CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
BLOG 笹川陽平プロフィール 笹川陽平バイオグラフィー

日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

« 掲載紙・誌 | Main | たばこ1箱千円»
leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
Google
<< 2017年06月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
プロフィール

笹川 陽平さんの画像
笹川 陽平
プロフィール
ブログ
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
リンク集
http://blog.canpan.info/sasakawa/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/sasakawa/index2_0.xml
「ミネソタ大学」―名誉法学博士号― [2017年05月12日(Fri)]
「ミネソタ大学」
―名誉法学博士号―


ミネソタ大学は、ミネソタ州が正式にアメリカの32番目の州になる7年前の1851年に設置され、学生数は5万人を超え、ノーベル賞受賞者も24名と、シカゴ大学と双璧をなすアメリカの名門校の一つである。

ちょっと気恥ずかしい話ではあるが、私の国際的なハンセン病制圧活動(病気の制圧と差別撤廃運動)が評価され、4月25日、名誉法学博士号が授与された。

B.jpg
副学長からDoctory Hood(学位フード)をかけていただく


下記は、学位授与式に先立って開催された「健康、スティグマと人権会議」の私の基調講演です。
(原文・英語)

ご笑覧ください。

*****************

@基調講演を行なった.JPG
基調講演


コールマン学部長、フレイ教授、クラドック教授、皆さま。本日は、ハンセン病の制圧という私の生涯をかけた活動について、皆さまにお話しさせていただく機会をいただき、感謝申し上げます。

只今ショートフィルムをご覧いただいたのは、この病気に苦しめられ、今もなお苦しんでいる人たちの現実を皆さまにご覧いただきたかったからです。映像にあった通り、ハンセン病は何世紀にも亘り不治の病、神の罰などとされ、人々に恐れ、嫌われてきました。

しかし1980年代になると、有効な治療法の確立により、ハンセン病は治るようになりました。簡単なことではないとはわかっていましたが、私はこの薬を、病気に苦しむ全ての人たちに届けることを決意しました。そして日本財団は、WHOと協力し、ハンセン病治療薬の無料配布を開始しました。

有効な薬を配るのですから、私たちはある一定の効果はすぐに現れるだろうと期待していました。しかし、多くの予期していなかった事態に遭遇しました。

当時私がどのようなことに直面したのか、いくつか例を申し上げます。

例えば私は、世界には多くの人が薬の飲み方を知らないという事実を目の当たりにしました。それまで伝統医療薬しか飲んだことがないという人たちに対し、私は、まずブリスターパックと呼ばれる包装から錠剤を取り出し、水で飲み込むという薬の飲み方から教えなくてはならなりませんでした。

また、アフリカのある部族の人たちは食べ物を平等に分け合うという習慣があるため、配布された薬をも同じ村の人たちで分け合ってしまっていました。これでは当然、薬の効果は現れません。

また、無料なのに患者が薬を取りに来ないということもありました。痛みを伴う初期症状がないため、もしくは差別を恐れたためです。

薬を無料で配るだけでは効果的ではないということは明らかでした。私たちは、治療薬の配布に際し、その土地の習慣や文化なども考慮しなければならなかったのです。

このことを念頭に、より効果的に薬を患者に届けるために、私たちはWHOや各国の保健省、医療関係者、NGOなどと協力し、活動を続けました。

その結果、より多くの患者が病気を治療、治癒し、多くの蔓延国においてハンセン病患者の数は大きく減っていきました。私は、治療薬普及の成果が現れてきたことに、一種の達成感を感じ始めていました。

しかし、患者の数が減ったにも関わらず、私がハンセン病コロニーで目にした現実は、病気から回復した人たちの生活が治療前からあまり変わっていないということでした。彼らは治癒した後も、患者だったときと同じようにハンセン病療養所やコロニーで暮らし続けていました。そこは、草木も生えていないくぼ地のようなところで、外側からは単なる岩山にしか見えないような場所だったり、線路脇の土手のわずかな空間だったりしました。彼らはハンセン病を患ったときから、そのような場所に集まって暮らしていました。その場所と外の世界との境界に目に見える塀などは何もありません。しかし、まるでそこには目に見えない壁が立ちはだかっているかのように、彼らの住む場所とその外を行き来する人はいません。彼らはもう患者ではないのに、こうして「ハンセン病の元患者」として生活しつづけていました。

この状況を見て私は、私がそれまでハンセン病の差別やスティグマの問題を楽観視しすぎていたことに気づきました。私は治療薬を世界中で広めることに忙しくしておりましたが、この病気には、より深刻な側面があると考えるようになりました。それは、ひとたびハンセン病を患った人は、治癒してもなお、差別やスティグマの対象となるということでした。

差別とスティグマは菌によって引き起こされるものではありません。これは、人々の意識の問題です。

私は、ハンセン病との闘いとは、モーターバイクに似ていると考えるようになりました。前輪は病気を治すための医療面のアプローチです。そして後輪は、スティグマと差別をなくすための社会面のアプローチを指します。この前輪、後輪が同時に動かなければ前に進まないモーターバイクのように、ハンセン病とその差別をなくすためには、医療面、社会面双方のアプローチを同時に進める必要があると、私は考えています。

後輪の差別の問題について取り組むにあたり、私は何から始めればいいのかわかりませんでした。しかし、ハンセン病の差別とスティグマの問題は明らかに人権問題であると感じました。そこで、国際連合へ働きかけることにしました。

私がジュネーブの国連人権高等弁務官事務所を初めて訪ねたのは2003年のことでした。そこで私が言われたことは、ハンセン病の差別の問題は人権問題として議論にあがったことがないということでした。あくまで病気として、他の病気同様、保健衛生の問題としてしか捉えられていなかったのです。

なぜそのようになってしまったのか、想像するのは難しくありませんでした――ハンセン病から治癒した人たちは、声をあげ、自らの人権を主張することをためらっていました。彼らは差別を恐れていたのです。彼らの多くは、自分たちに人権があるとすら考えていなかったのかもしれません。ハンセン病から治癒したある人は、私にこう質問しました。

「本当に私に人権などあるのですか?」

私は、彼らの苦しみにこれ以上目をつむることはできませんでした。そして、このハンセン病の差別の問題を提起する必要があると思いました。

その後、この問題に注意を向けてもらうために、私はジュネーブを何度も訪れ、会議や小さな写真展などを開催しました。

私が人権委員会の小委員会で鮮明に覚えている瞬間があります。それは、私がハンセン病の回復者の人たち5人と会議に出席していたときのことでした。会議場で話をする機会に、私は自分が簡単に話した後、彼らのうちの一人の女性にマイクを譲ることにしました。インドから来た女性でした。

彼女は立ち上がり、「私はハンセン病でした」と言いました。

それまで、話半分に聞いていた会場中の人がその瞬間に振り向き、発言した彼女の顔を見ました。

その瞬間は、今でも忘れられない瞬間です。

そしてその瞬間は、私にとって、ハンセン病の差別の問題を人権問題として国連が初めて認識した瞬間だったように思います。

私の最初の国連訪問から7年、2010年にニューヨークの国連総会で、ハンセン病の患者と回復者、そしてその家族に対する差別撤廃の決議が採択されました。

私たち日本財団は、この決議の実行のために、世界の状況を確認し、報告する民間レベルのタスクフォースを作りました。そこに人権問題の専門家として関わってくださっているのが、午前中にお話しいただく横田先生と、本会議を企画してくださったフレイ先生です。お2人には様々なアドバイスをいただき、非常に重要な役割を果たしていただいています。お2人のご尽力にあらためて感謝申し上げたいと思います。

社会的なアプローチを進める上で、私は、ハンセン病の差別やスティグマの問題をなくすには、当事者を巻き込むことが不可欠だと考えています。彼らに声をあげてもらうよう働きかけ、彼らの声を聞いてもらうことが重要なのだと思います。私が彼らの声を代弁することはできても、彼ら自身の声よりも説得力を持つことはないのだということに、私は経験を通じて気づきました。

ここまでお聞きになって、この病は遠い国の話だと感じられた方もいらっしゃるかもしれません。しかし、ハンセン病差別の問題は万国共通の問題であり、ここアメリカでも例外ではありません。

かつて全米のハンセン病患者や回復者は、三方を海に囲まれ、残る一方を断崖で遮断されたハワイ諸島モロカイ島のカラウパパ療養所と、有刺鉄線の高いサイクロンフェンスと2つの監視塔に囲まれたルイジアナ州のカーヴィル療養所に「収容」されていました。

本日、奥さまと共にこの会議に参加している私たちの友人であるホセ・ラミレスも、かつてカーヴィルに住んでいました。彼は自分の経験をもとにハンセン病と人権について深い考えを持ち、回復者として患者や回復者のためのアドボカシーをしています。彼の言葉は経験者だからこそ語ることができる重みのあるもので、これまでアメリカ国内だけでなく、世界中でハンセン病のアドボカシー活動を牽引してきました。後ほど、彼の話を楽しみにしたいと思います。

私たちの活動に対し、「ハンセン病は過去の問題ではないか、今さら取り組む必要はないのではないか」という人がいます。しかし私は、ハンセン病を考えることは、今まさに私たちがすべきことではないかと考えています。それは、ハンセン病を考えることが人間を考えることにつながるからです。ハンセン病の歴史は世界中で忘れ去られ、消されようとしている「負の歴史」として語られることが多いです。

しかし、ハンセン病の歴史は同時に、患者や回復者の方々が過酷な状況に置かれながらも、差別を乗り越えて生きてゆく、生命の輝きの歴史でもあります。名前を失い、故郷を失い、家族、友人をも失い、社会との関わりを断たれながらも、一人の人間として、生きようとしてきたその軌跡は、人間の強さと寛容さを私たちに教えてくれる、かけがえのない歴史でもあります。

2009年にはローマ教皇ベネディクト16世によって、カラウパパの患者たちのケアに全身全霊を捧げたダミアン神父が、聖人の列に加えられました。さらに、同年オバマ大統領の署名によって「カラウパパ・メモリアル法」が成立し、カラウパパに収容された8000人全員の名を刻んだ記念碑が建立されることになりました。

このようにハンセン病を患った人たちの経験や記録を次世代に引き継ぐことで、人類がこの経験を忘れないようにしていくことが重要ではないでしょうか。彼らの声を次世代に届けていくこと。このことも、私の重要な仕事だと思い、ハンセン病の歴史保存の取り組みも進めています。

ご静聴いただきありがとうございました。


「職員への新年度挨拶」 [2017年04月24日(Mon)]
「職員への新年度挨拶」

2017年4月3日


新年度なので、一言挨拶します。私自身は、職員の皆さんとできるだけ接触をして、話を伺い、私の考えも述べたいということで、極力コミュニケーションをとり、風通しをよくするということが一番大切なのではないかと思い努力をしていますが、まだ十分とは言い切れません。

我々の組織は、100人弱の職員と30人ほどの嘱託の方々と非常に少ない人数で仕事をしています。何千人、何万人になればやり方も変わり、ある意味やりやすくなりますが、この程度の人数というのは人事管理を含めて大変難しいものがあります。逆に言えば、その中に、お互いの人間関係というものがより深く生まれてくるわけで、やり方によっては大変おもしろい、ユニークな組織にすることができるのではないでしょうか。

人間が存在する限り、いつの時代も社会課題は存在します。言葉だけで実行がなければ、問題解決にはならないでしょう。私たちとは関係ないと無視することも可能です。しかし、多くの社会課題をどのように解決していくか、これこそが日本財団に与えられた使命ではないでしょうか。

国家は1,100兆円という膨大な財政赤字を抱えております。皆さん一人一人で約870万の借金を背負っていると同じことになります。少子高齢化は今日始まった問題ではありません。私は30年前に日本大学の人口問題の先生が発表された論文を読んだことがあります。日本がこういう人口動態になることが30年前から分かっていながら、昨日、今日に起こった問題ではないにもかかわらず、口を開けば少子高齢化とその課題が流行り言葉のように報道され、これでは誰もが日本の将来を悲観的に考え、本格的な具体策は進みません。

今日、明日あるいは今年1年、3年先のことは政府も行政も考えていますが、10年、20年あるいは30年という単位で物事を考えている組織は日本にありません。日本財団は未来志向の立場にたち、ハンセン病を例に挙げると、40年継続して取り組んでいます。海洋問題は今や世界の喫緊の問題として注目を集めるようになってきました。日本財団が30年前から世界各地で取り組んできた人材養成が、諸問題に対処する体制の整備に大きく寄与することになるでしょう。

日本財団がこのように長いスパンで物事を見て活動する組織であることを、皆さんに理解していただきたいと思います。政治家、行政、学者、文化人、そしてメディアの皆さんに集まっていただき、提示された社会課題についての議論を進め、集約ができたところで日本財団が実行に移します。

今や社会課題は、政府も省庁、NPOも単独では解決不可能な時代になりました。そのため、日本財団は社会課題をまずは調査し、その上で専門家や関係者に集まっていただき、問題を洗い出し、方向性が出たら実行していく。これを「日本財団という方法」と説明しています。

私たちは人間臭い仕事をやっています。人と人との接触の中で仕事をやっていくわけですから、売り上げを幾らに上げなければならないとか、経費を幾ら節減しなければならない、あるいは四半期や3ヶ月ごとに会社の利益を発表しなければならないなどといった、数字の目標設定は余り必要とされていません。皆さんは、そうした職場の中で何を目的に仕事をしていくか、自分自身が考えなければなりません。ここにお集まりの皆さん一人一人は日本財団の財産です。それ以外には、何もありません。

日々、問題意識を持ってどのように仕事に取り組むか、常に好奇心を持って物事を見て、何をしなければいけないのか、どういう手法でこれを解決するのか、そうしたことを皆さん一人一人に常々、考えていただきたいと思っています。

日本財団の仕事は、かつては各地からきた援助申請書を審査して支援するという時期が長くありました。しかし、今やそこから脱皮して、我々が考え、我々がこの国のために、あるいは困っている人たちのために何ができるか、主体的に考え、活動する方向に変わってきています。

日本財団がイノベーションの中心になって問題を提起し、具体的に社会課題を解決してゆくことで、皆さん自身の仕事の成果が目に見えるようになります。報告や相談、連絡は組織である以上当然ですが、大きな組織の中の歯車の一つではなく、一人一人が独立した立場で、若い人たちが自由に仕事ができる、風通しの良い柔軟な文化を持った組織になるよう日本財団の舵を取っています。近年、日本財団は、皆さんが思っていらっしゃる以上に評価される存在になりました。地方の人から少し雲の上の存在だと思われていることも事実です。しかし、これに甘んじてはいけません。

やはりこのような仕事ですから、私たちは常に謙虚でなければいけませんし、人間対人間のお付き合いが中心なので、私たちには目配り、気配り、心配りのできる感情豊かな感性が求められています。どうぞ皆さんは、世界でもユニークな、チャレンジングな未来志向の組織で働いているという自覚を持って、仕事に邁進をして下さい。

まずは、一人一人の人間形成、そして常に飽くなき好奇心を持って社会課題を発掘していただき、それをなし遂げていくことで、政府あるいは行政、そして市民社会の皆さんから信頼され、日本財団に相談に行けば何か方法を見つけてくれる、力を貸してくれるという、頼りがいのある、信頼のおける、透明性と説明責任が果たされる組織として皆でやっていこうではありませんか。どうぞ、よろしくお願いします。

「ちょっといい話」その75―教皇のハンセン病発言― [2017年02月20日(Mon)]
「ちょっといい話」その75
―教皇のハンセン病発言―


世界のカトリック教徒12億人を擁する教皇庁の第266代フランシスコ教皇は、教皇庁組織の改革に意欲的に取り組んでおられる。

しかし、その過程で3回ほど失言をされた。
1回目は「出世主義はハンセン病」、2回目は「ご機嫌取りは教皇制度のハンセン病」、3回目は「小児性愛はカトリック教会に伝染しているハンセン病」というものであった。

その度に「ハンセン病を悪い喩(たと)えに使わないでください」との書簡をお送りしたが、返書を見る限り、教皇は私の書簡をお読みになっていないと直感した。そのため作戦を変更し、日本財団とバチカンとの共催で、ハンセン病についての国際会議を提案したところ、快諾を得て、昨年6月、バチカン教皇庁で国際会議が開催された。

結論の一つとして、ハンセン病を悪い喩えに使わないことが勧告に盛り込まれた。

さて、今年の世界ハンセン病デーへのバチカンのメッセージに注目していたところ、1月29日(日曜日)の一般ミサで、教皇は以下の通り諭された。

「本日、私たちは『世界ハンセン病の日』をお祝いいたします。この病気は減っているものの、いまだ最も恐れられており、貧しく、社会から無視された人に襲い掛かっています。この病気と、それがもたらす差別と闘うことは重要です。私は、この病気の治療や、ハンセン病患者、回復者の社会的な再統合に関わっているすべての人々に理解を促したい。」

教皇の失言が、私の小さな闘いの成果としてこのスピーチに現れたとしたら、少しうれしい気分です。

前日の世界ハンセン病デーには、ピーター・タークソン枢機卿の名で、下記の通りのメッセージが発せられた。

「ハンセン病の犠牲者たちには居場所と結束、そして正義こそ必要」

タークソン枢機卿は「この病気に対する恐怖は、人類の歴史の中で最も恐れられているもののひとつであり、そこには理由などありません。地域社会全体においてこの病理についての知識が欠如しているが故に、治癒した人たちが排除され、治癒した人たち自身もまた、長いあいだ耐えてきた病気の苦しみと差別により、彼らの中にある尊厳、身体に傷はあっても決して奪われることのない尊厳を、失ってしまっているのです。彼らの“ために”、そして何よりも、ハンセン病の犠牲者である彼らに“寄り添い”、彼らが自分たちの居場所、結束、正義を見つけられるよう、私たちはさらに深く関わっていかなければならないのです。」とおっしゃった。

「ハンセン病の撲滅とハンセン病患者・回復者、その家族の社会への再統合:まだ成し遂げられていない課題」

バチカン市国「人間の統合的発展に奉仕するための省」長官ピーター・タークソン枢機卿

効果的な薬物療法が開発され、そして、カトリック教会を筆頭に多数の国内および国際的な施設や機関において過去数十年間にわたって実施されてきた世界レベルでの大規模な取り組みは、一般にらい病として知られるハンセン病に対して非常に大きな打撃を及ぼしました。1985年の時点で、世界にはまだ500万を超える数のハンセン病患者が存在していましたが、現在、新たにハンセン病に罹る患者の数は年間約20万人となっています。しかし、なすべきことはまだたくさんあります。

その点については、昨年6月、当時のローマ教皇庁保健従事者評議会が主催したシンポジウム「ハンセン病患者・回復者の尊厳の尊重とホリスティック(総合的な)ケアへ向けて(Towards Holistic Care for People with Hansen’s Disease Respectful of their Dignity)」の終盤で焦点が当てられましたが、ハンセン病をめぐって今も残るスティグマと同様に、新たなハンセン病患者の発生はたとえ1人であっても望ましくありません。また、すべての無関心と同様に、ハンセン病患者を差別する法律は、どのようなものであっても存在してはなりません。マルタ騎士団、ラウル・フォレロ財団、善きサマリア人財団からの支援を受け、日本財団・笹川記念保健協力財団と協力して推進されたイニシアチブの枠組みの中で、その役割を考えると、すべての宗教の指導者がそれぞれの教え、著書、演説においてハンセン病患者に対する差別の撤廃に貢献することが重要であるという点がさらに強調されました。一方、その後、11月にソウルで開催されたハンセン病世界フォーラム(World Forum on hanseniasis)の場で世界保健機関も強調していたように、治療中だけでなく治療終了後も、患者の心身のケアを確保することが必要です。

加えて、すべての国において、家族、仕事、学校、スポーツなどに関連してハンセン病患者を直接的あるいは間接的に差別している政策を変え、ハンセン病患者に関わる実施計画を各国政府が確実に展開すべく、私たち全員があらゆるレベルにおいて明確な態度を表明しなければなりません。

最後に、新しい医薬品を開発するために科学研究を強化し、早期診断の可能性を高めるためにより優れた診断装置を備えることが基本です。

実際のところ、新しい患者のほとんどは、ハンセン病の感染が永久的な障害を引き起こし、成人や少年少女に生涯を通して影響を及ぼすことが明確となっている場合のみ確認されています。一方で、特に人里離れた地方では、治療を完了させるのに必要な支援を確保するのが難しかったり、いったん開始した薬物治療を続けることの重要性を患者自身が理解できない、あるいは治療の継続を優先するのが難しかったりすることがあります。

しかし、治療だけでは十分ではありません。ハンセン病から治癒した人が、家族、地域社会、学校、職場といった元の社会機構の中へ最大限可能な限り復帰できるようにすることが大切です。

様々な状況下でいまだにほぼ実現不可能となっている社会復帰のプロセスを促進し、そのプロセスに貢献するためには、ハンセン病回復者たち同士の連携をさらに支援し、奨励していく必要があります。同時に、回復者たちとともに、例えばインド、ブラジル、ガーナなどではすでに行われていますが、ハンセン病患者・回復者を理解し、受け入れ、そして相互扶助と真の兄弟愛を育むための豊かな土壌を提供できるような本当の家族になれるコミュニティが広がるよう、促進していく必要があるでしょう。

マルコによる福音書の第1章で語られている、ハンセン病に罹った男をイエス・キリストが癒した話について考えてみましょう。イエスが「深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、“よろしい。清くなれ”と言われると、たちまちらい病は去り、その人は清くなった。イエスは言われた。“誰にも、何も話さないように気をつけなさい。ただ行って、祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい”」。

つまり、イエスは、男の全身を癒しただけでなく、癒した男に対し、完全なる社会復帰、「人間の共同体」への復帰を宣言できる人のところへ行くよう呼びかけたのです。

おそらく、昔と同様に今日も、ハンセン病の特徴が出た人やハンセン病患者のために働く人々にとって、この点が克服すべき最大の障壁でしょう。この病気が残す明白な後遺症である身体的な障害は、今日においてもいまだに烙印と見なされています。この病気に対する恐怖は、人類の歴史の中で最も恐れられているもののひとつであり、そこには理由などありません。地域社会全体においてこの病理についての知識が欠如しているが故に、治癒した人たちが排除され、治癒した人たち自身もまた、長いあいだ耐えてきた病気の苦しみと差別により、彼らの中にある尊厳、身体に傷はあっても決して奪われることのない尊厳を、失ってしまっているのです。彼らの“ために”、そして何よりも、ハンセン病の犠牲者である彼らに“寄り添い”、彼らが自分たちの居場所、結束、正義を見つけられるよう、私たちはさらに深く関わっていかなければならないのです。

なお、「ハンセン病とローマ教皇」のブログは、2013年6月26日2014年8月4日2016年2月8日に掲載しておりますので、ご興味の向きはご笑覧ください。

「トランプ大統領就任式に出席」―雑感― [2017年02月13日(Mon)]
「トランプ大統領就任式に出席」
―雑感―


1月24日、第9回B&G全国サミット(首長:市町村長223名、副首長41名、教育長200名、自治体関係者219名、報道関係者74名、来賓その他73名、総勢830名)で講演の機会をいだき、トランプ大統領の就任式に出席して帰国した直後でしたので、雑感をお話させていただきました。

*****************


ご紹介賜りました日本財団の笹川でございます。私はあまり講演を得意としておりませんので、昨今では、子どもたち以外にはあまり話をしないようにしているのですが、このB&G財団のサミットだけは特別で、9回連続で出させていただき、大変光栄に思っております。

私の話は、もともと実体験に基づいた話ですので、評論家的な話は大変苦手です。今回はトランプ大統領の就任式に出席をしましたが、面識のない方についてお話するのは初めての経験ですので、皆さん方にどれだけご理解がいただけるか分かりませんが、周辺情報を集めてまいりましたので、お聞き取りをいただければと思います。

私は過去30年ほどの間に466回も海外に出掛けておりますが、ほとんどがアフリカやインドの奥地、あるいはアジアの僻地、南米の僻地という所ばかりです。時間にしますと、記録を取っただけで約3000日ということですから、刑務所に入れられたと換算すると8年位、世界のハンセン病制圧のために海外を駆けずり回ったということになるわけです。お陰様で病気のデパートといわれるような地域を回っておりますが、いまだにマラリアをはじめとした各地域の風土病になったことはありませんし、前の便の飛行機が墜落したとか、私が出発した後に内戦が勃発したとかいうようなことは多々ありましたが、運だけが頼りで生きてきたわけです。これも多くの皆さんの支えがあってのことだと思っております。当年78歳になりましたが、今だに自転車操業のごとく、ひたすら前だけ見て走り、横も後ろも振り返らないということを信条として仕事をしています。

さて、私がトランプという名前を聞きましたのは今から25年ぐらい前のことです。どうして名前を知ったかといいますと、その時分は日本がバブルの時代で、ニューヨークの5番街という世界で最も華やかな場所にトランプタワーというビルが建ちました。これはマンションで、その隣には有名なティファニーという宝石店があります。今でも日本の若い女性は、婚約指輪はティファニーが欲しいという方が多いと思います。

実は、バブルのときにこのティファニーを日本人が買収しました。ところが、後でこれが大変な高値でつかまされたということが分かったのです。ティファニーは3階建ての建物ですが、横にトランプタワーが、確か30階以上の高層ビルでして、ティファニーがもし改装して高い建物が建ちますと、このマンションからの眺めが悪くなります。当時、日本には空中権という考えがなかったのですが、アメリカにはあったのです。トランプはこのティファニーの3階以上の空中権を買収していたのです。そのため日本人は知らずにこのティファニーの3階建てのビルを買収しましたが、トランプが自分のビルの景観を守るために空中権を買い入れていたため、日本人はえらい高い物をつかまされたということがありました。そんなことで、私はトランプという名前を、当時、知ったわけです。

この方のことはもう皆さんご承知だと思いますが、父親はドイツ人、母親はスコットランドの方で、白人で長老派のキリスト教徒で当年70歳。三度結婚しており、60歳のときに今の3番目の奥さんであるメラニア夫人と結婚し、その間にまだ10歳のお子さんがいます。不動産業を始めてから4回も倒産を重ね、その中から立ち上がり、大統領に当選しました。まさにアメリカンドリームを実現したのです。彼の年収は250億円です。従いまして、アメリカの有数の大金持ちの一人です。

トランプの性格は皆さんがテレビでご覧になっている通りで、格闘技・プロレスが大好きで、長老派のキリスト教徒でありながら、右の頬を打たれれば左の頬を出しなさいというような聖書の精神に大いに反し、右の頬を打たれたら倍返ししろ。相手がぶっ倒れるまでたたき尽くせと言いそうな感じで、非常に激しい性格の持ち主であるように見受けられます。大統領の就任式でも背広のボタンを外し、赤いネクタイぶら下げて肩を振って出てくるという姿を見れば、大体想像がつくと思います。しかし一方で、大変清潔好きだそうで、アメリカ人でありながら人と握手するのはあまり好きではなく、握手の後には必ず手を洗うという潔癖性でもあるようです。

トランプの頭脳はどうかといいますと、ペンシルベニア大学のウォートン・ビジネススクールの卒業生です。ビジネススクールとしては今や世界一と言われています。ハーバード大学のビジネススクールよりはるかにランクが高い世界一のビジネススクールであるウォートン校を出ていらっしゃいますので、秀才かどうかは知りませんが、相当秀れた方ではないでしょうか。就任式の演説は、皆さんお聞きになりました通り、政治に対する思想や理念の話があるわけではなく、実に現実的な商売人としての話でしたね。大変異色な方が大統領になられたわけです。

Cトランプ大統領就任演説.JPG
就任演説をするトランプ大統領


ご承知のように、アメリカの選挙は2年間にわたり激烈な闘いを繰り広げるのですが、民主党はもう絶対的にヒラリーで決まりでしたから、トランプは出る所がなく、17人の共和党の中の泡沫候補として立候補したわけです。17人の中には生粋の共和党員であるルービンや、ブッシュ前大統領の息子でフロリダの知事で実績を挙げた人などの候補を次から次へと蹴落とし、あれよあれよという間に共和党の代表になってしまったわけです。

どういうやり方かといいますと、既存の枠組みや権威ある人たち、そういうものを破壊しようと、徹底的に1人で、Twitterを唯一の武器として活動したわけです。トランプが敵にしたのは民主党だけではありません。共和党の大部分も敵に回し、しかもホワイトハウスを敵に回し、FBIを敵に回し、司法省を敵に回し、国務省を敵に回し、財務省まで敵に回したんです。いわゆる政治の中心地である首都ワシントンDCの権威というものと徹底的に闘ったのです。ですからワシントンDC特別区のトランプさんの得票率はたった4パーセントでした。これを見てもいかにすごかったかと思います。


@米国元連邦議員経験者連盟会長(筆者右)らと.JPG
元連邦議員経験者連盟の方々との夕食会では心配する声も


今や世界の大金持ち8人で世界74億人の人口の約半分、37億人と同じだといわれています。アメリカにはニューヨークの金融のセンターであるウォール街を中心にして、金儲けに狂騒する大金持ちが獲物を狙って集まっています。もちろん先ほど言いましたように、トランプも250億円の年収があるわけですからその一部ではありますが、ウォール街の金融の専門家や大財閥とも闘ってきたわけです。

彼の言動の中には、オバマ大統領、あるいはブッシュ大統領、クリントン大統領なども非常に汚い言葉で罵しってきたことは皆さんご承知のとおりです。ヒラリーとの論争におきましても、あれほど程度の低い大統領候補の論争はないといわれるような状況でした。そういう中でもっとすごいのは、テレビでいえばCNS、CBS、NBS、いわゆる日本でいえばNHKから全てのテレビ局を敵に回しました。新聞はウォール・ストリート・ジャーナル、ワシントン・ポスト、そしてニューヨーク・タイムズ、全ての主要新聞も敵に回しました。

彼は、この巨大なアメリカの近代国家を造った既存の指導者、メディア、そしてあらゆる既存勢力を敵に回し、唯一Twitterだけで、たった1人で闘ってきたと言っても過言ではありません。にもかかわらず彼は当選をしたわけで、多分、これからヒスパニックや移民の人口が増えてきますから、白人の代表が大統領になれる最後のチャンスではないかと言われており、泡沫候補が大統領になったということです。

私見ですが、既に述べたように、トランプには政治理念や理想はありません。これはオバマと正反対ですね。オバマは理想ばかりを言って現実問題としてほとんど何もやらなかったと言っても過言ではありません。最後にキューバ問題を解決したというところはありますが、私はオバマはあまり評価をいたしておりません。

トランプの政策の柱は六つの項目で、はっきりしています。TPPはやらない。NAFTA、メキシコ、そしてカナダとの貿易協定については見直すということを言っており、これが不動産屋の一つのやり方だと思うのですが、彼の優れた点はバイで、相対で勝負しようと。あまりグループでやるとうまくいかないし、そういうのは好きではないというきらいがあります。そういうことで、貿易協定を見直し、日本に対しても自動車批判が既に出てきております。

何よりも今一度、強いアメリカを作りたい。外部に出てしまった雇用をもう一度増やすために、製造業をはじめ、みんな戻ってこいと。戻ってこないと35パーセントの関税掛けるぞというブラフをかけられてあたふたとしている自動車業界は、既にご承知のとおりです。強いアメリカの中には、雇用をもっと取り戻して、特に中西部の白人の生活レベルを上げたいという、非常に強い意志を持っています。

それから外交は、力による平和ということで軍備の強化。どのように予算を組むのかは分かりませんが、軍事費を増大していくそうです。それと治安が大変悪くなってきましたので、特に黒人を中心とした地域での治安をきちんと回復したい。そして、エネルギーはシェールオイルがありますので、今まで輸入に頼っていたサウジ、あるいは中近東からの油も要らなくなってきますから、非常に強いアメリカを造りたい。

話はそれますが、東京でも今、小池知事が「都民ファースト」ということを毎日のようにおっしゃっていますが、あれはトランプの「アメリカファースト」の言葉を「都民ファースト」に言い換えているだけの話です。これは余談です。

大統領に就任した途端、何をやったかといいますと、宣誓式が終わりましてすぐ部屋に戻り、オバマ大統領が苦労した「オバマケア」、国民の2000万人が影響を受ける保険制度を廃止するというのに署名したんですね。これが彼の最初の仕事です。そうするとトランプさんってどんな人なのということになるのですが、簡単に申し上げますと、新興成金の不動産屋が、突然日本国の首相になっちゃったという感じです。

従いまして、共和党員の中にも知り合いはほとんどいない。握手したこともないという人ばかりで、どうしても身内を頼らざるを得ないという形で出てきて大統領になり、1月24日現在、まだ閣僚は2人しか決まっていません。国防長官のマティスと国土安全保障担当のジョン・ケリーのたった2人ですが、15人の閣僚が必要です。閣僚以外でもCIAやFBIの長官ですとか、いろんなポストがあります。アメリカは人口に関係なく各州から2人ずつ出てくる上院議員100人の公聴会を通らないと正式閣僚になれないので、まだ2人では片肺飛行どころの話ではございません。

そういう政治ポストが約3000人分あり、これをがらっと変えなきゃいけないわけです。閣僚はこれからの公聴会で順次決まっていき、各省庁の次官級から局長クラスが決まるのには通常で最低1年かかるのです。ですから霞が関の局長さんは、日本では約600人ぐらいといわれますが、それと関連する組織の人は全部退陣して新たな人が入ってくるという、大移動をするわけです。

特に外交官におきましては、ほとんどが「ポリティカルアポインティ」といいまして、献金が多かった人、選挙で活躍して汗をかいてくれた人、これが英国大使になり、フランス大使になるという具合で、職業外交官が一流国の大使になる可能性はありません。日本でもこの間までのケネディさんは、何の政治的な力、外交的な力はありませんでした。アメリカの一流国への大使は、ほとんど論功行賞です。

また、アメリカには100日ルールというのがありまして、100日間はハネムーン期間で、メディアは対立しないということになっておりますが、果たしてメディア側がそれを守り通すかどうかは、大統領自身のTwitterによっては変わってくるわけです。明らかにこの人は白人主義ですね。大統領就任式で周りを見渡しましたけれども、出席者はほとんど白人しかおりませんでした。閣僚名簿にも1人も黒人の名前が挙がっていないという、オバマのときとは全く状況が違う異様な大統領就任式でした。集まった人の数も違いますし、就任式後は大規模なデモがあったということも新聞を見ていただければ分かるとおりです。

B出席者はほとんどが立ち上がったまま.JPG
出席者はほとんど白人でした


従いまして、彼はそういう激しい気性の中からNAFTAやTPPを排除し、NATO・北大西洋条約も見直さなければと言っていますし、国連をどうするかということにもつながっていくわけです。果たしてどこまで持つか私には分かりませんが、非常に個性の強い現実的な政策を打ち出していくようです。

もう既にイスラエルのネタニヤフ首相がアメリカで会見をすることになっていますが、イスラエルのテルアビブにある外交団の大使館の中から、アメリカだけがエルサレムに大使館を移動するということになれば、中東は今にも増して大混乱になる可能性があります。特に長女のイヴァンカの旦那さんはユダヤ人でユダヤ教徒です。そしてホワイトハウスにも入りましたので、大変強い影響力を持っております。

ここで新たな火花が散る可能性がありますが、とにかくアメリカファーストで、アメリカが良くならなければ世界は良くならないという考えの下に、彼はディール、いわゆる取引を通じて、これからの政治をやっていこうとするわけですから、これから日本がどのように対応するか、やはり負けないようにしなければなりません。

あの大手の新聞、メディア、既存の勢力と、Twitterだけで闘って勝った男ですから、紳士的なことを言ってみたところで彼自身聞く耳を持たない。先ほどまで大統領だったオバマが、精魂込めて議会工作したにもかかわらず、難航に難航を重ねてもできずに大統領権限でやっとたどりついた「オバマケア」という制度を、ものの見事に破棄する文書に署名をしたわけですから、何が起こってもおかしくはないと思います。

そういう意味で、いろいろな人がいろいろ解説や論評をしていますが、正しく言えば、アメリカを中心に、何も分からない不確実性の時代が到来したと私は思います。イギリスはEUから脱退をしました。メルケル首相もドイツを中心とし、何とかEUの盟主としてやっていこうと努力しておりますが、右腕であったフランスがあのような状態で左翼勢力が大変強くなってきましたので、彼女自身も非常に不安定な状況下にあります。

G7の中で言えばメルケルの次に政権が長いのが安倍首相であり、世界の中で最も社会が安定している国は日本ですから、日本に対する世界の期待も強まると同時に、われわれに与えられた国際社会での使命・役割・存在というものは、ますます高いものになっていくわけです。もちろん、国内的にはさまざまな社会課題を抱えてはいますが、世界的に見れば、これだけ安定して豊かな国は世界にはありません。

それぞれの国が社会不安を起こす理由の一つは、民族対立と宗教上の対立です。私は今、ミャンマーの国民和解の政府代表として、懸命に政府と小数民族武装勢力との和平に心血を注いでいます。ノーベル平和賞をもらったスーチー女史が、アメリカでは聖女のごとく取り扱われ、イギリスの国会で演説もして、ここでも聖女のごとく取り扱われてきました。にもかかわらず、仏教国ミャンマーにおいて、イスラム教であるロヒンギャという非常に限られた地域の問題の対応を巡っての国際批判と彼女に対する落胆は、ノーベル平和賞受賞者たちがこぞって国連安全保障理事会にロヒンギャ問題の解決という抗議文を出したことからも分かりますように、世界からあれだけ評価された女性が、ちょっと言い過ぎになりますが、一夜にして評価が変わりつつあり、懸命に努力はされているのですが、具体的な成果を出せない状況にあります。政治とは難しいものですね。

かつて日本の古い政治家の川島正次郎という人が、政治の世界は「一寸先が闇」だという名言を吐いています。トランプがどこまでもつのかはこの100日間で大体決まります。しかしながら、少なくとも4年間はやれるわけで、日本がどのように対応するかは、先ほど申し上げたように、一喜一憂しないことです。とかく日本の識者といわれる方々、新聞記事を書いている皆さま方、そして学者・文化人と称する人たちは、常に悲観主義に立った日本しか論じないのです。しかし世界から見れば、これほど豊かで平和な、いわゆる先ほど言いました宗教対立がない、民族対立もない、政治的にも安定した国は世界ではまれなのです。従いまして、我々はきちんと世界に対応できる社会であり、政治状況も安定をしており、そういう意味で内向き思考ではなくて、もっともっと自信を持つ必要があります。世界になくてはならない日本という存在は、特に東南アジアを中心にして急速に評価を高めています。にもかかわらず、私たちが自信を持てないことの落差は残念でなりません。

戦後70年が経ちました。かつての国連、国際連盟というものが最初、アメリカのウィルソン大統領によってつくられましたが、その国際連盟において、「人種差別撤廃法案」というものを最初に出したのはどこの国でしょうか。あの当時、世界で初めて人種差別撤廃を提案したのは日本政府で、言ったのは新渡戸稲造です。国際連盟の事務次長までして『武士道』という本を書かれた方です。現在、人種差別がいけないとか何とか、世界中で言っておりますが、最初に国際社会に発案したのは日本です。そして、その法案を否決したのは議長であるアメリカのウィルソン大統領で、同数になり提案を無視して破棄してしまったわけです。

そういうことで、日本は伝統的にも歴史的にも、国際社会の中できちんとした位置付けができる優れた国であるということに私たち一人一人が自信を持ち、そして素晴らしい日本国を造り上げたことで、既に世界の中で尊敬される国になっているわけです。そこを知識人やメディアのコメンテーターと称する人たちを含めまして、全く分からずに発言をしているということは、私たち日本国民の方向性を誤るだけではなくて、子どもたちに対しても良い影響を与えないのではないかと憂慮しております。

日々の報道によって一喜一憂することはありせん。日本国は世界から素晴らしい評価の対象になっています。別に私は安倍首相を持ち上げるつもりはありませんが、世界中を飛び回って、非常に高い評価を受けているのが分かります。個々の事例を見て、井戸の底から世界を見るのではなく、やはり鳥のごとく、1度空に舞い上がって世界を俯瞰してみれば、長い歴史と文化によって培われた日本という国がいかに素晴らしいものであるかということは理解できるのではないでしょうか。

どうぞ皆さま方におかれましては、日米関係も含め、イギリスのEU離脱、あるいはNATOの崩壊ということもあるかも分かりませんが、わが日本国はそういう国際的な評価の中でこれから生きていくので、一喜一憂せずに、自信を持ってじっくりと構えて、それぞれの与えられた分野の仕事をしようではありませんか。

最後に、日本財団はモータボート競走の収益金によって運営されておりますが、日本はもとより、世界中のさまざまな課題に対処をして活動しています。昨今、社会課題が非常に複雑・多様化してきております。特に子どもの貧困問題について関西地区での私たちの聞き取り調査によりますと、「君、将来何になるんだい。何になりたい」と聞くと、「うちはおじいちゃんもお父さんも生活保護でやってきたから、僕も生活保護でいくんだ」という答えが返ってくる。実話ですよ、これ。世界中回って子どもたちに聞けば、お医者さんになりたい、看護師さんになりたい、あるいは学校の先生になりたいという答えが必ず返ってくるのですが、僕、何になるか分からないという答え。これはやっぱり私たちに与えられた大きな責任ではないでしょうか。

次代を背負う子どもたちのためにご尽力をいただいている皆さん方です。どうか、日本財団はそういう貧困の家庭の子どもだけに特定はせず、第3の子どもの居場所づくりというものを作っていこうと思っています。私の子どもの時分には、学校から帰ればかばんをおっ放り出し、お米屋さんの前ですとか、炭屋さんの前に行けば必ず5、6人の子どもたちがいて、上は中学生から下は幼稚園児ぐらいが集まっていろいろな遊びをし、その中で「長幼の序」ありを自然に覚えたものです。現代はそういう仕組みがなくなって横社会といいますか、学校でも学習塾でも同学年との付き合いはあるが、学校から家へ帰るとスマホしかしないのです。

第3の居場所づくりを、これから全国的にやっていきます。そこには鉄棒もあれば縄跳びもできる。あるいは跳び箱もあり跳び方も教えてくれる。将棋も教える。そして時間があれば勉強もしてもらう。場合によってはおなかが空いたら食事の世話もすると。そして子どもたちだけじゃなく、年を重ねた大人も参加し、食事作りや昔話を聞かせてたり、工作の仕方を教えてくれたりもする。定年後、家庭にだけいては夫婦の間がぎすぎすしたものになります。老人も、老人っていうと失礼ですけれども、活動できる元気な人たちが、子どもたちと一緒に新しいコミュニティーをつくっていかないといけないのではないかということで、日本財団は「第3の居場所づくり」を全国展開していきます。

皆さまの所でそういうご要望がございましたら、われわれは喜んでお伺いいたします。とにかくすぐ仕事をするのが日本財団のポリシーです。難病を抱える子どもたちの施設を造るのも大々的にやっておりますし、皆さん方の地域で抱えている社会課題がございましたら、ぜひお声を掛けていただき、皆さん方と共に明るい未来を子どもたちに伝えていく責任が私たちにはあるのではないかと思います。共に汗をかいて仕事をさせていただきたいと思っておりますので、遠慮なく日本財団をご活用ください。ご清聴ありがとうございました。

訂正
トランプ大統領はウォールトンのビジネススクール出身と書きましたが、ウォールトンスクール(経営学部)出身の誤りでした。訂正させていただきます。
「国際連合人間居住計画」―障害者と都市開発― [2016年11月11日(Fri)]
「国際連合人間居住計画」
―障害者と都市開発―


20年振りに開催される国連機関「HabitatIII」でスピーチをするため、南米エクアドルの首都キトを訪れた。

国連機関の膨張化、肥大化に歯止めをかけてスリム化すべしが私の持論だ。既に存在意義を失った感のある20年振りに開催される「HabitatIII」に参加することは一見矛盾するが、日本財団が2020年のパラリンピック開催に向け、そのレガシーとして、日常、障害者も健常者もバリアーのない生活ができる社会の実現こそ理想と考え、又、この理想を世界に普及させたいと、国連を中心に機会あるごとに障害者問題について発言・活動してきたからだ。

仮設の会場は立ち見の観客も含めて約200名ほどで、その場での発言の効果はあまり期待できるものではなかったが、私の発言内容が国連のウェブサイトにアップされることで、ともすれば国際社会での日本の発言力が弱いといわれる中で、ささやかでも一助になればとの考えで招待に応じ、スピーチをしたわけである。

エクアドルには、20年前にガラパゴス諸島へ監視船を提供するために動物博士のムツゴロウさんと共に訪れて以来であった。今回は滞在中にGonzalo Gonzalez(ゴンザロ・ゴンザレス)・ハンセン病病院訪問療養所を訪れることができた。患者の方々の危惧は、病のために故郷を追われてここに住みついて30〜40年。回復者にとって唯一の安住のこの場所が、病気の減少によって立ち退きが現実化するのではとの恐怖心であった。

ムツゴロウさんと.png
1996年2月4日、監視船寄贈式にはムツゴロウさんも出席してくださった


私の活動は、ハンセン病の制圧から回復者の偏見差別の撤廃活動、更に世界中の回復者がかかえる深刻な問題、例えば不法居住による立ち退き問題、年金問題、差別を受ける子供たちへの教育問題等々、多岐複雑になってきた。1人でも1ヵ所でも多く、問題の解決へ協力することが私の人生活動になってきた。

話は変わるが、アフリカ・ガーナで死去した黄熱病の病原体を発見した野口英世博士は、当初、黄熱病が大流行していたご当地エクアドルにロックフェラー財団から派遣されて病原体の特定に成功。野口ワクチンにより南米での黄熱病は収束したといわれている。エクアドルには野口英世を称えるため野口小学校や野口通りもあるらしく立派な銅像もあったが、近年、銅の値上がりの中で盗難にあい、台座だけが残されているとのことで、残念なことである。

******************

国際連合人間居住計画IIIハイレベル会合
障害者インクルージョンとアクセシブルな都市開発


2016年10月17日
於:エクアドル・キト


11.JPG
「HabitatIII」でスピーチ


ウー・ホンボ事務次長(国連経済社会局、The United Nations Department of Economic and Social Affairs :UNDESA)、エクアドル政府ならびに国連経済社会局の皆さま、本日はお招きいただき心より感謝申し上げます。

本日は、世界の都市開発の観点から障害者インクルージョンとアクセシビリティについて議論されるこのフォーラムにおいて、皆さまの前でお話させていただけることを光栄に思います。

Habitat IIIの会議テーマでもいくつか取り上げられております通り、災害時のリスクマネジメントがあってこそ、都市開発は成立します。我々の生活と安全は災害時には危機にさらされるということから、都市計画において障害者の声が反映されることは不可欠です。しかし、残念なことに、この考え方は、国際レベルにおける災害リスクの軽減施策に未だに反映されていない状況です。

昨年、私が第3回仙台国連防災世界会議で障害者インクルージョンに関する提案をした理由について、これからお話しさせていただきます。

多くの皆さまはご記憶に新しいかもしれませんが、日本の東北地方は5年前、大震災と津波の被害に見舞われ、多くの尊い命が失われました。そして、障害者の死亡率は犠牲者全体の死亡率の少なくとも2倍にも上っていたという調査があります。また、この調査では、障害者の死亡率が高かった要因の1つとして、これまで災害リスクの軽減施策の策定や実施に障害者が参加していなかったことを指摘されました。私は、多くの人が犠牲となってしまったことに心を痛めると同時に、今なお、障害者が重要なステークホルダーとみなされていないこの状況を変える必要があると痛感しました。

災害が発生した時、障害のある人々は、他の人々より被害の影響を受けやすい傾向にあります。実際、どのようにすればこのようなリスクを可能な限り軽減することができるか議論されてきましたが、障害者が主たるステークホルダーとして議論の中心におらず、多くの場合は単にオブザーバーとして参加しているだけだったと思います。

私は、彼らのニーズを満たし、インクルージョンと平等なアクセスを実現するために、災害リスクマネジメントにおける障害者の参加の重要性を強調してきました。私は、この経験に基づき、昨年の仙台国連会議の準備過程で、国連機関や各国政府、NGOなどに対し、障害者の主体的な参加の重要性を訴えてきました。

細心の注意を払って計画を立てた結果、街や会場の中を自由にアクセスできるようになり、多くの障害者がこの会議に参加し、彼らが意見を述べたことで、彼らの声を「仙台防災枠組」という成果文書に反映させることにつながりました。私は仙台において、非常に大きな進歩を遂げたことを実感しました。

災害リスクの軽減や都市開発だけではなく、国家政策や国際システムにおいて障害者が意思決定に参加することが大変重要です。障害者が参加できず、彼らの意見が大多数の人たちの声にかき消されることが積み重なると、インクルーシブではなく、アクセシブルでもない社会をつくり出してしまうかもしれません。

私は、将来、障害者が意思決定の場に参加することが当たり前となるためには、HABITATVのような会議が重要な役割を果たすのではないかと感じています。

インクルージョンを実現するため、日本財団は、このフォーラムに参加できない方々のために、情報通信技術(Information Communication Technology:ICT)を使った遠隔からの参加(Remote Participation)を支援しています。私たちは、多くの国際会議において、このような取り組みがなされることを期待しています。

さらに、日本財団は、現代のテクノロジーを使った新たな革新的なプロジェクトに取り組んでいます。私たちは、「Bmaps」というスマートフォンのアプリケーションを本日ご参加の垣内氏と共に開発中です。その内容は、彼が水曜日のステークホルダー円卓会議で発表する予定です。

「Bmaps」は、公共交通機関、宿泊施設、飲食店、ショッピングモールなど都市のバリアフリー情報を障害者に提供します。「Bmaps」から得た情報を活用することによって、アクセシビリティが高いところに人が集まるようになり、その結果、その周辺がよりアクセシブルになるかもしれません。本日、この後、「Bmaps」のより詳しい説明が予定されています。

現在、世界では持続可能な目標としての障害者インクルージョンへの関心がこれまでにないほど高まっています。しかし、関心や議論だけで終わってしまっては、本当の意味での障害者インクルージョンは実現しません。刻一刻と変化する世界の中で、今こそ、すべての人々が障害者インクルージョンのために一丸となって行動すべき時です。

その一環として、現在、まだ限られた人数の障害者リーダーをさらに増やすために、日本財団は世界銀行と共に障害者ビジネスリーダー国際会議の開催を計画しています。

本日、私は障害者インクルージョンについてお話してきました。私は人々のニーズは、一人ひとりが暮らす環境の数だけあり、実に多様であると感じています。例えば、日本は世界の中で最も急速に高齢化が進んでいます。もし今、立ち止まって、それぞれの方々がどのようなことを必要としているか考えなければ、障害者だけではなく、私のような高齢者やその他の特別な配慮が必要な方にとって、大変暮らしにくい環境になってしまうでしょう。

最後になりますが、このセッションへ参加させていただいたことは、私にとって大変貴重な経験です。いつの日か、障害者インクルージョンについて議論する特別なプログラムを設ける必要がなくなることを期待しています。

ありがとうございました。

「海に水がない地形とは」―海底地形図― [2016年10月03日(Mon)]
「海に水がない地形とは」
―海底地形図―


海底地形図とは、何かの理由で地球の海水がまったくなくなったと仮定するとどんな地形なのかを調べて作成した地図です。地味な仕事ですが、日本財団はこのプロジェクトを2004年より支援し、世界で34カ国72名の研究者を養成してきました。

今回の国際会議は、海の未知を知りたいと努力されたモナコのアルベール二世(アメリカの女優・グレース・ケリーの息子)の祖祖父・アルベール一世大公を偲んでモナコの海洋博物館で行われました。世界各地からこの道の専門家が多数参加。海に関連する多くの団体の幹部も出席し、盛会でした。

アルベール2世モナコ大公にフォーラムにご出席.jpg
アルベール二世大公殿下と


下記の私のスピーチをお読み下されば、「海底地形図」の重要性をご理解いただけると思います。

******************

The Nippon Foundation-GEBCO Forum for Future Ocean Floor Mapping


2016年6月15日
モナコ海洋博物館


アルベール二世大公殿下、ご臨席の皆様、
GEBCO(General Bathymetric Chart of the Oceans)とモナコ公国との繋がりは、アルベール一世殿下(Prince Albert the First)が海底地形図の必要性を提唱され、地形図の作成を始められた20世紀初頭まで遡ります。皆さまご存知のとおり、彼は現代海洋学の父であり、本日このフォーラムにご臨席いただいている殿下の祖祖父にあたります。彼のご遺志を引き継ぎ、GEBCOに多大な支援をしてくださっている殿下にご出席いただけたことを光栄に存じます。

現在の世界の海は、当時とは比べものにならないほどその環境を悪化させています。気候変動、海洋汚染、海洋生物多様性の喪失等の問題は関連しあい、影響を及ぼしあっています。それぞれの課題を切り離して対応することはできません。

これらの問題に対処するための基礎的なデータとして、海底地形情報は非常に重要です。しかし、深海も含め実際の測量データは限られており、まだ15%しか海底地形の全容は分かっていません。何と、クック船長の時代の測量データが未だに使われている海域もあるのです。皮肉にも、私たちは頭上約7,500万kmにある火星の表面のことを、海底の地形より把握しているのです。(!)

海底の状態が分からなければ、天然資源の分布も分からないし、安全な航路の設定もできません。したがって、人類に迫る海洋の危機的状況に対して、海底地形情報の精度を上げることは「海の持続可能な開発」を進める上で不可欠です。そして、この課題に対してGEBCOが果たせる役割は大きいと私は考えています。

日本財団は2004年より、GEBCOとともにフェローシップ事業を展開し、これまでに33ヶ国の72名を育成してきました。彼らの多くは、修了後に自国に戻った後も、今後自分がGEBCOにどのような貢献ができるかについて議論をしてくれています。

しかし、現時点ではアルムナイの交流は主に自主性に委ねられ、帰国後の職務の関係でこのような議論の場に参加できないフェローもいます。彼らはプログラムを通じて卓越した知識と技術を身につけています。海底地形図の解明のために貴重な人材である彼らが継続的に連携を図れず、その能力を最大限に発揮できていないとしたら、海の未来にとっても大きな損失なのではないかと思います。今後、アルムナイたちが力を合わせて新たな挑戦に取り組むためには、しっかりとした組織(プラットフォーム)が必要なのではないでしょうか。

大公殿下、ご臨席の皆様、
本日ここに、フェローシップ・プログラムを修了した全てのアルムナイのための「日本財団-GEBCOアルムナイ連合」の設立を提唱したいと思います。

この組織(プラットフォーム)が可能にすることは次の3つです。
1つ目は、現在、海底地形図作りに加わっていない沿岸国の参画を、フェローの知見を結集して後押しできるということです。

2つ目は、他分野と連携したスキルアップ研修の実施です。このような研修は彼らのキャリア開発を大きく支援するでしょう。

そして3つ目は、GEBCOの活動をより多くの方々に分かりやすく伝えていく活動です。

今日ここに集まってくれたアルムナイの皆さんには、ぜひこの組織(プラットフォーム)を最大限に活用してこれからのGEBCO、そして世界の海の未来を牽引していって欲しいと思います。

大公殿下、ご臨席の皆様、
この場を借りて、もう一つお話ししたいことがあります。
現代社会では、技術の発展が、目に見える形で世の中をがらりと変えてしまいました。例えばタブレットやスマートフォンで、誰もが簡単に最新の衛星画像を目にすることができます。情報技術と様々な分野の連携によって、これからも世の中は変化し続けていくことでしょう。

そんな時代の中で、高度に専門的な海洋の情報と技術が結集しているGEBCOにも、新しい役割が求められています。海洋の情報インフラの基礎となる海底地形情報は現在、様々なユーザーたちによって利用されています。しかし、情報を求めるすべてのユーザーにとって使いやすく、連携しやすい仕組みができているとは言えないのではないでしょうか。

さらに、多様なステークホルダーの全てが、GEBCOの存在や貴重な海底地形情報が得られることを知っているわけではありません。

今日、この会場には、卓越した技術や経験を持つ皆さまが結集しています。水産業、情報技術、鉱物資源の開発や探査、海事産業など、あらゆる分野のスペシャリスト、そして関係する科学者や国際機関、政府関係者の方々が集まってくださっています。

私は、分野を超えた連携を行うことで、世界の海の管理と保全を進める上での新たな可能性を広げられると思います。異なる技術が組み合うことが複雑な海の問題解決のためのイノベーションに繋がるかも知れません。

そのためには、GEBCOには、よりユーザーの目線に立った情報の共有を行うとともに、今までに連携することのなかったセクターとの交流を深めていってもらいたいと思います。またGEBCOデータが所有する貴重な海底地形の知見が、他分野に応用される大きな可能性を秘めていることを知ってもらうために、積極的なアウトリーチが必要だと思います。

日本財団は、常に海に関する人類の課題に対して、新たなチャレンジをしていく組織でありたいと願っています。私たちはGEBCOと共同で、未だに15 %程度しか解明されていない世界の海底地形の全容を、2030年までに100 %解明することを目指したいと思います。この目標を達成することは簡単ではありませんが、皆さまのご協力をいただければ、実現に近づけられると私は思います。

このプロジェクト(計画)は、100年以上前にアルベール一世大公が抱かれた、海の未知のフロンティアを知りたいという夢を具現化するものです。一世紀以上も前から将来の人類と地球を見据え、海底地形を明らかにするという大変重要なイニシアティブをとられたアルベール一世大公の素晴らしい先見の明、そしてそれを継承され、世界の海洋のためにご尽力されているアルベール二世殿下のパッション(情熱)を、私たちは具現化し、豊かで持続可能な海を後々の世代に引き継いでいきたいと思います。
ありがとうございました。
「視覚障害者世界大会」 [2016年09月28日(Wed)]
「視覚障害者世界大会」


世界盲人連合と国際視覚障害者教育協議会との初めての合同総会が8月22日、フロリダ州のオーランドで開催され、世界盲人連合の会長である英国貴族院のコリン・マーケンジー・ロウ卿からのお誘いを受け、スピーチの機会を得た。

ロウ卿は、1942年にスコットランドのエディンバラで生まれ、3歳で全盲となられた。世界盲人連合の会長として盲人を含む障害者の権利について積極的に活動され、特に盲人の教育分野では、テクノロジーを利用して晴眼の生徒と同じ学校で学べる野心的な活動をモーリシャスとバングラディシュでパイロット事業として開始するために努力をされておられる。

今回、過去30年におよぶ日本財団の視覚障害者に対する教育支援の実績から、インクルーシブな社会の実現に向けて話をするようにとの要請があった。

フロリダではこの会議の2ヶ月前に米国史上最悪の銃撃事件が発生し49人が死亡、53人が負傷した事件があり、世界から参集する参加者に影響はないか心配していたが、128ヵ国841名の参加者は、白杖一本を頼りに開催場所のローゼンセンターホテルに集合。無用の危惧であったことに、内心胸をなでおろした。

C128カ国から約841人もの関係者が集った.JPG
128カ国から約841人もの関係者が集った


数十匹の盲導犬も主人を助けるために忠実に活動していた。盲導犬は他の盲導犬がいても興味を示さず、鳴き声を出すこともなく主人の傍に長時間、身動き一つせず座っているのには、大いに感心させられるだけでなく、深い感動すら覚えたものである。

G会場のあちこちで盲導犬を見かける.JPG
会場のあちこちに静かに主人を待つ盲導犬が


日本の盲導犬の育成には、日本財団でも1974年から取り組んできた。効率的な運営で1頭でも多く提供したいと願い9法人の大同団結を試みたが、力不足で失敗に終わった。その間の盲導犬育成団体への支援金総額は2億7432万9000円であった。平成11年には有識者による「盲導犬に関する調査」の報告書を発行しているので、ご興味のある方は日本財団に請求してください。その後、アイメイト協会を除く8グループが全国盲導犬施設連合会を結成し、一人でも多くの盲人に盲導犬を提供するために活動されている。しかし今もまだ需要を100%満足させるまでには至っていない。

話が逸れたが、ホテルの中は日本より少し長い白杖を頼りに大胆に大股で歩く人、弱視の方を先頭に4〜5人が前の人の肩に手を置いてグループで歩く人たちが行き交っていたが、お互いがぶつからないのが不思議であった。食堂はビュッフェスタイルだったが、ホテルの従業員のサービスは秀れており、白杖の方が入って来ると手を取ってテーブルに案内し、メニューを説明して盲人の注文通りの料理を皿にとってテーブルに並べるのである。驚いたことに、盲人はまるで晴眼者のようにきれいに食べる。筆者よりも美しく食事をする姿に、思わず姿勢を正してしまった。

11.JPG
ホテル内を長い白杖を頼りに大股で歩く人々


世界各地から複雑な経路を辿って集まってきた盲人たちの姿を見ると、各国の指導者として、幾多の困難を乗り越え時代を担う若者の盲人のためにより良い環境を作りたいとの情熱には、正直なところ、頭(こうべ)をたれるより方法がなかった。

旧知の全盲の堀内よしみさんは、タイ・チェンマイから100kmも離れた所から来たそうで、「舗装道路もなく、雨季にはドロ道で足を取られて大変よ!!」と、元気一杯である。彼女はそこで移動図書館を含む二つの図書館や子供たちに読み書きや計算を教える教育センターを運営している。タイ語、英語はネイティブといわれるほど素晴らしく、いつも笑顔で快活である。彼女の強靭な精神力はどのように身につけたのだろうか。筆者は彼女に逢うたびに己の努力の足りなさに反省させられる。「そろそろ日本に帰って活躍されては」と水を向けると「四国の母はもう諦めていますから心配要りません」と、ケラケラと快活に大きく口を開いて笑った。障害者支援を目的の一つにしている日本財団ではあるが、いつも障害者の方々に教えられ、励まされることが多い。

Cと.JPG
タイで移動図書館を運営する堀内氏


以下は筆者のスピーチです。

*****************


2016年8月22日
米国フロリダ州オークランド


@.JPG
開会式にてスピーチ


皆さま、おはようございます。この度は世界盲人連合(World Blind Union: WBU)および国際視覚障害者教育協議会(International Council for Education of People with Visual Impairment :ICEVI)の合同会議にお招きいただき光栄です。ロウ卿、 ホルト会長をはじめ主催者の皆さま、本日お集まりの皆さまの前でお話しする機会をいただいたことを心より嬉しく思います。

これから数日に亘り、WBUとICEVIはそれぞれの経験を共有し合い、重要な課題について議論されると伺っています。この機会に、日本財団の活動をご紹介させていただけることを感謝いたします。

私が会長を務める日本財団は、日本の民間非営利組織です。私たちは設立以来50年以上に亘り、日本国内だけでなく世界中で活動を行っております。

私たちのビジョンは、多様性を尊重し、誰もが積極的な役割を果たすことができるインクルーシブな社会を実現することです。そのために様々なプロジェクトを行っています。その中で私は、特に開発途上国で、多くの子どもや若者たちが様々な理由で、適切な教育を受けられないでいる状況を目の当たりにしてきました。障害があることを理由に、適切な教育を受けられないでいる人たちもいます。私たちの目標は、そのような若者たちに教育へのアクセスを提供することです。

日本財団が最初に視覚障害者に対する教育支援を始めたのは、1980年代、米国にあるオーバーブルック盲学校に基金を設置したことがきっかけでした。この基金を通じて、視覚障害者の高等教育推進の重要性を力強く説いていらっしゃるラリー・キャンベル博士とお仕事をさせていただくようになりました。

当時、視覚障害者の教育支援は、特に東南アジアの開発途上国において、高等教育よりも初等・中等教育支援に集中していました。

私たちは、ラリーとの議論の中で、この初等・中等教育に加え、高等教育への支援も必要とされる時期に来たと合意しました。こうして、1990年代後半から、ICEVIとの高等教育支援プロジェクトが始まったのです。

日本財団とICEVIの共同プロジェクトは、ASEAN地域の6カ国で、視覚障害のある若者に高等教育を受ける機会を提供するものです。これまで1,500人を超える学生たちに高等教育機関で学ぶ機会を提供してきました。

そこで、このプロジェクトがどのように実施されているかご紹介させてください。まず、私たちは大学に対して、視覚障害のある学生を受け入れることへの理解を促します。また、彼らに視覚障害のある学生のニーズを受け入れる体制を整えていただくように働きかけます。具体的には、彼らが入学試験を受験する際の配慮、入学後に勉学に集中できるようにするための適切な支援を提案します。

ここで重要なことは、教職員側の理解を得ることです。また、学生側も、授業を理解するのに必要なスキルを身に付ける必要があります。この点を考慮し、このプロジェクトでは、サポートセンターを設置し、教職員と学生双方に対して必要なワークショップやトレーニングを実施しています。教職員と学生はサポートセンターに気軽に立ち寄り、アドバイスを受けることができます。

近年、私たちは、学生が卒業後、彼らのキャリア形成を助けるための就職支援にも力を入れています。ご存知の通り、ICEVIはこの分野に尽力しています。私たちは、多くの学生が仕事を見つけたとの報告を受け、大変嬉しく思っております。

いくつかの国において、私たちは教育省と連携し、視覚障害学生が高等教育を受けるための政策づくりにも関わっています。こうした活動が実を結び、視覚障害学生の高等教育への進学率と就職率が大きく改善しました。

このような変化がもたらされたのは、彼らを勇気づけた先生や家族のサポートに加え、彼らが高い向上心を持ち、自らの能力を信じていたからだと思います。

私たちは、彼らの人生に変化をもたらしたいという思いでこのプロジェクトをはじめました。そして、私たちが目指していた方向に近づいてきていることは、大変喜ばしいことです。

本日の午後のワークショップでは、このプロジェクトに参加したカンボジア、ベトナム、ミャンマー、ラオス、日本の5カ国の人たちが、それぞれの経験を語ってくれることになっています。彼らは、後に続く若者たちが自信を持って、自分の潜在的な能力を発揮し、目標を達成できるよう働きかけることができるロール・モデルであるといえます。

ここまでICEVIと日本財団が実施してきたプロジェクトについてお話してきました。ここでもう1つ、日本財団が取り組んでいる障害者の方々の生命に関わる重要なテーマについてお話させてください。

皆さまは、5年前に日本を襲った東日本大震災と津波の災害のことを覚えていらっしゃるかもしれません。この時、多くの尊い命が失われましたが、残念なことに、障害者の死亡率は犠牲者全体の死亡率の約2倍にも上っていたことがその後の調査で判明しました。障害者に多くの犠牲者が出てしまった要因の1つとして、これまで防災計画の策定や実施に障害当事者が参加していなかったことが挙げられます。

2015年、被災地である仙台で第3回国連防災会議が開催されました。私は、この会議には、障害者が参加することの必要性を痛感しました。なぜなら、防災計画を考える上で、障害者の防災計画を当事者の視点を含めて考えることは非常に重要なことだからです。

それまで、国連が開催する防災会議では、障害者は重要なステークホルダーとして参加できませんでした。この震災後、私は、彼らがこの会議で発言力を持って議論に参加できるよう国連に提案をしました。日本財団は、視覚・聴覚障害者や車椅子利用者たちが会議に参加しやすくなるようなアクセシビリティを確保するための支援を行いました。

こうして、多くの障害者の方々がこの会議に参加し、重要な役割を果たすという画期的な結果につながりました。

私は、政策策定の場において彼らが声をあげ、彼らの個別のニーズを伝えることが重要だと考えています。このことは、よりインクルーシブな社会の実現のための一歩となるでしょう。

本日は、本会議のセッションやワークショップでの活発な議論を通して、皆さまの活動について、より多くの学びを得ることを楽しみにしています。

この素晴らしい機会をくださったロウ卿、ホルトさんにあらためて感謝申し上げます。そして、長年の友人であるラリーさんはじめ、私たちのプロジェクトに参加してくださった全ての皆さまに御礼を申し上げます。

ありがとうございました。
「アフリカ開発会議」その2―笹川アフリカ協会― [2016年09月14日(Wed)]
「アフリカ開発会議」その2
―笹川アフリカ協会―


ケニアでの日本政府主催の第6回アフリカ開発会議開催中に、同じ会場で「笹川アフリカ協会設立30周年記念シンポジウム」を開催した。

超ご多忙の中、安倍総理の祝辞スピーチ、アフリカ開発銀行のアデシナ総裁の30分にわたる基調講演、今年92歳になられるジミー・カーター元アメリカ大統領からも書簡をいただき、関係者一同、次の30年に向かって決意を新たにしたところである。

概略を説明したい。
1984年、エチオピアを中心に大規模な飢饉が発生した。日本財団はロンドンで食料を調達して緊急支援を行った。しかしこれは臨時的な処置で、「魚を与えるより、釣り方を教えよ」との考えから、ジミー・カーター元アメリカ大統領、インド・パキスタンでの食料増産でノーベル平和賞を受賞されたノーマン・ボーローグ博士、そして笹川良一と私は、ジュネーブでアフリカの農業支援について斯界の専門家に集まっていただき議論した。
 
侃侃諤諤(かんかんがくがく―遠慮することなく議論すること)の議論は結論が出ず、痺れを切らした笹川良一は、「百の議論も必要だが、困っている農民ために一日も早く実行することが大切ではないか」と発言。衆議一決、早速行動することになった。

カーター元大統領が調達した航空機で、スーダン、タンザニア、ザンビア、ガーナの4ヵ国を、確か数日間で訪問した。アメリカがリビアのカダフィー国家元首を暗殺するために首都トリポリをピンポイント攻撃した直後だったので、ロンドンからの我々の航空機は危険回避のために航空機番号を変更し、6人の機関銃を装備した大統領の警護官と共に地中海を横断した。この緊張した旅は、今は懐かしい思い出である。

ガーナでは、我々の到着の1週間前にアメリカCIAが7〜8人逮捕されて反米感情が高まる中でのジェリー・ローリングス大統領との会談となった。海岸べりの小さな城の三階の会見場で、迷彩服に長靴、サングラス姿で我々を威嚇するように足を組んで座る大統領の前のテーブルには、一冊の武器についての専門雑誌があるだけで、一輪の花も一枚の絵画もなく、誠に殺風景な国家元首との会談場所であった。

ローリングス大統領は、待っていましたとばかりに事前に準備をしていたテレビカメラを前に反米演説を始めた。しばらくの間、通訳を通じて話を聞いていた父・笹川良一は突然立ち上がり、「私たちは君を助けに来たのではない。貧しい農民たちが生活に困難を極めているから助けに来たのだ!! 勘違いするな!!」と大声で叫んだ。

驚いたローリングス大統領は足組をやめ、サングラスをはずしてしげしげと父を見た後、「折角だから昼食を共にしたい」と予定外の発言となり、テレビカメラの前のアジ演説はどこえやら、穏やかな昼食会となった。

ローリングス主催 昼食会.png
急遽設定された昼食会はなごやかな雰囲気で・・・
右端、サングラスをかけたローリングス大統領


後日、ローリングス氏は私と面談した際、「あの時は父親に叱られたような気持ちだった」と述懐していた。彼はガーナの地方豪族の女性と英国人との混血の子で、大統領になったので英国にいる父親に面談に行ったところ、拒否された悲しい過去を持っていたのだった。今も機会あるごとに旧交を温めている。

もう一つのエピソードは、笹川アフリカ協会の常務理事・宮本正顕とジェトロ・アジア経済研究所の平野克己理事の二人は、笹川アフリカ協会創業当時、ローリングス夫人の信頼を得ていたことから、何と!大統領夫妻の寝室に入り電気器具の修理をしたのである。世界広しといえども、大統領夫妻の寝室に外国人が入った例はあるまい。万一、ローリングスが突然帰宅したら、二人は間違いなく理由の如何を問わず射殺されていただろうと話題にすると、二人とも首をすくめて「その話は内密に」と言うのが常であった。

ある年、農民の収穫祭にローリングス大統領、カーター元大統領、ノーマン・ボーローグ博士、それに父と私が参加したことがある。ローリングス大統領はカーター元大統領を前に、「アメリカは愚かな大統領を失った。しかし、世界は素晴らしいアメリカの元大統領を得た」と演説したものである。温厚なカーター元大統領は、ただだまって苦笑いされていた。

以下は、笹川アフリカ協会設立30周年の安倍総理のスピーチと私のスピーチ要旨です。

*********************


2016年8月27日
於:ケニア・ナイロビ


笹川陽平会長、本日はお招きいただきまして、心より光栄に存じます。
アフリカ諸国の多くが農業振興に力を注ぐ今日、振り返って、SAA(笹川アフリカ協会)が示した先駆性、努力には、誠に偉大なものがあったと思います。

アフリカではかつて、単一作物を輸出用につくることが、すなわち農業だという理解が、ごく普通だったという風に承知をしております。それに対しSAAは、農業を強くしてこそ民生は安定すると、早くから説いてこられました。 ロープを畑に張り渡し、真っ直ぐな線をつくって種をまく、そんなやり方を広める実践から始められたそうですね。

今までに18か国で活動され、本年30周年を迎えられました。心よりお祝いを申し上げますとともに、ルース・オニヤンゴ教授には、SAAを率いてこられた御尽力に、日本国民を代表して、深く敬意を表します。

創設者の笹川良一先代会長は、きっとアフリカのどこかで、草葉の陰で、目を細めておられることでしょう。存命なら102歳になっていたはずの「緑の革命」の父、ノーマン・ボーローグ博士も、先代会長と肩を叩きあって、本日の集まりを見ておいでかもしれないと思います。

1980年代に、アフリカを襲った飢饉の悲惨さは、私の瞼に焼きついています。 当時87歳だった先代会長、72歳だったボーローグ博士が、惨状を見て、矢も楯もたまらず動き出しました。2人の先達にあった、世の人の不幸を、我が事と思う感性の瑞々しさに、私は、胸打たれるものを覚えます。しかも笹川現会長や、オニヤンゴ教授が、仕事を引き継ぎ、充実に次ぐ充実を行い、活動にあたられてこられました。

農民一人ひとりを強くし、賢くして、自立させること。種を植えてから市場に適正な価格で売るまで、一つながりの「バリュー・チェーン」を育てなければならないこと。政府を巻き込み、専門家の教育を進めることが、同時に必要だということ。一貫してそれらの大切さを説き、実行されたのが、SAAの活動でありました。あたかもそれは、TICAD本年のモチーフ「クオリティ・アンド・エンパワーメント」を20年以上先取りし、実地に移されていたのだと思います。畏敬の念を深くいたします。

「あらゆる新技術は、すべて農民の手に」と言って、ボーローグ博士は息を引き取られたと伺っております。その言葉に忠実に、今もエチオピア、マリ、ナイジェリア、そしてウガンダで続けておられるSAAの御努力。「未来に食を」の営みがさらなる実を結び、花を開かせることを信じて疑いません。

皆様の今までの活動に改めて敬意を表し、そして皆様の活動によって多くの人々がより豊かに、そして希望を見ることができることを祈念いたしまして、私の御挨拶とさせていただきたいと思います。
ありがとうございました。

**********************

「笹川陽平スピーチ要旨」
―農業を通じた社会保障・雇用への貢献
アフリカにおける笹川アフリカ協会の30年―


私たちがSasakawa Global 2000プログラムを始めたのは、1984年にエチオピアを中心としたアフリカ各国を襲った大飢饉に対して、緊急食糧援助をおこなったことがきっかけでした。空腹で目を開けていることがやっとというような子供たちを目の当たりにし、私は少しでも早く、できる限り多くの食糧を届けたいと思いました。

しかし食糧援助は一時的には人々の空腹を満たすことができますが、あくまで緊急的な支援です。アフリカが抱える食糧問題を改善するには、零細農家による食糧増産を手助けすることが必要だと強く思いました。私はこの考えに賛同してくれたボーローグ博士とカーター元大統領の協力を得て1986年に笹川アフリカ協会を設立しました。SG2000プロジェクトとして知られている笹川グローバル2000は、今までアフリカの14ヶ国において実施され、今年で30年の節目を迎えます。

アフリカの零細農家の生活の質を向上させるために、私たちが特に力を入れてきたのは農家を指導する人材の育成です。まずSG2000のプログラムの中核を担ってきた農業普及員のトレーニングについてお話させていただきます。SG2000では農業省の農業普及員を教育し、彼らを通じて必要な知識や技術を農家に定着させる方法を行ってきました。普及員は畑へ出て、農民と共に汗を流してくれました。その中で信頼関係を築き、効果的な農法を浸透させることに尽力してくれました。普及員の大変な努力と真摯な姿勢があったからこそ、プログラムが成果を上げることができたのだと思います。

そして彼らにさらに活躍してもらうために、私たちは情熱のある普及員の能力強化を行う講座をアフリカ各国の大学に設置しました。この講座からは、23年間で24大学の協力を得て、6,000名に近い優秀な普及員が現場に輩出されています。このように顕著な成果を上げているキャパシティ・ビルディングの活動は、今後も続けていく予定です。

零細農家の方々の生活の向上を図るためにもう一つ行っていることは、彼らの活動の多角化に対する支援です。作物を育てるだけでなく、収穫後にそれを加工し、付加価値をつけてマーケットで販売することによって、彼らがより高い収入を得られるような取り組みも行っています。

特に個々の農家を組織化したFBO (Farmer Based Organization)の機能を強化する活動を積極的に行っています。例えば種子や肥料の共同購入を集団で行い、収穫物を共同で販売することです。

また個人で所有するには高価な農業機械を、仕事を求める若者のグループに提供し、そのグループがトウモロコシの脱粒・製粉や米の脱穀・精米などのサービスを提供することによって、若者や女性に新たな職場で働くチャンスが生まれています。

近年アフリカの若者たちは、より高い収入を求めて農村を離れ、都市部に移り住むような傾向もあるようです。しかし、都市部には十分な雇用の機会もなく、若者の失業率の高さが深刻な問題になっています。農業への新しいアプローチを導入することで、農業がアフリカの未来を担う多くの若者をひきつけ、バリューチェーンが強化されることが望まれます。

SAAが設立された30年前には、アフリカ全体で農業が今ほど重要視されていませんでしたが、現在では多くの国々が発展と経済成長のために農業が重要であることを認識しています。各国のリーダーの皆さまには、これまで以上に自国の農業政策へのコミットメントを積極的に示しその可能性を広げていただきたいと思います。

最後に、これまで、多くのアドバイスをくださり、共に汗を流してくださった農学者の皆様、どんなときでも農民と近くに寄り添い、彼らの生活向上のため来る日も来る日も仕事に励まれた農業普及員の皆様、アフリカの明るい未来のために普及員を鼓舞し、共に闘ってきたSAAのルース・オニヤンゴ会長を始めディレクターたちやスタッフ、そして我々のプロジェクトを信頼し、協力を申し出てくださったドナーの皆様にも、心から感謝申し上げます。さらにこの後、アフリカ開発銀行と笹川アフリカ協会の間で覚書が調印されます。私たちの活動に経験豊富で情熱を持ったパートナーが加わってくださることについても喜ばしく思っております。

本日のシンポジウムでは、笹川アフリカ協会の30周年記念であると同時に、「変わりゆくアフリカの農業」というテーマで世界中の素晴らしいパネリストをお招きして零細農家の抱える課題について議論します。シンポジウムでの活発な議論や新しいアイデアが、笹川アフリカ協会の新たな30年に向かって一つの道筋を示してくれることを期待しています。

ありがとうございました。

「手話言語法の制定」―手話を広める知事会設立へ― [2016年09月02日(Fri)]
「手話言語法の制定」
―手話を広める知事会設立へ―


日本財団では「手話言語法の制定」に向けて、全日本ろうあ連盟の石野富志三郎理事長をはじめ、連盟の皆さんと協力して悲願実現に向けて努力しているところである。

全日本ろうあ連盟の努力で「手話言語法の制定」を国に求める意見書は、国内全て、1,788の地方議会で採択されている。又、50の自治体でも手話言語に係わる条例が制定されている。昨年は石野富志三郎理事長と共に全国から集まった2,000人のろう者の先頭に立ち、衆議院、参議院へ請願デモを行ったことは2015年9月28日のブログで報告した通りであるが、パラリンピックを契機に、インクルーシブな社会を作るべきなのに、国会議員にはその意欲がない。これだけ全国的に機運が盛り上がっているのに、いまだ議員連盟すら存在しない。国会議員の動きは鈍く、障がい者の社会参画への意識も薄いといわざるを得ない。

驚くことに、ろう学校では手話を十分使えない先生方も大勢いると聞く。1936年、鳩山由起夫氏の祖父・鳩山一郎文部大臣がろう者に対し、読唇法といって健常者の話す唇を見て理解しろとの教育方法の残滓が今も残っているのである。

ここにきて、心ある各県の知事が立ち上がってくださった。7月21日に衆議院第一会館大会議室で「手話を広げる知事の会」設立総会が開かれ、手話条例を最初に制定した平井伸治鳥取県知事が代表発起人に就任された。我々の悲願達成に力強い援軍の誕生である。

それにしても1億総活躍時代と華々しい政策の中で、IT時代で障がい者が社会参画する機会の増加でタックスペイヤーになる可能性が大いにあるのに、政治家の関心が薄いのは残念至極ではある。

しかし、あきらめない心を持って努力を継続し、「手話言語法の制定」実現への願いを込めて記念講演をさせていただいた。


***************


2016年7月21日
於:参議院議員会館講堂


unnamed.jpg
「手話は言語」の団扇を持って講演しました


ご紹介を頂きました日本財団の笹川です。

昨年8月、石野会長を含め全国から2000人を超える有志が集まってくださり、衆議院、参議院で請願デモをやりましたね。私も参加させていただきました。その時は各党の政治家から「頑張ってください」という声を頂きました。

私はこれをまともに受取り、政治家がすぐ動いてくれると思っていましたが、誠に残念ながら、手話言語法を制定するための議員連盟すら出来ていません。ただ単に「一票が欲しい」「当選したいために顔を売るだけ」という政治家が多いのです。

そういう中で、知事の皆様方、特に鳥取県の平井知事が日本で最初に条例を制定して下さり、各市町村レベル全ての議会が賛同してくれました。それを受け、全国手話を広める知事の会が平井知事を代表にして設立されたことに深く敬意を表します。

そもそも私が障がい者問題に関わり始めたきっかけは、40年以上に渡って世界中のハンセン病をなくす活動を続けてきたことにあります。先週もアフリカのカメルーンという国のジャングル奥深くまで入りました。そういうところに住む人にもハンセン病の障がいがあり、偏見と差別に苦しんでいるのです。その中で、私は世界中の障がい者の生活の現状を見聞きし、「これこそ日本財団がやらなければならない仕事である」「障がい者の方々が健常者と共に生活できる社会を創ることが私たちの使命である」と考えて活動に参加させていただいております。来月にはアメリカ・フロリダ州で開かれる世界盲人連合の大会でも基調講演をさせていただきますし、国連の場でも障がい者問題に対して活発に活動させていただいています。

2020年には東京でオリンピックが開催されます。ロンドン・オリンピック・パラリンピックではパラリンピックが大成功し、「今後のオリンピックは、パラリンピックの成功なくして成功はなし」といわれる時代になりましたが、残念ながら日本の動きは大変鈍かったのです。

少し宣伝になりますが、私は「日本財団パラリンピックサポートセンター」を立ち上げ、財団ビルに全ての競技団体に入っていただきました。既にとても活発に活動を始めています。パラリンピックにろう者は含まれていませんが、パラリンピックの意義するところは何かを少し説明させていただきたいと思います。

何のためにパラリンピックを日本でやるのか。皆さん考えてみてください。先般、私は2020年を目指してUNESCOの事務局長と契約を交わしてきました。スポーツだけではありません。手話で歌を歌うろう者もいらっしゃいます。楽器を操り、それにあわせてダンスを踊るろう者もいらっしゃいます。障がい者の中にはそのように素晴らしい才能を持った人たちがいらっしゃるわけで、障がい者が常に国や公的機関からの支援によって生活をしているのだという一般国民の常識は変えなければいけません。障がい者の方々が目標を持って社会に尽くしているという事実が既に存在しているのです。

先頃、私たちは文京区に小さなレストランを開設するための支援を行いました。全てろう者がやっています。立派なメニューに指を差すと、ちゃんとうなずいて料理が出てきます。わからないことがあれば、ちょっと書けば、相手もそこに答えを書いてくれ、何の不自由もありません。

私はその2020年を目指して、何故パラリンピックに力を注ぐのでしょうか。ちょっと難しい言葉で恐縮ですが、2020年以後にインクルーシブな社会を創りたいからです。日本が世界の先頭に立って、障がいのある人もない人も、全ての人が共に生活できる社会を創るということです。

障がいがあっても、健常者より優れた才能を持った人はたくさんいます。障がい者は行政からの支援だけで生きているのではありません。世界には大成功している障がい者の企業家もいらっしゃいます。このような方々に日本に集まっていただき、健常者よりも障がい者がはるかに優れた点もたくさんあるのだということを見ていただき、2020年のパラリンピックを契機に障がい者や健常者という言葉すらない社会を創ることが東京オリンピック・パラリンピックのレガシーだと考えています。

そういう意識を、今日お集まりの知事の皆様がお持ちであることは大変心強いことではありますが、残念ながら、ここ議員会館にいらっしゃる国会議員の皆様には全くその意識がない。これをどのようにしてこれから攻めていったらいいのか。それは、協力しない人には一票を入れないようにしなければいけないのです。

既にお隣の韓国でも手話言語法が出来ました。世界中で動いているにもかかわらず、日本の国は動いていません。石野理事長をはじめとして連盟の皆さんが日夜努力に努力を重ねてきて、やっと知事会の皆様方が声を上げてくださったことは大変心強いことで、他の国ではこんな団結した組織はありません。しかし、請願デモまでやらなければ法律を作れないような国もありません。日本が「先進国だ、民主主義の国だ」などといっているのは政治家だけです。社会課題を自ら見つけ出し、解決していくのが国会議員の仕事なのです。

ということで少しアジ演説が過ぎましたが、どうか一つ皆さんと力を合わせて手話言語の法律を作りましょう。世界には手話を憲法で定めている国もたくさんあります。法律で定めている国は36カ国もあります。

少子高齢化といわれていますが、次代を担う大切なろう者のお子さん方の現状を見ますと、本当に残念に思います。世界の中でも日本は後進国です。手話で教えられる先生方はいったい何人いるのでしょうか。まず子供の教育のために、手話できちっと教育が出来る先生の養成をしないで次代を担う日本の若者をどうやって育てるのでしょうか。

このような問題も含め、新しい日本を作るためには、そして障がい者が社会の中で生き生きと生活できる環境を作るためには、法律制定も大事ですが、2020年のパラリンピックを契機として、国民一人ひとりがインクルーシブな社会を作っていくために今から動かなければ遅いのです。

今回、平井知事を中心に知事の皆様が立ち上がってくださったことは本当に力強いことです。どうか一つお集まりの皆様方と共に、パラリンピックのレガシーとして、まず手話を言語として認めていただき、2020年以降、「障がい者」「健常者」そういう言葉もない、全て日本国民として平等な生活が出来る、そういう国にしようではありませんか。

ありがとうございました。

「少年剣道大会」 [2016年08月26日(Fri)]
「少年剣道大会」


全日本剣道道場連盟主催で、毎年全国各地で勝ち抜いた少年少女剣士約2,000名が武道の聖地・日本武道館に集結し、大会を行っている。日本財団はこの大会を支援している関係で挨拶の機会をいただいた。

全国にある剣道場は町の中にあるところも多いが、個人の敷地の中で剣道を趣味とした父親が子供や孫の心身の鍛錬のために作り、広く町の子供達に開放された道場も多い。礼に始まり、礼に終わる少年少女が剣道衣に面をつけて「しない」を持った姿はすがすがしい。近年、少女の選手が増加しているのもすばらしいことである。

ご臨席を賜った名誉総裁の三笠宮瑤子女王殿下は、原稿なしでスピーチをされる。剣道五段の腕前であるが、五段のテストは厳しく、二度失敗の上三度目に合格したと、自らのスピーチで述べられていた。

日本剣道連盟の福本修二専務理事は、剣道はオリンピック種目には入らないと断言されていた。柔道や空手などの日本古来の心身鍛錬の武道が、オリンピック種目になってから単なるスポーツとしての勝負にこだわり、美しさを失ってしまったという。けだし名言であり、私も支持したい。

ただ一つ残念なことは、この大会で数回注意したのだが、選手たちが国家「君が代」が歌えないというか、声が出ないのである。世界中、国歌斉唱は老若男女、子供たちまで大きな声を出して歌う。先般、森喜朗オリンピック組織委員長が選手壮行会で「声を出して歌いなさい」と苦言を述べられたが、正論であろう。

以下はショートスピーチです。

**************


2016年7月26日
於:日本武道館


51zenkoku2.jpg


私は毎年、この大会に来ることを楽しみにしています。今日の皆さん方の輝いた目、そして鍛えられた体、皆さん方の素晴らしい鍛錬の成果をここに見せて頂き、私は皆さん方に負けないように頑張れという激励をもらえるような気がするのです。あとで鏡を見て下さい。皆さん方は本当に素晴らしい顔をしています。「僕ってこんなにいい男なのか」「私はこんなに輝いているのか」と必ず思うはずです。

日々の訓練は大変だと思いますが、我慢して粘り強く続けるということはとても大切なことです。少し難しい言葉ですが「記憶の美化作用」という言葉があります。辛く、厳しい訓練に耐え抜いたことが、大人になると楽しい思い出に変わるのです。人は武道を通じて心と体を鍛えることができます。武道は素晴らしいものです。その中でも特に、剣道は世界一だと思います。皆さん、よくぞ剣道を選んで下さいました。剣道をやることを誇りに思ってください。この憧れの武道館に座った感じはいかがでしょうか。きっと大人になった時に「あぁ、あそこに座ったな」と懐かしい良い思い出に変わることでしょう。皆さんには我慢して、剣道を一生懸命続けて頂きたいと思います。

多くのご両親をはじめ、先生、ご出席の皆様方、どうか我が子、我が教え子だけでなく、剣道の素晴らしさを周りの方々にも伝え、広めて頂けると大変有難いです。

心身ともに健全に、こんなに素晴らしい子供たちが育っていることは、道場主、あるいは道場の運営に日夜尽力して下さっている関係者のおかげで感謝申し上げますと同時に、これからも宜しくお願いいたします。そして、1年間手塩に掛けてこの大会を作り上げて下さった道場連盟の関係者の皆様にも厚く御礼を申し上げます。

今日は大いに日頃の鍛錬を発揮して頂きたいと思います。
今日ここに来られた皆さん、おめでとう!

conv0001.jpg
連盟の弁論大会最優秀賞者に対し、記念品の胴を贈呈


| 次へ