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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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「社会貢献支援財団」―表彰式― [2017年08月16日(Wed)]
「社会貢献支援財団」
―表彰式―


草の根で毎日、黙々と社会のために何の栄誉も期待せず活動されている方々が多くいらっしゃいます。世界の中で、日本社会が卓越した安心・安全を誇れるのは、それぞれの地域で無償の奉仕をされている皆さん方に支えられているといっても過言ではありません。特に自分自身の身の安全も返り見ず、人命救助のために身を捧げる方々のなんと多いことでしょう。

私自身がそのような場に遭遇した場合、身を挺することが出来るか否か。正直若干の不安があります。笹川良一は、このような方々に光を当てることによってより良い社会作りの模範になってもらいたいと、今から46年前(当時の名称は「日本顕彰会」)に設立されたのが表記の社会貢献支援財団です。

私の挨拶にありますように、安倍昭恵女史が先頭に立って年二度の表彰式典を行っています。下記は私の祝賀会での挨拶です。

*****************

―来賓祝辞―


2017年7月21日
於:帝国ホテル


受賞された皆様方には心からのお祝いと、感謝の誠を捧げたいと思います。

ただ今ご紹介頂きましたように、日本財団は社会貢献支援財団の意義を高く評価して全面的に支援させて頂いており、この財団の積極的な活動は誇りの一つでございます。

特に、公私ともにご多忙な安倍昭恵令夫人がこの財団の意義を深く理解してくださって会長へのご就任を賜り、ご自分の目で見てみたいという所には自ら足を運んでお調べも頂き、お話を伺って意思決定の中にも参画されていらっしゃいます。また、内館牧子選考委員長はじめとする選考委員の皆様方は大変厳密な審査を行っていただき、今日の表彰へという過程をたどっております。

全国には無償の行為と申しましょうか、自分を無にして人のため世のために尽くされている方が大変多くいらっしゃいます。今日表彰された方は、そのなかの極々一部の代表の方たちでございまして、皆様方の行為、そして活動については、深く感謝いたしております。

今回選に漏れた多くの方々も、それぞれの地域で、溢れるような情熱、どんな困難があっても続けていくのだという忍耐力、そして継続性をもってお仕事に当たって頂いております。このことが日本は最も安心・安全の社会であるという意識が世界に定着した原因ではなかろうかと思っています。

そういう無償の行為というのは、日本人が古くから培ってきた伝統だと思います。この素晴らしいDNAを、今後も将来を背負う日本の若い人たちに継承していただき、単に日本だけではなく、今回は世界で活躍しているかたも表彰されましたが、この伝統をさらに広げて頂き、政府では安倍総理をはじめ、積極的な平和外交というものを日本の外交の基本において、世界の隅々まで活動を広げて頂いておりますが、それに呼応するように、我々国民一人ひとりもそういう気持ちを持って、世界のそれぞれの国の片隅というと語弊があるかもしれませんが、ご活躍いただき、今日受賞された皆様方には先導者としてこれからの日本の若者たちに伝統を引き継いでいただきく役割を担っていただきたいと思います。

厳粛な儀式の中で紹介された一人ひとりのご活動に、本当に感動をいたしました。これからもどうぞお元気で、皆様方の活動をお続けいただきたいのと同時に、重ねて申し上げますが、若い人たちに是非引き継いて頂けるようご協力をお願いし、世界から尊敬される安心・安全で未来豊かな日本国になって頂く。その礎の一つとして社会貢献財団が存在し、発展し続けることを心から願っております。

あまり話が長くなりますと、皆様お疲れでございましょう。ますは一杯やりましょう。

今日は私たちに本当に素晴らしい感動と勇気を与えていただきました。今日ご出席いただいた来賓の皆様も、表彰された方々の行為を真似するというと語弊がありますが、後から付いていこうではありませんか。私も一番後ろから付いて参ります。

おめでとうございました!
「海の日」 [2017年08月14日(Mon)]
「海の日」


夏休み真っ盛りである。しかし気候温暖化のせいかことの他厳しい夏で、各地で集中豪雨が頻発しているが、体調に注意していただき、子どもたちにとって楽しい夏休みにして欲しいものである。

7月20日は世界唯一の「海の日」が祝日の日本。しかし、ハッピーマンデー制度で今年は7月17日が「海の日」となり、政府主催の「海と日本のプロジェクト」の総合開会式が、海運海事関係や子どもたちも参加して、晴海旅客ターミナルで開催された。

そこで思わぬ珍事があった。
総理大臣のメッセージの代読は通常、それなりの役職の方が壇上で読み上げるものだが、何と、女性司会者が壇上下の司会者席から読んだのである。各大臣のスピーチも型通りで、子どもたちへの話は皆無に等しかった。

そこで私は、即席で下記のような子供向けの挨拶をさせていただいた。

****************

「海と日本のプロジェクト」
―総合開会式 挨拶―

2017年7月17日
於:東京湾晴海客船ターミナル


ご紹介たまわりました日本財団の笹川と申します。よいこの皆さん、ようこそおいでくださいました。みなさんに「日本財団」といってもよくわからないと思いますが、2020年のオリンピック・パラリンピックでは、特に、障がいを持ったパラリンピックの選手を全面的に支援しています。また、オリンピック開催には9万人のボランティア活動をする人たちが必要ですが、そういう人たちを養成することも日本財団の仕事です。

皆さんのようにご両親に恵まれ、幸せな生活をされていらっしゃる方もいますが、不幸にして出来ない人もたくさんいます。また、難病に苦しみ、病気と闘っている子どもたちもいます。そういう人たちに勉強を教えたり、たとえ一時でも病院以外の施設で家族と一緒に楽しんでもらう。そのような活動もしている財団です。覚えておいてくださいね。

最近、北九州でも大雨が降りましたね。どうしてこんなに激しい雨が降るようになったんでしょうか。これも気候変動が原因といわれていますが、あまりにも地球上に人間が多くなりすぎ、たくさんのガソリンを使い、冷暖房を使用し、多くの熱を排出したため温度が上がってくるんですね。

南太平洋には小さな島がたくさんありますが、自分の住んでいる国自体が海の底に沈んでしまうという危険がある島もたくさんあります。海温が上がると魚がどんどん移動し、かつて沢山とれていたところでとれなくなったりしています。日本財団では世界中の学者と一緒に研究していますが、あと30年もすると日本の近くの海では、みなさんの好きなお魚がいなくなってきて食べられなくなることが心配されています。そんなことを想像できますか?

地球の三分の二は海です。海は、日本では「母なる海」といわれますが、それは全ての生き物が海の中から進化してきたからです。人間も何億年もかかって進化して今のような人間の姿になったといわれています。皆様方はお母さんが大好きで大切に思っているでしょう。それと同じように「母なる海」を大切にしてもらいたいのです。最近は皆さんの海に行く機会が少なくなってきているようですが、海は静かに悲鳴をあげて苦しんでいるのです。これ以上海を汚されたら魚が住めなくなりますよ。そんなことになると人間は生きていけませんよという悲しい声をあげているのですが、専門家の先生以外、誰も気がついていないのです。

世界の人口は70億人をこえましたが、日本は、先ほど大臣の先生方がお話しされたように、海がなければ生きていけない海洋国家なんですね。日本は世界でたった一国「海の日」が祝日となっている国です。お休みになっている国は世界194か国で日本だけなんですね。ただ少し残念なのは、海の日というのは7月20日と決まっていたのですが、少し昔に不景気なときがありまして、休みを増やして観光客を増やさないといけないということでハッピーマンデーと海の日をくっつけたんです。その時はそれでよかったんですが、今は外国からもお客さんがたくさん来る時代になり、もうハッピーマンデーは必要ないんです。ですから7月20日が海の日だと皆さん方や皆さん方の後輩にもちゃんと分かるようにしなければいけないと思います。来年の海の日はいつか、皆さん分からないでしょう。おじさんも分からない。それじゃいけない。世界で唯一海の日を祝日としている国ですから、これから国会議員の先生方にもお願いし、皆さん方の協力も得て海の日を7月20日に固定化したいと思っています。作るときは皆さん方のお父さんやお母さん、おじいさんやおばあさん、みんな署名してくれて海の日をつくったのです。ですから、もう一度皆さんの力を借りて、7月20日を海の日の祝日とし、日本はきれいな海を保ち、世界でもっとも海を大切にしている国になってほしいと思います。

海に関わる仕事というのもたくさんありますね。今日は皆さん方に大きな船に乗ってもらいますが、船を作る会社もたくさんあります。そして自動車会社やいろいろな機械を作っている会社は、作ったものを大型船に乗せて外国に輸出しています。そして食糧は、日本はたった40%しか作ることができないんですから、60%は外国から輸入して船で運ばれてきます。

そういうことで、海は私たちにとって大変大切なものです。皆さん方大きくなったら、造船会社で船をつくるとか、船に乗って外国に荷物を運ぶとか、あるいは外国に輸出できるような商品を作るとか、何らかの形で海に関わる仕事をしてほしいですね。今日は海のことを大いに勉強してください。

日本財団は日本政府と一緒に、今日から全国で1,500の海についてのプロジェクトを行い、150万人が参加する予定です。皆様方の仲間にも浜辺でゴミ拾いをお願いしています。海や浜辺のごみ問題も深刻です。みんなで協力し、お相撲さんたちも手伝ってくれて一緒にゴミを拾い、その後お相撲さんときれいになった浜辺で相撲をとる計画もあります。全国で40以上の地方のテレビ局がみんな協力参加してくれて、海のことをみんなに知ってもらおうという企画がたくさんテレビに出ます。是非テレビを見てくださいね。勉強になるテレビですから。お母さんはあまりテレビは見てはいけないというかも知れませんが、海の日のテレビだけは見てください。そして、今日は大いに楽しんでください。

ありがとう。
「忘れられた熱帯病」―ビル・ゲイツ、コフィー・アナンも参加― [2017年07月12日(Wed)]
「忘れられた熱帯病」
―ビル・ゲイツ、コフィー・アナンも参加―


最近、忘れられた熱帯病対策がWHO(世界保健機関)を中心に脚光を浴びてきた。

私はこの「忘れられた熱帯病」、英語では「Neglected Tropical Diseases」という言葉が好きではない。この病気で苦しむ患者たちは、一日たりとも忘れることなく病魔と闘っているのに、「忘れられた熱帯病」とは、WHOは勿論のこと、関係者がこれらの病気対策に努力してこなかっただけのことではないだろうか。

うがった見方かもしれないが、ハンセン病もこの集団に入る病気であるが、日本財団はこの病気に特化して40年以上も世界的レベルで活動し、各国政府関係者の懸命な努力もあって患者数は劇的に減少し、大きな成果をあげてきた。

マラリヤ、結核、エイズ等々、患者数の巨大な病気と闘う国際機関やNGOは数多く存在し懸命の努力をされてはいるが、ポリオを例外に、目立った成果は出ていない。しかし、ここにきて資金提供者や支援者に具体的成果を報告できるハンセン病の成果を参考にすることで「忘れられた熱帯病」についての対策気運が盛り上がってきたのではないかと言うのが「へそ曲がり」の私の見方である。

4月17日はWHO主催で「忘れられた熱帯病対策会議」があり、ビル・ゲイツやコフィー・アナン前国連事務総長も出席された。その席でWHOのマーガレット・チャン事務局長より「金メダル」を頂戴した。

D会合にはコフィ・アナン元国連事務総長やビル・ゲイツ氏も出席.jpg
会合にはコフィ・アナン元国連事務総長やビル・ゲイツ氏も出席

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チャン事務局長からーThe WHO Medalー を授与される


「忘れられた熱帯病」の対策枠組みが出来ても、実際に現場を駆け巡る責任者がいないと簡単には成功しないとの言外の意味も含めて、下記の通りのショート・スピーチをさせて頂いた。

*******************

世界保健機関(WHO)ゴールドメダル授賞式


2017年4月19日
於:スイス・ジュネーブ


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受賞のスピーチ


私は、マーガレット・チャン世界保健機関(WHO)事務局長の在任中にハンセン病制圧の達成を目指して活動してきましたが、ご承知のとおり、その目標にはわずかに届きませんでした。ですから本日、WHOから賞をいただけると伺い、よくて銀メダルだろうと思っていましたら、金メダルをいただけるということで驚いているところでございます。

この本日の栄誉と喜びを、共に活動していただいた方々一人ひとりと分かち合いたいと思います。

40年以上に亘り、日本財団とWHOは強固なパートナーシップを構築してきました。私たちはハンセン病抑制プログラムにおいて、WHOのメインドナーとして活動しております。私たちが、治療薬の無償配布の支援をしたことは、1990年代後半のハンセン病の新規患者数の減少に大きな役割を果たしました。現在ではノバルティスが無償配布を続けてくださっていることで、私たちもスティグマや差別の問題など、他の取り組みに資金を投入することが可能になっています。

そして、私は、ハンセン病はモーターサイクルに例えられると思い至りました。前輪が病気を治すという医療面のアプローチで、後輪がスティグマと差別をなくすという社会面のアプローチです。モーターサイクルは前輪と後輪がともに回らなければ前進することはできません。

このゴールドメダル受賞にあたり、WHOハンセン病制圧大使として、重要な変化をもたらすことにつながったと信じている3つの点についてお話ししたいと思います。

1つ目は、蔓延国の政治リーダーに直接働きかけ、コミットメントを取り付けることです。蔓延国に行くと、大統領をはじめとした政治リーダーが自国の状況についてほとんど知らないことに驚かされることがしばしばありました。ハンセン病はこの国にはないと言ったり、時代遅れの知識しか持ち合わせていなかったりするリーダーもいました。そこで、私は彼らにその国のハンセン病の状況を伝え、対策へのコミットメントをいただくよう求めました。ひとたび政治リーダーのコミットメントをいただくことで、その取り組みに一石を投じることができるということは、どの地域でもいえることです。

2つ目のポイントは、地元の新聞やラジオに加えて、人々が親しみを感じるポピュラーカルチャーを通じて、正しい理解を促進することです。地域によっては文字によるコミュニケーションが難しいこともあり、例えば寸劇や音楽、エンターテイメントなどを通じて、ハンセン病は治る、治療は無料、差別は不当だというメッセージを伝えることで、大きな効果を得られることがわかりました。

3つ目のポイントは、持続可能なイニシアティブを形成することです。私は、ハンセン病制圧大使として、政府、医療専門家、NGO、ヘルスワーカー、回復者組織やその他の関係者をまとめてきました。そうすることで、ハンセン病の回復者が声をあげ、その国の政府と関係を築くことを後押しすることの重要性に気づきました。このコミュニケーションは、ハンセン病回復者に対するエンパワメントになると同時に、政府からの持続可能なコミットメントにもつながります。

今朝の議論は、顧みられない熱帯病(Neglected Tropical Diseases:NTDs)の抑制あるいは制圧が、いかに貧困の連鎖を断ち切り、持続可能な発展を実現するために重要かということを考えさせられるものでした。

最後になりますが、マーガレット・チャンWHO事務局長の10年以上に亘るリーダーシップに敬意を表します。

C400人以上の参加者で埋め尽くされた会合.jpg
400人以上の参加者で埋め尽くされた会合


「ハンセン病のない世界のために」―病気と差別の制圧に向けての闘い― [2017年07月07日(Fri)]
「ハンセン病のない世界のために」
―病気と差別の制圧に向けての闘い―


今年の4月25日、ミネソタ大学より名誉博士号を授与された。
以下はその折のスピーチです。

********************


@基調講演を行なった.JPG
基調講演


只今ショートフィルムをご覧いただいたのは、この病気に苦しめられ、今もなお苦しんでいる人たちの現実を皆さまにご覧いただきたかったからです。映像にあった通り、ハンセン病は何世紀にも亘り不治の病、神の罰などとされ、人々に恐れ、嫌われてきました。

しかし1980年代になると、有効な治療法の確立により、ハンセン病は治るようになりました。簡単なことではないとはわかっていましたが、私はこの薬を、病気に苦しむ全ての人たちに届けることを決意しました。そして日本財団は、WHOと協力し、ハンセン病治療薬の無料配布を開始しました。

有効な薬を配るのですから、私たちはある一定の効果はすぐに現れるだろうと期待していました。しかし、多くの予期していなかった事態に遭遇しました。

当時私がどのようなことに直面したのか、いくつか例を申し上げます。

例えば私は、世界には多くの人が薬の飲み方を知らないという事実を目の当たりにしました。それまで伝統医療薬しか飲んだことがないという人たちに対し、私は、まずブリスターパックと呼ばれる包装から錠剤を取り出し、水で飲み込むという薬の飲み方から教えなくてはならなりませんでした。

また、アフリカのある部族の人たちは食べ物を平等に分け合うという習慣があるため、配布された薬をも同じ村の人たちで分け合ってしまっていました。これでは当然、薬の効果は現れません。

また、無料なのに患者が薬を取りに来ないということもありました。痛みを伴う初期症状がないため、もしくは差別を恐れたためです。

薬を無料で配るだけでは効果的ではないということは明らかでした。私たちは、治療薬の配布に際し、その土地の習慣や文化なども考慮しなければならなかったのです。

このことを念頭に、より効果的に薬を患者に届けるために、私たちはWHOや各国の保健省、医療関係者、NGOなどと協力し、活動を続けました。

その結果、より多くの患者が病気を治療、治癒し、多くの蔓延国においてハンセン病患者の数は大きく減っていきました。私は、治療薬普及の成果が現れてきたことに、一種の達成感を感じ始めていました。

しかし、患者の数が減ったにも関わらず、私がハンセン病コロニーで目にした現実は、病気から回復した人たちの生活が治療前からあまり変わっていないということでした。彼らは治癒した後も、患者だったときと同じようにハンセン病療養所やコロニーで暮らし続けていました。そこは、草木も生えていないくぼ地のようなところで、外側からは単なる岩山にしか見えないような場所だったり、線路脇の土手のわずかな空間だったりしました。彼らはハンセン病を患ったときから、そのような場所に集まって暮らしていました。その場所と外の世界との境界に目に見える塀などは何もありません。しかし、まるでそこには目に見えない壁が立ちはだかっているかのように、彼らの住む場所とその外を行き来する人はいません。彼らはもう患者ではないのに、こうして「ハンセン病の元患者」として生活しつづけていました。

この状況を見て私は、私がそれまでハンセン病の差別やスティグマの問題を楽観視しすぎていたことに気づきました。私は治療薬を世界中で広めることに忙しくしておりましたが、この病気には、より深刻な側面があると考えるようになりました。それは、ひとたびハンセン病を患った人は、治癒してもなお、差別やスティグマの対象となるということでした。

差別とスティグマは菌によって引き起こされるものではありません。これは、人々の意識の問題です。

私は、ハンセン病との闘いとは、モーターバイクに似ていると考えるようになりました。前輪は病気を治すための医療面のアプローチです。そして後輪は、スティグマと差別をなくすための社会面のアプローチを指します。この前輪、後輪が同時に動かなければ前に進まないモーターバイクのように、ハンセン病とその差別をなくすためには、医療面、社会面双方のアプローチを同時に進める必要があると、私は考えています。

後輪の差別の問題について取り組むにあたり、私は何から始めればいいのかわかりませんでした。しかし、ハンセン病の差別とスティグマの問題は明らかに人権問題であると感じました。そこで、国際連合へ働きかけることにしました。

私がジュネーブの国連人権高等弁務官事務所を初めて訪ねたのは2003年のことでした。そこで私が言われたことは、ハンセン病の差別の問題は人権問題として議論にあがったことがないということでした。あくまで病気として、他の病気同様、保健衛生の問題としてしか捉えられていなかったのです。

なぜそのようになってしまったのか、想像するのは難しくありませんでした――ハンセン病から治癒した人たちは、声をあげ、自らの人権を主張することをためらっていました。彼らは差別を恐れていたのです。彼らの多くは、自分たちに人権があるとすら考えていなかったのかもしれません。ハンセン病から治癒したある人は、私にこう質問しました。

「本当に私に人権などあるのですか?」

私は、彼らの苦しみにこれ以上目をつむることはできませんでした。そして、このハンセン病の差別の問題を提起する必要があると思いました。

その後、この問題に注意を向けてもらうために、私はジュネーブを何度も訪れ、会議や小さな写真展などを開催しました。

私が人権委員会の小委員会で鮮明に覚えている瞬間があります。それは、私がハンセン病の回復者の人たち5人と会議に出席していたときのことでした。会議場で話をする機会に、私は自分が簡単に話した後、彼らのうちの一人の女性にマイクを譲ることにしました。インドから来た女性でした。

彼女は立ち上がり、「私はハンセン病でした」と言いました。

それまで、話半分に聞いていた会場中の人がその瞬間に振り向き、発言した彼女の顔を見ました。

その瞬間は、今でも忘れられない瞬間です。

そしてその瞬間は、私にとって、ハンセン病の差別の問題を人権問題として国連が初めて認識した瞬間だったように思います。

私の最初の国連訪問から7年、2010年にニューヨークの国連総会で、ハンセン病の患者と回復者、そしてその家族に対する差別撤廃の決議が採択されました。

私たち日本財団は、この決議の実行のために、世界の状況を確認し、報告する民間レベルのタスクフォースを作りました。そこに人権問題の専門家として関わってくださっているのが、午前中にお話しいただく横田先生と、本会議を企画してくださったフレイ先生です。お2人には様々なアドバイスをいただき、非常に重要な役割を果たしていただいています。お2人のご尽力にあらためて感謝申し上げたいと思います。

社会的なアプローチを進める上で、私は、ハンセン病の差別やスティグマの問題をなくすには、当事者を巻き込むことが不可欠だと考えています。彼らに声をあげてもらうよう働きかけ、彼らの声を聞いてもらうことが重要なのだと思います。私が彼らの声を代弁することはできても、彼ら自身の声よりも説得力を持つことはないのだということに、私は経験を通じて気づきました。

ここまでお聞きになって、この病は遠い国の話だと感じられた方もいらっしゃるかもしれません。しかし、ハンセン病差別の問題は万国共通の問題であり、ここアメリカでも例外ではありません。

かつて全米のハンセン病患者や回復者は、三方を海に囲まれ、残る一方を断崖で遮断されたハワイ諸島モロカイ島のカラウパパ療養所と、有刺鉄線の高いサイクロンフェンスと2つの監視塔に囲まれたルイジアナ州のカーヴィル療養所に「収容」されていました。

私たちの活動に対し、「ハンセン病は過去の問題ではないか、今さら取り組む必要はないのではないか」という人がいます。しかし私は、ハンセン病を考えることは、今まさに私たちがすべきことではないかと考えています。それは、ハンセン病を考えることが人間を考えることにつながるからです。ハンセン病の歴史は世界中で忘れ去られ、消されようとしている「負の歴史」として語られることが多いです。

しかし、ハンセン病の歴史は同時に、患者や回復者の方々が過酷な状況に置かれながらも、差別を乗り越えて生きてゆく、生命の輝きの歴史でもあります。名前を失い、故郷を失い、家族、友人をも失い、社会との関わりを断たれながらも、一人の人間として、生きようとしてきたその軌跡は、人間の強さと寛容さを私たちに教えてくれる、かけがえのない歴史でもあります。

2009年にはローマ教皇ベネディクト16世によって、カラウパパの患者たちのケアに全身全霊を捧げたダミアン神父が、聖人の列に加えられました。さらに、同年オバマ大統領の署名によって「カラウパパ・メモリアル法」が成立し、カラウパパに収容された8000人全員の名を刻んだ記念碑が建立されることになりました。

このようにハンセン病を患った人たちの経験や記録を次世代に引き継ぐことで、人類がこの経験を忘れないようにしていくことが重要ではないでしょうか。彼らの声を次世代に届けていくこと。このことも、私の重要な仕事だと思い、ハンセン病の歴史保存の取り組みも進めています。

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副学長からDoctory Hood(学位フード)をかけていただいた

「ミネソタ大学」―名誉法学博士号― [2017年05月12日(Fri)]
「ミネソタ大学」
―名誉法学博士号―


ミネソタ大学は、ミネソタ州が正式にアメリカの32番目の州になる7年前の1851年に設置され、学生数は5万人を超え、ノーベル賞受賞者も24名と、シカゴ大学と双璧をなすアメリカの名門校の一つである。

ちょっと気恥ずかしい話ではあるが、私の国際的なハンセン病制圧活動(病気の制圧と差別撤廃運動)が評価され、4月25日、名誉法学博士号が授与された。

B.jpg
副学長からDoctory Hood(学位フード)をかけていただく


下記は、学位授与式に先立って開催された「健康、スティグマと人権会議」の私の基調講演です。
(原文・英語)

ご笑覧ください。

*****************

@基調講演を行なった.JPG
基調講演


コールマン学部長、フレイ教授、クラドック教授、皆さま。本日は、ハンセン病の制圧という私の生涯をかけた活動について、皆さまにお話しさせていただく機会をいただき、感謝申し上げます。

只今ショートフィルムをご覧いただいたのは、この病気に苦しめられ、今もなお苦しんでいる人たちの現実を皆さまにご覧いただきたかったからです。映像にあった通り、ハンセン病は何世紀にも亘り不治の病、神の罰などとされ、人々に恐れ、嫌われてきました。

しかし1980年代になると、有効な治療法の確立により、ハンセン病は治るようになりました。簡単なことではないとはわかっていましたが、私はこの薬を、病気に苦しむ全ての人たちに届けることを決意しました。そして日本財団は、WHOと協力し、ハンセン病治療薬の無料配布を開始しました。

有効な薬を配るのですから、私たちはある一定の効果はすぐに現れるだろうと期待していました。しかし、多くの予期していなかった事態に遭遇しました。

当時私がどのようなことに直面したのか、いくつか例を申し上げます。

例えば私は、世界には多くの人が薬の飲み方を知らないという事実を目の当たりにしました。それまで伝統医療薬しか飲んだことがないという人たちに対し、私は、まずブリスターパックと呼ばれる包装から錠剤を取り出し、水で飲み込むという薬の飲み方から教えなくてはならなりませんでした。

また、アフリカのある部族の人たちは食べ物を平等に分け合うという習慣があるため、配布された薬をも同じ村の人たちで分け合ってしまっていました。これでは当然、薬の効果は現れません。

また、無料なのに患者が薬を取りに来ないということもありました。痛みを伴う初期症状がないため、もしくは差別を恐れたためです。

薬を無料で配るだけでは効果的ではないということは明らかでした。私たちは、治療薬の配布に際し、その土地の習慣や文化なども考慮しなければならなかったのです。

このことを念頭に、より効果的に薬を患者に届けるために、私たちはWHOや各国の保健省、医療関係者、NGOなどと協力し、活動を続けました。

その結果、より多くの患者が病気を治療、治癒し、多くの蔓延国においてハンセン病患者の数は大きく減っていきました。私は、治療薬普及の成果が現れてきたことに、一種の達成感を感じ始めていました。

しかし、患者の数が減ったにも関わらず、私がハンセン病コロニーで目にした現実は、病気から回復した人たちの生活が治療前からあまり変わっていないということでした。彼らは治癒した後も、患者だったときと同じようにハンセン病療養所やコロニーで暮らし続けていました。そこは、草木も生えていないくぼ地のようなところで、外側からは単なる岩山にしか見えないような場所だったり、線路脇の土手のわずかな空間だったりしました。彼らはハンセン病を患ったときから、そのような場所に集まって暮らしていました。その場所と外の世界との境界に目に見える塀などは何もありません。しかし、まるでそこには目に見えない壁が立ちはだかっているかのように、彼らの住む場所とその外を行き来する人はいません。彼らはもう患者ではないのに、こうして「ハンセン病の元患者」として生活しつづけていました。

この状況を見て私は、私がそれまでハンセン病の差別やスティグマの問題を楽観視しすぎていたことに気づきました。私は治療薬を世界中で広めることに忙しくしておりましたが、この病気には、より深刻な側面があると考えるようになりました。それは、ひとたびハンセン病を患った人は、治癒してもなお、差別やスティグマの対象となるということでした。

差別とスティグマは菌によって引き起こされるものではありません。これは、人々の意識の問題です。

私は、ハンセン病との闘いとは、モーターバイクに似ていると考えるようになりました。前輪は病気を治すための医療面のアプローチです。そして後輪は、スティグマと差別をなくすための社会面のアプローチを指します。この前輪、後輪が同時に動かなければ前に進まないモーターバイクのように、ハンセン病とその差別をなくすためには、医療面、社会面双方のアプローチを同時に進める必要があると、私は考えています。

後輪の差別の問題について取り組むにあたり、私は何から始めればいいのかわかりませんでした。しかし、ハンセン病の差別とスティグマの問題は明らかに人権問題であると感じました。そこで、国際連合へ働きかけることにしました。

私がジュネーブの国連人権高等弁務官事務所を初めて訪ねたのは2003年のことでした。そこで私が言われたことは、ハンセン病の差別の問題は人権問題として議論にあがったことがないということでした。あくまで病気として、他の病気同様、保健衛生の問題としてしか捉えられていなかったのです。

なぜそのようになってしまったのか、想像するのは難しくありませんでした――ハンセン病から治癒した人たちは、声をあげ、自らの人権を主張することをためらっていました。彼らは差別を恐れていたのです。彼らの多くは、自分たちに人権があるとすら考えていなかったのかもしれません。ハンセン病から治癒したある人は、私にこう質問しました。

「本当に私に人権などあるのですか?」

私は、彼らの苦しみにこれ以上目をつむることはできませんでした。そして、このハンセン病の差別の問題を提起する必要があると思いました。

その後、この問題に注意を向けてもらうために、私はジュネーブを何度も訪れ、会議や小さな写真展などを開催しました。

私が人権委員会の小委員会で鮮明に覚えている瞬間があります。それは、私がハンセン病の回復者の人たち5人と会議に出席していたときのことでした。会議場で話をする機会に、私は自分が簡単に話した後、彼らのうちの一人の女性にマイクを譲ることにしました。インドから来た女性でした。

彼女は立ち上がり、「私はハンセン病でした」と言いました。

それまで、話半分に聞いていた会場中の人がその瞬間に振り向き、発言した彼女の顔を見ました。

その瞬間は、今でも忘れられない瞬間です。

そしてその瞬間は、私にとって、ハンセン病の差別の問題を人権問題として国連が初めて認識した瞬間だったように思います。

私の最初の国連訪問から7年、2010年にニューヨークの国連総会で、ハンセン病の患者と回復者、そしてその家族に対する差別撤廃の決議が採択されました。

私たち日本財団は、この決議の実行のために、世界の状況を確認し、報告する民間レベルのタスクフォースを作りました。そこに人権問題の専門家として関わってくださっているのが、午前中にお話しいただく横田先生と、本会議を企画してくださったフレイ先生です。お2人には様々なアドバイスをいただき、非常に重要な役割を果たしていただいています。お2人のご尽力にあらためて感謝申し上げたいと思います。

社会的なアプローチを進める上で、私は、ハンセン病の差別やスティグマの問題をなくすには、当事者を巻き込むことが不可欠だと考えています。彼らに声をあげてもらうよう働きかけ、彼らの声を聞いてもらうことが重要なのだと思います。私が彼らの声を代弁することはできても、彼ら自身の声よりも説得力を持つことはないのだということに、私は経験を通じて気づきました。

ここまでお聞きになって、この病は遠い国の話だと感じられた方もいらっしゃるかもしれません。しかし、ハンセン病差別の問題は万国共通の問題であり、ここアメリカでも例外ではありません。

かつて全米のハンセン病患者や回復者は、三方を海に囲まれ、残る一方を断崖で遮断されたハワイ諸島モロカイ島のカラウパパ療養所と、有刺鉄線の高いサイクロンフェンスと2つの監視塔に囲まれたルイジアナ州のカーヴィル療養所に「収容」されていました。

本日、奥さまと共にこの会議に参加している私たちの友人であるホセ・ラミレスも、かつてカーヴィルに住んでいました。彼は自分の経験をもとにハンセン病と人権について深い考えを持ち、回復者として患者や回復者のためのアドボカシーをしています。彼の言葉は経験者だからこそ語ることができる重みのあるもので、これまでアメリカ国内だけでなく、世界中でハンセン病のアドボカシー活動を牽引してきました。後ほど、彼の話を楽しみにしたいと思います。

私たちの活動に対し、「ハンセン病は過去の問題ではないか、今さら取り組む必要はないのではないか」という人がいます。しかし私は、ハンセン病を考えることは、今まさに私たちがすべきことではないかと考えています。それは、ハンセン病を考えることが人間を考えることにつながるからです。ハンセン病の歴史は世界中で忘れ去られ、消されようとしている「負の歴史」として語られることが多いです。

しかし、ハンセン病の歴史は同時に、患者や回復者の方々が過酷な状況に置かれながらも、差別を乗り越えて生きてゆく、生命の輝きの歴史でもあります。名前を失い、故郷を失い、家族、友人をも失い、社会との関わりを断たれながらも、一人の人間として、生きようとしてきたその軌跡は、人間の強さと寛容さを私たちに教えてくれる、かけがえのない歴史でもあります。

2009年にはローマ教皇ベネディクト16世によって、カラウパパの患者たちのケアに全身全霊を捧げたダミアン神父が、聖人の列に加えられました。さらに、同年オバマ大統領の署名によって「カラウパパ・メモリアル法」が成立し、カラウパパに収容された8000人全員の名を刻んだ記念碑が建立されることになりました。

このようにハンセン病を患った人たちの経験や記録を次世代に引き継ぐことで、人類がこの経験を忘れないようにしていくことが重要ではないでしょうか。彼らの声を次世代に届けていくこと。このことも、私の重要な仕事だと思い、ハンセン病の歴史保存の取り組みも進めています。

ご静聴いただきありがとうございました。


「職員への新年度挨拶」 [2017年04月24日(Mon)]
「職員への新年度挨拶」

2017年4月3日


新年度なので、一言挨拶します。私自身は、職員の皆さんとできるだけ接触をして、話を伺い、私の考えも述べたいということで、極力コミュニケーションをとり、風通しをよくするということが一番大切なのではないかと思い努力をしていますが、まだ十分とは言い切れません。

我々の組織は、100人弱の職員と30人ほどの嘱託の方々と非常に少ない人数で仕事をしています。何千人、何万人になればやり方も変わり、ある意味やりやすくなりますが、この程度の人数というのは人事管理を含めて大変難しいものがあります。逆に言えば、その中に、お互いの人間関係というものがより深く生まれてくるわけで、やり方によっては大変おもしろい、ユニークな組織にすることができるのではないでしょうか。

人間が存在する限り、いつの時代も社会課題は存在します。言葉だけで実行がなければ、問題解決にはならないでしょう。私たちとは関係ないと無視することも可能です。しかし、多くの社会課題をどのように解決していくか、これこそが日本財団に与えられた使命ではないでしょうか。

国家は1,100兆円という膨大な財政赤字を抱えております。皆さん一人一人で約870万の借金を背負っていると同じことになります。少子高齢化は今日始まった問題ではありません。私は30年前に日本大学の人口問題の先生が発表された論文を読んだことがあります。日本がこういう人口動態になることが30年前から分かっていながら、昨日、今日に起こった問題ではないにもかかわらず、口を開けば少子高齢化とその課題が流行り言葉のように報道され、これでは誰もが日本の将来を悲観的に考え、本格的な具体策は進みません。

今日、明日あるいは今年1年、3年先のことは政府も行政も考えていますが、10年、20年あるいは30年という単位で物事を考えている組織は日本にありません。日本財団は未来志向の立場にたち、ハンセン病を例に挙げると、40年継続して取り組んでいます。海洋問題は今や世界の喫緊の問題として注目を集めるようになってきました。日本財団が30年前から世界各地で取り組んできた人材養成が、諸問題に対処する体制の整備に大きく寄与することになるでしょう。

日本財団がこのように長いスパンで物事を見て活動する組織であることを、皆さんに理解していただきたいと思います。政治家、行政、学者、文化人、そしてメディアの皆さんに集まっていただき、提示された社会課題についての議論を進め、集約ができたところで日本財団が実行に移します。

今や社会課題は、政府も省庁、NPOも単独では解決不可能な時代になりました。そのため、日本財団は社会課題をまずは調査し、その上で専門家や関係者に集まっていただき、問題を洗い出し、方向性が出たら実行していく。これを「日本財団という方法」と説明しています。

私たちは人間臭い仕事をやっています。人と人との接触の中で仕事をやっていくわけですから、売り上げを幾らに上げなければならないとか、経費を幾ら節減しなければならない、あるいは四半期や3ヶ月ごとに会社の利益を発表しなければならないなどといった、数字の目標設定は余り必要とされていません。皆さんは、そうした職場の中で何を目的に仕事をしていくか、自分自身が考えなければなりません。ここにお集まりの皆さん一人一人は日本財団の財産です。それ以外には、何もありません。

日々、問題意識を持ってどのように仕事に取り組むか、常に好奇心を持って物事を見て、何をしなければいけないのか、どういう手法でこれを解決するのか、そうしたことを皆さん一人一人に常々、考えていただきたいと思っています。

日本財団の仕事は、かつては各地からきた援助申請書を審査して支援するという時期が長くありました。しかし、今やそこから脱皮して、我々が考え、我々がこの国のために、あるいは困っている人たちのために何ができるか、主体的に考え、活動する方向に変わってきています。

日本財団がイノベーションの中心になって問題を提起し、具体的に社会課題を解決してゆくことで、皆さん自身の仕事の成果が目に見えるようになります。報告や相談、連絡は組織である以上当然ですが、大きな組織の中の歯車の一つではなく、一人一人が独立した立場で、若い人たちが自由に仕事ができる、風通しの良い柔軟な文化を持った組織になるよう日本財団の舵を取っています。近年、日本財団は、皆さんが思っていらっしゃる以上に評価される存在になりました。地方の人から少し雲の上の存在だと思われていることも事実です。しかし、これに甘んじてはいけません。

やはりこのような仕事ですから、私たちは常に謙虚でなければいけませんし、人間対人間のお付き合いが中心なので、私たちには目配り、気配り、心配りのできる感情豊かな感性が求められています。どうぞ皆さんは、世界でもユニークな、チャレンジングな未来志向の組織で働いているという自覚を持って、仕事に邁進をして下さい。

まずは、一人一人の人間形成、そして常に飽くなき好奇心を持って社会課題を発掘していただき、それをなし遂げていくことで、政府あるいは行政、そして市民社会の皆さんから信頼され、日本財団に相談に行けば何か方法を見つけてくれる、力を貸してくれるという、頼りがいのある、信頼のおける、透明性と説明責任が果たされる組織として皆でやっていこうではありませんか。どうぞ、よろしくお願いします。

「ちょっといい話」その75―教皇のハンセン病発言― [2017年02月20日(Mon)]
「ちょっといい話」その75
―教皇のハンセン病発言―


世界のカトリック教徒12億人を擁する教皇庁の第266代フランシスコ教皇は、教皇庁組織の改革に意欲的に取り組んでおられる。

しかし、その過程で3回ほど失言をされた。
1回目は「出世主義はハンセン病」、2回目は「ご機嫌取りは教皇制度のハンセン病」、3回目は「小児性愛はカトリック教会に伝染しているハンセン病」というものであった。

その度に「ハンセン病を悪い喩(たと)えに使わないでください」との書簡をお送りしたが、返書を見る限り、教皇は私の書簡をお読みになっていないと直感した。そのため作戦を変更し、日本財団とバチカンとの共催で、ハンセン病についての国際会議を提案したところ、快諾を得て、昨年6月、バチカン教皇庁で国際会議が開催された。

結論の一つとして、ハンセン病を悪い喩えに使わないことが勧告に盛り込まれた。

さて、今年の世界ハンセン病デーへのバチカンのメッセージに注目していたところ、1月29日(日曜日)の一般ミサで、教皇は以下の通り諭された。

「本日、私たちは『世界ハンセン病の日』をお祝いいたします。この病気は減っているものの、いまだ最も恐れられており、貧しく、社会から無視された人に襲い掛かっています。この病気と、それがもたらす差別と闘うことは重要です。私は、この病気の治療や、ハンセン病患者、回復者の社会的な再統合に関わっているすべての人々に理解を促したい。」

教皇の失言が、私の小さな闘いの成果としてこのスピーチに現れたとしたら、少しうれしい気分です。

前日の世界ハンセン病デーには、ピーター・タークソン枢機卿の名で、下記の通りのメッセージが発せられた。

「ハンセン病の犠牲者たちには居場所と結束、そして正義こそ必要」

タークソン枢機卿は「この病気に対する恐怖は、人類の歴史の中で最も恐れられているもののひとつであり、そこには理由などありません。地域社会全体においてこの病理についての知識が欠如しているが故に、治癒した人たちが排除され、治癒した人たち自身もまた、長いあいだ耐えてきた病気の苦しみと差別により、彼らの中にある尊厳、身体に傷はあっても決して奪われることのない尊厳を、失ってしまっているのです。彼らの“ために”、そして何よりも、ハンセン病の犠牲者である彼らに“寄り添い”、彼らが自分たちの居場所、結束、正義を見つけられるよう、私たちはさらに深く関わっていかなければならないのです。」とおっしゃった。

「ハンセン病の撲滅とハンセン病患者・回復者、その家族の社会への再統合:まだ成し遂げられていない課題」

バチカン市国「人間の統合的発展に奉仕するための省」長官ピーター・タークソン枢機卿

効果的な薬物療法が開発され、そして、カトリック教会を筆頭に多数の国内および国際的な施設や機関において過去数十年間にわたって実施されてきた世界レベルでの大規模な取り組みは、一般にらい病として知られるハンセン病に対して非常に大きな打撃を及ぼしました。1985年の時点で、世界にはまだ500万を超える数のハンセン病患者が存在していましたが、現在、新たにハンセン病に罹る患者の数は年間約20万人となっています。しかし、なすべきことはまだたくさんあります。

その点については、昨年6月、当時のローマ教皇庁保健従事者評議会が主催したシンポジウム「ハンセン病患者・回復者の尊厳の尊重とホリスティック(総合的な)ケアへ向けて(Towards Holistic Care for People with Hansen’s Disease Respectful of their Dignity)」の終盤で焦点が当てられましたが、ハンセン病をめぐって今も残るスティグマと同様に、新たなハンセン病患者の発生はたとえ1人であっても望ましくありません。また、すべての無関心と同様に、ハンセン病患者を差別する法律は、どのようなものであっても存在してはなりません。マルタ騎士団、ラウル・フォレロ財団、善きサマリア人財団からの支援を受け、日本財団・笹川記念保健協力財団と協力して推進されたイニシアチブの枠組みの中で、その役割を考えると、すべての宗教の指導者がそれぞれの教え、著書、演説においてハンセン病患者に対する差別の撤廃に貢献することが重要であるという点がさらに強調されました。一方、その後、11月にソウルで開催されたハンセン病世界フォーラム(World Forum on hanseniasis)の場で世界保健機関も強調していたように、治療中だけでなく治療終了後も、患者の心身のケアを確保することが必要です。

加えて、すべての国において、家族、仕事、学校、スポーツなどに関連してハンセン病患者を直接的あるいは間接的に差別している政策を変え、ハンセン病患者に関わる実施計画を各国政府が確実に展開すべく、私たち全員があらゆるレベルにおいて明確な態度を表明しなければなりません。

最後に、新しい医薬品を開発するために科学研究を強化し、早期診断の可能性を高めるためにより優れた診断装置を備えることが基本です。

実際のところ、新しい患者のほとんどは、ハンセン病の感染が永久的な障害を引き起こし、成人や少年少女に生涯を通して影響を及ぼすことが明確となっている場合のみ確認されています。一方で、特に人里離れた地方では、治療を完了させるのに必要な支援を確保するのが難しかったり、いったん開始した薬物治療を続けることの重要性を患者自身が理解できない、あるいは治療の継続を優先するのが難しかったりすることがあります。

しかし、治療だけでは十分ではありません。ハンセン病から治癒した人が、家族、地域社会、学校、職場といった元の社会機構の中へ最大限可能な限り復帰できるようにすることが大切です。

様々な状況下でいまだにほぼ実現不可能となっている社会復帰のプロセスを促進し、そのプロセスに貢献するためには、ハンセン病回復者たち同士の連携をさらに支援し、奨励していく必要があります。同時に、回復者たちとともに、例えばインド、ブラジル、ガーナなどではすでに行われていますが、ハンセン病患者・回復者を理解し、受け入れ、そして相互扶助と真の兄弟愛を育むための豊かな土壌を提供できるような本当の家族になれるコミュニティが広がるよう、促進していく必要があるでしょう。

マルコによる福音書の第1章で語られている、ハンセン病に罹った男をイエス・キリストが癒した話について考えてみましょう。イエスが「深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、“よろしい。清くなれ”と言われると、たちまちらい病は去り、その人は清くなった。イエスは言われた。“誰にも、何も話さないように気をつけなさい。ただ行って、祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい”」。

つまり、イエスは、男の全身を癒しただけでなく、癒した男に対し、完全なる社会復帰、「人間の共同体」への復帰を宣言できる人のところへ行くよう呼びかけたのです。

おそらく、昔と同様に今日も、ハンセン病の特徴が出た人やハンセン病患者のために働く人々にとって、この点が克服すべき最大の障壁でしょう。この病気が残す明白な後遺症である身体的な障害は、今日においてもいまだに烙印と見なされています。この病気に対する恐怖は、人類の歴史の中で最も恐れられているもののひとつであり、そこには理由などありません。地域社会全体においてこの病理についての知識が欠如しているが故に、治癒した人たちが排除され、治癒した人たち自身もまた、長いあいだ耐えてきた病気の苦しみと差別により、彼らの中にある尊厳、身体に傷はあっても決して奪われることのない尊厳を、失ってしまっているのです。彼らの“ために”、そして何よりも、ハンセン病の犠牲者である彼らに“寄り添い”、彼らが自分たちの居場所、結束、正義を見つけられるよう、私たちはさらに深く関わっていかなければならないのです。

なお、「ハンセン病とローマ教皇」のブログは、2013年6月26日2014年8月4日2016年2月8日に掲載しておりますので、ご興味の向きはご笑覧ください。

「トランプ大統領就任式に出席」―雑感― [2017年02月13日(Mon)]
「トランプ大統領就任式に出席」
―雑感―


1月24日、第9回B&G全国サミット(首長:市町村長223名、副首長41名、教育長200名、自治体関係者219名、報道関係者74名、来賓その他73名、総勢830名)で講演の機会をいだき、トランプ大統領の就任式に出席して帰国した直後でしたので、雑感をお話させていただきました。

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ご紹介賜りました日本財団の笹川でございます。私はあまり講演を得意としておりませんので、昨今では、子どもたち以外にはあまり話をしないようにしているのですが、このB&G財団のサミットだけは特別で、9回連続で出させていただき、大変光栄に思っております。

私の話は、もともと実体験に基づいた話ですので、評論家的な話は大変苦手です。今回はトランプ大統領の就任式に出席をしましたが、面識のない方についてお話するのは初めての経験ですので、皆さん方にどれだけご理解がいただけるか分かりませんが、周辺情報を集めてまいりましたので、お聞き取りをいただければと思います。

私は過去30年ほどの間に466回も海外に出掛けておりますが、ほとんどがアフリカやインドの奥地、あるいはアジアの僻地、南米の僻地という所ばかりです。時間にしますと、記録を取っただけで約3000日ということですから、刑務所に入れられたと換算すると8年位、世界のハンセン病制圧のために海外を駆けずり回ったということになるわけです。お陰様で病気のデパートといわれるような地域を回っておりますが、いまだにマラリアをはじめとした各地域の風土病になったことはありませんし、前の便の飛行機が墜落したとか、私が出発した後に内戦が勃発したとかいうようなことは多々ありましたが、運だけが頼りで生きてきたわけです。これも多くの皆さんの支えがあってのことだと思っております。当年78歳になりましたが、今だに自転車操業のごとく、ひたすら前だけ見て走り、横も後ろも振り返らないということを信条として仕事をしています。

さて、私がトランプという名前を聞きましたのは今から25年ぐらい前のことです。どうして名前を知ったかといいますと、その時分は日本がバブルの時代で、ニューヨークの5番街という世界で最も華やかな場所にトランプタワーというビルが建ちました。これはマンションで、その隣には有名なティファニーという宝石店があります。今でも日本の若い女性は、婚約指輪はティファニーが欲しいという方が多いと思います。

実は、バブルのときにこのティファニーを日本人が買収しました。ところが、後でこれが大変な高値でつかまされたということが分かったのです。ティファニーは3階建ての建物ですが、横にトランプタワーが、確か30階以上の高層ビルでして、ティファニーがもし改装して高い建物が建ちますと、このマンションからの眺めが悪くなります。当時、日本には空中権という考えがなかったのですが、アメリカにはあったのです。トランプはこのティファニーの3階以上の空中権を買収していたのです。そのため日本人は知らずにこのティファニーの3階建てのビルを買収しましたが、トランプが自分のビルの景観を守るために空中権を買い入れていたため、日本人はえらい高い物をつかまされたということがありました。そんなことで、私はトランプという名前を、当時、知ったわけです。

この方のことはもう皆さんご承知だと思いますが、父親はドイツ人、母親はスコットランドの方で、白人で長老派のキリスト教徒で当年70歳。三度結婚しており、60歳のときに今の3番目の奥さんであるメラニア夫人と結婚し、その間にまだ10歳のお子さんがいます。不動産業を始めてから4回も倒産を重ね、その中から立ち上がり、大統領に当選しました。まさにアメリカンドリームを実現したのです。彼の年収は250億円です。従いまして、アメリカの有数の大金持ちの一人です。

トランプの性格は皆さんがテレビでご覧になっている通りで、格闘技・プロレスが大好きで、長老派のキリスト教徒でありながら、右の頬を打たれれば左の頬を出しなさいというような聖書の精神に大いに反し、右の頬を打たれたら倍返ししろ。相手がぶっ倒れるまでたたき尽くせと言いそうな感じで、非常に激しい性格の持ち主であるように見受けられます。大統領の就任式でも背広のボタンを外し、赤いネクタイぶら下げて肩を振って出てくるという姿を見れば、大体想像がつくと思います。しかし一方で、大変清潔好きだそうで、アメリカ人でありながら人と握手するのはあまり好きではなく、握手の後には必ず手を洗うという潔癖性でもあるようです。

トランプの頭脳はどうかといいますと、ペンシルベニア大学のウォートン・ビジネススクールの卒業生です。ビジネススクールとしては今や世界一と言われています。ハーバード大学のビジネススクールよりはるかにランクが高い世界一のビジネススクールであるウォートン校を出ていらっしゃいますので、秀才かどうかは知りませんが、相当秀れた方ではないでしょうか。就任式の演説は、皆さんお聞きになりました通り、政治に対する思想や理念の話があるわけではなく、実に現実的な商売人としての話でしたね。大変異色な方が大統領になられたわけです。

Cトランプ大統領就任演説.JPG
就任演説をするトランプ大統領


ご承知のように、アメリカの選挙は2年間にわたり激烈な闘いを繰り広げるのですが、民主党はもう絶対的にヒラリーで決まりでしたから、トランプは出る所がなく、17人の共和党の中の泡沫候補として立候補したわけです。17人の中には生粋の共和党員であるルービンや、ブッシュ前大統領の息子でフロリダの知事で実績を挙げた人などの候補を次から次へと蹴落とし、あれよあれよという間に共和党の代表になってしまったわけです。

どういうやり方かといいますと、既存の枠組みや権威ある人たち、そういうものを破壊しようと、徹底的に1人で、Twitterを唯一の武器として活動したわけです。トランプが敵にしたのは民主党だけではありません。共和党の大部分も敵に回し、しかもホワイトハウスを敵に回し、FBIを敵に回し、司法省を敵に回し、国務省を敵に回し、財務省まで敵に回したんです。いわゆる政治の中心地である首都ワシントンDCの権威というものと徹底的に闘ったのです。ですからワシントンDC特別区のトランプさんの得票率はたった4パーセントでした。これを見てもいかにすごかったかと思います。


@米国元連邦議員経験者連盟会長(筆者右)らと.JPG
元連邦議員経験者連盟の方々との夕食会では心配する声も


今や世界の大金持ち8人で世界74億人の人口の約半分、37億人と同じだといわれています。アメリカにはニューヨークの金融のセンターであるウォール街を中心にして、金儲けに狂騒する大金持ちが獲物を狙って集まっています。もちろん先ほど言いましたように、トランプも250億円の年収があるわけですからその一部ではありますが、ウォール街の金融の専門家や大財閥とも闘ってきたわけです。

彼の言動の中には、オバマ大統領、あるいはブッシュ大統領、クリントン大統領なども非常に汚い言葉で罵しってきたことは皆さんご承知のとおりです。ヒラリーとの論争におきましても、あれほど程度の低い大統領候補の論争はないといわれるような状況でした。そういう中でもっとすごいのは、テレビでいえばCNS、CBS、NBS、いわゆる日本でいえばNHKから全てのテレビ局を敵に回しました。新聞はウォール・ストリート・ジャーナル、ワシントン・ポスト、そしてニューヨーク・タイムズ、全ての主要新聞も敵に回しました。

彼は、この巨大なアメリカの近代国家を造った既存の指導者、メディア、そしてあらゆる既存勢力を敵に回し、唯一Twitterだけで、たった1人で闘ってきたと言っても過言ではありません。にもかかわらず彼は当選をしたわけで、多分、これからヒスパニックや移民の人口が増えてきますから、白人の代表が大統領になれる最後のチャンスではないかと言われており、泡沫候補が大統領になったということです。

私見ですが、既に述べたように、トランプには政治理念や理想はありません。これはオバマと正反対ですね。オバマは理想ばかりを言って現実問題としてほとんど何もやらなかったと言っても過言ではありません。最後にキューバ問題を解決したというところはありますが、私はオバマはあまり評価をいたしておりません。

トランプの政策の柱は六つの項目で、はっきりしています。TPPはやらない。NAFTA、メキシコ、そしてカナダとの貿易協定については見直すということを言っており、これが不動産屋の一つのやり方だと思うのですが、彼の優れた点はバイで、相対で勝負しようと。あまりグループでやるとうまくいかないし、そういうのは好きではないというきらいがあります。そういうことで、貿易協定を見直し、日本に対しても自動車批判が既に出てきております。

何よりも今一度、強いアメリカを作りたい。外部に出てしまった雇用をもう一度増やすために、製造業をはじめ、みんな戻ってこいと。戻ってこないと35パーセントの関税掛けるぞというブラフをかけられてあたふたとしている自動車業界は、既にご承知のとおりです。強いアメリカの中には、雇用をもっと取り戻して、特に中西部の白人の生活レベルを上げたいという、非常に強い意志を持っています。

それから外交は、力による平和ということで軍備の強化。どのように予算を組むのかは分かりませんが、軍事費を増大していくそうです。それと治安が大変悪くなってきましたので、特に黒人を中心とした地域での治安をきちんと回復したい。そして、エネルギーはシェールオイルがありますので、今まで輸入に頼っていたサウジ、あるいは中近東からの油も要らなくなってきますから、非常に強いアメリカを造りたい。

話はそれますが、東京でも今、小池知事が「都民ファースト」ということを毎日のようにおっしゃっていますが、あれはトランプの「アメリカファースト」の言葉を「都民ファースト」に言い換えているだけの話です。これは余談です。

大統領に就任した途端、何をやったかといいますと、宣誓式が終わりましてすぐ部屋に戻り、オバマ大統領が苦労した「オバマケア」、国民の2000万人が影響を受ける保険制度を廃止するというのに署名したんですね。これが彼の最初の仕事です。そうするとトランプさんってどんな人なのということになるのですが、簡単に申し上げますと、新興成金の不動産屋が、突然日本国の首相になっちゃったという感じです。

従いまして、共和党員の中にも知り合いはほとんどいない。握手したこともないという人ばかりで、どうしても身内を頼らざるを得ないという形で出てきて大統領になり、1月24日現在、まだ閣僚は2人しか決まっていません。国防長官のマティスと国土安全保障担当のジョン・ケリーのたった2人ですが、15人の閣僚が必要です。閣僚以外でもCIAやFBIの長官ですとか、いろんなポストがあります。アメリカは人口に関係なく各州から2人ずつ出てくる上院議員100人の公聴会を通らないと正式閣僚になれないので、まだ2人では片肺飛行どころの話ではございません。

そういう政治ポストが約3000人分あり、これをがらっと変えなきゃいけないわけです。閣僚はこれからの公聴会で順次決まっていき、各省庁の次官級から局長クラスが決まるのには通常で最低1年かかるのです。ですから霞が関の局長さんは、日本では約600人ぐらいといわれますが、それと関連する組織の人は全部退陣して新たな人が入ってくるという、大移動をするわけです。

特に外交官におきましては、ほとんどが「ポリティカルアポインティ」といいまして、献金が多かった人、選挙で活躍して汗をかいてくれた人、これが英国大使になり、フランス大使になるという具合で、職業外交官が一流国の大使になる可能性はありません。日本でもこの間までのケネディさんは、何の政治的な力、外交的な力はありませんでした。アメリカの一流国への大使は、ほとんど論功行賞です。

また、アメリカには100日ルールというのがありまして、100日間はハネムーン期間で、メディアは対立しないということになっておりますが、果たしてメディア側がそれを守り通すかどうかは、大統領自身のTwitterによっては変わってくるわけです。明らかにこの人は白人主義ですね。大統領就任式で周りを見渡しましたけれども、出席者はほとんど白人しかおりませんでした。閣僚名簿にも1人も黒人の名前が挙がっていないという、オバマのときとは全く状況が違う異様な大統領就任式でした。集まった人の数も違いますし、就任式後は大規模なデモがあったということも新聞を見ていただければ分かるとおりです。

B出席者はほとんどが立ち上がったまま.JPG
出席者はほとんど白人でした


従いまして、彼はそういう激しい気性の中からNAFTAやTPPを排除し、NATO・北大西洋条約も見直さなければと言っていますし、国連をどうするかということにもつながっていくわけです。果たしてどこまで持つか私には分かりませんが、非常に個性の強い現実的な政策を打ち出していくようです。

もう既にイスラエルのネタニヤフ首相がアメリカで会見をすることになっていますが、イスラエルのテルアビブにある外交団の大使館の中から、アメリカだけがエルサレムに大使館を移動するということになれば、中東は今にも増して大混乱になる可能性があります。特に長女のイヴァンカの旦那さんはユダヤ人でユダヤ教徒です。そしてホワイトハウスにも入りましたので、大変強い影響力を持っております。

ここで新たな火花が散る可能性がありますが、とにかくアメリカファーストで、アメリカが良くならなければ世界は良くならないという考えの下に、彼はディール、いわゆる取引を通じて、これからの政治をやっていこうとするわけですから、これから日本がどのように対応するか、やはり負けないようにしなければなりません。

あの大手の新聞、メディア、既存の勢力と、Twitterだけで闘って勝った男ですから、紳士的なことを言ってみたところで彼自身聞く耳を持たない。先ほどまで大統領だったオバマが、精魂込めて議会工作したにもかかわらず、難航に難航を重ねてもできずに大統領権限でやっとたどりついた「オバマケア」という制度を、ものの見事に破棄する文書に署名をしたわけですから、何が起こってもおかしくはないと思います。

そういう意味で、いろいろな人がいろいろ解説や論評をしていますが、正しく言えば、アメリカを中心に、何も分からない不確実性の時代が到来したと私は思います。イギリスはEUから脱退をしました。メルケル首相もドイツを中心とし、何とかEUの盟主としてやっていこうと努力しておりますが、右腕であったフランスがあのような状態で左翼勢力が大変強くなってきましたので、彼女自身も非常に不安定な状況下にあります。

G7の中で言えばメルケルの次に政権が長いのが安倍首相であり、世界の中で最も社会が安定している国は日本ですから、日本に対する世界の期待も強まると同時に、われわれに与えられた国際社会での使命・役割・存在というものは、ますます高いものになっていくわけです。もちろん、国内的にはさまざまな社会課題を抱えてはいますが、世界的に見れば、これだけ安定して豊かな国は世界にはありません。

それぞれの国が社会不安を起こす理由の一つは、民族対立と宗教上の対立です。私は今、ミャンマーの国民和解の政府代表として、懸命に政府と小数民族武装勢力との和平に心血を注いでいます。ノーベル平和賞をもらったスーチー女史が、アメリカでは聖女のごとく取り扱われ、イギリスの国会で演説もして、ここでも聖女のごとく取り扱われてきました。にもかかわらず、仏教国ミャンマーにおいて、イスラム教であるロヒンギャという非常に限られた地域の問題の対応を巡っての国際批判と彼女に対する落胆は、ノーベル平和賞受賞者たちがこぞって国連安全保障理事会にロヒンギャ問題の解決という抗議文を出したことからも分かりますように、世界からあれだけ評価された女性が、ちょっと言い過ぎになりますが、一夜にして評価が変わりつつあり、懸命に努力はされているのですが、具体的な成果を出せない状況にあります。政治とは難しいものですね。

かつて日本の古い政治家の川島正次郎という人が、政治の世界は「一寸先が闇」だという名言を吐いています。トランプがどこまでもつのかはこの100日間で大体決まります。しかしながら、少なくとも4年間はやれるわけで、日本がどのように対応するかは、先ほど申し上げたように、一喜一憂しないことです。とかく日本の識者といわれる方々、新聞記事を書いている皆さま方、そして学者・文化人と称する人たちは、常に悲観主義に立った日本しか論じないのです。しかし世界から見れば、これほど豊かで平和な、いわゆる先ほど言いました宗教対立がない、民族対立もない、政治的にも安定した国は世界ではまれなのです。従いまして、我々はきちんと世界に対応できる社会であり、政治状況も安定をしており、そういう意味で内向き思考ではなくて、もっともっと自信を持つ必要があります。世界になくてはならない日本という存在は、特に東南アジアを中心にして急速に評価を高めています。にもかかわらず、私たちが自信を持てないことの落差は残念でなりません。

戦後70年が経ちました。かつての国連、国際連盟というものが最初、アメリカのウィルソン大統領によってつくられましたが、その国際連盟において、「人種差別撤廃法案」というものを最初に出したのはどこの国でしょうか。あの当時、世界で初めて人種差別撤廃を提案したのは日本政府で、言ったのは新渡戸稲造です。国際連盟の事務次長までして『武士道』という本を書かれた方です。現在、人種差別がいけないとか何とか、世界中で言っておりますが、最初に国際社会に発案したのは日本です。そして、その法案を否決したのは議長であるアメリカのウィルソン大統領で、同数になり提案を無視して破棄してしまったわけです。

そういうことで、日本は伝統的にも歴史的にも、国際社会の中できちんとした位置付けができる優れた国であるということに私たち一人一人が自信を持ち、そして素晴らしい日本国を造り上げたことで、既に世界の中で尊敬される国になっているわけです。そこを知識人やメディアのコメンテーターと称する人たちを含めまして、全く分からずに発言をしているということは、私たち日本国民の方向性を誤るだけではなくて、子どもたちに対しても良い影響を与えないのではないかと憂慮しております。

日々の報道によって一喜一憂することはありせん。日本国は世界から素晴らしい評価の対象になっています。別に私は安倍首相を持ち上げるつもりはありませんが、世界中を飛び回って、非常に高い評価を受けているのが分かります。個々の事例を見て、井戸の底から世界を見るのではなく、やはり鳥のごとく、1度空に舞い上がって世界を俯瞰してみれば、長い歴史と文化によって培われた日本という国がいかに素晴らしいものであるかということは理解できるのではないでしょうか。

どうぞ皆さま方におかれましては、日米関係も含め、イギリスのEU離脱、あるいはNATOの崩壊ということもあるかも分かりませんが、わが日本国はそういう国際的な評価の中でこれから生きていくので、一喜一憂せずに、自信を持ってじっくりと構えて、それぞれの与えられた分野の仕事をしようではありませんか。

最後に、日本財団はモータボート競走の収益金によって運営されておりますが、日本はもとより、世界中のさまざまな課題に対処をして活動しています。昨今、社会課題が非常に複雑・多様化してきております。特に子どもの貧困問題について関西地区での私たちの聞き取り調査によりますと、「君、将来何になるんだい。何になりたい」と聞くと、「うちはおじいちゃんもお父さんも生活保護でやってきたから、僕も生活保護でいくんだ」という答えが返ってくる。実話ですよ、これ。世界中回って子どもたちに聞けば、お医者さんになりたい、看護師さんになりたい、あるいは学校の先生になりたいという答えが必ず返ってくるのですが、僕、何になるか分からないという答え。これはやっぱり私たちに与えられた大きな責任ではないでしょうか。

次代を背負う子どもたちのためにご尽力をいただいている皆さん方です。どうか、日本財団はそういう貧困の家庭の子どもだけに特定はせず、第3の子どもの居場所づくりというものを作っていこうと思っています。私の子どもの時分には、学校から帰ればかばんをおっ放り出し、お米屋さんの前ですとか、炭屋さんの前に行けば必ず5、6人の子どもたちがいて、上は中学生から下は幼稚園児ぐらいが集まっていろいろな遊びをし、その中で「長幼の序」ありを自然に覚えたものです。現代はそういう仕組みがなくなって横社会といいますか、学校でも学習塾でも同学年との付き合いはあるが、学校から家へ帰るとスマホしかしないのです。

第3の居場所づくりを、これから全国的にやっていきます。そこには鉄棒もあれば縄跳びもできる。あるいは跳び箱もあり跳び方も教えてくれる。将棋も教える。そして時間があれば勉強もしてもらう。場合によってはおなかが空いたら食事の世話もすると。そして子どもたちだけじゃなく、年を重ねた大人も参加し、食事作りや昔話を聞かせてたり、工作の仕方を教えてくれたりもする。定年後、家庭にだけいては夫婦の間がぎすぎすしたものになります。老人も、老人っていうと失礼ですけれども、活動できる元気な人たちが、子どもたちと一緒に新しいコミュニティーをつくっていかないといけないのではないかということで、日本財団は「第3の居場所づくり」を全国展開していきます。

皆さまの所でそういうご要望がございましたら、われわれは喜んでお伺いいたします。とにかくすぐ仕事をするのが日本財団のポリシーです。難病を抱える子どもたちの施設を造るのも大々的にやっておりますし、皆さん方の地域で抱えている社会課題がございましたら、ぜひお声を掛けていただき、皆さん方と共に明るい未来を子どもたちに伝えていく責任が私たちにはあるのではないかと思います。共に汗をかいて仕事をさせていただきたいと思っておりますので、遠慮なく日本財団をご活用ください。ご清聴ありがとうございました。

訂正
トランプ大統領はウォールトンのビジネススクール出身と書きましたが、ウォールトンスクール(経営学部)出身の誤りでした。訂正させていただきます。
「国際連合人間居住計画」―障害者と都市開発― [2016年11月11日(Fri)]
「国際連合人間居住計画」
―障害者と都市開発―


20年振りに開催される国連機関「HabitatIII」でスピーチをするため、南米エクアドルの首都キトを訪れた。

国連機関の膨張化、肥大化に歯止めをかけてスリム化すべしが私の持論だ。既に存在意義を失った感のある20年振りに開催される「HabitatIII」に参加することは一見矛盾するが、日本財団が2020年のパラリンピック開催に向け、そのレガシーとして、日常、障害者も健常者もバリアーのない生活ができる社会の実現こそ理想と考え、又、この理想を世界に普及させたいと、国連を中心に機会あるごとに障害者問題について発言・活動してきたからだ。

仮設の会場は立ち見の観客も含めて約200名ほどで、その場での発言の効果はあまり期待できるものではなかったが、私の発言内容が国連のウェブサイトにアップされることで、ともすれば国際社会での日本の発言力が弱いといわれる中で、ささやかでも一助になればとの考えで招待に応じ、スピーチをしたわけである。

エクアドルには、20年前にガラパゴス諸島へ監視船を提供するために動物博士のムツゴロウさんと共に訪れて以来であった。今回は滞在中にGonzalo Gonzalez(ゴンザロ・ゴンザレス)・ハンセン病病院訪問療養所を訪れることができた。患者の方々の危惧は、病のために故郷を追われてここに住みついて30〜40年。回復者にとって唯一の安住のこの場所が、病気の減少によって立ち退きが現実化するのではとの恐怖心であった。

ムツゴロウさんと.png
1996年2月4日、監視船寄贈式にはムツゴロウさんも出席してくださった


私の活動は、ハンセン病の制圧から回復者の偏見差別の撤廃活動、更に世界中の回復者がかかえる深刻な問題、例えば不法居住による立ち退き問題、年金問題、差別を受ける子供たちへの教育問題等々、多岐複雑になってきた。1人でも1ヵ所でも多く、問題の解決へ協力することが私の人生活動になってきた。

話は変わるが、アフリカ・ガーナで死去した黄熱病の病原体を発見した野口英世博士は、当初、黄熱病が大流行していたご当地エクアドルにロックフェラー財団から派遣されて病原体の特定に成功。野口ワクチンにより南米での黄熱病は収束したといわれている。エクアドルには野口英世を称えるため野口小学校や野口通りもあるらしく立派な銅像もあったが、近年、銅の値上がりの中で盗難にあい、台座だけが残されているとのことで、残念なことである。

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国際連合人間居住計画IIIハイレベル会合
障害者インクルージョンとアクセシブルな都市開発


2016年10月17日
於:エクアドル・キト


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「HabitatIII」でスピーチ


ウー・ホンボ事務次長(国連経済社会局、The United Nations Department of Economic and Social Affairs :UNDESA)、エクアドル政府ならびに国連経済社会局の皆さま、本日はお招きいただき心より感謝申し上げます。

本日は、世界の都市開発の観点から障害者インクルージョンとアクセシビリティについて議論されるこのフォーラムにおいて、皆さまの前でお話させていただけることを光栄に思います。

Habitat IIIの会議テーマでもいくつか取り上げられております通り、災害時のリスクマネジメントがあってこそ、都市開発は成立します。我々の生活と安全は災害時には危機にさらされるということから、都市計画において障害者の声が反映されることは不可欠です。しかし、残念なことに、この考え方は、国際レベルにおける災害リスクの軽減施策に未だに反映されていない状況です。

昨年、私が第3回仙台国連防災世界会議で障害者インクルージョンに関する提案をした理由について、これからお話しさせていただきます。

多くの皆さまはご記憶に新しいかもしれませんが、日本の東北地方は5年前、大震災と津波の被害に見舞われ、多くの尊い命が失われました。そして、障害者の死亡率は犠牲者全体の死亡率の少なくとも2倍にも上っていたという調査があります。また、この調査では、障害者の死亡率が高かった要因の1つとして、これまで災害リスクの軽減施策の策定や実施に障害者が参加していなかったことを指摘されました。私は、多くの人が犠牲となってしまったことに心を痛めると同時に、今なお、障害者が重要なステークホルダーとみなされていないこの状況を変える必要があると痛感しました。

災害が発生した時、障害のある人々は、他の人々より被害の影響を受けやすい傾向にあります。実際、どのようにすればこのようなリスクを可能な限り軽減することができるか議論されてきましたが、障害者が主たるステークホルダーとして議論の中心におらず、多くの場合は単にオブザーバーとして参加しているだけだったと思います。

私は、彼らのニーズを満たし、インクルージョンと平等なアクセスを実現するために、災害リスクマネジメントにおける障害者の参加の重要性を強調してきました。私は、この経験に基づき、昨年の仙台国連会議の準備過程で、国連機関や各国政府、NGOなどに対し、障害者の主体的な参加の重要性を訴えてきました。

細心の注意を払って計画を立てた結果、街や会場の中を自由にアクセスできるようになり、多くの障害者がこの会議に参加し、彼らが意見を述べたことで、彼らの声を「仙台防災枠組」という成果文書に反映させることにつながりました。私は仙台において、非常に大きな進歩を遂げたことを実感しました。

災害リスクの軽減や都市開発だけではなく、国家政策や国際システムにおいて障害者が意思決定に参加することが大変重要です。障害者が参加できず、彼らの意見が大多数の人たちの声にかき消されることが積み重なると、インクルーシブではなく、アクセシブルでもない社会をつくり出してしまうかもしれません。

私は、将来、障害者が意思決定の場に参加することが当たり前となるためには、HABITATVのような会議が重要な役割を果たすのではないかと感じています。

インクルージョンを実現するため、日本財団は、このフォーラムに参加できない方々のために、情報通信技術(Information Communication Technology:ICT)を使った遠隔からの参加(Remote Participation)を支援しています。私たちは、多くの国際会議において、このような取り組みがなされることを期待しています。

さらに、日本財団は、現代のテクノロジーを使った新たな革新的なプロジェクトに取り組んでいます。私たちは、「Bmaps」というスマートフォンのアプリケーションを本日ご参加の垣内氏と共に開発中です。その内容は、彼が水曜日のステークホルダー円卓会議で発表する予定です。

「Bmaps」は、公共交通機関、宿泊施設、飲食店、ショッピングモールなど都市のバリアフリー情報を障害者に提供します。「Bmaps」から得た情報を活用することによって、アクセシビリティが高いところに人が集まるようになり、その結果、その周辺がよりアクセシブルになるかもしれません。本日、この後、「Bmaps」のより詳しい説明が予定されています。

現在、世界では持続可能な目標としての障害者インクルージョンへの関心がこれまでにないほど高まっています。しかし、関心や議論だけで終わってしまっては、本当の意味での障害者インクルージョンは実現しません。刻一刻と変化する世界の中で、今こそ、すべての人々が障害者インクルージョンのために一丸となって行動すべき時です。

その一環として、現在、まだ限られた人数の障害者リーダーをさらに増やすために、日本財団は世界銀行と共に障害者ビジネスリーダー国際会議の開催を計画しています。

本日、私は障害者インクルージョンについてお話してきました。私は人々のニーズは、一人ひとりが暮らす環境の数だけあり、実に多様であると感じています。例えば、日本は世界の中で最も急速に高齢化が進んでいます。もし今、立ち止まって、それぞれの方々がどのようなことを必要としているか考えなければ、障害者だけではなく、私のような高齢者やその他の特別な配慮が必要な方にとって、大変暮らしにくい環境になってしまうでしょう。

最後になりますが、このセッションへ参加させていただいたことは、私にとって大変貴重な経験です。いつの日か、障害者インクルージョンについて議論する特別なプログラムを設ける必要がなくなることを期待しています。

ありがとうございました。

「海に水がない地形とは」―海底地形図― [2016年10月03日(Mon)]
「海に水がない地形とは」
―海底地形図―


海底地形図とは、何かの理由で地球の海水がまったくなくなったと仮定するとどんな地形なのかを調べて作成した地図です。地味な仕事ですが、日本財団はこのプロジェクトを2004年より支援し、世界で34カ国72名の研究者を養成してきました。

今回の国際会議は、海の未知を知りたいと努力されたモナコのアルベール二世(アメリカの女優・グレース・ケリーの息子)の祖祖父・アルベール一世大公を偲んでモナコの海洋博物館で行われました。世界各地からこの道の専門家が多数参加。海に関連する多くの団体の幹部も出席し、盛会でした。

アルベール2世モナコ大公にフォーラムにご出席.jpg
アルベール二世大公殿下と


下記の私のスピーチをお読み下されば、「海底地形図」の重要性をご理解いただけると思います。

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The Nippon Foundation-GEBCO Forum for Future Ocean Floor Mapping


2016年6月15日
モナコ海洋博物館


アルベール二世大公殿下、ご臨席の皆様、
GEBCO(General Bathymetric Chart of the Oceans)とモナコ公国との繋がりは、アルベール一世殿下(Prince Albert the First)が海底地形図の必要性を提唱され、地形図の作成を始められた20世紀初頭まで遡ります。皆さまご存知のとおり、彼は現代海洋学の父であり、本日このフォーラムにご臨席いただいている殿下の祖祖父にあたります。彼のご遺志を引き継ぎ、GEBCOに多大な支援をしてくださっている殿下にご出席いただけたことを光栄に存じます。

現在の世界の海は、当時とは比べものにならないほどその環境を悪化させています。気候変動、海洋汚染、海洋生物多様性の喪失等の問題は関連しあい、影響を及ぼしあっています。それぞれの課題を切り離して対応することはできません。

これらの問題に対処するための基礎的なデータとして、海底地形情報は非常に重要です。しかし、深海も含め実際の測量データは限られており、まだ15%しか海底地形の全容は分かっていません。何と、クック船長の時代の測量データが未だに使われている海域もあるのです。皮肉にも、私たちは頭上約7,500万kmにある火星の表面のことを、海底の地形より把握しているのです。(!)

海底の状態が分からなければ、天然資源の分布も分からないし、安全な航路の設定もできません。したがって、人類に迫る海洋の危機的状況に対して、海底地形情報の精度を上げることは「海の持続可能な開発」を進める上で不可欠です。そして、この課題に対してGEBCOが果たせる役割は大きいと私は考えています。

日本財団は2004年より、GEBCOとともにフェローシップ事業を展開し、これまでに33ヶ国の72名を育成してきました。彼らの多くは、修了後に自国に戻った後も、今後自分がGEBCOにどのような貢献ができるかについて議論をしてくれています。

しかし、現時点ではアルムナイの交流は主に自主性に委ねられ、帰国後の職務の関係でこのような議論の場に参加できないフェローもいます。彼らはプログラムを通じて卓越した知識と技術を身につけています。海底地形図の解明のために貴重な人材である彼らが継続的に連携を図れず、その能力を最大限に発揮できていないとしたら、海の未来にとっても大きな損失なのではないかと思います。今後、アルムナイたちが力を合わせて新たな挑戦に取り組むためには、しっかりとした組織(プラットフォーム)が必要なのではないでしょうか。

大公殿下、ご臨席の皆様、
本日ここに、フェローシップ・プログラムを修了した全てのアルムナイのための「日本財団-GEBCOアルムナイ連合」の設立を提唱したいと思います。

この組織(プラットフォーム)が可能にすることは次の3つです。
1つ目は、現在、海底地形図作りに加わっていない沿岸国の参画を、フェローの知見を結集して後押しできるということです。

2つ目は、他分野と連携したスキルアップ研修の実施です。このような研修は彼らのキャリア開発を大きく支援するでしょう。

そして3つ目は、GEBCOの活動をより多くの方々に分かりやすく伝えていく活動です。

今日ここに集まってくれたアルムナイの皆さんには、ぜひこの組織(プラットフォーム)を最大限に活用してこれからのGEBCO、そして世界の海の未来を牽引していって欲しいと思います。

大公殿下、ご臨席の皆様、
この場を借りて、もう一つお話ししたいことがあります。
現代社会では、技術の発展が、目に見える形で世の中をがらりと変えてしまいました。例えばタブレットやスマートフォンで、誰もが簡単に最新の衛星画像を目にすることができます。情報技術と様々な分野の連携によって、これからも世の中は変化し続けていくことでしょう。

そんな時代の中で、高度に専門的な海洋の情報と技術が結集しているGEBCOにも、新しい役割が求められています。海洋の情報インフラの基礎となる海底地形情報は現在、様々なユーザーたちによって利用されています。しかし、情報を求めるすべてのユーザーにとって使いやすく、連携しやすい仕組みができているとは言えないのではないでしょうか。

さらに、多様なステークホルダーの全てが、GEBCOの存在や貴重な海底地形情報が得られることを知っているわけではありません。

今日、この会場には、卓越した技術や経験を持つ皆さまが結集しています。水産業、情報技術、鉱物資源の開発や探査、海事産業など、あらゆる分野のスペシャリスト、そして関係する科学者や国際機関、政府関係者の方々が集まってくださっています。

私は、分野を超えた連携を行うことで、世界の海の管理と保全を進める上での新たな可能性を広げられると思います。異なる技術が組み合うことが複雑な海の問題解決のためのイノベーションに繋がるかも知れません。

そのためには、GEBCOには、よりユーザーの目線に立った情報の共有を行うとともに、今までに連携することのなかったセクターとの交流を深めていってもらいたいと思います。またGEBCOデータが所有する貴重な海底地形の知見が、他分野に応用される大きな可能性を秘めていることを知ってもらうために、積極的なアウトリーチが必要だと思います。

日本財団は、常に海に関する人類の課題に対して、新たなチャレンジをしていく組織でありたいと願っています。私たちはGEBCOと共同で、未だに15 %程度しか解明されていない世界の海底地形の全容を、2030年までに100 %解明することを目指したいと思います。この目標を達成することは簡単ではありませんが、皆さまのご協力をいただければ、実現に近づけられると私は思います。

このプロジェクト(計画)は、100年以上前にアルベール一世大公が抱かれた、海の未知のフロンティアを知りたいという夢を具現化するものです。一世紀以上も前から将来の人類と地球を見据え、海底地形を明らかにするという大変重要なイニシアティブをとられたアルベール一世大公の素晴らしい先見の明、そしてそれを継承され、世界の海洋のためにご尽力されているアルベール二世殿下のパッション(情熱)を、私たちは具現化し、豊かで持続可能な海を後々の世代に引き継いでいきたいと思います。
ありがとうございました。
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