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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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「社会貢献支援財団」―安倍昭恵会長― [2016年02月03日(Wed)]
「社会貢献支援財団」
―安倍昭恵会長―


「社会貢献支援財団」は、1971年「日本顕彰会」として設立され、2001年に「社会貢献支援財団」に改称。目的は、広く社会の各分野において、社会と人々の安寧と幸福のために尽くされ、素晴らしい活動をされながらも報われる機会の少なかった方々を顕彰する財団です。

今日までの45年間で11,800人以上の方々が表彰されています。

2014年6月、公私共にご多忙の安倍昭恵令夫人に無理を承知で会長へのご就任をお願いしたところ、社会的意義をご理解くださり、快諾されると共に活気ある財団活動をされておられます。

昭恵令夫人は昔から社会活動にご熱心で、障がい者問題をはじめ、社会的弱者の救済活動を幅広く続けおられ、海外では、特にミャンマーの僧院における子供教育に造詣が深く、自らも多くの小学校を建設されています。

以下は昨年行われた表彰式での私の挨拶です。

************


 2015年11月30日
於:帝国ホテル


本日は瑶子女王殿下のご臨席を仰ぎ、そして安倍昭恵会長の下で、厳粛にも盛大な式典がここに無事終了いたしました。今回表彰された皆様方に心からお祝いを申し上げます。

私は今、表彰を受けられる皆様方の表情を拝見して共通することに気付きました。安倍会長から表彰状を受け取られる時の優しい眼差しは、皆さん共通のものですが、その中に大変強い意志のある眼力を見ることができました。この強い意志こそ皆様方のすばらしい活動を支えてきたものだろうと思いました。

私の務めております日本財団は、広く世界を対象にさまざまな弱者のための救済活動を展開している組織です。我国には約5万といわれるNPO法人があります。しかし、現実に活動を継続されているところは、あまり数字を言うといけませんが、極々わずかなのです。なぜかと申せば、何か社会のために役立ちたいという気持ちが強い方ほど、5年6年7年でお疲れになってやめてしまわれるのです。わたくしは日本の多くのNPO法人などをご支援させていただいた経験から申し上げており、このような感想を持っています。

ご自身の活動について「見返りを求めない」。これは今日表彰を受けられた皆様共通の考えですね。たった一度の自分の人生をいかに充実したものにして生きて行くか、生きるってどういうことなのだろうか。自分の納得した人生を歩みたいということが肝心で、その結果として、社会のために役立っているということだと思います。社会のために役立ちたいという気持ちが先にたつと体のどこかに力が入り、途中で疲れてしまうのです。ですから、私たち自身のたった一回の人生をどのように生きようかということならば、これは30年でも50年でも続くわけで、それが結果として人様の役に立ち、又、喜びを分かち合えることができることだろうと思います。

安倍会長は単に名前だけの会長ではありません。自ら率先して現地視察のために海外にも行って下さっております。ご主人様は皆様ご承知の方でございまして、一億総活性化の活躍の時代をつくろうということで、高い立場から日本の政治家あるいは行政を活用し、日本が活気あふれる世界のモデルになるような平和で力強い、そして国民一人一人が愛情あふれる、そういう充実した日本国をつくろうとした努力をなさっていらっしゃいますが、安倍昭恵夫人は、その反対の草の根レベルから世の中の諸問題を解決しようと、皆様方のような方々のご協力を得て、グラスルーツからの活動を展開されておられます。

皆様のような強い意志を持った人たちが何百倍何千倍も増加すれば、日本の国はかつてのように人に対する思いやりがあり、愛情があり、助け合っていく。そういう日本人本来が持っていた社会になるのではないでしょうか。最近は物質文明が発達し過ぎて物があればいい、お金があれば幸せになれるというふうな錯覚した時代になってしまいましたが・・・もう一度日本人本来が持っている日本人の心を取り戻したものです。

この日本が「経済で栄えて精神で滅ぶ」とは、私の父、笹川良一の言葉でございます。人間生きて行くためには、勿論、お金も必要でしょう。しかしそれ以上に日本人一人ひとりの心です。心が豊であるということは、そこに生きる力が出てくるのです。ここにお集まりの皆さんはそれをお持ちでございますので、知らない人たちにお分けいただいて、まわりの人を一人でも二人でもそういう気持ちにしていただいて、本来の日本人の優しい、しかし強靭な精神力を持った日本人が増えて行くことが、結果的には日本が豊になり、力強くなり、世界の平和に貢献できる、そういう日本国になるのです。

皆様方の益々のご健康でご活躍をお祈りしますと同時に、この日本国が元気のある、そして精神的にも豊かな助け合いの出来る、そういう国にしようではありませんか。
やりましょう!
「人類遺産世界会議」―ハンセン病の歴史を語る― [2016年02月01日(Mon)]
「人類遺産世界会議」
―ハンセン病の歴史を語る―


この会議では、普段講演されることのない宮崎駿監督が、ハンセン病療養所・多摩全生園との関係も深く、特別に講演された。

その中で、代表作『もののけ姫』の一場面でハンセン病患者を描いたことを明らかにした。映画に登場する包帯姿の人々で、ハンセン病患者とは明示していないが、「業病と言われながら生きた人々を描きたかった」と述べた。(朝日新聞1月29日)

会場は満員の盛況であった。

以下、私の挨拶です。

***********


2016年1月28日
於:笹川平和財団ビル(国際会議場)


皆さま、本日はご参加いただき、ありがとうございます。また、本日は、世界で高い評価を受けておられる宮崎駿監督より、特別に貴重なお話をいただけるということで、誠にありがとうございます。

ハンセン病は、1980年代に治療法が確立し、世界中のほとんどの国において、公衆衛生上の問題としての「制圧」が達成されつつあります。しかし、病気としての制圧で大きな成果が出ている一方、今では世界各地でハンセン病が「過去の病気」として捉えられるようになってきました。世界にまだ残る療養所や病院などの施設の中には、閉鎖されるところも出てきています。

十数年前、私は、ハンセン病が根絶された地中海の島国、マルタ共和国を訪問しました。マルタ島には、病院も、療養所も、すでになくなっていたので、私は最後に患者の方々が住んでいたという場所を訪ねました。そこには、小さな石碑のような標識の他は、崩れた石や廃材が残っているだけでした。雑草が一面に生い茂るこの場所に、ハンセン病の患者の方々が暮らしていたという証はもちろん、過去を偲ぶものは何もありませんでした。それでも私は、かつて、この場所にいた人たちの生活に思いを巡らせてみました。しかし、今後、療養所や病院の跡が次々に空き地になったり、別の用途に開発されてしまったら、ハンセン病を患った方々の生活に思いを巡らせることは、本当に難しくなってしまうのではないかと、私は焦りを感じました。

このように、療養所や病院の跡地だけでなく、ハンセン病患者の方々が書かれた日記、当時の日常を描いた絵画や写真などの記録や記憶が、世界中で失われつつあります。そして、これらは、誰かが残していこうとしなければ、やがて、永遠に失われてしまうかもしれないのです。

皆さんご存知の通り、ハンセン病は、人類の歴史を通して、厳しい偏見と差別の対象になってきました。強制的な隔離などを含め、社会が、この病気と患者や回復者の方々、ご家族の皆さんにどう接してきたのか。その歴史は「負の遺産」「負の歴史」として語られることが多いものです。差別の経験やその記録を未来に伝え、人類が忘れてはならない教訓として残すことは非常に大切なことです。

同時に、ハンセン病の歴史は、患者や回復者の方々、そして家族の方々が過酷な状況に置かれながらも、差別を乗り越えて生きてゆく、生命の輝きの歴史でもあります。名前を失い、故郷を失い、家族、友人をも失い、社会との関わりを断たれながらも、一人の人間として、生きようとしてきたその軌跡は、人間の強さと寛容さを私たちに教えてくれる、かけがえのない歴史でもあります。そして、ハンセン病との闘いの歴史を次世代へと引き継ぎ、後世に残していこうという動きが、様々な形で進んでいます。

国立療養所多磨全生園に住む私の長年の友人である平沢保治さんは、小中学校に出向き、子どもたちに、自分の受けてきた体験を話し、人を思いやることの大切さや人としてどう生きるかを語りかける機会を作っています。全生園の隣の敷地には、国立ハンセン病資料館が建てられました。各地の国立の療養所でも、それぞれの歴史を語り継ぐための取り組みが行われています。

海外には、フィリピンのクリオン島という、昔、ハンセン病患者の方々が隔離されていた島があるのですが、今では、入居者が少なくなった療養所や施設などが資料館として残されています。ヨーロッパ各地の療養所を文化施設として保存するという動きもあると聞いています。

これから行われる3日間の会議では、世界各地のハンセン病の歴史を皆さんと共有し、この歴史を未来に残していくために、私たちに何ができるのか。それぞれの思いや経験を語り、議論を重ねていただければと思います。この会議が、失われつつあるハンセン病の歴史を次世代の人たちにとっての教訓として残す、重要な一歩になることを心から願っています。

ありがとうございました。
日中医学協会設立30周年記念―特別講演― [2016年01月22日(Fri)]
日中医学協会設立30周年記念
―特別講演―


日中医学協会では、中国全土より選ばれた笹川日中医学奨学生を日本全国の医科大学及び医学研究所で養成してきた。30年間、2,300名もの日本で学んだ医師は、今や現代中国の医学界を背負う中心的役割を果たしている。この間の日本財団からの支援金は94億円の巨費であった。

そこで、30周年を記念し、創設以来のエピソードの一部を紹介するスピーチをさせて頂いた。掲載が大幅に遅れたことはご寛恕願いたい。


****************


2015年10月30日
於:学士会館


182.JPG


私は医学の専門家ではありませんが、日中医学協会における笹川奨学金制度が相当大きな役割を果たしてきたということについて、お話をさせていただきます。

日中医学協会誕生時のことですが、当時癌研究会にいらっしゃった黒川敏郎先生(東北大学総長・文化勲章)と、日本薬剤師協会の会長もなさいました石館守三先生(初代東京大学薬学部部長)のお二人が私の事務所にお越しになり、これからの日・中交流のため、特に、政治と関わりのない分野で両国の国民の基本的な生活条件である健康をつかさどる医学の分野で交流をしたいというお話がございました。大変遠慮がちに、何とか6、7名、できれば10名の奨学生を受け入れたいというお話でした。

私は「中国という大国を相手に具体的な成果を上げるためには、相当大きな人数が必要です。また、長期的な展望で戦略的な思考を以てことに当たらないと難しいのではないか」などと、若気の至りで、二人の大先生を前にしてお話しさせていただいたことを思い出します。

お二人共困惑した様子でいらっしゃいましたが、お帰りになってからスタッフの皆さんと相談し、私の申し上げた100人規模で考えてみましょうと言うことで笹川医学奨学金制度がスタートをしました。

172.JPG


最初の中国の保健省・陳敏章部長(大臣)との会談には、私と笹川記念保健協力財団会長の紀伊国献三先生が参り、そこで私は2つの条件を提示しました。一つは、優秀な学生や医者を北京や上海に偏らず、中国全土から出していただきたいということ。もう一つは、医療のあらゆる分野から出していただきたいということの2つの条件でした。勿論、陳敏章先生は快諾されました。残念ながら当時はまだ看護婦、看護師の役割は理解が得られておらず、日本で教育するということについては時間がかかりましたが、6、7年経って看護婦の奨学生も受け入れることが出来るようになりました。現在の中国の看護師会の会長はこのときの第一期生です。

日本にいらっしゃっていただく以上、しっかり成果をあげたいということで、まず中国側で試験をやっていただき、その後1年間、長春において合宿形式で日本語の勉強をしていただきました。そこでは日本語を覚えるだけでなく、日本の社会的な習慣も含め、すぐに生活に慣れるようにということまでも配慮して準備をしていただきました。当時の中国の奨学金制度はごく一部のところにしかありませんでしたので、本当に優秀な方々が来日して下さり、日本にとってもいい時期だったのではないかと思っています。

文化摩擦、文化交流の難しい場面もございました。「とにかくわからない事は何でも聞いて下さい。異文化交流するのですから何でも結構です。不愉快な思いをされることがあるかも知れませんが、それはひょっとして誤解だったということもありますので、黙っていては理解できません」と申し上げていました。ある時、お昼に松花堂弁当を出しましたら、中国の方にとっては冷や飯を食わされたということで、「これは犬や猫しか食べないもので、箱は立派だけれども、我々を侮辱しているのではないかと言っている」という話が漏れ聞こえて参りまして、次からはご飯だけは温かいものを出すようにしました。

日本の先生方は、奨学生の受け入れをお願いした時、一人として拒否される事はありませんでした。本当にありがたいことだと思っております。東京、大阪など大都市の大学だけではなくて、日本全国津々浦々、北海道から沖縄に至るまでの各大学で勉強していただきました。また、その地方独特の文化も吸収し、日本の地方文化や日常生活における日本人の様子も知っていただきたいと欲張りなプログラムを考えていただきました。

奨学生の方々は各地方で本当によく勉強されていましたし、それぞれの地域で歓迎され尊敬も受けていたため、主任教官や他の先生方がいろいろなプレゼントをされたようです。ところが、日本側から見ると、奨学生たちがその贈物を本当に喜ばれているのかわからないという話がございました。よく調べてみますと、中国では贈物を頂いたときに「ありがとうとございます」と一回だけ言うのが習慣だそうです。日本では家に帰って着てみて、大変良かったとか、何遍でもお礼を言う習慣があるのに、中国の方が一遍しかお礼を言わないのは、本当に喜ばれたのかどうかわからないという疑問を主任教官の先生や関係者が持たれたようでございます。しかし、中国では二度も三度も言うともっと下さいという催促の意味だそうであることもわかってまいりました。

記録には残っていないことですが、1年間日本で勉強するというのは実に大変なことで、特に主任教官の先生の忙しさは半端ではありませんでした。奨学生から見れば、主任教官の先生が本当に私のことを考えて下さっているのだろうか、もっとゆっくり先生とお話しする時間が欲しいとか、他に生活に対する悩みもあったようです。それをしっかり受け止めてくださったのが阿部さんという日中医学協会の女性で、「日中医学協会の母」ともいわれた方です。随時電話をしては今の状況等はどうですかと聞いていらっしゃいました。こういうサポートしてくださったかたがいらっしゃったから1人の脱落者もなく、この奨学金制度は中国の政府からも高い評価があり、成功したのでしょう。

一度だけ悲しいことがございました。大晦日に交通事故で亡くなられた方がお一人いらっしゃいましたが、本当に手厚い配慮をしていただきました。北京の郊外に住む軍医の方で、正月明けに私が北京のご自宅に弔問にお邪魔をしましてお詫びを申し上げましたが、中国の方々には、逆に良くここまで面倒見てくれたと感謝されました。

SARS(重症急性呼吸器症候群)の流行の時には、奨学生のO.B.の方々が第一線で活躍してくれて、温家宝首相より感謝の談話があったということです。あるいは、四川の大震災でも皆様大いに活躍をして下さったとも伺っております。

中国の諺で「一年穀物を植える、十年木を植える、百年人を育てる」というのがあります。まだ三十年少々しか経っていないのですが、もう数百年分の人が育ったのではないかと思われる位、奨学生の皆様は中国医学会の錚々たるメンバーに成長なさいました。これこそ人を育てることの大切さ、また喜び、人生そのものの喜びを私自身、感じさせていただいたわけでございます。

日・中・韓の三国は時代によっては緊張する時もございました。「歴史を鏡として未来に進もう」という言葉がよく中国の為政者から出て参りましたが、私は「歴史を鏡とする」という言葉だけでは不足です。これは日・中間の近代史の一部を切り取って「歴史を鏡とする」という意味に日本人は捉えます。日・中を2000年という歴史で見れば、おだやかな二国間関係であったといえます。世界史の中で2000年も続いた二国間関係は日・中間だけで、地政学的にも離れ難い隣国なのです。

国家レベルで日中間が常に友好状態であるとは限りません。しかし経済的には相互依存は年々深まっております。これを配慮すれば、多少のトラブルが出たとしても2000年の長い歴史に立って少しおおらかな気持ちで対応すればいいのです。民族的な愛国心で騒ぎ立てれば必ず不幸を招くというのは、世界の歴史が証明していることです。

日中医学協会は、これまで人々の健康を守るという最も大切なことを果たしてきました。協会30年を機に、これからも日・中間の人々の健康を維持するためさらに大きく飛躍すると共に、政治の世界とは離れて、日・中だけではなくてアジアの社会に羽ばたけるような、そういう日中医学協会であって欲しいと思います。と同時に、中国衛生部とのパートナーシップをさらに強化していただきたいとの期待を込め、この30年間の皆様方の努力に心から感謝を申し上げますとともにお祝いを申し上げ、新たな30年に向かって発展されることを心から祈念をいたします。
「2020年障がい者芸術祭」―ユネスコと日本財団― [2016年01月20日(Wed)]
「2020年障がい者芸術祭」
―ユネスコと日本財団―


2020年のオリンピック・パラリンピックの文化・芸術際に、日本財団とユネスコが共同で開催することになり、昨年の12月3日、パリのユネスコ本部で調印式が行われ、イリナ・ボコヴァ事務局長と覚書に調印した。

日本財団では、東南アジアで障がい者芸術祭を、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー等で開催した経験もあり、2020年の東京での開催を確実にするため、ユネスコと共催で、2018年にはシンガポールで世界的な障がい者芸術祭を開催する予定です。

下記は、ユネスコ障がい者デーでのスピーチです。

*************


2015年12月3日
於:ユネスコ本部(フランス・パリ)


日本財団は日本に拠点を置く非営利組織です。長年に亘り、日本国内外において様々なプロジェクトを実施してきました。

私たちは、社会を構成する一人ひとりが持ちうる能力を発揮し、尊厳をもって生きることができるインクルーシブな社会をつくることを目指しています。

私のWHOハンセン病制圧大使としての仕事もその一つです。世界のハンセン病制圧とハンセン病に対する差別撤廃のための活動を通じて、ハンセン病の患者や回復者が尊厳をもって社会参加できるよう努めています。

ハンセン病の問題と並んで力を入れていることが、障害者のエンパワメントです。

本日のテーマは「アクセスとエンパワメント」です。

情報通信技術(Information Communication Technology: ICT)が障害のある人のエンパワメントを促進することは、皆さまご承知の通りです。そこで、ICTの可能性に挑戦する一人の青年のことをご紹介します。

オーストラリア出身の彼の名前はマイケル・クランさん。生まれつき片方の目の視力がなく、もう片方の目を頼りにしていましたが、15歳の時に全盲になりました。彼は大学でコンピューターサイエンスを専攻し、勉強をする中で、視覚障害者がコンピューターを使うことの不便さをあらためて痛感しました。そこで、その不便さを解消しようと、友人と共に、Nonvisual Desktop Access: NVDAという新たなスクリーンリーダーを開発しました。

スクリーンリーダーとは、目が見えない、または目が見えにくい人でもパソコンが利用できるよう、表示されている文字を音声や点字に変換してくれるソフトです。画面の文字を読み上げたり、操作の時に文字を入力する位置を教えてくれたり、ワープロや計算をはじめとする様々なソフトウェアを使用することを可能にするものもあります。しかし、こうした高機能のスクリーンリーダーの多くは高額で、開発途上国に住む視覚障害者がアクセスすることは難しいのが現状です。

マイケルさんが開発したNVDAは、ソフトの設計図をオープンにし、無料でアクセスできるので、開発途上国の視覚障害者も利用できるようになりました。彼は、NVDAをオープンソースソフトウェアとして提供することにより、同じように視覚障害のある人たちのアクセスとエンパワメントを促進しています。

日本財団はマイケルさんのパートナーとして、彼の活動を応援しています。

日本財団は、この他にも様々なプロジェクトを行っています。もう一つ、ICTを効果的に活用しているプロジェクトについてご紹介します。

私たちは、障害のある人が自らの能力を発揮し、社会参加することを阻んでいる問題の一つとして、適切な制度や環境が整っていないことが挙げられると考えてきました。

この問題に対応するため、日本財団は、障害者公共政策大学院(Institute on Disability and Public Policy: IDPP)を設立しました。この大学院はアジアの様々な障害のある学生たちが公共政策について専門知識を得るための修士課程プログラムです。このプログラムを修了した障害者自らが政府機関やその他の機関における重要な意思決定の場に参加することにより、障害者の意見を反映したよりインクルーシブな社会システム、環境を整備することにつながると考えています。

この大学院の特徴の一つは、授業の一部をオンラインで行っており、アジア地域のどの国においても学業に励み、学位を取得できることです。こうした授業を可能にしているのがICTです。私は、ICTは障害者が教育にアクセスできる機会を劇的に増やしたと確信しています。

ご紹介した2つの事例からも分かるように、ICTは障害者のエンパワメントのための大きな可能性を持っています。しかし、ICTがすべてにおいて完璧な解決策ではないということも認識しております。障害者がこれを活用するには、そのための教育と訓練が必要で、特に開発途上国においてはなおさらです。

そのため、この度、ユネスコと日本財団がグローバルな規模での障害者のICT教育と訓練に向けて共に取り組むことに合意できたことを大変うれしく思います。

また、私たち日本財団とユネスコは、障害者芸術祭をパラリンピックに合わせて開催するために、共に取り組んでいく予定です。
2020年、オリンピックとパラリンピックの東京開催が決定しています。パラリンピックは障害者がスポーツの素晴らしさを通じて、世界中を熱狂させ感動を与えるイベントです。

アスリートたちがスポーツで人に感動を与えることができるように、優れたアーティストたちもまた、アート作品やパフォーマンスを通じて、私たちの心を動かすのだと思います。私は、このような芸術祭が、そこに訪れる人だけでなくアーティストたち自身にとっても人生観が変わるような経験になると考えています。

日本財団は、これまでも東南アジア諸国連合(Associations of South –East Asian Nations: ASEAN)の国々において障害者芸術祭を開催してきました。私は、彼らのアート作品やパフォーマンスの力強さと美しさに圧倒されました。会場は火が付いたような熱気に包まれていました。私はこの経験をもっと世界中の人たちと分かち合う必要があると強く感じました。

日本財団とユネスコは、障害者芸術祭がインクルージョンを促進し、様々な能力(ability)をもつ人々のエンパワメントを実現するために共に活動しています。

パラリンピックと共に障害者芸術祭を実施することで、それぞれの人の障害(disability)ではなく、能力(ability)に目を向けるという新しい認識を人々がもつようになることで、真にインクルーシブな社会に向けて、大きな一歩を踏み出せるのではないでしょうか。
「国際海事機関(IMO) 国際海事賞 授賞式」―記念スピーチ「次世代に海をつなぐために」― [2015年11月30日(Mon)]
「国際海事機関(IMO) 国際海事賞 授賞式」
―記念スピーチ「次世代に海をつなぐために」―


2015年11月23日
国際海事機関メインホール(英国・ロンドン)
日本財団 会長 笹川陽平


国際海事機関(IMO)の総会で『海の人材養成』が評価され、賞をいただいた。

これは長年にわたり、日本財団の海野光行常務理事や、笹川平和財団・海洋政策研究所の寺島紘士所長、工藤栄介参与らの努力に負うところ大である。特に工藤氏は、笹川奨学生の同窓会強化に尽力され、まさに父親のように彼らから尊敬されている。25年以上にわたる努力の結果、今や、笹川奨学生はIMOでも一大勢力となり、政府高官にまで上り詰めた人も多い。私も各国訪問時には可能な限り時間を作り彼らに会うことを楽しみにしている。

G全員でチーズ!.JPG
笹川奨学生と記念撮影
ハイ、チーズ!


したがってこの権威ある賞は、前記記載の諸君や関係教育機関の皆様の努力の成果であり、役職上、私が代表として受賞したにすぎない。

以下は少し刺激的ではあるが、300年、500年、いや1000年後の人類の生存を考え、長年の海に対する思いを述べてみた。850人以上の関係者で大ホールは満席で、海の将来をこれほど深刻に考えている人がいるのかと、おおむね評価をいただいたことは、今後の私の発言と行動に少なからず自信をいただいたことになる。

D約850人で埋め尽くされた会場.JPG
会場は約850人で埋め尽くされた


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C授賞式でのススピーチ.JPG
授賞式でのスピーチ


ご来場の皆さま、国際海事機関(International Maritime Organization : IMO)国際海事賞受賞式において、皆さまとお会いできることを、私は大変嬉しく思います。

この場をお借りして、パリで起きた同時テロでの犠牲者とご遺族の方々に対して、心よりお悔やみを申し上げます。

IMOが行ってきた海上安全の維持や海洋汚染の防止に対する多大なるご尽力に深く敬意を表します。実際、世界の物流の90%以上を海運が占めると言われており、IMOが果たしてきた重要な役割は高く評価されるべきものだと思います。

この栄誉ある賞は、私一人ではなく、世界131カ国1,099人の笹川・日本財団フェローの皆さま、フェローを大切に育ててくださったパートナー機関の皆さまと共に受賞したものだと考えております。本日この場において、謹んでお受けしたいと思います。

振り返ると、私たちが海洋分野の人材育成プロジェクトを開始したのは1980年代でした。当時、グロティウスが唱えた「海洋の自由な利用」という考え方は既に終わりを告げ、各国の管轄権の及ばないエリアに存在する海洋資源の利用と管理については「人類の共同財産」であるという原則を適用する国連海洋法条約(The United Nations Convention on the Law of the Sea :UNCLOS)が採択されていました。

グローバルな海洋管理を促進できる人材が特に途上国において不足していたため、日本財団は世界海事大学(WMU :World Maritime University)、国際海事法研究所(IMLI :International Maritime Law Institute)などの教育機関と連携した「海の世界の人づくり」事業を開始しました。私たちのネットワークは1,000人を超えますが、今後もますます拡大していきたいと考えています。

近年、海を取り巻く問題は多様な原因が複雑に絡み合っていることも事実です。このような問題に取り組むにあたり、包括的な視野を持って問題解決にあたる専門家も必要になってきました。

そこで日本財団は、総合的な視野や知識を持つ海洋分野の専門家育成にも力を入れております。最近では、ケンブリッジ大学やプリンストン大学など世界の6大学をパートナーとし、気候変動、海洋政策、生物多様性、漁業、海洋資源経済学、国際海洋法など多分野の専門家が連携して、海の未来の状況を予測しようというプログラムにも着手しました。海を次世代に引き継ぐために、包括的でグローバルなビジョンを持った人材育成を今後も継続していく決意を新たにしています。


皆さま、私は、海の危機が今までになく深刻さを増している事実を強く懸念しています。

少しの間、私の懸念についてお話しさせていただきます。

海洋生物資源の乱獲によって、生態系のバランスが崩され、この40年間で世界の海洋生物の個体数は50%も減少したと言われています。気候変動は大規模な自然災害をもたらし、地球上の生物に大きな影響を与えるかもしれません。

海の酸性化はサンゴ礁などの生物に多大なダメージを与えています。また、海面上昇は南太平洋の島国の人々の生活を脅かしています。

新しく発見された海底資源の開発は、深刻な法的・政策的な問題を投げかけています。海全体の3分の2を占める公海の管理という課題もあります。海洋権益の争いは「人類の共同財産」の原則を脅かしています。

各国が権利を主張し合い、利害が衝突するなか、一つの共同財産であったはずの海は分割され、もはや一つではなくなってしまいました。私たち自身も、未来に引き継ぐべき海の資源を奪うことに無意識に加担しているかもしれません。

海の危機は一層深刻さを増しています。その上、それは私たちの気づかないところで静かに広がってきています。さらにその危機は、放置されたままになっています。私たちが今、海を取り巻く課題と向き合い、一刻も早く有効な対策をとらなければ、いずれ人類の生存そのものが脅かされる時代が来るでしょう。

国連海洋法条約が海事活動の法的な枠組みとして、国際的な秩序の維持に大きな役割を果たしてきたことは十分に認識しております。しかし、社会や自然環境が変化し、以前には想像もしていなかった問題が生まれてきました。私たちは既存の国際機関や枠組みでは十分に対応し切れないことを認識する必要があります。
今こそ、海の問題解決に向け、海洋管理の新しい枠組みが必要です。この新しい枠組みは、単に現状の問題を解決して海を未来の世代に引き継ぐだけではありません。これは、海に起こる変化に対応しつつ、将来の世代に希望を与え「海の未来をデザインする」枠組みです。そのために、私は海洋管理の問題に総合的かつ統合的な視点から取り組むグローバルな組織が必要だと考えています。

ここにいる多くの皆さまは、この懸念を共有し、責任を持って海の未来について考え、適切な行動をとってくださると感じています。若者たちの中にも、今日の海が放置できない状況におかれていることをよく認識している人たちがいます。このことに私は大変勇気づけられています。今後、統合的な海洋管理を牽引する枠組みが創設され、私たちが育成した若い専門家の方々と共に、迫りくる危機を乗り越え、次世代に豊かで美しい海が引き継がれていくことを願っております。
「ハンセン病と人権」その1 [2015年08月21日(Fri)]
「ハンセン病と人権」その1


2010年、日本政府と外務省の努力により、ハンセン病患者・回復者とその家族に対する差別撤廃の決議案が全会一致で可決されたことは既に報告した。

この決議を受け、日本財団では啓蒙活動のための国際会議を世界五大陸、アメリカ大陸ではリオデジャネイロ(ブラジル)、アジアではニューデリー(インド)、アフリカではアジスアベバ(エチオピア)、中近東ではカサブランカ(モロッコ)と順次開催してきた。

最後の締めになる今年は人権理事会のあるジュネーブで開催した。これは外務省ジュネーブ代表部の小田部陽一大使と嘉冶美佐子大使が、国連人権理事会に「ハンセン病と人権」についての新たな決議案を提出して下さったことに、多少でもバックアップしたいとの思いから平仄(ひょうそく)を合わせて開催したものである。

以下、その折のスピーチです。(原文・英語)

*******************


ハンセン病と人権シンポジウム
―基調講演―


2015年6月18日
スイス・ジュネーブ


参加者約100人の中で開催された.JPG


ハンセン病は人類の歴史の中で最も差別を受けてきた病気のひとつとして知られています。治療法がない時代には、業病あるいは天刑病と呼ばれ、人々に恐れられていました。何世紀にもわたり、世界各地でハンセン病患者・回復者は故郷を追われ、人里離れた村や島に隔離されていました。そして、その差別は本人だけではなく家族にまで及びました。

1980年代になると、多剤併用療法(Multidrug Therapy :MDT)という有効な治療法が開発され、1990年代後半からは世界中どこでも無料で薬が手に入るようになり、多くの人々が病気から解放されました。

また、早期発見・早期治療が的確に行われれば、身体に障害が出る前に病気を治すことができるようになりました。私は病気が完治すれば差別も徐々になくなっていくであろうと考えていました。しかし、その考えは間違っていました。

医療面での劇的な進展があったにも関わらず、長い間、ハンセン病患者・回復者を苦しめているスティグマや差別は残ったままでした。病気が治癒したにも関わらず、何世紀にもわたり、人々の心の中に植え付けられたスティグマや差別は消えることなく、ハンセン病患者・回復者の苦しみは続いていたのです。

私は40年以上にわたり、ハンセン病制圧活動で世界各地に足を運ぶ中、多くのハンセン病患者・回復者に出会いました。

彼らはそれぞれに苦しみを抱えていました。

ハンセン病に罹ったという理由で仕事を失った人や離婚を余儀なくされた人。
家族からも見放され、コロニーで暮らすこと以外の選択がなかった人。
差別を恐れて、コロニーを離れることを拒む人。

差別に苦しむ人々の人生はどれ一つ同じではありませんが、彼らの過酷な苦しみは世界各国に共通する深刻な人権問題でした。

私は、こうした社会の不正と闘わなくてはならないと強く感じました。そこで、私はハンセン病を取り巻く差別について人権問題として訴えるため、2003年にジュネーブの国連人権高等弁務官事務所への働きかけを開始しました。それから7年という長い歳月を経て、多くの関係者のご協力により、2010年12月に国連総会本会議にて、「ハンセン病患者・回復者とその家族への差別撤廃決議」が全会一致で採択されました。本決議は、各国政府等に対し、政策の策定や実施に際し、原則及びガイドライン(Principles and Guidelines:P&G)に十分な考慮を払うことを求めています。

国連決議が採択されたことは大きな成果でした。しかし、残念ながら、国連決議とそれに付随するP&Gには法的拘束力がありません。P&Gは実際に社会の中で実践されなければ、現状は何も変わらず、ハンセン病患者・回復者に対するスティグマや差別はそのまま残り、彼らは厳しい差別と人権侵害に苦しみ続けることになってしまうからです。

このような状況を改善するために、私たち日本財団は、「ハンセン病患者・回復者とその家族への差別撤廃決議」とP&Gを各国政府や関係者、広く一般の方々にも周知し、社会の中で確実に実践されることを目的に、ブラジル、インド、エチオピア、モロッコの世界の4つの地域において「ハンセン病と人権国際シンポジウム」を開催してまいりました。

そして、ここジュネーブで第5回目の最終回のシンポジウムを迎えることができました。私にとってジュネーブは、ハンセン病の差別撤廃の大きな一歩を踏み出した特別な場所であり、この地で皆さまとお話できることを大変光栄に思います。

これまでのシンポジウムを振り返ると、それぞれの地域で具体的な成果がありました。最も素晴らしい成果はハンセン病と人権国際ワーキンググループ(International Working Group:IWG)が発足したことはシンポジウムの大きな成果でした。

IWGは、横田洋三議長のご尽力のもと、人権問題の世界的なエキスパートが集まり、活発(積極的)な活動を展開してくれています。IWGは、P&Gをフォローアップし、各国の具体的な活動を促すための、アクションプランモデルの作成に取り組んでくれました。詳細は、本日IWGのメンバーから詳しい発表がありますが、この場をお借りして、あらためて、心からの感謝を申し上げます。

こうしたIWGの動きとは別に、日本政府も現在行われている国連人権理事会本会議において、2010年の「ハンセン病患者・回復者とその家族への差別撤廃決議」をフォローアップするための新たな決議案を提出してくださると伺っています。詳しくは、後ほど、在ジュネーブ国際機関日本代表部の小田部陽一特命全権大使からお話があるかと思います。

この機会に、日本政府の多大なるご尽力に深い敬意を表したいと思います。この決議案が採択されることで、国連人権理事会の諮問委員会によるさらなる調査を経てP&Gを実行するための持続可能なメカニズムが確立することでしょう。

P&Gを実践する上で、中心的な役割を果たしているのがハンセン病患者・回復者自身です。ハンセン病回復者たちの中にもポジティブな変化を目の当たりにする場面も増えてきたことは、大変光栄であり、嬉しいことであります。

日本財団は、ハンセン病回復者自身が主役となって行動すべきだという考えのもと、インドにおいてハンセン病回復者協会(The Association of People Affected by Leprosy:APAL)の立ち上げに協力し、継続的に支援を行っています。

近年、APALは政府との交渉を行い、ハンセン病患者・回復者に対する生活手当の支給や年金の値上げなどを実現させてきました。

このことは、ハンセン病患者・回復者自身が差別と闘う力を持ち、彼らの声が政府を動かしたという証であります。私はこのようなハンセン病回復者が主役となった力強い取り組みをこれからも精一杯サポートしていきたいと思っています。

このようなポジティブな変化が世界の一部の地域では見られるようになったことは大変喜ばしいことです。しかし、今なお、多くのハンセン病患者・回復者が差別に苦しんでいるということを忘れてはなりません。こうした不正を克服し、P&Gを効果的に実践して、彼らを取り巻く状況を改善するために主要な役割を果たすことができるのは各国政府です。

各国政府には、まず、ハンセン病患者・回復者の人権を取り戻すために、差別法の撤廃をはじめとする制度改革など国レベルで実施することに対するコミットメントをお願いしたいと思います。さらに、ハンセン病回復者組織、人権専門家、医療従事者、弁護士、研究者など様々な分野の関係者の皆さまと力を合せ、社会の中で、P&Gが効果的に実践されるように取り組んでいただきたいと思います。

本シンポジウムでは、最終セッションに世界医師会、国際法曹協会、国際看護協会の代表がご登壇くださる予定です。この素晴らしい機会に、ぜひ各国の多岐にわたる分野の関係者の皆さまと相互に交流を深めていただければ幸いです。

P&Gが社会で効果的に実践されることにより、一人でも多くのハンセン病患者・回復者が差別を受けることなく、人権を取り戻して、生きられることを願っています。

さて、シンポジウムは最終回を迎えますが、本日を新たなスタートとし、ハンセン病に対する差別のない社会をつくるために、引き続き、各国政府の強いコミットメントとご協力をお願いしたいと思います。長い道のりではありますが、ハンセン病に対する差別がなくなる日まで、皆さま手を携え、共に歩んでいきましょう。

日頃からハンセン病制圧活動のために多大なるご尽力をくださっている各国代表者の皆さま、国際関係機関、NGO、人権専門家、そして、ハンセン病差別撤廃のためにご尽力くださっているすべての皆さまに心より感謝申し上げます。

また、今回本シンポジウムの開催にあたり、多大なご尽力をいただいた国際・開発研究大学院に厚く御礼申し上げます。

そして、私たちの活動に深い理解とご協力をいただいている潘基文国連事務総長とマーガレット・チャン世界保健機関事務局長のお二人のリーダーにはいつも心強い励ましのお言葉をいただき、大変勇気づけられています。

最後に、一連のシンポジウムにおいて中心的な役割を果たしてくださったハンセン病回復者の皆さまに深い感謝の意を表します。

「海の日に想う」その5―安倍総理のメッセージ― [2015年08月05日(Wed)]
「海の日に想う」その5
―安倍総理のメッセージ―


2015年7月20日
於:ザ・キャピタルホテル東急


みなさま、おはようございます。
本日は「海の日」祝日制定20回目の記念すべき日にお集まりいただき、ありがとうございます。

140年前の今日、明治天皇が東北・北海道を巡る旅から、無事、横浜港にお帰りになられました。これが「海の日」の由来です。

その際、明治天皇が乗船されていた船が当時、最新鋭の巡視船だった明治丸。明治丸は、日本の周囲に広がる海を駆け巡り、1875年、いち早く小笠原に駆け付けました。イギリスに先駆けること、実に2日前の出来事です。たった2日、この差が日本の小笠原領有を決定づけたわけです。この船がなければ、豊かな海洋資源をたたえる小笠原は、イギリスのものになっていたかもしれません。日本は世界第6位の規模となる広大な排他的経済水域を管轄していますが、その約3割が小笠原を起点とした海域です。全国津々浦々の漁師が、この海域を利用しています。小笠原は、日本の食卓に豊かな海の恵みをもたらしていると言っても過言ではありません。

海岸線に沿って約15kmごとに漁村が存在する、そんな国は世界中を見回しても、日本くらいなものではないでしょうか。日本の漁村は、衰退の一途をたどっているのではないか、とお思いの方もいらっしゃるしょう。そんなことはありません。

茨城県大洗町では、漁師の奥さんが経営する食堂、「かあちゃんの店」が大盛況です。地元の新鮮な魚を目当てに、長蛇の列ができています。

女性が中心となって六次産業化にも果敢に取り組み、東日本大震災で大きな被害を受けたそうですが、震災後81日で営業を再開し現在の来客数は震災前を上回るそうです。漁村はこれからも生活と仕事の拠点。明るい未来を感じさせます。水産資源だけではありません。日本の輸出入貨物の99%以上、国内輸送の約4割が海上輸送に依存しています。日本人にとっては、海が無い生活を想像することができないほど、海は身近な存在なのです。

古来より、海洋と貿易の自由は、人類の発展・反映の礎でした。私は、いかなる紛争も力の行使や威嚇ではなく、国際法に基づいて平和的に解決すべきと、国際社会で繰り返し訴えてきました。強いものが弱いものを振り回す、このようなことは自由な海においてはあってはなりません。国際社会全体の平和と繁栄に不可欠な、法の支配が貫徹する公共財として「海」を保つことにこそ、すべての者に共通する利益があります。

「海は万人のもの」。400年前に「国際法の父」グロティウスが唱えた言葉は、今後も変わることはありません。このすばらしい海を、次の世代に引き継がなければなりません。海に広がるシーレーンを脅かす海賊の存在は、日本のみならず、海上貿易を行う国にとって死活問題です。「海に守られた国」から「海を守る国」へ。日本は、自由で平和な海の確保にリーダーシップを発揮しなければなりません。アジアでは、我が国主導のもと、20カ国がアジア海賊対策地域協力協定ReCAAPを締結し、シンガポールを拠点として監視の目を光らせています。ソマリア沖では自衛隊の護衛艦と哨戒機が海上保安官と協力して航行する民間船舶を守っています。国際社会と連携して行ったこうした取り締まりの結果、年間200件を超えていたソマリア沖の海賊発生件数は今年の上半期はゼロに激減しています。

1896年、「明治丸」は現役を退き、商船大学の若き学生のためのシーマンシップ練成のための神聖な道場となりました。1945年までの50年間、5,000人の海の若人が毎朝その甲板をヤシの実で磨き、マストに登って帆を張ってきました。厳しい訓練を潜り抜けてきたからこそ、卒業生たちは心の故郷として「明治丸」を慕い、海の仕事を誇りにしていたのです。

しかし、残念ながら現在、海に関する大学の学科が減少しています。私が若い頃は海洋関係の職といえば、七つの海を渡り歩く、ロマンに溢れ、多くの若者の憧れの的でした。現在の若者たちにも、海に未来を見出していただきたい。日本にとって、海はこれからも恵みの母です。たとえば、近年、日本の周囲にはメタンハイドレートをはじめとして多様な資源が眠っていることがわかってきました。海には資源も、仕事もあります。是非、次世代の若手には果敢に海洋開発にチャレンジしてもらいたいと思います。

そのためには、若者を鍛え、心の拠り所となる、現代の「明治丸」が必要です。海洋開発技術者の育成を、オールジャパンで推進するため、産学官を挙げたコンソーシアム、「未来の海 パイオニア育成プロジェクト」を立ち上げることといたします。このコンソーシアムにより、大学では、企業から派遣された講師が、実践的な授業を展開し、企業が提供する実際の事業現場で実習も行います。

私は、現在2,000人程度とされる日本の海洋開発技術者の数を、2030年までに5倍の10,000人程度に引き上げることを目指します。コンソーシアムが輩出する人材が海洋資源開発をリードし、新たな海の恵みを手にすることを期待しています。

もちろん、海洋人材の育成の対象は、日本人にとどまりません。「海はつながっている。だからこそ、自国を超えて、交友関係を築き、共通の認識を育んでいくことこそがいかに重要か、学ぶことができました。」日本で学んだインドネシア研修生の言葉です。

国際社会全体の平和と繁栄のため、海でつながる同志と、知識や経験を分かち合うのが日本の使命です。

その先頭に立っておられたのが、本日ご列席されている笹川会長です。日本財団は、延べ129か国1,075人を世界各国に留学させ、卒業生を「笹川フェロー」として世の中に送り出してきました。彼らは、海洋先進国の知識を武器に、各国海洋行政の最前線で活躍しています。こうした功績を讃え、IMO国際海事賞を受賞されることとなりました。これまでの笹川会長、日本財団の功績に、改めて敬意を表したいと思います。

政府も、負けてはいられません。この秋、日本の大学院に、世界で初となる海上保安政策の修士課程を新たに開設し、アジア各国から幹部候補生を受け入れます。単なる知識の習得ではありません。国境を超えて、アジア全体で「思いを共有する」そんな教育を目指していきたいと思いっています。

このイギリス生まれの美しい帆船に「明治丸」と名付け、生命の息吹を吹き込んだのが、後の工部卿・伊藤博文です。伊藤博文は、長州ファイブの一人として、他の4人の志ある若者とともに、果敢に海を渡りました。その成果が日本の近代化を力強く牽引する原動力となったのです。海は無限の可能性に満ち溢れています。若者には、立ちはだかる荒波にも臆することなく、海に飛び込み、未来を切り拓いていただくことを期待しています。

最後に、海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願い、また、海洋が育む世界の平和と繁栄を願いながら、第20回「海の日」の私からのメッセージを締め括りたいと思います。

ありがとうございました。
「海の日に想う」その3―北極海についての国際会議― [2015年07月31日(Fri)]
「海の日に想う」その3
―北極海についての国際会議―


「変化する北極の海洋安定化、安全保障、国際協働の確保」と題する長い表題の国際ワークショップが開催された。

アメリカ、カナダ、デンマーク、ノルウェー、ロシアの沿岸国は当然としても、日本をはじめ、アジア諸国も強い関心を持って注目している。

今回の国際ワークショップは、アメリカが初めて北極評議会の議長国となったのを記念し、ダニエル・イノウエ太平洋安全保障研究所と笹川平和財団海洋政策研究所が共催した会議で、アメリカ、カナダ、デンマーク、ノルウェー、ロシア、日本、シンガポール、インド、韓国、中国などの専門家による三日間の会議であった。

以下は私の基調講演の全文です。(原文・英語)

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2015年7月14日
於:帝国ホテル


基調講演風景.JPG


日本財団と海洋政策研究所(Ocean Policy Research Institute:OPRI)はNGOとして、北極海航路に関する研究を行い、長年にわたり、このテーマに関する国際会議を開催してきました。この度、米国が北極評議会の議長国を引き継いだこの年に、ダニエル・K・イノウエ・アジア太平洋安全保障研究所と共にこのような国際ワークショップを開催できることを大変光栄に思います。

これから3日間のワークショップでは、北極海に関する様々なテーマのもと、自由闊達な議論が展開されることでしょう。ワーキングセッションでの議論が我が国をはじめアジア諸国が北極政策を策定・履行する上でのヒントとなることを期待しています。しかし、最も重要なこととして、この国際ワークショップに参加の皆さまが率直な意見交換をし、北極地域のガバナンスにおいて、更なる国際的な協力関係を構築するための共通の認識を探る機会となることを願っています。

さて、日本では来週の月曜日、7月20日は「海の日」です。日本では「海の日」を「海の恩恵に感謝し、海洋国家の繁栄を願う日」という趣旨で祝日としています。7月は「海の月間」でもあり、この機会に北極海について考えることはタイムリーかつ大変意義深いことです。

本日の午後は都内見学も予定されていると聞いております。ぜひ、海を愛する国、日本での滞在を楽しんでいただき、会議で膝を突き合わせて議論をするための、いわば“アイスブレーク”となることを願っています。

日本の極地研究には長い歴史があり、科学的にこの地域の理解を深め、地球環境の動向を把握するための取り組みを行ってきました。

さて、日本財団と海洋政策研究所は1990年代はじめから北極航路の研究に関する取り組みを開始しました。当時、ノルウェーの外務大臣が当財団を訪問くださり、「21世紀の挑戦」と呼ばれる北極海航路に関する共同プロジェクトを実施しないかとの打診を受けました。これは、当時の旧ソ連による「北極海航路開放宣言」の機会を捉えてのことであります。私は、非常に時宜を得たチャレンジだと考え、日本、ノルウェー、ロシアとともにこの研究プロジェクトを開始しました。

北極海航路の商業航路化の可能性について研究する「国際北極海航路開発計画」(International Northern Sea Route Programme:INSROP)という学際的なプロジェクトには、14カ国から400人近くもの研究者が参加しました。本日の会議にも当時INSROPに参加していた団体の代表者の方がご出席くださっていることは大変素晴らしいことです。

1993年から1999年まで、INSROPは北極海航路の利用とこの地域の開発についての様々な可能性を検討しました。その結果、INSROPは、北極海航路を国際的に商業航路化するためには、経済的、技術的、環境的な側面からも実現可能ではあるが、これらの3つの側面について多くの解決すべき課題がある、という結論を導き出しました。この研究期間に蓄積された膨大な研究データは海運業界や潜在的な利用者等の関係者と共有され、この分野における研究の基盤となっています。

ご承知の通り、ここ30年の間に北極海を取り巻く環境は劇的に変化しました。気候変動により、北極海の氷はかつてない速さで融け出しています。このような状況の中、世界中の国々が氷の下に隠れているチャンスを掴むための競争に参加しようとしています。

しかし、北極海は新たに深刻なリスクを抱えています。このまま北極海の氷の減少がつつけば、北極海の生態系とそこに住む人々の暮らしを根本的に変えてしまうリスクが高まるだけではなく、地球全体に影響を及ぼすグローバルなシステムまで変えてしまうリスクが高まっていくのです。

たとえば、海流の変化、生態系への影響、地球温暖化などの問題が世界中で予測されています。実際に、地球温暖化による気候変動は世界の海の環境を著しく変えています。日本財団は最近、プリンストン大学、デューク大学、ケンブリッジ大学などの海洋の専門家と共に、気候変動と海洋資源に関する科学的な研究レポートを発表しました。本レポートは、気候変動の影響によって、赤道付近の島嶼国は2050年までに魚資源を60パーセントも失ってしまう事態を招くかもしれないと予測しています。こうした懸念が高まりつつある中、北極海を取り巻く問題は、沿岸国だけではなくユーザー国も責任を持って対処すべき問題となってきています。

2013年に日本を含むアジア諸国が北極評議会のオブザーバー国になったことで、北極海沿岸国ではない国々が議論に参加する機会を得ました。私たちの知識、知恵、そして努力を結集することで、最新の科学的根拠に基づいた研究の可能性を確実にすることができるでしょう。アジア諸国の中には、より積極的な科学研究の開発計画を立案している国もあります。日本は内閣官房内に総合海洋政策本部を設置し、本部長である内閣総理大臣が主体となって取り組んでいます。海洋基本計画の中では、気候変動に伴う北極海で発生する変化に対応するための包括的かつ戦略的な措置をとることの重要性が謳われています。遠からず、日本政府から我が国の北極政策が発表されることを期待しています。

私たちが危機に瀕していることは明らかです。しかし、同時に、できることも多くあると信じています。そのような意味からも、このような国際ワークショップを開催することがますます重要になっていきます。この機会に、北極海の持続可能な管理に向けて、私たちが協働できることを共に探っていきましょう。

日本財団と海洋政策研究所は、NGOとして、この目的のために貢献できることを模索していく所存です。

フォトセッション.JPG
出席者全員で記念撮影

「海の日に想う」その2―世界の海を守る日本へ― [2015年07月29日(Wed)]
「海の日に想う」その2
―世界の海を守る日本へ―


気候変動や海の酸性化により汚染は静かに、しかし深刻な影響が出始めている。

南太平洋の島国キリバスのアノテ・トン大統領は、「笹川さん、海面上昇で私たちは近い将来、住みなれた祖国を離れなければならない日が近づいています。フィジー島に土地を手当てしました」と、深刻な表情で語られた。

日本財団とプリンストン大学、ケンブリッジ大学等で漁業について調査しているグループは、2050年、今から35年後には熱帯地方の魚類は40%〜60%減少するだろう。海の酸性化は葉植物性プランクトンを減少させ、特に海老、蟹、貝類が減少する。日本の鮨も、マグロをはじめとした高級魚や海老、蟹、貝類はなくなり、スケソウダラとサバになるだろとの予測を、先日の記者会見で専門家が明らかにした。

海には静かに、しかし確実に危機が訪れているのである。そこで「海の日」特別行事の総合開会式で、安倍総理のご挨拶に続いて下記のような挨拶をさせていただいた。

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「海の日」を持つ国から世界への貢献


2015年7月20日
於:ザ・キャピトルホテル東急


本日は安倍内閣総理大臣、山谷海洋政策担当大臣、「海の日」特別実行委員会の宮原会長、さらには関水IMO事務局長にもご臨席を賜りまして総合開会式が開催されましたことに、心からお慶びを申しあげます。

1995年に「海の日」が制定されてからちょうど20年です。この間、日本の海洋政策において、重要な進展がありました。2007年の海洋基本法の施行と、それに基づいた総合海洋政策本部が設置され、各省庁の政策を横断的に推進していく体制ができました。

しかしながら、世界の海を見渡しますと、私たちの想像を超えた深刻な問題が起きております。気候変動は海洋環境を激変させ、海水の酸性化は海洋生物の食物連鎖や繁殖に大きな打撃を与えております。これら「海の病」を根本的に解決する方策を我々はまだ見出しておりません。

高度に発達した科学が様々な技術を生み出し、海洋に関する各分野の研究を飛躍的に進歩させたことは事実です。しかし、こうした科学的知見が海洋環境の改善に十分に役立っているとはいえません。地球規模で起こる海洋問題の解決には、従来の特定分野だけの閉鎖的な議論では不十分です。海が国境を越えて一つにつながっていることを考えれば、それぞれの国の組織、あるいは分野毎の縦割りのアプローチでは対応しきれないことも明らかです。例えば、新しく発見された海底資源の開発や公海の利用は、深刻な法的、政策的な問題を投げかけています。従って、これまでにない新鮮で柔軟な考えと知恵をもって取り組む必要があります。

また、人類の欲望が、海洋生物資源の枯渇や、海の複雑な生態系のバランスを破壊しています。利害関係と専門領域を超えた国際的な議論を行い、次世代に海を引き継ぐ方策を考えなければなりません。近い将来、世界の人口は100億人を超えます。人類の生存に関わる海の問題は、静かに、そして急速にその領域を広げています。私たちは今こそ、海の声なき声に耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。私たちが引き起こした海の危機的な状況は、私たち自身が阻止すべきです。また、解決することができるはずです。

そのためには、分野を超えた人材の育成が急務です。これまでのような専門領域に特化した伝統的な人材育成ではなく、俯瞰的な視点で考え、行動できる人材を養成することが、海洋に関する問題の解決に効果的な手立てのひとつだと考えています。同時に、そのような人材による利害関係を越えた国際的な「人のつながり」を作ることが重要です。

日本財団は、世界有数の研究機関や大学、各国の政府、NGO、そして国際機関と連携し、「海の世界の人づくり」事業を行っております。先ほど総理からご紹介いただきましたように、現在、129カ国から1,075名の人材を輩出し、さらなる人材の育成に懸命の努力をしています。今や、海の世界も法の秩序が叫ばれる中で、海洋の利用・開発を促進するためには、多様な分野にまたがる国際法に精通した人材が必要ですので、国際海事法研究所や国際海洋法裁判所で法律の専門家の育成に努めております。また、国連と協力し、各国の海洋関連の政府高官、行政官、そして研究者の人材育成にも、努めているところです。

また、世界的な海洋生物資源の枯渇を食い止めることも喫緊の課題です。私たちはアメリカのプリンストン大学、イギリスのケンブリッジ大学、デューク大学等々の6つの大学をパートナーとし、気候変動、海洋政策、生物多様性、水産経済などの専門家を育成するとともに、それぞれの分野を横断した研究や取組みを実践しているところです。こうした人の育成とつながりが、これからの新しい海洋秩序を生み出していく力になっていくことを期待しています。

しかしながら、海の危機を阻止するためには、これだけの取り組みだけでは十分とは言えません。国際社会の変化を導くため、国レベルでの先導役が必要不可欠であることは言うまでもありません。日本は、海からの豊かな恵みをいただき発展してきた国であり、海洋生物資源の適切な管理や温暖化防止に貢献できるような高度な技術、豊富な知見を持つ国でもあります。そして総理がお話されたとおり、今後は「海に守られた日本から、海を守る日本」への積極的な転換をしながら、さらに「世界の海を守る日本」へと進化することが求められています。「海洋」を重要な柱とし、地球上のすべての生命の生存に関わる海を守るための取り組みを、今こそ日本が世界の先頭に立って行うべき時期が来たのではないでしょうか。

ご列席のみなさま。世界で唯一の「海の日」を祝日に持つ国として、今後、国際社会でお互いにリーダーシップを発揮していこうではありませんか。
「アジアの平和構築と国民理解」―民主化に関するハイレベル・セミナー― [2015年07月13日(Mon)]
「アジアの平和構築と国民理解」
―民主化に関するハイレベル・セミナー―


6月20日、外務省主催で上記の表題の国際会議が国連大学で開催された。

主な出席者は,ラモス・ホルタ前東チモール大統領、ピッツワン・スリン前アセアン事務総長、マンガラ・サマラウィーラ・スリランカ外務大臣、デイビッドM・マローン国際連合大学学長、岸田文雄外務大臣などが出席された。

私はミャンマー国民和解日本政府代表として「ミャンマーにおける日本の平和構築支援活動について」と題してスピーチを行った。

ご参考までに掲載します。
(原文は英語)

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「ミャンマーにおける日本の平和構築支援活動について」


於:国連大学
2015年6月20日


セミナー風景1.JPG


おはようございます。本日は、平和構築の専門家や各国の首脳と共にこのハイレベル・セミナーに参加できることを大変光栄に思います。現在進んでいるミャンマーにおける和平プロセスについて、それから、平和と安定に向かう困難な道のりへの日本の関わり方についてお話させていただきます。

ミャンマーは長年にわたり軍事政権が続いていましたが、2011年3月のテインセイン政権誕生以来、急速に民主化が進んでいます。

日本は早々とこの動きを歓迎した国の一つとして、ミャンマーのさらなる改革を促進するため、幅広い支援を行っています。その一環として、日本政府は、ミャンマー国民和解担当日本政府代表というポジションを置き、その役割を私が拝命しました。それは、日本政府がミャンマーの民主化にとって国民和解が重要であるという認識を持っていることの表れだと思います。拝命を受けたことを光栄に思うとともに、少数民族武装勢力とミャンマー政府の和解を支援する役割を慎んでお受けしております。

私のような民間人がこのような重要な任務を任されたのは、私が会長を務める日本財団がミャンマーで行ってきた人道的な支援を日本政府により評価されたからだと思います。

日本財団のミャンマーに対する支援は30年以上にわたります。1980年代、世界の最貧国の一つであったミャンマーは、軍事政権下に置かれていました。当時、ほとんどの国はミャンマーに対する援助を打ち切りましたが、日本財団は人道的な観点から、保健医療並びに教育分野で少数民族地域も含めて支援を必要とする一般の人々に人道支援活動を行ってきました。

ミャンマーは東に中国、西にインドという両大国に挟まれた国であり地政学的な要衝です。かつてはアジアで最も豊かな国の一つでもあり、これから再びその豊かさを実現できる潜在力を有しています。中国、インドを含む太平洋地域が世界の繁栄の中心となる時代が到来しつつある現在、ミャンマーの平和は、同国の安定だけでなく、アジアおよび世界の安定と発展にも貢献できるでしょう。

ミャンマーは130以上の民族によって構成される多民族国家です。その一部の少数民族武装勢力とミャンマー政府の間には連邦制や自決権、自治権を巡り対立があり、60年以上にわたり、双方の間で武力衝突が繰り返されてきました。その間、少数民族武装勢力とミャンマー政府の間で停戦合意が結ばれることもありましたが、それが度々破られてきました。その結果、互いに不信感を募らせていました。

このような厳しい状況の中でも、いくつかの少数民族武装勢力はミャンマー政府と停戦合意交渉を続けていました。それまでは、少数民族武装勢力は政府と個別に交渉にあたっていましたが、16の少数民族武装勢力は、全土停戦合意コーディネーション・チームを組織しました。その結果、全土停戦交渉に進展が見え始めましたが、少数民族武装勢力側の有力な意思決定者の中には、交渉を進めるにあたって極めて慎重な姿勢を崩さない人も含まれているので、交渉が中断することもしばしばありました。

対立する当事者間の交渉がこのような段階に至った時には、第三者が関与することで交渉を再開に導く可能性が出てくることもあるかと思います。とはいえ、平和を構築できるのは紛争当事者だけです。ですから、第三者の関与は最小限にとどめるべきだと考えております。

ミャンマーの場合、双方が長年にわたる不信感と疑念を抱いている中で停戦合意を結ばなくてはならないのですから、第三者に期待されていることは、双方が交渉のテーブルにつくように説得し、対話の場を増やし、双方が同じ土俵に立ったレベルでの交渉の実施を確実にするという役割を担うことではないかと考えています。

この和解プロセスには、もう一人の主役(キープレイヤー)がいることを忘れてはなりません。それは、その地域で暮らす一般の住民です。私たちが「紛争当事者」という場合、交渉のテーブルにつく限られた関係者の方に目が向きがちです。しかし、紛争が起これば常に大勢の一般の住民が混乱に陥り、痛みや苦しみを背負うことを余儀なくされてしまうのです。
彼らの状況を理解し、また、考え方やニーズに耳を傾けることは極めて重要であると考えています。そこで、私は、いくつかの少数民族武装勢力によって支配されている地域の国内避難民を幾度となく訪ねています。

彼らの現状について皆さんに少しお伝えしたいと思います。
武力衝突が激しくなり、住んでいた村を逃げ出した家族。彼らは着の身着のまま逃げてきた人たちです。青いビニールシートを屋根の代わりにし、雨露をしのぎ、床には空になったコメ袋を敷いて寝ています。何とか火を起こし煮炊きをしようとしている人もいます。たまたま捕まえたトカゲや木の根っこ、木の実以外に食べるものはほとんどありません。彼らの生活は、毎日が生きるための闘いであり、不安に満ちた暮らしです。

また、診療所を訪問する機会がありました。診療所には常駐の医師がおらず、タイで見ようみまねで技術を習得した看護師が一人いるだけでした。薬の在庫はなく、入院病棟には、木の板で作られた空っぽのベッドが数台あるだけでした。私が「ここの地域に病人はいないのか」と看護師に尋ねると、彼女は「病院に来ても薬がない。来ても意味がないので来ないだけ」と答えました。

私は、このような悲惨な状況を目の当たりにして、緊急人道援助の必要性を強く感じ、一般の住民が平和の兆しをゆっくりでも着実に感じ取れるような状態にしなくてはならないと思いました。

国連によると、このような条件下で暮らす人々はミャンマー全体で約80万人いるといわれています。人道支援の標準的なアプローチは、停戦合意が守られていることが確認できるまでは、人道支援は控えるというのが一般的だと思います。しかし、場合によっては、停戦合意協議の交渉が続いているのであれば、紛争で荒廃した地域に暮らす人々の生活を維持するための人道支援がなされてもよいと感じています。ミャンマーに関しては、ミャンマー政府が、この日本のアプローチと100億円の人道支援を受け入れました。これまでに、コメ、穀物、豆類、食用油、塩、医薬品、蚊帳、ソーラー・ランタンなどの緊急援助物資が約30万人の人々に届いています。全土停戦以前のこのような支援には賛否両論あると思います。しかし、双方の了解を得られた上で、少しでも対話が進む環境をつくることができるのであれば、このような支援を実施することに意義があると考えています。
今年の3月31日、ミャンマー政府と16の少数民族武装勢力は、全土停戦合意文書草案について合意に達しました。この歴史的な合意の直後、和平交渉担当責任者であるアウン・ミン大臣が来日し、安倍首相にテインセイン大統領からの日本の支援に感謝する親書を手渡しました。

この停戦合意文書草案への合意は和平に向けての大きな一歩であると評価してよいと思いますが、それから2カ月が経過し、現在、状況はまだ流動的です。また、11月に総選挙が行われる予定ですが、これは停戦合意プロセスを前進させる要素になるかもしれません。

ミャンマーは民主化への過程で多くの困難に直面するでしょう。中でも、ミャンマー政府と少数民族武装勢力との和解は最も大きな課題の一つです。しかし、双方が互いに誠実に取り組むことができれば、道は切り拓いていけるはずです。日本は今後もミャンマーに寄り添い、国際社会と協力の上、支援を継続していく所存です。

アジアが世界経済の成長の中心となる新しい時代が到来しています。アジアの中には不安定な要素を抱えている国や地域もあり、アジア地域に平和を構築し、安定をもたらすことが極めて重要です。国際社会は新たな課題に対応できる準備をする必要があります。

安倍首相は、日本が積極的平和主義の下、アジアの平和に貢献する役割を担い続けていく決意を表明しています。日本はこれからも国際社会からの様々なニーズや期待に応えてまいります。
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