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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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「東日本大震災と絆」―神社こそ絆の原点― [2015年05月11日(Mon)]
「東日本大震災と絆」
―神社こそ絆の原点―


東日本大震災から4年が経過した。現地はまだまだ復興途上である。

大震災発生直後のメディアのキ−ワードは『絆』であった。「日本人としての絆」「被災者との絆を大切に」等々、多くのボランティアが被災者との絆を求めて復興支援に参加し、活動した。再三ご報告しているように、日本財団も多種多様な支援活動に取り組んできた。

絆とはなんだろうか? 辞書によると「断つにしのびない恩愛、離れがたい情実」とある。

私は絆の原点は神社にあると考えている。なぜならば、氏子たちは、古代から氏神に守られ、五穀豊穣に感謝して神に感謝の祭りを捧げてきた。被災地でも獅子祭の獅子踊りや太鼓、笛などを、爺、婆が孫の世代に教え、伝統を代々引き継ぐ中で、祭りの役割分担を決め、一致協力することでコミュニティーの結束を固めてきた。

日本財団では、鎮守の森がある神社こそ被災地の絆の原点と考え、祭りに使用する道具を180団体に、鎮守の森を復活させるための植樹を20カ所で、被災地の人々やボランティアの協力で行ってきた。社(やしろ)は流失、破壊されたが、被災者の皆さんには植樹した木々の成長を見守りながら、心の故郷である鎮守の森に思いを馳せていただきたく思う。

流出・崩壊した社(やしろ)は145カ所に上る。最近は、全国的に宮司が不足し、一人で20カ所もの神社を管理する宮司さんもいると聞く。神社はその氏子の寄進で成り立っており、全国的に運営が困難になりつつある。特に被災地では、氏子が仮設住宅や県外に移住した神社も多く、運営が一層困難になりつつある。

そうした中で宮城県石巻市雄勝町の葉山神社は、千葉秀司宮司の努力で社殿が再建された。この神社は雄勝法師神楽(国指定重要無形民俗文化財)の奉納で知られ、雄勝、女川地区にある18の神社の中核的存在でもある。

日本財団は1億4137万5000円を拠出して協力し、3月28日、無事、上棟記念奉祝祭が行われ氏子ら約500人が集まった。亀山紘市長も、震災後、これほど多くの町民が一度に集まったのは初めてと驚き、神楽の奉納をはじめ屋台の出店もあって、にぎやかな祭りとなった。

散餅・散銭の儀.JPG
沢山の人が集まり散餅・散銭の儀が行われた


姉妹財団である日本音楽財団がロンドンで売却したヴァイオリン「ストラディヴァリウス・レディ・ブラント」の代金11億6800万円も、日本財団・枡方瑞恵の努力によって、全額、伝統文化の復興のために活用された。

被災地の復興は、ともすれば住宅建設や道路、港湾の整備事業などに集中しがちだが、被災者にとって本当の復興は、何よりも心のケア、心の復興であり、日本財団も引き続き被災地復興に貢献したいと考えている。
「ハンセン病回復者の天皇皇后両陛下 謁見」―外国人回復者の感激― [2015年02月16日(Mon)]
「ハンセン病回復者の天皇皇后両陛下 謁見」
―外国人回復者の感激―


1月27日、日本財団と国際看護師協会が共催したハンセン病患者・回復者とその家族への差別撤廃の世界宣言「グローバル・アピール」は、安倍首相、令夫人のご出席を得て東京から発表されたことは既に述べた。

発表翌日の28日、天皇皇后両陛下は、当方2名とハンセン病回復者8名を御所にお招き下さった。

8名の回復者が二手に分かれて並び、天皇陛下と皇后陛下がそれぞれ別々に4人ずつとお話しをされ、その後、場所を交代されて全ての回復者にお声をかけて下さった。

私は、一人ひとりの手を握られ、肩を寄せ合うようにお話しされている姿を目にし、涙を禁じ得なかった。最後に「今なお病気は勿論のこと、差別に苦しんでおられる方々の指導者として活躍していただき、皆さんの生活がより良くなることを願っています」とのお言葉を頂戴した。

予定時間の15分を大幅に超えた謁見は40分にも及んだ。出席者全員が、このようなお立場の方から愛情深く心やさしく接していただき、励ましのお言葉まで頂いたことに、彼らがそれぞれの国でおかれている立場を考えると、「本当に夢を見ているようだった」と、感激を興奮した口調で口々に語ってくれた。

以下は、謁見後の記者会見での彼らの主な発言要旨です。

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★全国ハンセン病療養所入所者協議会
 森 和男会長(大島青松園)
 今日、両陛下と親しく面談させていただきました。私は10年ほど前に香川県の高松で、入所者7、8名と謁見を賜りました。
 私どもの療養所は小さな島にあります。大きな船は接岸できませんので、陛下の船は沖合に泊められ、20分ほど、入所者や職員200名余がお見送りしたことを、陛下は覚えていて下さいました。
 両陛下にお会い出来ましたことは、全国の療養所の入所者たちも喜んでいると思います。

★インド・ハンセン病回復者協会
 ヴァガヴァサリ・ナルサッパ会長
 家族からも、そして社会の人々からも手を握ってもらえない私ですが、今日はこのように両陛下が親しく握手をして下さいました。その瞬間に、私は自分がハンセン病を患い、いろいろな苦労をしてきたことを忘れました。苦しみがすっと消えました。ほんとうに忘れられない経験を、今日はいたしました。
 今日の御所での両陛下への謁見、これをメディアの皆様方から世界中に発信していただき、stigmaというものは如何なるものかということを正しく伝えていただく機会にもなったのではないかと思いますので、どうぞご協力をよろしくお願いいたします。

★クリスティ・レーン・イバルダローサ(看護師)
 私は、かつてハンセン病の島といわれたフィリピンのクリオン島から来ました。今日は、本当にこのような地位の高い方にお会いできたことを心から嬉しく思っております。私の国の大統領も、まだ天皇皇后両陛下にはお会いしていないのではないかと思います。私は非常に緊張いたしました。でも、天皇皇后両陛下が私のところに来てくださり、そしてお話をしてくださった時に、その緊張が全て解けてしまいました。なぜならば、両陛下ともお優しく、本当に心から私の言葉を聞いてくださったということで、私は嬉しく、また感激をいたしております。
 私は今回、本当に両陛下にお会い出来るということは、信じられませんでした。最初に、皇后さまが私のところに来てくださって握手をしてくださいました。私はフィリピンで看護師をしておりますと話しましたら、頑張ってねと、優しくお言葉をいただきました。また、天皇陛下にも握手をしていただき、私自身6歳の時にハンセン病に罹りましたけれど、早期治療で完治いたしましたとお話をさせていただきましたら、おじいさんは元気?と優しくお言葉をかけていただきまして、祖父は元気でフィリピンの療養所で暮らしているとお答えしました。

★ホセ・ラミレス
 アメリカのヒューストンから参りました。今日私が経験したことは、私がハンセン病と診断された時の、本当に全く逆のことでございました。私はハンセン病と診断された時、もう、生きた人間としては扱われず、教会で最期の祝福までしてもらい、そして療養所に入りました。しかし今日、両陛下にお目にかかれて、私は復活いたしました。両陛下が私に対して扉を開けて下さいました。それは何かと言いますと、差別をするstigmaの世界から、私だけでなく、私と同じ病気で苦しむ人たちのために、これからはその差別をなくして、新しい世界に飛び立っていくんだよというお言葉というか、お気持ちをいただきました。
 皇居を出る時、私の眼は涙でいっぱいで、本当に私は、特別な感激、感情を胸に抱いておりました。診断された時は、生きる屍同然であったわけですけれども、今、私は生きた人間としてハンセン病を考える、ハンセン病の回復者と共に新たな世界を作り上げていくことが、今日、私の経験したことでございます。
 両陛下に御礼を申し上げるとともに、日本財団の笹川会長にも、心から御礼を申し上げたいと思います。
 両陛下は握手をしながら、私の目を直接見てくださった。そして、テキサスのこともよくご存じで、一度テキサスに行きたいなぁとおっしゃっていただきました。皇后陛下は、私の母のこと、妻のことも聞いてくださいました。ハンセン病の世界の中での女性の役割というものを、よくよくご存じでいらしたようでございます。また、天皇陛下には治療薬のお話もさせていただきました。私がとても嬉しかったのは、天皇陛下が、このstigmaの意味についてよく理解していらしたということを、陛下のお言葉から読みとった時でございます。
 また、お二方が退出されるときに気がついたのは、皇后陛下がそっと天皇陛下に寄り添って、手を添えられて退出されたことでした。それは、本当に陛下に対しての皇后さまの愛情であると思います。
*ホセ・ラミレスは、体調が悪くて病院に行く時、救急車ではなく霊柩車で運ばれた経験があります。

★グントレッディ・ベヌゴパール(インド)
 素晴らしい経験でございました。まだまだ信じられない、まだまだ夢のように感じております。私どもハンセン病回復者が、グローバル・アピール、そしてシンポジウムに参加するために、日本にお招きいただいていたのですけれども、このように両陛下に謁見できるということは、本当に夢ではないかと思っております。
 まず最初に皇后さまにお会いいたしました。その時に、皇后さまは手を差し伸べてくださって、握手をしていただきましたが、こういう普通の距離をおいてではなく、隣りに寄り添って握手をして下さいましたことが、どんな時よりも素晴らしい経験でございました。
 私のことについてもご質問してくださいました。36年前に私はハンセン病に罹りまして、今は結婚して3人の子どもに恵まれております。子どもたちは教育も受け、仕事にも就き、一人はインドの役所に就職しております。
 続いて、天皇陛下にからは、どのような活動をしているのかというご質問をいただきました。私は笹川会長のご支援のもとに、いろいろ回復者のために活動している話とか、経済的には自立ができるようになってきたこと、差別、そしてstigmaも減少してきたというお答えをいたしました。

★パウルス(インドネシア)
 私は天皇陛下からいただいたご質問に、大変、感動いたしました。天皇陛下はインドネシアには島が多くあることをご存じでいらっしゃって、たくさんある島の中で、どのように皆さんがハンセン病のことについて教育活動を行っているのか。どのように今までやってこられたかについてのご質問で、そこまで考えていただいていることを大変嬉しく思います。
 私たちは、まだ今、苦しい状況の中で、インドネシアにおける差別に対して闘わなければいけません。今回のイベントを通じて、ここで学んだことは、政府、様々な機関からの支えがあることが、とても大事だと思います。インドネシアにおけるstigmaの差別をなくしていきたいと思います。
 皇后陛下からもお言葉をいただきました。皇后陛下は、インドネシアに2回来られたとおっしゃっていました。そのせいか、インドネシア人に対してはとても近い距離を感じているとおっしゃっておられましたので、私にそういうお言葉をいただいて、私自身、とても自信を持つことができました。その自信を持って、自分の国で、もう一度心を強くして、これからも活動してまいりたいと思います。
「ミャンマー出張」 [2015年01月30日(Fri)]
「ミャンマー出張」


2月2日(月)よりミャンマーに出張いたします。

ハンセン病の患者・回復者とその家族への差別撤廃を訴える世界宣言は、安倍首相、令夫人もご出席下さり、成功裏に終わりました。

既に報道されたました通り、28日、世界から参加したハンセン病回復者は、天皇皇后両陛下の心温まる愛情あふれる謁見に、感激ひとしおのものがございました。インドの回復者代表ナルサッパ氏は、「親族でも障害のある私の手には触れることがなかったのに、温かい御手で握手してくれました」と、涙ぐんでおりました。

ハンセン病関係の活動は、今夕の「文芸で見るハンセン病」で一段落しますので、月曜日から一泊でミャンマーに飛びます。

60年以上も続いた内戦を終結させるには、行きつ戻りつ、それでも少しでも前に進めるよう信頼関係を築く努力を続ける以外道はないと信じ、粘り強く努力しております。

帰国は4日朝の予定です。
「災害復興支援に300億円基金」―皆さまのご協力を!!― [2014年03月11日(Tue)]
災害復興支援に300億円基金」
―皆さまのご協力を!!―


日本財団は300億円の災害復興支援特別基金を設置することにしました。

東日本大震災により国民の防災に関する関心は一段と高まり、今後起こりうる首都直下型地震や南海トラフ巨大地震への対策は、日本にとって重要な課題となっています。

災害の対応について、国、自治体の果たすべき役割が非常に重要であることはご承知の通りです。しかし、東日本大震災では被害が深刻かつ広域にわたり、さらに、支援の中心的な担い手であるはずの自治体が被災してしまうなど、支援活動は困難を極めました。

被害の甚大さに加えて避難生活が長期に及んだこともあり、次々に様々な課題が生まれ、支援のニーズは複雑かつ多岐にわたりました。そこで重要な役割を果たしたのがNPO、企業、ボランティアの方々です。あらゆるニーズに対し、専門性を持ったNPOは勿論、全国から何かの役に立ちたいと集まったボランティアが支援にあたりました。大変厳しい状況にあったにも関わらず、被災者のためにそれぞれ全力を尽くしました。

例えば、日本財団との連携で「聴覚障害者への手話通訳支援」、「妊産婦のケア」、「臨時災害放送局の設置」、「MPO651団体の派遣協力」、「学生ボランティア約7,000名派遣」等々、その活動は多岐にわたり、現在も「漁業の復興」、「子供の教育」、「祭りの復興」その他多くの活動を展開中であります。

しかし、平時から災害で起こりうる様々な仕事を想定して準備をしておけばより迅速に効果的な活動ができ、もっと多くの被災者を支えることができたのではと反省しております。

日本財団は災害支援を活動の大きな柱としており、阪神・淡路大震災以降、東日本大震災を含め計40回の災害支援を行ってきました。2012年には次の災害に備えるための検討委員会を立ち上げ、これまでの経験を参考にしながら議論を重ねております。

この300億円の災害復興支援特別基金は、毎年50億円、6年間で積み立てる予定ですが、災害は明日発生するも知れません。300億円は緊急性に鑑み、予算変更して対応する準備も整えます。この基金がNPOやボランティアの迅速かつ柔軟な活動を支援し、被災地の多様なニーズに対応することで、少しでも多くの被災者を支えたいものです。より充実した支援活動を行うためにも、国民の皆様や企業からもご寄付をお願いしたいと思います。

以上が3月6日の記者会見の発表文です。

幸いNHKをはじめ、朝日、毎日、産経、東京、中日、各新聞社が報道してくれました。

**************


支援金のお願い


読者をはじめ、国民、企業、団体の皆様、将来、大地震や大水害などの災害に備えて支援金と義援金の違いにつきましては、度々このブログでも説明して参りました。

支援金は、災害発生時に活動するNPOやボランティア活動を支援するもので、「備えあれば憂いなし」。災害が発生してからの義援金のご寄付はすぐには役立ちません。是非、日本財団の300億円の災害復興支援特別基金に皆様の善意をさらに積み上げさせていただきたいのです。

支援金振り込み先

三菱東京UFJ銀行本店
普通預金 1660782
公益財団法人 日本財団

お問合せ

日本財団 03-6229-5111へ
「忘れないで3.11」―街頭募金活動― [2014年03月06日(Thu)]
「忘れないで3.11」
―街頭募金活動―


この3月11日は東日本大震災から3年目。今も約27万人の方々が仮設住宅や市町村から提供されたアパートで生活しています。

自宅建設の目途もなく、夢も希望もなくしつつある被害者の中には孤独死も増加の一方で、悲しい現実が続いてます。この現実を風化させてはならないし、今一度、国民の皆様に3.11を忘れないでもらいたいとの思いから街頭募金を行います。

日本財団の職員をはじめ、モーターボートの選手、関連団体の役職員が協力してくれることになりました。3年前の初めての街頭募金は、銀座四丁目をはじめ、人通りの多い場所で行いましたが、今回は警察の事前許可の願いを出したところ、意外に厳しく、前回私が活動した銀座四丁目は許可がおりませんでした。

3月8日(土)、3月9日(日)の両日、新橋・有楽町・品川・新宿の各駅前で行います。

通りがかりの折には是非、ご協力ください。
前回は氷雨の中、肺炎で死にかけましたので、晴天を祈っております。
第7回NPO 100万円支援先 [2011年07月01日(Fri)]
「東日本大震災への救援活動」その73
―第7回NPO 100万円支援先―


第7回のNPO 100万円支援先、71団体69,161,000円のリストをアップしました。

NPOの献身的な、そしてさまざまな被災地での活動は、多くの被災者に生きる希望と勇気を与えました。ご協力下さったNPOの皆さんに、心より感謝と御礼を申し上げます。

なお、7月からは被災者の必要とするものを必要な時に提供するという日本財団のポリシーに従い、より広く、より深く、より長く、被災者の皆さんに密着したより効果的な活動に対して、支援計画案を吟味・審査の上、100万円限度の支援を廃止し、上限なしとすることにしました。

第1回より第7回までのNPO支援は、471事業456団体、総額447,448,000円であったことを報告致します。



支援策第3弾 日本財団記者会見  [2011年06月27日(Mon)]


「東日本大震災への救援活動」その72
―支援策第3弾 日本財団記者会見―


6月21日(火)午後2時
於:日本財団ビル2階会議室

68社72名の出席を得て、東日本大震災・支援策第3弾を発表した
既に報道された案件もあるが、未報道の支援策もあるので、発表内容を簡単に紹介したい。

@ 「世界初の福島原発事故に対する放射線と健康リスク」をテーマに国際専門家会議を開催する。
現在、福島原発の風評被害は世界各国に広がっており、日本人が感じる以上に深く広く浸透しているが、日本政府はいまだ有効な情報発信を行っていない。
外務省、経済産業省、厚生労働省、国土交通省、環境省、福島県の後援を得て開催するもので、すでに世界的な著名な放射線の権威者からの参加申し込みが始まっている。日本財団にはチェルノブイリ救援活動10年間の経験があり、この会議を通じ、今後日本がとるべき具体的な対策と、福島原発事故の正しい認識が世界に広まることを期待するものである。

A 水中ロボット20台を駆使し、東京大学などと共同で水中に沈むがれきの分布状況などの海底調査を実施、漁業再開の可能性を探る。海に生きる漁民に少しでも夢と希望を与えたいと願う。

B 海洋関連高校への教習艇寄贈。
小型船舶免許や海技免許の取得のための実習、実習艇・教習艇などの必要機材を配備。在校生はこの教習艇の存在なくして実施訓練をすることができず、卒業後、すぐに海を職場とすることができない。
5学校に13隻8千万円を寄贈する。

C 被災地の造船会社37社2100名、舶用工業事業者150社2200人に総額13億5千万円を寄贈し、最低限の工場稼働を目指す。総勢4300名の雇用が確保されることになる。

D ロンドンのオークションで売却したストラディバリウス「The Lady Blunt」は、過去の売却額の4倍、12億7千420万円で落札された。日本音楽財団から全額寄贈を受け、日本財団は「伝統文化振興基金」として主に被災地の祭りを中心にした伝統文化の復興を支援する予定。

E 6月20日のブログで紹介の通り、ギャルママと協力して被災地の若ママ支援プロジェクトを実施する。

F 大震災直後からのNPOに100万円を限度にする支援プロジェクトは、456団体471件総額4億4千744万8千円となった。
大震災から3ヶ月が経過し、今後は被災地で専門的な活動を行ってもらうために100万円の上限をなくし、さらに深く支援活動を行っていただく団体を支援していく。

G 「被災地妊産婦の心のケアを含めた産前産後ケア」推進プロジェクトは、「ナチュラルローソン」との協力で行う。

H 被災障害者のための仮設福祉ハウス「日本財団ホーム」を建設
福祉専門職のヘルパーを常駐させたバリアフリーの仮設住宅を開設。

I 孫 正義氏個人から、1億円の寄付があった。

以上の詳細は、 日本財団の「東日本大震災に対する支援策」にアップされております。
第6回NPO 100万円支援リスト [2011年06月27日(Mon)]
「東日本大震災への救援活動」その71
―第6回NPO 100万円支援リスト―


支援リストを見て、いかに幅広い分野でNPOが活動しているかをご理解下さい。
これらNPOのささやかな活動の積み重ねなくして、被災地の復興はあり得ません。

しかし、やはり政府の支援活動も望みたいものです。




障害者向け仮設住宅 [2011年06月17日(Fri)]
「東日本大震災への救援活動」その69
―障害者向け仮設住宅―



被災地の避難所には老若男女、赤子から様々な障害を持った方々まで、大震災以来3ヶ月もの間、共同生活を余儀なくされている。

特に障害者は、家屋が倒壊したり津波で流出しただけでなく、介護者となる両親が亡くなったケースもある。また、障害者を抱える家族は、避難所生活でも一般の被災者に迷惑をかけまいと精神的疲労やストレスも高く、障害者を取り巻く生活環境は厳しさを増している。

こうした背景から、障害者が家族と安心して暮らせる仮設住宅の必要性がさけばれてきた。幸い、社会福祉法人・石巻祥心会(穴戸義光理事長)の格別の理解を得て、ケア付き仮設住宅「小国の郷(さと)」の建設がはじまった。

仮設住宅は単身用の14個室(約4畳半)と、バス、トイレ、キッチンが付いた世帯用の40室(約9畳)の2種類。単身用には共同で使用できる食堂やバス、トイレなども完備する。5人のスタッフも常駐し、各種生活相談や緊急時の対応、家事援助などに当たる。通院や買い物などの送迎サービスも検討中。

事業費の約1億7000万円は日本財団が全額負担する。

被災者の生活の中には色々な問題が内包されており、顕著化しないし報道もされない問題が多くある。日本財団の職員は現地でよく観察の上問題点をピックアップし、スピード感を持って事業化する判断力と行動力は誠に素晴らしい。筆者は実に恵まれた環境にいることをしみじみと感じる。

次回のガングロ・ギャルママの活動もユニークで素晴らしい。

6月15日のブログで「自画自賛は謹むべし」と書き、舌の根も乾かぬうちにこのありさま。職員の働きに、つい嬉しくなってしまったのです。
乞う、ご了解。


<支援金募金>

500,000,000円 一般財団法人 全国モーターボート競走施行者協議会
231,440,000円 ダイムラー・ベンツ
10,000,000円 (財)正光会 理事長 渡部三郎様    
7,191,214円 命の貯蓄体操
7,126,200円 the American jewish joint distribution inc   
5,000,000円 在日米国商工会議所
2,894,367円 伊丹市長・伊丹市競艇事業所
1,927,675円 シェ・イノ
1,500,000円 (株)ナカノフドー建設
1,500,000円 ナカノフドー友愛会
1,000,000円 下村 のぶ子様
1,000,000円 (株)シンコー 様 
1,000,000円 山中造船(株)
1,000,000円 ヤンマー(株)
1,000,000円 匿名             

有難く、心より御礼申し上げます。
責任をもって、大切に活用させていただきます。
              
臨時災害放送局の設置 その評価 [2011年06月15日(Wed)]

お配りするラジオへのシール貼り
ボランティアが大活躍


「東日本大震災への救援活動」その68
―臨時災害放送局の設置 その評価―



被災者の情報不足をカバーするために臨時災害放送局18局の立ち上げを支援したことはすでに報告した通りである。先般、石巻の臨時災害放送局でスリン・ピッツワン・アセアン事務局長と共に出演した。

その折、関係者から支援への感謝の言葉をいただいたが、我々の活動に自画自賛は禁物。客観的評価こそ重要と考えていたところ、ダイヤモンド社のオンラインの情報サイトに「被災地取材特別レポート第2弾」で、「震災で見直された地域メディアの実力」と題しての記事があったので紹介します。

石巻日日新聞の手書きの壁新聞はワシントンの博物館で永久保存され、海外でも高い評価を得た。この部分は重復するので、災害放送の部分のみを抜粋、掲載しました。

****************


【被災地取材 特別レポート第2弾】
メディアにも多様性を。震災で見直された「地域メディア」の実力

非常時には「情報」が要る。大きな災害の時はなおさらだ。今回の東日本大震災でも、貴重な情報を得たり、拡散させたりするのに、Twitterやフェイスブックなどのインターネットが大きな役割を果たした。多くの読者はそう感じていると思う。しかし、多くの被災者は違う。「インターネットは何の役にも立たなかった」。それが被災地、特に三陸など津波被害を受けた地域の人々の実感だろう。

 サーベイリサーチセンターが2011年4月28日に発表した【東日本大地震に関する宮城県沿岸部における被災地アンケートの調査結果】によれば、地震発生後の情報源としてもっとも役立ったものはラジオ(50.8%)、ついで新聞(12.6%)。TwitterやSNSなどは0.4%であり、パソコンは0%。ネットはまったく役に立たなかったという評価が下された。そう言えるだろう。

 震災から2ヵ月がたった時点でも、被災地ではインターネットは完全には回復していなかった。実際に筆者がGWに東松島市の避難所を訪れた際に、ほしいものは何かを聞いてみたのだが、多くの人が「インターネットがほしい」と答えた。5月初旬の時点で、インターネットが通じていない避難所はかなり多かったことだろう。

 加えて、東北の被災地には高齢者が多く、そもそもパソコンもスマートフォンも持っていないし使えないという方も多い。このような状況で役に立つのはいわゆる“オールド・メディア”で、特に「ラジオ」と「新聞」が株を上げた。新聞は電気がなくても読めるし、ラジオも乾電池があれば聞くことができる。そういったメディア特性が今回の災害時に大いに役立ったわけだが、その特性を活かしたのは現場で働く人たちの「意志」である。

被災地に続々と災害FMが開局。
被災者自身もパーソナリティに

 大きな災害の時にはいつも地元メディアが頑張るものだが、今回の東日本大震災では「災害FM」という新しいメディアが続々と立ち上がっている。正式には「臨時災害放送局」といい、大きな災害時にその被害を軽減するために、臨時に設置される放送局だ。口頭による申請で即座に免許が発行され周波数が割り当てられる。阪神・淡路大震災や中越沖地震の時にも設置されたが、今回は被害が広域にわたっていることもあり、30近い災害FM局が立ち上がっている。

  震災からもうすぐ3ヵ月になろうとしているいま、時間と共に被災者が必要とする情報も変化している。震災直後は、家族や友人の安否や被害の状況、救援物資の配布情報などが必要とされていた。しかしやがて、被災証明書の手続き方法や仮設住宅入居への申し込み方法、義援金の受け取り方法、ガレキ撤去の日程など、生活に関連した情報へとニーズも刻々と変わっているのだ。

 このようなニーズの変化にきめ細かく対応し、住民に伝えていけるのは地元に密着した災害FMである。福島県の災害FM局では、地元の放射線量を随時伝えているという。

 放送局を市役所や町役場、防災センターなど行政機関の建物に置いている場合も多い。岩手県大船渡市に開局された「おおふなとさいがいエフエム」も、大船渡市役所庁舎内にスタジオを置き、電波を送出している。運営母体は大船渡市役所だが、実際の運営は約10名のボランティアが行なっている。

 チーフ・プロデューサーの佐藤健さんも本職は整体師。しかし、津波で自宅も流され、仕事もない状態になってしまった。そこで、災害FM局が立ち上がったときに、知人から手伝ってくれと頼まれて手伝うことにした。開局は3月31日。もちろんラジオの仕事も初めてで最初はよく分からなかったが、運営に携わっているうちに、災害FMというものは聴いている人がホントに必要としている情報を流せることが分かってきた。この仕事の重要性も強く感じたという。

 放送時間は朝8時から夕方までの2時間ずつ4回の合計8時間。被災地では、市役所など行政機関からのお知らせも重要な情報であるため、おおふなとさいがいエフエムは市役所庁舎内にスタジオがあり、そうした情報を迅速に伝えている。

 また、開局当初は春休みということもあり、地元の女子高生もパーソナリティを務めていた。避難所から通ってくるボランティアもおり、被災者の目線で番組を考えられるから、被災者が本当に必要とする情報、聴きたいと思っていることを伝えることができるという。

 ラジオはもともと、パーソナリティとリスナーの距離感が近いメディアだが、災害FMではその距離感がさらに近い。というか、地元の女子高生が普通に喋っているなどほとんどご近所さん感覚で、それが災害FMというメディアの特性だ。被災地の人たち、とくに避難所の人たちにとっては、このようなご近所感覚が安心感や癒しを与えてくれるものなのだろう。

メディアにも多様性を。
被災地のコミュニティメディアから学ぶ

 このように、災害FMには実利的にも心理的にも地元住民にとってのメリットは大きいが、問題となるのは資金だ。開局するにも運営するにもお金がかかる。災害FMはCMを流すことができないし、そもそも被災地では地元企業もスポンサーになる余裕もない。

そこで日本財団は、資金面で災害FMを支援することを決定。開局補助金として、新規開局の場合は50万円。既存のコミュニティFMを災害FMに切り替える場合は20万円を提供。また、運営資金として、ボランティア・ベースの新規開局の場合は、毎月150万円。コミュニティFMからの切り替えの場合は毎月200万円が運営補助金として提供される(最大4ヵ月)。さらには、取材に必要な車両の購入費も150万円を限度に補助される。

 メディアは立ち上げることよりも運営することの方が重要だし、そこにお金もかかる。被災地を取材するにはクルマが必要だが、そのガソリン代だけでもバカにならない。これを自分たちも被災者であるボランティアが負担することは無理がある。日本財団の支援の仕組みは、メディア運営の現実に即した支援策だといえる。これまでに、岩手、宮城、福島の三県で合計18局を支援している。

 また、これとは別に、日本財団は被災者に対してラジオを無償提供。GW中に1万個を配布。これに加えて3万個を5月中に配布予定。必要に応じてさらに提供していくという。

 災害FMの免許期間は2ヵ月だ。更新は可能だが、災害被害の軽減を目的とした制度なのでいずれ更新されなくなるだろう。ちなみに、阪神大震災の時に開局された災害FM局は約1ヵ月、2004年の中越沖地震の時は約3ヵ月で閉局している。

 しかし、今回の東北地方においては災害FM局が地元コミュニティの再形成に役立っている。災害FMはおもしろいということで、テレビを見なくなったという人も多いと聞く。地元に密着した災害FMだからこそ、復興に向けた町の、住民の息づかいまで伝わってくる。新たなコミュニティ意識も生まれてくる。だから、災害FMを残したい、残して欲しいという声も高いという。意欲のある災害FM局は、コミュニティFMとして残っていくかもしれない。運営は厳しいだろうが、東北復興にはコミュニティのチカラが不可欠だとすれば、地元新聞と共に、コミュニティFMの存在も必要なのだろう。

 今回の震災では、インターネットは万能ではないことが示された。同時に、マスメディアを中心に、メディアのあり方も問われた。今回筆者が改めて感じたのは、「メディアにも多様性が必要」ということだ。マスメディア一辺倒ではなく、今回のようなコミュニティメディアが見直されたことは、非常にいいことだと思う。
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