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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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「インドのハンセン病の現状」 [2015年04月10日(Fri)]
「インドのハンセン病の現状」


ハンセン病といえばインド、インドといえばハンセン病といわれる時代が長く続きました。

WHOは人口1万人に1人未満の患者数になることを公衆衛生上制圧されたと定めました。インドでの制圧は不可能といわれていましたが、政府並びに各州政府の懸命な努力によって、2005年12月、見事国家レベルでの制圧に成功し、インドの奇跡ともいわれました。

私は多い時には一年に7回もインド各地を訪問し、この活動に参加してきました。1980年以降、1100万人が病気から解放されましたが、日本財団が5年間、世界中でハンセン病の特効薬を無料で配布したことが大きく寄与したことはいうまでもありません。

世界中で激減したハンセン病ではありますが、今現在も約20万人の人々が新たに発症しています。その6割がインドで、統計学的には今もインドといえばハンセン病といえなくもありません。

インドの父マハトマ・ガンジーは、国家政策のマニフェストの17番目にハンセン病の制圧を掲げていました。それほど深刻な問題だったのです。ガンジーは「ハンセン病の患者を治すことは、その人の生活を変えることだけでなく、村を変え、最後は国を変えることなる」と述べていました。

昨年9月と11月の二度、モディ首相と面談し、ハンセン病対策へのさらなる努力を要請しました。モディ首相はガンジーと同じグジャラート州の出身です。今年1月の『世界ハンセン病の日』には、「ハンセン病は完全に治る病気です。皆さんと一緒にインドをハンセン病のない国にしましょう」と、力強く宣言してくれました。

父・笹川良一がインドのアグラにハンセン病の病院を建設したのは1967年、48年前のことで、以来、親子二代にわたり活動してきました。しかし2005年のハンセン病制圧で各州のハンセン病対策は、残念ながら停滞気味になり、患者数も毎年12万人程度と横ばい状態です。

大都市スラムや国境地帯、山岳地帯にはまだまだ隠れた患者がいるものと推測されます。この反省に立ち、各州の『ハンセン病担当者会議』に出席して下記のスピーチを行いました。

********************

州ハンセン病担当官会議


2015年3月10日
インド・ニューデリー


スピーチ.JPG


インドは、2005年12月に国家レベルでの公衆衛生上のハンセン病制圧に成功しました。このような偉業を成し遂げることができたのは、ハンセン病による苦しみから一人でも多くの人々を救うために、皆さまがたゆまぬご尽力をされてきたことに他なりません。

しかし、この10年の間に、ハンセン病を取り巻く状況は変化し、ハンセン病制圧への勢いが失われてきているようです。当時と今とでは状況が大きく異なり、インドでは未だに毎年12万人が新たにハンセン病を発症し続けているという停滞状況にあります。

私はWHOハンセン病制圧大使として、ハンセン病患者と回復者が直面している状況について理解を深めるために、世界各地の離島や山岳地帯に足を運んでまいりました。多くの場合、このような地域に暮らすハンセン病患者は治療を受けておらず、彼らの多くは身体に障害を負っていました。特に国境付近など人の移動が激しい場所や都市近郊のスラムなどにおいて、この傾向は強いようです。さらに、スティグマや差別を恐れて、家の中に閉じこもり、ひっそりと暮らしている人々もいます。

このような状況はインドも例外ではなく、遠隔地域や国境付近、都市近郊のスラムなどサービスが行き届いていない場所で有病率が高くなる傾向にあります。こうした地域に暮らす人々にリーチすることは困難ですが、だからといって、そのまま放置していると、症状が進むにつれ、身体に障害が出てきてしまいます。それがハンセン病の怖さなのです。そして、インドには、ハンセン病によって障害を負ってしまった人々が約30万人もいるといわれています。

さらに、私が懸念していることは、子どもたちが障害を負っているケースを目にすることです。他の国の島を訪れた時のことですが、若干4歳でハンセン病を発症している女の子に出会いました。幸いその女の子は、ハンセン病患者の家族を定期的に訪問していた意識の高い看護師により発見され、早期の対応がなされ、目に見える障害も見られませんでした。しかし、もしも発見が遅れ、治療をしていなかったら、彼女の人生はどうなっていたかと思うと心が痛みます。

ここインドにおいても、私はハンセン病により障害を負ってしまった子どもたちに会い、その度に胸が締め付けられる思いをしてきました。もし、子どもたちがハンセン病を発症し、障害が出るまで症状が進行してしまっている場合は、そのコミュニティにおけるハンセン病対策が機能していなかったと言わざるを得ません。

インドのように広大な土地を持つ多様性に富んだ国においは、それぞれの州や県において状況が大きく異なっております。ハンセン病患者へのサービスをいかに改善し、最も必要とする人たちに届けるかが大きな課題です。

当面の課題は、皆さまがそれぞれに担当している州が抱える問題を明らかにし、問題に対応した明確な目標を掲げ、個別の行動計画を立ててくことです。さらに、各県が抱える問題を明らかにし、それらの問題に対応した個別の行動計画を立て、最大限の結果を得られるような革新的な取り組みができるよう、県のハンセン病担当官を指導していただきたいと思います。

早期発見・早期治療に成功している県、すなわち、新規患者やグレード2の障害(目に見える障害)を負う患者の減少が報告されている県においては、県のハンセン病担当官の努力を称え、今後も様々なステークホルダーと連携し、継続的に活動してもらえるように励ましていただきたいと思います。

中・長期的にハンセン病対策を継続、改善するために、今後の協力が期待できるNGO、特にハンセン病患者と回復者がハンセン病対策に積極的に関わっていけるよう検討していただきたいと思います。コミュニティに根差し、幅広く活躍しているASHA ladies(女性のボランティア)のようなステークホルダーと協力することで、早期発見・早期治療を促進させることができるでしょう。同様に、研究者、医療専門家、国際ハンセン病団体連合や笹川インドハンセン病財団などの支援組織との連携強化も期待できます。

皆さまご存知の通り、ハンセン病は単に病気だけの問題ではなく、病気に起因する偏見や差別という深刻な問題を伴います。早期発見・早期治療に取り組むことは、単に患者数を減らすだけではなく、同時に、ハンセン病による偏見や差別による苦しみから解放される人々を減らすことにつながることを忘れないでください。

今こそ、私たち一人ひとりが決意を新たにし、2017年までにすべての県において公衆衛生上のハンセン病制圧を実現し、ハンセン病による苦しみを抱える多くの人々を救うために、ともに手を携えていきましょう。

会議には約100人が参加.JPG
会議には約100人が参加

「国連笹川防災賞授賞式」 [2015年04月08日(Wed)]
「国連笹川防災賞授賞式」


2015年3月17日
於:仙台国際センター


第3回国連防災世界会議は3月14日〜18日まで仙台市で開催され、盛況であった。

この間「国連笹川防災賞」の発表と授賞式が行われた。

この賞は30年前に設置したもので、その先見性にいささかの自負もあり、国際的にも評価の高い賞ではあるが、残念ながら日本での報道は少なかった。

今年の受賞者は英国のアラン・ラベル氏で活動国はコスタリカ。
受賞理由は
「多主体環境において様々な役割を担う中で、ラベル氏個人が継続的に大きな影響力を持って続けた取り組みが、氏を『防災界におけるリーダー』たらしめた」
「(氏の)『大局的見地から見る能力』のおかげで様々な決定に動機づけや仲立ちが行われ、総合的な防災対策が開発されました」
「全ての人に気軽に直接会うラベル氏には、公的な仕組みを地元の地域社会のニーズに合わせて調整し、地域住民に力を与え、常に人間のニーズを強調する能力が備わっていました。この力は『全く異なるコミュニティを結びつける接着剤』となってきたのです。これはどんな時も時代を超える模範です」
でした。

防災賞受賞者のアラン・ラベル氏(中央)とUNISDRのワルストロム代表.JPG
防災賞受賞者のアラン・ラベル氏(中央)


下記はその折の私のスピーチ要旨です。


************


自然災害は世界各地で頻繁に発生しており、人々の生活に被害をもたらしています。日本財団は、人道支援に取り組む団体として、長年にわたり、国内外の災害に対する緊急支援や復興支援を実施してきました。

私たち日本財団は、緊急支援や復興支援を通じて、災害が人々の生活に深刻な影響を及ぼすということを直に経験し、30年前、国連とともに笹川防災賞を創設しました。この賞は、自然災害のリスクを軽減するための活動を促進し、そのための知識や経験を共有できるグローバルなプラットフォームを構築することを目的としています。

ここ数十年の間に、「防災」は狭義の技術的な領域という認識から、持続可能な開発に焦点を当てた、よりグローバルで広範な動きへと発展しました。笹川防災賞がこうした時代の変化とともに進化し、より革新的で多様性のあるものへと成長してきたことを嬉しく思います。

2015年の国連笹川防災賞のテーマは、「未来を形作る(Shaping the Future)」です。本テーマのもと、今年は様々な分野を代表する団体や個人から、過去最多のノミネートがありました。私も皆さまと同様に、これから発表される2015年の受賞者にお会いできること、そして、受賞者の方から、どのように安全なコミュニティをつくり、より良い社会を実現していくかについてお話を伺えることを楽しみにしております。
「戦後70年問題」―フィリピン残留日本人二世― [2015年04月06日(Mon)]
「戦後70年問題」
―フィリピン残留日本人二世―


安倍首相が戦後70年を節目として首相談話を発表することになり、にわかにメディアが騒がしくなってきた。しかし、隣国との関係などで全ての人が納得、満足する談話などあるはずはない。

したがって、個人的には70年だからといって特別に首相が談話を発表する必要はないと考えている。しかし、国家の最高責任者として発表したいという首相のお考えは尊重されなければならない。願わくば、戦後70年間、日本が如何に世界の平和と安定に貢献してきたかを述べ、今後の日本の役割と決意を発表することで、尊敬と敬意を持って国際社会から評価されるよう願ってやまない。

戦後70年。ロシアとの北方四島解決と平和条約の締結、北朝鮮問題、慰安婦問題など韓国との関係、尖閣諸島問題などを中心とした中国との関係等々、二国間で解決すべき問題は多い。安倍首相の70年談話がどのような内容になるのか知る由もないが、これを契機により積極的な解決策が模索されるよう切望する。

ところで、読者は戦後、母とともに現地に取り残されたフィリピン残留日本人二世の問題をご存知だろうか。これも戦後70年を経てなお未解決の問題だが、これは日本政府の決断次第で解決可能な問題でもある。

日本財団は海外日系人の支援を活動指針の一つにしており、長年に亘り、中国残留日本人孤児の国籍取得やサハリン残留日本人に対する支援、フィリピン残留日本人の救済に対しても長年、支援に取り組んできた。

このほど日本・フィリピン友好議員連盟の中にこの問題に取り組むための特別委員会が立ち上がり、3月30日の総会で小坂憲次会長のご理解を得て挨拶の機会を得た。

以下、私のスピーチと問題解決に向けた要望事項四点を報告する。

********************


フィリピン残留日本人二世は、中国残留孤児やサハリン残留日本人と同様、「日本人」でありながら日本に帰ることが出来ずにフィリピンで人生を過ごしてきた人々です。フィリピン残留日本人二世は、フィリピン人を母に持つ混血児にはなりますが、当時の国籍法では「父親の国籍をその子が受け継ぐ」という父系血統主義の時代に生まれた人たちですから、間違いなく「日本人」なのです。

長年の願いを訴える比残留日本人2世.jpg
長年の願いを訴える比残留日本人2世


しかしながら、太平洋戦争で二世たちの運命は劇的に変化しました。父親が戦死したり強制送還されたりで、一家離散になってしまったのです。戦後フィリピンに取り残された二世は、すさまじい反日感情に向き合わねばならず、それを避けるように人里離れた場所に住んだり、日本人であることが分からないように名字を母親の姓に変えたり、現地の子供よりも白い肌に墨を塗ってフィリピン人っぽく見えるようにしたりと、苦労を重ねることとなったのです。

戦争によって翻弄された人生を歩んできたフィリピン残留日本人二世は、父親のことを知りたい、自らのアイデンティティーの確立をしたいとずっと思い続けてきました。日本人であるのに日本人と認められないのは、まさに戦中・戦後の混乱があったからで、二世には全く責任のないことです。

戦争の犠牲者である二世たちを、同じ日本人として何とか救済できないかということで、日本財団では、2006年よりフィリピン日系人リーガルサポートセンターと共に国籍回復事業を行ってきました。二世たちの平均年齢は既に76.3歳、残された時間は少ないのです。また、昨年、日本国籍を取得して来日しようとした二世は、日本国籍を取ったことでフィリピンの70年間分の不法滞在費を支払うよう命令を受けました。

このように、国家間の問題へと発展しつつあるこのフィリピン残留日本人二世問題は、既に私たち民間が取り扱える範疇を超えてきております。

戦後70年が経過し、政府は遺骨収集にさらに力を入れていくと報道されていますが、フィリピン残留日本人二世が生きている間に、「日本人として認めてほしい」という彼らの長年の願いを叶えるべく、本日ご出席の国会議員の皆さまから政府に働き掛け、早急な救済措置を取っていただけるようお願い致します。


―要望事項―


今からでも遅くない。
フィリピン残留日本人に中国残留日本人と同様の援護を。

1) 日本政府(厚生労働省)は、依頼のあったフィリピン残留日本人につき、保有する軍関係資料、引揚関係資料等を活用し、身本捜しを実施してほしい。
2) 日本政府は、中国残留孤児につき中国政府と共同で実施している訪中調査に倣い、フィリピン残留日本人につき、フィリピン政府の協力のもと、共同調査を実施し、孤児認定を行い、認定された人を「フィリピン残留日本人孤児名鑑」に掲載し、日本において情報公開調査を実施してほしい。
3) フィリピン残留孤児問題(肉親捜し、国際問題、在留資格問題等)の解決に向け、日比両政府の協議を実施してほしい。
4) その他、中国残留孤児に対して行っているのと同様の支援を実施してほしい。
以上
「国連防災会議の問題点」―障がい者は対象にあらず― [2015年04月03日(Fri)]
「国連防災会議の問題点」
―障がい者は対象にあらず―


第3回国連防災世界会議は、安倍首相出席のもと、世界の政治指導者も参加して仙台市で華々しく開催されたことは報道された通りである。

過去の国連防災会議での最大の問題は、驚くべきことに、障がい者がその対象になっていないことである。残念ながら、今までこれを問題として取り上げた報道もされてこなかった。

障がい者を国連の防災、そして上位概念である持続可能な開発の枠内に市民社会の主要なグループの一つとして入れるには国連決議が必要で、日本政府の今後の努力が期待されている。決議が採択されなければ、今回仙台で採択され初めて適切に障がい者について言及した「仙台防災枠組」の意義すら失いかねない大きな問題が残っていたのである。

日本財団の活動の重点項目の一つは障がい者支援ある。その専門家でもある石井靖乃は、国連防災の枠外であった障がい者を対象に入れるべく懸命の努力をしてきた。

今回、彼の努力でワーキングセッションが開催され、発言の機会を得た。また、国連国際防災戦略事務局(UNISDR)ワルストロム特別代表は閉会式で「障害者グループ、日本財団、日本政府などのサポートにより、この会議は最もアクセシブルな国連会議となった。アクセシビリティの新しい基準が設けられといっても過言ではない。」と述べた。我々は民間の立場から国連防災、そして持続可能な開発に障がい者を入れるべく、粘り強い活動を展開していきたい。

*********************


第3回国連防災世界会議ワーキングセッション
「全ての人のための包括的防災における障がい者の積極的参加」


2015年3月17日
於:仙台国際センター


ワーキングセッション会場.JPG
ワーキングセッション会場


今日、障がい者は、世界人口の15%にあたる10億人いるといわれています。このように社会で大きな割合を占めるこのグループが、災害や緊急時において、障がいのない人と比べると被害を受けやすいという状況にあることは誠に遺憾なことです。このような事態は、適切な災害対応や復興支援を可能にするインフラ整備や政策に障がい者がアクセスできないことが原因で引き起こされています。

その影響は、東日本大震災の事例からも明らかです。NHKの調査によると、東日本大震災における障がい者の死亡率は、全体の率に対して2倍〜4倍であったといわれています。

私が東日本大震災の支援活動を通じてお会いした障がい者の方は、緊急避難から復興への過程で、ご自身が直面された課題を共有してくださいました。大きな課題は情報へのアクセスについてでした。例えば、緊急避難の際、サイレンやラジオといった音声のみの警報は聴覚障がい者には届きませんでした。そのため、情報を得た上での意思決定や必要なサービスへのアクセスをすることが困難な状況でした。また、公共施設における課題として、多くの避難所では、車いす利用者が生活する上での配慮がありませんでした。

これらの事例は、コミュニティの災害リスク軽減に関わる計画や実施のプロセスに、これまでの間、いかに障がい者の参加ができておらず、彼らがレジリエントな(強靭で回復力のある)コミュニティの復興に貢献できる機会を奪われてきたかを物語っています。

言い換えれば、これまでの間、障がい者はコミュニティにおける重要な一員であるという認識がなされていなかったということでしょう。

このような教訓を最大限に生かし、同じことを繰り返さないために、日本財団は被災地のコミュニティの方々とともに活動を行ってきました。私たちは、被災地のコミュニティが、被災前の状態に戻るだけでなく、障がい者を含めた多くの関係者とともに、さらにレジリエントな(強靭で回復力のある)コミュニティを構築できるよう支援しております。
また、私たちは、世界中の様々な地域において、障がい者を含むインクルーシブな防災の取り組みを促進させるため、国連機関とも活動を行ってきました。

2012年、東京において、国連経済社会局と共催した国連専門家会議では、NGO、大学、企業、テレビネットワークを代表する専門家が一堂に会し、情報アクセシビリティの意識啓発、災害対応および災害管理における障がい者の参加に関する提言を作成しました。そして、2014年4月、日本財団は、国連アジア太平洋経済社会委員会と障がい者を含むインクルーシブな防災に関するアジア太平洋会議を共催し、障がい者を含むインクルーシブな防災という視点を「ポスト兵庫行動枠組2015」に含めるための提言書を提出しました。

今回、この国連防災世界会議で初めて、障がい者を含むインクルーシブな防災のために、障がい者の積極的な参加について議論するセッションが設けられました。同時に、今回初めて、多くのセッションにおいて、物理的なアクセシビリティや情報アクセシビリティが保障されています。

本会議にすべての人々がアクセス可能となるよう、日本政府、仙台市、国連国際防災戦略事務局の皆さまとともに取り組めましたことを大変嬉しく思います。

私は、障がい者を含むインクルーシブな「ポスト兵庫行動枠組2015」が採択されることは、防災に関わるすべてのプロセスに障がい者の参加を促し、災害発生時の人的被害に減少のみならず、復興への取り組みにも参加する道を開くと期待しています。

また、次の10年におけるポスト2015開発目標も、今年の9月に開催される持続可能な開発のための特別サミットの場で国連加盟国により採択される予定です。今回の取り組みが、防災の分野だけでなく、持続可能な開発目標を含む枠組みにおいても、障がい者を含むインクルーシブな社会への動きを加速させるマイルストーンになると確信しております。
「“ハンセン病でつながる若者と世界”合同シンポジウム」―スピーチ― [2015年03月20日(Fri)]
「“ハンセン病でつながる若者と世界”合同シンポジウム」
―スピーチ―


2015年1月22日
於:早稲田大学


先ほど、若い皆さんのハンセン病回復者へのボランティア活動についての素晴らしいプレゼンを聞かせていただき、本当に力強さを感じました。私はもう天国に近い位置におりますので、このような問題をどのように若い人たちに引き継いで頂くかということが、私たちに課せられた大きな使命でもございます。そういう意味で、今日お聞きした皆さん方の経験談、また、それに取り組む強い意志というものを感じ、逆に私が励まされました。

いつの時代も世の中を変えていくのは若い人です。私たちの年代になりますと、よく政治家や官僚の悪口を言い、また、若い人たちに対する批判をするのですが、私はそういうことが大嫌いです。なぜなら、そういう社会を作ってきたのは私たちの世代だからです。

私は将来を担う若者たちとの対話を最も重視していかなければいけないという気持ちで仕事をしておりますので、今日は逆に私自身が皆さん方から学ばせて頂いたと思っております。

皆さんがさまざまなボランティア活動をなさっていることは大変尊いことで、素晴らしいことだと思いますが、よく勘違いする人もいるのです。「自分はいいことをしている」「誰か困っている人を助ける、助けたい」という気持ちでスタートを切るわけで、それはそれで一つの動機付けとして大変素晴らしいことだと思いますから、これを批判するわけではありません。

良いことをしたい、良いことをして何か社会のために役に立ちたい。入口の気持ちはそれで結構だと思いますが、よく考えてみると、自分自身、一回しかない人生を心豊かに生活するために何をするべきか。その結果が人のために役立っているということで、人に役立つことが先にあるわけではないのです。

皆さんは、素晴らしい仕事を通じて、本来なら知り得ない社会、それこそ未知との遭遇の中で仕事をやってこられました。しかし、恐らくこれから永遠にこのハンセン病のことをするわけではないでしょう。就職もしなければいけないし結婚する人も出てくるでしょう。どのような時でも、ここで得た貴重な経験は必ず役に立つ時がきますし、青春の一時期をこういう人たちと共に過ごしたということが、あなた方のこれからの人生の中で大変役に立ち、豊かな人生を築く糧になることと思います。

苦しいことや辛いこととは人間の人生の中の記憶に残るのです。楽しかったことや美味しいもの食べたことなどは、人生の記憶にはほとんど残りません。辛かったこと、悲しかったこと、困難を乗り切ったこと、そういうものが地球上で唯一、理性を持っている人間の記憶の美化作用によって懐かしい思い出として残っていくのです。決して楽しかったことだけが記憶に残るのではないのです。それは76歳の私が言うのですから、間違いのないことです。

ハンセン病だけが入口ではありません。社会には私たちが知らないことの方がはるかに多いのです。ですから、学生の皆さんには専門領域の勉強以外にも社会に様々な課題が存在するということに対して好奇心を持つということが大変重要なことなのです。

人生は、学校で勉強し、いい会社に就職し、結婚して幸せな家庭を持って・・・そんなに上手くいく人はほとんどいません。その中に必ず障害になること、そして悩み苦しむことが出てくるのです。そういう時に社会課題に挑戦をした経験を持っているということが強い心を作り、精神力で突破できるようになるわけです。

今日はハンセン病の話ではございますけれども、世界では皆さんのような幸せな生活をしている人の方がはるかに少ないのです。世界人口70億人のうち20億人は一度もお医者さんに診てもらうことがないどころか薬も飲んだことがないという人がいるのです。皆さん方の生活自体の方が世界から見ると異常な世界なのです。日本という世界で最も恵まれた安全で素晴らしい国に住んでいる。宗教対立もないし民族紛争も起こらない。そういう異例なところに住んでいるという自分の立ち位置というものを世界レベルの中で常に意識しながら生きていくということが、若者に望まれることではないだろうかという気がしております。

ハンセン病の話から飛びましたが、若い皆さん方は失敗が許される、チャレンジできる人たちです。しかし、卒業して3年から5年も経つと、若い学生時代の甲論乙駁の高い理想に燃えた精神から堕落して、ただの人になる人がほとんどです。今日お集まりの皆さんには、人生チャレンジをしていくということが大変重要であり、またそれが許される。失敗を恐れてはいけません。

リスクをとらない人生ほどつまらないものはないのです。たとえ失敗しても、それがまた経験となって次のステップを踏むことができるような強い人間になってほしい。それを皆さんに期待しております。

DSC_1008.JPG
スピーチの後は学生との座談会
赤い靴下をはいて頑張ってみました!



「第6回B&G全国サミット」―ハンセン病とモーターボート競走― [2015年03月18日(Wed)]
「第6回B&G全国サミット」
―ハンセン病とモーターボート競走―


B&G財団は、青少年に不足気味な体育・徳育のため、ボートレースの収益金で全国472カ所に海洋センターを建設した。その管理者である首長211名、副首長46名、教育長204名、海洋センター関係者686名他、合計769名が参加してサミットが開催され、その折の講演録です。(即興)

****************


2015年1月28日
於:笹川記念会館


15.01.28 B&G財団全国サミット.jpg


モーターボート競走が始まりまして既に65年にもなります。日本財団はモーターボート競走の売り上げの2.6パーセントというお金を頂戴し、日本はもとより、世界の人道的活動を展開しているわけでございます。

65年前に作られてから近年まで、進歩的文化人をはじめ多くのメディアは、賭け事のお金は汚れたお金で、そのお金で社会貢献をするというのはおかしいじゃないかと批判されたものでした。しかし創業者の笹川良一は、お金には王様のお金も貧しい人のお金も変わりない。それをどう生かして使うかという使い方に問題があるんだと、批判には馬耳東風でした。

日本でも昨今、格差社会でたくさんのお金持ちが生まれております。起業家も一生懸命お金もうけに走っています。私が見ていますと、お金をもうけるということが人生の目的のように錯覚していらっしゃる方がたくさんいらっしゃるんですね。私の友人にも大金持ちの人がたくさんいました。大体、その方たちの末路を見てくると、残念なことでございますが、人生何のために一生懸命働いて財産を作ってきたのかと思うぐらいに、亡くなった後の悲惨さというものは計りしれないものがあります。何百億もお金を残しながら、亡くなったとたんに家族の間に憎しみが湧いて、30年も裁判所でその何百億のお金をめぐって争っていらっしゃる方もいらっしゃいました。

少なくとも一時期は愛し合い、その人がいなければ夜も昼も明けないような日々を過ごしたにもかかわらず、人生の終わりには、酸素吸入を受けながらベッドの側に日本有数の税理士や会計士を集め、どうしたらこの女房に遺産を少なく渡すことができるだろうかと、相談していた人もいました。財産家になったことで、その方の人生、あるいはその後のご家族が離散する、あるいは憎しみを持つという結果になってしまったのです。

私などは通常の生活ができれば良いように思うのですが、事業をする人は狩人と同じで、獲物があれば狙っていく。魚を獲りに行けば、そこにいる魚を全部獲りたいという心境になるということは分からないでもありません。しかし、それをどのように生かして使うかということこそ本来、事業家、企業家、あるいは財産を作られた人として、あるべき姿ではないかと思うのですが・・・。

そういう中で、モーターボート競走を創設した笹川良一は、賭け事でもうけたお金で慈善活動をするのは何事かと言われても平然としておりました。これがメディアの方から見ると憎たらしかったんでしょうね。戦後日本では、もぐらたたきのように、少し生意気なことを言うとメディアにたたかれて頭をつぶされるという歴史でございましたけれども、彼はたたかれればたたかれるほどタケノコのごとくムクムク、ムクムク成長していくという反骨精神を持った人でした。

その原点は、戦後の荒廃した日本が復興していくためには、海運立国であった日本が、壊滅した船舶、そして造船所を復興することによって貿易で生き残る以外にない。しかし、お金は天から降ってくるものでもありませんし日本政府にお金があるわけでもない。何とか自力でこのお金を稼ぎたいということでモーターボート競走が始まったわけでございます。

今申し上げましたように、彼は激しい批判を数十年も受け続けてきましたが平然としておりました。それは、慶応大学を作った福沢諭吉が『文明論之概略』の中に書いておりますが、「世の中を変革する人は常に少数意見である」と。皆が良いと思ってやることはそう大きな問題ではないと考えたようです。

今の成熟した日本の社会は権利だけを主張し、それが民主主義のように思い、義務と責任という裏腹の関係にあることを忘れてしまった結果、今や1000兆円を超える借金を抱えているわけでございます。皆さん方も日々、ご苦労なさっていらっしゃると思いますが、プライマリーバランスと申しますが、収入と支出は均衡でなければなりません。ドイツでは2度に渡るスーパーインフレを経験した結果、きっちりとプライマリーバランスを守っていますが、皆さんご承知のように、家庭にたとえますと収入が50万しかないのに90万円の生活をしているわけでございます。

兄弟財団でありますシンクタンクの東京財団の研究では、収入を90万にするには、消費税を30パーセントに上げて初めてプライマリーバランスが合う。家計簿がプラス・マイナス・ゼロになるということでございます。しかし、それでも残った1000兆円の借金は返せないんですよ。そのような財政の危機的状況になってきたということは、国民の要望にこたえることが良い政策であり、政治家として評価されることだと、政治家のみならず、皆さんが考えたからです。

江戸時代、勿論さまざまな評価もありますが、300諸侯、たったの2万石か2万5000石の藩でも苦しいながらも自立し、藩学校に英才を集めて学校教育に力を入れ、それぞれが自立した文化を形成してきたわけでございます。

江戸時代の末期の人口は3500万から3600万だと記憶しています。3500万人から3600万人でもきちっとやっていけるんですね。勿論、年齢層の問題がありますから一概には言えませんが、それぞれの藩が知恵を絞って、絞っても出ない水まで絞りとって、みんな自立してやってきたんですね。

地方創生、勿論必要です。しかし、与えられたものだけでうまくいくでしょうか。やっぱり地方が自らの力で、どのようにして我が町を盛り上げていくかという民主主義のもう一つの責任と義務を国民が理解・自覚した時、日本は再生すると考えております。

笹川良一は大阪の箕面市の出身で、川端康成と同級生で、川端さんが亡くなった後も欠かさずの墓参を続けておりました。そんな中、村の中でハンセン病を患ったお嬢さんが突然いなくなった家庭があるということを聞き、ハンセン病との闘いを決意しました。1970年代の初めにはインドに立派な病院を作ったり、目に見えないところで懸命の努力を続けてきたわけでございます。

昭和35年、私は韓国に建設したハンセン病病院の完成式典出席のため、笹川良一に随行する機会を得ました。その時彼は、ハンセン病患者の肩を本当の親子のように抱き、膿で膿んだ傷口を素手で触れ激励する姿を見て、これこそ私が継続していかなければならない仕事だということを決意したわけでございます。

以後約40年間に亘り、一年の3分の1は海外の劣悪な環境で生活するハンセン病患者・回復者の生活改善のための活動に費やしてきました。これも元をただせばお金がなければこれはできないことです。これはモーターボート競走のファンの浄財です。笹川良一はファンの理解を得るため一生懸命競走場に通い、皆さんからお預かりしたお金はこのように使われていますということを言いながら、必死に努力をしてきたわけでございます。お陰さまで、この浄財を頂くモーターボートのシステムが、世界的に評価を受けるようになりました。

私たちは日本から世界を見ることしかしてこなかったのです。社会科の地図を見ますと、小学校でも日本は赤く塗られていつも地図の中心です。ですから、外国で飛行機が落ちても「日本人は乗っていなかった模様」で、その後、何のお悔やみの言葉もありません。外国人が亡くなっているにも関わらず、日本人が亡くなっていなければそれでいいと。

しかし、笹川良一は世界あっての日本で、日本あっての我々だと。常に世界というものを意識していかないと、これからの日本の存在はあり得ないということを65年も前に見通していたわけです。ですから、日本ではハンセン病というのはもうほとんどなくなったじゃないかということでございますが、世界から見ればまだ現在進行形の病気なのです。

私は、世界制圧をどうしたらいいかということを一生懸命考えました。幸い、このモーターボートのお金を使わせていただきまして、5年間、世界の薬を無料で配布するという大きな決断をしました。お陰で患者数が一挙に500万人も減りました。それでもまだ20万人という大きな数が残っておりますし、スティグマ(汚名)などで家族の名誉までを傷つけ、貴族社会のあった国では、貴族権を取り上げられるという国も存在しておりました。

ということで、私は病気を治すことばかりに力を注いできましたが、病気は治っても社会の人が持っている偏見とか差別という病気を治さないことには問題は解決しないということに遅まきながら気が付き、たった一人でジュネーブの国連人権委員会に働きを開始しました。

毎年のごとく行きましたが、私のような素人が行ってもほとんど耳を傾けてはもらえません。十分な準備をして会合を開いても、7人とか8人とかしか集まってくれないという状況が長く続きました。しかし継続は力で、結果的には多くの人の理解を得て決議をいただきました。私はジュネーブで27カ国の大使館に参りましたが、その折には日本の外務省も手伝ってくださいました。

日本は人権問題と言いますと北朝鮮の拉致問題だけしか国連に提示していないんですね。もちろん大事なことですし、我々にとっても最大の問題ではあります。日本では人権問題を扱うのは左翼の人の特権のように思われていますが、とんでもないことす。自由、平等と基本的人権というのが民主主義の三大構成要素でございます。全ての人がこれに関心を持たなければいけなのです。

日本の北朝鮮問題について、常に反対するのは中国とキューバです。外務省は行っても無理だと言いましたが、私たちはとにかく行って、一生懸命説得しました。結果、中国もキューバも日本政府の提案したハンセン病患者・回復者、その家族に対する差別撤廃案の共同提案国になりました。賛成というだけじゃないのです。日本政府の原案の共同提案国になってくれたのですから、ヨーロッパのいわゆる人権にうるさい国々の人はビックリでした。

私には欲がありますので、さらに外務省に、ニューヨークの国連総会で決議を取ってほしいとお願いしました。決議案の内容はどうするべきか研究し、1年遅れましたけれど、驚いたことに、国連加盟国193カ国、全てが賛成してくれました。

差別撤廃の決議案は通りましたが、これをどのようにうまく使っていくかというのは、私たちに与えられた使命です。これは強制力がある法律ではありませんが、この決議案を道具としてうまく活用することによって、世界中の国々で偏見や差別をなくしていこうというのが私の戦術でした。

私自身の力は非力でございますので、世界の有力者の力を借りたいと考え「グローバル・アピール」というものを世界の各地で発信し続けて参りました。今年は10年で、記念すべき10回大会を、世界の看護師協会と共に昨日、全日空ホテルで開催しました。

イスラム国の日本人拉致問題、また国会開催中で火曜日は閣議のある日ですね。そういう忙しい中にも関わらず、総理大臣ならびに令夫人にも出席していただき、無事成功裏に終わることができました。

私は、ここに来る前まで宮中の吹上御所におりました。それは「ハンセン病の世界の現況についてご進講をしてほしい」というご依頼がございましたので、1月13日、ご進講にお伺いいたしました。両陛下はハンセン病について実によくご存じでいらっしゃいました。ご承知のように、二つの私立と13のハンセン病国立療養所は全てお回りになっていらっしゃいましたし、大変専門的な知識をお持ちでございました。

驚くべきでことでございますが、先ほどお話しした「昭和35年に韓国にハンセン病の病院を作った時の完成式に私が同行し、父親が患者を抱きしめている姿を見て、これは私に与えられた使命だと思った」ということを両陛下に申し上げました。すると皇后様は「良かったわ」とおっしゃって下さったのです。どういうことかと申しますと、当時、韓国のシスターから皇后様に、何とか韓国のハンセン病をなくしてほしいという厳しい現実をしたためた悲しいお手紙が届いたそうです。皇后様はそれを当時の駐韓大使をやっておりました金山政英さんにお願いし、彼が笹川良一のところに来まして「韓国で大変悩んでいますのでお助けを願いたい。皇太子妃(当時)の美智子妃殿下もご心労を煩わせていらっしゃいます」というお話しをされました。私も側でこの話をお聞きしていました。しかし今回のご進講の折には金山大使からのご依頼でということは申し上げましたけれども、皇后様からのご依頼ということは伏せ、あえて言いませんでした。しかし皇后様のほうから「私は当時、何の力もございません。今もありませんが。ただ、大変心を痛めておりましたので、金山大使、そして高松宮殿下にお頼みしたのです。それは良かったわね」と、おっしゃって下さいました。皇后様はそういうたった一通の手紙を長く記憶に留めていらっしゃった。結果的に、私の仕事は皇后様に導かれたようなことになっていたわけです。

ということで、13日のご進講の最後に、できましたら海外から来るハンセン病回復者にお会いいただきたいということをお願いしました。本当はこういうことをしてはいけないんですね。ご進講は講書始めのような儀式ではありませんから、応接間でゆったりとした雰囲気でさせていただきました。

あくる朝、9時に侍従長より回復者の皆さま方をお招きしたい。両陛下がそう望んでいらっしゃいます」という電話がございました。そして今日、先ほど8人の各国の回復者の皆さんを吹上にお連れをして参りました。

この8人ですが、4人ずつの2組に別れ、陛下が4人で皇后様が4人。終わると交替そして8人全員が別々に天皇陛下と皇后陛下とお言葉を交わす機会をいただきました。しかも驚くべきことに、一昨日ですか、陛下は風邪気味だというようなお噂を聞いておりました。両陛下は肩を抱き合うように側に寄り添い、指のない回復者の両手に暖かく触れながら、ちゃんと相手の目をご覧になってお話を続けられました。8人全てにそのように本当に愛情溢れると申しましょうか、言葉が詰まるぐらい私は感動いたしました。本来ならば、お風邪気味であれば、我々のほうこそ遠慮しなければいけないし、海外の劣悪な生活の中で生活している人たちですから、結核などの病気を持っている人もいるかも分かりません。それを一切無視されて、肩を抱くようにしてお一人お一人とお話をしてくださいました。

今、報告の記者会見をやってきました。回復者たちは、自分の家族さえ手を握ってくれないこういう指の欠けた手に触れていただき、自分の皮膚に感覚ありませんが、天皇陛下、皇后陛下の抱きしめるような温かさがが感じられた。生まれ変わったような気持ちです・・・。

国民の安寧を願って毎日、祈りをささげられる。世界中にこのような王家がございますでしょうか。ただ今の天皇は日本国125代目でいらっしゃいます。1750年も続いています。世界でこのように長く続いている例はありません。1750年も続いている王家というのは日本だけです。しかも、世界中で唯一、権力をお持ちにならない。商売をなさらない。財産はない。そういう王家というのは世界広しといえども日本だけでございます。

戦前の一時期、あるいは明治時代に天皇が権力を持たれたような誤解もございますけれども、日本は源頼朝も征夷大将軍にはなりましたけれど天皇にはなりませんでした。英国の憲政学者・バジェットが「理想の政治は権威と権力が分離していることだ」書いております。秀吉しかり、家康しかりです。外国ではアレキサンダー大王もナポレオンも権威と権力を独り占めにしてきました。中国などもっと極端な例でございます。

そういうお方のもとに存在する日本という国は、サミュエル・ハンチントンが『文明の衝突』で書いています。

世界には八大文明がある。その中に日本文明というのが入っているんですよ。この小さな島国が、一時期、中国からは影響を受けたかもしれないが、その後は独立して素晴らしい文明を作った。日本文明というのが世界の八大文明の一つ。イスラム文明だとか中華文明だとか。アフリカ大陸は一つまとめてアフリカ文明って言っているんですけど。

皆さまはそういう素晴らしい国の指導者でいらっしゃるわけでございます。私は皆さま方の手にこれからの日本の再生はかかっていると思います。決して内閣総理大臣の力ではありません。ましてや政府の仕事というよりも、住民に密着したところで日々努力なさっている皆さま方の覚悟がこれからの日本再生への道です。そのためには、オリンピックの活用も重要でしょうし、政府からの支援が必要かも知れません。

しかし、与えられているだけでは絶対に駄目です。日本国は沈没いたします。どうぞ皆さま方の英知を結集していただき、それぞれの地方から元気を出していただいて、皆さんの側から日本の国を良くしていくと心意気で活力ある地方をお作りいただくのが皆さま方のお仕事ではないかと思います。

ご清聴ありがとうございました。

「日本財団DOALOS奨学生総会」―50ヶ国参加― [2014年12月24日(Wed)]
「日本財団DOALOS奨学生総会」
―50ヶ国参加―


日本財団は創設以来、人類をはじめ、生きとし生きる全ての生物は母なる海より誕生したもので、この海の活用・保全に重大な関心を持ち続けてきた。

北極海航路の開発、超伝導船、メガフロートの開発等々、さまざまな活動を行ってきたが、日本の生命線といわれるマラッカ・シンガポール海峡の安全航行のために尽力して40年以上が経過した。

その中で、とかく国際的には無理解であった海洋に関する様々な人材養成事業は、日本財団の独壇場といっても過言ではない。

特に海野光行が計画した国連の海洋法課(DOALOS)へ、途上国の人材養成のために派遣した日本財団DOALOS奨学生の評価は高く、既に各国の高級官僚として国際社会の第一線で活躍している人材も多い。この度、50ヶ国から80名の同窓生が東京に集結。初めての同窓会を開催した。

下記のスピーチに私の海に対する思いが込められていますので、是非、ご笑読下さい。

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日本財団DOALOS奨学金プログラム同窓会
(原文・英語)


2014年11月28日
於:日本財団


これまで何世紀にもわたって、私たちは無邪気にも世界の海は無限であると信じてきました。人間活動の急速な拡大と発展はまさに今日まで海の恵みを好きなだけ利用することができてきたからこそ成し遂げられました。

しかし、世界人口が70億人を超えた今、人間活動が地球に与える影響の大きさは過去に類を見ない規模となり、もはや、海が元々持っている強大な回復力をもってしても吸収することが限界に達しつつあります。人類が海を使い切ってしまうという事態も現実味を帯びてきております。

気候変動、海洋の酸性化あるいは海洋汚染。これらは今すぐにでも対処せねばならない海洋をめぐる地球規模の問題のごく一部です。

私たちの海洋への過剰な依存がこのまま続けば、私たちの子供や孫の時代には海は現在のように豊かな状態ではなくなっているでしょう。一度荒れてしまった海を再び豊かな状態に戻すには長い年月がかかり、場合によっては二度と戻らないかもしれません。

人類は、今すぐ海洋をめぐる様々な問題の解決に全力を尽くさねばなりません。しかし、一つ一つの問題が複雑で、また問題同士が絡み合ってしまっているなか、一つの国、一つの機関、一つの分野だけの努力によって解決できることには限りがあります。

日本財団は、海洋の問題に効果的に取り組むためには、人類が海洋に対して負っている共有の責任を受け入れることと、人類は皆相互に結びついており、ひとりひとりが課題解決の礎であるということを認識することが大切であると考えています。次世代に海を持続可能な形で引き継ぐためには、今日、私たちの世代が、未来への責任を引き受けるとともに、これまでの取り組みからの教訓を活かさねばならないでしょう。

私たちは、国、機関そして分野を超えた連携を加速させるため、世界的かつ分野横断的なビジョンをもって、既存の枠組みを超えた包括的なネットワークを構築することができる人材を育成することが重要であると考えています。

日本財団の人材育成プログラムの第一の目的は、人々の意識と行動を変えるためにリーダーシップを発揮することができる次世代の海のプロフェッショナルを生み出し、育成することです。それと並行し、海洋の問題に従事する人たちが、それぞれの立場を超えて協力・協働するためのネットワークを作ることを第二の目的としております。これまで、約130ヶ国の1,000人以上の様々な分野の海洋の専門家を育成しネットワークを構築してきましたが、このようなネットワークにおいて生み出されるアイデアが、政策と科学的知見とを結び付け、その結果、豊かで持続可能な海洋のための真に効果的な国際的枠組みや規則につながっていくことを望んでいます。

フェローの皆様、私たちは、あなたがたこそがこうしたネットワークや解決策を生み出す能力をもった人材であると考えています。私たちがあなたがたに期待していることが何であるか、常に頭の片隅に置き、今後も世界の海のために精力的に働いて頂ければと思います。

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全員で記念撮影


本総会の機会を存分に活用し、皆様がネットワークを強化して、具体的な協力・協働の第一歩として下さい。例えば、今回お呼びしている先生方、あるいは他のフェローと活発に議論をし、その成果を国連事務総長への提言としてまとめることもできるかもしれません。日本財団は、今回の総会が、世界の海のための様々な活動の第一歩となることを望んでおりますし、また、皆様とこれから共に活動していくことを楽しみにしております。
「ASEAN障害者芸術祭」 [2014年12月12日(Fri)]
「ASEAN障害者芸術祭」
―ミャンマーで開催―


日本財団では、さまざまな障害者が社会の中で健常者と共に分け隔てなく生活できる環境を作ることを目指して活動している。

例えば、各国のろう者への奨学金制度、手話辞書の作成、手話を言語とすることを法律化する運動、国連防災計画の中に障害者対策を追加させる活動等々、多義にわたる。

残念ながら、途上国の障害者は社会との接触が少なく自宅に閉じ籠りがちである。しかし、少数ではあるが、身体的障害を克服して素晴らしい舞台芸術を発表している方々もいる。大野修一の発案で、アセアンの障害者の芸術祭をラオス、カンボジア、ベトナムに続き、今回はミャンマーで行った。

アセアン加盟国10ヶ国から約60名、開催国ミャンマーからは約90名が参加した。ミャンマー福祉省は、この芸術祭を2014年アセアン・サミットの公式サイドイベントとして扱い、花を添えてくれた。

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ASEAN各国から約60人を招聘


大会名誉総裁の安倍昭恵女史は急な選挙で出席はかなわなかったが、会は大盛況で、毎回出席している甲州ろうわ太鼓の演技には、驚きと共に大きな拍手をいただいた。

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会場は満席!


障害者芸術祭は今後もアセアン各国を巡回し、いずれ日本でも開催したいと考えている。

以下は日本財団主催、障害者芸術祭の趣旨説明を含む挨拶です。

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2014年12月3日
於:ミャンマー・ネピドー


皆さま、本日は、ASEAN障害者芸術祭にようこそお越しくださいました。ASEAN各国からお越しの芸術家の皆さまをはじめ、すべての参加者の皆さまを心より歓迎いたします。本芸術祭の名誉総裁には、安倍昭恵首相夫人にご就任いただいています。安倍夫人は障害者福祉に大変造詣が深く、この芸術祭への参加を大変楽しみにしていらっしゃいました。本日は公務により、ご出席がかなわず大変残念ですが、メッセージが届いておりますので、後ほど代読でご紹介いたします。

さて、本日は国際障害者デーです。この記念すべき重要な日に芸術祭を開催できることを大変嬉しく思います。本日、12月3日は、1992年に国連総会において、障害者の基本的な権利に対する注意を喚起するために国際障害者デーとして制定されました。これまでの歴史の中で、障害者は、高等教育を受けたり、就職をしたりするなどの機会に制限があり、十分な社会参加ができずにいました。彼らは長い間、社会から疎外されてきたため、彼ら自身もこのような状況を当然のことと思ってきました。

しかし、この困難な状況を打開しようとする障害者自身の固い決意と様々なグループによる取り組みによって、障害者が社会参加するための扉が徐々に開き始めました。日本財団は20年以上にわたり、主にアジアの様々な団体と協力し、障害者が社会参加できる機会の提供に力を入れてきました。たとえば、高等教育を受けるための奨学金、手話辞書の作成、障害者に関わる法制度の構築支援、障害者のネットワークの構築などを通じて、障害者の社会参加の促進に貢献できるよう取り組んできました。日本財団はこうした長年の支援活動を通じて、障害者の持つ可能性を実感してきました。同時に、このことを広く社会に訴えることの必要性を感じてきました。

そこで、障害者の持つ可能性やパワーを、直に感じていただきたいと考え、障害者芸術祭を開催するに至りました。昨年はじめてミャンマーで開催した芸術祭では、3日間で延べ4900人の来場者を迎え、ミャンマー国内から選ばれた障害者が舞台芸術や造形芸術を披露しました。目が不自由な芸術家、耳が不自由な太鼓演奏者、そして、車いすのダンサーがスポットライトを浴びながら、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれました。才能と自信に満ち溢れた彼らの姿は多くの人々に感動を与えてくれました。私も彼らの演技や作品を目の当たりにし、胸が熱くなる思いがしました。

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美しい演技が次々披露され


さて、ここで、私は「ミャンマー自立生活協会」(Myanmar Independent Living Initiative:MILI)という3人の障害者によって設立されたNGOについて紹介したいと思います。彼らは、障害者のトレーニングをはじめとする様々な活動を展開しながら、障害者自身が限界と諦めていた壁を乗り越える手助けをすることを使命と課しています。日本財団は2011年以来、MILIとともに障害者のトレーニングプログラムやリーダー養成事業などを実施してきました。昨年のミャンマーでの障害者芸術祭はMILIとミャンマー社会福祉省の多大な尽力により、成功することができました。今年の芸術祭の運営にもMILIが非常に貢献してくれています。

さて、今年も日本から「甲州ろうあ太鼓」のメンバーが駆けつけています。昨年同様、パワフルで感動的な演奏をしてくれることでしょう。

日本財団は、これまでにラオス、ベトナム、カンボジアにおいてもASEAN障害者芸術祭を開催してきました。私はこの芸術祭を通じて、ASEAN各国の障害者が自信を持ち、彼らの家族がその活躍に喜びと誇りを感じていただけることを願っています。近年、ASEAN各国が障害者の権利に関する取り組みを進めていることは大変歓迎すべきことで、今後も継続した取り組みをお願いしたいと思います。各国政府が障害者の声を反映し、障害者が社会参加できる環境を整えるための施策をつくり、社会は互いに多様性を受け入れ、インクルーシブな社会の実現を目指そうという認識が広がることを期待しています。
「ハンセン病と人権」―国際シンポジウム― [2014年12月08日(Mon)]
「ハンセン病と人権」
―国際シンポジウム―


10月26日〜11月5日までモロッコ、スペイン、ポルトガル、11月8日から14日までタイ、ミャンマー、11月17日〜25日までインド、11月28日〜30日までタイ、12月1日〜5日までミャンマーと海外出張が続き、その上、東京での短い滞在中には北極海航路国際セミナーや日本財団・国連法務部海洋法課(DOALOS)総会(50ヶ国参加)などもあり、下手な英語でスピーチをするための練習等で、誠にあわただしい毎日だった。

下記のスピーチ(原文・英語)は、多くの関係者の協力を得て2010年、国連総会で加盟193カ国、全ての賛成を得て決議された『ハンセン病患者・回復者とその家族への差別撤廃』」の決議案とその原則とガイドラインを各国政府に実行してもらうため、世界五大陸で行っている第4回目となる国際会議を、今年は中東地域のモロッコで開催した時のものです。

ちなみに第1回はブラジル、第2回はインド、第3回はエチオピアで行われ、最終回はジュネーブ(スイス)で来年開催する予定です。

モロッコでは、人権国際シンポジウムと同時に、医療面の専門家である各国のハンセン病プログラム・マネジー会議も開催しました。この時のスピーチもあわせて掲載しました。

長文になり、読者の皆さまには申し訳ないことであります。

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第4回ハンセン病と人権国際シンポジウム


2014年10月28日
於:モロッコ・ラバト


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シンポジウム参加者


本日は各国政府、国連、NGO、その他の国際機関、人権専門家、回復者のリーダーの皆さまにお集りいただき、ありがとうございます。日頃からハンセン病制圧活動のために多大なるご尽力をくださっているモロッコ保健省の皆さま、WHO関係者の皆さまに心より感謝申し上げます。また、潘基文国連事務総長、ダライ・ラマ法王からはハンセン病を取り巻く差別の問題に対して心強いメッセージをいただき、厚く御礼申し上げます。

今回は第4回目のハンセン病と人権国際シンポジウムです。
ハンセン病は人類の歴史の中で最も誤解され、差別を受けてきた病気のひとつとして知られています。何世紀にもわたり、世界各地で、ハンセン病患者・回復者は故郷を追われ、人里離れた村や島に隔離されていました。そして、その差別はハンセン病患者・回復者本人だけではなく彼らの家族にまで及びました。

1980年代になると、多剤併用療法(Multidrug therapy:MDT)という有効な治療法が開発され、1990年代後半からは、世界中どこでも無料で薬が手に入るようになり、多くの人々が病気から解放されました。また、早期発見・早期治療が的確に行われれば、障害が出る前に病気を治すことができるようになりました。このように医療面では突破口が見つかったにも関わらず、長い間、ハンセン病患者・回復者を苦しめているスティグマや差別は残ったままです。

私は40年以上にわたり、ハンセン病制圧活動で世界各地に足を運ぶ中で、多くのハンセン病患者・回復者に出会いました。社会のひどい差別を恐れてコロニーを離れることを拒む人々。ハンセン病を患っているということが明らかになってしまったことで、仕事を失ったり、離婚を余儀なくされてしまった人々。差別に苦しむ人々の人生はどれ一つとして同じものはありません。しかし、彼らの過酷な苦しみは世界各国に共通する深刻な問題です。

私はこうした社会の不正と闘わないわけにはいかないと強く感じました。そこで2003年、私はハンセン病を取り巻く人権問題について、国連人権高等弁務官事務所に訴える決意をしたのです。各国政府やNGO、関係者の皆さまの粘り強く、誠意あるご協力により、7年の歳月を経て、2010年12月、「ハンセン病差別撤廃決議」が国連総会の総意をもって採択されました。この国連決議は、ハンセン病との闘いにおいて非常に大きな一歩でした。国際社会はこの時はじめて、ハンセン病患者・回復者の見過ごされてきた人権問題や彼らに対するスティグマや差別をなくすことの重要性について認識したのです。さらに重要なことは、この国連決議により、ハンセン病患者・回復者が他の人々と同様に自分にも基本的な人権があることを自覚できたことでした。

本決議は、各国政府等に対し、「ハンセン病差別撤廃決議」と原則及びガイドラインに十分な考慮を払うことを求めています。原則はハンセン病患者・回復者が病気を理由に差別されることなく、人としての尊厳と基本的人権・自由を有することを謳っています。そして、ガイドラインは各国の取り組むべき具体的な指針を示しています。例えば、差別的な法律や制度の撤廃や出版物から差別的な表現を取り除くことなどです。

しかし、国連決議には法的拘束力がありません。国連決議と原則及びガイドラインは、実際に社会の中で適用されなければ何の意味も持たないのです。つまり、現状は何も変わらず、ハンセン病患者・回復者に対するスティグマや差別はそのまま残り、彼らは厳しい差別に苦しみ続けることになってしまうのです。

そこで、私は国連決議と原則及びガイドラインを各国政府、政策立案者やその他の関係者に広く浸透させ、社会の中で確実に適用されることを目的に、世界の5つの地域において「ハンセン病と人権国際シンポジウム」を開催するに至りました。すでにブラジル、インド、エチオピアにおいてシンポジウムを開催しました。ブラジル会議の後、国際ワーキンググループが発足し、各国で原則及びガイドラインを実行してもらうための具体的な行動計画を練っているところです。

ハンセン病患者・回復者を取り巻く多くの問題は、社会のハンセン病に対する誤解や無知に起因しています。ここ、中東地域においても、ハンセン病は未だに恐怖の対象となっています。ハンセン病は感染率の高い病気であるから、彼らを排除しなければならないという誤った認識をしている人もいます。

では、どのようにすれば、差別のない社会をつくることができるのでしょうか。原則及びガイドラインにも明記されていますが、ハンセン病患者・回復者やその家族の人権や尊厳を尊重するためには、各国政府がNGO、市民社会、メディア、ビジネスセクターなど様々なステークホルダーとの連携を通じて、政策立案や行動計画の作成に取り組み、社会の認識を変えていくことが不可欠です。先ほど申し上げたように、現在、国際ワーキンググループがこのモデルとなり得る行動計画を策定中です。この地域においては特に、女性の役割と歴史保存をより重要な課題と捉え、この後のセッションで取り上げます。こうしたことについて、モロッコ政府がコミットメントをくだされば、今までにないような大きな一歩を踏み出せることでしょう。

スピーチ風景.JPG


このシンポジウムで闊達な議論がなされることで、中東地域における具体的な取り組みがはじまる契機となることを願っています。

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ハンセン病プログラム・マネージャー会議


2014年10月29日
於:モロッコ・ラバト


各国保健省プログラム・マネージャーの皆さま、WHO関係者の皆さま、そして、ハンセン病問題に取り組む関係者の皆さまのご尽力にあらためて感謝申し上げます。

私は40年以上にわたり、ハンセン病制圧活動に取り組んでまいりましたが、ここ20年の公衆衛生上のハンセン病制圧における世界的な改善には目を見張るものがあります。WHOが1991年に「患者登録数が人口1万人当たり1人未満となること」という明確な目標を掲げて以来、各国は、目標達成のために綿密な計画を立て、これに沿って関係者の力を結集し、ハンセン病の制圧に向けて尽力されました。

言うまでもなく、ここWHO東地中海地域事務所(EMRO)もハンセン病制圧に向けて多大な貢献をしてくださいました。モロッコでは、1980年以降、ハンセン病患者は指定病院ではなく、地元の診療所で治療を受けられるようになり、また、新規患者発見のための家庭訪問が実施されるようになったと聞いています。患者を減らすだけではなく、早期発見・早期治療のための様々な新規プログラムを政策の中に組み込んでくださっているモロッコ保健省の皆さまに感謝申し上げます。また、ハンセン病患者・回復者に寄り添って活動をしてくださっているプログラム・マネージャーの皆さまに御礼申し上げます。

このような成功例は、ハンセン病と闘うすべての国においても多くあることと思います。こうした努力の結果、ハンセン病の制圧は、世界各国で劇的に進展しました。そして今、ハンセン病未制圧国はブラジルを残すのみとなりました。

しかし、目標に向かって懸命に努力をしていた国でさえ、一度、制圧目標を達成してしまうと関係者の意識が低下してしまうことが往々にしてあります。また、ハンセン病に関する予算や人材が減らされ、他の疾病に比べて相対的にハンセン病の優先順位が低下してしまいます。私はこのような状況にならざるを得ないことも理解しております。しかし、そのことにより、関係者がハンセン病との闘いの本質的な意義も低下してしまったと誤解されることを懸念しています。
ハンセン病患者・回復者は病気との苦しい闘いだけではなく、差別という精神的な苦しみを抱えているため、今後も新規患者を早期発見・早期治療をしていくことが重要だと考えています。ハンセン病制圧活動の主な目的は、感染の予防、患者の発見及び治療、障害の予防だけではなく、差別との闘いという重要な目的があります。

ご存知の通り、ハンセン病は様々な複雑な問題が絡み合っています。多くの国々で、ハンセン病患者・回復者は病気だけではなく、スティグマや差別に苦しんでいます。私は、長年にわたるハンセン病制圧活動を通じて、声をあげることでさらなる差別を受けることを恐れ、沈黙をしたまま、治療を受けることさえできずにいる多くの患者を目の当たりにしてきました。スティグマや差別をなくす多大な努力がされてきたにも関わらず、未だに世界中で多くの人々が一度ハンセン病に罹ると、社会的にも経済的にもコミュニティから孤立をしています。

新規患者の早期発見・早期治療が的確に行われることで、差別を受ける人々の数は減ってきましたが、スティグマが完全になくなるにはまだ時間がかかるでしょう。

プログラム・マネージャーの皆さまは、ハンセン病を取り巻く医療面と社会面の双方の問題の解決に多大な貢献をしてくださっています。皆さまのこれまでのご尽力に敬意を表しますとともに、引き続き、固い決意をもって活動を続けてくださることを期待しています。

私たちは、今、共通の目標を達成するために一人ひとりの責任を再確認するために、ここに集まりました。皆さまの努力と熱意をもって、ハンセン病とそれに伴う差別という苦しみが軽減されていくことを心から願っています。


「脚光を浴びる北極海航路」―国際セミナー― [2014年12月05日(Fri)]
「脚光を浴びる北極海航路」
―国際セミナー―


北極海航路の開発が脚光を浴びている。地球温暖化により急速に北極海の氷が解け始め、不可能とされていた船舶の航行が可能なってきたからである。

1990年、ノルウェーの外務大臣が日本財団においでになり、チャレンジングな北極海の夢の航路開発を共同研究しようと提案され、私は即座に了解した。

研究は私が委員長として、ノルウェー、ロシア、日本の科学者や専門家によって10年間にわたり続けられ、横浜からロシアのムルマンスク港までの実証実験も行った。

当時は北極海の氷海域が今日のように大幅に縮小するとは考えられないことであった。しかし、今や現実なものとなった。

日本の関係者にその実情を理解してほしいと考え、国際セミナーを開催した。

以下はその時のスピーチの要約です。

―北極海航路の利活用に向けた国際セミナーin 東京―


2014年11月7日
於:ホテルオークラ


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海洋政策研究財団と日本財団の共催による北極海航路の利活用に関する国際セミナーは今年で2回目となります。今回もロシア、ノルウェー、デンマーク、韓国、中国の北極海航路に関する専門家及び海事産業関係者の皆様に多数お集まり頂きました。日本政府の菅沼健一北極担当大使、そして駐日ノルウェー王国大使館臨時代理大使ビョーン・ミットゥン氏にもご列席頂きました。これほど多くの方が御参加くださるということは、会議を主催する者にとりましてこの上ない喜びでございます。

また、北極海に対する関心がこれほど高いということも、日本にとってありがたいことです。先程司会者から紹介がございました通り、1990年代の初め、当時のノルウェーの外務大臣が突然、私の事務所を訪問され、北極海航路の可能性についてお互いに勉強しないかというお話をいただきました。ご承知のように、ノルウェーは北極や南極等の極地研究について世界最高水準の専門的知見を有する国でございます。私はすぐに「チャレンジする事は良いことだからやりましょう」とお応えしました。その後、ロシアの専門機関も参加し、本日お見えで、当時北海道大学の教授であられた北川先生が中心となって約10年間にわたり北極海航路の研究を行いました。

その研究の結果、北極海航路を商業利用することは技術的には可能であるとの結論を出しました。実際に横浜からムルマンスクまで船舶を航行させた経験もございまして、大変うまくいきました。当時、ノルウェーのオスロでまとめの会議を開催したのですが、一番多く参加されたのがスエズ運河の関係者だったことに驚きました。彼らからすると商売敵が出てきたという認識のようでしたが、「これは先の話で、可能性について研究しただけです」と慰めたことを覚えておりますが、こんなに早く北極海航路の本格利用というものが現実味を帯びてくるとは想像もしていませんでした。その後国際社会は、ロシアを中心にしまして大きく北極海の活用という方向に舵が取られてきております。

我々は北極海航路という新たな海の恩恵に預かろうとしているわけでございますが、それにはやはり相応の責任と貢献を果たしていかなければなりません。この件につきましては様々な国際会議等で問題提起されてきましたが、北極海という特殊性のためか効果的な対策が進んでいるとはいえない状況にあるのではないでしょうか。

そこで私は、昨年のこのシンポジウムでも申し上げましたが、日本財団並びに海洋政策研究財団は3つの分野で協力あるいは参加していきたいと表明いたしました。

1つ目は、商業利用の促進として、この利活用に関するセミナー等を開催することです。北極海航路の両端、つまりヨーロッパとアジアの海事関係者や企業が、今まで北極海航路の商業利用について話し合う場がございませんでしたので、そういう機会をぜひ作りたいという思いがございます。今年もロシア、ノルウェー、デンマークからキーパソンの方がお見えになっておりますので、コーヒーブレイクの時、あるいはレセプション等で幅広く意見交換をしていただければ、我々主催者としては1つ目的を達成したことになるのではないかと思っております。

2つ目は、北極海の総合的海洋管理を推進するために、海洋政策研究財団と共に包括的なガバナンス体制の構築を目指した調査研究を行います。ご存知の通り、海洋管理という点については、北極は南極と大きく異なります。北極には資源開発や環境保護等の様々な利害調整の枠組みがいまだ存在しておりません。さらに北極沿岸国が有する領域主権や管轄権の存在を前提に議論を進めなければいけないという難しい状況にあります。ですから、日本財団や海洋政策研究財団のような民間組織が、主導できる分野においては積極的に主導し、その打開策を図っていくべきだと考えています。

3つ目の支援でございますが、北極海という閉ざされた海に対する科学的調査をしっかり行うことが非常に重要だと考えております。万が一でも環境汚染につながる事故が発生すれば、北極海の生態系に与える影響は計り知れないものになるでしょう。そういう意味でも、国際共同研究用観測船を保有し、研究を積み重ねることで科学的知見を蓄積する仕組みが必要ではないかと考えております。日本は北極評議会のオブザーバー国であるわけですから、各国の研究者が活用できるような国際研究のプラットフォームとして、日本の役割として、観測船を建造する必要があるのではないかと考えております。この点については然るべき提言を日本政府に行い、ぜひ実現していきたいという熱い希望を持っております。

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世界の新たな大動脈となりうる北極海を航行ルートとして利活用していくことは勿論ですが、海洋管理や科学調査という面においても、我々は責任と貢献を果たしていかなければなりません。科学的調査の実施、管理体制の構築、そして利用の促進、この3つの分野を有機的に繋ぐことが北極海航路という海の国際公共財を適切かつ持続的に利用するために必要であると考えておりますので、この分野において、日本財団並びに海洋政策研究財団は引き続き協力してまいりたいと願っております。

既に多くの船舶が北極海航路を航海しておりますし、それぞれの国が専門的な知見を有しているかと思いますが、日本は若干の遅れをとっていることは否めません。しかし、1990年の初めに日本が既にノルウェーやロシアと協力して北極海の開発に挑戦したという実績があり、その際の報告書が日本語やロシア語で発表されていますので、今一度それをご覧いただきたと思います。

皆様には本日のシンポジウムを通じてさらに深い理解をいただきたいと思います。また、海外からお見えの皆様との意見交換を通じ、日本がさらに北極海の国際的な開発へ貢献できればと願っております。

どうぞ豊かな議論が行われ、多くの方々との交流の場になることを願って開会の挨拶とさせていただきます。
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