CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
BLOG 笹川陽平プロフィール 笹川陽平バイオグラフィー

日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

« 私の毎日 | Main | ボートレース»
leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
Google
<< 2015年03月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
プロフィール

笹川 陽平さんの画像
笹川 陽平
プロフィール
ブログ
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
リンク集
http://blog.canpan.info/sasakawa/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/sasakawa/index2_0.xml
「グローバル・アピール2015」その2―安倍内閣総理大臣のスピーチ― [2015年02月13日(Fri)]
「グローバル・アピール2015」その2
―安倍内閣総理大臣のスピーチ―


1月27日の「世界ハンセン病の日」に、ハンセン病患者・回復者とその家族へのいわれなき偏見・差別撤廃を願うグログーバル・アピールが今年10周年となり、国際看護師協会と132カ国の看護師協会の賛同を得て東京から発表さたことは既に述べた。

その折の安倍総理と不肖私の挨拶文を掲載します。

日本国総理大臣の人権に関する発言は珍しいことで、日本の人権外交にとって、極めて有益なものでありました。

15.01.27 GA総理と記念写真.bmp


*****************


以下、安倍内閣総理大臣の挨拶文です。

 世界各国から参加いただいた皆様、ようこそお越しくださいました。心から歓迎申し上げます。

 今日のテーマであるグローバル・アピールを主導してこられた笹川会長は、日本政府ハンセン病人権啓発大使やWHOハンセン病制圧特別大使を務めておられます。これまで、世界のハンセン病問題に対し、長年熱心に取り組んでこられたことに対しまして、改めて深く敬意を表する次第であります。

 ハンセン病は、感染力が非常に弱く、治療法も確立されており、今では適切に治療すれば後遺症なく治る病気です。しかし、残念ながら誤った理解により、世界中でハンセン病への差別や偏見は、まだ根強く残っています。我が国でも、かつて採られた施設入所施策により、患者の方々の人権に大きな制限・制約をもたらし、また、社会的偏見や差別を助長したという過去があります。

 我々は、その歴史を反省し、約20年前に大きな政策転換を行いました。元患者の方々に謝罪・補償を行い、その名誉を回復するための取組を国立ハンセン病資料館などで行っています。

 その一方、現在も、ハンセン病療養所には1700人を超える回復者の方々がいらっしゃいます。平均年齢は83歳を超え、看護や介護を得なければ、日々の生活の維持が困難となっている方が増えています。
 私どもは、これからも回復者の方々が安心して穏やかに暮らしていけるよう努め、また、ハンセン病に対する差別・偏見の解消に取り組んでまいります。

 本年のグローバル・アピールは、各国の看護協会の賛同を得て行われると伺っています。看護師は、女性の割合が高い職種の代表例ですが、私は「女性の力」が十分に発揮されることが、社会の大きな活性化につながると確信しています。看護師を始め患者の方々に寄り添う皆様が、それぞれの立場でなお一層輝き、大きな力となることを願っています。

 ハンセン病への社会的差別をこの世界からなくすため、今日の集いを通じ前進していくことをお祈りし、私の御挨拶とさせていただきたいと思います。

****************


以下、私の挨拶文です。

 ハンセン病は世界中で最も誤解されスティグマ(社会的烙印)の対象となってきた病気の一つです。人類の長い歴史の中で、多くの人々が病気とそれに伴うスティグマや差別に苦しんできました。

 ハンセン病との闘いは、20世紀半ば、医療面での大きな進展がありました。効果的な治療方法が開発され、治療薬を無料配布することで、世界の患者数が劇的に減少しました。早期発見と早期治療により、身体に障害を残すことなく治る病気となりました。

 しかし、このような医療面の進展があったにも関わらず、ハンセン病患者と回復者は今もなお、社会のスティグマや差別に苦しんでいます。彼らは、病気を理由に、教育や就職、結婚の機会を奪われ、彼らの家族さえも社会から疎外されているのです。

 日本のように、医療面の問題が解決している国では、ハンセン病は過去の問題であると思われがちです。しかし、このような国であっても、何十年も前に完治しているにも関わらず、家族に受け入れてもらえない回復者がいます。家族は彼らを受け入れることによって、自分たちにも差別の目が向けられることを恐れているからです。回復者は、ハンセン病療養所の中で暮らすことを強制されているわけではありませんが、多くの回復者が療養所の外に出ることを躊躇せざるを得ない状況におかれています。

 このように根深く、普遍的な問題を社会に訴えるために、私は2006年にグローバル・アピールという活動をはじめました。それ以降、毎年、ハンセン病患者と回復者の尊厳を取り戻すために、アピール(宣言)を発信しています。多くの人々にメッセージを届け、ハンセン病患者と回復者のおかれている環境を改善していくために、世界の指導者、ハンセン病回復者、宗教者、そして、グローバル企業や国際人権NGO、法曹界などさまざまな分野のリーダーと協力して、アピールを発信してきました。そして、この度、10回目のグローバル・アピールの式典をプライマリ・ヘルスケアの主な担い手である国際看護師協会の皆さまと共に開催する運びとなりました。

 ここ日本でグローバル・アピールを発信するのは今回がはじめてです。医療面の問題が解決している日本でも、ハンセン病にまつわる問題は多く残っています。日本の皆さま、特に若い世代の方々に問題意識を持っていただき、長い歴史の中に埋もれてきた出来事が持つ深い意味について考える機会になることを願っています。

 グローバル・アピールの式典に加えて、写真展や学生によるシンポジウムなどさまざまなサイドイベントを東京をはじめとする全国各地で開催しています。これらを通じて、ハンセン病に罹ったことにより苦難の道を歩んできた人々の歴史をより多くの人々に知っていただき、この問題を風化させることなく、次の世代につなげていきたいと思います。

 ハンセン病患者と回復者は私たちの想像を絶するほどの苦難の人生を歩んできました。私は、WHOハンセン病制圧大使として世界各地に足を運び、壮絶な人生を送ってきた人々にお会いしてきました。心を引き裂かれるような辛い経験を聞くたびに、胸がつまる想いがします。

    家族から強制的に引き離されてしまった人。
    名前を名乗ることさえできず、アイデンティティを失ってしまった人。
    療養所の中で重労働に従事しなければならなかった人。
    愛するわが子を手放さなくてはならなかった人。

 このような辛く悲しい経験をした人は、心を砕かれ、ハンセン病という病気を、そして、社会を恨む気持ちを抱くこともあったでしょう。しかし彼らの中には、長い歳月を経て、「もう一度自分の人生を生きてみよう」という前向きな気持ちを取り戻している人もいます。

 こうしたハンセン病患者と回復者のライフストーリーは、「人間とは何か」について、あらためて考えさせてくれます。そして、無知や誤解によって引き起こされるさまざまな人間の問題について考えさてくれるに違いありません。

 さらに私は、辛い経験をしているにもかかわらず、それでも前向きに歩んでいるハンセン病患者と回復者から、忍耐強さ、人の過ちを赦す心の寛容さなどについて教えてもらっています。

 私は彼らから人間の素晴らしさについて学ぶと同時に、多くの勇気を与えてもらいました。スティグマや差別との闘いには、まだ残された課題がたくさんありますが、一人ひとりが努力をすることで社会は変えることができると信じています。

 沈黙をしたまま苦しみ続けてきた人々に、そして、今なお、沈黙をしたまま苦しみに堪えている人々の苦悩にしっかりと向き合ってみようではありませんか。

 ハンセン病の歴史を風化させることなく、その歴史から学び、新しい未来を切り開き、次世代につなげていけるよう、皆さまと手を携えていきたいと思います。
「グローバル・アピール2015」その1―ハンセン病の差別撤廃に向けて― [2015年02月09日(Mon)]
「グローバル・アピール2015」その1
―ハンセン病の差別撤廃に向けて―


第10回ハンセン病患者・回復者とその家族への偏見や差別撤廃を願う「グローバル・アピール2015」は、1月27日、ANAインターコンチネンタルホテル東京で開催された。

ISIS(イスラム国)での日本人人質事件への対応、国会の開催など超ご多忙の中、安倍首相は令夫人と共にご出席下さり、錦上花を添えていただきました。

私はハンセン病への闘いをオートバイで説明している。前輪は病気を治すこと、後輪は偏見や差別と闘うことで、両輪が同じスピ−ドで回転しないとハンセン病制圧とその差別のない社会という目的地には到達しない。

しかし、私の力はあまりにも非力で、多くの人々のご助力を得たいと考えた。

そこで下記に列挙したように、毎年、それぞれの分野で活躍されている指導者の皆さまのご協力を得て「グローバル・アピール」を発表し、世界の人々に一人でも多くのハンセン病についての正しい知識を伝えたいと始めたものである。

第1回 2006年 ジミー・カーター 元アメリカ大統領
         ダライ・ラマ師
         オスカー・アリアス 元コスタリカ大統領、
         デスモンド・ツツ大司教
         エリー・ヴィーゼル
        ★以上5名はノーベル平和賞受賞者
         ハッサン・ビン・タラル ヨルダン・ハシェミット王国王子
         ルイース・イナシオ・ルラ・ダ・シルヴァ ブラジル大統領
         メアリー・ロビンソン 元国連人権高等弁務官
         R.ヴァンカタラーマン 元インド大統領
         オルセグン・オバサンジョ ナイジェリア大統領
         ヴァーツラフ・ハヴェル 前チェコ共和国大統領
         笹川陽平 日本財団会長
         以上の12名で、インド・ニューデリーから発表された。
第2回 2007年 世界12カ国のハンセン病回復者の指導者と、フィリピン・マニラから発表。
第3回 2008年 代表的な国際人権NGO10団体と、ロンドンから発表。
第4回 2009年 世界の各宗教団体指導者17人が署名されて、ロンドンから発表。
第5回 2010年 世界的大企業15社のCEOが署名されて、ロンドンから発表。
第6回 2011年 世界著名大学103校の学長が署名されて、北京から発表。
第7回 2012年 世界医師会と50カ国の医師会が参加して、ブラジル・サン・パウロから発表
第8回 2013年 世界法曹協会と47カ国が参加して、ロンドンから発表
第9回 2014年 39カ国の人権委員会が署名されて、ジャカルタ・インドネシアから発表。
第10回 2015年 国際看護師協会と132カ国の看護師協会が署名・参加して、東京から発表。

尚、1月27日グローバル・アピールの式典およびシンポジウムと1月30日の文芸でみるハンセン病の講演会がそれぞれUstream上で公開され、今後3〜4週間ほどアクセス可能です。

アクセスについての関連情報は下記の通りです。
1月27日に開催されたグローバル・アピール2015 式典及びシンポジウム
2月26日までアクセス可能です。

1月30日に開催された「 文芸でみるハンセン病」講演会
3月1日までアクセス可能です。

「ハンセン病とNTD問題」 [2012年10月29日(Mon)]
「ハンセン病とNTD問題」


最近NTD(Neglected Tropical Disease 顧みられない熱帯病)との闘いにWHOも努力を傾注しており、民間財団や製薬会社なども活動を活発化させようと努力中であり、大いに歓迎すべきことである。

ただ一点私が不満に思うことは、NTDという呼び方である。これは専門家や支援しようとする側のスタンスであって、日夜病気との闘いに苦しんでいる患者にとっては一時たりとも忘れることができないことである。これらの患者たちの救済に携わる側が、患者を見下すように「忘れた」病気というのは誠に失礼なことで、一つ一つの病名で対処すべきことであろう。

NTDとの闘いに多くの支援団体が参加することは喜ばしいことであり、当然、当該発展途上国政府との共働作業が不可欠である。しかし、私がハンセン病の制圧と人権問題の解決に奔走し始めたころ、私の働きは少数意見であった。多くのNGOは、汚職の噂の絶えない発展途上国の政府と共働することは好ましいことではないと、私の活動を非難したものである。しかし、私は1ドルたりとも直接政府関係者に資金を提供したことはなかった。

我々の支援活動は、WHOを通じて薬や専門家の派遣等に使用されたのである。公衆衛生の問題が、WHOは勿論のこと、当該政府の協力なくしては達成できないことは、ハンセン病の世界制圧を目前にした私の活動が正しかったことが立派に証明されたと考えている。ハンセン病制圧は、WHOにとって天然痘撲滅以来の画期的成果であり、NTDの撲滅に関与されるステークホルダーに良いケーススタディーを提供できたのではないかと自負している。

ハンセン病制圧も間近に迫っているものの問題は山積みしており、いまだ世界中で年間20万近くの新患者が発生している。ハンセン病の根絶への闘いと回復者の汚名・差別への闘いを更に進めていくため、残りの人生をかけて全力を尽くし、活動を更に強化したい。

世界の病める人々のために、WHOを中心に、各々の関心ある分野で人類の救済のために共に闘おうではありませんか。
「インドのハンセン病差別法」 [2012年10月26日(Fri)]
「インドのハンセン病差別法」


2003年、私は初めてジュネーブの国連人権理事会(当時は委員会)を訪ね、ハンセン病のスティグマや差別撤廃を訴えた。2010年12月にはニューヨークの国連総会で「ハンセン病患者、回復者及びその家族に対する差別撤廃」の決議案が加盟国192ヶ国(2010年12月時点)全ての賛成で「原則とガイドライン」と共に決議されたことはすでに報告した通りである。

ただこの決議案に拘束力はなく、このまま放置すれば忘れ去られてしまう恐れがあるが、私のハンセン病とその差別への闘いにとって有力な道具となるものではある。

私はこの決議案を世界の人々に理解してもらうために啓発活動を活発に展開しようと考え、今年1月にはブラジルで、10月にはニューデリーで、世界の人権専門家やハンセン病回復者も含め「ハンセン病と人権国際会議」を開催した。

この会議の中でインドの専門家より、ハンセン病に対する差別法についての説明があった。既に私はこれら法律を撤廃すべく活動中ではあるが、読者の参考までに下記に連記した。なお、この会議はエジプト、エチオピア、スイス(ジュネーブ)と世界五大陸で啓発のための国際会議を継続して開催します。


******************

インドハンセン病差別法


1. ムスリム結婚・離縁法(1939):
配偶者が2年間精神病の場合、またはハンセン病か悪性の性病の場合離婚が保証される。

2. 産業争議法(1947):
継続的な病弱を理由に労働者の雇用を停止することができる。

3. オリッサ地方自治体法(1950)及びオリッサ村議会法(1964):
選挙の当選者がもし精神異常者かハンセン病患者、結核患者である場合、当選資格は無効となる。議員がもし精神異常者かハンセン病患者、結核患者となった場合、その職を失うものとする。

4. 特別結婚法(1954):
もし配偶者が3年以上ハンセン病に罹っていたら離婚が保証される。

5. ヒンズー結婚法(1955):
もし配偶者が3年以上無菌性で治癒不可能なハンセン病に罹っていたら離婚が保証される。また、1年以上伝染力のあるハンセン病に罹っていたら法的別居が保証される。

6. ヒンズー養子縁組・扶助法(1956):
ヒンズー教徒の妻は、もし夫が伝染力のあるハンセン病に罹っていたら、権利を放棄することなしに夫と別居する権利が与えられる。

7. 生命保険会社法(1956):
ハンセン病患者・回復者に対して高額な保険料率の請求を認めている。


8. ラジャスタン地方自治体法(1959)及びラジャスタン村議会法(1994):
ハンセン病患者は選挙に立候補する権利がないとしている。

9. インド離婚法(1869):
配偶者が感染力のある治癒不可能なハンセン病に過去2年以上罹っている場合、その結婚は解消することができる。

10. インド鉄道法(1989):
鉄道当局は伝染性または感染性の病気に罹っている人を乗せることを拒否することができる。(ハンセン病を除外する記載がない)

11. インド・リハビリテーション法(1992)及びマディヤ・プラデシュ村議会法及びアンドラ・プラデシュ村議会法(1993):
「障害者」の定義の中で、ハンセン病による障害についてカバーしていない。

12. チャティスガール村議会法(1993):
感染症を持つハンセン病患者が村議会議員になることを禁止。

13. 障害者法(1995):
「障害」の定義にハンセン病「回復者」を含んでいるが、まだ治癒されていない患者が含まれていない。また「障害」の定義が医療的障害のみを言及し、スティグマによる社会経済的な困難については認めていない。

14. 少年司法(2000):
ハンセン病を伝染性で遺伝的にリスクのある病気と分類している。これによりハンセン病に罹った子供が特別照会サービスを通して隔離して扱われる根拠となる。

15. ボンベイ物乞い予防法(1959):
物乞い(ハンセン病患者、回復者が多い)が発見された場合、警察によって逮捕され1回目は記録され、2回目は1年以上3年未満の期間、認証施設(拘置及びトレーニングと雇用のための施設)に拘束される。一度施設に拘束されたことのある乞食が再度発見された場合10年間認証施設に拘束される。これは殺人刑の刑期10年に等しい。
「インドでのハンセン病制圧活動」 ―マディヤ・プラデーシュ州とサラン氏― [2012年10月03日(Wed)]
「インドでのハンセン病制圧活動」
―マディヤ・プラデーシュ州とサラン氏―


マディヤ・プラデーシュには2003年以来の訪問であった。

ハンセン病の制圧は勿論だが、近年、回復者の生活向上にも力を入れており、全国800ヵ所のコロニーの代表者による「インド・ナショナルフォーラム」を設立。その組織の強化も重要な仕事になってきた。

「インド・ナショナルフォーラム」の初代会長P.K.ゴパール氏が引退され、二代目会長はアンドラ・プラデーシュ州の代表である情熱家ヴァガヴァタリ・ナルサッパ氏が就任した。彼を同行し、マディア・プラデーシュ州の代表であるサラン氏と共に、シヴラジ・シン・チョウハン(Shivraj Sing Chouhan)首相に嘆願書を提出した。

首相に調査報告するサラン氏
首相に調査報告をするサラン氏.jpg

首相に報告するサラン氏.jpg


内容は、ハンセン病回復者が集団で生活するコロニーの生活改善に関するもので、主に年金の増額、食料配給カードの発行、職業訓練の実施等である。既に8月20日の私のブログで記したように、最貧州のビハール州で、行政府が確認しているコロニーは27ヵ所、年金は200ルピーであったが、当方の調査でコロニーは64ヵ所であるとの詳細な調査報告書と、年金の1000ルピーへの増額要求に対し2000ルピーの回答を得て今議会で承認されることを報告した。

マディア・プラデーシュ州の150ルピーから1000ルピーへの増額要請は、個人的には全国統一でビハール州並みの2000ルピーにしたかったが、各州のコロニーの置かれている状況も異なり、サラン代表の嘆願書に従い1000ルピーで交渉した。

首相は就任前には国会議員を4期務めていた評判の高い政治家である。担当部署が掌握しているコロニー数はたったの10ヵ所だが、当方の調査結果では34ヵ所、1459世帯、3761人であるとの調査報告書も添えて嘆願書を提出した。最重要の年金月額150ルピーを1000ルピーへの増額要請について、首相は実施すると即答された。

会見後、サランに「よかったね」とねぎらいの言葉をかけたところ、「文書で回答をもらうまでは信用できない」とにべもなく言い放った。今までも再三再四の嘆願を無視され続けてきただけに、彼の心情は痛いほどわかる。「私はビハール州には何回も足を運んで実現できた。ここにも何回でも来るよ。共にみんなのために頑張ろう」と話したらようやく微笑を浮かべてくれた。

州の独立した行政機関である人権委員会では「何でもっと早く陳情にこなかったのだ。ここは州政府に、勧告だけでなく場合によっては実施させる権限もあるのだ。これからも遠慮なく利用してほしい」と激励された。帰り道、サランは「行きたくとも交通費がなくて行けなかったんです」とぽつりと言った。

翌日サランの案内でマガスプール・コロニーを訪れた。彼は松葉杖であった。昨日は大役のため、足に合わない義足を付けて痛みを堪えていたとは知らなかった。

サラン氏と.jpg
松葉杖で現れたサラン氏にビックリ


コロニーでは「ササカワ・インド・ハンセン病財団」からの小額融資を受けて水牛を育て、ミルクを売る事業を視察した。薄暗い粗末な牛小屋には、一つしかないであろう古びた扇風機が回っていて、牛をいかに大切に扱っているか一目瞭然であった。サランに「君は財団からの支援で何かやらないのか」と聞いたところ「私は最後です。役得と思われたくないのでね」。頭のいい、あくまでも謙虚な男である。

今回のインド訪問中、駐在して活躍している日本財団職員の粟津知佳子より、「会長!! これからはコロニー訪問で見舞金を渡すのをやめて下さい。貰わないコロニーでは不満があるし、貰ったコロニーでも代表者が俺が貰ったと強弁する人もいて、問題になっていますから」との忠告を受けた。

いまでも物乞いで生活の多くを支えているコロニーの人たちが、私が訪れるというので歓迎の花飾りを買い、飲み物を買い、準備してくれた費用を彼等の生活費から出させるのは忍びなく、規模に応じて4万から多くて8万の見舞金を全員の前で激励の挨拶後に渡していた。しかし、歓迎式典のないコロニーでは見舞金を渡さなかったことも事実であった。

ささやかな感謝の気持ちも受け取る側によっては大きな波紋を呼ぶことになってしまう。粟津の忠告に従うことは当然としても、私の主義である目配り、気配り、心配り、感謝の気持ちも場合によっては害になることを知らされた。

サランほどの能力があれば、ササカワ・インド・ハンセン病財団から小額融資を受けて事業も出来るだろうに、「自分は最後だ」と言って、週に一度、密かに「物乞い」に出かけ、その金で34ヵ所のコロニーを束ね、組織の団結のために奉仕しているのである。

かつて、笹川良一は「巣鴨日記」の中で、昨日まで大臣だ大将だと威張っていた人たちが、巣鴨刑務所の風呂場で石鹸を取り合い、飯の量を多くしてくれと頼み込む姿を見て絶望したという。

「志」の高さは学歴でも貧富でもなければ役職によるのでもない。個々人の心に宿るものであることを、物乞いをしながら人々に奉仕するサランに教えられた。
「ロシア・ウクライナ ハンセン病事情」 [2012年08月24日(Fri)]
「ロシア・ウクライナ ハンセン病事情」


6月28日〜7月6日まで、ロシア、ウクライナのハンセン病療養所を訪問した。

ロシアをはじめとした旧ソ連の国々・ウクライナ、タジキスタン、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンなどでは既にハンセン病は制圧されているが、その後の実態がどうなっているのか。調査の必要性を感じながらもなかなか訪問の機会が得られなかった。この度、世界のハンセン病事情に詳しい笹川記念保健協力財団の山口和子女史がこの地域で長年活動しているドイツ人女医・ドラヴィック・ロマーナ(Dravik Romana)博士を紹介して下さり、彼女の協力で今回の訪問が実現した。

旧ソ連時代、ハンセン病のセンターであったアストラハン・ハンセン病研究所は、ロシア南部のヴォルガ河がカスピ海に流れ込むデルタ地帯にあり、現在はカザフスタンやタジキスタンから治療にきていた患者が回復者として入所している。

研究所所長のビクトール・ドゥイコ(Victor Duyco)博士は、中央アジアのタジキスタン、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンの専門家を集め、状況説明のための小規模な会議を開いて下さった。各国の保健省は、ハンセン病は既に制圧された病気として興味を失っており、最近は患者の正確な記録も存在せず、回復者の療養所も閉鎖の方向にあるとのことであった。

ヴィクトール博士と.jpg
ビクトール・ドゥイコ博士(右側)と筆者

ヴィクトール博士(男性)とセンターに検査に来ていた回復者.jpg
博士とセンターに検査に来ていた回復者


今回訪問したアストラハン、テルスキ、アビンスキ各療養所とウクライナのクチュンガン療養所も患者はゼロで回復者だけの施設になっており、療養所の存在自体が目的化され、立派な施設の中に回復者より多い医師・看護師などの生活の糧になっており、閉鎖を恐れて実態が明るみに出ることを極度に恐れているのが現実であった。

世界ではこれらの病院の機能は統合化され、病める市民に開放されて有効に活用されているのに、「ロシアでは法律でハンセン病だけの施設として定められているので統合化は必要ない」との返答に、閉鎖された空間で安逸の生活を保障された関係者の姿を見た。

ただ収穫は、タジキスタン国立ハンセン病センターのコシモフ(Kosimod)博士より、患者はアフガニスタンからタジキスタンに流れてくるとの報告であった。トルクメニスタン・ハンセン病センターのナラ(Nara)博士からは、イランのハンセン病の実情調査に、トルクメニスタンからの入国が可能との報告があった。

来年6月には是非、タジキスタンからアフガニスタンへ、トルクメニスタンからイランに入国したいと考えており、両博士は全面的な協力を約束してくれた。
楽しみなことである。

以下は2010年度の各国の登録患者数で、登録患者とはかつて患者であった回復者のこと。ドイツ人医師ロマーナ・ドラヴィック女史の調査結果である。

アゼルバイジャン 75
カザフスタン   590
キルギスタン   15
ロシア      410
タジキスタン   80
トルクメニスタン 128
ウクライナ    20
ウズベキスタン  410
ラトビア     10
エストニア    13
「ハンセン病制圧大使の続投」 [2012年06月11日(Mon)]
「ハンセン病制圧大使の続投」


5月24日、WHO(世界保健機関)の総会中で超多忙の中、各地域事務局長も出席の上、マーガレット・チャン事務局長よりハンセン病制圧大使の続投を依頼され、受託の調印式が行われた。

24日チャンWHO事務局長とのWHOハンセン病特別制圧大使の任期延長調印.jpg


筆者は名前だけの役職は苦手で、知行合一の精神で世界中で実践・活動をしてきたので、今までの活動報告も兼ね、2001年大使拝命以来の各国大統領、首相、保健大臣などの面談リスト一覧を差し上げたところ、ちょっと驚かれたような顔をされ、「だから貴男にお願いするのよ」とのお世辞を頂戴した。

チャン事務局長の前職は香港の保健局長で、サーズで活躍された。総会での保健関係者の表彰式で、アイボリーコースト出身の女性議長が「今回、マーガレット・チャン事務局長は再選(無投票)されました。今回表彰を受けるチャン氏は、おめでたいことに事務局長と同じ名前です」と紹介すると、チャン事務局長、間髪を入れず「同じチャンでも、私、そんな人知らないわ」と反発したので、総会場は笑いに包まれた。ういういしかった事務局長が余裕と貫録のある事務局長に変身していた。正に地位は人を作るということである。

それにひきかえ、日本の政治家は大臣になっても地位が人を作らないのはどうゆうわけだろうか。

夢中で働いてきたことではあるが、面談相手の多くは日本財団の人脈を通じたものであり、感慨深いものがある

以下のリストは、ハンセン病制圧活動で面談した各国指導者リストです。

1.jpg
2.jpg
3.jpg
4.jpg
5.jpg
*CARは中央アフリカ共和国

「ハンセン病制圧活動」その2 ―インド・オリッサ州ハンセン病差別法改正へ― [2012年04月06日(Fri)]
「ハンセン病制圧活動」その2
―インド・オリッサ州ハンセン病差別法改正へ―


インドは連邦国家で各州の権限が強い。2008年、インド最高裁判所は上告されたオリッサ州の州法に基づき「ハンセン病患者は他の人に病気がうつる危険を回避するため、自治体選挙への立候補や自治体で勤務することは出来ない」とするオリッサ地方自治法を支持し、原告は敗訴した。

この件について筆者は、2008年9月25日付書簡でK.G.バラクリシュマン・インド最高裁判所長官に下記のような抗議声明を発送した。

********************


このたび、オリッサ州のハンセン病患者は“感染者から他の人に病気がうつる危険を回避するため”、自治体選挙への立候補や自治体で勤務することは出来ないとする判例をインド最高裁判所が支持したとの情報に接しました。
ハンセン病は治る病気であり、感染者が最初の投薬を受けた後にはもはや他人に感染することはなく、殆どの人は感染力を持つ人と接触しても感染することはないという事実にご注目いただきたいと思います。
最高裁判所の今回の判決は、今日においてもハンセン病患者・回復者及びその家族が社会的、経済的な差別を受け、彼らが普通の生活を送れない状況に追い込まれる原因となっているハンセン病にまつわる長年のスティグマ(社会的烙印)を強化することにしかなりません。
本年6月、ジュネーブで開催された第8回国連人権理事会において、インドを含む47全理事国の満場一致により、ハンセン病患者・回復者に対するスティグマおよび差別撤廃決議が採択されています。
今回の判決に対し、その再審理が早急に最高裁判所に請求され、ハンセン病についての事実の正しい理解を反映し、患者・回復者の尊厳と人権を尊重する新たな判決が下されることを望みます。

世界保健機関ハンセン病制圧特別大使
日本国政府ハンセン病人権啓発大使
笹 川 陽 平

********************


2007年にインドのハンセン病患者・回復者がインド政府ラジャ・サバ陳情委員会に訴えた陳情の中にも、差別法の撤廃が含まれている。

委員は検討の結果、「ハンセン病患者・回復者の社会的統合とエンパワメントに関する第138レポート」が2010年11月に発表された。その中でインド政府保健省がオリッサ州保健省に当該法の改正を要請する書簡を送付し、州政府は適切な措置を取ると回答した旨が報告されている。レポートには陳情委員長に宛てた筆者の州法改正の要請状も添付された。

2012年2月21日、当該法の改正に州政府内閣も同意した。

実際の法律改正には中央政府とオリッサ州知事の承認が必要で多少時間はかかるが、改正は実現する見通しとなった。

世界は広く、現代でもこのような法律や宗教上の規則も多数あるようで、専門家に依頼して調査をしているところである。国連決議を得ても強制力はなく、悩めるハンセン病患者・回復者及び家族の平穏な日常生活を得るため、我々が一つひとつの戦いの中で勝利していく以外、今のところ方法はない。
「ハンセン病制圧活動」その1 ―差別との戦い― [2012年04月04日(Wed)]
「ハンセン病制圧活動」その1
―差別との戦い―


1月18日、今春上映予定のアニメ映画「The Pirates! Band of Misfits」の予告編の中に、ハンセン病患者・回復者に対する差別表現があり、制作会社並びに関係会社に文書で遺憾の意を伝え、速やかに当該箇所の修正、削除を求めた。

予告編には、メインキャラクターの海賊が乗り込んだ船の船員に金(gold)を要求すると、「金なんてない。この船は“らい病患者(Leper)”の船だから」と答え、「ほらね」の一言とともに船員の左腕が落ちるシーンがあった。

「Leper」は我々の努力で、2010年に国連総会本会議において全会一致で決議された「ハンセン病患者・回復者及びその家族への差別を撤廃する決議」や、これに伴う原則・ガイドラインが排除勧告している「差別用語」に当たる。ハンセン病に罹患しても腕がとれるような症状はなく、誤解と偏見・差別を助長すると抗議し、修正・削除を求めたものです。

上記抗議に対し、2月3日付で米ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント社副会長ジェフ・ブレイク氏から下記の通り、筆者宛に回答があった。

********************


近々上映予定の映画「ザ・パイレーツ・バンド・オブ・ミスフィッツ」の予告編でのハンセン病の描写に関する笹川様からのご指摘に対し、適切な対応を取るようにと弊社マイケル・リントンより連絡を受けました。
アードマン・アニメーションズは問題のシーンを放映版から全て削除すると申しております。また予告編に付きましても、全ての映画館から回収し、ウェブサイトからも削除致しました。
この度の貴重なご意見に感謝申し上げると共に、ご指摘頂いた点を正すための対応をさせて頂きましたことをご報告申し上げます。

米ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
副会長 ジェフ・ブレイク

「ペルー訪問」その5―ハンセン病施設訪問― [2012年03月02日(Fri)]
「ペルー訪問」その5
―ハンセン病施設訪問―


1月28日朝5時起床、ハンセン病回復者を激励するために飛行機で約1時間のアマゾン地帯・ウカリヤ州プカルパ市に移動する。この地域はアマゾン川の源流といわれているが、川幅は優に利根川の河口付近より広い。滔滔と流れる大河アマゾンは、ウカリヤ川とマラニョン川が合流してできた大河である。現地の人は、このウカリヤ川やマラニョン川もアマゾン川とすれば、ナイル川より流域は長く、世界一の大河になるのに残念だと嘆く。



アマゾン川の源流


隣国ブラジルは世界唯一のハンセン病未制圧国であり、インドに次いで患者数の多い国でありながら、不思議なことに、隣国ペルーの患者は極端に少なく、2011年の登録患者数はたったの32名である。ただ、アマゾン流域などアクセスが難しい僻地にはまだかなりの未発見患者がいることは推察できる。

訪れたアマゾニア・デ・ヤリナシア病院の院長は「患者の住んでいる場所が病院より遠く、なかには川を数時間も行かなければならない所もある。患者は貧しく、地域政府はハンセン病を意識しておらず専門家もいない」と嘆く。

今回は20人ほどの患者・回復者が集まってくれた。10代から年配者までいたが、年配者を除けば障害が生じている患者はおらず、順調に治療が進んでいるようであった。


ハンセン病患者の方々と


このアマゾニア・デ・ヤリナシア病院には革命家チェ・ゲバラの逸話がある。ご存知の通り、アルゼンチン出身のチェ・ゲバラはフィデル・カストロと共にキューバのマエストラ山脈に潜入。キューバ革命を成功させた人である。青年時代、医学生としてモーターバイクで南米大陸を縦断したことは「モーターサイクル・ダイアリーズ」として映画にもなり評判になった。そこではゲバラがペルー・アマゾン地帯のハンセン病療養所まで川を泳ぎきり、患者たちと交流する場面が映し出されている。1952年のことで、当時は患者が隔離され、差別も深刻だった時代だが、患者と分け隔てなく接するゲバラの姿が印象的な映画である。

その療養所はロレート州イキトスのサン・パブロ療養所で、今回訪問したプカルパからはウカリヤ川を船で4日間ほど移動したところであった。現在は廃屋になっているそうだが、機会があれば是非訪れたい場所である。ゲバラもサン・パブロ療養所だけでなく、たった二日間の滞在だったそうだが、この病院も訪れたとのこと。当時ゲバラに会ったたった一人の存命者が遠隔地に住んでいるというのに面会が叶わなかったことは残念であった。

ハンセン病患者との心温まる交流は、ゲバラの人生観を形成するうえでも意味深い体験だったのではないかと想像される。

今年は、ロシア、ウクライナ、中央アジア諸国、ルーマニア、イエメン等々の施設を訪ねて激励したいと願っている。
| 次へ