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笹川陽平(ささかわようへい)の国内外における活動の記録。このブログを通じて、私の毎日を覗いてみてください。

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講演「メディアの将来像を考える会」 [2012年11月21日(Wed)]
「メディアの将来像を考える会」
第37回会合での講演


9月13日(木)午後6時30分
於:早稲田大学 大隈記念タワー


DSCF9244.JPG


本日はお招きに預かり有難うございます。これまでの講師リストを拝見しますとメディアの大御所や専門家が多く、私だけが異質のような気がしますが、勇気を振り絞って面接試験に臨む気持でお話しします。

私はメディアと直接的な関係はありませんが、ブログを始めて7年になります。正直に告白しますが、私はアナログ人間で原稿はすべて手書きです。その原稿を秘書にアップしてもらっています。

日本財団の基本方針は透明性と説明責任を果たすことです。トップに立つ人間の顔が見えないというのは画龍点睛を欠くのではないかと思いブログを始めました。組織のトップがどういう顔をしているのか、それを見せるのは大変重要なことであり日本財団の職員にもブログを推奨しています。

これからは日本財団という名前ではなく、そこに勤める人間の顔を表に出していくことが重要です。この話をした時、どこにでもある話ですが、個々人がブログで発信することによって日本財団に迷惑が及ぶようなことがあったらどうするか、問題となりました。ほとんどの会社が社員のブログの開設を許可しないのも、このためです。非常に優れた社員がたくさんいて、こういう人達が直接的に意見を表明していけば、その会社はもっともっと社会的にも理解されていくであろうと思いながらも、この点が一つのネックになっているのです。

日本財団では、全ての責任を私が負います。従って職員には遠慮なく発信してもらうよう決断しました。私はブログを開設した当初、政治家と役人の名前は書きませんでした。しかし、これではフェアではないということで2、3人の方に聞いたところ、「どうぞ遠慮なく」「結構でございます」「何の問題もございません」という返事をもらいました。私のブログを覗かれた方ならご存知と思いますが、何時何分にどの大臣、どういう役人に会ったということも含め掲載しています。

世の中の方々はモーターボート業界を創った親父の息子だとか、さぞ金持ちで優雅な生活をして好き勝手に金をバラまいているのだろうなどと思っている人が大半だったと思うのですが、この7年間、ブログのお陰で世の中の認識も相当変わったのではないかと思っています。

ブログは仕事柄、固い話が多いのですが、下半身の話を書くと、ヒット数が上がります。それほどの人気ブログとはいえませんが、最近、BLOGOSやSYNODOS、Facebookなど、いろいろなところで取り上げられ広範囲に私の考え、意見が流れるようになりました。この結果、赤坂の一等地のビルの中でふんぞり返って金をばらまいている、といったような誤った印象はほとんど消えました。

私はこの10年間、平均すると年に17回くらい海外に出ています。1年の3割から4割くらいは海外生活となり、ブログを書く時間がないときもありますが、多くの人が見てくれていると考えれば、何をおいても書かねばと考えております。

今までは報道関係を訪問して「日本財団はこんな良いことやっています。こういう事もやっています。是非記事として取り上げて頂けないでしょうか」とお願いに回ったものです。しかし我々自身がインタ−ネットやブログで発信するようになったことでメディアの皆さんに記事として取り上げていただけるようになりました。私のブログは多くの新聞記者や政治家、行政、学者の皆さんにもお読み頂いているようで、直接的に使われることはありませんが、時に「この記事は私の記事にヒントを得たな」と思われるケースも、あちこちで見られるようになってきました。

報道関係だけでも約3000人の方に日本財団のブログマガジンをお送りしております。毎日、目を通す方はいらっしゃらないかもしれませんが、時にはパラパラとご覧になって、たまには参考にしていただいているのではないかと思います。そういう意味でブログの活用は非常に大きな効果を挙げています。

皆さんご承知かもしれませんが、私のブログはタバコ1箱1000円運動のきっかけにもなりました。多くのメディアの皆さんの共感も頂いたと思っています。1000円は実現していませんが、大幅な値上げを獲得することができましたし、禁煙運動も大きく盛り上がりました。

もう一つ、いまは休眠預金の問題に取り組んでいます。私は全国銀行協会にCSR活動の資金として使ってほしいと申し上げたのですが、協会は知らん振りを決め込んでいます。「少額の預金であっても、何年経っていても、お返しします。だから皆さまの安心を確保しているのです」と言うのです。その上「そのために少額預金にも多額の管理費を使って運営しています」と説明していますが、実はそうではありません。

日本の人口は約1億2千万人ですが銀行口座は12億もあります。一人10口座の預金通帳を持っている計算になります。新聞社の皆さんは、お書きにならないのですが、何故こういうことが起こってきたのか、私なりの考えをブログに書いています。かつて預金獲得運動、口座獲得運動というものを、すべての金融機関がやりまして、行員の多くが老人たちの家を訪問して「成績を上げなきゃいけないから、1万円でいいから預金して。印鑑も名前もこっちで用意するから」と言って仮名で口座を作らせたのです。

その後、金融の国際化の中でマネーロンダリングの問題が起こり、本人確認なくして払い戻しはしないということになりました。私も年に1、2回ですが、銀行にパスポートを持って行かないと本人証明ができず、お金が下ろせません。12億口座のほとんどは仮名の口座だと思います。これを銀行に行って証明しようとしても出来ないわけで、結果、払い戻しに応じないお金になるわけです。

この3年間だけで1500億円もの金が全国銀行協会の内規で雑収入として計上されています。全国銀行協会は、払い戻しに来た人にはお返しすると嘯いていますが、現実問題として仮名預金は返せません。国会議員の方々に休眠預金の議員連盟を組織してもらい、全国銀行協会と金融庁に休眠預金の有効活用を働き掛けようと考えています。うまくいけば、今後10年間で5〜6000億円に上る金を活用することができると思います。

もう一つ、郵便貯金の問題があります。銀行預金と異なり10年以上取引のない貯金は国の収入とするという法律の定めがあります。法律を改正しなくてはなりません。全国銀行協会は内規で雑収入として処理していますが、庶民のお金をそういう形で奪うのは問題であり、これから本格的に活動を進めていきたいと思っています。

グローバリゼーションの中で、日本の銀行はメガバンクばかりになってしまいました。そのため小口融資に対処できず、その分、闇金融に流れるケースが増えています。私は休眠預金をNPOの立ち上げや活動資金に充てられるようにしたいと考えています。このような情報を個人が発信することで、社会を動かす可能性もあります。ソーシャルメディアは私自身が知らないところにも広がりが持てるという意味で、一つの世論形成の可能性を持っていると思います。

私は世界中を回っていますが、日本の国際放送は目を覆うような状況にあります。例えばニューヨークではNHKテレビはペイテレビで、ホテルでもお金を払わなければ見られません。中国は既に100カ国近くで、韓国も60カ国くらいで国際放送をしています。たまに夕刻、ニューヨークでNHKテレビを見ましても料理番組だったり子どものお遊戯の時間だったりで、ニュース番組に当たることはほとんどありません。

そんなことでNHKの国際放送充実について私自身も少し汗をかきました。日本国際放送株式会社が出来上がりましたが、資本金がわずか3億円でした。もともとNHKの国際放送は在外邦人のための放送としてスタートしたという歴史があるため、本来ならアルジャジーラくらいのコメンテーターは持ってきてほしいのですが、今の状況はやはり弱いと言わざるを得ません。資本金3億円ですからお金も足りません。良い番組を作ろうにも資金がないのです。本来はNHK本体の中で、英語放送を充実しなければならないのですが、昨今の尖閣問題、竹島問題にしても、中国、韓国が英語で発信する情報量に比べ日本の情報量は圧倒的に少ないのが現状です。

そこで私は、ブログの力がある程度理解できましたので、ならば、これに頼らなければと「Nippon.com」というサイトを立ち上げました。日本語、英語、中国語、それから中国の簡略文字、スペイン語、フランス語、アラビア語で発信しています。今年末からロシア語でも発信する予定で、国連公用語すべてで情報発信することになります。まだヨチヨチ歩きですが、3年後には1日1000万ヒットを目指して努力しています。ニュースだけでなく料理やファッション、文化や芸術も発信しています。ターゲット層を20〜40代に下げたいのですが、今のところ50代前後に焦点が合っているためか、私の期待通りのヒット数にはなっていません。

今はyoutubeも使えますから、動画も活用して説得力のある発信をしていきたいと考えています。「Nippon.com」をご覧頂いて、ご意見やご批評をいただきたく、よろしくお願い致します。日本を代表するウェブサイトにしようという大きな気持ちでいるわけですが、私たちだけでは限界がありますので、このウェブサイトに、ネットメディアのBLOGOSやSYNODOS、または多くのブロガーがリンクをしてくれればと願っています。

ブログで失敗し、炎上したこともあります。同性愛のことを書いた時で、かつてアクセスしたことのない人からも「死ね」だの「馬鹿」だのと猛烈なアピールを頂きました。私はブログに寄せられたコメントは、いかなる批判であっても一切削除せずにそのまま載せる主義を貫徹しています。タバコ1箱1000円運動のときも、日本財団の隣にJTがありますので、赤坂戦争とまで言われました。1000円をうたった途端に、あらゆるところからコメントが入ってくるのです。

私のブログが成功しているわけではありませんが、個人個人がブログをやっていくことで、これまで政治に関与するには3年か4年に一度の選挙の投票を待たなければなりませんでしたが、いつでも自分の意見を表明できるようになったと思います。だから私は今、ブロガーの数をもっと増やし、しかも実名でやろうと広く呼び掛けています。恐らく、ブログは今後の世論形成に大きな役割を果たしていくのではないかと思っています。

話は変わりますが、新聞の問題、新聞がどうあるべきかについて触れたいと思います。この問題につきましては、これまでも立派な講師がここで講演されているようですので、私の話はあまり参考にはならないかもしれません。私はブログでも度々表明していますが、新聞大好き人間で愛着もあります。新聞関係者とお会いして意見も交わす機会も多いのですが、新聞の将来が心配だとか、このままでは電子メディアに負けるのではないか、新聞を読まない世代が出てきたーなど、消極的な意見が多いのが現実です。この危機を脱却するにはどうしたらいいか、そういう建設的な話が新聞社の幹部からも出てこないという現実に私は愕然としています。

どの記者も深刻な顔で話されますが、内容に一つ条件があるように思います。口には出されませんが「・・とは言うものの、私がいる間はなんとか給料はもらえるだろう」という前提が腹の中にあるのがよく分かります。そのため、口では心配だと言っても、真剣味が伝わってこないのです。これでは新聞が良くなるわけはありません。話は簡単です。一つは、問題となっている押し紙を止めることです。全ての新聞社とはいいませんが数百億円のお金が浮くはずです。今はバブルの時代ではありません。多くの企業はダウンサイジングで身の丈にあった経営に徹しています。新聞社だけが身の丈に合わない経営をやっているわけです。1000万部とか800万部とか、そんな巨大な部数競争を繰り広げている新聞は、世界のどこにもありません。

グローバリゼーションの時代に入り、あらゆるものが国際基準、あるいは国際的な競争相手の中で激烈な競争を繰り広げています。最後の聖域といわれた建設業界、金融業界も、国際ルールに縛られています。その中で日本の新聞だけが、日本語という言語に守られ、国際競争から逃れているわけです。私は日本の新聞を改革するには、外資の参入が必要と言い続けてきました。

記者クラブの問題もあります。記者クラブが存在することで、官僚を批判しながらも最終的には官僚の手の平の中で踊ってニュースをもらっているのです。記事は足で書く必要があります。特落ちを嫌い、互いの紙面をにらめっこしているから、どの新聞を読んでも、見出しまでがそっくりという現象が起こるのです。これではスカスカの新聞です。いかなる商品であっても劣化して品質が悪くなれば売れません。若者が新聞を読まなくなったとか、ネット社会になったからと言うのは、売れなくなった理由を他に転嫁し自己満足しているに過ぎず、新聞記事そのものが劣化をしてきていると思います。新聞を作る人より読者の方が、より多くの情報を獲得している場合もあります。新聞社の皆様の頭をマインドセットしない限り、これは変わらないと思います。

新聞社が自らの意見、スタンスをはっきりと打ち出していくには1000万部とか800万部の数字は大き過ぎます。ニューヨークタイムスも大した部数ではありません。結論的にいえば、大部数を競う今の新聞経営は、日本社会が最も恐れなければならないポピュリズムにつながる危険性があると言わざるを得ません。

押し紙、拡張の際のモノ配りの問題もあります。押し紙を止めれば数百億円が削減でき、当面の経営は安定する、とも聞きます。拡張に関しては、3カ月ごとに購読紙を変える人もいます。読者は知っているのです。3カ月ごとに変えればいろんなモノがもらえるって。私は銀行振り込みで払っていますので何ももらったことはありませんが、中には1年間無料というケースもあると聞きます。「俺のとこに○○新聞が来て何と何をくれた」、「私のところは、新聞を3カ月ごとに取り換えたら、こういうモノをもらいました」、「新聞は1年契約するものじゃありませんよ、3カ月ごとに契約を変えるべき」といった話がネット社会で出たらどうなりますか。新聞社は危険な販売促進、部数獲得競争をしているのです。

その中で生き残っていくのはどこですか。全国紙といわれる新聞は、何を基準に全国紙と呼ばれるのか分かりません。私流に解釈すると、正確には全国紙ではなく大都市圏を中心にしたブロック紙です。全国紙が沖縄、富山で何部出ていますか。その地域で6〜7割もの読者に読まれている新聞は、ほとんどが県紙です。なぜ県紙を取るのか。身近な話題が記事として掲載されているからでしょうか。私に言わせれば県紙は生き残ります。県紙が先に潰れるというのはあまりないのではないでしょうか。

ある新聞社の会長が反ポピュリズム論を書かれていましたが、その考えが新聞社経営に反映されていないのは残念です。政治記事を見ると、政局の記事ばかりで、政策論が全く書かれていません。誰と誰がくっ付いたとか、週刊誌の記事の延長線上の記事が毎日出ています。どうあるべきか、政策を読ませる記事は全然出てこないのです。政治記者の中には、政治学を勉強されている優秀な方が多くいるのに、たまたま私が、そのような人に会ったことがないのかもしれませんが、もう少し勉強してほしい気もします。

毎月のように出る世論調査なるものは、政治家を誤ったポピュリズムに走らせているのではないでしょうか。ポピュリズムが世界を恐ろしい方向に進めるのは歴史を見ても分かる通りです。滋賀県のいじめ問題にしても、教育委員会が良いとか悪いとか書いてありますが、それ以上に深く掘り下げている新聞は見当たりません。竹内洋さんの「革新幻想の戦後史」をお読み頂ければ、日本の教育がどういう経路をたどって今日に至ったか書いてあります。一部でも引用して深みのある記事を書いて頂ければ、魅力ある商品になると思うのですが・・。

私は産経新聞の「正論」欄に「誰もが読みたい力くれる社説を」という記事を寄稿しました。見出しは編集権ということで訳の分からない見出しに変えられましたが、私が書いた最初の見出しは「誰も読まない社説」です。典型的な社説に説得力がない。社説を活用してもっと掘り下げた記事を書いて頂きたいと思うのです。国内問題はまだいいでしょうが、外国に関しても「リビアは民主化を図らなければならない」とか、命令形でいろいろ書いていますが、外国人が読むでしょうか。リビアに「どうしろ」という力は日本の新聞にありません。その一方で、紙面が足りない、活字が大きくなったため記事が載らない、などと言った声も聞きます。先ずは社説から改めることです。隗より始めよということで、関係者がいらっしゃったら、社説の在り方から議論されては如何でしょうか。正論の記事には朝日新聞の記者が、真っ向から向き合った記事を書いてくれました。産経新聞社も驚かれたと思いますが、朝日新聞社でもびっくりされたかもしれません。

私は内科医ではありません。外科医ですのでズバッと切るのが仕事だと思っております。大変お聞き苦しい、そして偉そうな話をしましたが、新聞をこよなく愛する者の他愛ない意見として、ご理解を頂ければ幸いです。有難うございました。
記者会見「ミャンマー少数民族武装勢力支援会議」 [2012年11月09日(Fri)]
「ミャンマー少数民族武装勢力支援会議」


以下は10月18日、日本財団で開催した「ミャンマー少数民族武装勢力支援会議」の記者会見での発言要旨です。

ミャンマー問題は世界のメディアの注目するところであり、この記者会見のニュースは世界中に配信され、多少、日本国の面目を保つことが出来たのではないでしょうか。

記者会見9.jpg


―記者会見―


2012年10月18日(木)
於:日本財団ビル 2F


この度、日本財団が少数民族への緊急人道支援を開始するにあたり、ビルマ統一民族連邦評議会(United Nationalities Federal Council : UNFC)の11少数民族のうち10の民族の代表にお集まりいただきました。先日、私たち日本財団は300万ドルの緊急人道支援を決定しましたが、そのトライアルとして実施する30万ドルの援助物資輸送の方法について検討することが今回の会議の目的です。そのキックオフ会議をつい先ほどまで行い、まずは各民族が抱えている問題や課題などについて、それぞれから説明をしていただいたところです。

まず始めに、ミャンマー少数民族に対する緊急人道支援の日本財団の根本的な考え方についてご説明します。
「1つの地球に生きる1つの家族として、人の痛みや苦しみを誰もが共有する“みんながみんなを支える社会”をつくりたい」というのが日本財団の活動理念です。そのためには市民、企業、各国政府、国際機関、世界中のあらゆるネットワークに働きかけ、知識、経験、人材をつなぎ、一人ひとりが自分にできることで世界を変える、ソーシャルイノベーションの輪を広げてまいります。

また、それを実現するための当財団の活動指針をご紹介します。
私たちは、世の中の変化を兆しのうちに発見し、新たな問題解決にいちはやく取り組みます。
私たちは、「いま、どこで、何が求められているか」を常に把握し、最も優先すべきニーズにこたえます。
私たちは、前例にとらわれず、新たなプロジェクトを創造し、世界をより良くする仕組みを作ります。
私たちは、失敗を恐れることなく、あらゆる問題に対し速やかに決断し、行動します。
私たちは、問題意識をもつ人々や組織とのネットワークを広げ、つなぎ、世界に大きなうねりを作ります。

こういった活動理念や活動指針のもと、私たちはミャンマーが軍政だった1976年から世界のハンセン病をなくす闘いの中で活動をして参りました。そしてミャンマーは見事にハンセン病の制圧に成功しています。また、これまで少数民族地域における学校建設、障害者や公衆衛生に関する支援などを軍政時代から今に至るまで続けています。特に今年に入ってからは、民主化の動きに対応する形で協力を強化し、新たに始まる農業プロジェクトを含む22事業、885万ドルの支援を決定、開始しています。その他、ミャンマー政府からASEAN議長国になる2014年に向けた通訳の養成依頼がありましたので、姉妹財団の笹川平和財団が取り組んでいるところです。

また、私は今年6月に外務省からミャンマー少数民族福祉向上大使を拝命し、テイン・セイン大統領やアウン・サン・スーチー女史とも度々会談をして参りました。お二方とも少数民族問題の解決なくしてミャンマーの真の民主化はあり得ない、ということで意見は一致しています。

私はこの少数民族問題に取り組むにあたり、できるだけ早く少数民族の方々とお会いし、率直な対話をすることが必要だと考えていました。そして実際にUNFC(民族連合連邦評議会)の皆さんと何度か面会させていただくなかで、今回の300万ドルの支援に関するMOU(覚書)締結に至ったわけです。本来はミャンマー政府、UNFC、日本財団の3者でのMOUを取り交わすのが理想だったのですが、10月6日に少数民族和平交渉担当大臣のアウン・ミン大統領府大臣並びにソー・テイン大統領府大臣と会談した結果、ミャンマー政府がUNFCと直接MOUを結ぶ段階にはまだないと判断されました。よって、日本財団がブリッジとなり、ミャンマー政府と日本財団、日本財団とUNFCという形で緊急人道支援に関するMOUを結ぶことになったのです。

冒頭申し上げましたように、10の民族、そして今回来られなかった1民族を含めた必要物資の配布方法等を今後検討していくわけですが、なにしろ多くの地域が山に囲まれているため簡単には配布できないということは容易に想像できます。タイや中国、或いはインドやバングラデシュから物資を運ばなくてはいけないということも当然出てくるでしょう。その場合は外交交渉が必要となってきますので若干時間がかかります。また、ミャンマー軍との戦闘の中で、町や村を追われて深くジャングルの中で生活をしている少数民族の人たちが約100万人いるともいわれていますので、彼らへの物資の配布というのは相当な困難が予想されます。

いずれにしろ、行動をおこさないと何も見えてきませんので、まずはトライアルとして30万ドルの援助物資についてUNFC並びにミャンマー政府と協力したうえでしっかりとモニタリングをし、その結果を見ながら残りの270万ドルの支援を早急に実施したいと考えています。勿論これだけでは不十分で、世界中の協力が必要なのは言うまでもありません。そのためには、私たちが少数民族の人たちに物資が届けられるスキームをしっかりと作りあげ、その成果を世界に知らせることが重要だと考えています。

今、ミャンマーは民主化が進みつつありますが、この60年を超える少数民族と政府との争いというものは終わったわけではありません。そのためミャンマー政府からは、「今回のこの会議が政府と少数民族との和平プロセスの一環と位置付けて行われると理解し、これを契機として少数民族武装勢力側が積極的に政府との停戦協議及び和平協議に挑むことを期待している」というコメントをいただいています。

私たちは、この300万ドルの人道支援がミャンマーの真の和平構築、そして統一国家となるための重要な役割を担っていると自覚し、関係者の皆さんと鋭意努力してまいりたいと思います。
記者会見「日中防衛交流事業の廃止」 [2012年11月07日(Wed)]
「日中防衛交流事業の廃止」


日・中の中堅幹部(一佐、二佐、三佐、少佐、中佐、大佐)による軍事防衛交流は、民間組織である笹川日中友好基金が主催する現役軍人の交流事業として、日・中間に政治問題が惹起した時にも継続されてきた世界的にも稀な事業であったが、廃止の止むなきに至ったのは誠に残念なことで、心血を注いで10年以上の永きに亘って努力してくれた于展(ウ・テン)氏や胡一平(コ・イッペイ)女史をはじめ、笹川日中友好基金室スタッフには申し訳ないが、私の信念・信条に合致しないので廃止することにした。

以下は記者会見での発言要旨です。

12.10.19 記者会見(佐官級交流中止).jpg


記者会見
―挨拶要旨―


2012年10月19日(金)
於:日本財団ビル 2F


このたび、「日中佐官級防衛交流事業」を中止、そして廃止することを決断いたしました。まず本事業の目的と今回中止、そして廃止に至った経緯と理由についてご説明申し上げます。また、本事業のこれまでの成果についてもお話させて頂ければと思います。

日本財団は日中両国の友好と交流を目的に、笹川平和財団内に「笹川日中友好基金」を創設し、人材育成や研究活動を実施しています。この一環として、日本財団と笹川日中友好基金室は、自衛隊と中国人民解放軍の相互理解の促進に向け、2001年から交流事業を進めてきました。

私は、いわゆる政府間レベルの交流をトラック1とすれば、民間交流をトラック2として位置付け、政治その他の一切の影響を排除し、真に相互理解のための交流をする民間主導の防衛交流というものが可能であると考えました。当時の中国人民解放軍副参謀総長、中国戦略学会の会長もこの考えに合意され、この事業が始まったわけです。

今年度の招聘は8月15日に笹川日中友好基金より招聘のeメールを出しました。招聘期間は10月23日(火)から11月1日(木)までの10日間です。しかし、10月15日に私たちのパートナーでもある中国国際戦略学会(会長馬暁天・中国人民解放軍副参謀長)より、延期の申し入れがございました。私は1日考え、17日に笹川日中友好基金から中国国際戦略学会に延期ではなく中止の通知をいたしました。

事業を進める中では、小泉首相の靖国問題で日中間が大変緊張した時期もございました。この時はいかがなるものかと思いましたが、中国側も懸命の努力をされ、特に抵抗の強かった青島(チンタオ)の海軍基地の見学も予定通り実施されました。まさしく政府間の防衛交流がストップしている時期にもこの民間主導の防衛交流は続いてきたわけでございます。その後、日本の領海内を中国の潜水艦が通過した折にも、日本の防衛省、自衛隊は訪中を果たしました。このような点からも、本事業は専門家の間でも大変高い評価を受けてまいりました。

中国側の訪日者207人のうちのほとんどの方は、訪日前はどこに行っても日本の自衛隊員の制服姿が見られると思っていたようですが、そのような光景は見られず、自分たちが勉強してきたことと全く違うということに気づかれたそうです。本事業は、単に軍事防衛の施設を見学するだけではなく、彼らが興味を持つ農村地帯、あるいは様々な企業訪問等を通じて、幅広く日本を見て頂けるようなプログラムとなっております。

10.21 中国人解放軍訪日団の歓迎レセプションで笹川会長が歓迎挨拶.JPG
中国人解放軍訪日団の歓迎レセプションで挨拶

10.21 来日した中国人民解放軍の将校が日本陸上自衛隊の防災装備の展示を見学.JPG
中国人民解放軍の将校が日本陸上自衛隊の防災装備の展示を見学

10.26 中国人民解放軍将校は海上自衛隊基地見学後の集合写真.JPG
海上自衛隊基地見学後に記念撮影


また、日本の防衛省や自衛隊からも120人が訪中しましたが、初めて中国に行ったという方が殆どでございました。訪中時のプログラムも、単に軍事施設を見学するだけではなく、一般的な社会情勢、あるいは農村地帯の見学等を含め、中国という国を広く知ってもらえるような内容です。このように日中友好基金室並びに中国国際戦略学会のスタッフの尽力で、非常に意義のあるプログラムを作りあげてまいりました。ですから、日中間の政府間交流がストップする中でも、日中の民間軍事防衛交流というものが機能したということは私たちにとっても誇りでした。

0.6.18 日本自衛隊佐官級訪中団が中国海軍基地を見学.JPG
日本の自衛隊佐官級訪中団が中国海軍基地を見学


しかしながら、2年前の2010年10月20日からの防衛交流で、来日真近に中国側から「訪日を延期したい」との要請を受けました。その時も緊急記者会見をし、私は「延期は認められない、中止をする」ということを発表いたしました。本事業が、政治イシューに惑わされるならば、このトラック2である民間が主導する防衛交流の意味は無くなってしまうと考えたからです。

その後2011年7月25日、中国人民解放軍の馬暁天副参謀総長(中国戦略学会会長)と会談をし、以下の4点について合意しました。
*日中双方は、当事業が政治情勢に左右されることなく継続されてきた点をあらためて評価する。
*民間主導の防衛交流の役割を相互に認識し、日中の政治関係に影響を受けることなく今後5年間事業を継続することで合意。
*当初の10年間は笹川日中友好基金が相互のすべての費用を提供していたが、今後は日中両国政府も応分の費用を負担する。
*2011年秋以降、早い時期に事業を再開する。

しかし、このたび中国戦略学会から「日本政府による釣魚島(中国では尖閣諸島を釣魚島という)の国有化を発表してから中日関係は深刻な局面に陥り、両国の一連の交流に大きな影響を及ぼしました。このような状況の中で中国人民解放軍佐官級代表団の10月下旬の派遣が難しくなり、訪日の延期を余儀なくされました」という書簡を頂戴した訳です。

過去の交流を考えてみますと、こういう時期だからこそこのトラック2が機能しなければならない訳で、平和な時期に実施するのではなく、このように相互に不信感が募っている時こそ、日中の防衛交流というものに民間が入ることに価値があるのです。しかしながら、明確に政治イシューによって延期をしたいということは、私たちの趣旨に反するものでございますので、よってこれを中止、事業を廃止するということを決断した次第です。

「フォーラム2000とハヴェル大統領」 [2012年11月05日(Mon)]
「フォーラム2000とハヴェル大統領」


毎年秋には、チェコの首都プラハでハヴェル元大統領と共に「フォーラム2000」なる国際会議を共催してきた。大統領時代にはカレル城で行われ、その後、恒例の開会式はハヴェル好みの「クロスロード」と呼ばれる元教会の建物で行われてきた。

昨年の晩秋、ハヴェルの訃報に接し、今回初めて主のいない会議となった。

テーマは遺言ともなった「メディアと民主主義」である。
以下のスピーチは17年間にわたるハヴェルへの憶い出を凝縮したものです。

オープニング・スピーチ.JPG


オープニング・スピーチ


笹川 陽平
2012年10月21日
於:プラハ・クロスロード


ハヴェルさん、あなたは1995年の冬、「希望の未来」を論じ合うため広島を訪問されました。あなたはその時すでに、次のミレニアムに向けて、人間の本質について考える場を創りたいという想いを胸に秘めていたのでしょう。その後、あなたは、人類の脅威と希望について世界各地から賢人たちが集まり対話をするという素晴らしいアイデアを私に打ち明けてくれました。その日のことを私は今でも鮮明に覚えています。あれから17年の歳月が経ちました。

フォーラム2000も今年で16回目を迎えました。我々の内面性を深められるよう会議を毎年主導してくれたあなたが不在のフォーラム2000は今年が初めてです。常にその優しい笑顔で私たちを迎えてくれたあなたがいないのは、なんとも寂しいものです。

10.10 ハベル元大統領.jpg
2011年10月10日のフォーラム2000会義にて
こんなに早くお別れがくるとは・・・


ハヴェルさん、あなたは、混沌とした世界に生きる私たちに非常に大切なことを示してくれました。それは、私たちが抱える様々な問題を根本的に解決するためには、単純に新しいメカニズムや制度を用いるということではなく、私たちの精神や倫理、道徳心を深く考え直し、変えてゆかなくてはならないということでした。

あなたは、私たちが取り組むべきことは、対症療法のような表面的で小手先の手法を探ることではなく、私たちの内面に目を向け、私たちの精神や倫理について深く考えることなのだと諭してくれました。

だからこそ、あなたはこの15年間のフォーラムにおいて、責任・人権・寛容・信義などのテーマを取り上げ、私たちが精神的・倫理的・文化的な価値を探究し続けられるように導いてくれたのです。

思想と思考の交差点ともいわれる中欧のプラハは、波乱に満ちた時代を含めて、長きにわたり、人類の虚構と真実、そして、人類の脅威と希望を見つめてきました。それだけに、プラハは私たちが思想と思考の深化をはかるのに最も相応しい場所であり、ここから発信される思想には希望が宿るのです。

あなたが遺したものは、今、この場にも脈々と息衝いております。そして、これからも数多くの人を感化し、私たちが求める世界の実現に向けて、私たち一人ひとりが責任を持って歩んでいく姿を見守ってくれるでしょう。

ハヴェルさん、あなたを失ったことはとても悲しいことですが、あなたの精神、そして理知的なリーダーシップはこれからもずっと生き続けます。


基調講演「日本モーターボート選手会総会」にて [2012年11月03日(Sat)]
日本モーターボート選手会・総会
日本財団・笹川陽平会長による特別基調講演


2012年9月28日(金)
於:笹川記念会館


講演風景.jpg


「ハンセン病制圧活動ならびにボートレース業界の今後」


今日は総会という大切なときにお話しさせていただく機会をいただき、喜んで参りました。皆様方には日夜ご努力をいただいておりまして、心から感謝申し上げます。私もかつてはここでモーターボート業界が二兆二千六百億まで売るための様々な努力をしてまいりましたので、懐かしい場所でございます。

ボートの話は後ほどするといたしまして、まずは先ほど皆様方から2000万円の支援金を頂戴しまたことに心から感謝を申し上げます。

10月1日は日本財団がこのボート業界の中に誕生して50年になります。皆様方のおかげで、ボート業界からいただくお金は日本国内はもとより、今や世界的に展開している人道的活動にも使用されており、日本財団という名前、そしてそれを支援するボートレース業界というものが世界的に非常に高く評価を受けているということをまず皆様方にお伝えしたいと思います。

さて、これからお話させていただくハンセン病というのは、今はもう皆様とはあまりご縁のない病気ではございますが、日本国内には約12の国立の療養所と2つの私立の療養所があり、ハンセン病回復者たちのほとんどは、今もここで生活されています。かつてはこの病気になりますと法律により強制的に警察官がこの療養所に連れて来て表に出さないという仕組みになっていましたので、皆様方は直接お会いしたことは無いと思いますが、世界的にはまだまだ多くの患者が発生しています。

ハンセン病への取り組みは、ボートレースの創業者であります笹川良一が若い時、近所にいた旧家のお嬢さんが突然家からいなくなった時の思いから始まりました。いなくなるっていうのは先ほど言いましたように、ハンセン病が発症したために強制的に隔離されたということで、そのことを後で知り、こういうことがあってはならないということを心に刻んでおったわけで、この日本財団が出来る前から個人的に世界中に支援してきました。

今から40年前程になるでしょうか。韓国の水原(すいげん)にハンセン病の病院を笹川良一が建設・寄付したとき、私も彼に連れられて訪問しました。学校では民主主義だとか基本的人権だとか自由だとか平等だとかということを教わってきました。しかし、このハンセン病の患者を目の前にし、実は私達の知らない世界というのが世の中にはたくさんあるのだということに気付き、大変驚きました。

一度ハンセン病にかかれば、日本でもそうですが、三代ぐらいはその家の人は結婚できない。昔は一般的に遺伝するとか強い感染力がある病気だ、あるいは神様から与えられた罰であるとか、先祖が悪いことをした罰がその家に現れるというように信じられていましたから、社会から強い差別を受けてきたのです。今でも、例えばインドなどでは、墓場の跡やゴミ溜めの傍や川の縁など、あまり人が行かないようなところで肩を寄せあって生活しており、レストランにも入れない、交通機関にも乗せてもらえないという状態が続いてきたのです。ハンセン病は紀元前の六世紀からといいますから旧約聖書が出来る遥か前から世界中であったわけです。そして不思議な事ですが、昔は今のように航空機・交通機関があり、通信も自由になった時代ではないにもかかわらず、既に世界中でハンセン病になった人は島に流されて生活しなければなりませんでした。

日本でもそうですね、四国の選手の人なら大島青松園というのがあるのをご存知でしょうし、岡山にも2カ所、奄美大島にも沖縄にもありますが、みんな島ですね。島に捨てられたという歴史があるのです。

振り返ってみますと、私はこの30年間で約380回海外に行っています。だいたい一年に12回、ここ10年程はだいたい15回から20回海外にいっており、主にハンセン病を世界から無くそうという活動です。今や病気といわれるものは医学的には何千種類もあります。しかし、結核になった人は病気が治れば社会に復帰できますし「あの人は元結核患者だ」とは言われませんよね? ところがハンセン病だけは「あの人は元ハンセン病の患者だ」と言われ、病気が治っても就職も結婚もできない。或いはそのお子さんたちは健康な体であるにも関わらず「あそこはハンセン病の家庭だ」ということで学校にも通えない。このように、その病気が治っても社会の側に差別をするという気持ちが非常に強く残っているので通常の生活が出来ないのです。自転車に例えれば、前の車輪は病気を治す活動であり、後ろの車輪は社会的差別から彼らを開放してあげなければいけないのです。

ハンセン病はこのように社会的な差別を伴い、非常に醜い状況で生き長らえるという大変辛い病気です。他の病気でしたら家族が心配してお世話をし、励まし、薬を調達することに一所懸命になるわけですが、ハンセン病の場合には家族からも捨てられて、一人で放浪し、そして、そういうグループの集まりの所で生活を余儀なくされる。これは現代でも続いているのです。インドだけでも過去1100万人の人が病気から解放されましたが、まだまだ殆どの人が乞食で生活をしなければならないというのが実情です。

世界的に非常に悲惨な状況下にありましたこの病気も、ボートレースの資金で1994年から5年間、薬を世界中で無料配布した結果、500万人以上の人が病気から解放されました。従いまして世界的にハンセン病という病気に対して日本財団そしてボートレース業界というものがいかに高く評価をされていることかを知っていただきたいと思います。

一つの仕事に情熱を持ち、忍耐強く継続的にやっていくということは大変重要なことです。是非、上瀧会長にも一度現場に行っていただき、実情を見てもらいたいと思っています。

また明後日からインドに行きますが、やはり同じ人間としてこの世に生まれてきた以上、もしあなたがたの家族にそういう人がいたとしたらどうしますか?
幸い私たちはまぁまぁ恵まれた家庭に育ち、それぞれ個人的には悩みもあるでしょうし考えなければいけないことがあるかも知れませんが、安心して三食ご飯が食べられ、世界で最も安全で平和で、世界123カ国の人たちが最も好感度の高い国と答える日本という国に住んでいるのです。日本から一歩離れれば、夜暗くなったら一人で表を歩けませんし常に犯罪の危険があります。日本は若い女性が夜遅くても一人で歩けます。また外国の方に「電車に乗るとき、どうして日本人は並んできちんと待っているのですか? どこで誰が教えているのですか?」と聞かれます。誰にも教えられないけれどもそういうことが自然な形でできる。こういう秩序ある国民性なのです。

東日本大震災では選手の皆様方にはいち早く募金活動から現場での活動にご尽力いただき、今もまだ続けてくれていますが、外国のメディアをご覧になればわかるように、外国ではどこかで大地震があるとすぐに店屋を壊す人や物品を盗み出す人が現れます。この間の中国もそうでしょう。店屋を破ってものを持って帰る、或いは火をつける。なんで日本はそういうことが起こらないのか?

今度の震災では1万9千人の人に皆様方からのお金をいち早く5万円ずつ現金で配りました。亡くなられた方にお線香を買い花を仏前に備えて欲しいという我々の気持ちをいち早くお届けしました。従いまして日赤や赤い羽根や色々なところに寄付したけど7ヶ月、8ヶ月経っても配られないし誰に配ったかもわからないというなかで、我々の方はいち早く一人ひとりに直接お渡ししました。当初「二重取りや三重取りされることもあるだろう。そういうリスクがあってもやろう!」と覚悟しました。というのも、乗り物がありませんから皆さん歩いてくるので、市役所、小学校、或いは幼稚園と、複数の場所で配りましたから名簿だけが頼りでした。しかし、この結果、問題があったのは2件だけでした。

その1件は、奥様が近所の小学校で5万円を受け取り、たまたまご主人も他の用事あって訪れた市役所でお金をもらって帰ったが、家に帰ったら奥さんがもらっていたということで、遠い道のりを歩いてご主人がその5万円を返しに来られました。
もう一人の方は、行方不明者のご親族で、5万円を受け取られたのですが20日後に病院に収容されて生きていることがわかり、わざわざ返しに来て下さった。
ということは、約2万人の人に現金を配って事故はゼロです。そんな国が世界にありますか?

子供たちも外国人から色々な支援物資をもらっても個人で持って帰らずにみんな食料倉庫に預けたというので、特にアジアのテレビでは、日本人は子供達までこういう素晴らしい社会性を持った性格をしていると、日本の国民は世界的に評価されているのです。確かに悲しい事件ではありましたが、世界の人は益々日本に一度行ってみたいと思うようになりました。こういう素晴らしい国で我々は生活をしているということを忘れてはいけません。

選手の皆様方にはこのような社会奉仕に対して非常に深い関心を持っていただき、多額の支援金を頂きました。私共は一銭たりとも無駄使いはしません。今日頂いたお金につきましても選手会の幹部と私達の専門の先生方とで委員会を作成し、活用方法を検討することと致します。その上で、透明性と説明責任をきちんと果たしていくということが大変重要なことです。10月1日、日本財団が50周年を迎えるにあたり、これからは「人が人を支える」社会を作る。その元締めになろうと考えております。

アメリカなどはプロスポーツの選手は一人ひとりがペットプログラムと言いまして、「私は小児がんの子供の面倒を見よう」とか「私は知的障害者の子供の面倒を見よう」とか「私はHIV、AIDSの人の助けをしよう」とか個人的にやられている人はたくさんいますが、世界のプロスポーツの中で、選手会が選手総意のもとでひとつの社会貢献活動を長く続けてきたというのは皆様方以外にはありません。私はそういう皆様方と共に仕事ができますことを大変誇りに思っております。皆様方のこの貴重なお金が有効に使われるように、責任を果たして行きたいと思います。

ハンセン病はまだまだ私の生きている間に根絶、ゼロにすることは出来ませんが、少なくともその道筋、どのようにしたらこの問題が解決するのかということは既に色々な所で発言しておりますし、組織も作っております。そういう意味では必ずや将来、この悲劇的な病気がなくなる日もそう遠くはないと信じ、更に活動を強化していきます。

皆様方には日々選手としてファンの声援に答える素晴らしいレースをされていますが、私は連合会長を辞めたあとすぐに比叡山に行きました。そこにはいわゆる千日回峰という、3年間、約30km近い山道を毎日、夜明けとともに歩く。そして最後は9日間飲まず食わずで眠らず読経をする。それを達成した人が阿闍梨といって生き仏になるわけですが、私はそこを歩いて40数箇所、お賽銭を上げるところに行って皆様方が怪我のないように、事故がないようにということをお祈りしてきました。皆様方が怪我をされるということは、私にとって最も心の痛む出来事です。東日本大震災では多くの選手の皆様から個人的にも募金を頂きました。私は一人ひとりの方に必ず礼状をお出ししておりますが、その中には必ず「怪我のないようにご活躍ください」ということを添え書きしております。

さて、モーターボート業界は今、大きく変わろうとしています。競走会も単純な一つの組織になりましたから、指示・命令系統も非常にはっきりしてきました。また、私は決しておだてるつもりはありませんが、選手会の皆さん方はこのプロスポーツの業界の中で、例えば最近ではアメリカンフットボールでは審判員が拒否して審判をしないという事態があり、ようやく昨日解決したようでございますが、日本の中でも色々な公営競技がある中で、常に冷静に「業界があって私達選手があるのだ」と。そういうことを一人ひとりの人がきちんと認識して頂いているというのは素晴らしいことだと思います。

かつて笹川良一は、「一枚岩盤で、あらゆる関係者はとにかく売上を上げれば全ては解決する」と言いました。ところが施行者の皆さんは、良い時は良いけれども悪くなったらどこまでも落ちると思われているようですが、そんなことはございません。昔、私が読んだ本では100年以上続いている企業というのは日本には11万5千社あるとのことで、最近の資料ではと約7万社となっておるのですけれども、100年続いている企業はアメリカでは千社ぐらいしかありません。ドイツのような古い歴史のある国でも2千社くらいです。なぜ日本に100年続いている企業が7万社も11万5千社もあるんでしょうか? 京都近くの出身の人ならわかるでしょう? 京都に行けば100年なんて「まぁずいぶん新しいですね。うちは織田信長の時代から京都で菓子の製造をやっております。400年です」という様に、200年以上続いている企業なんていくらでもあります。

それは2つの原則です。
1つは「創業の哲学がしっかりしている」
ボート業界で言えば「ファンあってのモーターボート競走」これが大原則です。
2つめは時代の変化とともに私たち自身も、気持ちもそうだし、仕事のやり方も変わっていかないとダメなのです。古ければ全て良いというものではありません。時代の変化とともにお客さんも変わっていくわけですよね。その中で改革の努力を怠っては生き残れません。今から30年前のお客さんと今のお客さんとでは相当違うし、皆川会長がいつもおっしゃっているように、お客さまも変わっていってもらわなくてはいけない。年配の方ばかりになったらあとは続かないわけです。ですから今のボート業界というのは昨日の続きが今日であり、今日の続きが明日であるということではなのです。この苦しいところをみんなで売上を上げるためにまず努力をしましょう。そして売上が伸びてくれば、それは皆様方の選手賞金だって当然上がるわけです。

持分はそれぞれ違いますが、100の議論をするよりも1つの実行をしましょう。おそらく選手会の皆様は見ておられていると思いますが、競走会、或いはBOAT RACE振興会の仕事が早くなってきていると思いませんか? 景気が良いとか悪いとかという事は経済の循環で必ずある事です。中国だって今はとても良いといわれていますが、これが長く続くことはあり得ません。良い時が何十年も続くことは無いんです。笹川良一は「良い時には悪くなった時のことを考えなさい。今、悪ければ希望を持ってどうしたら良くなるかを考えなさい」と仰っていたことを、私は今思い出しました。

この業界は非常に可能性があるんです。施行者の皆さんに私はいつも言っています。それぞれの競走場のあるところ、例え売上が落ちたといっても5千万も6千万も一日にモノが売れる商売なんてありますか? しかも全てそれを現金でいただいています。25%というものをいただいて、それをどう分けるという事はありますけれども、こんな素敵な事業はありません。可能性があるかないかというのは我々の努力次第です。お客様はいくらでもいるのです。

ただ、時代が変わってきましたから、皆様方から見ると、一所懸命に走ろうと思っているけれども「何だ、今日は観客席、人が少ないな」と思われるかも知れません。かつて住之江では3万5千人も4万人も入って建物が揺れているのではないかと思われる時もありました。しかしそういうバブルの時を基準にして我々が生活設計をしてはいけません。あれはどこまで行っても泡です。我々の今進めている社会の変化に合わすという事は、お客さんの総量は減っていないけれどもレース場に来る人が減ってきて、それを電話投票や前売など色々な方法で買っていただくというもので、お客様の買い方も変化してきているのです。従いましてボートレース場は小さくコンパクトな施設にする。例えばこの会議場で300人もお客さんが来てくれたら非常に盛況ですね。しかし、この部屋の中に10人や15人のお客さまでは閑散とした感じがするでしょう。そういうことで、施行者の皆さんに小さな、そして災害にきちっと対応できるような、それでいてレースがないときには地域社会に貢献できるような、そういう素敵な施設に変えて欲しいと申し上げ、既に始まりつつあります。

私たちは3年間は新年のお祝いはやらないと。その代わりこの3年間でなんとしてでも明るい展望を見出し、まずは1兆円を確保しよう。次は1兆2千6百億円を確保しよう。そうするとだいたい2兆円の時代の収益が施行者にも入ってくるわけで、そんなに難しい話ではないと思っています。

他の公営競技が大きく自信をなくしている中で、皆さん方が非常に活発に、また協力的に「業界あっての選手会」であり「選手会あっての我々個人」だというしっかりとした意識を持ち、また社会のためにも貢献をしていきたいという素晴らしい選手の皆さんに恵まれてこの業界が存在していると私は理解しています。自信とプライドを持って、このプロスポーツの中でもボート選手は一味違うんだ! モーターボート業界は他とは違うんだ! というように社会の人から見られるよう、ここで一致団結、共に汗をかいて頑張りましょう。

どうぞお体に気をつけて、怪我の無いようにご活躍いただき、業界の繁栄とともに皆様方の個々人も繁栄していく。そういう素晴らしい団結力のある、情熱のある組織を皆さんと共に継続して行こうではありませんか。

今日は貴重な時間をいただき、私の拙い話をお聞き取りいただき、心から感謝申し上げます。また頂いたお金は、冒頭申し上げましたように、きちんと活用して皆様にご報告をしたいと思います。
挨拶:第8回アジア海上保安機関長官級会合 [2012年10月28日(Sun)]
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第8回アジア海上保安機関長官級会合でスピーチ


第8回アジア海上保安機関長官級会合
笹川陽平・スピーチ


2012年10月3日
於:インド ニューデリー リーラパレスホテル


インド国防省 シュリ・エーケー・アントニー大臣、インド海軍 ディ・ケー・ジョシー司令官、インド・コースト・ガード ラジェンドラ・シン副長官、アジア地域の海上保安機関の代表者の方々、聴衆の皆さま、アジア各国の海上保安機関の代表者が、広大なアジア海域の海上保安について話し合うため、この場にお集まりいただいたことに敬意を表します。第8回の会合は、こちらインド・ニューデリーにて開催されますが、インド政府、インド国防省、インド・コースト・ガードの温かなご配慮と多大なご尽力に対し、感謝の意を表します。

そして、突然の体調不良により、この場にお越しいただけなかったエム・ピー・ムラリダラン、インド・コースト・ガード長官にお見舞い申し上げます。今回の会合に際しての、長官の卓越したリーダシップに敬意を表すとともに、一日も早いご快復を心よりお祈りいたします。

日本財団は、第1回会合から絶えずこの会合をサポートし、見守り続けてきました。会合が始まった当時、多国間にまたがる海の問題が国際社会から注目を浴びつつありました。本会合は、海上保安機関のさらなる協力体制の構築が求められていたという社会的背景に加えて、「国家や人類、そして海を守りたい」という皆さまの志と使命感に心を動かされてサポートし始めたものです。そのため、私にとっても思い入れがあり、ぜひ皆さまの志と使命感が具体的な成果として表れればと思っております。

第1回会合のメインテーマは海賊問題でした。マラッカ・シンガポール海峡の周辺国を中心に活発な議論がなされたと記憶しております。当時はアジア各国にとって、海賊という共通の課題があり、結束しやすい状況であったと思います。アロンドラ・レインボー号事件では、マラッカ・シンガポール海峡で起きた海上犯罪に対して、周辺国との連携の下、最終的にインド・コースト・ガードの皆さまの協力を得て、解決に至りました。これは、海賊対策において、極めてうまくいった連携だったと思います。

今日では、海洋、とりわけ広大な面積を持つアジアの海がますます重要になっております。たとえば、アジア地域の経済が発展するにつれて、海上輸送が増加しております。また、アジアの人口が増加するにつれて、魚などの漁業資源のニーズが高まっております。このように、私たちの生活は海との関係を、日々深めているように感じます。

それに伴い、アジアの海を守る海上保安機関に活躍していただく場面も増えております。かつてとは比べものにならないほど広い範囲で活動する海賊、海上テロリズム、限りある資源を無作法に搾取する違法漁業、有害危険物質を含んだ大規模な海洋環境汚染、甚大な被害をもたらす津波・洪水・台風等の自然災害など、一国だけでは解決できないような複雑な問題も増えてきました。

これら複雑な問題に直面し、もはやこれまでの協力体制や連携活動だけでは有効な解決策とはいえない状況になってきたのかもしれません。また、現在の海上保安機関が取り組むべき問題が多岐にわたっているため、共通の課題が見出されにくくなっているのかもしれません。

このような状況の下、私たち日本財団がこの長官級会合に期待したいことは、ここにお集まりの皆さまが、具体的な成果を定め、足並みを揃えて複雑な問題に取り組めるように話し合っていただくことです。今回の会合では、前回のベトナム会合から本格的に始めた、今後の取り組みに関する議論をさらに発展させ、実りある会合にしていただくことを期待しております。その結果、数年後に皆さまの活躍をお目にかかれることを期待しております。

日本財団は、これまで本会合の開催を支援してきましたが、皆さまの命がけの取り組みを後押しできるよう、今後もサポートしていきたいと思います。さらに、私たちは、これまで世界中の大学や研究機関と協力して海上保安機関の人材育成プログラムを実践してきましたが、今後、さらに充実させ、人材育成の側面からも、皆さまの活動を支えていきたいと考えております。

皆さまとこれまで以上に緊密に協力をすることで、アジアの豊かな海を次世代へ引き継げると信じております。
スピーチ:ハンセン病と人権国際シンポジウム [2012年10月27日(Sat)]
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ハンセン病と人権国際シンポジウムでスピーチ


ハンセン病と人権国際シンポジウム(インド)
笹川陽平・スピーチ要旨


2012年10月4日
於:インド国際センター(ニューデリー)


本日は、インド政府関係者の皆様、国連機関および国際機関の代表者、人権専門家、NGOの皆様、そして回復者のリーダーの皆様にお集まりいただき、心より感謝申し上げます。先のビデオメッセージにもありましたように、ハンセン病をめぐる差別の問題に対し、潘基文国連事務総長ならびにダライ・ラマ師にもこのように関心を寄せていただき、非常に心強い想いがしております。

ご存じの通り、ハンセン病は古くから業病などと人々から恐れられ、患者・回復者、さらにはその家族までもが長い間、厳しい差別の対象となってきました。
1980年代に病気の実態が明らかになり、有効な治療法が開発されると、ハンセン病は治る病気となりました。しかしその一方で、差別的な法律や制度によって引き起こされた慣習といったものが依然残っており、患者や回復者たちが尊厳のない生活に耐えながら生きている現状を私は世界各地で目の当たりにしてきました。

「病気そのものよりも、病気に伴う偏見と差別の方がはるかに恐い」。
これはハンセン病を患った人々から私が幾度となく聞いてきた言葉です。
彼らの心の叫びであろうこの言葉は、私の胸に重くのしかかりました。

彼らに対する偏見や差別を何とかしてなくしたい、そう考えた私は2003年、国連人権高等弁務官事務所を訪ねました。そして差別や偏見に苦しめられ続けているハンセン病患者や回復者の現状を人権問題として訴えたのです。
その結果、加盟国からの温かい支持を得ることができ、7年後の2010年12月、「ハンセン病に対する差別を撤廃する決議とそれに関する原則とガイドライン」が、国連総会において全会一致で可決されることとなりました。

採択された原則とガイドラインには、各国政府等に求められる具体的な対策の詳細が明記されています。しかし実際には、ハンセン病患者・回復者と社会との間には差別という厚い壁が立ちはだかっています。国連決議の採択は、この差別の壁に風穴を開け、これを取り壊すための重要なツールになると確信しています。ただし、これはあくまでもツールです。このツールがしっかりと活用されなければ、差別の壁を取り壊すことはできません。

まず、患者・回復者、その家族に対する、差別的な法や制度がないかを改めて見直し、もしそのような法制度が残っているならば、直ちに廃止することを進める必要があります。

また、差別法を撤廃したとしても、社会の中に根付いた患者・回復者に対する差別の慣習が急に消えることはありえません。社会に対してハンセン病に関する具体的な啓発活動を継続的に行っていくことが重要です。

そして、これまで限られた機会のなかで苦しい生活を強いられていたハンセン病患者や回復者の多くが、今後普通に社会生活を営むことができるよう、政府をはじめあらゆる関係者は、あらゆるサポート体制を準備しなくてはなりません。

以上のことを各国政府、国際機関、NGOや当事者団体にお願いするために、私はこの会議を世界の五地域で開催してまいります。そして、この原則とガイドラインの意義が世界中に浸透し、これが実践されることを後押ししていきたいと思っています。

今年1月には、第1回目の本会議をブラジルで開催し、参加者の方々から様々なご意見をいただきました。

差別という目に見えない厚い壁を壊すには、全てのステークホルダーがそれぞれの役割を果たすことが重要です。
私は、このシンポジウムが、私たち皆がそれぞれの責任を共有し、行動するきっかけとなることを願っております。

私たち日本財団は、ハンセン病をめぐる様々な問題の解決にあたるNGOとして、ここインドにおいても次のような活動を行っております。

問題の解決には、ハンセン病当事者自らが声を上げ、立ち上がらなければいけません。そのためには、当事者たちが自らの権利を主張できるようなプラットフォームが必要でした。ナショナルフォーラムという、インドの回復者全国組織の設立を支援したのは、こうした考えを後押ししたかったからでした。

また、回復者たちが自立した生活を送るためには、彼ら自身が生活に必要な能力を身に付ける必要がありました。そこで、回復者たちを対象とした小規模融資や職業訓練プログラムなどの支援を行うため、2006年にササカワ・インド・ハンセン病財団(SILF)を設立したのです。

本日お集まりいただいた皆様にも、ぜひ、それぞれの立場で役割を果たしていただき、この問題の解決に携わっていただくようお願いをしたいと思います。

例えば各国政府のみなさんには、差別的な法律や制度の撤廃、慣習の撲滅に向けた具体的な行動計画を示していただき、法律専門家のみなさんには、法的な立場からその動きをサポートしていただきたいと思います。また、メディアの方々や、様々な分野のリーダーを務める皆さんには、社会全体の意識を変革していくための情報発信をお願いし、政府らが示す計画や成果を社会全般に広める役割を担っていただきたいと思います。

この会議は、そのための第1歩です。参加される皆さんには活発な議論をしていただき、このアジア地域におけるハンセン病をめぐる差別問題の解決のための具体的な道筋を明らかにしてほしいと思います。
そして本会議での議論の結果、原則とガイドラインで示されているような差別法や差別的慣習などの問題を特定し、改善策を探るような調査・研究が必要だという意見がまとめられたなら、日本財団は、その研究活動を支援する心構えでおります。

「療養所の壁はたった20センチの厚さですが、その壁が外の世界を完全に遮断しているのです」。

今日、ハンセン病療養所に住んでいる人々は少なくなってきています。
しかしだからといって、ハンセン病の患者や回復者たちと、社会との間に立ちはだかる壁が消え去ったというわけではありません。見えない差別の壁は、今もそこに立ちそびえているのです。
私たちは、この壁を取り除く義務を果たさなければなりません。
原則とガイドラインというツールを生かし、皆でそれぞれの役割を果たすことで、いつの日かこの壁を取り壊す日まで、共に手を携えて歩いていきましょう。

「ポ−ランド・ヤゲロニア大学」 ―笹川良一ヤングリーダー奨学基金20周年記念― [2012年09月24日(Mon)]
「ポ−ランド・ヤゲロニア大学」
―笹川良一ヤングリーダー奨学基金20周年記念―


1400年建築の大学博物館内にある講義室にて20周年記念講演を行う。左はマニア副学長.JPG
1400年建築の大学博物館内にある講義室で20周年記念講演


笹川良一ヤングリーダー奨学金制度(Sylff)は、世界の著名な大学(69大学、44ヶ国)の修士・博士課程の優秀な学生に、それぞれの大学の判断で奨学金が授与されるもので、このたびポーランドの名門ヤゲロニア大学で20周年の記念式典が開催された。

この大学の創設は1364年と古く、日本では室町時代で、1338年に足利尊氏が室町幕府を開いている。卒業生にはコペルニクス(天文学者)、シンボルスカ(ノーベル文学賞詩人)やヨハネ・パウロU世がおられる。

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コペルニクスの部屋、意外に小さく慎ましい

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コペルニクスの部屋にあった太陽系のモデル


式典はヴォイチェク・ノヴァック学長をはじめ大学幹部の出席のもと、由緒あるCollegium Maiusホールで開催された。

以下は私のスピーチ要旨です。

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Sylff20周年記念式典
日本財団 笹川陽平会長 スピーチ


2012年9月7日
於:ヤゲロニア大学・Collegium Maiusホール



近年、社会のグローバル化が急速に進んだことで、世界各地で、民族・宗教紛争の勃発、自然環境の悪化、不平等の拡大をはじめとする、多種多様な問題が次々と顕在化しています。Sylffは、設立当初からこうした複雑化する地球規模の問題に対して、国籍・言語・民族・宗教・政治体制といった差異を越えて、人類共通の利益のために貢献することを理念として掲げ、より良い社会の創造のために行動し、具体的な解決策を提示できるリーダーを育成することを目指してきました。国際社会は、今まさに、こうした問題に立ち向かい、臆することなく迅速に行動できるリーダーを求めており、それに応えることこそがSylffフェローの皆様に課せられた使命であると私は考えております。

1987年に始まったSylffも、今や世界44カ国69大学を繋ぐ大きなネットワークに成長しました。本事業は、Sylffプログラム全体の管理を行う東京財団、財政的支援を行う日本財団、そして実際に奨学金の運営を行う大学の3者が共同で実施しています。各校のたゆまぬ努力により、これまでに13,000人以上のフェローが世に送り出されました。
ここ、ポーランドでも約220人の優秀なフェローが誕生しており、関係者の皆様のご尽力に心より敬意を表します。

皆さんの先輩であるSylffフェローの中には、すでに多くの方が社会をより良くするための様々な活動を実践していらっしゃいます。たとえば、ここヤゲロニア大学でも、Sylff フェローが中心となってJUSFA(Jagiellonian University Sylff Fellows Association)という奨学生組織を立ち上げ、途上国における人権問題や国際社会が抱える様々な問題を扱うセミナーやワークショップを開催し、NGOと連携しながら社会課題の解決に向けた活動を実施していると伺っています。さらにJUSFAの皆さんは、Sylffの価値や理念を世界に向けて積極的に発信してくださり、大変感銘を受けています。このようにフェローの皆さんがSylffの理念に共感し、自らリーダーシップを発揮して問題を解決するために立ち上がっていらっしゃる姿を拝見し、心より嬉しく思います。

私はこれまで、政府や国際機関で要職に就いて活躍されているSylffフェローをはじめ、その他にも社会に影響を与える立場にある数多くの優れたリーダーにお会いする機会に恵まれました。そこで、本日は、私自身も心から共感した、彼らの「リーダーとしての姿勢や心構え」について、ぜひとも皆さんの心に留めておいていただきたいと思い、お話しいたします。

冒頭でもお話ししました通り、世界は自然環境の悪化、不平等の拡大、民族・宗教紛争の勃発など、地球規模の問題を多数抱えています。さらに、グローバル化が進み、問題が顕在化したことで、その類似性や共通性も浮き彫りになりました。こうして、分野や地域における共通性が明らかになったことで、それらの問題を同種のものとして扱ってしまいがちになり、似通った問題に対しては、今までの成功例を当てはめようとする試みが至る所でみられるようになりました。ある成功例を安易に適用しようとしたが故に失敗を引き起こしてしまうことはよくあることで、残念ながら、私は世界各地でそのような失敗例を目の当たりにしてきました。

しかし、一見すると表面的には同じように見える問題であっても、実際には一つ一つ異なります。ある成功例が単純に別分野・別地域の解決策として安易に当てはめられるわけではないのです。前例は参考にすべきではありますが、それが、取り組んでいる個々の問題に即しているのかを常に思慮深く考察する必要があるのです。

皆さんはSylffのフェローとして、それぞれの分野における専門知識を習得してきてくださいました。そして、将来、様々な社会問題に取り組んでいくために、これからも一層勉学に励み、専門性を深めていかれることでしょう。ただ、それだけで物事を判断しようとすると実態に即しておらず、結果的に自分の考えや常識の範囲内でしか考えないことになってしまうことになるかもしれません。

ですから、ぜひ皆さんには、問題が起こっている国や地域の歴史や習慣、宗教等を研究して異文化に対する造詣を深め、当事者の声に耳を傾け、状況を的確に把握するための努力をしていただきたいと思います。
その上で、何が最適な解決方法となるのかを総合的な観点から判断することが非常に重要になります。

私がこれまでに見てきた優れたリーダーは、問題を多面的・重層的に捉え、その国・地域に適した解決策とは何か、とことん突き詰めるという姿勢をもって取り組んでいらっしゃいました。ぜひ皆さんにもそのようなリーダーになっていただきたいと私は考えています。

また、問題解決にあたっては、様々なステークホルダーと協力することが不可欠です。しかし、政府、国際機関、民間企業、NGOなど複数のステークホルダーが集まれば、立場が異なるだけではなく、それぞれの利害関係や対立する構造が明確になることも少なくありません。それによって、議論が難航し、混沌とした状況に陥ることもあるでしょう。自分の意見が思うように受け入れられず、批判を受けることもあるかもしれません。しかし、そのような時でも、決して投げやりにならず、相手の意見をよく聞き、粘り強く対話を続けていく姿勢を忘れないでください。むしろ、批判というものは、それを前向きに捉えることで、自身の選択した方法を省みたり、新たな気づきを与えられることもあるからです。社会に貢献したいという志は皆同じです。どうか、こうしたステークホルダーらと、とことん議論を尽くし、問題解決に向けて、最善の策を追及していっていただきたいと思います。

ヤゲロニア大学役員とSylff・OBとの食事会.JPG
ヤゲロニア大学役員とSylff・OBとの食事会


「東日本大震災復興応援イベント 写真・動画コンクール2012表彰式」 [2012年07月14日(Sat)]
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岩代国郡山のうねめ太鼓・ゆき組の演奏


「東日本大震災復興応援イベント
写真・動画コンクール2012表彰式」
―挨拶―


2012年5月17日
於:日本財団ビル1階バウルーム


本日は沢山の方にお集まりいただきありがとうございます。日本財団では「写真と動画のコンクール」を毎年開催していますが、今年は「東日本大震災を忘れない」をテーマに、震災から1年が経った2012年3月11日に撮影した映像を応募していただきました。

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ご承知のように、1枚の写真は10万語に勝るとも言われていますが、動画ということになればなおさらです。人間の記憶は時間の経過とともにあやふやになりがちですが、写真や動画にすることで、何百年、何千年とその事実が残ります。これは、私たち自身が今回の震災を忘れないというだけでなく、子々孫々に伝えていくという意味でも非常に重要なことです。

作品の中には、悲しみに耐えて頑張っていらっしゃる方や、未来に希望を見出して新たな一歩を踏み出した方を映したものなど様々です。今回、写真についての審査は既に終えておりますが、動画についてはご来席の審査員の皆さまに後ほど最終審査を行っていただきますので、皆さん、結果を楽しみにお待ちください。

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動画コンクールの審査講評をする大林宣彦監督


また、その後には福島県郡山市からお越しいただいた、岩代國郡山うねめ太鼓保存会「ゆき組」による太鼓演奏もございます。今回の震災では、各地域の祭りや神社の行事で使う衣装や太鼓、山車などが津波の被害を受けました。そこで日本財団の姉妹財団である日本音楽財団が、自身の所有するストラディヴァリウス1721年製ヴァイオリン「レディ・ブラント」を約12億円で売却し、その全額を被災沿岸部に伝わる地域伝統芸能の復興支援に役立ててほしいと寄付してくださいました。

岩手県、宮城県、福島県の3県には4500もの神社があります。今回の震災でそのうちの3分の1にあたる1500の神社が津波の被害を受けました。ご承知のとおり、被災各地では昔から農業が盛んで、五穀豊穣を鎮守の森で祝い、神様に感謝の祭りを捧げてきました。そしてその祭りのために、おじいちゃんおばあちゃんが娘や息子、あるいは孫に伝統的な笛や太鼓、踊りを教えることで代々受け継がれてきたのです。まさにこれこそが、今、私たちの言う「絆」の原点なのです。このような営みによりコミュニティがより強いものになり、それが絆として脈々と東北地方の人々の精神的な強さ、バックボーンになってきたと私は解釈しています。従って祭りや地域の行事で演奏される太鼓は多くの方々の絆の原点、魂の叫びであり、そのことを意識して演奏を聴いていただきたいと思います。
「ミャンマー超党派国会議員初来日」 [2012年06月27日(Wed)]
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ミャンマー国会議員 超党派で来日


「ミャンマー超党派国会議員初来日」


笹川平和財団と日本ミャンマー協会の協力で、与党USDP総書記のテ・ウー下院議員を団長に、初の超党派議員団の来日が実現した。

H.E. U Htay Oo (テー・ウー) ミャンマー連邦議会 下院議員 USDP総書記
H.E. U Aye Myint (エー・ミィント) ミャンマー連邦議会 下院議員 USDP
U Hkyet Thing Nan (ケッ・ティン・ナン) ミャンマー連邦議会 下院議員 UDPKS
U Khon Maung Thaung (クン・マウン・タウン) ミャンマー連邦議会 下院議員 PNO
U Tin Maung Win (テン・マウン・ウィン) ミャンマー連邦議会 下院議員 USDP 

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SPF・日本ミャンマー協会・日ミャンマー友好議員連盟共催レセプション
―挨拶要旨―


2012年6月14日(木)
於:ホテル ニューオータニ


テー・ウー閣下はじめ超党派の議員の先生方、ようこそ日本にお越し下さいました。心から歓迎申し上げ思います。

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先般、テイン・セイン大統領閣下が国家元首として28年ぶりの訪日を果たし、長い間の懸案でありましたミャンマーと日本における経済協力関係が正常化致しました。そして今回、テー・ウー総書記閣下にお越しいただき、つい先ほど野田総理大臣との会談を成功裏に終えたと伺いました。これでミャンマーと日本との新たな関係構築が正式に始まったことになり、ご出席の各界の代表の皆さまと共に、心より嬉しく思っております。

ミャンマーと日本との関係、特に外交関係におきましては、難しい時期が長く続いて参りました。しかし、世界で最もミャンマーを愛する我々日本人のミャンマーとの間に正常な関係が再開したという喜びは、この場にこれだけ多くの各界を代表する指導者にお集まりいただいたということで、テー・ウー閣下を始め、来日された国会議員の方々にはご理解いただけるものと思います。

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テー・ウー閣下


4日間という大変タイトなスケジュールではございますが、日本の国民、そして本日ご来席の日本を代表する政界、経済界、学界の方々、或いは諸団体の方々が如何にミャンマーを愛し、発展を望んでいるかということを知っていただき、我々日本人は、貴国のために情熱を持って最大限の努力を捧げる用意があるということもご理解いただければと思います。

ミャンマーと日本との関係が正常化し、このようにテー・ウー閣下をはじめとする皆様をお迎えできるようになったのも、日本・ミャンマー協会の渡邉秀央会長が、長い間静かな外交を地道に展開してこられた努力の結果であり、心より御礼申し上げます。

最後になりますが、帰国されましたら是非ともミャンマー・日本間の関係の正常化が政治レベルではなく、各界レベル、最終的には国民と国民のレベルまでに信頼関係が確立されることを強く希望しているとミャンマーの国民の皆さまにお伝えを頂きたいと思います。
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