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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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「アジアの平和構築と国民理解」―民主化に関するハイレベル・セミナー― [2015年07月13日(Mon)]
「アジアの平和構築と国民理解」
―民主化に関するハイレベル・セミナー―


6月20日、外務省主催で上記の表題の国際会議が国連大学で開催された。

主な出席者は,ラモス・ホルタ前東チモール大統領、ピッツワン・スリン前アセアン事務総長、マンガラ・サマラウィーラ・スリランカ外務大臣、デイビッドM・マローン国際連合大学学長、岸田文雄外務大臣などが出席された。

私はミャンマー国民和解日本政府代表として「ミャンマーにおける日本の平和構築支援活動について」と題してスピーチを行った。

ご参考までに掲載します。
(原文は英語)

******************

「ミャンマーにおける日本の平和構築支援活動について」


於:国連大学
2015年6月20日


セミナー風景1.JPG


おはようございます。本日は、平和構築の専門家や各国の首脳と共にこのハイレベル・セミナーに参加できることを大変光栄に思います。現在進んでいるミャンマーにおける和平プロセスについて、それから、平和と安定に向かう困難な道のりへの日本の関わり方についてお話させていただきます。

ミャンマーは長年にわたり軍事政権が続いていましたが、2011年3月のテインセイン政権誕生以来、急速に民主化が進んでいます。

日本は早々とこの動きを歓迎した国の一つとして、ミャンマーのさらなる改革を促進するため、幅広い支援を行っています。その一環として、日本政府は、ミャンマー国民和解担当日本政府代表というポジションを置き、その役割を私が拝命しました。それは、日本政府がミャンマーの民主化にとって国民和解が重要であるという認識を持っていることの表れだと思います。拝命を受けたことを光栄に思うとともに、少数民族武装勢力とミャンマー政府の和解を支援する役割を慎んでお受けしております。

私のような民間人がこのような重要な任務を任されたのは、私が会長を務める日本財団がミャンマーで行ってきた人道的な支援を日本政府により評価されたからだと思います。

日本財団のミャンマーに対する支援は30年以上にわたります。1980年代、世界の最貧国の一つであったミャンマーは、軍事政権下に置かれていました。当時、ほとんどの国はミャンマーに対する援助を打ち切りましたが、日本財団は人道的な観点から、保健医療並びに教育分野で少数民族地域も含めて支援を必要とする一般の人々に人道支援活動を行ってきました。

ミャンマーは東に中国、西にインドという両大国に挟まれた国であり地政学的な要衝です。かつてはアジアで最も豊かな国の一つでもあり、これから再びその豊かさを実現できる潜在力を有しています。中国、インドを含む太平洋地域が世界の繁栄の中心となる時代が到来しつつある現在、ミャンマーの平和は、同国の安定だけでなく、アジアおよび世界の安定と発展にも貢献できるでしょう。

ミャンマーは130以上の民族によって構成される多民族国家です。その一部の少数民族武装勢力とミャンマー政府の間には連邦制や自決権、自治権を巡り対立があり、60年以上にわたり、双方の間で武力衝突が繰り返されてきました。その間、少数民族武装勢力とミャンマー政府の間で停戦合意が結ばれることもありましたが、それが度々破られてきました。その結果、互いに不信感を募らせていました。

このような厳しい状況の中でも、いくつかの少数民族武装勢力はミャンマー政府と停戦合意交渉を続けていました。それまでは、少数民族武装勢力は政府と個別に交渉にあたっていましたが、16の少数民族武装勢力は、全土停戦合意コーディネーション・チームを組織しました。その結果、全土停戦交渉に進展が見え始めましたが、少数民族武装勢力側の有力な意思決定者の中には、交渉を進めるにあたって極めて慎重な姿勢を崩さない人も含まれているので、交渉が中断することもしばしばありました。

対立する当事者間の交渉がこのような段階に至った時には、第三者が関与することで交渉を再開に導く可能性が出てくることもあるかと思います。とはいえ、平和を構築できるのは紛争当事者だけです。ですから、第三者の関与は最小限にとどめるべきだと考えております。

ミャンマーの場合、双方が長年にわたる不信感と疑念を抱いている中で停戦合意を結ばなくてはならないのですから、第三者に期待されていることは、双方が交渉のテーブルにつくように説得し、対話の場を増やし、双方が同じ土俵に立ったレベルでの交渉の実施を確実にするという役割を担うことではないかと考えています。

この和解プロセスには、もう一人の主役(キープレイヤー)がいることを忘れてはなりません。それは、その地域で暮らす一般の住民です。私たちが「紛争当事者」という場合、交渉のテーブルにつく限られた関係者の方に目が向きがちです。しかし、紛争が起これば常に大勢の一般の住民が混乱に陥り、痛みや苦しみを背負うことを余儀なくされてしまうのです。
彼らの状況を理解し、また、考え方やニーズに耳を傾けることは極めて重要であると考えています。そこで、私は、いくつかの少数民族武装勢力によって支配されている地域の国内避難民を幾度となく訪ねています。

彼らの現状について皆さんに少しお伝えしたいと思います。
武力衝突が激しくなり、住んでいた村を逃げ出した家族。彼らは着の身着のまま逃げてきた人たちです。青いビニールシートを屋根の代わりにし、雨露をしのぎ、床には空になったコメ袋を敷いて寝ています。何とか火を起こし煮炊きをしようとしている人もいます。たまたま捕まえたトカゲや木の根っこ、木の実以外に食べるものはほとんどありません。彼らの生活は、毎日が生きるための闘いであり、不安に満ちた暮らしです。

また、診療所を訪問する機会がありました。診療所には常駐の医師がおらず、タイで見ようみまねで技術を習得した看護師が一人いるだけでした。薬の在庫はなく、入院病棟には、木の板で作られた空っぽのベッドが数台あるだけでした。私が「ここの地域に病人はいないのか」と看護師に尋ねると、彼女は「病院に来ても薬がない。来ても意味がないので来ないだけ」と答えました。

私は、このような悲惨な状況を目の当たりにして、緊急人道援助の必要性を強く感じ、一般の住民が平和の兆しをゆっくりでも着実に感じ取れるような状態にしなくてはならないと思いました。

国連によると、このような条件下で暮らす人々はミャンマー全体で約80万人いるといわれています。人道支援の標準的なアプローチは、停戦合意が守られていることが確認できるまでは、人道支援は控えるというのが一般的だと思います。しかし、場合によっては、停戦合意協議の交渉が続いているのであれば、紛争で荒廃した地域に暮らす人々の生活を維持するための人道支援がなされてもよいと感じています。ミャンマーに関しては、ミャンマー政府が、この日本のアプローチと100億円の人道支援を受け入れました。これまでに、コメ、穀物、豆類、食用油、塩、医薬品、蚊帳、ソーラー・ランタンなどの緊急援助物資が約30万人の人々に届いています。全土停戦以前のこのような支援には賛否両論あると思います。しかし、双方の了解を得られた上で、少しでも対話が進む環境をつくることができるのであれば、このような支援を実施することに意義があると考えています。
今年の3月31日、ミャンマー政府と16の少数民族武装勢力は、全土停戦合意文書草案について合意に達しました。この歴史的な合意の直後、和平交渉担当責任者であるアウン・ミン大臣が来日し、安倍首相にテインセイン大統領からの日本の支援に感謝する親書を手渡しました。

この停戦合意文書草案への合意は和平に向けての大きな一歩であると評価してよいと思いますが、それから2カ月が経過し、現在、状況はまだ流動的です。また、11月に総選挙が行われる予定ですが、これは停戦合意プロセスを前進させる要素になるかもしれません。

ミャンマーは民主化への過程で多くの困難に直面するでしょう。中でも、ミャンマー政府と少数民族武装勢力との和解は最も大きな課題の一つです。しかし、双方が互いに誠実に取り組むことができれば、道は切り拓いていけるはずです。日本は今後もミャンマーに寄り添い、国際社会と協力の上、支援を継続していく所存です。

アジアが世界経済の成長の中心となる新しい時代が到来しています。アジアの中には不安定な要素を抱えている国や地域もあり、アジア地域に平和を構築し、安定をもたらすことが極めて重要です。国際社会は新たな課題に対応できる準備をする必要があります。

安倍首相は、日本が積極的平和主義の下、アジアの平和に貢献する役割を担い続けていく決意を表明しています。日本はこれからも国際社会からの様々なニーズや期待に応えてまいります。
「島と海のネット国際会議」―基調講演― [2015年06月08日(Mon)]
「島と海のネット国際会議」
―基調講演―


福島で開催された日本政府主催の『島サミット』は成功裏に終了した。手前味噌になるが、この『島サミット』は、筆者が当時の小渕恵三首相に進言して開催されるようになったものである。

仙台の『島サミット』のパラレルイベントとして、笹川平和財団海洋政策研究所が国際会議を開催した。基調講演とは知らず、英文の準備もなく、即興なので雑駁なスピーチとなってしまった。

しかし、海洋を総合的に管轄する国際機関の設立の必要性についての今回の発言は世界で最初のものなので、是非ご批判とご指導を賜りたい。

以下、発言要旨です。

2015年5月25日             
主催:笹川平和財団海洋政策研究所    
共催:豪州国立海洋資源・安全保障センター
東京大学海洋アライアン      
於:東京大学伊藤記念学術センター伊藤謝恩ホール


島と海のサミットにご招待いただき、基調講演とのことですが、連絡が悪くペーパーを用意しておりませんので、即興での講演をお許しください。

島と海ネット挨拶.JPG


今日はアノテ・トン キリバス大統領閣下をはじめ、島嶼国の幹部の皆さん、オーストラリアから各界の方々、そして日本のこの海域に対する大いなる関心をお持ちの皆様がご出席されてこの会議がもたれますことに、心から敬意を表します。

先日、日本政府主催の島サミットが仙台で開催され、日本政府がこの海域に重要な関心を持ち、積極的な協力をしていきたいと表明いたしましたことは、日本の一市民としても大変うれしく思っております。

日本財団と笹川平和財団の海洋政策研究所とは兄弟関係にある組織で、海、そして海洋のあり方について、長く活動してきた組織です。特に、1989年でございますが、日本で初めて、民間主導による島サミットを開催し、11か国の国家元首が出席して下さいました。現在の日本政府主催の島サミットは、小渕恵三首相(当時)に進言して実現したものです。

今日は時間が無いので内容は省略しますが、日本の中曽根内閣の時の倉成外務大臣が『倉成ドクトリン』というものを発表いたしまして、この海域における日本の協力の重要性ということを指摘されました。その倉成ドクトリンを受け、笹川平和財団の中に『太平洋島嶼国基金』というものを3000万ドルで設立し、民間の立場から島嶼国の国々に対して様々な協力・支援活動を行ってきたという歴史的な経過がございます。

特にこの地域につきましては、オーストラリア政府並びにオーストラリアの学者のみなさん、そして様々なオーストラリアのステークホルダーの皆さんが、島嶼国について重大な関心を持ち、長い間支援協力活動をしてきたことを私は良く知っておりますし、心から感謝を申し上げたいと思っております。

後ほどアノテ・トン キリバス大統領からお話があろうかと思いますが、この広大な太平洋に存在する様々な多くの島国において、危機的な状況が惹起していることは皆さんご承知の通りでございます。大統領閣下は「海洋環境の悪化・海面上昇に伴って、長く住み慣れた祖国から、『名誉ある撤退』をしなければならない時期が来るかもしれない。そのためには、国際社会の皆さんに、この海洋環境の重要性について深く認識をしてほしい」ということを声を大にして仰っていらっしゃいます。

私たちは中近東のシリア、イラク、イランの問題、あるいはアフガニスタンの問題等々、陸地の激しい紛争については報道を通じて良く知っております。しかしながら、その紛争よりもっと重要な、人類の生存に関わるこの海洋の問題については、静かな危機が着々と進んでいるにも関わらず、報道されることはあまりございません。従いまして、今回のこの会議は、そういう意味でも大変重要な情報発信の場になることを期待しております。

世界の人口は既に70億人を突破しております。100億の時代もそう遠くございません。17世紀の海洋法学者でありましたグロチウスが「海は無限である。海洋の航行は自由である」と申しまして、未だにそれを深く信じている人が数多くいらっしゃいます。

しかし私は、今まで世界120カ国を旅してきましたが、途上国の川や河川から流れ出る水は、生活用水あるいは奥地にできた近代的工場から流れ出る汚染にまみれており、それが海洋の中に無制限に流れ込んでおります。また、魚を取るという行為が、そこにいる魚を全部取るという習慣に人類は慣れ親しんできたわけでございますから、この東京大学の研究成果では、このまま無秩序に魚類の乱獲を続ければ、30年後には深海魚以外には無くなってしまう可能性があるとお聞きしています。又、海洋の酸性化が進む中で、動物性プランクトンの減少も魚類の減少に大きな影響があるのではないでしょうか。

長期的に見て、私たち人類の生存は、この海洋環境を如何に持続的に健康的に保っていくかということに掛かっているわけでございます。従いまして、アノテ・トン大統領はキリバス20万人の人のためのみに悲痛な叫び声を上げていらっしゃる訳ではございません。この世界の海洋問題を解決しないと、人類の生存そのものが脅かされるという、その具体例としてキリバスの問題を発言していらっしゃるわけでございます。

世界には様々な国際機関がございますし、国連も勿論その中心として活動してきておりますが、未だ、人類の生存にかかわる持続可能な海洋をどのように維持するかということについての総合的な国際機関がございません。いまこそ必要な時期になったのではないかと、私は確信をしておりますし、そのための活動を始めたいと考えています。

このような人類の生存にかかわる総合的な海洋政策を、あるいは海洋管理をどのようにしていくかということと同時に、喫緊の問題として、この14の島嶼国に置きましては、既に様々な深刻な問題がクローズアップされているわけでございます。

この具体的な問題についての解決策についても、国際世論を喚起する必要があると同時に、長年にわたってこの海域のために努力されてきたオーストラリア政府、そして安全保障上の問題から関与をしてこられた米国政府、そして日本との3か国がそれぞれ協働することによって、この海域の安全と住民の生活向上のために尽くしていかなければならないというのが私の基本的な考えでございます。

一部、既にパラオ、あるいはマイクロネシアを中心とした広大な海域の環境保全のために、オーストラリア政府並びにアメリカ海上保安庁との間に日本財団は交渉を開始しました。3か国が協力してこの海域のために努力をしていこうとキックオフをしたところです。

どうぞ、皆さま方の専門的な知見で、現在置かれている島嶼国の国々の状況をしっかりと把握していただき、度々申し上げている「人類の生存に関わる問題」として、この会議からも情報が発信されますことを心から期待しております。
「世界保健機関(WHO)」―総会出席― [2015年06月05日(Fri)]
「世界保健機関(WHO)」
―総会出席―


毎年5月に行われるWHO総会への出席が恒例となっている。

目的は二つ。一つは公衆衛生や保健について、グクラスルーツで活動する団体の表彰式で挨拶。もう一つは、ハンセン病制圧大使として各国の代表者、そして世界6地域のWHOの責任者(各国の選挙で決定される)とハンセン病制圧についての意見交換を行うことである。

長年にわたりWHOの事務局長補(エイズ・結核・マラリア・特定熱帯病担当)であった中谷比呂樹博士のご協力のもと、感染症局長秘書のリンダ女史が精力的に面談を取り付けてくれる。会場の欧州国連本部(パレ・デ・ナシオン)には多くの会議室があるが、総会中はどこも一杯で、一室に陣取って会談をすることは不可能で、広いパレ・デ・ナシオン中をあっちの部屋こっちの部屋と渡り歩くわけである。

以下の面談記録をご覧いただければ、リンダ女史の努力は一目瞭然である。

私がWHOを訪問するようになって、親身にお世話をしてくれた中谷比呂樹博士は本総会を持って退任される。淋しい限りである。彼の退任をもって、私の親しかった担当者も全て新しくなった。新たな闘志を持って、中谷比呂樹博士のご恩に報いるためにも、一層の努力をしなければならない。

11月にはマーガレット・チャンWHO事務局長に同行し、唯一ハンセン病未制圧国のブラジルに乗り込み、ルセフ大統領に直訴することになった。チャン女史に「カバン持ちで同行するので旅行カバンは小さくしてほしい」と冗談を言うと、おおらかな性格の彼女は大笑いをして「OK」と答えた。その前の8月にもブラジルに入り、現地の士気を高めるため、地方のハンセン病蔓延地域に入り、活動する予定である。

5月20日(水)
  10:00 コンゴ民主共和国 カバンゲ保健大臣
  11:00 国際ハンセン病団体連合国際救ライ協会 ベルケル会長
  14:10 マダガスカル アンドリアマナリヴォ保健大臣
  15:10 プーナム・シンWHO東南南東アジア地域事務局長
  15:40 インドネシア モエロエク保健大臣
  19:30 ポーランド代表部主催夕食会

5月21日(木)
  7:00 笹川アフリカ協会理事 ジャン・フレモン氏と朝食
  9:00 モエティWHOアフリカ地域事務所 モエティ事務局長
  9:30 ミャンマー タン・アウン保健大臣、チョー・ミン元保健大臣
  10:00 ブラジル ジャーバス保健副大臣
  11:00 モザンビーク サイデ保健副大臣
  12:30 笹川健康賞受賞者のお祝い昼食会
      マーガレット・チャンWHO事務局長
      小田部陽一在ジュネーブ国際機関日本政府代表部大使
      中谷比呂樹WHO事務局長補
      ピエトルジェウビック・ポーランド「出産と尊厳基金」事務局長(受賞者)
      プーナム・シンWHO南東南東アジア地域事務局長
      ヤンスウ・シンWHO西アジア太平洋地域事務局長
      牛尾光宏厚生労働省審議官他
  14:30 スーダン保健省熱帯病 ムーサブ担当官
  14:45 南スーダン カリオム保健副大臣
  15:30 中国衛生部 張 勇副局長
  16:15 インド ナッダ保健大臣
  17:00 タンザニア ムバンド保健次官
  17:20 笹川健康賞 授賞式

*************

第31回世界保健機関(WHO)笹川健康賞授賞式


2015年5月23日
於:スイス・ジュネーブ
原文・英語


I笹川健康賞授賞式.JPG
笹川健康賞授賞式


はじめに、第31回笹川健康賞を受賞されたChildbirth with Dignity Foundationの皆さま、誠におめでとうございます。そして、笹川健康賞の趣旨を理解し、厳正・中立な選考をくださった選考委員の皆さまに心より感謝申し上げます。

笹川健康賞が創設されたのは1984年です。この賞が創設された当時、WHOはアルマ・アタ宣言のもと”Health for All Initiative”という目標を達成しようとイニシアティブをとっていた時期でした。そこで、私たち日本財団は、世界の人々の健康増進のためのプログラムやプライマリ・ヘルスケアにおいて顕著な貢献をした個人や団体を称え、且つ、その活動を発展させてほしいという想いから、本賞を創設しました。

今回受賞されたChildbirth with Dignity Foundation は、妊産婦を対象に、WHOが掲げるbetter healthを達成するための重要な要素に合致したグラスルーツでの活動を実践しています。たとえば、妊産婦が自ら意思決定できるようにするための病院情報等の提供。医療機関が妊産婦に対するサービスを向上させるための支援。妊産婦の権利を守るための法律的なアドバイス。さらに、妊産婦の人権を尊重することに対して、注意喚起するための病院や職場における周知啓発などの活動です。

後ほど、Childbirth with Dignity Foundationの方から詳しくお話があると思いますが、当団体は妊産婦の環境を改善するだけではなく、彼女たちが抱える問題を自ら解決できるようにエンパワメントを行っています。日本財団は、30年にわたり、こうしたグラスルーツでの取り組みの重要性を認識し、そのような活動を行っている方々を表彰してきたことを大変誇りに思っています。

さて、WHOはマーガレット・チャン事務局長の強いリーダシップのもと、多くのステークホルダーを巻き込み、協力を得ながら、グローバルヘルスの課題に取り組んでいます。

グローバルな取り組みを行うための重要なステークホルダーとして、コミュニティのbetter healthを達成するために、日々グラスルーツで活動している人々が挙げられます。私はWHOハンセン病制圧大使として、スラムや僻地に暮らすハンセン病患者や家族のために、地域に根付いた活動を行っているNGOがもたらした前向きな変化を目の当たりにしてきました。私はこのようにグラスルーツで活動する人々を支援することにより、better health for allという目標の達成を加速させることができると強く信じています。

各国の保健省を代表してここにお集まりの皆さまには、それぞれの地域でプライマリ・ヘルスケアのために活動する様々な個人や団体を見つけ出し、彼らの活動を応援していただきたいと思います。

私たち日本財団は、今後も、地道な活動を続けている英雄たちと彼らの素晴らしい業績を称える場を持ち続ける所存です。彼らを称賛することによって、世界中にインスピレーションを与え、彼らを見習い、行動を起こす人々が増えることを期待しています。
「世界海事大学」―新校舎落成― [2015年06月03日(Wed)]
「世界海事大学」
―新校舎落成―


スウェーデンの第三の都市マルメに世界海事大学(WMU)がある。スピーチをお読み下されば分かる通り、1983年、ロンドンにある国連世界海事機関(IMOインターナショナル・マリタイム・オーガニゼーション)によって、国際海事社会における途上国の人材養成機関として発足した。

私はWMUが、海事の単なる専門学校からEUの大学評議会の認定を得るための修士・博士課程の設立に力を尽くし、過去約30年にわたって60カ国、550名近くの笹川奨学生を送り出してきた。今や、国際海事社会でWMU笹川奨学生は一大勢力となり、各国の同窓会も活発で、30年間の協力を振り返ると思い出深いものがある。

新しい大学キャンパスは、スウェーデン政府とマルメ市の多大な協力で完成したものである。日本財団としては、海事から海洋へと更にこの大学が進化することを願い、下記のスピーチとなった。反響は極めて大きく、メディアでも大きく報道された。

新校舎.JPG
新校舎.

式典でのあいさつ.JPG
式典で挨拶


********************


2015年5月19日
於:スウェーデン・マルメ
原文・英語


本日はWMUの新しい時代の幕開けとなります。新しい校舎とともに、WMUは新たにクレオパトラ博士を学長に迎え、関水IMO事務局長、各国政府の代表者、そしてWMU関係者のみなさまに心よりお祝い申し上げます。

マルメに戻って来られ、WMUを長年に渡って支援してこられたマルメ市、スウェーデン政府をはじめとしたサポーターとともに、このような記念すべきセレモニーに参加させていただき、光栄に思います。

このすばらしい講堂に「the Sasakawa Auditorium」という名前を付けていただいたことについても嬉しく思います。これまでの約30年間、WMUと日本財団が共に歩んできた道のりを振り返ると、私自身、感慨深いものがあります。

WMUは、1983年にIMOのトレーニング機関として設立されました。当時は、国際海事社会における途上国の役割と存在感が急速に高まっている時代でした。しかしその一方で、途上国には海事の専門的な人材が圧倒的に不足している状況でした。こういった喫緊の課題に対応するため、WMUが設立されました。

日本財団は、WMUが設立して間もなく、支援を開始しました。それから約30年に亘り、60カ国以上、550名近くのフェローを輩出してきました。自国の海事行政機関の責任者や海事大学の学長としてなど、世界の海事社会において活躍しているフェローたちは私たちの誇りです。

日本財団は、奨学金以外にもFacultyやカリキュラムを充実させるなどの支援を行ってきました。

国際社会に目を向けると、この約30年で世界は大きく変化しました。途上国を中心として、世界の人口が大きく増加し、世界経済も急激に成長してきました。しかしながら、それは同時に地球環境に今までにない負担をかける結果となりました。

私たちは重大な局面に立たされています。海洋環境を取り巻く課題と向き合い、有効的な対策をとらなければ、人類は経済活動を維持していくどころか、存在すら危ぶまれます。

海洋環境の観点からみると、IMOや海事産業および他の関係者たちは、海洋への悪影響を軽減する様々な努力を試みてきました。しかし、残念ながら持続的な解決策を見出すにはそれぞれの分野を超えた協力が不十分であると思います。

WMUの新校舎と新しい学長を迎えるこの特別な機会に、WMUの将来についての私の考えを共有させていただければと思います。

今年は、IMOの関水事務局長のイニシアチブの下、The Study on the Financial Sustainability of WMUが発表されました。このレポートには、WMUが先に進むための様々な対策が記されていますが、私はWMUの教育・研究範囲を海洋まで拡げる必要性、また海事政策および海洋の研究機能の強化の必要性に特に着目しております。私たちはこの改革を大いに歓迎します。

約30年前、WMUはハイレベルな訓練機関でした。時を超え、Facultyが増強され、カリキュラムが充実し、WMUは海事を専門とする大学院大学に成長しました。これによって、WMUは海事産業において権威を高め、世界中の一流の学生を集めることができるようになりました。

WMUは、これまで着実に進歩してきましたが、ここで止まって欲しくはありません。WMUが進歩し続け、海事問題だけでなく、もっと広い意味の海の問題を提示できる教育・研究機関としての地位を確立してもらうことを望んでいます。

これがどういうことなのかをイメージしやすくするために、日本財団が2011年に始めたユニークなプログラムを紹介したいと思います。そのプログラムは漁業資源の枯渇を食い止める方法を研究するものとして始まりました。ここでは、漁業の専門家が重要な役割を果たしていることはもちろんですが、彼らだけではなく、様々な分野の専門家たちが集結しました。例えば、気候変動、海洋政策、生物多様性、国際海洋法、海洋資源経済学などの専門家たちです。そのような様々な分野の専門家を束ねるため、私たちは、ブリティッシュコロンビア大学、プリンストン大学、ケンブリッジ大学、ストックホルム大学、ユトレヒト大学、デューク大学の6大学の学部をパートナーとしています。ちなみに、このプログラムはネレウスといいますが、未来の海を予測する力があると言われているギリシャ神話の海の神にちなんで名づけました。現在15人の専門家が30のプロジェクトに関わっており、2050年の海の状態を予測する科学的な知識と叡智を結集しております。

私たちは、この画期的なイニシアチブに胸を躍らせています。しかし同時に、海の問題に学際的に取り組む方法は、世界中の様々な研究機関にばらばらに散らばった専門家をかき集めることしかないという現状を懸念しております。

いつの日か、海に関するあらゆる専門家が共に海の問題に取り組み、よりよい海洋管理体制を確立し、より総合的に海の問題に取り組める教育・研究機関が設立されることが私の願望です。

私は、WMUには、その可能性が秘められていると思います。そして日本財団はそれをサポートする用意があり、まず第一歩として、次の2つを発表いたします。

1つ目は、従来から行ってきたフェローシッププログラムの継続、NF Chairの充実などのために、今後10年間、年間3億円規模(USD 3 million)の支援を行うことをこの場で約束いたします。 

2つ目は、100億円相当のファンドを新設する準備があります。関係者との調整ができれば、このNippon Foundation-WMU Ocean Fundは、海洋の問題を解決していくための人材の育成にあたる教育機関であり、多方面の海洋分野が融合する科学的研究を行う研究機関にもなれるようにWMUをサポートするために使われます。

みなさまもお気づきかと思いますが、私たちはおそらく人類史上でも非常に重大な局面を迎えております。しかし、こうした緊急事態に直面するのも初めてではないことを知っているはずです。過去を振り返れば、私たちの祖先も勇敢に問題に立ち向かい、その努力のおかげで私たちがこうして存在しています。

次は私たちの番です。私たちは皆、Ocean Communityの一員です。それぞれが役割を果たし、協力し合って問題を乗り越え、次世代のために海洋を守っていきましょう。

約400人が出席.JPG
約400人が出席
「インドのハンセン病の現状」 [2015年04月10日(Fri)]
「インドのハンセン病の現状」


ハンセン病といえばインド、インドといえばハンセン病といわれる時代が長く続きました。

WHOは人口1万人に1人未満の患者数になることを公衆衛生上制圧されたと定めました。インドでの制圧は不可能といわれていましたが、政府並びに各州政府の懸命な努力によって、2005年12月、見事国家レベルでの制圧に成功し、インドの奇跡ともいわれました。

私は多い時には一年に7回もインド各地を訪問し、この活動に参加してきました。1980年以降、1100万人が病気から解放されましたが、日本財団が5年間、世界中でハンセン病の特効薬を無料で配布したことが大きく寄与したことはいうまでもありません。

世界中で激減したハンセン病ではありますが、今現在も約20万人の人々が新たに発症しています。その6割がインドで、統計学的には今もインドといえばハンセン病といえなくもありません。

インドの父マハトマ・ガンジーは、国家政策のマニフェストの17番目にハンセン病の制圧を掲げていました。それほど深刻な問題だったのです。ガンジーは「ハンセン病の患者を治すことは、その人の生活を変えることだけでなく、村を変え、最後は国を変えることなる」と述べていました。

昨年9月と11月の二度、モディ首相と面談し、ハンセン病対策へのさらなる努力を要請しました。モディ首相はガンジーと同じグジャラート州の出身です。今年1月の『世界ハンセン病の日』には、「ハンセン病は完全に治る病気です。皆さんと一緒にインドをハンセン病のない国にしましょう」と、力強く宣言してくれました。

父・笹川良一がインドのアグラにハンセン病の病院を建設したのは1967年、48年前のことで、以来、親子二代にわたり活動してきました。しかし2005年のハンセン病制圧で各州のハンセン病対策は、残念ながら停滞気味になり、患者数も毎年12万人程度と横ばい状態です。

大都市スラムや国境地帯、山岳地帯にはまだまだ隠れた患者がいるものと推測されます。この反省に立ち、各州の『ハンセン病担当者会議』に出席して下記のスピーチを行いました。

********************

州ハンセン病担当官会議


2015年3月10日
インド・ニューデリー


スピーチ.JPG


インドは、2005年12月に国家レベルでの公衆衛生上のハンセン病制圧に成功しました。このような偉業を成し遂げることができたのは、ハンセン病による苦しみから一人でも多くの人々を救うために、皆さまがたゆまぬご尽力をされてきたことに他なりません。

しかし、この10年の間に、ハンセン病を取り巻く状況は変化し、ハンセン病制圧への勢いが失われてきているようです。当時と今とでは状況が大きく異なり、インドでは未だに毎年12万人が新たにハンセン病を発症し続けているという停滞状況にあります。

私はWHOハンセン病制圧大使として、ハンセン病患者と回復者が直面している状況について理解を深めるために、世界各地の離島や山岳地帯に足を運んでまいりました。多くの場合、このような地域に暮らすハンセン病患者は治療を受けておらず、彼らの多くは身体に障害を負っていました。特に国境付近など人の移動が激しい場所や都市近郊のスラムなどにおいて、この傾向は強いようです。さらに、スティグマや差別を恐れて、家の中に閉じこもり、ひっそりと暮らしている人々もいます。

このような状況はインドも例外ではなく、遠隔地域や国境付近、都市近郊のスラムなどサービスが行き届いていない場所で有病率が高くなる傾向にあります。こうした地域に暮らす人々にリーチすることは困難ですが、だからといって、そのまま放置していると、症状が進むにつれ、身体に障害が出てきてしまいます。それがハンセン病の怖さなのです。そして、インドには、ハンセン病によって障害を負ってしまった人々が約30万人もいるといわれています。

さらに、私が懸念していることは、子どもたちが障害を負っているケースを目にすることです。他の国の島を訪れた時のことですが、若干4歳でハンセン病を発症している女の子に出会いました。幸いその女の子は、ハンセン病患者の家族を定期的に訪問していた意識の高い看護師により発見され、早期の対応がなされ、目に見える障害も見られませんでした。しかし、もしも発見が遅れ、治療をしていなかったら、彼女の人生はどうなっていたかと思うと心が痛みます。

ここインドにおいても、私はハンセン病により障害を負ってしまった子どもたちに会い、その度に胸が締め付けられる思いをしてきました。もし、子どもたちがハンセン病を発症し、障害が出るまで症状が進行してしまっている場合は、そのコミュニティにおけるハンセン病対策が機能していなかったと言わざるを得ません。

インドのように広大な土地を持つ多様性に富んだ国においは、それぞれの州や県において状況が大きく異なっております。ハンセン病患者へのサービスをいかに改善し、最も必要とする人たちに届けるかが大きな課題です。

当面の課題は、皆さまがそれぞれに担当している州が抱える問題を明らかにし、問題に対応した明確な目標を掲げ、個別の行動計画を立ててくことです。さらに、各県が抱える問題を明らかにし、それらの問題に対応した個別の行動計画を立て、最大限の結果を得られるような革新的な取り組みができるよう、県のハンセン病担当官を指導していただきたいと思います。

早期発見・早期治療に成功している県、すなわち、新規患者やグレード2の障害(目に見える障害)を負う患者の減少が報告されている県においては、県のハンセン病担当官の努力を称え、今後も様々なステークホルダーと連携し、継続的に活動してもらえるように励ましていただきたいと思います。

中・長期的にハンセン病対策を継続、改善するために、今後の協力が期待できるNGO、特にハンセン病患者と回復者がハンセン病対策に積極的に関わっていけるよう検討していただきたいと思います。コミュニティに根差し、幅広く活躍しているASHA ladies(女性のボランティア)のようなステークホルダーと協力することで、早期発見・早期治療を促進させることができるでしょう。同様に、研究者、医療専門家、国際ハンセン病団体連合や笹川インドハンセン病財団などの支援組織との連携強化も期待できます。

皆さまご存知の通り、ハンセン病は単に病気だけの問題ではなく、病気に起因する偏見や差別という深刻な問題を伴います。早期発見・早期治療に取り組むことは、単に患者数を減らすだけではなく、同時に、ハンセン病による偏見や差別による苦しみから解放される人々を減らすことにつながることを忘れないでください。

今こそ、私たち一人ひとりが決意を新たにし、2017年までにすべての県において公衆衛生上のハンセン病制圧を実現し、ハンセン病による苦しみを抱える多くの人々を救うために、ともに手を携えていきましょう。

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会議には約100人が参加

「国連笹川防災賞授賞式」 [2015年04月08日(Wed)]
「国連笹川防災賞授賞式」


2015年3月17日
於:仙台国際センター


第3回国連防災世界会議は3月14日〜18日まで仙台市で開催され、盛況であった。

この間「国連笹川防災賞」の発表と授賞式が行われた。

この賞は30年前に設置したもので、その先見性にいささかの自負もあり、国際的にも評価の高い賞ではあるが、残念ながら日本での報道は少なかった。

今年の受賞者は英国のアラン・ラベル氏で活動国はコスタリカ。
受賞理由は
「多主体環境において様々な役割を担う中で、ラベル氏個人が継続的に大きな影響力を持って続けた取り組みが、氏を『防災界におけるリーダー』たらしめた」
「(氏の)『大局的見地から見る能力』のおかげで様々な決定に動機づけや仲立ちが行われ、総合的な防災対策が開発されました」
「全ての人に気軽に直接会うラベル氏には、公的な仕組みを地元の地域社会のニーズに合わせて調整し、地域住民に力を与え、常に人間のニーズを強調する能力が備わっていました。この力は『全く異なるコミュニティを結びつける接着剤』となってきたのです。これはどんな時も時代を超える模範です」
でした。

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防災賞受賞者のアラン・ラベル氏(中央)


下記はその折の私のスピーチ要旨です。


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自然災害は世界各地で頻繁に発生しており、人々の生活に被害をもたらしています。日本財団は、人道支援に取り組む団体として、長年にわたり、国内外の災害に対する緊急支援や復興支援を実施してきました。

私たち日本財団は、緊急支援や復興支援を通じて、災害が人々の生活に深刻な影響を及ぼすということを直に経験し、30年前、国連とともに笹川防災賞を創設しました。この賞は、自然災害のリスクを軽減するための活動を促進し、そのための知識や経験を共有できるグローバルなプラットフォームを構築することを目的としています。

ここ数十年の間に、「防災」は狭義の技術的な領域という認識から、持続可能な開発に焦点を当てた、よりグローバルで広範な動きへと発展しました。笹川防災賞がこうした時代の変化とともに進化し、より革新的で多様性のあるものへと成長してきたことを嬉しく思います。

2015年の国連笹川防災賞のテーマは、「未来を形作る(Shaping the Future)」です。本テーマのもと、今年は様々な分野を代表する団体や個人から、過去最多のノミネートがありました。私も皆さまと同様に、これから発表される2015年の受賞者にお会いできること、そして、受賞者の方から、どのように安全なコミュニティをつくり、より良い社会を実現していくかについてお話を伺えることを楽しみにしております。
「戦後70年問題」―フィリピン残留日本人二世― [2015年04月06日(Mon)]
「戦後70年問題」
―フィリピン残留日本人二世―


安倍首相が戦後70年を節目として首相談話を発表することになり、にわかにメディアが騒がしくなってきた。しかし、隣国との関係などで全ての人が納得、満足する談話などあるはずはない。

したがって、個人的には70年だからといって特別に首相が談話を発表する必要はないと考えている。しかし、国家の最高責任者として発表したいという首相のお考えは尊重されなければならない。願わくば、戦後70年間、日本が如何に世界の平和と安定に貢献してきたかを述べ、今後の日本の役割と決意を発表することで、尊敬と敬意を持って国際社会から評価されるよう願ってやまない。

戦後70年。ロシアとの北方四島解決と平和条約の締結、北朝鮮問題、慰安婦問題など韓国との関係、尖閣諸島問題などを中心とした中国との関係等々、二国間で解決すべき問題は多い。安倍首相の70年談話がどのような内容になるのか知る由もないが、これを契機により積極的な解決策が模索されるよう切望する。

ところで、読者は戦後、母とともに現地に取り残されたフィリピン残留日本人二世の問題をご存知だろうか。これも戦後70年を経てなお未解決の問題だが、これは日本政府の決断次第で解決可能な問題でもある。

日本財団は海外日系人の支援を活動指針の一つにしており、長年に亘り、中国残留日本人孤児の国籍取得やサハリン残留日本人に対する支援、フィリピン残留日本人の救済に対しても長年、支援に取り組んできた。

このほど日本・フィリピン友好議員連盟の中にこの問題に取り組むための特別委員会が立ち上がり、3月30日の総会で小坂憲次会長のご理解を得て挨拶の機会を得た。

以下、私のスピーチと問題解決に向けた要望事項四点を報告する。

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フィリピン残留日本人二世は、中国残留孤児やサハリン残留日本人と同様、「日本人」でありながら日本に帰ることが出来ずにフィリピンで人生を過ごしてきた人々です。フィリピン残留日本人二世は、フィリピン人を母に持つ混血児にはなりますが、当時の国籍法では「父親の国籍をその子が受け継ぐ」という父系血統主義の時代に生まれた人たちですから、間違いなく「日本人」なのです。

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長年の願いを訴える比残留日本人2世


しかしながら、太平洋戦争で二世たちの運命は劇的に変化しました。父親が戦死したり強制送還されたりで、一家離散になってしまったのです。戦後フィリピンに取り残された二世は、すさまじい反日感情に向き合わねばならず、それを避けるように人里離れた場所に住んだり、日本人であることが分からないように名字を母親の姓に変えたり、現地の子供よりも白い肌に墨を塗ってフィリピン人っぽく見えるようにしたりと、苦労を重ねることとなったのです。

戦争によって翻弄された人生を歩んできたフィリピン残留日本人二世は、父親のことを知りたい、自らのアイデンティティーの確立をしたいとずっと思い続けてきました。日本人であるのに日本人と認められないのは、まさに戦中・戦後の混乱があったからで、二世には全く責任のないことです。

戦争の犠牲者である二世たちを、同じ日本人として何とか救済できないかということで、日本財団では、2006年よりフィリピン日系人リーガルサポートセンターと共に国籍回復事業を行ってきました。二世たちの平均年齢は既に76.3歳、残された時間は少ないのです。また、昨年、日本国籍を取得して来日しようとした二世は、日本国籍を取ったことでフィリピンの70年間分の不法滞在費を支払うよう命令を受けました。

このように、国家間の問題へと発展しつつあるこのフィリピン残留日本人二世問題は、既に私たち民間が取り扱える範疇を超えてきております。

戦後70年が経過し、政府は遺骨収集にさらに力を入れていくと報道されていますが、フィリピン残留日本人二世が生きている間に、「日本人として認めてほしい」という彼らの長年の願いを叶えるべく、本日ご出席の国会議員の皆さまから政府に働き掛け、早急な救済措置を取っていただけるようお願い致します。


―要望事項―


今からでも遅くない。
フィリピン残留日本人に中国残留日本人と同様の援護を。

1) 日本政府(厚生労働省)は、依頼のあったフィリピン残留日本人につき、保有する軍関係資料、引揚関係資料等を活用し、身本捜しを実施してほしい。
2) 日本政府は、中国残留孤児につき中国政府と共同で実施している訪中調査に倣い、フィリピン残留日本人につき、フィリピン政府の協力のもと、共同調査を実施し、孤児認定を行い、認定された人を「フィリピン残留日本人孤児名鑑」に掲載し、日本において情報公開調査を実施してほしい。
3) フィリピン残留孤児問題(肉親捜し、国際問題、在留資格問題等)の解決に向け、日比両政府の協議を実施してほしい。
4) その他、中国残留孤児に対して行っているのと同様の支援を実施してほしい。
以上
「国連防災会議の問題点」―障がい者は対象にあらず― [2015年04月03日(Fri)]
「国連防災会議の問題点」
―障がい者は対象にあらず―


第3回国連防災世界会議は、安倍首相出席のもと、世界の政治指導者も参加して仙台市で華々しく開催されたことは報道された通りである。

過去の国連防災会議での最大の問題は、驚くべきことに、障がい者がその対象になっていないことである。残念ながら、今までこれを問題として取り上げた報道もされてこなかった。

障がい者を国連の防災、そして上位概念である持続可能な開発の枠内に市民社会の主要なグループの一つとして入れるには国連決議が必要で、日本政府の今後の努力が期待されている。決議が採択されなければ、今回仙台で採択され初めて適切に障がい者について言及した「仙台防災枠組」の意義すら失いかねない大きな問題が残っていたのである。

日本財団の活動の重点項目の一つは障がい者支援ある。その専門家でもある石井靖乃は、国連防災の枠外であった障がい者を対象に入れるべく懸命の努力をしてきた。

今回、彼の努力でワーキングセッションが開催され、発言の機会を得た。また、国連国際防災戦略事務局(UNISDR)ワルストロム特別代表は閉会式で「障害者グループ、日本財団、日本政府などのサポートにより、この会議は最もアクセシブルな国連会議となった。アクセシビリティの新しい基準が設けられといっても過言ではない。」と述べた。我々は民間の立場から国連防災、そして持続可能な開発に障がい者を入れるべく、粘り強い活動を展開していきたい。

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第3回国連防災世界会議ワーキングセッション
「全ての人のための包括的防災における障がい者の積極的参加」


2015年3月17日
於:仙台国際センター


ワーキングセッション会場.JPG
ワーキングセッション会場


今日、障がい者は、世界人口の15%にあたる10億人いるといわれています。このように社会で大きな割合を占めるこのグループが、災害や緊急時において、障がいのない人と比べると被害を受けやすいという状況にあることは誠に遺憾なことです。このような事態は、適切な災害対応や復興支援を可能にするインフラ整備や政策に障がい者がアクセスできないことが原因で引き起こされています。

その影響は、東日本大震災の事例からも明らかです。NHKの調査によると、東日本大震災における障がい者の死亡率は、全体の率に対して2倍〜4倍であったといわれています。

私が東日本大震災の支援活動を通じてお会いした障がい者の方は、緊急避難から復興への過程で、ご自身が直面された課題を共有してくださいました。大きな課題は情報へのアクセスについてでした。例えば、緊急避難の際、サイレンやラジオといった音声のみの警報は聴覚障がい者には届きませんでした。そのため、情報を得た上での意思決定や必要なサービスへのアクセスをすることが困難な状況でした。また、公共施設における課題として、多くの避難所では、車いす利用者が生活する上での配慮がありませんでした。

これらの事例は、コミュニティの災害リスク軽減に関わる計画や実施のプロセスに、これまでの間、いかに障がい者の参加ができておらず、彼らがレジリエントな(強靭で回復力のある)コミュニティの復興に貢献できる機会を奪われてきたかを物語っています。

言い換えれば、これまでの間、障がい者はコミュニティにおける重要な一員であるという認識がなされていなかったということでしょう。

このような教訓を最大限に生かし、同じことを繰り返さないために、日本財団は被災地のコミュニティの方々とともに活動を行ってきました。私たちは、被災地のコミュニティが、被災前の状態に戻るだけでなく、障がい者を含めた多くの関係者とともに、さらにレジリエントな(強靭で回復力のある)コミュニティを構築できるよう支援しております。
また、私たちは、世界中の様々な地域において、障がい者を含むインクルーシブな防災の取り組みを促進させるため、国連機関とも活動を行ってきました。

2012年、東京において、国連経済社会局と共催した国連専門家会議では、NGO、大学、企業、テレビネットワークを代表する専門家が一堂に会し、情報アクセシビリティの意識啓発、災害対応および災害管理における障がい者の参加に関する提言を作成しました。そして、2014年4月、日本財団は、国連アジア太平洋経済社会委員会と障がい者を含むインクルーシブな防災に関するアジア太平洋会議を共催し、障がい者を含むインクルーシブな防災という視点を「ポスト兵庫行動枠組2015」に含めるための提言書を提出しました。

今回、この国連防災世界会議で初めて、障がい者を含むインクルーシブな防災のために、障がい者の積極的な参加について議論するセッションが設けられました。同時に、今回初めて、多くのセッションにおいて、物理的なアクセシビリティや情報アクセシビリティが保障されています。

本会議にすべての人々がアクセス可能となるよう、日本政府、仙台市、国連国際防災戦略事務局の皆さまとともに取り組めましたことを大変嬉しく思います。

私は、障がい者を含むインクルーシブな「ポスト兵庫行動枠組2015」が採択されることは、防災に関わるすべてのプロセスに障がい者の参加を促し、災害発生時の人的被害に減少のみならず、復興への取り組みにも参加する道を開くと期待しています。

また、次の10年におけるポスト2015開発目標も、今年の9月に開催される持続可能な開発のための特別サミットの場で国連加盟国により採択される予定です。今回の取り組みが、防災の分野だけでなく、持続可能な開発目標を含む枠組みにおいても、障がい者を含むインクルーシブな社会への動きを加速させるマイルストーンになると確信しております。
「“ハンセン病でつながる若者と世界”合同シンポジウム」―スピーチ― [2015年03月20日(Fri)]
「“ハンセン病でつながる若者と世界”合同シンポジウム」
―スピーチ―


2015年1月22日
於:早稲田大学


先ほど、若い皆さんのハンセン病回復者へのボランティア活動についての素晴らしいプレゼンを聞かせていただき、本当に力強さを感じました。私はもう天国に近い位置におりますので、このような問題をどのように若い人たちに引き継いで頂くかということが、私たちに課せられた大きな使命でもございます。そういう意味で、今日お聞きした皆さん方の経験談、また、それに取り組む強い意志というものを感じ、逆に私が励まされました。

いつの時代も世の中を変えていくのは若い人です。私たちの年代になりますと、よく政治家や官僚の悪口を言い、また、若い人たちに対する批判をするのですが、私はそういうことが大嫌いです。なぜなら、そういう社会を作ってきたのは私たちの世代だからです。

私は将来を担う若者たちとの対話を最も重視していかなければいけないという気持ちで仕事をしておりますので、今日は逆に私自身が皆さん方から学ばせて頂いたと思っております。

皆さんがさまざまなボランティア活動をなさっていることは大変尊いことで、素晴らしいことだと思いますが、よく勘違いする人もいるのです。「自分はいいことをしている」「誰か困っている人を助ける、助けたい」という気持ちでスタートを切るわけで、それはそれで一つの動機付けとして大変素晴らしいことだと思いますから、これを批判するわけではありません。

良いことをしたい、良いことをして何か社会のために役に立ちたい。入口の気持ちはそれで結構だと思いますが、よく考えてみると、自分自身、一回しかない人生を心豊かに生活するために何をするべきか。その結果が人のために役立っているということで、人に役立つことが先にあるわけではないのです。

皆さんは、素晴らしい仕事を通じて、本来なら知り得ない社会、それこそ未知との遭遇の中で仕事をやってこられました。しかし、恐らくこれから永遠にこのハンセン病のことをするわけではないでしょう。就職もしなければいけないし結婚する人も出てくるでしょう。どのような時でも、ここで得た貴重な経験は必ず役に立つ時がきますし、青春の一時期をこういう人たちと共に過ごしたということが、あなた方のこれからの人生の中で大変役に立ち、豊かな人生を築く糧になることと思います。

苦しいことや辛いこととは人間の人生の中の記憶に残るのです。楽しかったことや美味しいもの食べたことなどは、人生の記憶にはほとんど残りません。辛かったこと、悲しかったこと、困難を乗り切ったこと、そういうものが地球上で唯一、理性を持っている人間の記憶の美化作用によって懐かしい思い出として残っていくのです。決して楽しかったことだけが記憶に残るのではないのです。それは76歳の私が言うのですから、間違いのないことです。

ハンセン病だけが入口ではありません。社会には私たちが知らないことの方がはるかに多いのです。ですから、学生の皆さんには専門領域の勉強以外にも社会に様々な課題が存在するということに対して好奇心を持つということが大変重要なことなのです。

人生は、学校で勉強し、いい会社に就職し、結婚して幸せな家庭を持って・・・そんなに上手くいく人はほとんどいません。その中に必ず障害になること、そして悩み苦しむことが出てくるのです。そういう時に社会課題に挑戦をした経験を持っているということが強い心を作り、精神力で突破できるようになるわけです。

今日はハンセン病の話ではございますけれども、世界では皆さんのような幸せな生活をしている人の方がはるかに少ないのです。世界人口70億人のうち20億人は一度もお医者さんに診てもらうことがないどころか薬も飲んだことがないという人がいるのです。皆さん方の生活自体の方が世界から見ると異常な世界なのです。日本という世界で最も恵まれた安全で素晴らしい国に住んでいる。宗教対立もないし民族紛争も起こらない。そういう異例なところに住んでいるという自分の立ち位置というものを世界レベルの中で常に意識しながら生きていくということが、若者に望まれることではないだろうかという気がしております。

ハンセン病の話から飛びましたが、若い皆さん方は失敗が許される、チャレンジできる人たちです。しかし、卒業して3年から5年も経つと、若い学生時代の甲論乙駁の高い理想に燃えた精神から堕落して、ただの人になる人がほとんどです。今日お集まりの皆さんには、人生チャレンジをしていくということが大変重要であり、またそれが許される。失敗を恐れてはいけません。

リスクをとらない人生ほどつまらないものはないのです。たとえ失敗しても、それがまた経験となって次のステップを踏むことができるような強い人間になってほしい。それを皆さんに期待しております。

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スピーチの後は学生との座談会
赤い靴下をはいて頑張ってみました!



「第6回B&G全国サミット」―ハンセン病とモーターボート競走― [2015年03月18日(Wed)]
「第6回B&G全国サミット」
―ハンセン病とモーターボート競走―


B&G財団は、青少年に不足気味な体育・徳育のため、ボートレースの収益金で全国472カ所に海洋センターを建設した。その管理者である首長211名、副首長46名、教育長204名、海洋センター関係者686名他、合計769名が参加してサミットが開催され、その折の講演録です。(即興)

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2015年1月28日
於:笹川記念会館


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モーターボート競走が始まりまして既に65年にもなります。日本財団はモーターボート競走の売り上げの2.6パーセントというお金を頂戴し、日本はもとより、世界の人道的活動を展開しているわけでございます。

65年前に作られてから近年まで、進歩的文化人をはじめ多くのメディアは、賭け事のお金は汚れたお金で、そのお金で社会貢献をするというのはおかしいじゃないかと批判されたものでした。しかし創業者の笹川良一は、お金には王様のお金も貧しい人のお金も変わりない。それをどう生かして使うかという使い方に問題があるんだと、批判には馬耳東風でした。

日本でも昨今、格差社会でたくさんのお金持ちが生まれております。起業家も一生懸命お金もうけに走っています。私が見ていますと、お金をもうけるということが人生の目的のように錯覚していらっしゃる方がたくさんいらっしゃるんですね。私の友人にも大金持ちの人がたくさんいました。大体、その方たちの末路を見てくると、残念なことでございますが、人生何のために一生懸命働いて財産を作ってきたのかと思うぐらいに、亡くなった後の悲惨さというものは計りしれないものがあります。何百億もお金を残しながら、亡くなったとたんに家族の間に憎しみが湧いて、30年も裁判所でその何百億のお金をめぐって争っていらっしゃる方もいらっしゃいました。

少なくとも一時期は愛し合い、その人がいなければ夜も昼も明けないような日々を過ごしたにもかかわらず、人生の終わりには、酸素吸入を受けながらベッドの側に日本有数の税理士や会計士を集め、どうしたらこの女房に遺産を少なく渡すことができるだろうかと、相談していた人もいました。財産家になったことで、その方の人生、あるいはその後のご家族が離散する、あるいは憎しみを持つという結果になってしまったのです。

私などは通常の生活ができれば良いように思うのですが、事業をする人は狩人と同じで、獲物があれば狙っていく。魚を獲りに行けば、そこにいる魚を全部獲りたいという心境になるということは分からないでもありません。しかし、それをどのように生かして使うかということこそ本来、事業家、企業家、あるいは財産を作られた人として、あるべき姿ではないかと思うのですが・・・。

そういう中で、モーターボート競走を創設した笹川良一は、賭け事でもうけたお金で慈善活動をするのは何事かと言われても平然としておりました。これがメディアの方から見ると憎たらしかったんでしょうね。戦後日本では、もぐらたたきのように、少し生意気なことを言うとメディアにたたかれて頭をつぶされるという歴史でございましたけれども、彼はたたかれればたたかれるほどタケノコのごとくムクムク、ムクムク成長していくという反骨精神を持った人でした。

その原点は、戦後の荒廃した日本が復興していくためには、海運立国であった日本が、壊滅した船舶、そして造船所を復興することによって貿易で生き残る以外にない。しかし、お金は天から降ってくるものでもありませんし日本政府にお金があるわけでもない。何とか自力でこのお金を稼ぎたいということでモーターボート競走が始まったわけでございます。

今申し上げましたように、彼は激しい批判を数十年も受け続けてきましたが平然としておりました。それは、慶応大学を作った福沢諭吉が『文明論之概略』の中に書いておりますが、「世の中を変革する人は常に少数意見である」と。皆が良いと思ってやることはそう大きな問題ではないと考えたようです。

今の成熟した日本の社会は権利だけを主張し、それが民主主義のように思い、義務と責任という裏腹の関係にあることを忘れてしまった結果、今や1000兆円を超える借金を抱えているわけでございます。皆さん方も日々、ご苦労なさっていらっしゃると思いますが、プライマリーバランスと申しますが、収入と支出は均衡でなければなりません。ドイツでは2度に渡るスーパーインフレを経験した結果、きっちりとプライマリーバランスを守っていますが、皆さんご承知のように、家庭にたとえますと収入が50万しかないのに90万円の生活をしているわけでございます。

兄弟財団でありますシンクタンクの東京財団の研究では、収入を90万にするには、消費税を30パーセントに上げて初めてプライマリーバランスが合う。家計簿がプラス・マイナス・ゼロになるということでございます。しかし、それでも残った1000兆円の借金は返せないんですよ。そのような財政の危機的状況になってきたということは、国民の要望にこたえることが良い政策であり、政治家として評価されることだと、政治家のみならず、皆さんが考えたからです。

江戸時代、勿論さまざまな評価もありますが、300諸侯、たったの2万石か2万5000石の藩でも苦しいながらも自立し、藩学校に英才を集めて学校教育に力を入れ、それぞれが自立した文化を形成してきたわけでございます。

江戸時代の末期の人口は3500万から3600万だと記憶しています。3500万人から3600万人でもきちっとやっていけるんですね。勿論、年齢層の問題がありますから一概には言えませんが、それぞれの藩が知恵を絞って、絞っても出ない水まで絞りとって、みんな自立してやってきたんですね。

地方創生、勿論必要です。しかし、与えられたものだけでうまくいくでしょうか。やっぱり地方が自らの力で、どのようにして我が町を盛り上げていくかという民主主義のもう一つの責任と義務を国民が理解・自覚した時、日本は再生すると考えております。

笹川良一は大阪の箕面市の出身で、川端康成と同級生で、川端さんが亡くなった後も欠かさずの墓参を続けておりました。そんな中、村の中でハンセン病を患ったお嬢さんが突然いなくなった家庭があるということを聞き、ハンセン病との闘いを決意しました。1970年代の初めにはインドに立派な病院を作ったり、目に見えないところで懸命の努力を続けてきたわけでございます。

昭和35年、私は韓国に建設したハンセン病病院の完成式典出席のため、笹川良一に随行する機会を得ました。その時彼は、ハンセン病患者の肩を本当の親子のように抱き、膿で膿んだ傷口を素手で触れ激励する姿を見て、これこそ私が継続していかなければならない仕事だということを決意したわけでございます。

以後約40年間に亘り、一年の3分の1は海外の劣悪な環境で生活するハンセン病患者・回復者の生活改善のための活動に費やしてきました。これも元をただせばお金がなければこれはできないことです。これはモーターボート競走のファンの浄財です。笹川良一はファンの理解を得るため一生懸命競走場に通い、皆さんからお預かりしたお金はこのように使われていますということを言いながら、必死に努力をしてきたわけでございます。お陰さまで、この浄財を頂くモーターボートのシステムが、世界的に評価を受けるようになりました。

私たちは日本から世界を見ることしかしてこなかったのです。社会科の地図を見ますと、小学校でも日本は赤く塗られていつも地図の中心です。ですから、外国で飛行機が落ちても「日本人は乗っていなかった模様」で、その後、何のお悔やみの言葉もありません。外国人が亡くなっているにも関わらず、日本人が亡くなっていなければそれでいいと。

しかし、笹川良一は世界あっての日本で、日本あっての我々だと。常に世界というものを意識していかないと、これからの日本の存在はあり得ないということを65年も前に見通していたわけです。ですから、日本ではハンセン病というのはもうほとんどなくなったじゃないかということでございますが、世界から見ればまだ現在進行形の病気なのです。

私は、世界制圧をどうしたらいいかということを一生懸命考えました。幸い、このモーターボートのお金を使わせていただきまして、5年間、世界の薬を無料で配布するという大きな決断をしました。お陰で患者数が一挙に500万人も減りました。それでもまだ20万人という大きな数が残っておりますし、スティグマ(汚名)などで家族の名誉までを傷つけ、貴族社会のあった国では、貴族権を取り上げられるという国も存在しておりました。

ということで、私は病気を治すことばかりに力を注いできましたが、病気は治っても社会の人が持っている偏見とか差別という病気を治さないことには問題は解決しないということに遅まきながら気が付き、たった一人でジュネーブの国連人権委員会に働きを開始しました。

毎年のごとく行きましたが、私のような素人が行ってもほとんど耳を傾けてはもらえません。十分な準備をして会合を開いても、7人とか8人とかしか集まってくれないという状況が長く続きました。しかし継続は力で、結果的には多くの人の理解を得て決議をいただきました。私はジュネーブで27カ国の大使館に参りましたが、その折には日本の外務省も手伝ってくださいました。

日本は人権問題と言いますと北朝鮮の拉致問題だけしか国連に提示していないんですね。もちろん大事なことですし、我々にとっても最大の問題ではあります。日本では人権問題を扱うのは左翼の人の特権のように思われていますが、とんでもないことす。自由、平等と基本的人権というのが民主主義の三大構成要素でございます。全ての人がこれに関心を持たなければいけなのです。

日本の北朝鮮問題について、常に反対するのは中国とキューバです。外務省は行っても無理だと言いましたが、私たちはとにかく行って、一生懸命説得しました。結果、中国もキューバも日本政府の提案したハンセン病患者・回復者、その家族に対する差別撤廃案の共同提案国になりました。賛成というだけじゃないのです。日本政府の原案の共同提案国になってくれたのですから、ヨーロッパのいわゆる人権にうるさい国々の人はビックリでした。

私には欲がありますので、さらに外務省に、ニューヨークの国連総会で決議を取ってほしいとお願いしました。決議案の内容はどうするべきか研究し、1年遅れましたけれど、驚いたことに、国連加盟国193カ国、全てが賛成してくれました。

差別撤廃の決議案は通りましたが、これをどのようにうまく使っていくかというのは、私たちに与えられた使命です。これは強制力がある法律ではありませんが、この決議案を道具としてうまく活用することによって、世界中の国々で偏見や差別をなくしていこうというのが私の戦術でした。

私自身の力は非力でございますので、世界の有力者の力を借りたいと考え「グローバル・アピール」というものを世界の各地で発信し続けて参りました。今年は10年で、記念すべき10回大会を、世界の看護師協会と共に昨日、全日空ホテルで開催しました。

イスラム国の日本人拉致問題、また国会開催中で火曜日は閣議のある日ですね。そういう忙しい中にも関わらず、総理大臣ならびに令夫人にも出席していただき、無事成功裏に終わることができました。

私は、ここに来る前まで宮中の吹上御所におりました。それは「ハンセン病の世界の現況についてご進講をしてほしい」というご依頼がございましたので、1月13日、ご進講にお伺いいたしました。両陛下はハンセン病について実によくご存じでいらっしゃいました。ご承知のように、二つの私立と13のハンセン病国立療養所は全てお回りになっていらっしゃいましたし、大変専門的な知識をお持ちでございました。

驚くべきでことでございますが、先ほどお話しした「昭和35年に韓国にハンセン病の病院を作った時の完成式に私が同行し、父親が患者を抱きしめている姿を見て、これは私に与えられた使命だと思った」ということを両陛下に申し上げました。すると皇后様は「良かったわ」とおっしゃって下さったのです。どういうことかと申しますと、当時、韓国のシスターから皇后様に、何とか韓国のハンセン病をなくしてほしいという厳しい現実をしたためた悲しいお手紙が届いたそうです。皇后様はそれを当時の駐韓大使をやっておりました金山政英さんにお願いし、彼が笹川良一のところに来まして「韓国で大変悩んでいますのでお助けを願いたい。皇太子妃(当時)の美智子妃殿下もご心労を煩わせていらっしゃいます」というお話しをされました。私も側でこの話をお聞きしていました。しかし今回のご進講の折には金山大使からのご依頼でということは申し上げましたけれども、皇后様からのご依頼ということは伏せ、あえて言いませんでした。しかし皇后様のほうから「私は当時、何の力もございません。今もありませんが。ただ、大変心を痛めておりましたので、金山大使、そして高松宮殿下にお頼みしたのです。それは良かったわね」と、おっしゃって下さいました。皇后様はそういうたった一通の手紙を長く記憶に留めていらっしゃった。結果的に、私の仕事は皇后様に導かれたようなことになっていたわけです。

ということで、13日のご進講の最後に、できましたら海外から来るハンセン病回復者にお会いいただきたいということをお願いしました。本当はこういうことをしてはいけないんですね。ご進講は講書始めのような儀式ではありませんから、応接間でゆったりとした雰囲気でさせていただきました。

あくる朝、9時に侍従長より回復者の皆さま方をお招きしたい。両陛下がそう望んでいらっしゃいます」という電話がございました。そして今日、先ほど8人の各国の回復者の皆さんを吹上にお連れをして参りました。

この8人ですが、4人ずつの2組に別れ、陛下が4人で皇后様が4人。終わると交替そして8人全員が別々に天皇陛下と皇后陛下とお言葉を交わす機会をいただきました。しかも驚くべきことに、一昨日ですか、陛下は風邪気味だというようなお噂を聞いておりました。両陛下は肩を抱き合うように側に寄り添い、指のない回復者の両手に暖かく触れながら、ちゃんと相手の目をご覧になってお話を続けられました。8人全てにそのように本当に愛情溢れると申しましょうか、言葉が詰まるぐらい私は感動いたしました。本来ならば、お風邪気味であれば、我々のほうこそ遠慮しなければいけないし、海外の劣悪な生活の中で生活している人たちですから、結核などの病気を持っている人もいるかも分かりません。それを一切無視されて、肩を抱くようにしてお一人お一人とお話をしてくださいました。

今、報告の記者会見をやってきました。回復者たちは、自分の家族さえ手を握ってくれないこういう指の欠けた手に触れていただき、自分の皮膚に感覚ありませんが、天皇陛下、皇后陛下の抱きしめるような温かさがが感じられた。生まれ変わったような気持ちです・・・。

国民の安寧を願って毎日、祈りをささげられる。世界中にこのような王家がございますでしょうか。ただ今の天皇は日本国125代目でいらっしゃいます。1750年も続いています。世界でこのように長く続いている例はありません。1750年も続いている王家というのは日本だけです。しかも、世界中で唯一、権力をお持ちにならない。商売をなさらない。財産はない。そういう王家というのは世界広しといえども日本だけでございます。

戦前の一時期、あるいは明治時代に天皇が権力を持たれたような誤解もございますけれども、日本は源頼朝も征夷大将軍にはなりましたけれど天皇にはなりませんでした。英国の憲政学者・バジェットが「理想の政治は権威と権力が分離していることだ」書いております。秀吉しかり、家康しかりです。外国ではアレキサンダー大王もナポレオンも権威と権力を独り占めにしてきました。中国などもっと極端な例でございます。

そういうお方のもとに存在する日本という国は、サミュエル・ハンチントンが『文明の衝突』で書いています。

世界には八大文明がある。その中に日本文明というのが入っているんですよ。この小さな島国が、一時期、中国からは影響を受けたかもしれないが、その後は独立して素晴らしい文明を作った。日本文明というのが世界の八大文明の一つ。イスラム文明だとか中華文明だとか。アフリカ大陸は一つまとめてアフリカ文明って言っているんですけど。

皆さまはそういう素晴らしい国の指導者でいらっしゃるわけでございます。私は皆さま方の手にこれからの日本の再生はかかっていると思います。決して内閣総理大臣の力ではありません。ましてや政府の仕事というよりも、住民に密着したところで日々努力なさっている皆さま方の覚悟がこれからの日本再生への道です。そのためには、オリンピックの活用も重要でしょうし、政府からの支援が必要かも知れません。

しかし、与えられているだけでは絶対に駄目です。日本国は沈没いたします。どうぞ皆さま方の英知を結集していただき、それぞれの地方から元気を出していただいて、皆さんの側から日本の国を良くしていくと心意気で活力ある地方をお作りいただくのが皆さま方のお仕事ではないかと思います。

ご清聴ありがとうございました。

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