャルバス・バルボサ保健副大臣は、保健省で疾病対策の責任者を務めた後、WHOアメリカ地域事務所で活躍、最近保健省に戻り、ハンセン病を含む公衆衛生問題に深い見識があります。現在のブラジルの有病率は人口1万人あたり1.8人、北部では8.5〜9.0人と高いところもあります。旧知の間柄である副大臣は、特に有病率の高い地域のハンセン病対策を重点的に取り組み、2015年までにWHOの制圧基準を達成したいと話しました。副大臣によれば新大統領もハンセン病の制圧に強い関心を持っているようです。特に貧困の撲滅を目指しており、ハンセン病は貧困の原因にもなっているとして、保健省も行動計画を準備しているそうです。

次にフィリピンのオナ保健大臣に会いました。関係者の尽力によりフィリピンのハンセン病の問題は良い方向に進んでいるといえます。ハンセン病患者を祖父母に持ち、ハンセン病専門医として世界中で活躍しているクリオン島のクナナン博士もフィリピンの方です。オナ大臣はハンセン病回復者やその家族が社会の偏見と差別の「壁」に阻まれて、子どもたちが満足な教育の機会が得られないという問題点を指摘し、奨学金の支給により彼らが自信を持って社会に参画できるような支援が必要だと語りました。現在これらの子どもたちの数や年齢を調査中だそうです。



オナ・フィリピン保健大臣


2009年末にハンセン病制圧を達成したネパールのバスネット保健大臣との面談では、私の父が1979年に訪れた際、アナンダバンという病院で障害を抱えた老婆に出会い、その病が癒えることを祈って涙したこともあり、私にとってもネパールは深い思い入れがある国です。また、この国のハンセン病制圧は、保健人口省とWHO現地事務所の地道な努力に加え、メディアの積極的な啓発活動なしには実現し得ないものでした。このような背景があるからこそ、制圧という区切りを迎えたあともネパールのハンセン病の状況は、常に頭の中から離れませんでした。その旨を大臣に伝え、今後も患者の最後の一人が治癒するまで是非ともこの問題に対する優先順位を下げずに取り組んでいただきたいとお願いしました。

インドネシアのアジタマ保健局長は、「ハンセン病は我が国で、結核やエイズと並んで非常に重要な問題である」と表明され、近年新規患者数が横ばいであることには懸念を示しながらも、他の健康問題とも上手に連携しながら、効果的に対策を進めていきたいと発言しました。ネパール同様、インドネシアのハンセン病制圧活動は、私の父の時代から数え約半世紀にわたり関わっています。現在は回復者自らが組織を立ち上げ、尊厳の回復、生活の向上に努力するなど、アジア地域の中で大きな動きがある国の一つです。人口が多く、地理的な困難も少なくないこの国で、効果的なハンセン病対策を維持していくには、引き続き政府の努力が必要です。アジタマ局長には、今後の努力の継続をお願いしました。

スリランカのルベル保健次官とは、昨年5月にスリランカを訪問して以来の再会でした。2009年に25年にわたって続いた内戦が終わり、国づくりの真最中のスリランカに対し、日本財団は義肢装具士養成学校や小学校の建設事業などの協力をしています。次官は、欧米諸国などに対しスリランカの本当の姿を理解してもらい、イメージを変えることが必要不可欠だと熱く語りました。ハンセン病については、2005年に制圧は達成しているものの、依然として年間約2,000人の新規患者が発生し、患者が集中する地域がいくつかあり、引き続きの取り組みをお願いしたところ、ハンセン病問題についての重要性を認識し、続けて患者を減らすための努力をすると約束しました。
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