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笹川陽平(ささかわようへい)の国内外における活動の記録。このブログを通じて、私の毎日を覗いてみてください。

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第7回NPO 100万円支援先 [2011年07月01日(Fri)]
「東日本大震災への救援活動」その73
―第7回NPO 100万円支援先―


第7回のNPO 100万円支援先、71団体69,161,000円のリストをアップしました。

NPOの献身的な、そしてさまざまな被災地での活動は、多くの被災者に生きる希望と勇気を与えました。ご協力下さったNPOの皆さんに、心より感謝と御礼を申し上げます。

なお、7月からは被災者の必要とするものを必要な時に提供するという日本財団のポリシーに従い、より広く、より深く、より長く、被災者の皆さんに密着したより効果的な活動に対して、支援計画案を吟味・審査の上、100万円限度の支援を廃止し、上限なしとすることにしました。

第1回より第7回までのNPO支援は、471事業456団体、総額447,448,000円であったことを報告致します。



支援策第3弾 日本財団記者会見  [2011年06月27日(Mon)]


「東日本大震災への救援活動」その72
―支援策第3弾 日本財団記者会見―


6月21日(火)午後2時
於:日本財団ビル2階会議室

68社72名の出席を得て、東日本大震災・支援策第3弾を発表した
既に報道された案件もあるが、未報道の支援策もあるので、発表内容を簡単に紹介したい。

@ 「世界初の福島原発事故に対する放射線と健康リスク」をテーマに国際専門家会議を開催する。
現在、福島原発の風評被害は世界各国に広がっており、日本人が感じる以上に深く広く浸透しているが、日本政府はいまだ有効な情報発信を行っていない。
外務省、経済産業省、厚生労働省、国土交通省、環境省、福島県の後援を得て開催するもので、すでに世界的な著名な放射線の権威者からの参加申し込みが始まっている。日本財団にはチェルノブイリ救援活動10年間の経験があり、この会議を通じ、今後日本がとるべき具体的な対策と、福島原発事故の正しい認識が世界に広まることを期待するものである。

A 水中ロボット20台を駆使し、東京大学などと共同で水中に沈むがれきの分布状況などの海底調査を実施、漁業再開の可能性を探る。海に生きる漁民に少しでも夢と希望を与えたいと願う。

B 海洋関連高校への教習艇寄贈。
小型船舶免許や海技免許の取得のための実習、実習艇・教習艇などの必要機材を配備。在校生はこの教習艇の存在なくして実施訓練をすることができず、卒業後、すぐに海を職場とすることができない。
5学校に13隻8千万円を寄贈する。

C 被災地の造船会社37社2100名、舶用工業事業者150社2200人に総額13億5千万円を寄贈し、最低限の工場稼働を目指す。総勢4300名の雇用が確保されることになる。

D ロンドンのオークションで売却したストラディバリウス「The Lady Blunt」は、過去の売却額の4倍、12億7千420万円で落札された。日本音楽財団から全額寄贈を受け、日本財団は「伝統文化振興基金」として主に被災地の祭りを中心にした伝統文化の復興を支援する予定。

E 6月20日のブログで紹介の通り、ギャルママと協力して被災地の若ママ支援プロジェクトを実施する。

F 大震災直後からのNPOに100万円を限度にする支援プロジェクトは、456団体471件総額4億4千744万8千円となった。
大震災から3ヶ月が経過し、今後は被災地で専門的な活動を行ってもらうために100万円の上限をなくし、さらに深く支援活動を行っていただく団体を支援していく。

G 「被災地妊産婦の心のケアを含めた産前産後ケア」推進プロジェクトは、「ナチュラルローソン」との協力で行う。

H 被災障害者のための仮設福祉ハウス「日本財団ホーム」を建設
福祉専門職のヘルパーを常駐させたバリアフリーの仮設住宅を開設。

I 孫 正義氏個人から、1億円の寄付があった。

以上の詳細は、 日本財団の「東日本大震災に対する支援策」にアップされております。
第6回NPO 100万円支援リスト [2011年06月27日(Mon)]
「東日本大震災への救援活動」その71
―第6回NPO 100万円支援リスト―


支援リストを見て、いかに幅広い分野でNPOが活動しているかをご理解下さい。
これらNPOのささやかな活動の積み重ねなくして、被災地の復興はあり得ません。

しかし、やはり政府の支援活動も望みたいものです。




障害者向け仮設住宅 [2011年06月17日(Fri)]
「東日本大震災への救援活動」その69
―障害者向け仮設住宅―



被災地の避難所には老若男女、赤子から様々な障害を持った方々まで、大震災以来3ヶ月もの間、共同生活を余儀なくされている。

特に障害者は、家屋が倒壊したり津波で流出しただけでなく、介護者となる両親が亡くなったケースもある。また、障害者を抱える家族は、避難所生活でも一般の被災者に迷惑をかけまいと精神的疲労やストレスも高く、障害者を取り巻く生活環境は厳しさを増している。

こうした背景から、障害者が家族と安心して暮らせる仮設住宅の必要性がさけばれてきた。幸い、社会福祉法人・石巻祥心会(穴戸義光理事長)の格別の理解を得て、ケア付き仮設住宅「小国の郷(さと)」の建設がはじまった。

仮設住宅は単身用の14個室(約4畳半)と、バス、トイレ、キッチンが付いた世帯用の40室(約9畳)の2種類。単身用には共同で使用できる食堂やバス、トイレなども完備する。5人のスタッフも常駐し、各種生活相談や緊急時の対応、家事援助などに当たる。通院や買い物などの送迎サービスも検討中。

事業費の約1億7000万円は日本財団が全額負担する。

被災者の生活の中には色々な問題が内包されており、顕著化しないし報道もされない問題が多くある。日本財団の職員は現地でよく観察の上問題点をピックアップし、スピード感を持って事業化する判断力と行動力は誠に素晴らしい。筆者は実に恵まれた環境にいることをしみじみと感じる。

次回のガングロ・ギャルママの活動もユニークで素晴らしい。

6月15日のブログで「自画自賛は謹むべし」と書き、舌の根も乾かぬうちにこのありさま。職員の働きに、つい嬉しくなってしまったのです。
乞う、ご了解。


<支援金募金>

500,000,000円 一般財団法人 全国モーターボート競走施行者協議会
231,440,000円 ダイムラー・ベンツ
10,000,000円 (財)正光会 理事長 渡部三郎様    
7,191,214円 命の貯蓄体操
7,126,200円 the American jewish joint distribution inc   
5,000,000円 在日米国商工会議所
2,894,367円 伊丹市長・伊丹市競艇事業所
1,927,675円 シェ・イノ
1,500,000円 (株)ナカノフドー建設
1,500,000円 ナカノフドー友愛会
1,000,000円 下村 のぶ子様
1,000,000円 (株)シンコー 様 
1,000,000円 山中造船(株)
1,000,000円 ヤンマー(株)
1,000,000円 匿名             

有難く、心より御礼申し上げます。
責任をもって、大切に活用させていただきます。
              
臨時災害放送局の設置 その評価 [2011年06月15日(Wed)]

お配りするラジオへのシール貼り
ボランティアが大活躍


「東日本大震災への救援活動」その68
―臨時災害放送局の設置 その評価―



被災者の情報不足をカバーするために臨時災害放送局18局の立ち上げを支援したことはすでに報告した通りである。先般、石巻の臨時災害放送局でスリン・ピッツワン・アセアン事務局長と共に出演した。

その折、関係者から支援への感謝の言葉をいただいたが、我々の活動に自画自賛は禁物。客観的評価こそ重要と考えていたところ、ダイヤモンド社のオンラインの情報サイトに「被災地取材特別レポート第2弾」で、「震災で見直された地域メディアの実力」と題しての記事があったので紹介します。

石巻日日新聞の手書きの壁新聞はワシントンの博物館で永久保存され、海外でも高い評価を得た。この部分は重復するので、災害放送の部分のみを抜粋、掲載しました。

****************


【被災地取材 特別レポート第2弾】
メディアにも多様性を。震災で見直された「地域メディア」の実力

非常時には「情報」が要る。大きな災害の時はなおさらだ。今回の東日本大震災でも、貴重な情報を得たり、拡散させたりするのに、Twitterやフェイスブックなどのインターネットが大きな役割を果たした。多くの読者はそう感じていると思う。しかし、多くの被災者は違う。「インターネットは何の役にも立たなかった」。それが被災地、特に三陸など津波被害を受けた地域の人々の実感だろう。

 サーベイリサーチセンターが2011年4月28日に発表した【東日本大地震に関する宮城県沿岸部における被災地アンケートの調査結果】によれば、地震発生後の情報源としてもっとも役立ったものはラジオ(50.8%)、ついで新聞(12.6%)。TwitterやSNSなどは0.4%であり、パソコンは0%。ネットはまったく役に立たなかったという評価が下された。そう言えるだろう。

 震災から2ヵ月がたった時点でも、被災地ではインターネットは完全には回復していなかった。実際に筆者がGWに東松島市の避難所を訪れた際に、ほしいものは何かを聞いてみたのだが、多くの人が「インターネットがほしい」と答えた。5月初旬の時点で、インターネットが通じていない避難所はかなり多かったことだろう。

 加えて、東北の被災地には高齢者が多く、そもそもパソコンもスマートフォンも持っていないし使えないという方も多い。このような状況で役に立つのはいわゆる“オールド・メディア”で、特に「ラジオ」と「新聞」が株を上げた。新聞は電気がなくても読めるし、ラジオも乾電池があれば聞くことができる。そういったメディア特性が今回の災害時に大いに役立ったわけだが、その特性を活かしたのは現場で働く人たちの「意志」である。

被災地に続々と災害FMが開局。
被災者自身もパーソナリティに

 大きな災害の時にはいつも地元メディアが頑張るものだが、今回の東日本大震災では「災害FM」という新しいメディアが続々と立ち上がっている。正式には「臨時災害放送局」といい、大きな災害時にその被害を軽減するために、臨時に設置される放送局だ。口頭による申請で即座に免許が発行され周波数が割り当てられる。阪神・淡路大震災や中越沖地震の時にも設置されたが、今回は被害が広域にわたっていることもあり、30近い災害FM局が立ち上がっている。

  震災からもうすぐ3ヵ月になろうとしているいま、時間と共に被災者が必要とする情報も変化している。震災直後は、家族や友人の安否や被害の状況、救援物資の配布情報などが必要とされていた。しかしやがて、被災証明書の手続き方法や仮設住宅入居への申し込み方法、義援金の受け取り方法、ガレキ撤去の日程など、生活に関連した情報へとニーズも刻々と変わっているのだ。

 このようなニーズの変化にきめ細かく対応し、住民に伝えていけるのは地元に密着した災害FMである。福島県の災害FM局では、地元の放射線量を随時伝えているという。

 放送局を市役所や町役場、防災センターなど行政機関の建物に置いている場合も多い。岩手県大船渡市に開局された「おおふなとさいがいエフエム」も、大船渡市役所庁舎内にスタジオを置き、電波を送出している。運営母体は大船渡市役所だが、実際の運営は約10名のボランティアが行なっている。

 チーフ・プロデューサーの佐藤健さんも本職は整体師。しかし、津波で自宅も流され、仕事もない状態になってしまった。そこで、災害FM局が立ち上がったときに、知人から手伝ってくれと頼まれて手伝うことにした。開局は3月31日。もちろんラジオの仕事も初めてで最初はよく分からなかったが、運営に携わっているうちに、災害FMというものは聴いている人がホントに必要としている情報を流せることが分かってきた。この仕事の重要性も強く感じたという。

 放送時間は朝8時から夕方までの2時間ずつ4回の合計8時間。被災地では、市役所など行政機関からのお知らせも重要な情報であるため、おおふなとさいがいエフエムは市役所庁舎内にスタジオがあり、そうした情報を迅速に伝えている。

 また、開局当初は春休みということもあり、地元の女子高生もパーソナリティを務めていた。避難所から通ってくるボランティアもおり、被災者の目線で番組を考えられるから、被災者が本当に必要とする情報、聴きたいと思っていることを伝えることができるという。

 ラジオはもともと、パーソナリティとリスナーの距離感が近いメディアだが、災害FMではその距離感がさらに近い。というか、地元の女子高生が普通に喋っているなどほとんどご近所さん感覚で、それが災害FMというメディアの特性だ。被災地の人たち、とくに避難所の人たちにとっては、このようなご近所感覚が安心感や癒しを与えてくれるものなのだろう。

メディアにも多様性を。
被災地のコミュニティメディアから学ぶ

 このように、災害FMには実利的にも心理的にも地元住民にとってのメリットは大きいが、問題となるのは資金だ。開局するにも運営するにもお金がかかる。災害FMはCMを流すことができないし、そもそも被災地では地元企業もスポンサーになる余裕もない。

そこで日本財団は、資金面で災害FMを支援することを決定。開局補助金として、新規開局の場合は50万円。既存のコミュニティFMを災害FMに切り替える場合は20万円を提供。また、運営資金として、ボランティア・ベースの新規開局の場合は、毎月150万円。コミュニティFMからの切り替えの場合は毎月200万円が運営補助金として提供される(最大4ヵ月)。さらには、取材に必要な車両の購入費も150万円を限度に補助される。

 メディアは立ち上げることよりも運営することの方が重要だし、そこにお金もかかる。被災地を取材するにはクルマが必要だが、そのガソリン代だけでもバカにならない。これを自分たちも被災者であるボランティアが負担することは無理がある。日本財団の支援の仕組みは、メディア運営の現実に即した支援策だといえる。これまでに、岩手、宮城、福島の三県で合計18局を支援している。

 また、これとは別に、日本財団は被災者に対してラジオを無償提供。GW中に1万個を配布。これに加えて3万個を5月中に配布予定。必要に応じてさらに提供していくという。

 災害FMの免許期間は2ヵ月だ。更新は可能だが、災害被害の軽減を目的とした制度なのでいずれ更新されなくなるだろう。ちなみに、阪神大震災の時に開局された災害FM局は約1ヵ月、2004年の中越沖地震の時は約3ヵ月で閉局している。

 しかし、今回の東北地方においては災害FM局が地元コミュニティの再形成に役立っている。災害FMはおもしろいということで、テレビを見なくなったという人も多いと聞く。地元に密着した災害FMだからこそ、復興に向けた町の、住民の息づかいまで伝わってくる。新たなコミュニティ意識も生まれてくる。だから、災害FMを残したい、残して欲しいという声も高いという。意欲のある災害FM局は、コミュニティFMとして残っていくかもしれない。運営は厳しいだろうが、東北復興にはコミュニティのチカラが不可欠だとすれば、地元新聞と共に、コミュニティFMの存在も必要なのだろう。

 今回の震災では、インターネットは万能ではないことが示された。同時に、マスメディアを中心に、メディアのあり方も問われた。今回筆者が改めて感じたのは、「メディアにも多様性が必要」ということだ。マスメディア一辺倒ではなく、今回のようなコミュニティメディアが見直されたことは、非常にいいことだと思う。
中国人が見た足湯ボランティア [2011年06月06日(Mon)]

石巻で活動する足湯ボランティア


「東日本大震災への救援活動」その66
―中国人が見た足湯ボランティア―


日本財団は継続的に「足湯ボランティア」を被災地に派遣し、好評を得ている。そこには経験に裏付けされたノウハウがある。

笹川日中友好基金の招待で来日した中国企業家が被災地を視察した。以下は同行した中国ネットメディアの林楚方氏のルポタージュである。

筆者の説明より説得力があるので、下記に転載させていただく。

***************


私が追跡したボランティア達の中に、浦田尚美さんという、NHKなど多数のテレビ局でヘアメイクの仕事をしている女性がいた。「東北ではあんなに大勢の人が亡くなったのに、私はヘアメイクなどしていてよいのか?」。震災後、自分の仕事に大きな戸惑いを覚えた彼女は、日本財団(笹川日中友好基金の上部機関)の組織するボランティア活動に参加した。その任務は、被災者への「足湯マッサージ」だった。中国の友人にこの話をすると、多くの人から、「日本人はそんないかがわしいことをしているのか?」、という反応が返ってくる。しかし、その後の経験から、彼らの足湯マッサージは、組織化された、目的のあるもので、そのプロセスはとても入念なものだということを、私は知った。

4月18日午前、私達は、「足湯ボランティア」の研修に参加した。講師は次のように、参加者に語った。「被災者の多くは、1ヶ月の間、入浴もできずにいますから、足湯マッサージは、楽しみになりますし、リラックスしてもらうことができます。また、肌と肌との触れ合いは、知らない人との間に信頼感を生むのには最適な方法ですから、彼らが何を求めているのかを聞き出すことができます。夜、帰って来てから、それを班長に報告し、班長はそれを取りまとめて組長に報告し、組長は組織者に報告し、組織者はボランティアセンターに報告し、ボランティアセンターはそれらのニーズに基づいて、また、新しいボランティアを手配します」。この話を聞いて、私は漸くそのことに気が付き、大きなショックを受けた。

日本の友人によれば、日本では異性によるマッサージは稀なそうだが、今回の被災者への足湯マッサージは、正に、異性が異性に行うもので、マッサージされる側が心地良くなってくれれば、本心を語ってくれる。「恋愛感情が芽生えるとかは、心配しなくてもいいですよ。相手はおじいさん、おばあさんばかりですから」と、講師が説明を加えると、会場の参加者達からは、大きな笑い声が上がった。講師は、1995年の阪神大震災でボランティア活動をした経験があり、神戸では、家を失い、家族も行方不明になったおじいさんが、一人の女性のマッサージを受けた後、「こんな美人の女の子がマッサージをしてくれるんなら、死んでもいいな」、と冗談を言ったのだと、当時の思い出を語った。「私が言いたいのは、被災者の心を解きほぐす、ということです」。参加した80名以上のボランティアのうち、6割が30歳以上の女性で、その他に、20数名の青年と数人のおじいさんもいて、おじいさん達は被災地のおばさん達にマッサージをしてあげるのだろう、と考えた。

研修は4時間近くも続き、その特別に入念な訓練の中で、講師は遭遇する可能性のある様々な問題について語った。例えば、最初から、敏感な話題に触れてはならないこと。「お子さんは?」「行方不明です」、「ご親戚は?」「連絡が取れません」、「家はどうでしたか?」「流されました」、等々。お互いが打ち解けるのを待って、相手が自主的に話すようにしなければならない。

更に細かい質問も、次々と出された。「もし、子供の面倒を見てくれと言われたら、どうすれば良いですか?」という、一人の女性からの質問に、講師は次のように答えた。「自分は、保育に関する資格を持っていないことを伝えます。それでもと相手が言う場合は、班長に指示を仰ぎますが、自分から保育の資格を持っていると言ってはいけません。被災者が、あなたに活躍の場を与えようとして、実際には、相手の負担になってしまう可能性があります」。

「時間になっても帰らない人がいたら、どうすれば良いでしょう?」という女性の質問に対し、講師は、「『時間が来たから終わりだ』と言ってはいけません、相手を傷つけてしまいます。救援物資を運んでいる近くのボランティアの人に、『時間が来たから、他の人が待っていますよ』と言ってもらいましょう」、と答えた。

また、「最初に顔を合わせる時は、マスクを外した方がいいですか?」という女性の質問に対し、講師は、「挨拶の時には外しますが、足湯をする際には自然に掛けましょう」、と答えた。

「方言が分からなくて、相手の方が気を悪くされることはありませんか?」 という女性の質問には、講師は少し間を置いて、「それは…、私も分かりませんね…」と答え、会場はまた笑い声に包まれた。「大切なのは、被災者の方にとって便利なこと、そして、被災者の方を尊重することです」。

また、ある講義では、講師とボランティアの一人が足湯をしている場面を演じ、そこでの遣り取りには、会場が何度も大爆笑させられた。日本人というのは、いつでも真面目なのだと思っていたが、誤解をしていたようだ。日本の友人によれば、彼らは訓練を面白くしようとしているのだという。そうでないと、誰も聞いてくれない。「急いでいるから、今回の訓練は、やや大雑把な内容になっている。彼らは訓練には特に気を使っていて、2日間の活動でも、訓練に1日を費やしたりするんだ」。


足湯ボランティアのための事前研修(於:日本財団ビル)


▽辛い時こそ、笑顔を
19日、私達は足湯の現場に到着した。ボランティア達の準備作業は、とても入念で、手際が良い。ガスボンベを設置して大鍋を載せると、お湯を沸かし始め、倉庫のような大きな部屋にブルーシートを敷く。準備の間も、衛生面への配慮は欠かさず、部屋の出入の際も、毎回、下足からスリッパに履き替え、また、スリッパから下足に履き替える。

日本人の特長は、災難に遭った時ほど、頑張り、笑顔になることだ。私達が出会ったおばあさんは、家を失い、家族も亡くなったようだが、それでも彼女は、「津波が来ても、桜は咲いたよ」と微笑んで、Vサインをして見せた。あの時はもう少しで涙が出そうになったと、後になって、小山さんが言った。足湯の会場では、このおばあさんが言ったもう1つの言葉、「辛い時こそ、笑顔を」が実証されていた。

見ず知らずの人達が素早く組織され、効率的に活動していることに、私はとても興味を覚えた。日本人の友人によれば、今、目にしているような効果的な組織化は、1995年の阪神大震災の教訓があったからだ。阪神大震災の時には、何万人ものボランティアが大量に被災地に入ったが、現地には受け入れの体制がなく、需要があっても人手が確保できず、人手があっても需要が把握できず、グルグル廻るだけで帰ってしまう人が多かった。また、ボランティアを装って、現地で商売をする人もいて、被災地に大きな混乱を招いたという。その後、日本のボランティア団体は、全国にボランティアの受け入れセンターを設立し、連絡体制を整え、ボランティアを組織的な活動へと変えた。

「足湯」を通して、被災者のニーズを知るというのも、阪神大震災後の教訓である。ボランティアの木村奈々恵さんは、阪神大震災での経験を、次のように語る。「当時は、足湯という手段がなくて、避難所で暇そうな人を探しては情報を集めていました。けれど、被災地で暇そうな人といえば子供ばかりで、有効な情報を集めることはできず、『家に帰りたい』とか、『住む家が欲しい』『家族に会いたい』とか、私達にはできないことばかりでした。でも、足湯ができた後は、人と人との距離が素早く縮まって、マッサージを受けながら、本音を語ることができるようになりました。足湯にこれほど大きな力があるとは思いませんでした」。
「東日本大震災の募金活動」その2 [2011年06月03日(Fri)]

インド・タミルナドゥのハンセン病回復者たちと


「東日本大震災への救援活動」その65
―東日本大震災の募金活動 その2―
―貧者の一灯―

日本財団の東日本大震災の支援金は、外国からも多くの寄付をいただいた。

いち早くヴァーシュラフ・ハヴェル・元チェコ共和国大統領、ノーベル平和賞受賞者のデズモンド・ツツ大主教(南アフリカ)、ダライ・ラマ師、ヨルダン王国王子・ローマクラブ会長のエル・ハッサン・ビン・タラール氏、フランスの哲学者・アンドレ・グラックスマン氏、カーネギー財団理事長(アメリカ)のヴァルタン・グレゴリアン氏、フレデリック・ウィリアム・デ・クラーク・元南アフリカ共和国大統領、グローバル・エシックス財団会長(ドイツ)・ハンス・クング氏、宗教思想家(アメリカ)・マイケル・ノバック氏、カレル・シュワルツェンブルグ・チェコ外務大臣、グリゴリー・ヤブリンスキー・ロシア政治家・元「ヤブロコ」党首、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー元ドイツ連邦大統領が被災者救援へのグローバル・アピールの中で日本財団への募金を呼びかけてくれたせいか、ダイムラー・ベンツ社からは、特殊車両20台を含む車両50台と200万ユーロ(2億6千万円)の支援が届いた。

他にも海外の多くの人々から支援金が寄せられ、金額の多少ではなく、少額でも心のこもった募金が日本財団に寄せられたこともご報告させていただきたい。

日系二世の笹川奨学金グループは、打村 明代表を中心に、率先して街頭募金活動を計画、実践。その上、学生ボランティアのリーダー役も務めて大活躍。又、バングラディッシュの留学生も街頭募金を日本財団に届けてくれた。

トルコでは、昨年、新潟にあったトルコの英雄・アタチュルコ像の和歌山県串本町への移動・建立が、トルコ・日本120年記念式典に間に合ったせいか、トルコの一流新聞が日本財団への募金を呼びかけてくれた。

中国からは、笹川医学奨学金制度で来日した2,000人を超える医師や、日本図書258万冊の寄贈を受けた各大学、日本知識クイズ大会及び作文コンクールに関わりのある団体や個人、笹川日中友好基金の来日プログラムに参加された団体や個人が総額21,973,897円の寄付。

さらに、中国のハンセン病回復者を支援するNPO、HANDAの事務局長、陳志強氏が中心となって「献金」を呼び掛けたところ、広州市にある17の回復者村の村人761人とHANDAスタッフ全員から、合計254,000円の寄付が寄せられた。

筆者にもっとも感動を与えてくれたのは、インドのハンセン病回復者からの寄付であった。

南インドのタミルナドゥ州を中心に、2,145名から61,449ルピー(約11万円)の寄付をいただいた。筆者のライフワークであるハンセン病の制圧活動と回復者の社会復帰支援への活動は、力不足から、今だにカースト外の存在として困難な差別の中での生活を強いられている。その中で一人20ルピー(約36円)も送ってくれたのである。2,145名の中には乞食で生活費を稼いでいる人も多くいるにちがいない。彼らの実生活を知る者として、極貧生活の中での施しの精神は涙が出るほど嬉しい感動的な出来事であった。

かつて筆者は、インドで罪深いことをしたことがある。

狐狸庵先生こと作家の遠藤周作氏がインド旅行中、乗っているバスにたくさんの乞食の手が差し出されることに困惑し、逆に自分が乞食の前に手を出したところ、彼らは手を出さなくなったとの経験談を読んだことがある。筆者もオールドデリーを散歩中に5〜6人の乞食の少年少女に取り囲まれた折、一人の少女の目を見ながらそっと手を差し出した。しばらくの沈黙の後、その少女は左手に持っていた一枚のコインを筆者の手の平に置いた。あわてて返そうとしたが、少女は黙って踵(きびす)を返し、立ち去ってしまった。

若気の至りで少女を傷つけてしまったことは、今も筆者の心に苦い思い出として残り、インドに行くたびにあの少女は今頃どうしているかと、大いに反省しているところである。

ジェームズ・ウォルフェンソン世界銀行総裁(当時)が、かつて中央アジアを旅行した折、旅の安全をと、貧しい少女に道でコインをもらった話をされたことがある。施こしの精神は先進国だけのものでも、富める者だけのものでもない。例をあげた通り、今日、明日の食べ物の当てのない貧者にも施こしの精神があるのである。

今回の募金で、インドの極貧生活者からの「貧者の一灯」には大いに考えさせられるものがあった。筆者の後半生を彼らの生活向上のために捧げる決意をしたことに間違いのないことを確信した。
「東日本大震災の募金活動」その64 [2011年06月01日(Wed)]

被災児向けの授業「あおぞら教室」


「東日本大震災の救援活動」その64
―支援金と義援金の違い―

日本財団では、阪神・淡路大震災から今回の東日本大震災まで、地震・水害、ナホトカ号油流出事故等々、29回全ての災害救援活動に参加してきたが、募金活動は今回が初めてのことであった。

実に多くの方々から募金が寄せられ、筆者をはじめ職員一同、その責任の重大さを痛感すると共に、使途についての説明責任、会計報告は勿論のこと、透明性の100%確保は当然の義務と考え、日夜努力しているところである。

特に「支援金と義援金の違い」について掲載した4月1日7日14日のブログは読者の協力で大反響となり、日本財団への支援金募金に多数の善意が寄せられ、お礼の返信に忙殺されたことは、筆者にとって誠に嬉しい朝の日課となった。

支援金は現地で毎日ボランティア活動を展開しているNPOの死命を制するもので、唯一、日本財団がこれら多数のNPOを支えているといっても過言ではない。既に4月7日の第一回NPO支援以来5月末日までに助成先は306団体316件、総額2億9870万4000円にのぼり、即効性のある活動として評価も得ているが、死者・行方不明者の弔慰金・見舞金約12億円、被災地の臨時災害放送の立ち上げとラジオ4万台の配布に約2億1000万円、妊産婦産前産後のケアのための各地助産婦会への支援金6200万円、障害者向け仮設住宅建設に1億7000万円と、大口の資金が必要となってきている。

読者の皆様におかれましては、さらなる募金協力と共に、友人・知人の方々に被災地支援は日本赤十字社等の義援金も必要だが、現場で毎日被災者支援に汗水垂らしているNPO支援こそ重要であり、そのために日本財団への支援金に募金されるよう伝言願いたいものである。

日本赤十字社、赤い羽根募金、各種メディアの募金活動は9月をもって一応終了する予定であるが、日本財団では、避難所から仮設住宅、そして自宅建設まで、早くて5年、あるいは7年はかかるものと推定しており、被災者にはその間も様々なケアを必要とすることは、阪神・淡路大震災で身をもって経験している。

息の長い支援活動募金への協力と、一人でも多くの皆様に義援金と支援金の違いをご理解いただき、日本財団の活動へのご協力を重ねてお願い申し上げます。


<支援金募金>
10,454,404円 B&G「全国市長会議」会長・新潟県胎内市 吉田和夫市長
       B&G「全国町村長会議」会長・青森県南部町 工藤裕直町長
B&G「全国指導者会」会長・青森県南部町 工藤裕直町長
2,092,528円 日本将棋連盟 
1,350,000円 (株)舵社    
1,246,787円 (社)日本モーターボート選手会岡山支部  
1,041,000円 ラブインベル ノナカトウキチ様           
1,000,000円 (株)共立機械製作所  
1,000,000円 匿名希望 

<第四次NPO支援明細>



<第五次NPO支援明細>

学生ボランティア その2 [2011年05月18日(Wed)]

被災地で子ども達と遊ぶ留学生ボランティア


「東日本大震災への救援活動」その63
―学生ボランティア その2―

日本財団が派遣する学生ボランティアは、出発前に職員によるしっかりとした説明会を行い、現地では日本財団のロゴを背中や胸に貼りつけるので規律も作業態度も良く、現地での評判は勿論のこと、ボランティア終了後には参加証明書も発行するので参加学生自身にも好評である。

学生ボランティアは5月連休後には急減すると報道されてるが、今後も被災地では多くのボランティアを必要としており、一過性のブームではなく、継続的な支援体制こそ重要である。

日本財団の姉妹組織である「日本財団学生ボランティアセンター」では、この際に各大学との連携を確立し、可能ならば覚書を締結。参加の呼びかけに大学当局にも協力願い、継続的に安定供給の役割を果たしていきたいと考えている。

遠くは沖縄の琉球大学をはじめ、全国から多額の費用を自弁の上5日間、パンとカップラーメンで頑張り通した学生に敬意を表し、下記に今までの日本の大学生の出身校と、すでにその活動がTBSテレビから放映された外国人留学生ボランティアの出身国を記しました。




今後の大学生のボランティア派遣予定は下記の通りです。

第5陣 5月20日〜23日
第6陣 6月3日〜6日
第7陣 6月10日〜13日
第8陣 6月24日〜27日

いずれも100名募集です。
詳しくは日本財団ROADプロジェクト・ウェブサイトをご覧ください。

あわせて、前回のボランティア活動の様子を同行した日系ユース・ネットワーク関係者が映像にして日本財団Facebookページに投稿してくれていますのでぜひご覧ください。
学生ボランティア その1 [2011年05月17日(Tue)]

海上保安大学校の海保体操


「東日本大震災への救援活動」その62

連休を中心に、被災地には全国から心ある学生ボランティアが集まり、瓦礫の撤去をはじめさまざまな分野で活動、汗を流してくれた。被災直後の「日本は一つ」の連帯意識が若者の心の中にしっかりと意識されたとしたら、望外のことである。

簡単に参加しているように見える学生ボランティアであるが、日本財団の例を見ると、相当な覚悟で挑んでいることが分かる。

日本財団から被災地までの往復バス代以外はすべて自己負担である。12時に受付で1400円の損害保険に加入。被災地の映像を見せながら財団職員が現地での作業内容、緊急時の避難場所の説明、秩序ある行動をとるために7〜8人に一人の小隊長の任命、指揮命令系統の確認等を行い、15時頃、3泊5日間の作業に出発するわけだが、寝袋、長靴、手袋、食糧、全て個人負担、個人持参なので、エベレスト登山かと思われる重装備の学生もいる。しかし、それぞれ秘めたる責任感、志を持っての参加で、底抜けに明るい表情に学生らしい若さを感じ、見送る方も心が弾む。

多くのボランティアが参加する被災地の中で、先般、防衛大学、海上保安大学の学生を中心に、牡鹿地区の漁村で、陸に打ち上げられた牡蠣棚、魚網、ブイ、漁船、イカリ等々、山にまで散乱した津波の爪痕の整理に汗を流した。回収したブイだけで3000個余りになり、失意のどん底にあった漁民もボランティアの活動を目のあたりにして発奮。「皆に本当に助けてもらった。何年かかっても俺ら必ずまたおいしい牡蠣を作るから、この浜に帰って来いよ。牡蠣をいっぱい食わせてやるからな!!」と別れを惜しんだという。


学生ボランティアにより回収されたブイ


筆者は学生ボランティアの出発式で「人生とは何か、生きるとは何か、自然と科学技術の関係等々、作業を通じて『何か』を考えてきてほしい」と偉そうな激励をしたが、十分にこたえてくれたと確信している。

防衛大学生と海上保安大学の学生は、日頃の鍛錬(たんれん)で鍛えあげられた体力と集団生活の中で養われた規律で、当然といえば当然だが、普通の大学生とは大いに異なる。作業場所での「海保体操」は独特のもので、他大学生の笑いを誘いながらも好評であったらしい。

座学も重要だが、生きた学問を学ぶ機会でもあるので、早速、鈴木久泰海上保安庁長官に休日を利用して海上保安大学生全員のボランティア参加を要請した。厳しい大学のカリキュラムの合間を活用し、全員参加を了承してくれた。

海上保安大学生の海辺での真摯な活動は、多くの漁民に今一度、海で生きる希望を与えるに違いない。



<支援金募金>
10,000,000円 大村市モーターボート競走事業部 
7,873,323円 (社)日本造船協力事業者団体連合会
2,000,000円 当麻町会計管理者
1,248,480円 Mr. Ca Van Tran (ベトナム障害者支援協会代表)

有難く、心より御礼申し上げます。
責任をもって、大切に活用させていただきます。

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