石巻で活動する足湯ボランティア
「東日本大震災への救援活動」その66
―中国人が見た足湯ボランティア―
日本財団は継続的に「足湯ボランティア」を被災地に派遣し、好評を得ている。そこには経験に裏付けされたノウハウがある。
笹川日中友好基金の招待で来日した中国企業家が被災地を視察した。以下は同行した中国ネットメディアの林楚方氏のルポタージュである。
筆者の説明より説得力があるので、下記に転載させていただく。
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私が追跡したボランティア達の中に、浦田尚美さんという、NHKなど多数のテレビ局でヘアメイクの仕事をしている女性がいた。「東北ではあんなに大勢の人が亡くなったのに、私はヘアメイクなどしていてよいのか?」。震災後、自分の仕事に大きな戸惑いを覚えた彼女は、日本財団(笹川日中友好基金の上部機関)の組織するボランティア活動に参加した。その任務は、被災者への「足湯マッサージ」だった。中国の友人にこの話をすると、多くの人から、「日本人はそんないかがわしいことをしているのか?」、という反応が返ってくる。しかし、その後の経験から、彼らの足湯マッサージは、組織化された、目的のあるもので、そのプロセスはとても入念なものだということを、私は知った。
4月18日午前、私達は、「足湯ボランティア」の研修に参加した。講師は次のように、参加者に語った。「被災者の多くは、1ヶ月の間、入浴もできずにいますから、足湯マッサージは、楽しみになりますし、リラックスしてもらうことができます。また、肌と肌との触れ合いは、知らない人との間に信頼感を生むのには最適な方法ですから、彼らが何を求めているのかを聞き出すことができます。夜、帰って来てから、それを班長に報告し、班長はそれを取りまとめて組長に報告し、組長は組織者に報告し、組織者はボランティアセンターに報告し、ボランティアセンターはそれらのニーズに基づいて、また、新しいボランティアを手配します」。この話を聞いて、私は漸くそのことに気が付き、大きなショックを受けた。
日本の友人によれば、日本では異性によるマッサージは稀なそうだが、今回の被災者への足湯マッサージは、正に、異性が異性に行うもので、マッサージされる側が心地良くなってくれれば、本心を語ってくれる。「恋愛感情が芽生えるとかは、心配しなくてもいいですよ。相手はおじいさん、おばあさんばかりですから」と、講師が説明を加えると、会場の参加者達からは、大きな笑い声が上がった。講師は、1995年の阪神大震災でボランティア活動をした経験があり、神戸では、家を失い、家族も行方不明になったおじいさんが、一人の女性のマッサージを受けた後、「こんな美人の女の子がマッサージをしてくれるんなら、死んでもいいな」、と冗談を言ったのだと、当時の思い出を語った。「私が言いたいのは、被災者の心を解きほぐす、ということです」。参加した80名以上のボランティアのうち、6割が30歳以上の女性で、その他に、20数名の青年と数人のおじいさんもいて、おじいさん達は被災地のおばさん達にマッサージをしてあげるのだろう、と考えた。
研修は4時間近くも続き、その特別に入念な訓練の中で、講師は遭遇する可能性のある様々な問題について語った。例えば、最初から、敏感な話題に触れてはならないこと。「お子さんは?」「行方不明です」、「ご親戚は?」「連絡が取れません」、「家はどうでしたか?」「流されました」、等々。お互いが打ち解けるのを待って、相手が自主的に話すようにしなければならない。
更に細かい質問も、次々と出された。「もし、子供の面倒を見てくれと言われたら、どうすれば良いですか?」という、一人の女性からの質問に、講師は次のように答えた。「自分は、保育に関する資格を持っていないことを伝えます。それでもと相手が言う場合は、班長に指示を仰ぎますが、自分から保育の資格を持っていると言ってはいけません。被災者が、あなたに活躍の場を与えようとして、実際には、相手の負担になってしまう可能性があります」。
「時間になっても帰らない人がいたら、どうすれば良いでしょう?」という女性の質問に対し、講師は、「『時間が来たから終わりだ』と言ってはいけません、相手を傷つけてしまいます。救援物資を運んでいる近くのボランティアの人に、『時間が来たから、他の人が待っていますよ』と言ってもらいましょう」、と答えた。
また、「最初に顔を合わせる時は、マスクを外した方がいいですか?」という女性の質問に対し、講師は、「挨拶の時には外しますが、足湯をする際には自然に掛けましょう」、と答えた。
「方言が分からなくて、相手の方が気を悪くされることはありませんか?」 という女性の質問には、講師は少し間を置いて、「それは…、私も分かりませんね…」と答え、会場はまた笑い声に包まれた。「大切なのは、被災者の方にとって便利なこと、そして、被災者の方を尊重することです」。
また、ある講義では、講師とボランティアの一人が足湯をしている場面を演じ、そこでの遣り取りには、会場が何度も大爆笑させられた。日本人というのは、いつでも真面目なのだと思っていたが、誤解をしていたようだ。日本の友人によれば、彼らは訓練を面白くしようとしているのだという。そうでないと、誰も聞いてくれない。「急いでいるから、今回の訓練は、やや大雑把な内容になっている。彼らは訓練には特に気を使っていて、2日間の活動でも、訓練に1日を費やしたりするんだ」。
足湯ボランティアのための事前研修(於:日本財団ビル)
▽辛い時こそ、笑顔を
19日、私達は足湯の現場に到着した。ボランティア達の準備作業は、とても入念で、手際が良い。ガスボンベを設置して大鍋を載せると、お湯を沸かし始め、倉庫のような大きな部屋にブルーシートを敷く。準備の間も、衛生面への配慮は欠かさず、部屋の出入の際も、毎回、下足からスリッパに履き替え、また、スリッパから下足に履き替える。
日本人の特長は、災難に遭った時ほど、頑張り、笑顔になることだ。私達が出会ったおばあさんは、家を失い、家族も亡くなったようだが、それでも彼女は、「津波が来ても、桜は咲いたよ」と微笑んで、Vサインをして見せた。あの時はもう少しで涙が出そうになったと、後になって、小山さんが言った。足湯の会場では、このおばあさんが言ったもう1つの言葉、「辛い時こそ、笑顔を」が実証されていた。
見ず知らずの人達が素早く組織され、効率的に活動していることに、私はとても興味を覚えた。日本人の友人によれば、今、目にしているような効果的な組織化は、1995年の阪神大震災の教訓があったからだ。阪神大震災の時には、何万人ものボランティアが大量に被災地に入ったが、現地には受け入れの体制がなく、需要があっても人手が確保できず、人手があっても需要が把握できず、グルグル廻るだけで帰ってしまう人が多かった。また、ボランティアを装って、現地で商売をする人もいて、被災地に大きな混乱を招いたという。その後、日本のボランティア団体は、全国にボランティアの受け入れセンターを設立し、連絡体制を整え、ボランティアを組織的な活動へと変えた。
「足湯」を通して、被災者のニーズを知るというのも、阪神大震災後の教訓である。ボランティアの木村奈々恵さんは、阪神大震災での経験を、次のように語る。「当時は、足湯という手段がなくて、避難所で暇そうな人を探しては情報を集めていました。けれど、被災地で暇そうな人といえば子供ばかりで、有効な情報を集めることはできず、『家に帰りたい』とか、『住む家が欲しい』『家族に会いたい』とか、私達にはできないことばかりでした。でも、足湯ができた後は、人と人との距離が素早く縮まって、マッサージを受けながら、本音を語ることができるようになりました。足湯にこれほど大きな力があるとは思いませんでした」。