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笹川陽平ブログ(日本財団会長)

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「海洋研究所設立」―スウェーデン・マルメ市― [2018年05月28日(Mon)]
「海洋研究所設立」
―スウェーデン・マルメ市―


デンマーク空港から長い橋を渡って約40分でスウェーデンの港町マルメに到着する。

このマルメ市には、国際海事機関(IMO)が設立した主に途上国の海事関係者を養成する世界海事大学(WMU)が設立されて35年になる。キャンパスはマルメ市の協力で運営されているが、海事大学の主要学科や学生の2割は日本財団の協力で運営されている。

今やグローバリゼーション時代の中、人類生存の鍵を握るのは、人口爆発と急速な産業の近代化によって静かにしかも急速に悪化している海洋環境であり、このまま推移すると、海洋は人類の生活の負荷に何時まで耐えられるのかが心配である。

筆者は海洋環境の良好な保全には千年、1万年単位で対策を必要とする人類共通のテーマと考え、この度、世界海事大学の付属として「笹川海洋研究所」を設立した。

EGlobal Ocean Instituteの建物.JPG
Global Ocean Instituteの建物


以下はその折のスピーチです。

***************

WMU-Sasakawa Global Ocean Institute 開所式典

本日は、大いに期待をされてきたWMU-Sasakawa Global Ocean Instituteの開所式でご挨拶をさせて頂けることを、とてもうれしく思います。本インスティチュートは、これから持続可能な海を次世代に継承できるよう、人類の道標を担っていくわけですが、今後の話をする前に、これまで歩んできた過去の道のりについてまずお話させて下さい。

B.JPG
式典で挨拶


私たちが海洋分野のプロフェッショナルの育成を開始したのは1980年代ごろです。当時、グロティウスが唱えた「海洋の自由な利用」という考え方は既に終わりを告げ、国際社会は一丸となって、国連海洋法条約(The United Nations Convention on the Law of the Sea:UNCLOS)を採択致しました。

この条約により、各国の管轄権の及ばないエリアに存在する海洋資源の利用と管理については「人類の共同財産」であるという原則が適応され、人類は新たな海洋管理の道を歩みだしたのです。

この新しい海洋管理のレジームを支え、そして次世代の海洋専門家を育成するため、日本財団は数々の専門機関等とパートナーシップを結び、若手プロフェッショナル向けの奨学金事業を開始しました。その記念すべき第1号がWMUとのパートナーシップだったことは、いまでも私達の誇りです。

これまで海洋学、気候変動、そして水産資源管理から海洋ガバナンスの分野にいたるまで、140カ国、1,200名以上の海洋専門家を育成してきました。

世界に目を向けると、この約30年で目まぐるしい変化を遂げました。世界人口は大きく増加し、世界経済も急激に成長しました。しかしながら、それは同時に地球環境、特に海洋環境に、今までにない負担をかけることとなったのです。

信じ難いことですが、この40年間で世界の海洋生物の個体数は50%も減少したと言われています。海洋生物資源の乱獲は、生態系のバランスを崩すだけでなく、沿岸で暮らし、漁で生計を立てている人々の生活を脅かしています。更に自体を悪化させているのは気候変動と地球温暖化です。これらは海の酸性化と海面上昇を引き起こし、それによって海の複雑な生態系は多大なダメージを与えています。

海洋管理の面では、新しく発見された海底資源の開発は、深刻な法的・政策的な問題を投げかけています。海全体の3分の2を占める公海の管理という課題も未だに解決策は見いだせない状態です。各国が権利を主張し合い、利害が衝突するなか、一つの共同財産であったはずの海は分割され、もはや一つではなくなってしまいました。

みなさま、私達が直面する海の課題は日に日に深刻化しています。私たち自身も、未来に引き継ぐべき海の資源を奪うことに無意識に加担していることを自覚しなくてはなりません。このまま有効的な対策をとらなければ、人類は経済活動を維持していくどころか、存在すら危ぶまれるのです。

IMOや海事産業および他の関係者たちは、海洋への悪影響を軽減する様々な努力を試みてきました。しかし、断片的に個々の国々や、枠組みが取り組んでいる今日では、残念ながら持続的な解決策を見出すことはできません。

無論、1982年の国連海洋法条約はグローバルな海洋管理の基盤であり、これを成し遂げたことは人類にとって大きな成果であることは間違いありません。しかしこの条約にもはっきりと、統合的な海洋管理の重要性を指摘しています。残念ながら、この条約の草案者たちは、海洋空間に起因する全ての問題が総合的に扱われるための友好的なメカニズムを導入しませんでした。

専門家が寄稿した報告書、”Ocean Governance: Security, Stability, Safety and Sustainability” でも、現状の断片的なアプローチの限界を指摘しています。当報告書はIMO IMLIのディレクターを勤めるアタード教授が総監修しました。

海洋問題が総合的に取り扱われるためには、新たな海洋管理のレジームを設立する必要があります。そしてそこには、Seventh Generation of Stewardshipの原理がなくてはならないと考えています。これは、かつて北米の先住民たちが生み出した原理であり、コミュニティで発生するあらゆる課題(個人的、政治的、社会的)に対して、7世代先の子孫への影響を考慮し、対処することを定めています。この原理を国際社会が有言実行することができれば、海の未来、そして人類の未来は確実によい方向に向かうでしょう。

この構想を具現化するためには、やはり、海と人類の1000年先のビジョンを描き、そこに辿り着くために達成すべきマイルストーンと、それらをサポートする分野横断的かつ科学的根拠が必要です。本インスティチュートがその役割を果たせると私は信じています。

これまでの人材育成事業の長年のパートナーであり、海事から海洋へと視野を拡大してきたWMUと、本事業を共にできることを私達は幸運に思っています。ともに、この研究所を国際的な産官学をつなぐハブに育て上げ、そして7世代のスチューアドシップの原理にならって、本インスティチュートの先導のもと、人類は持続可能な海を達成することができるでしょう。

この航海の舵取りを担うことになるインスティチュートのディレクター、ローナン・ロング教授には、あなたのリーダーシップの元、インスティチュートのミッションを達成できると大いに期待しています。

我々が力を合わせれば海が沈黙の苦しみから開放されるときは必ず来ると信じています。その実現に向けて、そして愛する海と、次世代のために、私達一人ひとりが役目を果たしていきましょう。

ありがとうございました。
「ちょっといい話」その94―パラオ共和国― [2018年05月11日(Fri)]
「ちょっといい話」その94
―パラオ共和国―


4月12日から、一泊三日でパラオを訪れた。

太平洋の島嶼国の一つであるパラオ共和国は、戦前、日本の南洋庁があった所で親日家が多く、多数の日本語が残っており、氏名に日本名の方も多い。

6代目の大統領は姓がナカムラで、現在の駐日大使はマツタロウが姓となっている。

太平洋戦争の激戦地であるペリリュー島では、先年、天皇・皇后両陛下が慰霊に訪問されたことを記念し、以来、ペリリュー島では4月9日が休日となっている。

パラオと日本財団の交流は、かつて笹川良一に、「本島であるコロール島とペリリュー島との間の運搬船が破損して往来が不可能になって困惑している。支援していただけないか」と当時の大統領より陳上があり、新造した船『日本丸』を支援したが、これも数年前に台風で破損。二代目『日本丸』を支援した。また、海域の不法操業や犯罪防止のための巡視船や小型警備艇とその施設も支援した。

パラオと日本財団の長い交流の歴史から、恥ずかしながら、財団を代表して上下両院で同国三人目の名誉国民に推挙された。

以下、その時のスピーチです。

C国会には各大臣らも出席.JPG
国会には各大臣らも出席

***************


パラオの名誉国民というこの上ない誇りある栄誉をいただいたことに加えて、本日ここに歴史かつ由緒あるパラオ国民議会でお話をさせていただく機会を得たことは、私の人生の中でも忘れがたい名誉であります。

ご存知の通り、私たちの海は、本当に危機的な状況に瀕しているにも関わらず、国際社会は今も海洋権益を巡る国家間による争い、そして募る核の脅威などにより、身動きが取れない情況にあります。

そんな中、気候変動に伴う海洋環境の変化、水産資源の枯渇やプラスチックをはじめとする海洋ゴミの問題は、国土の面積よりもはるかに広大な美しい海を抱える島嶼国のみなさんにとっては、本当に切実な問題かと思います。

パラオは、2015年にMarine Sanctuary構想をこの議会で決議し、2020年からの実施に向けて精力的な活動を続けるほか、2020年にはOur Ocean Conferenceの主催についても表明するなど、海洋保全(Ocean Conservation)のための先駆的な取組みをリードしています。

しかし、人類が向かっている軌道を真に変えるためには、さらなる協調と連携が必要です。隣国でもあり、歴史的にも深い関わりを持つ私たち日本とパラオは、世界の海の問題の解決することができる理想的なパートナーシップが築けると信じてきました。

日本財団は、パラオの海、そして私たちの海を守るためにパラオに対する支援や連携を今後もおしみなく継続していきます。そしてこのパートナーシップは、世界の海を守るための国際社会の取組をリードすることができると信じてきました。そして、私達が実施した多様なステークホルダーを巻き込んだイノベーティブな事業は、まさに、各国が協力することによって何が達成できるのかを国際社会に示すことができた、よい事例と言えるでしょう。

この事業では、パラオ、日本、アメリカ、オーストラリアが手を結び、ミクロネシア3国の海上保安能力強化に取り組みました。ミクロネシア3国の中でも供与された小型艇を効果的に活用するなど、プロジェクトに精力的に取組んでいるパラオ政府との間では、2015年にパラオと日本の海洋アライアンス構想に関する覚書を締結しました(21st Century Palau Japan Ocean Alliance)。

これは、日本財団のパラオに対する期待の表れの一部でもありますが、この構想に基づく具体的な支援策の一つでもある、40m型巡視艇「KEDAM」とDMLE (Division of Marine Law Enforcement)の新庁舎の引渡しを先の2月に無事終えることができました。

覚書に基づく支援策は、海上保安能力の強化のみならず、パラオにおけるにエコツーリズムの普及を中心とした、パラオの海を持続可能な形で発展させるための包括的な内容となっています。また、海の問題のみならず、パラオが抱える社会的なその他の課題についても、レメンゲサウ大統領とは個別にお話をさせていただいています。

島嶼国が抱える社会的な課題に対して、日本財団として何ができるのか、また、日本政府と共にできることがないのかなど、今後も引き続き大統領との対話を行っていければと思います。そして更にはパラオ国民の生活や意識の改善につながるような支援をしたいと考えています。

私は、常々、私たちの美しい海を次世代に引継いでいくためには、1000年先を見据えたビジョンや取組みが必要ではないかと訴え続けています。

2017年6月にNYで開催された国連世界海洋会議(UN Ocean Conference)では、国際的な海洋管理を統括する政府間パネルを新たに創設することが必要ではないかとの提案もさせていただきました。いくつかの国からは、この提案に賛同する意見も既にいただいています。

人類がこれからも永遠に海と共に生きていくためには、海に寄り添い、海のことを本当に憂い、想う人々がまずは手を取り合い、つながっていくことがなくてはなりません。我が二カ国の国民たちで実現できると信じています。そして国際社会に対し、手を取り合うことによって生まれる力を示してけるでしょう。

忘れないで下さい。私たち日本とパラオの人々は、共に海の人(Chad ra Daob:アーダラ ダォブ)であることを。
「私は切腹覚悟」―新年度挨拶― [2018年05月02日(Wed)]
「私は切腹覚悟」
―新年度挨拶―

2018年4月2日
2階大会議室

 新年度で優秀な新人の方も入られましたので、総括的に話します。
世界中には多くの財団がありますが、日本財団のような組織は世界に一つしかありません。

 日本財団は、ボートレースを実施している地方自治体よりお金をいただいて運営しています。一時期は売上が8,500億円まで落ち込みましたが、昨年は11%も増え、1兆2,300億円を超えることができました。

 こういったお金が毎年自動的に入ってきており、今年の日本財団の予算は約500億円です。ここに集まっている皆様で500億円を使っていることになり、1人当たり5億円を扱う大変大きな責任を負っている組織です。今は金利が良くても2%くらいですので、500億円を得るのには2兆5,000億円が必要になります。2兆5,000億円の元金がなければ機能しないといった大きな組織が日本財団です。

 30年ほど前、日本財団は様々な財団をつくりました。そのことに対しては世の中から若干の批判もありました。当時はまだ民が社会のために働く組織というものが存在しなかったからです。しかし、存在しないものを待つばかりでは世の中は変化しないため、私たち自ら財団を作りました。

 例えば、30年前は競技スポーツ一点張りでした。しかし人々の健康を考えますと、子どもも大人も、生涯を通じてスポーツを行うことが健康を管理する上で大変重要なことで、それが社会福祉の費用の削減にもつながります。そのために競技スポーツではなく、国民の健康を考えるための生涯スポーツの組織として笹川スポーツ財団を、又、日本ゲートボール連合を設立しました。以前愛媛県で調査を行った結果、ゲートボールをやっている人は福祉の費用が県内で10%少ないというデータも出ています。

 また、当時の日本は県庁所在地に立派な競技場を作るのですが、使用されるのは年に数回で、ほとんど使用されていないというような状況でした。そうではなく、必要なのは財政難の貧しい町や村々に子どもたちが集える施設をつくることだと考えました。ヨーロッパではスポーツは全てクラブ組織で、日本のような学校スポーツ、企業スポーツは存在しません。日本でも町や村にスポーツ施設つくり、コミュニティを活性化していくことが重要だということで、B&G財団の名のもとに全国に600ヶ所近い施設を作りました。現在、それらの施設は単に子どもたちだけではなく、老人の健康管理といった過疎地におけるコミュニティのセンターになっています。当時から知育偏重で、現在は多少の体育がありますが、徳育教育は全くありません。教育というのは知育、体育、徳育の3つが揃って初めて健全な子どもたちが養成されます。B&G財団の施設は、今やそういう総合的な施設になり、特に施設の地域の教育長の皆様が全国のB&G財団のために熱意をもって集まり、未来を背負う子どもたちのために活動してくれております。

 現在、健康年齢と寿命との間に約10年の開きがあります。この10年の間に約4兆円のお金が使われており、この10年の開きを2年縮めるだけでも大変な効果があります。日本の財政赤字は現在約1,100兆円ですから、一人当たり900万ぐらいの借金を背負っていることになるわけです。戦後72年間、国民としての義務は果たさず権利ばかりを主張し、今や約1,100兆円もの借金をつくって次世代の子どもたちに託そうとしているのです。

 少子高齢化と言われていますが、こんな状況を次の世代に任せるなんて残酷極まりない話です。それにも関わらず、老人たちは近所に託児所ができると、時代錯誤的な考えでうるさくてしようがないと文句を言います。どこへ行っても子どもが元気に騒いでいる、泣いているということが健康な社会のあり方であるにも関わらず、逆に老人たちがこのような利己的な考えになっているということを、これから正していかなければいけません。

 日本財団は助成財団といいまして、アメリカのロックフェラー財団やフォード財団が始めたのですが、お金を必要とする人たちに支援金、補助金、助成金ということで資金を提供するのが仕事でした。しかし私は、助成だけで本当にいいのか、もっと世の中には必要なものがあるのではないかと考えました。財団は単に支援要請者に支援するだけでなく、社会課題をみつけて自ら活動することの大切さに気づいたのです。今、世界的にこの方法が大変優れていると言われ始めています。多くの財団が年間、何百何千と支援活動はしているけれども、具体的な成果がなかなか見えない。ましてや、政府まで動かすような活動というのはどこの財団もできておらず、そういう点でも、大変ユニークです。

 評価ということは昔からよく言われておりますが、日本財団では財団の中に監査部を設け、そこにファイアーウォール、障壁を設けて監査部が自分たちの意思によって調査できるようにしています。最近では、自己で勉強し、ある程度の事業の評価までできるようになってきました。どこを調査するかということは、会長も理事長も知りません。監査部独自で行い、やりたいことに対して我々はノーと言ったことはありません。

 世界には何万という財団がありますが、このように多種多様な事業を手がけるユニークな組織というのは、実は世界中に日本財団だけです。そこで私が常に皆さん方にお願いしていることは、日本財団があって皆さん方があるのではありません。一人一人の皆さんの活動の総和が日本財団を作っているのです。日本財団の職員ってすばらしい。よく気がつくし親切に教えてくださると、具体的に皆さんの仕事が評価してもらえるようになってもらいたいのです。一人一人の個性を評価してもらうことで、日本財団はすばらしい組織だと人々に評価される団体になりましょう。

 又、職員には広報活動もして欲しいと思います。色々なところに投稿し、文書を発表している人たちにはちゃんと原稿料を払います。少し柔らかい話では、インスタグラムをやってほしいと皆さんにお願しましたら、今、6割ぐらいの人が参加してくれています。財団職員の皆さんは日本中、世界中、色々なところに行って活動しているしょう。そういうところでの活動の一環をインスタグラムで出していくことが、SNSの時代、皆さん方が思う以上の大きな波及的効果を発揮します。

 かつては日本財団はこんないいことをしていますよ。ぜひ取り上げてくださいと言って雑誌社を回り、新聞社を回ってお願いしても、メディアというのはバッド・ニュース・イズ・グッド・ニュースで、悪いニュースはニュースとして価値があるけれども、良いニュース、良い話というのはニュースにならないんです。ところが今や、我々自身が自ら情報を発信できる時代になったんですから、これを活用しない手はありませんね。コミュニケーション部があるから任せるのではなく、一人一人が小さなことではあるけれども、意識を持ってインスタグラムに投稿をすれば、その総体としてはかり知れない波及的効果が生まれます。日本財団の職員、こんなところに行っているんだということを5年10年と続けていけば、大きな信頼を勝ち得ると同時に、困っていることを日本財団に頼めばやってくれるかもしれないという信頼関係が生まれ、国民との間を結ぶきっかけにもなり得るかもしれません。私が皆さん方にインスタグラムをやれと言うと面倒くさいなと思われる方がいるかも知れませんが、皆さん方には発信に協力して欲しいでのす。

 この1年間に使われる500億円という巨大なお金はほとんどボートレースのお金ですが、寄附も沢山いただいています。最近も遺贈の広告を打ちましたら、沢山の方々から反応がありました。これは私たちが稼いだお金ではなく、お預かりをしているお金です。500億のお金をこれだけの人間で使うということになるとコスト意識に欠けがちですが、一銭たりとも無駄遣いするわけにはいきません。自分のお金はどうぞご自由に無駄遣いしてください。しかし、公に預かっているお金ですから、きちっとコスト意識を持って使っていくということは片時も忘れてはいけない忠実義務であり、一番大事なことだと思います。そういう意味におきまして、今回も新人にはまず総務に配属しました。日本にはNPOが10万、財団法人が10万、合計20万あり、日本財団はその中のトップです。公のお金の管理ということで多少自由度に欠ける点はありますが、そういう仕組みをまず覚えていただいたいと思います。

 皆さん、公のお金のために使い勝手が悪いと思われるかも知れません。しかし、書類、その他も整備しなければいけないというのは日本財団に限った話ではありません。どこの会社に勤めても稟議書というものもありますし、もっと複雑な過程での審議というものもあります。そういう点では、日本財団の今の仕事の決裁への道筋というのは非常に短くなっています。東京都なら最終決裁するためのハンコは確か27個も要ります。ちょっと面倒だと思われるかもしれませんが、ほかに比べれば簡略された組織であることは間違いありません。

 日本財団は、事業部の皆さん方が先端を切って色々な仕事をやっていますが、バックオフィスの総務、経理、そして監査というものがしっかりと機能することは最も大切なことです。大概の財団では、バックオフィスがきちっとしておりません。良い仕事をすればそれでいいだろうということになりますが、これだけ日本財団が注目を浴びてきますと、ちょっとした金銭的な不都合が起これば、バッド・ニュース・イズ・グッド・ニュースですから、世間の話題になる可能性が大きいということを、常に心に留めて行動して下さい。

 日本財団の組織の特徴は、常に皆さん方の仕事がしやすいように変化をしていくことです。今日は昨日の続きではありません。我々の年代になると、どうしても過去の延長線上になってしまいます。未来に向かって変わっていくには、ここにお集まりの若い人たちが未来志向を持ってやっていただかないと、いつも申し上げていますように、強い組織が生き残るわけでも優秀な頭脳を持った人の集団が生き残るわけでもありません。常に変化し、未来志向で変わっていく柔軟な組織が生き残り、発展をしていくんです。これはダーウィンの進化論を読めば分かります。

 オフィスを変える。決められた机も椅子もなくなりました。多少不便かもしれませんがたったこれだけの職員ですから、皆さん方の間でのコミュニケーションをより豊かなものにしていく、相互理解をする、情報交換をする、誰それはどういうことをやっているということをお互いにわかるようにするには垣根をとってしまうということが大事じゃないかということで、オフィスも変えたわけです。組織があって人があるわけではないんです。皆さん方が働きやすい職場にすることが私たちの役目ですから、都合が悪ければまた変えればいい話で、その辺は柔軟に対応したいと思います。

 私は皆さん方に「日本財団という方法」という言葉を常々話してきました。これからの日本財団は、日本が抱えている膨大な財政赤字解消のため、今まで主張し続けてきた権利意識一辺倒を変え、国民としての当然の義務も果たしていただくために、日本が抱えている社会課題の解決に注力を注いでいく必要があります。今や政府や行政だけでは仕事ができません。やはり民の力も借りなければいけないということについて、政府や行政もようやく気がつき、その先鞭をつけてきたのは日本財団です。

 ミャンマーの例をとってみましても、世界的にミャンマーには国際機関、多くの国々の在外公館等が入っているのに、何故日本財団だけがこれだけの活動できるのかと評価を受けています。これは外務省が日本財団の活動を評価して100億円の活用資金を提供してくれたからです。金融庁からも仕事の依頼があり、また、児童福祉法の改正については厚労省からも色々な相談事も受け、法務省とは再犯防止について、国土交通省からは造船事業や海についての啓蒙活動についても相談を受けています。しかし、私たちは私たちのやり方でやるのであって、決して国や行政に魂を売ることはいたしません。

 「日本財団という方法」は、例えば、犯罪者の再犯防止に関しては法務大臣をはじめ法務省の担当官、メディアや専門家企業人にも参加して議論してもらい、ある程度の方向性が出たところで即、日本財団はこれを実行し、モデルケースを実現してNPOや地方自治体の活動の参考にしてもらいます。それが私の言う「日本財団という方法」で、社会課題を解決し、社会的コストを下げていくという非常に大きな存在になっていかなければならず、皆さん方に課せられた仕事は大きいのです。

 最近言われなくなりましたが、かつては陽明学という学問が日本では大変盛んでした。これは、持っている知識と行動が一致することです。難しい言葉で知行合一と言うのですが、今は知識を持った人は単なる口舌の徒、テレビに出て口先で知識を披歴するだけで行動が伴わずでは何にもなりません。知識のある人は行動をとらなければいけません。知識がなければ学べばいい話です。どうぞ皆さん方、日々、何となくこの財団に来るのではなく、常に何が社会課題なのか、何が問題なのかという問題意識を持って財団に来て下さい。私たちは柔軟に、可能な限り、若い人の意見を吸収してやっていきたいと思っています。

 最後に申し上げますが、世界で誰も言ったことのない言葉を皆さんに披露します。
皆さん方の仕事の失敗は全て私が責任をとります。私が責任をとると言っているんだから自信を持って、大胆に上司と相談して実行をしていただきたい。溌剌とした皆さん方の活動が、これからの日本国にとって必要であると同時に、世界にとっても必要な日本財団になるように、皆さん方の活動の責任は全て私が負います。私が腹を切ればそれで終わる話ですから、心配することはありません。

 新年度を迎えて、新たな気持ちで共に協力しましょう。
 ありがとう。
「世界のハンセン病対策」―グロ−バル・アピール宣言― [2018年03月23日(Fri)]
「世界のハンセン病対策」
―グロ−バル・アピール宣言―

毎年、1月の最後の日曜日は「世界ハンセン病の日」である。

私は今も世界各地を回り、ハンセン病の制圧活動に従事している。しかし世界は広く、私の力量のなさを考えて、毎年、世界の指導者や多くの国際的な組織・団体の協力を得て、世界ハンセン病の日に「グローバル・アピール宣言」を発表している。

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約250人が参加


今年は国際組織である障害者インターナショナルの協力を得て開催された。インドのラーム・ナート・コーヴィンド大統領は、世界各国から参加したハンセン病回復者を壮大な官邸にお招きくださり、親しく労わりの言葉を掛けてくださった。

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大統領にグローバルアピール2018宣言文を贈呈


以下は私の挨拶文です。

*****************

「グローバル・アピール2018宣言式典」挨拶

皆さま、第13回目のグローバル・アピール宣言式典にようこそお越しくださいました。2006年にインドで最初の宣言を発信しました。インドでは今回で4回目のグローバル・アピール宣言式典の開催となります。この意義深い機会をご参加の皆さまと世界の皆さまに共有するために、今年、再びこの地で開催できることを嬉しく思います。

私は、ハンセン病に対する社会の意識に変革をもたらすことを目指してグローバル・アピールをはじめました。この12年間、私は世界の法曹界、医療、看護の専門家、経済界など様々な分野のパートナーと共に活動してきました。私たちの目的は、ハンセン病患者、回復者に対するスティグマ(社会的烙印)や差別を撤廃することでした。

本日、障害者インターナショナル(Disabled Peoples’ International:DPI)と共にグローバル・アピールを発信することになりました。私たち、DPIと日本財団は、全ての人の権利が尊重され、社会参画できるインクルーシブな社会を目指すという共通のゴールに向けて一緒に活動することを約束しました。

ハンセン病は長い間、誤解されてきた病気です。社会に根付いた病気への誤解のため、多くのハンセン病患者、回復者、家族の方々は、今なお、差別にさらされています。

今なお、多くのハンセン病患者、回復者が、ハンセン病は業病であると信じ、希望を失いかけています。彼らは差別を受け入れ、差別に耐えながら生きることに慣れてしまっています。中には、誰もが持つ人間としての権利すら知らない人もいます。彼らは人間性も否定されているのです。

ある時、ハンセン病を患ったことで、住んでいた村から追い出され、一人離れて暮らしていた男性と話をしました。彼は孤独を当然のように受け入れていたようでした。私が彼にあなたは村から追い出されている状況を受け入れる理由はないのだということを話しても、彼は私の言っている意味がわからないという様子でした。この出来事はインドのある場所で私が実際に経験したことです。

私がDPIの代表を務めるアビディ氏にこのインドでの経験を話した時、彼は障害者運動の大部分において、ハンセン病に関することが見過ごされていたことに気付いた、と私に語ってくれました。さらに、障害者の権利を議論する際、彼らの懸念することが取り上げられてこなかったことについても認識されたようでした。そして彼は、私たちと共に活動すべきだと提案してくれました。

私は、アビディさんこそが障害者の権利を主唱する世界のリーダーだと思います。私は、よりインクルーシブな社会の実現に向けた彼の献身的な姿勢に感銘を受けています。さらに、彼がハンセン病のスティグマと差別の撤廃を共に目指そうと力強く表明してくれていることに勇気付けられています。

ハンセン病回復者たちも、スティグマの撤廃に向けた闘いにおいて、力強く主唱するようになってきています。本日は、このあとスピーチをするインド・回復者協会のナルサッパさんや世界各地で活動する回復者の方々に集まっていただいています。

冒頭で、私はハンセン病に対する社会の意識に変革をもたらすために、グローバル・アピールを始めたと申し上げました。これを機に、ハンセン病に対するスティグマと差別の撤廃に向けた私たちの責務を再確認しましょう。

最後に、このように双方にとって意義深い活動を共に取り組む機会をくださったDPIの皆さまに感謝を申し上げたいと思います。また、インド政府、世界保健機関、ササカワ・インド・ハンセン病財団、このグローバル・アピールにご協力くださった全ての皆さまに深く御礼申し上げます。
「日本財団ソーシャルイノベーションフォーラム2017」 [2018年02月09日(Fri)]
「日本財団ソーシャルイノベーションフォーラム2017」

一昨年に続き2回目となる「日本財団ソーシャルイノベーションフォーラム」を昨年11月17日から3日間、東京・有楽町の東京国際フォーラムで開催した。日本財団が目指す「みんながみんなを支える社会」の実現に向け、市民、企業、政府、国際機関など幅広いセクターに集まってもらい、社会に新たな変化を引き起こすようなアイデアを生み出してもらうのがフォーラムの狙い。今回は3日間で5000人を超す関係者に参加いただき、昨年以上の盛会となった。

ほぼ満員の会場.JPG
満員の会場


事務局によると、参加者の約57%は10代、20代の若者。少子高齢化の中で、ともすれば若者の内向き志向が指摘される中、これだけの若者の参加は予想外で、うれしい“誤算”でもあった。初日には成熟した国際都市の建設を目指し日本財団と包括連携協定を締結した東京・渋谷区の長谷部健区長、さらに昨年に続き自民党若手実力者の小泉進次郎衆院議員から基調講演をいただき、筆者も主催者として以下のような挨拶をした。

小泉進次郎議員、長谷部健渋谷区長、筆者との対話.JPG
小泉進次郎議員、長谷部健渋谷区長、筆者との対話


********************

2017年11月17日
於:東京国際フォーラム

皆さん、ようこそお越しくださいました。今日はたくさんの方々にご参加いただき、ありがとうございます。皆さんにお会いできて嬉しく思います。

今日、参加してくださった皆さんの動機はそれぞれ違うかもしれません。でも、「ここに来れば何かが起こる」「何か新しいことができる」そんな期待を持って、全国から集まってくださったのではないかと思います。

この会場には、いろいろな方々に来ていただいています。たとえば、学生の皆さん、災害支援ボランティア経験者の皆さん、NPOで日々活躍されている皆さん。あるいは企業の中で「本業と、社会課題の解決を両立させよう」と努力されている皆さん。また、行政の皆さんにもお越しいただいています。「何か社会のために関わってみたい」と、一歩を踏み出す思いで来てくださった方もいるでしょう。立場や所属が違っても、関心の分野が違っても、参加者の皆さんは、共通して、これからの日本をどうしたらいいかということを考えていらっしゃるに違いありません。

私たち日本財団は、このソーシャルイノベーションフォーラムで、そんな皆さんが集まり、多くの人と新たに出会い、にっぽんの将来について熱く議論をしてほしい。そんな強い想いをもってこのフォーラムを準備して参りました。

さて、少子化、高齢化、地域の過疎化。これらは、現代の日本社会を表す言葉です。皆さんも毎日のように耳にしていることでしょう。しかし、社会課題はこうした「型にはまった一言」で表せるかというと、もはや、そう単純なものではありません。

たとえば、高齢化がすすむ日本では、介護の問題が表面化しています。家族が介護をする場合、働き世代の子どもが仕事を辞めなきゃいけないとか、年老いた夫婦がどちらかを介護しなくてはならないなど、ひとつの問題はいろいろな問題に連鎖し、それらが絡み合っていきます。このように、問題が複雑になっているのは、皆さんもよくご存知のとおりです。

社会課題の状況は、一言で括ったり、個別に取り出して語ったりできません。また、決められた枠組みの中で、慣例に従って活動していては複雑化している社会課題に対して解決策を見出していくのは難しいと言えます。さらに、変化のスピードに対応して、既存の自分たちの組織の枠組みを変えていくのは、なかなか言うは易しでしょう。

今の状態を放置していては、にっぽんの将来がどのようになってしまうのか。私はずっと懸念していました。この状況を打開したい。組織や、年齢などの垣根をとっぱらったオープンな議論の場が必要だと考えました。分野は違っても、にっぽんの将来のために活動している方々が、全国各地に数多くいらっしゃいます。みんなで年に一度集まって、定型化された、筋書きどおりに考えるのではなく、新たな視点で課題を見つめなおす場所、それぞれのアイデアを持ち寄って議論しあい、従来には考えられなかった解決策を生み出し実践していく場所、にっぽんの将来をみんなでつくっていく場所をつくろうという思いに至りました。

そして、昨年、初めてソーシャルイノベーションフォーラムを企画し、開催致しました。多少の不安もありました。しかし、予想以上に多くの方に集まっていただくことができました。昨年参加された皆さんからは、「こんなに幅広いテーマを一度に扱ったイベントはめったにない」「新しい発想のヒントを得た」という、思いがけないポジティブなコメントをいただきました。

そして私たちも、皆さんの社会課題を自らの手で解決したいというやる気と行動力、大きなエネルギーを実感できました。新しい発想と大きなエネルギーを結集することが、明るいにっぽんの将来のために価値があると確信しました。

日本財団ソーシャルイノベーションフォーラムは、全国各地で、日々、それぞれに活動している皆さんが、年に一度、ぎゅっと集まれる場所、たとえるなら「磁石」のような場所です。人と人が出会い、アイデアとアイデアが繋がって明るい未来へのイノベーションが生まれる場所になると信じています。磁石にはS極とN極、両極にある物同士が引かれあうという特徴があります。このフォーラムも、分野の異なる専門家の皆さんや企業の方が出会える場です。あまり関係ないかなと思っていた人と出会うことにより、なにか新しいヒントをつかめるかもしれません。

政府、行政、NPO、企業、ここには、そのような枠組みはありません。企業のトップ、学生、年齢差、そういうのも一切関係ありません。もうひとつ、磁石には別の特徴があります。それは反発しあうことです。反発からは大きなエネルギーが生まれます。反発して、時にぶつかったって構いません。関係ないと思っていた分野の人と数多く出会って、どんどん大きなエネルギーが生まれたら、こんなに素晴らしいことはありません。

今回、数多くの面白い分科会をたくさん用意しています。分科会を多く集めすぎて、あいにくプログラムの文字が小さいので読みにくいかもしれませんが、中身は濃いはずです!是非、この盛りだくさんの分科会に参加してください。

私たち日本財団も、イノベーションを起こすために、皆さんと話をしたいと思います。どの分科会にも必ず日本財団の職員が参加していますので、遠慮なくどんどん相談してください。今年は屋外のオープンスペースに自由に交流できる場所も用意しました。時間がなくて話し足りなかった人も、秋空の下で話すことができます。ぜひ活用してください。

私はこのイノベーションフォーラムを、皆さんのエネルギーもお借りしてより大きな磁石にしていきたい。フォーラムの磁力が大きくなれば、参加された皆さんもたくさんの磁力を帯びることができる。その磁力を活かして、もっともっと多くの人を仲間に巻き込んでください。そうすれば、皆さん自身の活動が広がるに違いありません。そうして、全国各地で皆さんが磁力の中心となって明るいにっぽんの将来をつくるイノベーションを起こしてほしいと私たちは願っています。今日から3日間、イノベーションの可能性を信じて、数多くの人との新しい出会いを通して、皆さん大いに盛り上がってください。新しい出会いは、可能性を広げてくれます。

にっぽんの将来は、私たち一人ひとりにかかっています。
日本財団は、皆さんと一緒にソーシャルイノベーションを起こして、明るいにっぽんの将来をつくっていきたいと思います。


「第49回社会貢献者表彰式典」 [2017年12月25日(Mon)]
「第49回社会貢献者表彰式典」


社会貢献支援財団は1971年に設立され、すでに12,190人以上の方々が表彰されています。

日本は世界一安全な国だといわれていますが、これは長年に亘り、日本各地で人知れず無私の奉仕をされてきた今回表彰されたような方々の力が大きいと思います。

2014年に安倍昭恵さんが会長に就任されてからは、表彰者発掘のために自ら海外を訪れることもあり、表彰者の範囲も海外で活動する方々にまで拡がりました。

以下は私の挨拶です。

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2017年11月27日
於:帝国ホテル

本日、長年のご労苦が評価され表彰を受けられた皆様方に、心からのお祝いと同時に日本国民の一人として感謝を表したいと思います。

皆様方の日々の地道な活動を通じて多くの人々が救われたことを考えますと、この世に同じ人間として生を受けながら、社会あるいは家庭が大きく変化する中で様々な問題に直面し、行き場所を失い、生きづらさを感じ、孤独になりがちな人々が多数存在することを忘れる訳にはいきません。

そうした中、日本人は互いに助け合う共存の精神で今日の日本を創ってきたわけであります。そういう強いDNAをお持ちの皆様方が存在し、現に活動されている事実が、これからの日本に何よりの力になると確信しております。

日本財団は、皆様方の活動を次の世代に引き継ぐにはどうしたらいいか、そんな考えに立ち先般、「日本財団ソーシャル・イノベーション・フォーラム2017」を開催しました。驚くべきことにフォーラムには、多くの学生そして若い人たちが、立見席が出るくらい集まって下さいました。

皆様方がご存知のような大企業に勤めましても、最近では入社後3年で30%から35%の人が辞めていきます。大きな組織の中で仕事をしても自分自身の活動が見えない、もっと社会の人と直接触れ合う仕事をしたい、という若い人たちが増えているのです。

学者や評論家が指摘する日本の将来の危惧とは違った新しい動きが、若い人たちの間に生まれてきているのだと思います。今日受賞された皆様方には、こうした志を持って次の世代を担う人材が沢山いることに意を強くして、さらなる活躍をしていただくよう期待しています。

社会のために働きたいと希望する若い人たちが、そのきっかけやアクセスを確保出来ないということもあると思います。日本財団では皆様方の仕事をさらに拡大し、志ある若者との繋がりを強化していくことが重要だと思っております。遠慮なく相談いただければ、若い方々と皆様方を引き合わせ、繋がりを拡げていくことが出来ると考えています。

もちろん政府も行政も社会課題解決のために懸命に尽力されていますし、わが国のように社会福祉政策予算が全体の40%を超える国は世界にそんなにありません。しかし社会課題の解決は行政だけで出来るわけではありません。やはり「草の根」からの拡がりが重要です。

相手に対する思いやりや皆様のような深い愛情を持った方々の情熱的な活動があって初めて、世界でも稀な安全で安心な日本社会が構築できたのは間違いありません。国民の75%が現在の生活に満足しているという国も日本だけです。これは決して経済的な面だけではないと思います。

皆様方のような人々によってセーフティーネットも確立されていますが、まだまだ十分ではありません。日本財団はそういう役割を果していく組織として、皆様と共にこれからも歩んで参りたいと思います。溢れる情熱、どんな困難にも立ち向かう強い心、そして成果が出るまで頑張り通す継続性こそ重要だと思います。本日、表彰された皆様は、まさにこの3点を実行されてきた方々だと思います。

私は全ての人が平等に生活でき、障がいがあろうとなかろうと日本国民として平等に生活できる社会にしていくことが2020年のオリンピック・パラリンピックのレガシーだと考えています。皆様とともに真剣に、明るい未来の日本をつくるため働かせていただきたいと願っております。

社会貢献支援財団におきましては、公私とみにご多忙の中、安倍昭恵会長を筆頭に理事の皆様方、そして内館牧子先生を中心とした選考委員会の皆様方の多大なご努力により年々、制度が充実しているのは関係者の一人として大変嬉しいことであります。同時に、世の中の知られないところで活躍されている方々は、まだまだ数多くいらっしゃると思います。ご参加の皆様方には、そういう方々を推薦賜りたく思います。

報道その他で様々な悲観論が論じられていますが、日本の将来はそんなに捨てたものではありません。日本人の心には2千年来、世界に冠たる国造りをしてきたDNAがあり、皆様方はそれをお持ちです。その心を顕在化して、次の世代を担う若い人たちに移していただきたいと思います。

今日を新たな第一歩として、さらにご活躍いただき、皆様方の善行が広く社会に浸透していくよう、お互い努力をしていこうではありませんか。

「ジョージア再訪」―ジョ−ジア州ではありません [2017年11月27日(Mon)]
「ジョージア再訪」
―ジョ−ジア州ではありません―


10年振りのジョージア再訪となった。

ソ連時代は「グルジア」と称していた。10年前の2007年、首都トビリシでジョージア戦略国際研究所と笹川平和財団の共催で南コーカサス安全保障会議を開催したとき以来、二度目の訪問である。い
コーカサス山脈のチェチェン、イングーシ、北オセチア、ダゲスタン、それにアゼルバイジャン、アルメニア、ジョージア等が参加して民族性豊かな国際会議であったと記憶している。

ジョージアは古来、数多くの民族が行き交うシルクロードの中継地で、68種類の言語と共に世界文化のクロスロードとも呼ばれている。ジョージアの中央部ゴリは、旧ソビエト連邦の最高指導者ヨシフ・スターリンの出身地で、市役所前には巨大なスターリン像が鎮座していた。スターリン博物館にはたいした展示物はなかったが、彼専用の薄汚れた客車が展示されており、この客車の中で数多くの強制移住や殺害が命令されたことを思い、怨念のようなものを感じたものである。

今回の訪問は黒海、カスピ海に関する国際会議であった。日本財団は30年前から各国の海洋専門家の人材養成を行ってきており、国連海洋法部、マルタにある海洋法研究所、スウェーデンにある世界海事大学等を卒業した笹川奨学生が自主的に国際会議を発案し、ジョージア政府が開催してくれた。

日本財団が養成した海洋、海事の専門家は140カ国、1,200人以上になる。今回はアゼルバイジャン、アメリカ、ブルガリア、イラン、ルーマニア、ウクライナ、トルコ、トルクメニスタン、カザフスタン、ジプチ、スウェーデンの11カ国の笹川同窓生が集まっての会議で、積極的で情熱に溢れていた。何よりも嬉しかったのは、同窓生の手配で、1日で大統領、首相、内務大臣、経済大臣の個別会談が実現したことである。

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クヴィリカシュヴィリ首相

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マルグヴェラシヴィリ大統領


私の最大の喜びは、このように世界各国で活躍する成長した笹川奨学生に出会うことである。閉会式のアトラクションは、歌あり踊りありの賑やかなもので、温暖な気候を利用したジョージアワインは私の好みにぴったり。旅の疲れも忘れ、心地よいひと時を過ごさせていただいた。

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有名なフォークソングとダンスのチームが夕食会を盛り上げてくれた


ワインはジョージアが発祥の地ともいわれ、11月13日のアメリカ科学アカデミーの紀要で、ジョージアで8000年前の世界最古のワイン醸造の痕跡が発見されたと発表した。

以下は会議でのスピーチです。

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2017年10月23日
於:ジョージア・トビリシ



本日ジョージア政府主催による日本財団人材育成プログラムの同窓会に参加できましたことを心より嬉しく思います。私がジョージアを訪問するのは2007年10月以来2度目になります。その際は、ジョージア戦略国際研究所を私どもが支援し、ここトビリシで初めて開催された南コーカサス安全保障会議に参加しました。今般の会議は、ジョージア政府、そして日本財団の奨学生によるアイデア、イニシアティブの下開催されるということもあり、喜びもひとしおです。

日本財団は、海の人材を育成するためのプログラムを、国連、国際機関、大学、研究所や政府などの多様なパートナーと30年以上にわたり展開し、今では1,200名以上の同窓生が140カ国近くの国で、日夜、私たちの海を守るための努力を続けています。そして、私たちの人材育成プログラムは、国籍や年齢、立場を問わず数ヶ月以上寝食を共にする=“同じ釜の飯を食う”ことで、海に対する共通の意識や課題を醸成することを可能にするという特徴があります。今日、ここにお集まりいただいたみなさんも正にそうですが、海に対する共通の想いを持ち合わせた同窓生が、各国において、行政官、外交官、科学者、研究者や立法者など、海の専門家としてさまざまな分野で活躍されているのです。

私が繰り返すまでもなく、海は本当に危機的な状況に陥っています。海の存在なくして人類は生存していけません。にもかかわらず、気候変動は、海水面の上昇や海洋の酸性化を引き起こし、水産資源をはじめとする生態系の変化や減衰をグローバルスケールで進行させるなど、海洋に多大な影響を及ぼしています。また、私たちが日々大量に発生させ投棄しているプラスチックなどのごみが海に流れこむことにより、これまでの自然界の食物連鎖のバランスを崩し、生態系そのものを壊してしまうため、国際的にも大きな課題となっています。ここ黒海及びカスピ海地域においても違法操業による水産資源の減衰や海洋環境の変化に対する統合的な海洋管理が大きな課題であると伺っています。海を持続可能な形で発展・利用するための取組みが、国連などを中心に盛んに行われていますが、海の存在の大きさや海の問題の複雑さを考えると、50年や100年先の未来ではなく、500年、1000年先のビジョンを描く必要があるのではないかと私は考えています。

これらの複雑で多岐にわたる海の問題に対峙する時、分野や組織、国を越えた連携が不可欠であることは周知のことですが、国際的な海の問題を効果的に解決するための分野横断的な連携や取組みは、未だ不十分であると言わざるを得ません。こうした連携を推進するのは、学際的なマインドを有し、類稀な行動力をもって人や組織をつなぐ“人材”であることに他なりません。

日本もそうですが、隣接国とは領海問題などの政治的な問題を抱えており、それらの利害を協議するために集まることさえも難しいことが往々にしてあります。だからこそ“同じ釜の飯を食べ”海に対する共通の想いをいただいてきた同窓生が今回の試みに賛同いただき、今回の会合が実現できたのではないかと思います。この試みをジョージアの奨学生自らが発案、ジョージア政府と共に実現してくださったことが何よりも意義あることであり、改めて賞賛させていただければと思います。日本財団は、私たちの同窓生による革新的なアイデアや企画を常にサポートすることを惜しみません。

今回の会合を、同窓生によるネットワークを強化して行動につなげていくためのプラットフォームだとお考えください。本日ここには、日本財団の人材育成プログラムのうち、UN DOALOS (United Nations, Division of the Ocean Affairs and the Law of the Sea), IMLI(International Maritime Law Institute), ITLOS(International Tribunal for the Law of the Sea), WMU(World Maritime University)とともに実施する4つの人材育成プログラムの垣根を越えて、同窓生が一同に会してくれました。今日から2日間、黒海及びカスピ海における海の問題に関するニーズや課題を抽出し、それに対して何ができるのかを一緒に語り合うことができるのを心より楽しみにしています。

今日を契機に、みなさんのネットワークや連携がより強化され、更に他国や他の地域の同窓生との世界的な協力へと深まることで、みなさんが国際的な海の問題の解決に向けた先導者として国際社会をリードしてくれることを期待します!

日本財団はいつもみなさんを見守っています。
私たちと美しい海を次世代に引き継ぐために共に歩みましょう!





「国連人権理事会」―ハンセン病と人権― [2017年09月13日(Wed)]
「国連人権理事会」
―ハンセン病と人権―


ハンセン病制圧活動に従事して約40年。1995年〜2000年の5年間、日本財団ではハンセン病の特効薬であるMDT(多剤併用療法)を全世界に無料で配布した。WHOの調査によると、500〜700万人の患者に配布され、患者は劇的に減少。現在世界で発見される1年間の新規患者は約20万人にまで減少している。

しかし、病気から解放された人々の生活は、元患者として厳しい差別の対象となっていることには何ら変化はなかった。私は医療に重点をおいた活動だけでは不十分なことに気づき、遅まきながら、2003年に国連人権理事会(当時は委員会)に対し、ハンセン病患者・回復者とその家族への差別撤廃の活動を開始した。

いくつもの障害を多くの方々の協力で突破し、2010年には日本政府、外務省の努力で「ハンセン病患者・回復者とその家族に対する差別撤廃決議案」をニューヨークの国連総会で、全ての参加国193ヶ国の賛成で決議された。

その後日本財団は上記決議を受け、5大陸でシンポジウムやメディアを中心に啓発活動を活発に行ってきたが、更に専門家による調査を報告する特別報告者の任命についての決議が、第35回国連人権理事会で、ジュネーブの日本政府国連代表部・志野光子大使を中心に獅子奮迅の活躍で、当初悲観視されていた決議は無事可決された。

NGOである日本財団に与えられた発言時間は2分間である。急用で帰国を余儀なくされた私に替わって、伊藤京子が立派に役割を果たしてくれた。

2004年の国連人権委員会で、歴史上で初めて、ハンセン病問題を提起したスピーチと、今回のスピーチを掲載しました。

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※2004年スピーチ
第60回国連人権委員会

2004年3月
於:ジュネーブ


議長、本日ここでハンセン病と人権の問題について、お話させていただきます。
ハンセン病は、有効な治療をしないでいると身体に大きな障害を発生させる病気です。
したがって、大昔から人びとはハンセン病に対する恐怖心と嫌悪の情を持ち続けてきました。
そのため患者は隔離されてきました。
そして隔離は差別を生んできました。
その差別はハンセン病の患者を社会ののけ者としてきました。
ハンセン病患者は死ぬことよりつらい生を生きることになります。
家族はその一員に患者がいることを世間に知られることを恐れました。
患者たちは隠れた存在とされてきました。
そして見捨てられたのです。
現在、ハンセン病は治る病気になりました。
1980年代初期以降、1200万人の人が治癒しています。
116ヶ国で制圧が達成されました。
現在、世界の新たな患者数は60万人弱です。
しかし、議長、問題は残ります。
差別はいまだに社会に根強く残っています。
回復者はいまだに結婚することもできず、仕事も得られず、教育を受けることもできないでいます。
いまだに社会ののけ者として扱われます。
問題は巨大で世界的規模であります。
ハンセン病が危険な病気や遺伝する病気であると多くの人が思っています。
いまでも多くの人が(ハンセン病は)天から与えられた罰だと考えています。
ですからいまもなお数百万人が隔離状態で生活しています。
患者は家に戻ることができません。
家族には(患者は)存在しない者とされています。
昨年、私はWHOハンセン病制圧特別大使として、125日間、27ヶ国を訪問しました。
私はこの目で差別を見てきました。
議長、何故ハンセン病は今日まで人権問題として取り上げられなかったのでしょうか?
その理由は、ハンセン病患者が見捨てられた人たちだからです。
名前も身分も剥奪された人たちなのです。
自分の人権を取り戻すための声すらあげられないのです。
ただ黙ることしかできません。
ですから、私はいまみなさんの前で訴えています。
声をあげることができない人たちに対して注目をしてもらうためなのです。

議長、ハンセン病は人権問題です。
(国連人権)委員会メンバーにこの問題をなくすことに積極的に取り組んでいただきたい。
世界で調査を行い、解決法を考えていただきたい。
そして、ハンセン病に関わる人たちのために、差別のない世界の実現に向けて指針を提示していただきたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。


※2017年スピーチ
国連人権理事会 第35部会

2017年6月
於:ジュネーブ


私たち日本財団が初めて、ハンセン病患者、回復者の差別の問題について注意を喚起するために、人権委員会において公式に訴えたのは2004年のことでした。ハンセン病とは、聖書の時代から人類が苦しめられてきた病気です。

以来、日本財団は日本政府他、関係者と共に協力しながら、ハンセン病患者、回復者とその家族の人権についてアドボカシー活動を続けています。2010年、国連総会においてハンセン病患者、回復者とその家族への差別撤廃の決議が採択されました。この決議と、同時に採択された原則とガイドライン(P&G)では、ハンセン病患者、回復者が尊厳と人権を有することが明記されています。このことは重要なマイルストーンでした。

しかしながら、このたび人権理事会に提出された調査委員会のレポートでは、原則とガイドラインで定められていることが完全に履行されるための各国政府の取り組みは、残念ながら十分な段階に達していないという懸念が報告されています。世界の多くの場所で、ハンセン病患者、回復者とその家族は今なお、人権の侵害に苦しめられ続けているということを、私は強調せざるをえません。この状況を正すために、各国政府と関係者は行動を起こすことが求められています。

したがって、私たちは、日本政府からこの第35部会人権理事会に提出されるハンセン病患者、回復者とその家族への差別撤廃の決議を強く支持します。

私たちは、加盟国政府がこの必要性を認識し、決議が本人権理事会において採択されることと確信しております。




「2017国連海洋会議」―本会議スピーチ― [2017年08月28日(Mon)]
「2017国連海洋会議」
―本会議スピーチ―


6月8日の世界海洋の日を中心に、国連では6月5日から9日まで、様々なイベントが行われた。

私の本来の願いである人類の生存にかかわる海洋問題について、ようやく国際社会での議論も出はじめ、今後の海洋の持続可能なあり方について、各国が真剣に関心を持ち始めたキックオフ・イベントと位置づけてもよいのではなかろうか。

今回私は5回のスピーチの機会をいただき、国連総会場では、国連における海洋の総括的管理の重要性とその仕組作りについての提案も行った。

日本での海に関する役所は9省庁11部局といわれ、縦割りの複雑な状況下にあったが、海洋基本法の成立と共に、海洋政策本部が統括することになった。国連においても海洋問題はさまざまな機関が、専門分野別に縦割り行政になっているのは日本と同じである。

海洋の「持続可能な安全」なくしては、人類の500年1000年後の生存は危ぶまれるとの危機感から、下記のような問題提起の発言をした。

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2017年6月9日
於:国連本会議場


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国連本会議場でスピーチ


皆さん、こんにちは。このような機会を与えてくださったことに感謝いたします。

私たち日本財団は、長年に亘り、持続可能な海を実現するため取り組んでまいりました。私は、日本財団の会長として、これを実現するために、グローバルな取り組みの必要性を訴えてきました。しかし、喫緊の海洋危機に対して各国の取り組みは十分に対応出来ていないのが現状です。

2015年の国際海事機関International Maritime OrganizationIMOの第29回総会で、私は、多様な海の問題を解決するためには総合的な海洋管理を行うための新たな枠組みが必要だと提案しました。

本日、その具体的な枠組みとして私が国連に提案するのは、既存の機関をコーディネートする海洋管理に関する政府間パネルの設置です。このパネルは、国連事務総長を通じて国連総会に報告されます。このパネルは、持続可能な海にしていくために様々な分野の専門家からの意見を求め、明確な行動を起こします。そして、様々な団体、政府、そしてその他のステークホルダーのこれまでの努力を集結し、より大きなコレクティブ・インパクトを生み出すように努めます。

そして、私はこのパネルの設立・運営資金を確保するための海洋管理基金が設置されることをこの場で提案したいと思います。

世界の海はいま、一刻の猶予も許されない状態です。私たちは、具体的に動き出さなければなりません。海と人類の未来のために確実な一歩を踏み出しましょう。

この海洋管理のための政府間パネルの実現のために、皆さまの協力をいただけるのであれば、日本財団は努力を惜しみません。

ありがとうございました。

(注)このスピーチを受け、マルタ共和国やその他の国々から強い賛意がありました。私の夢である総合的海洋管理の国際的枠組作りの可能性が出てきました。更なる努力を続けて参ります。
「ミャンマー少数民族の現状について」―日本ミャンマー協会第6期総会講演― [2017年08月21日(Mon)]
「ミャンマー少数民族の現状について」
―日本ミャンマー協会第6期総会講演―


2017年6月27日
於:海運クラブ


 日本財団の笹川でございます。まずは現地のイメージがおわかりにくいと思いますのでNHKで放送された映像をごらんください。〈少数民族武装勢力の指導者と会談するために十数時間もかけて道なき道を行く場面や、ローソクの明かりしかない薄暗い中で、食事をとりながら交渉をしている様子が映し出されました。〉

 映像を見ていただき、少数民族武装勢力のいる地域がどういうものか、多少おわかりいただけたのではないかと思います。何分にも70年以上にわたる少数民族武装勢力側との戦いでございますので、和平に向けたミャンマー政府・国軍との交渉がそう簡単に進むわけではありません。私ども日本財団は1976年のタンシュエ政権時代からミャンマーに支援をしてきていますが、これまでに130億円に近い資金をさまざまな人道支援活動に投じてきました。

 渡邉会長から「経済発展のためのさまざまな支援については俺がやる、お前はもっと山の中に行って勉強してこい」と言われ、今日まで山岳地帯を中心にやっているわけでございます。少数民族武装勢力は大きく分けて15あります。ご案内の通り、少数民族武装勢力が住んでいるところは山岳地帯ですから、かつて世界最強の軍隊でありました英国軍も、この少数民族地域を何とか制覇しようと、相当な重火器をもって対処したのですが、相手は小銃しかないんですけれど山の上から攻撃されると弱いですね。何とかこれを制覇して山に登っていくと、彼らは次の後ろのもう少し高い山の上から攻撃する。この繰り返しで、結局英国軍は戦線から全面撤退しました。そのような困難な地域でございますから、ミャンマー国軍と雖もそう簡単には中に入れない。もちろん飛行機を使っての爆撃ならできますけれど、少数民族武装勢力も点々と住んでいるわけで、なかなか的確な攻撃をするのは難しい状況があります。

ミャンマー資料.png


笹川流で少数民族との信頼を醸成・獲得
 少数民族武装勢力地域と言いましても、ミャンマーと同化している地域、それから私たちがブラックエリアと呼んでいる完全に政府軍の入れない地域、これら二つの中間地域をグレイエリアというふうに3つに分けています。ブラックエリアは、幸い私たち日本財団だけは現地に入れるのですが、未だ国際機関やJICAも入れていません。私たちのチームでアイルランド人の紛争解決の専門家がおりますが、彼すらも西洋人ということでブラックエリアには入れません。

 私は現在和平担当の日本政府代表という立場でもありますので、軽々しい行動はとれませんけれど、以前はタイのインテリジェンスの許可を得て、タイ側からミャンマーに入国して武装勢力と会談することもたびたびありました。5年間でミャンマーを訪問したのは70回になりますが、訪問のほとんどは少数民族武装勢力との会談です。彼らは過去の経験談ばかりをしますけれど、それをじっと聞いてあげないと駄目なのです。お年寄りも多いのですが、何年の何月はどうだったということをはっきり記憶されていて、その話をだまって聞いてあげる。そこから信頼関係を醸成させていくというのが私流のやり方です。肩書や名刺を出したからすぐ率直な話ができる、というものでもありません。私のやり方は非常に泥臭いやり方です。とにかく回数を重ねて会う。彼らから見れば、少数民族である自分たちの地域以外の人はすべて敵と見做していますから、なんで日本人がこんなところに入って来たんだろう、翡翠鉱山でも狙いに来たのか、あるいは何かあくどい商売をしようと思って来たのか、という様に、すべては疑いの目で見るわけですから、私の立場と人間性を理解してもらうには、やはり回数を重ねて面談することで地道にやるしかありません。

 東京の家を夜の10時半に出まして、0時半の飛行機に乗りバンコクに朝5時に着いて、2時間待ってチェンマイまで行って、朝9時から夕方の5時半ぐらいまで彼らと会談をし、あるいは国境を越えて彼等の地域に入って会談をして、夜7時の飛行機に乗ってバンコクに戻りそこから10時半の飛行機で東京に到着するのが翌朝の6時というようなことを3週続けてやるというようなこともありました。そうすると、彼らの中で、どうもこの人は違うぞと、本当に我々のことを考えてくれている、と理解してくれるようになったわけですが、そこまでには大変な時間がかかりました。

第3国の和平交渉・仲介は日本の外交史上初の試み
 大きな視点から申し上げますと、日本の外交史上、まったく関係のない第3国に対しての仲介・和平交渉を日本が真剣に取り組んだ、という歴史はありません。日本の外交史上初めてのことですし、それだけに私の責任は非常に重いと思います。私は外交官ではありませんが、紛争解決とはこういうものだ、あるいは停戦をするにはまず武器を放棄しろ、武器を捨ててその上で交渉をしよう、というような紛争解決法は、アジアには適しておらないと考えております。いろいろ模索しながら努力を続けておりますが大切なことは、少数民族武装勢力の問題はミャンマーの内政問題として処理する、です。彼らから頼まれたことがあれば我々は直ちに協力支援し、政府側と少数民族武装勢力との間の調整をしてきました。困ったことはなんでも相談してください、手伝うことは何でもやります、という形で、私はどこまでも力ではなく話し合いで解決をさせたいと思っています。

 私たちは「15の少数民族武装勢力」と呼んでいるのですが、和平交渉を進めるにあたって非常に困難なことは、それぞれの民族の言葉が違う、伝統、歴史も違う、そして卓越したリーダーがいない。したがいまして話し合いをした後、その結果を皆が持ち帰りまして、山また山を越えて戻って行きます。 このため、次回会議をやる時は1か月後ということで間延びしてしまって、盛り上がった気分に乗って一気に交渉を纏め上げる、ということがなかなかできないのです。

 ご承知のようにテイン・セイン政権の時には、軍と政府と少数民族の交渉団とは意思疎通が非常にうまくいっていました。何度も交渉が決裂しましたけれど、その度に私が命の保証人になります、ということを言って武装勢力幹部を説得して交渉再開に持ち込んだこともありました。

少数民族側も分離独立を望んでいない
 今、日本財団は日本政府から資金を頂戴して停戦したカレン族の地域で復興事業を推進しております。我々は急速な勢いでこの事業をやっておりますので、停戦協定に未署名グループもやはり停戦をすれば住民に平和の果実が来るんだということを、しっかり見せようと鋭意努力しているわけです。このようにして、未署名グループに静かな圧力をかけているわけですが、このような地域に入れるのは手前味噌ではございますが現在のところ日本財団だけでございます。

 和平交渉に取り組んでいて気づいたことは、少数民族側も分離独立をしようと考えている人たちは一人もいないということです。やはり統一ミャンマーを作らなければいけないという、この一点についてはすべての人が、政府も軍も少数民族側も意見が一致しております。これが最大の希望であるわけです。

 この少数民族武装勢力の地域の中には、もともとは中国の四川省あるいは雲南省から山を下って来た人たちがいる地域があります。その当時重慶に蒋介石軍がいて、日本は蒋介石軍と戦ったわけですが、米英が重慶の蒋介石軍を助けるために、援蒋ルートを通じて救援物資あるいは武器弾薬を送り込んできたところがカチンを中心とした地域です。その後蒋介石軍は台湾に移動しましたけれど、その残留兵士たち、あるいは毛沢東の紅衛兵の残党が流れ込んできて住み着いたというような地域が実は3つほどあります。

 これらの地域は、ミャンマーではありますが、ワとかバローン、コーカンという地域です。この辺はゴールデントライアングルと呼ばれる麻薬の中心地でもあり、一種の無法地帯と言っては言いすぎかも知れませんが、言葉は中国語、通貨も元というような中国経済圏となっています。こことの交渉は国軍も当分やらないという方針です。

新政権発足後の和平交渉は停滞
 それ以外の少数民族武装勢力とも和平交渉を今やっていますが、軍とミャンマー政府と少数民族武装勢力の3者間の調整をする、というのは口で言うのは簡単なのですが、なかなか時間と労力がいるのです。先ほど言いましたように、テイン・セイン政権の時は軍と政府の間がうまくいっておりましたので、機微に触れた話し合いができたんですが、今のスー・チー政権になりまして、私が間に入ってお互いの紹介をして、名刺交換から交渉が始まるというような状態でした。本当に腹を割った話し合いというところまでは入りきれていないというのが現状です。

 率直に申し上げて、5月に第2回ピンロン会議(和平会議)を開催しましたけれど、これは一種のお祭りで、実際問題として和平交渉は進んでいない。というよりも、少数民族側から言うと、NLD政権になったことで、より多くの権利が獲得できるとの期待したことが大きな間違いであったということに、彼等は今ようやく気づき始めたところです。

日本への期待は非常に高い
 幸いなことに、ミャンマー政府・軍は和平の実現、そしてミャンマーの経済的発展、国力の増強は日本にお任せしたい、と思っております。アジアの親日国の中でも、圧倒的に最大の親日国はご承知のようにミャンマーです。ミャンマーだけは反日教育はまったくやってこないどころか、ミャンマー国軍の歌の54曲は日本の軍歌です。そのまま歌っております。国軍は日本語教育やっておりますが、たった6か月で軍艦マーチを全部日本語できっちり歌えるようになります。そのビデオを防衛省の幹部に見せ、軍艦マーチを3番まで歌える日本の自衛官は何人いるかと聞くと、まず一人もいないと言われました。ミャンマー国軍自体が南機関と呼ばれる人たちの努力によりできたものと言っても過言ではないと思います。ミャンマー国軍司令官が渡邉会長に案内されて、鈴木大佐(南機関の設立者)の墓参りに、わざわざ浜松までいかれたというぐらいです。

 私の活動には各国のインテリジェンスも注目しており、いい加減な話をするとこれがすぐもれて、和平交渉に影響を与えてもいけないと思っておりますので、どうしても歯切れが悪くなってしまいました。地図を見ていただければおわかりですが、南の方は中国の影響を受けておらず停戦を完全に実現していますけれど、上半分は中国の影響が非常に強いところで、中国を横目に見ながら交渉しなければいけないという、彼らにとっては苦渋の選択をどのようにして見つけていくかという困難さがあるわけです。そのため現在交渉は中断状態ではありますけれど、先ほど申し上げたように民族統一ということにはだれも反対をしていないという状況の中で、私の責任は何とかこの停戦和平実現を可能にすることであります。ありがたいことにKNUとの停戦合意書のサインは隣国でありますタイ、中国、インド、これらの国々は隣国ですから当然署名の資格があるわけですが、そのほかでは唯一日本だけが選ばれて停戦合意書に署名しました。長く仲介への関与を試みてきたイギリスあるいはスイス、ノルウェイというような国々はアメリカも含めて、停戦合意書に署名することができなかったという事実を見ましても、日本に対する期待が大変高いわけでございます。

ミャンマーでの日本企業の活躍が和平活動にも貢献する
 そういう意味では、皆さん方の日々の経済活動を通じてのミャンマーへの支援というものが、結果的には私の行っている和平活動にも大きなプラスとして跳ね返ってくるものです。どうかひとつ皆様方の現地での活動をより活発にしていただくことが日本に対する信頼をさらに高め、日本のプレゼンスは大きく発揮できる。こういう紛争の中で日本が指導的役割をもってプレゼンスを示しているのは、何度も言いますが日本の外交史上ないことです。どうか皆さんのご活躍によって、私がやっている活動の背中を押していただきたい、というのが今日の私のお願い事でございます。何とか統一ミャンマーを皆様方とともに実現をして、21世紀最後のフロンティア、ミャンマーのためにご尽力をいただきたいと思います。ありがとうございました。
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