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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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「ハンセン病と人権」その1 [2015年08月21日(Fri)]
「ハンセン病と人権」その1


2010年、日本政府と外務省の努力により、ハンセン病患者・回復者とその家族に対する差別撤廃の決議案が全会一致で可決されたことは既に報告した。

この決議を受け、日本財団では啓蒙活動のための国際会議を世界五大陸、アメリカ大陸ではリオデジャネイロ(ブラジル)、アジアではニューデリー(インド)、アフリカではアジスアベバ(エチオピア)、中近東ではカサブランカ(モロッコ)と順次開催してきた。

最後の締めになる今年は人権理事会のあるジュネーブで開催した。これは外務省ジュネーブ代表部の小田部陽一大使と嘉冶美佐子大使が、国連人権理事会に「ハンセン病と人権」についての新たな決議案を提出して下さったことに、多少でもバックアップしたいとの思いから平仄(ひょうそく)を合わせて開催したものである。

以下、その折のスピーチです。(原文・英語)

*******************


ハンセン病と人権シンポジウム
―基調講演―


2015年6月18日
スイス・ジュネーブ


参加者約100人の中で開催された.JPG


ハンセン病は人類の歴史の中で最も差別を受けてきた病気のひとつとして知られています。治療法がない時代には、業病あるいは天刑病と呼ばれ、人々に恐れられていました。何世紀にもわたり、世界各地でハンセン病患者・回復者は故郷を追われ、人里離れた村や島に隔離されていました。そして、その差別は本人だけではなく家族にまで及びました。

1980年代になると、多剤併用療法(Multidrug Therapy :MDT)という有効な治療法が開発され、1990年代後半からは世界中どこでも無料で薬が手に入るようになり、多くの人々が病気から解放されました。

また、早期発見・早期治療が的確に行われれば、身体に障害が出る前に病気を治すことができるようになりました。私は病気が完治すれば差別も徐々になくなっていくであろうと考えていました。しかし、その考えは間違っていました。

医療面での劇的な進展があったにも関わらず、長い間、ハンセン病患者・回復者を苦しめているスティグマや差別は残ったままでした。病気が治癒したにも関わらず、何世紀にもわたり、人々の心の中に植え付けられたスティグマや差別は消えることなく、ハンセン病患者・回復者の苦しみは続いていたのです。

私は40年以上にわたり、ハンセン病制圧活動で世界各地に足を運ぶ中、多くのハンセン病患者・回復者に出会いました。

彼らはそれぞれに苦しみを抱えていました。

ハンセン病に罹ったという理由で仕事を失った人や離婚を余儀なくされた人。
家族からも見放され、コロニーで暮らすこと以外の選択がなかった人。
差別を恐れて、コロニーを離れることを拒む人。

差別に苦しむ人々の人生はどれ一つ同じではありませんが、彼らの過酷な苦しみは世界各国に共通する深刻な人権問題でした。

私は、こうした社会の不正と闘わなくてはならないと強く感じました。そこで、私はハンセン病を取り巻く差別について人権問題として訴えるため、2003年にジュネーブの国連人権高等弁務官事務所への働きかけを開始しました。それから7年という長い歳月を経て、多くの関係者のご協力により、2010年12月に国連総会本会議にて、「ハンセン病患者・回復者とその家族への差別撤廃決議」が全会一致で採択されました。本決議は、各国政府等に対し、政策の策定や実施に際し、原則及びガイドライン(Principles and Guidelines:P&G)に十分な考慮を払うことを求めています。

国連決議が採択されたことは大きな成果でした。しかし、残念ながら、国連決議とそれに付随するP&Gには法的拘束力がありません。P&Gは実際に社会の中で実践されなければ、現状は何も変わらず、ハンセン病患者・回復者に対するスティグマや差別はそのまま残り、彼らは厳しい差別と人権侵害に苦しみ続けることになってしまうからです。

このような状況を改善するために、私たち日本財団は、「ハンセン病患者・回復者とその家族への差別撤廃決議」とP&Gを各国政府や関係者、広く一般の方々にも周知し、社会の中で確実に実践されることを目的に、ブラジル、インド、エチオピア、モロッコの世界の4つの地域において「ハンセン病と人権国際シンポジウム」を開催してまいりました。

そして、ここジュネーブで第5回目の最終回のシンポジウムを迎えることができました。私にとってジュネーブは、ハンセン病の差別撤廃の大きな一歩を踏み出した特別な場所であり、この地で皆さまとお話できることを大変光栄に思います。

これまでのシンポジウムを振り返ると、それぞれの地域で具体的な成果がありました。最も素晴らしい成果はハンセン病と人権国際ワーキンググループ(International Working Group:IWG)が発足したことはシンポジウムの大きな成果でした。

IWGは、横田洋三議長のご尽力のもと、人権問題の世界的なエキスパートが集まり、活発(積極的)な活動を展開してくれています。IWGは、P&Gをフォローアップし、各国の具体的な活動を促すための、アクションプランモデルの作成に取り組んでくれました。詳細は、本日IWGのメンバーから詳しい発表がありますが、この場をお借りして、あらためて、心からの感謝を申し上げます。

こうしたIWGの動きとは別に、日本政府も現在行われている国連人権理事会本会議において、2010年の「ハンセン病患者・回復者とその家族への差別撤廃決議」をフォローアップするための新たな決議案を提出してくださると伺っています。詳しくは、後ほど、在ジュネーブ国際機関日本代表部の小田部陽一特命全権大使からお話があるかと思います。

この機会に、日本政府の多大なるご尽力に深い敬意を表したいと思います。この決議案が採択されることで、国連人権理事会の諮問委員会によるさらなる調査を経てP&Gを実行するための持続可能なメカニズムが確立することでしょう。

P&Gを実践する上で、中心的な役割を果たしているのがハンセン病患者・回復者自身です。ハンセン病回復者たちの中にもポジティブな変化を目の当たりにする場面も増えてきたことは、大変光栄であり、嬉しいことであります。

日本財団は、ハンセン病回復者自身が主役となって行動すべきだという考えのもと、インドにおいてハンセン病回復者協会(The Association of People Affected by Leprosy:APAL)の立ち上げに協力し、継続的に支援を行っています。

近年、APALは政府との交渉を行い、ハンセン病患者・回復者に対する生活手当の支給や年金の値上げなどを実現させてきました。

このことは、ハンセン病患者・回復者自身が差別と闘う力を持ち、彼らの声が政府を動かしたという証であります。私はこのようなハンセン病回復者が主役となった力強い取り組みをこれからも精一杯サポートしていきたいと思っています。

このようなポジティブな変化が世界の一部の地域では見られるようになったことは大変喜ばしいことです。しかし、今なお、多くのハンセン病患者・回復者が差別に苦しんでいるということを忘れてはなりません。こうした不正を克服し、P&Gを効果的に実践して、彼らを取り巻く状況を改善するために主要な役割を果たすことができるのは各国政府です。

各国政府には、まず、ハンセン病患者・回復者の人権を取り戻すために、差別法の撤廃をはじめとする制度改革など国レベルで実施することに対するコミットメントをお願いしたいと思います。さらに、ハンセン病回復者組織、人権専門家、医療従事者、弁護士、研究者など様々な分野の関係者の皆さまと力を合せ、社会の中で、P&Gが効果的に実践されるように取り組んでいただきたいと思います。

本シンポジウムでは、最終セッションに世界医師会、国際法曹協会、国際看護協会の代表がご登壇くださる予定です。この素晴らしい機会に、ぜひ各国の多岐にわたる分野の関係者の皆さまと相互に交流を深めていただければ幸いです。

P&Gが社会で効果的に実践されることにより、一人でも多くのハンセン病患者・回復者が差別を受けることなく、人権を取り戻して、生きられることを願っています。

さて、シンポジウムは最終回を迎えますが、本日を新たなスタートとし、ハンセン病に対する差別のない社会をつくるために、引き続き、各国政府の強いコミットメントとご協力をお願いしたいと思います。長い道のりではありますが、ハンセン病に対する差別がなくなる日まで、皆さま手を携え、共に歩んでいきましょう。

日頃からハンセン病制圧活動のために多大なるご尽力をくださっている各国代表者の皆さま、国際関係機関、NGO、人権専門家、そして、ハンセン病差別撤廃のためにご尽力くださっているすべての皆さまに心より感謝申し上げます。

また、今回本シンポジウムの開催にあたり、多大なご尽力をいただいた国際・開発研究大学院に厚く御礼申し上げます。

そして、私たちの活動に深い理解とご協力をいただいている潘基文国連事務総長とマーガレット・チャン世界保健機関事務局長のお二人のリーダーにはいつも心強い励ましのお言葉をいただき、大変勇気づけられています。

最後に、一連のシンポジウムにおいて中心的な役割を果たしてくださったハンセン病回復者の皆さまに深い感謝の意を表します。

「海の日に想う」その5―安倍総理のメッセージ― [2015年08月05日(Wed)]
「海の日に想う」その5
―安倍総理のメッセージ―


2015年7月20日
於:ザ・キャピタルホテル東急


みなさま、おはようございます。
本日は「海の日」祝日制定20回目の記念すべき日にお集まりいただき、ありがとうございます。

140年前の今日、明治天皇が東北・北海道を巡る旅から、無事、横浜港にお帰りになられました。これが「海の日」の由来です。

その際、明治天皇が乗船されていた船が当時、最新鋭の巡視船だった明治丸。明治丸は、日本の周囲に広がる海を駆け巡り、1875年、いち早く小笠原に駆け付けました。イギリスに先駆けること、実に2日前の出来事です。たった2日、この差が日本の小笠原領有を決定づけたわけです。この船がなければ、豊かな海洋資源をたたえる小笠原は、イギリスのものになっていたかもしれません。日本は世界第6位の規模となる広大な排他的経済水域を管轄していますが、その約3割が小笠原を起点とした海域です。全国津々浦々の漁師が、この海域を利用しています。小笠原は、日本の食卓に豊かな海の恵みをもたらしていると言っても過言ではありません。

海岸線に沿って約15kmごとに漁村が存在する、そんな国は世界中を見回しても、日本くらいなものではないでしょうか。日本の漁村は、衰退の一途をたどっているのではないか、とお思いの方もいらっしゃるしょう。そんなことはありません。

茨城県大洗町では、漁師の奥さんが経営する食堂、「かあちゃんの店」が大盛況です。地元の新鮮な魚を目当てに、長蛇の列ができています。

女性が中心となって六次産業化にも果敢に取り組み、東日本大震災で大きな被害を受けたそうですが、震災後81日で営業を再開し現在の来客数は震災前を上回るそうです。漁村はこれからも生活と仕事の拠点。明るい未来を感じさせます。水産資源だけではありません。日本の輸出入貨物の99%以上、国内輸送の約4割が海上輸送に依存しています。日本人にとっては、海が無い生活を想像することができないほど、海は身近な存在なのです。

古来より、海洋と貿易の自由は、人類の発展・反映の礎でした。私は、いかなる紛争も力の行使や威嚇ではなく、国際法に基づいて平和的に解決すべきと、国際社会で繰り返し訴えてきました。強いものが弱いものを振り回す、このようなことは自由な海においてはあってはなりません。国際社会全体の平和と繁栄に不可欠な、法の支配が貫徹する公共財として「海」を保つことにこそ、すべての者に共通する利益があります。

「海は万人のもの」。400年前に「国際法の父」グロティウスが唱えた言葉は、今後も変わることはありません。このすばらしい海を、次の世代に引き継がなければなりません。海に広がるシーレーンを脅かす海賊の存在は、日本のみならず、海上貿易を行う国にとって死活問題です。「海に守られた国」から「海を守る国」へ。日本は、自由で平和な海の確保にリーダーシップを発揮しなければなりません。アジアでは、我が国主導のもと、20カ国がアジア海賊対策地域協力協定ReCAAPを締結し、シンガポールを拠点として監視の目を光らせています。ソマリア沖では自衛隊の護衛艦と哨戒機が海上保安官と協力して航行する民間船舶を守っています。国際社会と連携して行ったこうした取り締まりの結果、年間200件を超えていたソマリア沖の海賊発生件数は今年の上半期はゼロに激減しています。

1896年、「明治丸」は現役を退き、商船大学の若き学生のためのシーマンシップ練成のための神聖な道場となりました。1945年までの50年間、5,000人の海の若人が毎朝その甲板をヤシの実で磨き、マストに登って帆を張ってきました。厳しい訓練を潜り抜けてきたからこそ、卒業生たちは心の故郷として「明治丸」を慕い、海の仕事を誇りにしていたのです。

しかし、残念ながら現在、海に関する大学の学科が減少しています。私が若い頃は海洋関係の職といえば、七つの海を渡り歩く、ロマンに溢れ、多くの若者の憧れの的でした。現在の若者たちにも、海に未来を見出していただきたい。日本にとって、海はこれからも恵みの母です。たとえば、近年、日本の周囲にはメタンハイドレートをはじめとして多様な資源が眠っていることがわかってきました。海には資源も、仕事もあります。是非、次世代の若手には果敢に海洋開発にチャレンジしてもらいたいと思います。

そのためには、若者を鍛え、心の拠り所となる、現代の「明治丸」が必要です。海洋開発技術者の育成を、オールジャパンで推進するため、産学官を挙げたコンソーシアム、「未来の海 パイオニア育成プロジェクト」を立ち上げることといたします。このコンソーシアムにより、大学では、企業から派遣された講師が、実践的な授業を展開し、企業が提供する実際の事業現場で実習も行います。

私は、現在2,000人程度とされる日本の海洋開発技術者の数を、2030年までに5倍の10,000人程度に引き上げることを目指します。コンソーシアムが輩出する人材が海洋資源開発をリードし、新たな海の恵みを手にすることを期待しています。

もちろん、海洋人材の育成の対象は、日本人にとどまりません。「海はつながっている。だからこそ、自国を超えて、交友関係を築き、共通の認識を育んでいくことこそがいかに重要か、学ぶことができました。」日本で学んだインドネシア研修生の言葉です。

国際社会全体の平和と繁栄のため、海でつながる同志と、知識や経験を分かち合うのが日本の使命です。

その先頭に立っておられたのが、本日ご列席されている笹川会長です。日本財団は、延べ129か国1,075人を世界各国に留学させ、卒業生を「笹川フェロー」として世の中に送り出してきました。彼らは、海洋先進国の知識を武器に、各国海洋行政の最前線で活躍しています。こうした功績を讃え、IMO国際海事賞を受賞されることとなりました。これまでの笹川会長、日本財団の功績に、改めて敬意を表したいと思います。

政府も、負けてはいられません。この秋、日本の大学院に、世界で初となる海上保安政策の修士課程を新たに開設し、アジア各国から幹部候補生を受け入れます。単なる知識の習得ではありません。国境を超えて、アジア全体で「思いを共有する」そんな教育を目指していきたいと思いっています。

このイギリス生まれの美しい帆船に「明治丸」と名付け、生命の息吹を吹き込んだのが、後の工部卿・伊藤博文です。伊藤博文は、長州ファイブの一人として、他の4人の志ある若者とともに、果敢に海を渡りました。その成果が日本の近代化を力強く牽引する原動力となったのです。海は無限の可能性に満ち溢れています。若者には、立ちはだかる荒波にも臆することなく、海に飛び込み、未来を切り拓いていただくことを期待しています。

最後に、海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願い、また、海洋が育む世界の平和と繁栄を願いながら、第20回「海の日」の私からのメッセージを締め括りたいと思います。

ありがとうございました。
「海の日に想う」その3―北極海についての国際会議― [2015年07月31日(Fri)]
「海の日に想う」その3
―北極海についての国際会議―


「変化する北極の海洋安定化、安全保障、国際協働の確保」と題する長い表題の国際ワークショップが開催された。

アメリカ、カナダ、デンマーク、ノルウェー、ロシアの沿岸国は当然としても、日本をはじめ、アジア諸国も強い関心を持って注目している。

今回の国際ワークショップは、アメリカが初めて北極評議会の議長国となったのを記念し、ダニエル・イノウエ太平洋安全保障研究所と笹川平和財団海洋政策研究所が共催した会議で、アメリカ、カナダ、デンマーク、ノルウェー、ロシア、日本、シンガポール、インド、韓国、中国などの専門家による三日間の会議であった。

以下は私の基調講演の全文です。(原文・英語)

*******************


2015年7月14日
於:帝国ホテル


基調講演風景.JPG


日本財団と海洋政策研究所(Ocean Policy Research Institute:OPRI)はNGOとして、北極海航路に関する研究を行い、長年にわたり、このテーマに関する国際会議を開催してきました。この度、米国が北極評議会の議長国を引き継いだこの年に、ダニエル・K・イノウエ・アジア太平洋安全保障研究所と共にこのような国際ワークショップを開催できることを大変光栄に思います。

これから3日間のワークショップでは、北極海に関する様々なテーマのもと、自由闊達な議論が展開されることでしょう。ワーキングセッションでの議論が我が国をはじめアジア諸国が北極政策を策定・履行する上でのヒントとなることを期待しています。しかし、最も重要なこととして、この国際ワークショップに参加の皆さまが率直な意見交換をし、北極地域のガバナンスにおいて、更なる国際的な協力関係を構築するための共通の認識を探る機会となることを願っています。

さて、日本では来週の月曜日、7月20日は「海の日」です。日本では「海の日」を「海の恩恵に感謝し、海洋国家の繁栄を願う日」という趣旨で祝日としています。7月は「海の月間」でもあり、この機会に北極海について考えることはタイムリーかつ大変意義深いことです。

本日の午後は都内見学も予定されていると聞いております。ぜひ、海を愛する国、日本での滞在を楽しんでいただき、会議で膝を突き合わせて議論をするための、いわば“アイスブレーク”となることを願っています。

日本の極地研究には長い歴史があり、科学的にこの地域の理解を深め、地球環境の動向を把握するための取り組みを行ってきました。

さて、日本財団と海洋政策研究所は1990年代はじめから北極航路の研究に関する取り組みを開始しました。当時、ノルウェーの外務大臣が当財団を訪問くださり、「21世紀の挑戦」と呼ばれる北極海航路に関する共同プロジェクトを実施しないかとの打診を受けました。これは、当時の旧ソ連による「北極海航路開放宣言」の機会を捉えてのことであります。私は、非常に時宜を得たチャレンジだと考え、日本、ノルウェー、ロシアとともにこの研究プロジェクトを開始しました。

北極海航路の商業航路化の可能性について研究する「国際北極海航路開発計画」(International Northern Sea Route Programme:INSROP)という学際的なプロジェクトには、14カ国から400人近くもの研究者が参加しました。本日の会議にも当時INSROPに参加していた団体の代表者の方がご出席くださっていることは大変素晴らしいことです。

1993年から1999年まで、INSROPは北極海航路の利用とこの地域の開発についての様々な可能性を検討しました。その結果、INSROPは、北極海航路を国際的に商業航路化するためには、経済的、技術的、環境的な側面からも実現可能ではあるが、これらの3つの側面について多くの解決すべき課題がある、という結論を導き出しました。この研究期間に蓄積された膨大な研究データは海運業界や潜在的な利用者等の関係者と共有され、この分野における研究の基盤となっています。

ご承知の通り、ここ30年の間に北極海を取り巻く環境は劇的に変化しました。気候変動により、北極海の氷はかつてない速さで融け出しています。このような状況の中、世界中の国々が氷の下に隠れているチャンスを掴むための競争に参加しようとしています。

しかし、北極海は新たに深刻なリスクを抱えています。このまま北極海の氷の減少がつつけば、北極海の生態系とそこに住む人々の暮らしを根本的に変えてしまうリスクが高まるだけではなく、地球全体に影響を及ぼすグローバルなシステムまで変えてしまうリスクが高まっていくのです。

たとえば、海流の変化、生態系への影響、地球温暖化などの問題が世界中で予測されています。実際に、地球温暖化による気候変動は世界の海の環境を著しく変えています。日本財団は最近、プリンストン大学、デューク大学、ケンブリッジ大学などの海洋の専門家と共に、気候変動と海洋資源に関する科学的な研究レポートを発表しました。本レポートは、気候変動の影響によって、赤道付近の島嶼国は2050年までに魚資源を60パーセントも失ってしまう事態を招くかもしれないと予測しています。こうした懸念が高まりつつある中、北極海を取り巻く問題は、沿岸国だけではなくユーザー国も責任を持って対処すべき問題となってきています。

2013年に日本を含むアジア諸国が北極評議会のオブザーバー国になったことで、北極海沿岸国ではない国々が議論に参加する機会を得ました。私たちの知識、知恵、そして努力を結集することで、最新の科学的根拠に基づいた研究の可能性を確実にすることができるでしょう。アジア諸国の中には、より積極的な科学研究の開発計画を立案している国もあります。日本は内閣官房内に総合海洋政策本部を設置し、本部長である内閣総理大臣が主体となって取り組んでいます。海洋基本計画の中では、気候変動に伴う北極海で発生する変化に対応するための包括的かつ戦略的な措置をとることの重要性が謳われています。遠からず、日本政府から我が国の北極政策が発表されることを期待しています。

私たちが危機に瀕していることは明らかです。しかし、同時に、できることも多くあると信じています。そのような意味からも、このような国際ワークショップを開催することがますます重要になっていきます。この機会に、北極海の持続可能な管理に向けて、私たちが協働できることを共に探っていきましょう。

日本財団と海洋政策研究所は、NGOとして、この目的のために貢献できることを模索していく所存です。

フォトセッション.JPG
出席者全員で記念撮影

「海の日に想う」その2―世界の海を守る日本へ― [2015年07月29日(Wed)]
「海の日に想う」その2
―世界の海を守る日本へ―


気候変動や海の酸性化により汚染は静かに、しかし深刻な影響が出始めている。

南太平洋の島国キリバスのアノテ・トン大統領は、「笹川さん、海面上昇で私たちは近い将来、住みなれた祖国を離れなければならない日が近づいています。フィジー島に土地を手当てしました」と、深刻な表情で語られた。

日本財団とプリンストン大学、ケンブリッジ大学等で漁業について調査しているグループは、2050年、今から35年後には熱帯地方の魚類は40%〜60%減少するだろう。海の酸性化は葉植物性プランクトンを減少させ、特に海老、蟹、貝類が減少する。日本の鮨も、マグロをはじめとした高級魚や海老、蟹、貝類はなくなり、スケソウダラとサバになるだろとの予測を、先日の記者会見で専門家が明らかにした。

海には静かに、しかし確実に危機が訪れているのである。そこで「海の日」特別行事の総合開会式で、安倍総理のご挨拶に続いて下記のような挨拶をさせていただいた。

*****************

「海の日」を持つ国から世界への貢献


2015年7月20日
於:ザ・キャピトルホテル東急


本日は安倍内閣総理大臣、山谷海洋政策担当大臣、「海の日」特別実行委員会の宮原会長、さらには関水IMO事務局長にもご臨席を賜りまして総合開会式が開催されましたことに、心からお慶びを申しあげます。

1995年に「海の日」が制定されてからちょうど20年です。この間、日本の海洋政策において、重要な進展がありました。2007年の海洋基本法の施行と、それに基づいた総合海洋政策本部が設置され、各省庁の政策を横断的に推進していく体制ができました。

しかしながら、世界の海を見渡しますと、私たちの想像を超えた深刻な問題が起きております。気候変動は海洋環境を激変させ、海水の酸性化は海洋生物の食物連鎖や繁殖に大きな打撃を与えております。これら「海の病」を根本的に解決する方策を我々はまだ見出しておりません。

高度に発達した科学が様々な技術を生み出し、海洋に関する各分野の研究を飛躍的に進歩させたことは事実です。しかし、こうした科学的知見が海洋環境の改善に十分に役立っているとはいえません。地球規模で起こる海洋問題の解決には、従来の特定分野だけの閉鎖的な議論では不十分です。海が国境を越えて一つにつながっていることを考えれば、それぞれの国の組織、あるいは分野毎の縦割りのアプローチでは対応しきれないことも明らかです。例えば、新しく発見された海底資源の開発や公海の利用は、深刻な法的、政策的な問題を投げかけています。従って、これまでにない新鮮で柔軟な考えと知恵をもって取り組む必要があります。

また、人類の欲望が、海洋生物資源の枯渇や、海の複雑な生態系のバランスを破壊しています。利害関係と専門領域を超えた国際的な議論を行い、次世代に海を引き継ぐ方策を考えなければなりません。近い将来、世界の人口は100億人を超えます。人類の生存に関わる海の問題は、静かに、そして急速にその領域を広げています。私たちは今こそ、海の声なき声に耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。私たちが引き起こした海の危機的な状況は、私たち自身が阻止すべきです。また、解決することができるはずです。

そのためには、分野を超えた人材の育成が急務です。これまでのような専門領域に特化した伝統的な人材育成ではなく、俯瞰的な視点で考え、行動できる人材を養成することが、海洋に関する問題の解決に効果的な手立てのひとつだと考えています。同時に、そのような人材による利害関係を越えた国際的な「人のつながり」を作ることが重要です。

日本財団は、世界有数の研究機関や大学、各国の政府、NGO、そして国際機関と連携し、「海の世界の人づくり」事業を行っております。先ほど総理からご紹介いただきましたように、現在、129カ国から1,075名の人材を輩出し、さらなる人材の育成に懸命の努力をしています。今や、海の世界も法の秩序が叫ばれる中で、海洋の利用・開発を促進するためには、多様な分野にまたがる国際法に精通した人材が必要ですので、国際海事法研究所や国際海洋法裁判所で法律の専門家の育成に努めております。また、国連と協力し、各国の海洋関連の政府高官、行政官、そして研究者の人材育成にも、努めているところです。

また、世界的な海洋生物資源の枯渇を食い止めることも喫緊の課題です。私たちはアメリカのプリンストン大学、イギリスのケンブリッジ大学、デューク大学等々の6つの大学をパートナーとし、気候変動、海洋政策、生物多様性、水産経済などの専門家を育成するとともに、それぞれの分野を横断した研究や取組みを実践しているところです。こうした人の育成とつながりが、これからの新しい海洋秩序を生み出していく力になっていくことを期待しています。

しかしながら、海の危機を阻止するためには、これだけの取り組みだけでは十分とは言えません。国際社会の変化を導くため、国レベルでの先導役が必要不可欠であることは言うまでもありません。日本は、海からの豊かな恵みをいただき発展してきた国であり、海洋生物資源の適切な管理や温暖化防止に貢献できるような高度な技術、豊富な知見を持つ国でもあります。そして総理がお話されたとおり、今後は「海に守られた日本から、海を守る日本」への積極的な転換をしながら、さらに「世界の海を守る日本」へと進化することが求められています。「海洋」を重要な柱とし、地球上のすべての生命の生存に関わる海を守るための取り組みを、今こそ日本が世界の先頭に立って行うべき時期が来たのではないでしょうか。

ご列席のみなさま。世界で唯一の「海の日」を祝日に持つ国として、今後、国際社会でお互いにリーダーシップを発揮していこうではありませんか。
「アジアの平和構築と国民理解」―民主化に関するハイレベル・セミナー― [2015年07月13日(Mon)]
「アジアの平和構築と国民理解」
―民主化に関するハイレベル・セミナー―


6月20日、外務省主催で上記の表題の国際会議が国連大学で開催された。

主な出席者は,ラモス・ホルタ前東チモール大統領、ピッツワン・スリン前アセアン事務総長、マンガラ・サマラウィーラ・スリランカ外務大臣、デイビッドM・マローン国際連合大学学長、岸田文雄外務大臣などが出席された。

私はミャンマー国民和解日本政府代表として「ミャンマーにおける日本の平和構築支援活動について」と題してスピーチを行った。

ご参考までに掲載します。
(原文は英語)

******************

「ミャンマーにおける日本の平和構築支援活動について」


於:国連大学
2015年6月20日


セミナー風景1.JPG


おはようございます。本日は、平和構築の専門家や各国の首脳と共にこのハイレベル・セミナーに参加できることを大変光栄に思います。現在進んでいるミャンマーにおける和平プロセスについて、それから、平和と安定に向かう困難な道のりへの日本の関わり方についてお話させていただきます。

ミャンマーは長年にわたり軍事政権が続いていましたが、2011年3月のテインセイン政権誕生以来、急速に民主化が進んでいます。

日本は早々とこの動きを歓迎した国の一つとして、ミャンマーのさらなる改革を促進するため、幅広い支援を行っています。その一環として、日本政府は、ミャンマー国民和解担当日本政府代表というポジションを置き、その役割を私が拝命しました。それは、日本政府がミャンマーの民主化にとって国民和解が重要であるという認識を持っていることの表れだと思います。拝命を受けたことを光栄に思うとともに、少数民族武装勢力とミャンマー政府の和解を支援する役割を慎んでお受けしております。

私のような民間人がこのような重要な任務を任されたのは、私が会長を務める日本財団がミャンマーで行ってきた人道的な支援を日本政府により評価されたからだと思います。

日本財団のミャンマーに対する支援は30年以上にわたります。1980年代、世界の最貧国の一つであったミャンマーは、軍事政権下に置かれていました。当時、ほとんどの国はミャンマーに対する援助を打ち切りましたが、日本財団は人道的な観点から、保健医療並びに教育分野で少数民族地域も含めて支援を必要とする一般の人々に人道支援活動を行ってきました。

ミャンマーは東に中国、西にインドという両大国に挟まれた国であり地政学的な要衝です。かつてはアジアで最も豊かな国の一つでもあり、これから再びその豊かさを実現できる潜在力を有しています。中国、インドを含む太平洋地域が世界の繁栄の中心となる時代が到来しつつある現在、ミャンマーの平和は、同国の安定だけでなく、アジアおよび世界の安定と発展にも貢献できるでしょう。

ミャンマーは130以上の民族によって構成される多民族国家です。その一部の少数民族武装勢力とミャンマー政府の間には連邦制や自決権、自治権を巡り対立があり、60年以上にわたり、双方の間で武力衝突が繰り返されてきました。その間、少数民族武装勢力とミャンマー政府の間で停戦合意が結ばれることもありましたが、それが度々破られてきました。その結果、互いに不信感を募らせていました。

このような厳しい状況の中でも、いくつかの少数民族武装勢力はミャンマー政府と停戦合意交渉を続けていました。それまでは、少数民族武装勢力は政府と個別に交渉にあたっていましたが、16の少数民族武装勢力は、全土停戦合意コーディネーション・チームを組織しました。その結果、全土停戦交渉に進展が見え始めましたが、少数民族武装勢力側の有力な意思決定者の中には、交渉を進めるにあたって極めて慎重な姿勢を崩さない人も含まれているので、交渉が中断することもしばしばありました。

対立する当事者間の交渉がこのような段階に至った時には、第三者が関与することで交渉を再開に導く可能性が出てくることもあるかと思います。とはいえ、平和を構築できるのは紛争当事者だけです。ですから、第三者の関与は最小限にとどめるべきだと考えております。

ミャンマーの場合、双方が長年にわたる不信感と疑念を抱いている中で停戦合意を結ばなくてはならないのですから、第三者に期待されていることは、双方が交渉のテーブルにつくように説得し、対話の場を増やし、双方が同じ土俵に立ったレベルでの交渉の実施を確実にするという役割を担うことではないかと考えています。

この和解プロセスには、もう一人の主役(キープレイヤー)がいることを忘れてはなりません。それは、その地域で暮らす一般の住民です。私たちが「紛争当事者」という場合、交渉のテーブルにつく限られた関係者の方に目が向きがちです。しかし、紛争が起これば常に大勢の一般の住民が混乱に陥り、痛みや苦しみを背負うことを余儀なくされてしまうのです。
彼らの状況を理解し、また、考え方やニーズに耳を傾けることは極めて重要であると考えています。そこで、私は、いくつかの少数民族武装勢力によって支配されている地域の国内避難民を幾度となく訪ねています。

彼らの現状について皆さんに少しお伝えしたいと思います。
武力衝突が激しくなり、住んでいた村を逃げ出した家族。彼らは着の身着のまま逃げてきた人たちです。青いビニールシートを屋根の代わりにし、雨露をしのぎ、床には空になったコメ袋を敷いて寝ています。何とか火を起こし煮炊きをしようとしている人もいます。たまたま捕まえたトカゲや木の根っこ、木の実以外に食べるものはほとんどありません。彼らの生活は、毎日が生きるための闘いであり、不安に満ちた暮らしです。

また、診療所を訪問する機会がありました。診療所には常駐の医師がおらず、タイで見ようみまねで技術を習得した看護師が一人いるだけでした。薬の在庫はなく、入院病棟には、木の板で作られた空っぽのベッドが数台あるだけでした。私が「ここの地域に病人はいないのか」と看護師に尋ねると、彼女は「病院に来ても薬がない。来ても意味がないので来ないだけ」と答えました。

私は、このような悲惨な状況を目の当たりにして、緊急人道援助の必要性を強く感じ、一般の住民が平和の兆しをゆっくりでも着実に感じ取れるような状態にしなくてはならないと思いました。

国連によると、このような条件下で暮らす人々はミャンマー全体で約80万人いるといわれています。人道支援の標準的なアプローチは、停戦合意が守られていることが確認できるまでは、人道支援は控えるというのが一般的だと思います。しかし、場合によっては、停戦合意協議の交渉が続いているのであれば、紛争で荒廃した地域に暮らす人々の生活を維持するための人道支援がなされてもよいと感じています。ミャンマーに関しては、ミャンマー政府が、この日本のアプローチと100億円の人道支援を受け入れました。これまでに、コメ、穀物、豆類、食用油、塩、医薬品、蚊帳、ソーラー・ランタンなどの緊急援助物資が約30万人の人々に届いています。全土停戦以前のこのような支援には賛否両論あると思います。しかし、双方の了解を得られた上で、少しでも対話が進む環境をつくることができるのであれば、このような支援を実施することに意義があると考えています。
今年の3月31日、ミャンマー政府と16の少数民族武装勢力は、全土停戦合意文書草案について合意に達しました。この歴史的な合意の直後、和平交渉担当責任者であるアウン・ミン大臣が来日し、安倍首相にテインセイン大統領からの日本の支援に感謝する親書を手渡しました。

この停戦合意文書草案への合意は和平に向けての大きな一歩であると評価してよいと思いますが、それから2カ月が経過し、現在、状況はまだ流動的です。また、11月に総選挙が行われる予定ですが、これは停戦合意プロセスを前進させる要素になるかもしれません。

ミャンマーは民主化への過程で多くの困難に直面するでしょう。中でも、ミャンマー政府と少数民族武装勢力との和解は最も大きな課題の一つです。しかし、双方が互いに誠実に取り組むことができれば、道は切り拓いていけるはずです。日本は今後もミャンマーに寄り添い、国際社会と協力の上、支援を継続していく所存です。

アジアが世界経済の成長の中心となる新しい時代が到来しています。アジアの中には不安定な要素を抱えている国や地域もあり、アジア地域に平和を構築し、安定をもたらすことが極めて重要です。国際社会は新たな課題に対応できる準備をする必要があります。

安倍首相は、日本が積極的平和主義の下、アジアの平和に貢献する役割を担い続けていく決意を表明しています。日本はこれからも国際社会からの様々なニーズや期待に応えてまいります。
「島と海のネット国際会議」―基調講演― [2015年06月08日(Mon)]
「島と海のネット国際会議」
―基調講演―


福島で開催された日本政府主催の『島サミット』は成功裏に終了した。手前味噌になるが、この『島サミット』は、筆者が当時の小渕恵三首相に進言して開催されるようになったものである。

仙台の『島サミット』のパラレルイベントとして、笹川平和財団海洋政策研究所が国際会議を開催した。基調講演とは知らず、英文の準備もなく、即興なので雑駁なスピーチとなってしまった。

しかし、海洋を総合的に管轄する国際機関の設立の必要性についての今回の発言は世界で最初のものなので、是非ご批判とご指導を賜りたい。

以下、発言要旨です。

2015年5月25日             
主催:笹川平和財団海洋政策研究所    
共催:豪州国立海洋資源・安全保障センター
東京大学海洋アライアン      
於:東京大学伊藤記念学術センター伊藤謝恩ホール


島と海のサミットにご招待いただき、基調講演とのことですが、連絡が悪くペーパーを用意しておりませんので、即興での講演をお許しください。

島と海ネット挨拶.JPG


今日はアノテ・トン キリバス大統領閣下をはじめ、島嶼国の幹部の皆さん、オーストラリアから各界の方々、そして日本のこの海域に対する大いなる関心をお持ちの皆様がご出席されてこの会議がもたれますことに、心から敬意を表します。

先日、日本政府主催の島サミットが仙台で開催され、日本政府がこの海域に重要な関心を持ち、積極的な協力をしていきたいと表明いたしましたことは、日本の一市民としても大変うれしく思っております。

日本財団と笹川平和財団の海洋政策研究所とは兄弟関係にある組織で、海、そして海洋のあり方について、長く活動してきた組織です。特に、1989年でございますが、日本で初めて、民間主導による島サミットを開催し、11か国の国家元首が出席して下さいました。現在の日本政府主催の島サミットは、小渕恵三首相(当時)に進言して実現したものです。

今日は時間が無いので内容は省略しますが、日本の中曽根内閣の時の倉成外務大臣が『倉成ドクトリン』というものを発表いたしまして、この海域における日本の協力の重要性ということを指摘されました。その倉成ドクトリンを受け、笹川平和財団の中に『太平洋島嶼国基金』というものを3000万ドルで設立し、民間の立場から島嶼国の国々に対して様々な協力・支援活動を行ってきたという歴史的な経過がございます。

特にこの地域につきましては、オーストラリア政府並びにオーストラリアの学者のみなさん、そして様々なオーストラリアのステークホルダーの皆さんが、島嶼国について重大な関心を持ち、長い間支援協力活動をしてきたことを私は良く知っておりますし、心から感謝を申し上げたいと思っております。

後ほどアノテ・トン キリバス大統領からお話があろうかと思いますが、この広大な太平洋に存在する様々な多くの島国において、危機的な状況が惹起していることは皆さんご承知の通りでございます。大統領閣下は「海洋環境の悪化・海面上昇に伴って、長く住み慣れた祖国から、『名誉ある撤退』をしなければならない時期が来るかもしれない。そのためには、国際社会の皆さんに、この海洋環境の重要性について深く認識をしてほしい」ということを声を大にして仰っていらっしゃいます。

私たちは中近東のシリア、イラク、イランの問題、あるいはアフガニスタンの問題等々、陸地の激しい紛争については報道を通じて良く知っております。しかしながら、その紛争よりもっと重要な、人類の生存に関わるこの海洋の問題については、静かな危機が着々と進んでいるにも関わらず、報道されることはあまりございません。従いまして、今回のこの会議は、そういう意味でも大変重要な情報発信の場になることを期待しております。

世界の人口は既に70億人を突破しております。100億の時代もそう遠くございません。17世紀の海洋法学者でありましたグロチウスが「海は無限である。海洋の航行は自由である」と申しまして、未だにそれを深く信じている人が数多くいらっしゃいます。

しかし私は、今まで世界120カ国を旅してきましたが、途上国の川や河川から流れ出る水は、生活用水あるいは奥地にできた近代的工場から流れ出る汚染にまみれており、それが海洋の中に無制限に流れ込んでおります。また、魚を取るという行為が、そこにいる魚を全部取るという習慣に人類は慣れ親しんできたわけでございますから、この東京大学の研究成果では、このまま無秩序に魚類の乱獲を続ければ、30年後には深海魚以外には無くなってしまう可能性があるとお聞きしています。又、海洋の酸性化が進む中で、動物性プランクトンの減少も魚類の減少に大きな影響があるのではないでしょうか。

長期的に見て、私たち人類の生存は、この海洋環境を如何に持続的に健康的に保っていくかということに掛かっているわけでございます。従いまして、アノテ・トン大統領はキリバス20万人の人のためのみに悲痛な叫び声を上げていらっしゃる訳ではございません。この世界の海洋問題を解決しないと、人類の生存そのものが脅かされるという、その具体例としてキリバスの問題を発言していらっしゃるわけでございます。

世界には様々な国際機関がございますし、国連も勿論その中心として活動してきておりますが、未だ、人類の生存にかかわる持続可能な海洋をどのように維持するかということについての総合的な国際機関がございません。いまこそ必要な時期になったのではないかと、私は確信をしておりますし、そのための活動を始めたいと考えています。

このような人類の生存にかかわる総合的な海洋政策を、あるいは海洋管理をどのようにしていくかということと同時に、喫緊の問題として、この14の島嶼国に置きましては、既に様々な深刻な問題がクローズアップされているわけでございます。

この具体的な問題についての解決策についても、国際世論を喚起する必要があると同時に、長年にわたってこの海域のために努力されてきたオーストラリア政府、そして安全保障上の問題から関与をしてこられた米国政府、そして日本との3か国がそれぞれ協働することによって、この海域の安全と住民の生活向上のために尽くしていかなければならないというのが私の基本的な考えでございます。

一部、既にパラオ、あるいはマイクロネシアを中心とした広大な海域の環境保全のために、オーストラリア政府並びにアメリカ海上保安庁との間に日本財団は交渉を開始しました。3か国が協力してこの海域のために努力をしていこうとキックオフをしたところです。

どうぞ、皆さま方の専門的な知見で、現在置かれている島嶼国の国々の状況をしっかりと把握していただき、度々申し上げている「人類の生存に関わる問題」として、この会議からも情報が発信されますことを心から期待しております。
「世界保健機関(WHO)」―総会出席― [2015年06月05日(Fri)]
「世界保健機関(WHO)」
―総会出席―


毎年5月に行われるWHO総会への出席が恒例となっている。

目的は二つ。一つは公衆衛生や保健について、グクラスルーツで活動する団体の表彰式で挨拶。もう一つは、ハンセン病制圧大使として各国の代表者、そして世界6地域のWHOの責任者(各国の選挙で決定される)とハンセン病制圧についての意見交換を行うことである。

長年にわたりWHOの事務局長補(エイズ・結核・マラリア・特定熱帯病担当)であった中谷比呂樹博士のご協力のもと、感染症局長秘書のリンダ女史が精力的に面談を取り付けてくれる。会場の欧州国連本部(パレ・デ・ナシオン)には多くの会議室があるが、総会中はどこも一杯で、一室に陣取って会談をすることは不可能で、広いパレ・デ・ナシオン中をあっちの部屋こっちの部屋と渡り歩くわけである。

以下の面談記録をご覧いただければ、リンダ女史の努力は一目瞭然である。

私がWHOを訪問するようになって、親身にお世話をしてくれた中谷比呂樹博士は本総会を持って退任される。淋しい限りである。彼の退任をもって、私の親しかった担当者も全て新しくなった。新たな闘志を持って、中谷比呂樹博士のご恩に報いるためにも、一層の努力をしなければならない。

11月にはマーガレット・チャンWHO事務局長に同行し、唯一ハンセン病未制圧国のブラジルに乗り込み、ルセフ大統領に直訴することになった。チャン女史に「カバン持ちで同行するので旅行カバンは小さくしてほしい」と冗談を言うと、おおらかな性格の彼女は大笑いをして「OK」と答えた。その前の8月にもブラジルに入り、現地の士気を高めるため、地方のハンセン病蔓延地域に入り、活動する予定である。

5月20日(水)
  10:00 コンゴ民主共和国 カバンゲ保健大臣
  11:00 国際ハンセン病団体連合国際救ライ協会 ベルケル会長
  14:10 マダガスカル アンドリアマナリヴォ保健大臣
  15:10 プーナム・シンWHO東南南東アジア地域事務局長
  15:40 インドネシア モエロエク保健大臣
  19:30 ポーランド代表部主催夕食会

5月21日(木)
  7:00 笹川アフリカ協会理事 ジャン・フレモン氏と朝食
  9:00 モエティWHOアフリカ地域事務所 モエティ事務局長
  9:30 ミャンマー タン・アウン保健大臣、チョー・ミン元保健大臣
  10:00 ブラジル ジャーバス保健副大臣
  11:00 モザンビーク サイデ保健副大臣
  12:30 笹川健康賞受賞者のお祝い昼食会
      マーガレット・チャンWHO事務局長
      小田部陽一在ジュネーブ国際機関日本政府代表部大使
      中谷比呂樹WHO事務局長補
      ピエトルジェウビック・ポーランド「出産と尊厳基金」事務局長(受賞者)
      プーナム・シンWHO南東南東アジア地域事務局長
      ヤンスウ・シンWHO西アジア太平洋地域事務局長
      牛尾光宏厚生労働省審議官他
  14:30 スーダン保健省熱帯病 ムーサブ担当官
  14:45 南スーダン カリオム保健副大臣
  15:30 中国衛生部 張 勇副局長
  16:15 インド ナッダ保健大臣
  17:00 タンザニア ムバンド保健次官
  17:20 笹川健康賞 授賞式

*************

第31回世界保健機関(WHO)笹川健康賞授賞式


2015年5月23日
於:スイス・ジュネーブ
原文・英語


I笹川健康賞授賞式.JPG
笹川健康賞授賞式


はじめに、第31回笹川健康賞を受賞されたChildbirth with Dignity Foundationの皆さま、誠におめでとうございます。そして、笹川健康賞の趣旨を理解し、厳正・中立な選考をくださった選考委員の皆さまに心より感謝申し上げます。

笹川健康賞が創設されたのは1984年です。この賞が創設された当時、WHOはアルマ・アタ宣言のもと”Health for All Initiative”という目標を達成しようとイニシアティブをとっていた時期でした。そこで、私たち日本財団は、世界の人々の健康増進のためのプログラムやプライマリ・ヘルスケアにおいて顕著な貢献をした個人や団体を称え、且つ、その活動を発展させてほしいという想いから、本賞を創設しました。

今回受賞されたChildbirth with Dignity Foundation は、妊産婦を対象に、WHOが掲げるbetter healthを達成するための重要な要素に合致したグラスルーツでの活動を実践しています。たとえば、妊産婦が自ら意思決定できるようにするための病院情報等の提供。医療機関が妊産婦に対するサービスを向上させるための支援。妊産婦の権利を守るための法律的なアドバイス。さらに、妊産婦の人権を尊重することに対して、注意喚起するための病院や職場における周知啓発などの活動です。

後ほど、Childbirth with Dignity Foundationの方から詳しくお話があると思いますが、当団体は妊産婦の環境を改善するだけではなく、彼女たちが抱える問題を自ら解決できるようにエンパワメントを行っています。日本財団は、30年にわたり、こうしたグラスルーツでの取り組みの重要性を認識し、そのような活動を行っている方々を表彰してきたことを大変誇りに思っています。

さて、WHOはマーガレット・チャン事務局長の強いリーダシップのもと、多くのステークホルダーを巻き込み、協力を得ながら、グローバルヘルスの課題に取り組んでいます。

グローバルな取り組みを行うための重要なステークホルダーとして、コミュニティのbetter healthを達成するために、日々グラスルーツで活動している人々が挙げられます。私はWHOハンセン病制圧大使として、スラムや僻地に暮らすハンセン病患者や家族のために、地域に根付いた活動を行っているNGOがもたらした前向きな変化を目の当たりにしてきました。私はこのようにグラスルーツで活動する人々を支援することにより、better health for allという目標の達成を加速させることができると強く信じています。

各国の保健省を代表してここにお集まりの皆さまには、それぞれの地域でプライマリ・ヘルスケアのために活動する様々な個人や団体を見つけ出し、彼らの活動を応援していただきたいと思います。

私たち日本財団は、今後も、地道な活動を続けている英雄たちと彼らの素晴らしい業績を称える場を持ち続ける所存です。彼らを称賛することによって、世界中にインスピレーションを与え、彼らを見習い、行動を起こす人々が増えることを期待しています。
「世界海事大学」―新校舎落成― [2015年06月03日(Wed)]
「世界海事大学」
―新校舎落成―


スウェーデンの第三の都市マルメに世界海事大学(WMU)がある。スピーチをお読み下されば分かる通り、1983年、ロンドンにある国連世界海事機関(IMOインターナショナル・マリタイム・オーガニゼーション)によって、国際海事社会における途上国の人材養成機関として発足した。

私はWMUが、海事の単なる専門学校からEUの大学評議会の認定を得るための修士・博士課程の設立に力を尽くし、過去約30年にわたって60カ国、550名近くの笹川奨学生を送り出してきた。今や、国際海事社会でWMU笹川奨学生は一大勢力となり、各国の同窓会も活発で、30年間の協力を振り返ると思い出深いものがある。

新しい大学キャンパスは、スウェーデン政府とマルメ市の多大な協力で完成したものである。日本財団としては、海事から海洋へと更にこの大学が進化することを願い、下記のスピーチとなった。反響は極めて大きく、メディアでも大きく報道された。

新校舎.JPG
新校舎.

式典でのあいさつ.JPG
式典で挨拶


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2015年5月19日
於:スウェーデン・マルメ
原文・英語


本日はWMUの新しい時代の幕開けとなります。新しい校舎とともに、WMUは新たにクレオパトラ博士を学長に迎え、関水IMO事務局長、各国政府の代表者、そしてWMU関係者のみなさまに心よりお祝い申し上げます。

マルメに戻って来られ、WMUを長年に渡って支援してこられたマルメ市、スウェーデン政府をはじめとしたサポーターとともに、このような記念すべきセレモニーに参加させていただき、光栄に思います。

このすばらしい講堂に「the Sasakawa Auditorium」という名前を付けていただいたことについても嬉しく思います。これまでの約30年間、WMUと日本財団が共に歩んできた道のりを振り返ると、私自身、感慨深いものがあります。

WMUは、1983年にIMOのトレーニング機関として設立されました。当時は、国際海事社会における途上国の役割と存在感が急速に高まっている時代でした。しかしその一方で、途上国には海事の専門的な人材が圧倒的に不足している状況でした。こういった喫緊の課題に対応するため、WMUが設立されました。

日本財団は、WMUが設立して間もなく、支援を開始しました。それから約30年に亘り、60カ国以上、550名近くのフェローを輩出してきました。自国の海事行政機関の責任者や海事大学の学長としてなど、世界の海事社会において活躍しているフェローたちは私たちの誇りです。

日本財団は、奨学金以外にもFacultyやカリキュラムを充実させるなどの支援を行ってきました。

国際社会に目を向けると、この約30年で世界は大きく変化しました。途上国を中心として、世界の人口が大きく増加し、世界経済も急激に成長してきました。しかしながら、それは同時に地球環境に今までにない負担をかける結果となりました。

私たちは重大な局面に立たされています。海洋環境を取り巻く課題と向き合い、有効的な対策をとらなければ、人類は経済活動を維持していくどころか、存在すら危ぶまれます。

海洋環境の観点からみると、IMOや海事産業および他の関係者たちは、海洋への悪影響を軽減する様々な努力を試みてきました。しかし、残念ながら持続的な解決策を見出すにはそれぞれの分野を超えた協力が不十分であると思います。

WMUの新校舎と新しい学長を迎えるこの特別な機会に、WMUの将来についての私の考えを共有させていただければと思います。

今年は、IMOの関水事務局長のイニシアチブの下、The Study on the Financial Sustainability of WMUが発表されました。このレポートには、WMUが先に進むための様々な対策が記されていますが、私はWMUの教育・研究範囲を海洋まで拡げる必要性、また海事政策および海洋の研究機能の強化の必要性に特に着目しております。私たちはこの改革を大いに歓迎します。

約30年前、WMUはハイレベルな訓練機関でした。時を超え、Facultyが増強され、カリキュラムが充実し、WMUは海事を専門とする大学院大学に成長しました。これによって、WMUは海事産業において権威を高め、世界中の一流の学生を集めることができるようになりました。

WMUは、これまで着実に進歩してきましたが、ここで止まって欲しくはありません。WMUが進歩し続け、海事問題だけでなく、もっと広い意味の海の問題を提示できる教育・研究機関としての地位を確立してもらうことを望んでいます。

これがどういうことなのかをイメージしやすくするために、日本財団が2011年に始めたユニークなプログラムを紹介したいと思います。そのプログラムは漁業資源の枯渇を食い止める方法を研究するものとして始まりました。ここでは、漁業の専門家が重要な役割を果たしていることはもちろんですが、彼らだけではなく、様々な分野の専門家たちが集結しました。例えば、気候変動、海洋政策、生物多様性、国際海洋法、海洋資源経済学などの専門家たちです。そのような様々な分野の専門家を束ねるため、私たちは、ブリティッシュコロンビア大学、プリンストン大学、ケンブリッジ大学、ストックホルム大学、ユトレヒト大学、デューク大学の6大学の学部をパートナーとしています。ちなみに、このプログラムはネレウスといいますが、未来の海を予測する力があると言われているギリシャ神話の海の神にちなんで名づけました。現在15人の専門家が30のプロジェクトに関わっており、2050年の海の状態を予測する科学的な知識と叡智を結集しております。

私たちは、この画期的なイニシアチブに胸を躍らせています。しかし同時に、海の問題に学際的に取り組む方法は、世界中の様々な研究機関にばらばらに散らばった専門家をかき集めることしかないという現状を懸念しております。

いつの日か、海に関するあらゆる専門家が共に海の問題に取り組み、よりよい海洋管理体制を確立し、より総合的に海の問題に取り組める教育・研究機関が設立されることが私の願望です。

私は、WMUには、その可能性が秘められていると思います。そして日本財団はそれをサポートする用意があり、まず第一歩として、次の2つを発表いたします。

1つ目は、従来から行ってきたフェローシッププログラムの継続、NF Chairの充実などのために、今後10年間、年間3億円規模(USD 3 million)の支援を行うことをこの場で約束いたします。 

2つ目は、100億円相当のファンドを新設する準備があります。関係者との調整ができれば、このNippon Foundation-WMU Ocean Fundは、海洋の問題を解決していくための人材の育成にあたる教育機関であり、多方面の海洋分野が融合する科学的研究を行う研究機関にもなれるようにWMUをサポートするために使われます。

みなさまもお気づきかと思いますが、私たちはおそらく人類史上でも非常に重大な局面を迎えております。しかし、こうした緊急事態に直面するのも初めてではないことを知っているはずです。過去を振り返れば、私たちの祖先も勇敢に問題に立ち向かい、その努力のおかげで私たちがこうして存在しています。

次は私たちの番です。私たちは皆、Ocean Communityの一員です。それぞれが役割を果たし、協力し合って問題を乗り越え、次世代のために海洋を守っていきましょう。

約400人が出席.JPG
約400人が出席
「インドのハンセン病の現状」 [2015年04月10日(Fri)]
「インドのハンセン病の現状」


ハンセン病といえばインド、インドといえばハンセン病といわれる時代が長く続きました。

WHOは人口1万人に1人未満の患者数になることを公衆衛生上制圧されたと定めました。インドでの制圧は不可能といわれていましたが、政府並びに各州政府の懸命な努力によって、2005年12月、見事国家レベルでの制圧に成功し、インドの奇跡ともいわれました。

私は多い時には一年に7回もインド各地を訪問し、この活動に参加してきました。1980年以降、1100万人が病気から解放されましたが、日本財団が5年間、世界中でハンセン病の特効薬を無料で配布したことが大きく寄与したことはいうまでもありません。

世界中で激減したハンセン病ではありますが、今現在も約20万人の人々が新たに発症しています。その6割がインドで、統計学的には今もインドといえばハンセン病といえなくもありません。

インドの父マハトマ・ガンジーは、国家政策のマニフェストの17番目にハンセン病の制圧を掲げていました。それほど深刻な問題だったのです。ガンジーは「ハンセン病の患者を治すことは、その人の生活を変えることだけでなく、村を変え、最後は国を変えることなる」と述べていました。

昨年9月と11月の二度、モディ首相と面談し、ハンセン病対策へのさらなる努力を要請しました。モディ首相はガンジーと同じグジャラート州の出身です。今年1月の『世界ハンセン病の日』には、「ハンセン病は完全に治る病気です。皆さんと一緒にインドをハンセン病のない国にしましょう」と、力強く宣言してくれました。

父・笹川良一がインドのアグラにハンセン病の病院を建設したのは1967年、48年前のことで、以来、親子二代にわたり活動してきました。しかし2005年のハンセン病制圧で各州のハンセン病対策は、残念ながら停滞気味になり、患者数も毎年12万人程度と横ばい状態です。

大都市スラムや国境地帯、山岳地帯にはまだまだ隠れた患者がいるものと推測されます。この反省に立ち、各州の『ハンセン病担当者会議』に出席して下記のスピーチを行いました。

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州ハンセン病担当官会議


2015年3月10日
インド・ニューデリー


スピーチ.JPG


インドは、2005年12月に国家レベルでの公衆衛生上のハンセン病制圧に成功しました。このような偉業を成し遂げることができたのは、ハンセン病による苦しみから一人でも多くの人々を救うために、皆さまがたゆまぬご尽力をされてきたことに他なりません。

しかし、この10年の間に、ハンセン病を取り巻く状況は変化し、ハンセン病制圧への勢いが失われてきているようです。当時と今とでは状況が大きく異なり、インドでは未だに毎年12万人が新たにハンセン病を発症し続けているという停滞状況にあります。

私はWHOハンセン病制圧大使として、ハンセン病患者と回復者が直面している状況について理解を深めるために、世界各地の離島や山岳地帯に足を運んでまいりました。多くの場合、このような地域に暮らすハンセン病患者は治療を受けておらず、彼らの多くは身体に障害を負っていました。特に国境付近など人の移動が激しい場所や都市近郊のスラムなどにおいて、この傾向は強いようです。さらに、スティグマや差別を恐れて、家の中に閉じこもり、ひっそりと暮らしている人々もいます。

このような状況はインドも例外ではなく、遠隔地域や国境付近、都市近郊のスラムなどサービスが行き届いていない場所で有病率が高くなる傾向にあります。こうした地域に暮らす人々にリーチすることは困難ですが、だからといって、そのまま放置していると、症状が進むにつれ、身体に障害が出てきてしまいます。それがハンセン病の怖さなのです。そして、インドには、ハンセン病によって障害を負ってしまった人々が約30万人もいるといわれています。

さらに、私が懸念していることは、子どもたちが障害を負っているケースを目にすることです。他の国の島を訪れた時のことですが、若干4歳でハンセン病を発症している女の子に出会いました。幸いその女の子は、ハンセン病患者の家族を定期的に訪問していた意識の高い看護師により発見され、早期の対応がなされ、目に見える障害も見られませんでした。しかし、もしも発見が遅れ、治療をしていなかったら、彼女の人生はどうなっていたかと思うと心が痛みます。

ここインドにおいても、私はハンセン病により障害を負ってしまった子どもたちに会い、その度に胸が締め付けられる思いをしてきました。もし、子どもたちがハンセン病を発症し、障害が出るまで症状が進行してしまっている場合は、そのコミュニティにおけるハンセン病対策が機能していなかったと言わざるを得ません。

インドのように広大な土地を持つ多様性に富んだ国においは、それぞれの州や県において状況が大きく異なっております。ハンセン病患者へのサービスをいかに改善し、最も必要とする人たちに届けるかが大きな課題です。

当面の課題は、皆さまがそれぞれに担当している州が抱える問題を明らかにし、問題に対応した明確な目標を掲げ、個別の行動計画を立ててくことです。さらに、各県が抱える問題を明らかにし、それらの問題に対応した個別の行動計画を立て、最大限の結果を得られるような革新的な取り組みができるよう、県のハンセン病担当官を指導していただきたいと思います。

早期発見・早期治療に成功している県、すなわち、新規患者やグレード2の障害(目に見える障害)を負う患者の減少が報告されている県においては、県のハンセン病担当官の努力を称え、今後も様々なステークホルダーと連携し、継続的に活動してもらえるように励ましていただきたいと思います。

中・長期的にハンセン病対策を継続、改善するために、今後の協力が期待できるNGO、特にハンセン病患者と回復者がハンセン病対策に積極的に関わっていけるよう検討していただきたいと思います。コミュニティに根差し、幅広く活躍しているASHA ladies(女性のボランティア)のようなステークホルダーと協力することで、早期発見・早期治療を促進させることができるでしょう。同様に、研究者、医療専門家、国際ハンセン病団体連合や笹川インドハンセン病財団などの支援組織との連携強化も期待できます。

皆さまご存知の通り、ハンセン病は単に病気だけの問題ではなく、病気に起因する偏見や差別という深刻な問題を伴います。早期発見・早期治療に取り組むことは、単に患者数を減らすだけではなく、同時に、ハンセン病による偏見や差別による苦しみから解放される人々を減らすことにつながることを忘れないでください。

今こそ、私たち一人ひとりが決意を新たにし、2017年までにすべての県において公衆衛生上のハンセン病制圧を実現し、ハンセン病による苦しみを抱える多くの人々を救うために、ともに手を携えていきましょう。

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会議には約100人が参加

「国連笹川防災賞授賞式」 [2015年04月08日(Wed)]
「国連笹川防災賞授賞式」


2015年3月17日
於:仙台国際センター


第3回国連防災世界会議は3月14日〜18日まで仙台市で開催され、盛況であった。

この間「国連笹川防災賞」の発表と授賞式が行われた。

この賞は30年前に設置したもので、その先見性にいささかの自負もあり、国際的にも評価の高い賞ではあるが、残念ながら日本での報道は少なかった。

今年の受賞者は英国のアラン・ラベル氏で活動国はコスタリカ。
受賞理由は
「多主体環境において様々な役割を担う中で、ラベル氏個人が継続的に大きな影響力を持って続けた取り組みが、氏を『防災界におけるリーダー』たらしめた」
「(氏の)『大局的見地から見る能力』のおかげで様々な決定に動機づけや仲立ちが行われ、総合的な防災対策が開発されました」
「全ての人に気軽に直接会うラベル氏には、公的な仕組みを地元の地域社会のニーズに合わせて調整し、地域住民に力を与え、常に人間のニーズを強調する能力が備わっていました。この力は『全く異なるコミュニティを結びつける接着剤』となってきたのです。これはどんな時も時代を超える模範です」
でした。

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防災賞受賞者のアラン・ラベル氏(中央)


下記はその折の私のスピーチ要旨です。


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自然災害は世界各地で頻繁に発生しており、人々の生活に被害をもたらしています。日本財団は、人道支援に取り組む団体として、長年にわたり、国内外の災害に対する緊急支援や復興支援を実施してきました。

私たち日本財団は、緊急支援や復興支援を通じて、災害が人々の生活に深刻な影響を及ぼすということを直に経験し、30年前、国連とともに笹川防災賞を創設しました。この賞は、自然災害のリスクを軽減するための活動を促進し、そのための知識や経験を共有できるグローバルなプラットフォームを構築することを目的としています。

ここ数十年の間に、「防災」は狭義の技術的な領域という認識から、持続可能な開発に焦点を当てた、よりグローバルで広範な動きへと発展しました。笹川防災賞がこうした時代の変化とともに進化し、より革新的で多様性のあるものへと成長してきたことを嬉しく思います。

2015年の国連笹川防災賞のテーマは、「未来を形作る(Shaping the Future)」です。本テーマのもと、今年は様々な分野を代表する団体や個人から、過去最多のノミネートがありました。私も皆さまと同様に、これから発表される2015年の受賞者にお会いできること、そして、受賞者の方から、どのように安全なコミュニティをつくり、より良い社会を実現していくかについてお話を伺えることを楽しみにしております。
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