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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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「中国の小話」その114―バレンタインデー― [2017年02月15日(Wed)]
「中国の小話」その114
―バレンタインデー―

 
近年、中国でも急速にバレンタインデーが定着してきた。
日本では本命とか義理チョコとの言葉がありますが、さすが中国は即物的ですね。


バレンタインデーの映画館

バレンタインデーの映画館は、熱々のカップルで一杯だった。
突然、映画館のスタッフがステージに上がって
「お客さんの中に他人の妻を連れてきた人はいませんか? 
 相手の主人は命がけでやり合う構えで入口で待ってますよ」
と叫んだ。

館内がシーンとしたところで、スタッフはさらに
「悲劇を見たくないので、これから映写を中断し、館内の照明も切って裏玄関を開けますので、早く逃げてください」
と呼びかけた。

照明が消されると、館内は一気に騒がしくなり、僅か数分後にスタッフが再度照明を付けてみたら、観客席は既に空っぽ。赤いバラの花だけが地面一面に捨てられていました。



バレンタインデーの食事

バレンタインデーの日、男性は電話で意中の女性を執拗に誘っている。
男性:今日電話したのは他でもなく、ただ君にご馳走したいと思っただけだ。
女性:本当?じゃ、どこで。どのランクのご馳走をしてくれるのかな?
男性:会ってくれさえすれば、君の行きたいレストランはどこでもいいよ。
女性:多分あたしの行きたいところに連れてもらうのは無理だわ。
男性:俺の実力を信用してくれよ。どこでも連れていくよ。
女性:じゃ、あなたの家に行って、奥様の手料理をご馳走になるわ。
男性:????
しばらくして、電話は切れた。
1月21日(土)・1月22日(日) [2017年01月22日(Sun)]
1月21日(土)

6:30 朝食

8:15 ホテル発

8:50 空港着

11:00 ワシントン発、成田空港へ


1月22日(日)

15:00 成田着
「東日本大震災と絆」―神社こそ絆の原点― [2015年05月11日(Mon)]
「東日本大震災と絆」
―神社こそ絆の原点―


東日本大震災から4年が経過した。現地はまだまだ復興途上である。

大震災発生直後のメディアのキ−ワードは『絆』であった。「日本人としての絆」「被災者との絆を大切に」等々、多くのボランティアが被災者との絆を求めて復興支援に参加し、活動した。再三ご報告しているように、日本財団も多種多様な支援活動に取り組んできた。

絆とはなんだろうか? 辞書によると「断つにしのびない恩愛、離れがたい情実」とある。

私は絆の原点は神社にあると考えている。なぜならば、氏子たちは、古代から氏神に守られ、五穀豊穣に感謝して神に感謝の祭りを捧げてきた。被災地でも獅子祭の獅子踊りや太鼓、笛などを、爺、婆が孫の世代に教え、伝統を代々引き継ぐ中で、祭りの役割分担を決め、一致協力することでコミュニティーの結束を固めてきた。

日本財団では、鎮守の森がある神社こそ被災地の絆の原点と考え、祭りに使用する道具を180団体に、鎮守の森を復活させるための植樹を20カ所で、被災地の人々やボランティアの協力で行ってきた。社(やしろ)は流失、破壊されたが、被災者の皆さんには植樹した木々の成長を見守りながら、心の故郷である鎮守の森に思いを馳せていただきたく思う。

流出・崩壊した社(やしろ)は145カ所に上る。最近は、全国的に宮司が不足し、一人で20カ所もの神社を管理する宮司さんもいると聞く。神社はその氏子の寄進で成り立っており、全国的に運営が困難になりつつある。特に被災地では、氏子が仮設住宅や県外に移住した神社も多く、運営が一層困難になりつつある。

そうした中で宮城県石巻市雄勝町の葉山神社は、千葉秀司宮司の努力で社殿が再建された。この神社は雄勝法師神楽(国指定重要無形民俗文化財)の奉納で知られ、雄勝、女川地区にある18の神社の中核的存在でもある。

日本財団は1億4137万5000円を拠出して協力し、3月28日、無事、上棟記念奉祝祭が行われ氏子ら約500人が集まった。亀山紘市長も、震災後、これほど多くの町民が一度に集まったのは初めてと驚き、神楽の奉納をはじめ屋台の出店もあって、にぎやかな祭りとなった。

散餅・散銭の儀.JPG
沢山の人が集まり散餅・散銭の儀が行われた


姉妹財団である日本音楽財団がロンドンで売却したヴァイオリン「ストラディヴァリウス・レディ・ブラント」の代金11億6800万円も、日本財団・枡方瑞恵の努力によって、全額、伝統文化の復興のために活用された。

被災地の復興は、ともすれば住宅建設や道路、港湾の整備事業などに集中しがちだが、被災者にとって本当の復興は、何よりも心のケア、心の復興であり、日本財団も引き続き被災地復興に貢献したいと考えている。
「ハンセン病回復者の天皇皇后両陛下 謁見」―外国人回復者の感激― [2015年02月16日(Mon)]
「ハンセン病回復者の天皇皇后両陛下 謁見」
―外国人回復者の感激―


1月27日、日本財団と国際看護師協会が共催したハンセン病患者・回復者とその家族への差別撤廃の世界宣言「グローバル・アピール」は、安倍首相、令夫人のご出席を得て東京から発表されたことは既に述べた。

発表翌日の28日、天皇皇后両陛下は、当方2名とハンセン病回復者8名を御所にお招き下さった。

8名の回復者が二手に分かれて並び、天皇陛下と皇后陛下がそれぞれ別々に4人ずつとお話しをされ、その後、場所を交代されて全ての回復者にお声をかけて下さった。

私は、一人ひとりの手を握られ、肩を寄せ合うようにお話しされている姿を目にし、涙を禁じ得なかった。最後に「今なお病気は勿論のこと、差別に苦しんでおられる方々の指導者として活躍していただき、皆さんの生活がより良くなることを願っています」とのお言葉を頂戴した。

予定時間の15分を大幅に超えた謁見は40分にも及んだ。出席者全員が、このようなお立場の方から愛情深く心やさしく接していただき、励ましのお言葉まで頂いたことに、彼らがそれぞれの国でおかれている立場を考えると、「本当に夢を見ているようだった」と、感激を興奮した口調で口々に語ってくれた。

以下は、謁見後の記者会見での彼らの主な発言要旨です。

201501280040.jpg


★全国ハンセン病療養所入所者協議会
 森 和男会長(大島青松園)
 今日、両陛下と親しく面談させていただきました。私は10年ほど前に香川県の高松で、入所者7、8名と謁見を賜りました。
 私どもの療養所は小さな島にあります。大きな船は接岸できませんので、陛下の船は沖合に泊められ、20分ほど、入所者や職員200名余がお見送りしたことを、陛下は覚えていて下さいました。
 両陛下にお会い出来ましたことは、全国の療養所の入所者たちも喜んでいると思います。

★インド・ハンセン病回復者協会
 ヴァガヴァサリ・ナルサッパ会長
 家族からも、そして社会の人々からも手を握ってもらえない私ですが、今日はこのように両陛下が親しく握手をして下さいました。その瞬間に、私は自分がハンセン病を患い、いろいろな苦労をしてきたことを忘れました。苦しみがすっと消えました。ほんとうに忘れられない経験を、今日はいたしました。
 今日の御所での両陛下への謁見、これをメディアの皆様方から世界中に発信していただき、stigmaというものは如何なるものかということを正しく伝えていただく機会にもなったのではないかと思いますので、どうぞご協力をよろしくお願いいたします。

★クリスティ・レーン・イバルダローサ(看護師)
 私は、かつてハンセン病の島といわれたフィリピンのクリオン島から来ました。今日は、本当にこのような地位の高い方にお会いできたことを心から嬉しく思っております。私の国の大統領も、まだ天皇皇后両陛下にはお会いしていないのではないかと思います。私は非常に緊張いたしました。でも、天皇皇后両陛下が私のところに来てくださり、そしてお話をしてくださった時に、その緊張が全て解けてしまいました。なぜならば、両陛下ともお優しく、本当に心から私の言葉を聞いてくださったということで、私は嬉しく、また感激をいたしております。
 私は今回、本当に両陛下にお会い出来るということは、信じられませんでした。最初に、皇后さまが私のところに来てくださって握手をしてくださいました。私はフィリピンで看護師をしておりますと話しましたら、頑張ってねと、優しくお言葉をいただきました。また、天皇陛下にも握手をしていただき、私自身6歳の時にハンセン病に罹りましたけれど、早期治療で完治いたしましたとお話をさせていただきましたら、おじいさんは元気?と優しくお言葉をかけていただきまして、祖父は元気でフィリピンの療養所で暮らしているとお答えしました。

★ホセ・ラミレス
 アメリカのヒューストンから参りました。今日私が経験したことは、私がハンセン病と診断された時の、本当に全く逆のことでございました。私はハンセン病と診断された時、もう、生きた人間としては扱われず、教会で最期の祝福までしてもらい、そして療養所に入りました。しかし今日、両陛下にお目にかかれて、私は復活いたしました。両陛下が私に対して扉を開けて下さいました。それは何かと言いますと、差別をするstigmaの世界から、私だけでなく、私と同じ病気で苦しむ人たちのために、これからはその差別をなくして、新しい世界に飛び立っていくんだよというお言葉というか、お気持ちをいただきました。
 皇居を出る時、私の眼は涙でいっぱいで、本当に私は、特別な感激、感情を胸に抱いておりました。診断された時は、生きる屍同然であったわけですけれども、今、私は生きた人間としてハンセン病を考える、ハンセン病の回復者と共に新たな世界を作り上げていくことが、今日、私の経験したことでございます。
 両陛下に御礼を申し上げるとともに、日本財団の笹川会長にも、心から御礼を申し上げたいと思います。
 両陛下は握手をしながら、私の目を直接見てくださった。そして、テキサスのこともよくご存じで、一度テキサスに行きたいなぁとおっしゃっていただきました。皇后陛下は、私の母のこと、妻のことも聞いてくださいました。ハンセン病の世界の中での女性の役割というものを、よくよくご存じでいらしたようでございます。また、天皇陛下には治療薬のお話もさせていただきました。私がとても嬉しかったのは、天皇陛下が、このstigmaの意味についてよく理解していらしたということを、陛下のお言葉から読みとった時でございます。
 また、お二方が退出されるときに気がついたのは、皇后陛下がそっと天皇陛下に寄り添って、手を添えられて退出されたことでした。それは、本当に陛下に対しての皇后さまの愛情であると思います。
*ホセ・ラミレスは、体調が悪くて病院に行く時、救急車ではなく霊柩車で運ばれた経験があります。

★グントレッディ・ベヌゴパール(インド)
 素晴らしい経験でございました。まだまだ信じられない、まだまだ夢のように感じております。私どもハンセン病回復者が、グローバル・アピール、そしてシンポジウムに参加するために、日本にお招きいただいていたのですけれども、このように両陛下に謁見できるということは、本当に夢ではないかと思っております。
 まず最初に皇后さまにお会いいたしました。その時に、皇后さまは手を差し伸べてくださって、握手をしていただきましたが、こういう普通の距離をおいてではなく、隣りに寄り添って握手をして下さいましたことが、どんな時よりも素晴らしい経験でございました。
 私のことについてもご質問してくださいました。36年前に私はハンセン病に罹りまして、今は結婚して3人の子どもに恵まれております。子どもたちは教育も受け、仕事にも就き、一人はインドの役所に就職しております。
 続いて、天皇陛下にからは、どのような活動をしているのかというご質問をいただきました。私は笹川会長のご支援のもとに、いろいろ回復者のために活動している話とか、経済的には自立ができるようになってきたこと、差別、そしてstigmaも減少してきたというお答えをいたしました。

★パウルス(インドネシア)
 私は天皇陛下からいただいたご質問に、大変、感動いたしました。天皇陛下はインドネシアには島が多くあることをご存じでいらっしゃって、たくさんある島の中で、どのように皆さんがハンセン病のことについて教育活動を行っているのか。どのように今までやってこられたかについてのご質問で、そこまで考えていただいていることを大変嬉しく思います。
 私たちは、まだ今、苦しい状況の中で、インドネシアにおける差別に対して闘わなければいけません。今回のイベントを通じて、ここで学んだことは、政府、様々な機関からの支えがあることが、とても大事だと思います。インドネシアにおけるstigmaの差別をなくしていきたいと思います。
 皇后陛下からもお言葉をいただきました。皇后陛下は、インドネシアに2回来られたとおっしゃっていました。そのせいか、インドネシア人に対してはとても近い距離を感じているとおっしゃっておられましたので、私にそういうお言葉をいただいて、私自身、とても自信を持つことができました。その自信を持って、自分の国で、もう一度心を強くして、これからも活動してまいりたいと思います。
「ミャンマー出張」 [2015年01月30日(Fri)]
「ミャンマー出張」


2月2日(月)よりミャンマーに出張いたします。

ハンセン病の患者・回復者とその家族への差別撤廃を訴える世界宣言は、安倍首相、令夫人もご出席下さり、成功裏に終わりました。

既に報道されたました通り、28日、世界から参加したハンセン病回復者は、天皇皇后両陛下の心温まる愛情あふれる謁見に、感激ひとしおのものがございました。インドの回復者代表ナルサッパ氏は、「親族でも障害のある私の手には触れることがなかったのに、温かい御手で握手してくれました」と、涙ぐんでおりました。

ハンセン病関係の活動は、今夕の「文芸で見るハンセン病」で一段落しますので、月曜日から一泊でミャンマーに飛びます。

60年以上も続いた内戦を終結させるには、行きつ戻りつ、それでも少しでも前に進めるよう信頼関係を築く努力を続ける以外道はないと信じ、粘り強く努力しております。

帰国は4日朝の予定です。
「災害復興支援に300億円基金」―皆さまのご協力を!!― [2014年03月11日(Tue)]
災害復興支援に300億円基金」
―皆さまのご協力を!!―


日本財団は300億円の災害復興支援特別基金を設置することにしました。

東日本大震災により国民の防災に関する関心は一段と高まり、今後起こりうる首都直下型地震や南海トラフ巨大地震への対策は、日本にとって重要な課題となっています。

災害の対応について、国、自治体の果たすべき役割が非常に重要であることはご承知の通りです。しかし、東日本大震災では被害が深刻かつ広域にわたり、さらに、支援の中心的な担い手であるはずの自治体が被災してしまうなど、支援活動は困難を極めました。

被害の甚大さに加えて避難生活が長期に及んだこともあり、次々に様々な課題が生まれ、支援のニーズは複雑かつ多岐にわたりました。そこで重要な役割を果たしたのがNPO、企業、ボランティアの方々です。あらゆるニーズに対し、専門性を持ったNPOは勿論、全国から何かの役に立ちたいと集まったボランティアが支援にあたりました。大変厳しい状況にあったにも関わらず、被災者のためにそれぞれ全力を尽くしました。

例えば、日本財団との連携で「聴覚障害者への手話通訳支援」、「妊産婦のケア」、「臨時災害放送局の設置」、「MPO651団体の派遣協力」、「学生ボランティア約7,000名派遣」等々、その活動は多岐にわたり、現在も「漁業の復興」、「子供の教育」、「祭りの復興」その他多くの活動を展開中であります。

しかし、平時から災害で起こりうる様々な仕事を想定して準備をしておけばより迅速に効果的な活動ができ、もっと多くの被災者を支えることができたのではと反省しております。

日本財団は災害支援を活動の大きな柱としており、阪神・淡路大震災以降、東日本大震災を含め計40回の災害支援を行ってきました。2012年には次の災害に備えるための検討委員会を立ち上げ、これまでの経験を参考にしながら議論を重ねております。

この300億円の災害復興支援特別基金は、毎年50億円、6年間で積み立てる予定ですが、災害は明日発生するも知れません。300億円は緊急性に鑑み、予算変更して対応する準備も整えます。この基金がNPOやボランティアの迅速かつ柔軟な活動を支援し、被災地の多様なニーズに対応することで、少しでも多くの被災者を支えたいものです。より充実した支援活動を行うためにも、国民の皆様や企業からもご寄付をお願いしたいと思います。

以上が3月6日の記者会見の発表文です。

幸いNHKをはじめ、朝日、毎日、産経、東京、中日、各新聞社が報道してくれました。

**************


支援金のお願い


読者をはじめ、国民、企業、団体の皆様、将来、大地震や大水害などの災害に備えて支援金と義援金の違いにつきましては、度々このブログでも説明して参りました。

支援金は、災害発生時に活動するNPOやボランティア活動を支援するもので、「備えあれば憂いなし」。災害が発生してからの義援金のご寄付はすぐには役立ちません。是非、日本財団の300億円の災害復興支援特別基金に皆様の善意をさらに積み上げさせていただきたいのです。

支援金振り込み先

三菱東京UFJ銀行本店
普通預金 1660782
公益財団法人 日本財団

お問合せ

日本財団 03-6229-5111へ
「忘れないで3.11」―街頭募金活動― [2014年03月06日(Thu)]
「忘れないで3.11」
―街頭募金活動―


この3月11日は東日本大震災から3年目。今も約27万人の方々が仮設住宅や市町村から提供されたアパートで生活しています。

自宅建設の目途もなく、夢も希望もなくしつつある被害者の中には孤独死も増加の一方で、悲しい現実が続いてます。この現実を風化させてはならないし、今一度、国民の皆様に3.11を忘れないでもらいたいとの思いから街頭募金を行います。

日本財団の職員をはじめ、モーターボートの選手、関連団体の役職員が協力してくれることになりました。3年前の初めての街頭募金は、銀座四丁目をはじめ、人通りの多い場所で行いましたが、今回は警察の事前許可の願いを出したところ、意外に厳しく、前回私が活動した銀座四丁目は許可がおりませんでした。

3月8日(土)、3月9日(日)の両日、新橋・有楽町・品川・新宿の各駅前で行います。

通りがかりの折には是非、ご協力ください。
前回は氷雨の中、肺炎で死にかけましたので、晴天を祈っております。
第7回NPO 100万円支援先 [2011年07月01日(Fri)]
「東日本大震災への救援活動」その73
―第7回NPO 100万円支援先―


第7回のNPO 100万円支援先、71団体69,161,000円のリストをアップしました。

NPOの献身的な、そしてさまざまな被災地での活動は、多くの被災者に生きる希望と勇気を与えました。ご協力下さったNPOの皆さんに、心より感謝と御礼を申し上げます。

なお、7月からは被災者の必要とするものを必要な時に提供するという日本財団のポリシーに従い、より広く、より深く、より長く、被災者の皆さんに密着したより効果的な活動に対して、支援計画案を吟味・審査の上、100万円限度の支援を廃止し、上限なしとすることにしました。

第1回より第7回までのNPO支援は、471事業456団体、総額447,448,000円であったことを報告致します。



支援策第3弾 日本財団記者会見  [2011年06月27日(Mon)]


「東日本大震災への救援活動」その72
―支援策第3弾 日本財団記者会見―


6月21日(火)午後2時
於:日本財団ビル2階会議室

68社72名の出席を得て、東日本大震災・支援策第3弾を発表した
既に報道された案件もあるが、未報道の支援策もあるので、発表内容を簡単に紹介したい。

@ 「世界初の福島原発事故に対する放射線と健康リスク」をテーマに国際専門家会議を開催する。
現在、福島原発の風評被害は世界各国に広がっており、日本人が感じる以上に深く広く浸透しているが、日本政府はいまだ有効な情報発信を行っていない。
外務省、経済産業省、厚生労働省、国土交通省、環境省、福島県の後援を得て開催するもので、すでに世界的な著名な放射線の権威者からの参加申し込みが始まっている。日本財団にはチェルノブイリ救援活動10年間の経験があり、この会議を通じ、今後日本がとるべき具体的な対策と、福島原発事故の正しい認識が世界に広まることを期待するものである。

A 水中ロボット20台を駆使し、東京大学などと共同で水中に沈むがれきの分布状況などの海底調査を実施、漁業再開の可能性を探る。海に生きる漁民に少しでも夢と希望を与えたいと願う。

B 海洋関連高校への教習艇寄贈。
小型船舶免許や海技免許の取得のための実習、実習艇・教習艇などの必要機材を配備。在校生はこの教習艇の存在なくして実施訓練をすることができず、卒業後、すぐに海を職場とすることができない。
5学校に13隻8千万円を寄贈する。

C 被災地の造船会社37社2100名、舶用工業事業者150社2200人に総額13億5千万円を寄贈し、最低限の工場稼働を目指す。総勢4300名の雇用が確保されることになる。

D ロンドンのオークションで売却したストラディバリウス「The Lady Blunt」は、過去の売却額の4倍、12億7千420万円で落札された。日本音楽財団から全額寄贈を受け、日本財団は「伝統文化振興基金」として主に被災地の祭りを中心にした伝統文化の復興を支援する予定。

E 6月20日のブログで紹介の通り、ギャルママと協力して被災地の若ママ支援プロジェクトを実施する。

F 大震災直後からのNPOに100万円を限度にする支援プロジェクトは、456団体471件総額4億4千744万8千円となった。
大震災から3ヶ月が経過し、今後は被災地で専門的な活動を行ってもらうために100万円の上限をなくし、さらに深く支援活動を行っていただく団体を支援していく。

G 「被災地妊産婦の心のケアを含めた産前産後ケア」推進プロジェクトは、「ナチュラルローソン」との協力で行う。

H 被災障害者のための仮設福祉ハウス「日本財団ホーム」を建設
福祉専門職のヘルパーを常駐させたバリアフリーの仮設住宅を開設。

I 孫 正義氏個人から、1億円の寄付があった。

以上の詳細は、 日本財団の「東日本大震災に対する支援策」にアップされております。
第6回NPO 100万円支援リスト [2011年06月27日(Mon)]
「東日本大震災への救援活動」その71
―第6回NPO 100万円支援リスト―


支援リストを見て、いかに幅広い分野でNPOが活動しているかをご理解下さい。
これらNPOのささやかな活動の積み重ねなくして、被災地の復興はあり得ません。

しかし、やはり政府の支援活動も望みたいものです。




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