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写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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「日本人としての誇り」その2―講演― [2014年02月26日(Wed)]
「日本人としての誇り」その2
―講 演―


「第6回B&G全国サミット」
於:笹川記念会館・国際会議場


講演会.jpg


世界は日本をどう見ているか。BBC放送が3年に1回行う調査では、世界百数十カ国の中で最も平和で安定した国は日本という結果が出ています。これまでに世界125カ国を訪れてみて、日本ほど四季が明確で、はげ山がない国はまずありません。山紫水明と言いますが、20世紀後半の世界の大問題である水問題ひとつをとっても、中国などは水がなくて、地下水を掘っても公害の水で飲めないということで、南の揚子江の水を黄河流域に流し込むことまでやっていますが、全然足りません。日本のように、ちょっと山に入れば手ですくって水が飲めるような国はありません。

日本には1000年もの昔に女性が書いた源氏物語を筆頭に、多くの小説や書き物があります。1000年前のヨーロッパは手で物を食べていました。その時代に日本人は箸を使って食べ、上流階級の人は詩歌を歌い和歌を作って恋愛をしていたんです。知的水準が高いのです。

人口が100万を超えた江戸の街には、近年、世界の人が望む、環境を重んじた循環社会が既にできていました。町民と言われる人たちは権力を持たないものの、歌舞伎や人形浄瑠璃を楽しみ、お伊勢参りをし、自由闊達な生活ができる環境があったんです。

ビクトリア王朝で活躍した英国の憲政学者ウォルター・バジョットは、国の理想的な体制は権力と権威を分離することが望ましいと言っています。そういう国はどこにあるんでしょうか。日本でしょう。天皇家は権威はお持ちになるが、権力は将軍家が持ち、権威と権力を分離したのです。英国の学者が言う素晴らしい制度が日本の中に、知らず知らずに誕生していたのです。

マーチン・ルーサーキングは黒人の人権運動でノーベル平和賞をもらいましたが、アメリカの人種差別はいまだに深刻な問題です。世界から人種差別をやめようという提案を国際会議で初めて行ったのは日本なのです。第1次世界大戦後のパリ講和会議・国際連盟委員会で提案し、議長をしていたウィルソン米大統領の拒否で通りませんでしたが、人類の普遍的原理である人種差別撤廃決議まで出した日本が、誇るべき外交成果を言わないまま、従軍慰安婦問題に翻弄されているは姿は情けない気がします。

サミュエル・ハンチントンは日本を世界の八大文明の一つに位置付けました。かつて中国から影響を受けたものの、それを消化しながら独自の文明を作ってきたのです。中国の近代化の関係で言えば、日本はマルクス、レーニンをはじめ、社会主義の文献の多くを日本語に翻訳していました。しかし中国にそういう言葉はなく、日本語を取り込んで今の中国共産党理論を作ったのです。中国の学生に「中華人民共和国」の中で中国語はどれかと聞くと、バカなことを聞いているなっていう顔をしますが、中華以外、人民も、共和も、国も日本語です。労働者、資本家、経営者、企業、賃金、芸術、文化、哲学・・・。中国で使われている約1400を超える社会科学系の言葉は、全部日本語です。中国は日本から言葉を輸入して今の共産主義体制を作り上げたとも言えるでしょう。

こういう話をほとんどの人は知りません。ですから私たちは、先人たちが築いてきた歴史や輝かしい文化を、きちっと次の世代に伝えていく必要があるのです。誇りを持つことと傲慢になることは別です。日本人は、謙虚で秩序ある国民性に立って、2000年の長い歴史を身に付け誇りを持つことが大切です。

国語教育の中に英語を取り入れるとか言っています。グローバリゼーションの時代、英語も必要ですが、日本のことを知らなかったら何もしゃべれない。勉強していないから外国人から聞かれても答えようがなく、「日本は特殊な国です」って逃げているうちに、「日本特殊論」が近年まで日本の位置付けになってしまった。これは学者や外交官の責任です。

日本は今、アベノミクスで経済が栄えようとしていますが、ここにも日本の特徴があります。世界で100年以上続いている企業はそれほどありません。アメリカでも100もないでしょう。マイスター制度、いわゆる匠の世界のあるドイツでも約2000と言われています。ところが日本には100年を超える企業が5万社もあります。自らの仕事に誇りを持ち、創業者の伝統を生かしながら社会の変化に対応してきたのです。

多分、韓国ではゼロでしょう。韓国は両班(ヤンバン)といって軍人か役人、この二つを目指します。それ以外の職業は下賤なものされ、有名な料理屋もお金が貯まれば息子を海外に留学させ、運動神経のいい子にはゴルフを教え、プロにするために店をたたんで家族ぐるみで海外に出て行く。中国、韓国人の多くは次に産まれてくる時には他の国がいいと言います。これに対し日本人は90パーセント以上が次に産まれてくる時も日本がいいと言いながら、自らの国に誇りを持っていないのは残念であり、不思議なことです。

笹川会長.jpg


江戸時代末期から明治時代初期にかけて日本を訪れた欧米人の手記や書簡を掲載したベストセラー、渡辺京ニ氏の『逝きし世の面影』を読むと、いかに多くの外国人が日本を絶賛しているかがわかります。東京から日光に抜け福島、秋田、青森を通ってアイヌまで旅をしたイザベラバードという女性は、日本の田園風景の素晴らしさ、貧しいながらも礼儀正しい、いつも笑いを持った国民は珍しいと書いています。相対性原理を発見したアインシュタインも日本を絶賛しています。黒船で最初に伊豆に来たハリスは「こんなに笑顔を持って、子どもを大切にする国を見たことがない。こういう国に西洋の文化を入れていいのだろうか」と日記の中に悩みを書き遺しています。

先般、産経新聞の正論誌に載った慶応大学生、山本みずきさんの「18歳の宣戦布告国家観なき若者に次ぐ」が評判を呼びました。高校1年生で福岡県から選ばれ大使としてマレーシアに行った時、『君が代』を知らず、恥ずかしい思いをしたということを書いています。アメリカでは学校の教室には必ず星条旗を置き、いたずらをすれば星条旗を持たせて「もう二度としません」と約束させています。

国旗や国歌は思想、信条を超えて存在する普遍的なものです。軍国主義と関係するとかしないとか、そんな議論をしているのは、世界広しといえども日本だけです。だから日本の常識は世界の非常識と言われるのです。どうか次代を担う日本の子どもたちが自信と誇りを持つよう、きちっとした教育、しつけをしていただきたい。日本人の顔をした無国籍の子どもを増やしてはなりません。

宗教争い、民族紛争のない国を世界の中から探してみてください。ほとんどないのは日本だけです。権威と権力が分離した普遍的な政治体制を持つ国も日本を除いてほとんどありません。世界には193の国連加盟国がありますが、私は自信を持って、日本は世界一素晴らしい国だと言えます。
(了)

(注)
戦後、日本の教育がGHQの深謀遠慮によってどのように捻じ曲げられたか。
占領文書250万ページを読破した高橋史朗著『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』(致知出版社 1890円)は一読に値する。

ご興味の向きはどうぞ。

「日本人としての誇り」その1―講演― [2014年02月24日(Mon)]
「日本人としての誇り」その1
―講 演―


「第6回B&G全国サミット」
於:笹川記念会館・国際会議場


B&G(ブルーシー・アンド・グリーンランド)財団の第6回サミットが1月30日、東京・三田の笹川記念会館に、財団の支援で体育館やプールなど「海洋センター」を持つ全国390自治体から首長や教育長ら650人が出席して開かれた。冒頭、「日本人の誇り」と題して講演の機会を得た。

以下、2回に分け、講演要旨を掲載させていただく。
ご批判、ご意見をいただければ幸いです。

全国サミット.jpg


*********************


昨日までインドネシアでハンセン病の制圧活動をしておりました。主にパプア島での活動でしたが、島の半分は独立国のパプアニューギニアで、あとの半分がインドネシア領になっています。特にビアク島やその周辺は激しい戦闘で2万人近くの日本兵がほとんど全滅したところです。洞窟に入ってみますと、秋田県とか岡山県から、出征の時に奥さんが身ごもっておられたのでしょうか。そういう人のお嬢さんが成人して、見たこともない父親のために自分や家族の写真を慰霊塔に供えられており、涙なしに見ることはできませんでした。戦争に対する評価はさまざまですが、日本自身がもっときちんと見直していく必要があるのではないか。

海外を回っていますと、自然と日本に思いをいたすわけですが、素晴らしい国に生を受けているにも関わらず、それがどのぐらいすごいか、日本人自身はほとんど知らないわけです。とりわけ青少年が知らないことに対し、後期高齢者の1人として重い責任を感じます。

先般、小野田寛郎さんが91歳で亡くなりました。未来を担う子どもたちのために余生を過ごしたいとのことで、日本財団もお手伝いをさせていただき、B&G財団の子供たちのためにも多大なご協力をいただきました。日本人としての誇りを持ち、この国を世界の中で十分な役割を果たす国家にしていかなければならないと最期まで働かれました。

歴史が断絶した国は世界で日本しかありません。歴史というものは、良いにつけ悪いにつけ、語り継がれなければならないわけですが、戦後の民主主義教育の中では「戦前は悪、戦後は善」、「江戸時代は封建時代」としか教えませんでした。誤った考えや行動は、世界のどの国にもあり、日本だけの問題ではありません。なのに日本は戦後長くGHQの指導の下、自虐史観、自らを貶める考えを徹底的に受けてきたわけです。メディアの韓国、中国報道などを見ると、その残滓が今も続いているのがお分かりいただけると思います。

そういう中で台湾やフィリピン、マレーシア、インドネシア、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー、インドといった国々は、ことのほか親日的です。日本の敗戦という厳粛な事実の中でアジアがどのように蘇ったか、ある意味でそれは二百数十万に上る日本兵の犠牲によって達成されたわけです。

第2次世界大戦の正式な名称は大東亜戦争です。福沢諭吉の脱亜入欧、率先してヨーロッパの知識・制度を取り入れて日本を近代化し、これを基に遅れているアジアを引き上げていく壮大な構想でした。しかし大東亜戦争の名称はGHQの厳しい検閲で消され、幼稚園の遊戯大会で飾られた万国旗の中の日本の旗も黒く塗りつぶされる有様でした。

GHQに厳しく検閲された当時の日本の新聞は、アメリカのメリーランド大学のブランゲコレクションに保存されています。日本財団はこれをマイクロフィルム化してきましたが、メディアに対する弾圧は半端ではありませんでした。当時は新聞をはじめとしたメディアが使用する紙はGHQの割り当てだったので、逆らうような批判的な記事は書けなかったのです。

日本は石油の80%以上を海外から輸入しなければやっていけませんでした。ところがアメリカは、日本に石油を輸出してはいけないというルールを作って日本を締め上げ、排日移民法で日本人移民を苦しめ、学校にも行かせない、土地も買わせない。日本が生きるためにはやむにやまれぬ戦争だったのです。戦争が悪であるのは間違いありませんが、GHQの最高司令官だったマッカーサー元帥も帰国後、アメリカの議会で「日本は自衛のために戦いをせざるを得なかった」と証言しています。

大東亜戦争前のアジアの国々はどうだったか。フィリピンはアメリカ、マレーシア、シンガポール、ミャンマー、インドはイギリス、ベトナム、ラオス、カンボジアはフランス、インドネシアはオランダの植民地でした。これらの国々は大東亜戦争の後、独立を勝ち取りました。その多くに日本軍人の協力がありました。

先般、安倍総理がインドに行かれました。インドと日本は100年の長きにわたる幅広い交流があります。皆さんがよく召し上がるカレーライスは、ビバリーボースというインドの革命家が日本に亡命して新宿にある中村屋という果物屋さんに匿われ、そこのお嬢さんと結婚して、日本人にカレーはどうかということで日本風のカレーが始まったわけです。

インド独立には、日本人が重要な役割を果たしています。日本が大東亜戦争でシンガポールまで攻め落とした時、英国側で働いていたというか徴用されていたインド人5万人が捕虜になりました。彼らに食料を与え、面倒を見たのが若干32歳の藤原岩市という日本兵でした。インテリジェンス活動が主だった人物ですが、5万人の捕虜をスタジアムに集め「あなたたちはこれからインド解放のために戦わなければならない」と大演説を行いました。そして、ドイツにいたインド独立運動の指導者チャンドラ・ボースを潜水艦でシンガポールに移し、彼を長に5万人のインド独立軍ができたわけです。それが今のインド国軍です。

チャンドラ・ボースは「インド解放のために無駄な死に方をしてはいけない」という日本軍の反対を押し切ってインパール作戦にも参加しました。日本は負け、参加したインド兵はニューデリーやカルカッタで英国の軍事裁判にかけられるわけです。しかしネルーやマハトマ・ガンジーが「裁判は不当」と立ち上がり、彼らを釈放させるとともにイギリスを撤退させ、独立を勝ち取るわけです。藤原岩市なければインド独立はなかったと言っても過言ではありません。

インドネシアはどうでしょうか。日本がオランダを追い出し、負けたところに再びオランダが進軍してきた時、日本軍人や民間人約250人が祖国に帰らずスカルノを助け、インドネシアの独立が実現したわけです。

今、私が政府代表として武装勢力と政府側の交渉の一助をしておりますミャンマーの建国の父と言われ、アウンサン・スー・チー女史の父親であるアウンサン将軍も、当時ビルマといったミャンマーの独立のために日本の訓練を受けています。日本敗戦後、南機関と言われる約30人の将兵がミャンマー人の若き兵士を教育してイギリスとの戦争を戦い抜き、独立を勝ち取ったわけです。ミャンマーの陸軍士官学校では今も30を越える日本の軍歌がミャンマー語で歌われ、軍艦マーチは現在も彼らの最も得意とする音楽の一つ、「匍匐前進」(ほふくぜんしん)などの言葉も残っています。

先ほど申し上げたパプアニューギニア。これはオーストラリアが占領していたわけですが、日本の敗戦後、柴田さんという日本軍の中尉が、パプアニューギニアの国父と言われているマイケル・ソマレ首相の右腕としてオーストラリアと戦いました。その後、国が独立、初の選挙にマイケル・ソマレが立候補した時に助けたのがB&G財団生みの親である笹川良一です。ソマレは伝記の中で「良一は自分の親父みたいな人だった」、「この名誉ある名前をいただいて、息子にマイケル・ソマレ・リョウイチの名を付けた」と書いています。

台湾の蒋介石は「恨みに対し恩を持って報いたい」と日本兵を無傷で返してくれました。台湾に移動する時、軍を強化しないと共産主義に負ける、ということで日本に協力要請があり、岡村寧次大将を中心に使節団が入りました。メンバーの一人で私のはるか先輩でもあった富田大佐は「共産党の赤に対して白で対峙する」と言って「パイ」という名前で現地に入り、現在の台湾軍を創設した人として大きな足跡を残しています。

それでは中国大陸はどうだったか。「国父」とまで言われる孫文の日本、ハワイ、香港での亡命生活の面倒をみた人に梅屋庄吉がいます。香港で写真屋から活動写真、映画館の経営で億の金を残し、孫文の活動を全面的に支え、仲人もしました。日中国交40周年事業として上海で梅屋庄吉展をやる計画になっていたのですが、現下の状況で中止になったのは残念です。

昭和24年か25年のことですが、毛沢東から日本の旧陸軍の人たちに「われわれが作った共産中国が本当に機能しているか見学して助言がほしい」という声が掛かり、一行25、6人が、香港まではパスポート、さらに密入国同然で大陸に入り、毛沢東が手配した飛行機1機に乗って1カ月間にわたって中国全土を視察したことがあります。一行は視察後、毛沢東の自宅に招待を受けました。横には周恩来も彭徳懐元師もいました。最年少者は陸軍士官学校を出る前に終戦になった当時29歳、現在は89歳の清水さんという方で、この時の資料が私どもの手元にあります。

それによると、視察団の団長はこの席で「とんでもない国になってしまった。毛沢東さん、あんた悪い。共産主義では、これからの中国はあり得ない。私はあなたのやり方に大反対だ」と言ったんですね。これに対し毛沢東は「ありがとう、ありがとう」と言いながら笑顔で話を聞いた。中国人もこれくらい腹は太かったんですね。それに比べ昨今の状況は少し情けない気もします。

「歴史にifはない」と言いますが、大東亜戦争という日本の戦いがなければ、アジアの国すべてが独立を達成するということはあり得なかったと思います。いまだにインドネシアはオランダ領、フィリピンはアメリカの植民地、ベトナム、ラオス、カンボジアはフランス領、インド、ミャンマーは英国領だったかもしれません。

アジアは今や、世界で最も発展する可能性のある地域として注目されていますが、国づくりを初歩から助け、十数年前、アメリカの投資家ジョージ・ソロスが仕掛けたタイのバーツ売りでアジアの通貨が大混乱してすべて下落する中、買い支えをやったのも日本です。これによって、今日のアジアの経済発展があるのです。

皆さんは佐藤栄作元首相は沖縄返還でノーベル平和賞を受けたと信じておられると思います。それも一部ではありますが、アジアの平和と安定のために貢献したというのが一番の趣旨です。

私の話を聞いていただいて、日ごろの新聞報道などと相当違った感想をお持ちになったと思いますが、今、アジアの国の多くは「日本よ、今一度われわれの兄貴分として、世界のために、アジアの代表として存在感を示してほしい」と願っています。

(次回に続く)

「第9回グローバル・アピール」―ハンセン病に対するスティグマと差別の撤廃― [2014年02月17日(Mon)]
「第9回グローバル・アピール」
―ハンセン病に対するスティグマと差別の撤廃―


毎年1月の最後の日曜日は「世界ハンセン病の日」。世界各国でハンセン病の正しい知識の普及とスティグマ(社会的烙印)や差別のない社会を目指して啓発活動が行われる。

この日のために筆者は毎年、世界の指導者、国際的な有力団体の協力を得て「グローバル・アピール」を発表してきた。今年は各国にある国家人権機関39ヶ国の協力を得て、インドネシアのジャカルタから世界に発表した。

人権委員、ハンセン病回復者たちと共に「グローバル・アピール」を読み上げる.jpg
人権委員、ハンセン病回復者たちと共に「グローバル・アピール」を読み上げる


インドネシアはインド、ブラジルに次ぐ世界3番目に患者の多い国である。多島国家であるこの国で、島々に根強く残るスティグマや差別の実態を、今回、東半分が独立国家パプアニューギニアであるところの西半分、インドネシアのパプア州やビアク島で、実際にこの目で確認することができた。

障害の重い回復者は「恥ずかしい病気」だと誤解しており、ほとんど自宅から出ることもなく生活している様子であった。このことは別の機会に報告させていただく。

以下は「グローバル・アピール」での筆者のスピーチです。

**********************


第9回グローバル・アピール
日本財団会長 笹川陽平


2014年1月27日
於:インドネシア・ジャカルタ


式典でスピーチ.jpg
式典でスピーチ


ハンセン病の差別撤廃を世界に発信するグローバル・アピールは、今年で9回目を迎えることとなりました。今年は各国の国家人権機関の皆さまと、ここインドネシアにおいてグローバル・アピールを発信できることを大変嬉しく思います。

ハンセン病は最も誤解され、最も深刻な差別を伴う病気の一つです。非常に残念なことに、病気が完治するようになった今なお、社会とハンセン病患者・回復者の間にはスティグマや差別という高くて厚い壁が立ちはだかっています。この壁は、ハンセン病患者・回復者とその家族をコミュニティから排除し、教育・雇用・結婚などの機会を制限し、彼らの希望、夢、そして、尊厳を奪っています。

私たちは、ハンセン病を取り巻く根深い差別の問題を広く世界に訴えるために、2006年にグローバル・アピールの実施を開始しました。これまでノーベル平和賞受賞者、世界のリーダー、世界医師会、国際法曹協会等にアピールいただいておりますが、毎年のアピールの根底には「ハンセン病患者・回復者の尊厳と人権の回復」という共通の目的があります。

このイニシアチブと並行して、私たちは国連にもアプローチをしてまいりました。2003年、私は国連人権高等弁務官事務所にハンセン病を取り巻く問題を人権侵害問題として取り上げるよう働きかけました。関係者の皆さまの多大なるご協力により、7年の歳月を経て、2010年12月、「ハンセン患者・回復者及びその家族への差別撤廃決議」およびその原則とガイドラインが国連総会の総意をもって採択されました。国連決議は、ハンセン病患者・回復者とその家族が病気を理由に差別されることなく、人としての尊厳と基本的人権・自由を有することを謳っています。この時、国際社会においてはじめて、ハンセン病患者・回復者の見過ごされてきた人権問題や彼らに対するスティグマや差別を根絶することの重要性が議論されました。そして、これまでハンセン病患者・回復者が参画することが困難であった教育、選挙という基本的な権利を保障する明確なガイドラインが示されました。

このような前向きな動きがあるにも関わらず、日常において、社会のスティグマや差別に直面する人々の生活はなかなか変わりません。ここインドネシアでも、ハンセン病患者・回復者と社会を隔てる高くて厚い壁が立ちはだかっています。多くのハンセン病患者・回復者が病気を理由に解雇されたり、コミュニティから排除されたりという経験をし、基本的な社会・経済活動を行うことさえ不可能な状況に直面しています。

こうした状況に対応するために、ここインドネシアではPerMaTaという当事者団体がハンセン病患者・回復者とその家族の人権回復を推進するために精力的に活動しています。しかし、2007年にPerMaTaが設立された当時は、基本的な権利・自由であるはずの公共施設で会合を開催することさえ困難でした。彼らがホテルで会合をしようとした際、ホテル側から「他のお客様のご迷惑になりますので」と追い出されるという出来事がありました。日本においても、かつてハンセン病回復者がホテルなどの公共施設の入館を拒否されたり、控えさせられたり、という出来事が起こったことがありました。これらの例は、いかにハンセン病患者・回復者への偏見と差別が世界中の至るところに存在しているかという証拠であります。そして、これがハンセン病が長い間、社会の差別の対象から解放されない根深い問題としている要因なのです。

メンバーの大変な努力の甲斐もあり、PerMaTaのイニシアチブは、コミュニティにおけるハンセン病患者・回復者とその家族に対する態度や認識を変えつつあります。しかし、社会全体の認識を変えるには、様々な社会セクターからより多くの人々の努力を必要とするでしょう。

私たちは本日ここに集まり、第9回のグローバル・アピールを発信することになりました。今回は、世界各国の国家人権機関が私たちの呼びかけにご賛同くださり、ハンセン病患者・回復者に対する人権侵害について、世界中にアピールしていきます。

国家人権機関は、ハンセン病患者・回復者とその家族の人権を守り、促進すること、彼らが直面する様々な人権侵害を調査し、政府に進言すること、国内関係者や市民社会と協力して継続的な啓発活動と一般向けのキャンペーンも行うことなど、重要な役割を担う強力なパートナーとなってくれるでしょう。非常に心強いことに、国家人権機関は既にNGOや政府と協力し、世界中の多くの国で活動を行っています。ここインドネシアでも国家人権委員会はPerMaTaと協力し、ハンセン病を取り巻くスティグマや差別に対する啓発のために様々なキャンペーンを実施していると伺っています。

私はこうしたイニシアチブが、さらに世界中に広がっていくことを心より期待しています。変化を起こすには、長い時間と多大な努力を要しますが、固い決意を持った人々が集まれば、ハンセン病患者・回復者を社会から隔離している高くて、厚い壁を壊し、ハンセン病患者・回復者に対するスティグマや差別のない社会を築くことができると確信しております。

**********************


以下は発表場所と協力者のリストです。

第1回  2006 インド(デリー)     ノーベル平和賞5名を含む国家元首
第2回  2007 フィリピン(マニラ)   各国で活躍するハンセン病回復者
第3回  2008 ロンドン(イギリス)   世界主要人権団体
第4回  2009 ロンドン(イギリス)   世界主要宗教指導者
第5回  2010 インド(デリー)     世界的大企業の代表
第6回  2011 中国(北京)       世界110大学の学長
第7回  2012 ブラジル(サンパウロ)  世界医師会および50カ国の医師会
第8回  2013 ロンドン(イギリス)   国際法曹協会および40カ国、1地域から46の法曹協会
第9回  2014 インドネシア(ジャカルタ)世界39カ国の国家人権機関


「ミャンマー障害者芸術祭」 [2013年12月25日(Wed)]
「ミャンマー障害者芸術祭」


ミャンマーで初めての『障害者芸術祭』を三日間開催した。

日本財団は大野修一の指導のもと、ベトナム、ラオス、カンボジアなどで障害者芸術祭を開催しているが、ミャンマーでは初めてのことである。

ミャンマーでも障害者は家に引きこもりがちで、社会の見る目も一般的に冷たい。何とかして彼らをもっと社会に引っ張り出そうというのが大野の考えで、障害者の全国組織化と組織の自立のための障害者専門のタクシー会社の設立を目論んでいるところである。

何はともあれ、朝9時から夜11時まで、三日間とも満員の観客で大いに盛り上がり、障害者は勿論、その家族までもが明るく陽気に自信を取り戻した感のある意義ある芸術祭であった。

場内は満員の大盛況.JPG
場内は満員の大盛況


以下はその際のスピーチです。

*****************


2013年10月17日
於:ミャンマー・ヤンゴン


ソウ・マウン大統領府付大臣、ブルネイ、カンボジア、インドネシア、ラオス、マレーシア、タイ、米国、日本の各国大使の皆さま、ご来場の皆さま、本日は、ミャンマー障害者芸術祭にお越し下さいまして、誠にありがとうございます。多くの皆さまにお目にかかることができ、大変嬉しく思います。
皆さま、本日は、ミャンマー障害者芸術祭にようこそお越しくださいました。

これから3日間、皆さんはこれまで経験したことのないような新たな気付きを得ることでしょう。この芸術祭では、目の見えない画家、耳が聞こえない太鼓演奏者、そして車いすのダンサーがスポットライトを浴びながら、素晴らしいパフォーマンスを披露します。皆さんはこの不可能に思えるようなことをなぜ彼らが成し遂げることができたのか不思議に思うかもしれません。彼らが本当にそのようなパフォーマンスをできるのかと疑問に思うかもしれませんが、彼らは見事に成し遂げてくれるでしょう。それは、彼らが自らの限界を決めず、障害という困難に立ち向かうための勇気と信念を兼ね備えているからです。

芸術祭.JPG
生き生きと踊り!

芸術祭 (2).JPG
歌う!


これまで、障害者は、多くの国々において、支援や施しを受ける側と決めつけられてきました。彼らに可能性が有る無しに関わらず、障害があるというだけで、社会は自動的に能力の限界を決めつけ、学校教育や職業訓練、就職といった機会を諦めるということが暗黙とされてきました。

しかし、ここ何年かの間に、障害者による団体や障害者のための団体が世界中で設立されてきました。例えば、日本財団はアジアにおいて、自らの限界を超えて挑戦しようとするような視覚、聴覚、身体などの様々な障害者団体を支援してきました。私たちは、いくつものプロジェクトを通じて、障害者が知識やスキルを習得したりするだけではなく、彼らが自信を持って自分のことは自分で決めたり、自分の可能性を発揮することが何よりも重要であることをあらためて認識しました。

日本財団は、ここミャンマーにおいて、3人の若い障害者によって2011年に設立された「ミャンマー自立生活協会」(Myanmar Independent Living Initiative:MILI)というNGOを支援しています。MILIの成功はチャリティではなく、彼らの勇気と信念によってもたらされたものです。彼らにとって転機となったのは、日本のリーダーシップトレーニングに参加した経験です。その時、彼らは、障害者も適切な配慮を受ければ、自立した生活を送ることができるということを実感しました。そして、学校教育や職業訓練、就職における平等な機会が与えられれば、障害者も与えられる側から与える側になれるということを確信したのです。MILIの若いリーダーは、他の障害者の可能性を見出し、自らが限界と諦めていた壁を乗り越える手助けをすることこそ、自分たちの使命であると目覚めました。そして、日本財団は彼らの活動を支えてきました。

MILIは現在、ミャンマー国内に支部をつくるために、新たな活動を担う障害者のトレーニングに取り組んでいます。また、彼らは企業や様々な分野の組織に対する周知啓発を通じて、障害者に対して、新たな認識を持ってもらうためのワークショップを開催しています。さらに、MILIはこの芸術祭を通じて、ミャンマーはもちろん、世界の障害者に働きかけようとしています。

日本財団はこのような芸術祭をすでにラオス、ベトナム、カンボジアで開催してきました。私たちはこの芸術祭を通じて、障害者が自信を持ち、障害を持った子供たちが希望を持ち、さらには社会の障害者に対する認識が変わっていくことを期待しています。

来年、ミャンマーは東南アジア諸国連合(ASEAN)サミットのホスト国を務めます。そのASEANサミットの公式イベントとして、ASEAN各国から障害のある芸術家たちが一堂に会する芸術祭が開催され、これに日本財団が支援をさせていただくことになっています。私はASEANサミットでの障害者芸術祭が、ASEAN諸国の人々が障害者の才能をきちんと認識するための貴重な機会となると確信しています。

皆さんは、これから3日間の芸術祭でミャンマーの障害者の隠れた才能に触れ、驚かれることでしょう。私はこの芸術祭が来年のASEANサミットに向けての布石となり、AEAN地域の指導者に衝撃を与えてくれることを期待しています。

さて、本日は、日本からもろうあ太鼓のグループが駆けつけています。
彼らは熱気溢れるパワフルな演奏を披露してくれることでしょう。

日本からは甲州ろうあ太鼓が演技を披露、喝采を浴びる.JPG
甲州ろうあ太鼓が演技を披露


私はこの3日間の芸術祭が、私たちが互いの多様性を受入れ、インクルーシブ、且つバリアフリーな社会の実現を目指す機会になると信じています。そして、老若男女に加えて、健常者も障害者も、誰もが自らの可能性を発揮し、社会の中で平等に機会を得られるようになることを期待しています。
そのために、ミャンマー政府が障害者の声に耳を傾け、施策に反映しようとしていることは非常に素晴らしいスタートであると私は思います。

多くの障害者団体の声が反映され、皆が平等に参画できる、多様性に富んだ社会の実現を目指そうという認識が、社会の中に広がっていくことを願っています。

「国際防災の日記念 障害者と防災シンポジウム」 [2013年12月18日(Wed)]
「国際防災の日記念 障害者と防災シンポジウム」
―誰もが住みやすいまちづくりに向けて―


2015年、仙台で開催される『第3回国連世界防災会議』において、障害者や要援護者が災害から身を守る方法もマニュアル化してほしいとの願いから、今回の会議を主催した。

驚くことに、今まで国連世界防災会議で障害者や要援護者についての議論はなかったという。

以下はその時の即席スピーチです。

*******************


2013年10月29日(火)
於 岩手県陸前高田市 キャピタルホテル1000


マルガレータ・ワルストロム国連事務総長特別代表 キャラクターと共に (2).jpg


日本財団は福祉と防災は重要なテーマとして取り組んでいることもあり、本日、こうしてシンポジウムを開催できることを心より嬉しく思います。

日本財団の多岐にわたる活動のなかで、福祉分野においては健常者、障害者が分け隔てなくイコールパートナーとして活躍できるコミュニティー作りを目指しており、災害支援分野においては阪神淡路大震災以降、東日本大震災を含め29回の災害時に復旧支援に出動するなど、復興と再建を目指して様々な取り組みを行っています。

私たちが住む地球そのものが生命体であり、生き物です。そのため災害はいつどこで起こるか分かりません。こんな例を聞いたことがあります。カナダ人女性が日本での留学を決めた際、ご両親から「日本は地震が多いから気をつけなさい」と言われたそうです。お嬢さんは「留学先は最も地震が少なくて安全な神戸だから安心して」と答えたそうですが、その2週間後に大震災が発生してしまったそうです。また、約29年前に東京大学地震研究所の先生が富士山噴火を予測され、大変な騒ぎになりました。その先生は退官後、日本で一番安全と言われていた仙台に移住したとのことですが、なんと引っ越してから6ヶ月後に地震が起きたのです。災害は誰にも予測できず、忘れた頃にやってくるものです。

だからこそ、いつ災害が起こっても対処できるように、普段から対策を練っておく必要があります。そこで、対策となるとまずは食料や当面の生活に必要なものを揃えることを思いつきます。これまではそれが一般的であり、一時的な危機から自分の身を守るためには、必要十分な備えと言えるのかもしれません。しかし、今後の防災対策には障害者や要援護者への配慮を組み込まねばなりません。大変残念なことに、東日本大震災では健常者に比べて障害者は倍以上の方が犠牲になったという悲しい事実がありました。これまで災害時における障害者や要援護者への救済策の議論があまりにも不十分であったことの代償とも言えるかもしれません。

同じ事を繰り返さないためにも、健常者のみならず障害者や要援護者を含めて災害から身を守る方法を探していかねばなりません。2015年に仙台で開催される第3回国連世界防災会議では、東日本大震災の教訓をもとに、あらゆる立場に配慮した防災行動計画を検討していただきたいと思います。そして、災害時だけでなく日常の生活において、老人や障害者への心配りが有事の行動に繋がります。誰もが他人を思いやり自然に行動できるコミュニティーを築くことこそ、東日本大震災の一番の教訓であると思っております。
「日本財団・Pew Charitable Trusts共同海洋シンポジウム」 [2013年12月13日(Fri)]
「日本財団・Pew Charitable Trusts共同海洋シンポジウム」


2013年10月10日
於:ANAインターコンチネンタルホテル東京


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今回は海洋について、日本財団とアメリカの著名な財団であるThe Pew Charitable Trustsと共に開催いたします。

Pewはアメリカを代表する大きな助成財団であり、特に海洋問題については財団自らも研究され、発言されている世界的な組織です。

また今回は日本のみならず、海洋問題について世界的に強い発言力をお持ちの方々にもお集まりいただいております。出席されました講演者の皆さまにも厚く御礼申し上げます。

皆さんご承知のとおり、17世紀の世界的な海洋学者であったグロティウスの言葉を引用するまでもなく、私たちは長い間、海の資源は無限であり、海を利用することが海の自然な回復力を超えることはないと信じてまいりました。また、海を自由に使うことが今日の世界的な経済の発展、文化の発展につながったことも間違いのないことです。しかしながら、海を持続的に利用し、海と共に生きていかなければならない時代になっているにもかかわらず、国際的には勿論のこと、各国における政策も、あるいは海洋の管理につきましても、対策が大変遅れているということは率直に認めなければなりません。

今日、70億人を超える人たちがこの地球上に生活しており、海なくしてこの人口を養うことは不可能です。しかし、水産資源の枯渇、大規模な海上災害、海洋の酸性化による生息域への影響など、海洋をめぐるさまざまな問題が地球規模で進行しています。2050年には人口が90億人を超えるともいわれており、地球環境は、気候変動の影響からその未来を予測することすら困難であると言わざるを得ません。このまま海への過剰な依存が続けば、人間と海との環境はもとより、私たちの生命の源である海・海洋は、取り返しのつかない状況になるのではないでしょうか。

こうした海洋の問題の解決のために、今こそあらゆる努力が必要です。国連加盟国は193カ国ですが、海は一つです。国境を越えてつながる海について、国際的な、そして分野を超えた継続的な視野に立った新たなアプローチや、海を人間や社会全体を結ぶプラットフォーム作りが、今こそ必要な時期だと思います。

その初めとして、一人一人が海を守ること、次世代に海を引き継ぐことは、私たちの共同責任であるという精神を持ち、国家や国際組織、あらゆる分野を超えたつながりを構築することが不可欠ではないでしょうか。

日本財団は、このつながりの基礎となり、世界的かつ学際的なビジョンを持ち、既存の枠組みの外へと私たちを連れ出すことができる人材の育成が重要であると思い、長年この分野で努力してまいりました。そして、そうした人材のつながりによって生み出されるアイディアやプロジェクトが、大局的な政策や科学的データとも一体となり、真に実践可能な対策が打ち出されるようにしていかなければならないと考えております。

わが国は海洋国家を目指しています。しかしながら、この海洋国家というのは単に海洋を利用して経済的に発展するというだけのものであってはならないと考えております。もっと広く、深く、海洋との関わりを日本も目指すべきです。

私は、海洋の安全保障というのは単に海上交通の安全、あるいは海賊対策というような限定的なものではなく、これから増加の一途をたどる人類が、いかに海と共存できるかが重要で、海なくして人類の将来はないわけで、この海・海洋の安全保障というのは、後ほどの講演者のお話にもあろうかと思いますが、その中に生息する魚類を中心としたさまざまな生物、あるいは環境問題、安全な地下資源の開発、そして北極海の平和的な利用を含め、海洋の総合的な安全保障こそが、私たちにこれから求められる大きなテーマではなかろうかと考えております。

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我々人間、あるいは生きとし生けるもの、この地球、あるいは海洋も、一つの大きな生命体ではないでしょうか。私たちの子孫が生活し続ける平和な地球をいかに長生きさせるかは、私たち一人一人の共通の責任だと思っています。

本日のシンポジウムには、未来の海を守る社会的なイノベーションを起こすきっかけとして、海洋に関する深い見識と広い視野を持っていらっしゃる世界的に著名な有識者や政策決定者、施策者をお招きしました。それぞれの視点を交えながら、海洋の現状や課題について分かりやすくご紹介いただき、議論していただくことになっております。主催者として、ご出席の皆さまに海に対する意識や行動を考える機会にしていただければと願っております。

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主催者全員で記念撮影

「ガーナでの農業支援」 [2013年12月12日(Thu)]
「ガーナでの農業支援」


ササカワ・アフリカ農業普及教育基金(SAFE)の20周年記念行事が、ガーナの首都アクラの国際会議場で開催された。

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アクラ国際会議センター会議場


この20年間に大学で学んだ奨学生は11大学、4000人を超え、アフリカの小規模農業の近代化にとって、彼らの技術的な支援なくしては不可能なほど大きな力になっている。

私は急用で欠席せざるを得なくなり代読となってしまったが、私の思いをスピーチにしたので、記録のために掲載します。

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2013年11月6日
於:ガーナ・アクラ国際会議場


私にとって、ガーナは思い入れの深い国です。なぜなら、ここガーナはササカワ・グローバル2000(Sasakawa Global:SG2000)の農業支援プログラムの最初の実施国であり、農業普及員を対象としたSAFEプログラムを開始したのがケープ・コースト大学であるからです。まさにガーナは、私たちのアフリカでの活動の原点といってよいでしょう。

アフリカにおける私たち日本財団の農業支援活動は、1970年代及び1980年代初頭にアフリカで起こった未曾有の大飢饉にまでさかのぼります。当時の大飢饉に対し、日本財団は緊急食糧支援を実施しました。しかし、この食糧支援は一時的に人々の空腹を満たすことができましたが、あくまでも緊急的な支援にすぎないことは明白であり、私たちはアフリカが抱える食糧問題に長期的な解決策を見出すことの重要性を痛感しました。そこで、古くから言われているように「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える」という考えのもと、アフリカの人々が自らの力で食糧を生産する方法について手助けすることにしたのです。そこで、私たちは1986年に笹川アフリカ協会を設立し、私たちの想いに賛同してくださったノーマン・ボーローグ博士とジミー・カーター元米大統領の協力を得て、アフリカの飢饉と貧困の軽減に取り組むことにしたのです。

SG2000プロジェクトの中でも、現場の最前線で活躍する農業普及員は、小規模農家の人々に農業技術を教授する上で重要な役割を担うと私たちは考えてきました。しかし、プロジェクト開始後すぐに、多くの農業普及員にはそのような役割を果たすための専門知識や農民へ指導するためのコミュニケーション技術が不足していることが分かりました。また、現場での経験や知識がある人も、学位がないために、責任ある立場に就くことができずにいました。

SAAはSG2000の一環で、農業普及員のキャパシティ・ビルディングを実施してきましたが、彼らが再トレーニングを受けることができる教育機関を探していました。しかし、ほとんどのアフリカの大学には、すでに実践的な仕事に就いている農業普及員が専門的に学べるカリキュラムがありませんでした。さらに、既存の農業普及教育には、大幅な刷新が必要な状況でした。

SAAはこうした課題を解決するためにSAFEを設立しました。SAFEはケープ・コースト大学と農業省とともに、農民が抱えるニーズに対応するためのカリキュラムを作成し、農業普及員のための再トレーニングを行う講座を開設しました。

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ケープコースト大学でのパネルディスカッションでは活発な議論が


私はSAFEプログラムの創設記念式典に出席した日のことを昨日のことのように覚えています。きっと皆さまもご記憶のことでしょう。

以来、SAFEは各国政府と多くの大学の協力のもと活動を続けてきました。そして、多くの農民が食糧増産に成功しました。やがて彼らは希望を持ち、より高い目標を持つようになりました。このように農民たちの状況は変化し、同時に彼らのニーズも変化していきました。そして、ポストハーベストやその先に広がる農民のニーズに応えるために、カリキュラムの内容を改善し、SAFEプログラムは進化していったのです。

これまでに4000人以上の農業普及員がこのプログラムに参加しています。彼らは農業の現場で農民と共に働き、農作物の生産性向上・農作物に対する付加価値の創造・マーケット・アクセスの促進・所得向上を支援しています。また、卒業生の中には、農業省で重要なポストに就いたり、国家レベルの政策立案に参加している人々もいます。

さて、エチオピアの農民とその家族の生活に大きなインパクトを与えた、ある素晴らしい農業普及員のお話をさせていただきます。
アルマズ・テスファさんは、ハワサ大学のSAFEプログラムで学び、学士号を取得した農業普及員です。彼女はリンゴの植え付けを推奨するプロジェクトに携わっており、農民のモハメドさんにリンゴの苗木を植えるよう指導しました。アルマズさんの技術指導により、モハメドさんの植えたリンゴは見事に成長し、年間1500キログラムのリンゴを生産することに成功しました。そして、モハメドさんは農業省からリンゴ生産部門のベスト・モデル農家に選ばれました。リンゴ販売の収入により、モハメドさん一家の生活の質は大きく向上しました。彼の二人の子どもたちは、私立の学校に通うことができるようになり、一家の生活はより満ち足りたものになっていきました。

2012年だけでも、アルマズさんのようなSAFEプログラムの受講生が、農業のバリューチェーンの中で農民が抱えている問題を解決するために、地方のコミュニティにおいて200以上のプロジェクトを実施しています。

私たちはモハメドさんのような成功事例がより多く生まれることを願っています。農民が明日食べる物を心配することなく、子どもたちが学校に通い、栄養のバランスのとれた食事をとって元気に育ち、病気に罹ったら適切な医療処置を受けられる、多くの人々がそのような生活を実現できるようになることを心より期待しています。そして、このことは農業で生計を立てるすべての農民の夢であると信じています。

アフリカの農業の発展のために、各国政府、各大学機関、NGOなど私たちすべての関係者が共に手を携えて尽力していきましょう。そして、アフリカの農業を担う人材育成の分野において、今後もそれぞれの立場で、役割を果たしていきましょう。

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WMU・SAFEフェローたちと記念撮影



「第5回アフリカ開発会議」その2 [2013年08月30日(Fri)]
「第5回アフリカ開発会議」その2


2日目は6ヶ国のアフリカ各国首脳と会談した。

笹川アフリカ協会(本部スイス)からは、現地で活躍するオニヤンゴ会長(女性)を中心とした幹部も来日し、要人との会談にも適宜発言してもらった。

以下は会談の要旨です。

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ナイジェリア ンナンナムディ・サンボ(Namadi Sambo)副大統領
外務大臣、産業貿易投資大臣・陪席


サンボ副大統領(ナイジェリア)2.JPG
ンナンナムディ・サンボ副大統領


【笹川】
 25年前、貴国のオバサンジョ大統領と共に貧農に対する食糧増産プロジェクトであるササカワ・グローバル2000(以下SG2000)プロジェクトを立ち上げた。同席の我々の仲間であるサニ・ミコ(Sani Mico)が貴国ですばらしい成果をあげてくれ、彼がナイジェリア人であることを私は誇りに思っている。貴国からは約1億円の資金援助も受けている。連邦政府から当プロジェクトの拡大要請を受けており、12州で導入予定だが、州レベルとの交渉はあまり進んでいないので、閣下より連邦政府の熱意を伝えて頂き、我々との覚書(MOU)の締結を急ぐよう指示してほしい。

【副大統領】
 SG2000の農業支援に感謝している。私はSG2000プロジェクトの手法を更に発展させたいと思っている。草の根の農民に有効な手段であり、州政府と組むことで更に成功すると思う。我々政府も農業のあり方を変えたいと考えている。
 過去30〜40年間、世界食糧機関、世界銀行、アフリカ開発銀行からの支援は彼らの考えるプログラムだった。振り返ってみると、これらのプログラムは経済を変えるほどの大きな成果はなかったし、GDPへの農業貢献はわずかなものだった。これからはプログラムを多角化し、農業をビジネスとして考えねばならない。そのためには現在の灌漑設備への投資、中小規模の水力発電整備など、政府としても具体的な計画を立てている。中小の農家の育成は、彼らの生活向上につながる。私からも後押ししますので、ナイジェリアに覚書を提案するときはすばらしいプレゼンテーションをして下さい。

【笹川】
 ご期待にそえるようにしましょう。私は小規模自作農民から、例えば農業協同組合のような事業を立ち上げ、草の根からのSocial Innovation(社会変革)が可能だと信じています。
 話は変わりますが、私は40年以上もハンセン病制圧を続けています。7月24日、タイのバンコクで日本財団とWHOの共催でハンセン病サミットを開催します。貴国の保健大臣の出席を歓迎します。

【副大統領】
 わかりました。必ず伝えます。

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エチオピア ハイレマリアム・デサレン(Hailemariam Desalegn)首相


エチオピア.JPG
ハイレマリアム・デサレン首相(右から二番目)


【笹川】
 ハンセン病とG2000へのご支援の2点に簡単に言及します。
 エチオピア政府のハンセン病制圧活動を非常に高く評価しますと同時に、ハンセン病患者・回復者への差別撤廃の国連決議案に賛同してくださったことにお礼を申し上げます。国連決議の原則とガイドライン(P&G)に関連して、日本財団では9月18日にアディスで“ハンセン病と人権”の国際会議を開催しますので、首相には基調講演者としてご参加頂くことを強く望んでおります。また7月24日にタイのバンコクで、WHOと日本財団共催でハンセン病サミットを開催しますので、是非、保健大臣のご出席をお願いしたいので、お伝えください。エチオピアがアフリカ大陸からのハンセン病制圧活動に指導的な役割を果たして頂いたことに改めて感謝いたします。
 もうひとつは農業問題で、20数年エチオピアで活動させて頂いていることに心から感謝いたします。後ほどSG2000の最高責任者ルース・オ二ヤンゴとジュリアナの女性パワーから説明してもらいますが、何よりもDr. Aberraがお国で頑張ってくれ、私達のアフリカにおける小規模農民の生活向上の一つのモデルケースを作ってくれています。6万人の農業普及員を持っている国は、アフリカでは貴国だけです。私は昨日も総会で発言しましたが、小規模農家から収穫が上がることによって生活が向上する、いわゆるソーシャル・イノベーションが大企業からではなく、農民からできるという可能性をエチオピアが証明してくれていると思っています。エチオピアの永年の努力により、ようやくアフリカでも国家指導者が農業の重要性を認めるようになったことを喜んでおります。
 
 先程のハンセン病の話について、コメントを頂ければと思います。
 その後、農業の話を彼女たちから致します。

【首相】
 私は閣下(笹川)が私どもの国に対して多大なご尽力をくださったことに対し、心からお礼を申し上げる機会を待っておりました。私はSG2000が始まったころは知事をしており、このプログラムがエチオピアで始まったこともはっきり知っておりました。当時草の根のリーダーとして、このプログラムは驚嘆するものでした。エチオピアでは大規模な農業普及プログラムを始めるにあたり、農業普及員の養成に関わり、そこから農民の生産性向上を中心に作業をして来ました。笹川さんのご支援があったからこそです。新しい首相という役職に着き、故メレス首相からも貴殿と一緒に農業に関わっているということをよく聴いていました。
 ハンセン病プロジェクトの会議の開会式には参加させて頂きます。我々もこの問題が最も重要であると受け止め、国連決議案をいち早く支持しました。決議案の中には承認まで数年かかるものもあります。私は当時副首相兼外相を務めており、早急に承認することによって差別をなくすこのプロセスが、より早く実現すると考えました。私達は引き続き支援していきます。会議に参加することでそのお約束の意志表示をしたいと思います。人類すべて、差別を受けず自由になるには、各国政府および国民が強く認識することが大切だと思います。保健大臣もバンコク会議には参加させ、私ども政府の支持の表明をしたいと思います。

【Ruth(笹川アフリカ協会会長)】
 AU(アフリカ・ユニオン)議長ご就任、おめでとうございます。笹川さんは非常に謙虚な方です。エチオピアを愛し、何回もこられています。エチオピアが好きだからこそ会議もエチオピアで開催されます。ご尊父の時代からの活動です。
 SAFE(笹川奨学生)プログラムに関しても多くのエチオピアの大学と連携していますが、エチオピアほど農業普及員が育っている国はありません。ご存じの通り、多くのアフリカの国では農業普及活動は世界銀行主導による構造調整のために消えてしまいましたが、いまではエチオピアの小規模農家のメイズの輸出が私の母国ケニアまで届いています。
 我々の地域事務所はエチオピアにあり、非常に重要な役割を果たしています。Dr. 宮本は東京在住の事務局長(Executive Director)ですが、毎月1回は必ずアフリカに来られます。この熱意からも、我々のパートナーシップがどのようなものか証明されると思います。4年前に仕事の大半をアフリカ人の手で行うことと決定しました。Country Directorもアフリカ人です。Dr. Julianaはタンザニア出身のアディス在住のManaging Directorです。Dr. Aberraは永年ケニアで仕事をしてきましたが、現在Country Director です。我々は非常に密接な連携を取りながら仕事をしています。
 私はメレス首相のご葬儀にもお招きいただきました。1984年のエチオピアの飢餓でこのプログラムが導入され、2度とこのような経験したくないというエチオピアの声を耳に活動を始めました。
 昨日、安倍首相が言われたことと同じように、このプログラムは搾取するのではなく、お互いがパートナーとして、共に目的を達成することです。また政府の政策にそって仕事を続けています。エチオピアは閣下のもとで更に成功され、アフリカ全土が必要としている偉大な指導者であることを確信しています。

【Juliana(笹川アフリカ協会事務局 タンザニア人】
 SAA(笹川アフリカ協会)はエチオピア政府と仕事ができる恵まれた環境におります。SAAが政府の一部だと思っている人もいるほどです。政策変更、優先順位が変わったことなどもいち早く知ることが重要と考え、農務省(Ministry of Agriculture)とも定期的に協議をしています。今まで何も問題なくきていますので、これからも同じような形で仕事を続けて行きます。

【首相】
 私もお二人が女性であり、また東アフリカ出身であることをとても嬉しく思います。指導者が女性であると細かいところまで気を配るという女性特有の持ち味が発揮されるのです。笹川さんも良く女性を理解しておられますね。

【宮本(笹川アフリカ協会専務理事)】
 エチオピアでは安心して、快適に仕事に専念できます。

【首相】
 偉大な指導者(メレス前首相)を失って大変心を痛めております。(涙ぐむ)

【Aberra(エチオピアの責任者)】
 個人的にお話できる機会を頂き、お礼申し上げます。現在SG2000のCountry Director を8年務めております。それまでは農業研究者で、調査研究に専念していました。その頃は研究成果の技術を提供する側にいましたが、今はその技術を受け取る側に居ます。
 1994年以来、一貫して笹川陽平会長の継続的なコミットメントがあったからこそ我々のプログラムが続けられています。エチオピア政府の政策に基づいて仕事をしていますが、食糧増産から、今日ではAgro-processing からpost-harvesting と言ったvalue-chain 全体に焦点を当て、更なる付加価値を農業分野につけていくこと、また市場へのアクセス、人材育成、そしてすべての分野においてのモニタリングを行っています。プログラムは非常に順調に行っています。笹川会長はメレス前首相から更にエクステンションサービス強化に努めて欲しいという依頼を受け、SAAおよびBMGFと共に実現に向かっています。エチオピア政府のご協力にも感謝しています。笹川会長はRuthが言われたとおり非常に謙虚な方で、エチオピアを思う気持ちは大変強いものです。エチオピア政府が他のアフリカ諸国のお手本となっておられることに感謝します。お話できて大変光栄です。

【首相】
 エチオピアの大学も皆さまのプログラムを非常に高く評価していますね。笹川会長のアワサ大学名誉博士号に敬意を表します。
笹川会長は貧困からの救済という非常に崇高なことを達成されました。我々も、これからも共に目的を達成するために貢献し続けます。

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ガーナ ジョン・ドラマニ・マハマ(John Dramani Mahama)大統領


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ジョン・ドラマニ・マハマ大統領


【笹川】
 25年前から、貧しい農民への農業協力をして来ましたが、もっとも成功した国はガーナです。Cape Coast 大学の農業普及員の養成に多大な協力を下さり、ガーナ政府と大学には心から感謝いたします。今年はこの養成プログラム(SAFE)の20周年となるので、アクラで11月に農業普及員の活躍を祝うために会議を開催します。大統領も彼らの激励のためにご参加頂ければ幸いです。
 農業の改革を通して貧しい農民からのSocial Innovation の可能性が実現できるということを話して頂ければ、アフリカ大陸のすべての農民に夢と希望を与えることができます。継続してガーナを中心として農業指導を続けていきたいと思っています。
 また、世界はこれから海の資源と海の管理が重要になってくると思います。日本財団はスウェーデンの世界海事大学で、ガーナから10人近い優秀な奨学生を教育しています。アフリカではすでに100人を超える卒業生がいます。彼らを集めてアクラでこれからの海の資源管理について話し合う新しい観点からの会議も計画しています。

【大統領】
 これまでのご支援に感謝します。笹川という名前は知らない人はいません。笹川さんはもっとも貧しい人たちである農民に目を向けてくださいました。過去に私達はIMFや世銀の支援を受けてきましたが、彼らの支援は経済発展に視点を合わせていたもので、さらに貧しい農民を増やすという結果に終わりました。笹川プロジェクトだけが農民のために、我々ガ―ナ政府と手を組んで実行してくださいました。

【笹川】
 ローリングス大統領のころ、よくガ―ナでハンセン病の制圧活動もして来ました。ガーナでは患者数も減りました。2年前の国連総会での差別撤廃の決議案に賛同して頂き、お礼を申し上げます。大統領にもこの問題に関心を持って頂ければ幸いです。
 11月訪問の際、またお目にかかれますことを願っております。

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ベナン トマ・ヤヤイ・ボニ(Thomas Yayi Boni)大統領


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トマ・ヤヤイ・ボニ大統領


当方に時間なく、挨拶のみでした。

【大統領】
 笹川さん、何回もベニンにご招待をしていますが、中々いらして頂けませんね。安倍首相からもベニンでの工場建設のご支援を頂けるとのことで、ゾマホン大使には数ヶ月本国に行って貰う予定です。もし成功しなければ彼は首にします(笑)

【笹川】
 私は今、日本政府より新しい任務を言い渡され、ミャンマーで忙しくしていますが、早急に大統領の期待に答え、訪問します。

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ウガンダ ヨウェリ・カグタ・ムセベニ(Yoweri Kaguta Museveni)大統領


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ヨウェリ・カグタ・ムセベニ大統領


【笹川】
 10年前にカ―タ―大統領と一緒にお会いして以来ですね。ウガンダでのSG2000は、大統領の強い指導力のもと、最も成功している国の一つです。また、マケレレ大学では素晴らしい奨学生達が農業の専門家として育っています。
 私の役目はここまでで、ここからはSG2000を支えている最も強い勢力である女性陣と代わります。

【Ruth】
 私はSAAとSAFEの会長です。私どもは20年以上前からウガンダで仕事をしています。あの時、カーター大統領と故ボーログ博士と一緒に大きな会議を開きましたが、私は会議に参加して笹川のプログラムが気に入り、それから私の関わりは始まったのです。
 ボーログ博士はアジアの緑の革命の父です。2009年に亡くなりました。その時から私は理事会のメンバーになりました。私の専門は食糧・栄養学です。マケレレ大学栄養学部とも密接な関係があります。大使として活躍されたDr. Joyceは私の親友です。それからRosalline はウガンダのCountry Director で獣医師の資格を持っています。

【Rosalline(ウガンダの責任者)】
 獣医師学位と農業管理の修士学位を取得しています。ウガンダでは当初43districtでプログラムを実施し、現在は18districtとなりました。小規模農家のための食糧の安全保障を実現するのが目的です。食糧増産、Agro-processingから post harvest、そして官民パートナーシップとして農民を民間セクターにつなげ、市場へのアクセスを実現しています。
 最初から主たる資金援助は日本財団から供出して頂いており、大変感謝しています。最近の新しいパートナーはドイツのK&S Kali社ですが、このプロジェクトの面白いところは、モバイルトラックです。このトラックは村から村へ移動し農民を指導すると同時に、土壌ラボを積載しており、土壌試験ができるようになっています。土壌試験を実施し、肥沃な土壌作りのために異なる地域にあった肥料使用を勧めています。

【Ruth】
 このドイツの肥料のユニークな特徴は、マグネシウムを含んでいることです。宮本さんとともに鉱山の地下まで行ってきましたが、ここの土壌はマグネシウムが欠乏しているので土壌にも有益で、その土壌で育った農産物を食べる人間にも栄養が供給される得点を持っています。

【Rosalline】
 大統領は東部ウガンダでのユースプログラムの解説に行かれたと思いますが、あのセンターも笹川協会のお陰です。現在さらに14カ所増えています。

【Juliana】
 私は農業経済の修士と博士課程を修了しました。SAAでは4カ国(ウガンダ、エチオピア、マリ、ナイジェリア)を統括するManaging Directorを務めています。それぞれの国にCountry Director がおり、同じvalue-chainプログラムを全国に展開しています。“畑から食卓へ”を目指すプログラムです。

【大統領】
 米作に関しても沢山のことをしてきたでしょう?

【笹川】
 はい、14カ国に米作、その他を導入してきましたが、特にネリカ米ですね。

【大統領】
 知っていますよ。だけれど我々のアジアの友人はウガンダ特有の食物のことを知っているかね? 特にキビが炭水化物、タンパク質、鉄分を含んだ非常に栄養化の高い食物であるので、少し考えてみる価値があると思うよ。

【Juliana】
 私達は各国でプログラムを導入するときにはメイズ、キビ、米、豆、ソルガムなどを植えますが、基本的には農民が望む物を育てます。

【大統領】
 メイズも米もキビよりは栄養化が低いですよ。私は毎日キビとバナナを食べています。

【Juliana】
 エチオピアではインジェラを植えています。キビよりもっと細かい粒子です。

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モザンビークのアルマンド・エミリオ・ゲブーザ(Armando Emílio Guebuza)大統領は、ポルトガル語のため、記録を残せませんでした。

モザンビーク アルマンド・エミリオ・ゲブーザ大統領.jpg
アルマンド・エミリオ・ゲブーザ大統領





「第5回アフリカ開発会議」その1 [2013年08月28日(Wed)]
「第5回アフリカ開発会議」その1


正式には「アフリカ開発における東京国際会議」(通称TICAD)といわれるこの会議は、日本が主催するアフリカをテーマとした国際会議で、5年ごとに開催されている。今年は第5回目で、6月1日〜3日までの3日間、横浜で開催された。

星野秘書より「早く書いてください」と促されつつも多忙にまぎれ、約3ヶ月遅れとなってしまい、読者の皆様にははなはだ迷惑なことではありますが、自分史の記録と考えアップさせていただいた。

会議にはアフリカ54ヶ国のうちの51ヶ国が参加。うち39ヶ国は首脳が出席した。各国首脳による全体会議のテーマは「民間との対話」であったが、各国首脳の発言以外、発言が許されたのは経団連と日本財団にだけであった。

予定ではモザンビーク、経団連、スワジランド、ガンビア、タンザニア、コモロ、ザンビア、セネガル、ガーナの各大統領に次いで私は10番目の発言者の予定だったが、当然のことながら国家元首優先で、ナミビア、ベナン、南アフリカの各大統領の発言が続き、新しく国家になった南スーダンのコール大統領は、発言時間の5分間が超過して制限時間を示す赤ランプの点滅をしりめに、議長の忠告にも「遠くから参加したのだからもう少し喋らせてくれ」と、カーボーイハットを黒くしたような大きな帽子をかぶったまま話を続ける。議長たまらず、意味は不明だが、「あなたの話でアフリカへの愛を感じました」と打ち切ってしまった。

その後も予定外の発言が続き、議長は「天皇・皇后・両陛下のご台臨の時間が迫っています。以後の発言は3分間にしてください」と指示をされた。多分、私の発言は足切りになると諦めていたところ、森喜朗議長より「最後に日本財団の笹川さん、発言を願います」との指名が飛び込んできたので、予定の5分間のスピーチを短縮し、情熱を込めて少し早口で3分間で終了した。

06.01 会議で発言.JPG
全体会議でスピーチ


大きな拍手があったが、これは私のスピーチに対してではなく、予定通り天皇・皇后・両陛下をお迎えできるとの安堵の拍手であったと思う。

以下、3分間の早口で行ったスピーチ要旨です。

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原文・英語


2013年6月1日
於:パシフィコ横浜


議長、ありがとうございます。
本日はNGOの立場からお話をする機会をいただきありがとうございます。アフリカの持続可能な発展という大きな目標を達成するためには、様々な協力の方法があると思いますが、本日は一つの例として、私どもが行ってきた農業という側面からの支援についてお話ししたいと思います。

日本財団は、1984年に東アフリカで起こった未曾有の大飢饉の際に緊急食糧援助を行いました。これを契機に、笹川アフリカ協会とともに、これまで25年以上にわたり、サブサハラ地域の15カ国で、ササカワ・グローバル2000(SG2000)という農産物増産指導プロジェクトを開始しました。当初、私たちはアフリカの子どもたちが空腹のまま眠りにつくことがないようにという強い想いを胸に、信念と情熱を持って取り組みました。以来、各国の農業省などと連携し、実際に農民の畑に赴き、食糧生産のための技術指導をしてまいりました。同時に、私たちはアフリカの20大学と協力して、4000人以上の農業普及員を養成しました。多くの方々のご協力により、アフリカの農民自らの手による食糧増産において、大きな実績をあげることができました。

しかし、食糧増産が軌道に乗っても、農民たちの生活水準を向上させるためには、単に食糧増産を続けるだけでは不十分であり、彼らの所得創出をすることが必要であることに気付きました。そこで、私たちは次のフェーズに移行し、アフリカに合った農業ビジネスモデルを構築することを目指しました。具体的には、より団結した農業組合の設立、生産した農作物をより高く販売するための保存・加工技術の向上、官民連携の強化など農民が積極的にビジネスの機会を得るための支援をしています。その結果、農民たちは安定的な現金収入を得られるようになり、農地の拡大、肥料や機械への投資が可能となりました。

このように、SG2000の現場で起こったことは、まさに農業によるソーシャル・イノベーションです。自給自足の農業から食糧増産という段階を経て、近年は、市場のニーズを捉えた商業的な農業へと新たなステージへと着実に進化することができたのも、日本政府、外国政府、国際機関、民間企業など多くのパートナーの皆さまの多大なるご協力のお蔭です。

農業によるソーシャル・イノベーションともいうべきこの取り組みをさらに発展させるためには、政府や企業の皆さまとの相互協力を密にすることが必要不可欠であると私は考えています。質の高い農業機器の確保、物流を確保するための道路などのインフラ整備、様々な側面において皆さま方のお力が大いに必要になってきます。

今後も政府や企業の皆さまとの連携を一層強化し、農業ビジネスモデルの確立を通じて、アフリカの発展のために尽力していきたいと思います。


「国際ハンセン病サミットを終えて」 [2013年08月19日(Mon)]
「国際ハンセン病サミットを終えて」


7月24日〜26日、タイのバンコクにおいて、年間の新患者数1000人を超える17ヶ国の保健大臣や保健省の担当者、NPO、薬品会社、ハンセン病回復者等々が参加して「国際ハンセン病サミット」を開催した。

参加者と記念写真.JPG
参加者と記念写真


この会議は、ニューデリーにあるWHO(世界保健機関)のSEARO(南東アジア地域事務所)と日本財団との共催で開催された。近年のハンセン病制圧活動が若干停滞気味であり、多くの国で患者数が横ばい状態を危惧し、SEAROのDr. サムリと協議の上、開催することになった。

ハンセン病制圧活動の本部がジュネーブのWHO本部ではなくSEARO に移転したのは、患者数がインド、インドネシア、ネパールなど、圧倒的にこの地域に多く存在しているからである。

国により事情は異なるが、都市スラム、辺境の地、少数民族居住地など、いわゆるポケットといわれる患者数の多い地域での早期発見を進めることで認識は一致。各国における活動の成果をモニターして評価するメカニズムを創出することや、これらの活動に患者・回復者も積極的にかかわることも理解された。

通常、このような国際会議では事前に事務局が作成した原案が配布され、採択されるのだが、参加者全員が徹底的に議論し、共同作業の結果、納得いく内容に完成したことも大きな成果の一つであった。

ハンセン病サミットは、すべての関係者が一致協力してハンセン病フリーワールドを目指して大きな一歩を踏み出す会議となった。

以下は私のスピーチの要約です。

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「国際ハンセン病サミット」


2013年7月24日
於:タイ・バンコク


開会式でスピーチ.JPG


私たちのハンセン病との闘いは決して容易なものではありませんでした。しかし、ここ30年の間、医療面においては劇的な進歩を遂げてきました。1980年代にMDTという効果的な治療方法が開発されてからハンセン病は治る病気となりました。そして、WHOが1991年に「患者登録数が人口1万人当たり1人未満となること」という明確な目標を掲げて以来、各国は、目標達成のため、政府やNGOを含む世界中の様々なステークホルダーと力を合わせ、病気の制圧に向けて尽力されました。その結果、ここ20年間で約1600万人の患者が病気を治癒するという驚異的な成果をもたらしました。また、ハンセン病が一般の医療サービスに組み入れられたことにより、ハンセン病治療のサービスそのものも拡大されました。

WHOが掲げた制圧目標に向かって、各国は多大な努力を重ね、制圧目標を達成してきたことは明らかです。そのため、一国一国が目標を達成する度に、私も含めて、多くのステークホルダーが達成感や満足感を味わってきました。しかし、そのことで、私たちは安心感をおぼえ、本来の目標である”Leprosy Free World” 、つまりハンセン病とそれに纏わるスティグマや差別に苦しむ人がいない世界をつくる、というゴールを見失いかけてしまったのかもしれません。WHOが掲げた制圧目標の達成は、私たちにとって、ゴールではなく、あくまでもひとつのマイルストーンに過ぎないのです。

今、私たちは、制圧達成前よりもさらに困難な状況に直面しています。ハンセン病患者の蔓延地域は、大都市スラム街や少数民族地域、国境付近などリーチしにくい場所にあることが多く、また広域にわたって患者が散逸しています。それに制圧目標を掲げていた頃と比べると、各国政府におけるリソースは確実に減ってきているのが現状です。

去る5月にジュネーブで開催された世界保健会議で私がお会いした各国の保健大臣の中には、制圧目標を達成したことで関係者の気が緩みがちになり、これまで以上に厳しい条件の中で成果を出すことの難しさをお話しされている方もいました。それを象徴するように、ここ数年、ハンセン病患者の減少は横ばい傾向にあり、国によっては新規患者が増えているところもあります。

私は、世界各国を訪れていますが、確かに、蔓延地域や大都市スラム、国境付近など今までの方法ではカバーしにくい難しい地域があると感じました。そして、できるだけ早くこうした地域での活動をはじめる必要があると思いました。なぜなら、対応が遅れることにより、早期発見・早期治療も遅れ、身体に障害を生じる患者が増えてしまうからです。そして、その障害はスティグマや差別を生み出す大きな要因の一つとなるのです。

こうした現状の深刻さについて各国保健大臣やSEAROのDr. サムリ・プリアンバンチャンと意見交換をしたところ、まずは関係者が問題をしっかりと認識すること、そして、具体的な対応策について議論し、行動につなげていく必要性があるとのことから本サミットを開催するに至りました。

本サミットは、各国政府が本気で“Leprosy Free World”を目指すという強い意志を確認し、それに対するポリティカル・コミットメントをバンコク・デクラレーションの採択を通して表明する大変重要な機会になるでしょう。

そして、各国のポリティカル・コミットメントを推し進めるためにも、私たち日本財団はもちろん、全てのステークホルダーが決意を新たにし、それぞれの役割をしっかりと果たしていかなくてはなりません。そして、知識、経験、専門的技術、ネットワーク、資金など、自分たちが持つリソースを持ち寄って、できる限りの協力を互いにしていこうではありませんか。

私たち日本財団は、今後、5年間で計2000万ドルの支援を実施することを決めました。この日本財団のコミットメントは、これまでプリアンバンチャン氏が中心となって進めてこられたWHOでのグローバル・レプロシー・プログラム(Global Leprosy Program)を継続し、一層強化すること、高い志を持って取り組むステークホルダーの活動を充実させること、さらには、本サミットで出てくるであろう重要な課題に迅速に対応することを目指すものです。

ハンセン病との闘いはまだ終わっていません。私は“Leprosy Free World”の実現を目指し、生涯を捧げる覚悟です。

各国政府、そしてそれを支えるすべてのステークホルダーが“Leprosy Free World”という共通の目的に向かって想いを一つにし、邁進していくことを期待します。共に手を携え、行動を起こしましょう。


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国際ハンセン病サミット「バンコク宣言」


於:タイ・バンコク
2013年7月24日-26日


バンコク宣言

我々、17カ国の蔓延国の保健大臣と、ハンセン病プログラムに関わる全てのステークホールダーおよび世界保健機関(WHO)は共に・・・

世界保健総会決議第44.9号(1991年)で定められた、登録患者数を人口1万人当たり1人未満に減らすという公衆衛生上の問題としてのハンセン病の世界制圧目標の達成を含む、過去25年以上にわたってハンセン病の問題を世界で軽減してきたその顕著な成果を評価し、

予防、病気の管理及び介護と同時に、多剤併用療法(MDT)の投与を広く普及させることにより患者数の減少に多大な貢献がなされたことを認識し、

ハンセン病に関わる全てのパートナーの貢献を認め、

ハンセン病の公衆衛生上の制圧目標を達成するにあたっての長年のプログラム実施経験が、顧みられない熱帯病(NTD)に対する医療介入の改善に貢献するであろうことを確信する。

しかし、ハンセン病の年間の新規患者数が多くの国で未だに発生し、高蔓延地域の存在が、近年のハンセン病の状況を停滞させていることを懸念し、

現状に甘んじる風潮の高まりゆえにハンセン病問題が相対的に小さな問題と見られていること、そしてそのような風潮が、政治的コミットメントおよび、優先順位の低下をもたらしたこと、そして残された問題に効果的に取り組むためのリソースが減少していることに懸念を表明し、

ハンセン病による問題をさらに減少させるための「強化された世界戦略(2011-2015)」を認識し、WHO専門委員会第8回報告に示された目標に従い、ハンセン病を含む顧みられない熱帯病(NTD)について感染を防ぐための精力的な努力をWHO加盟国に求める「WHOロードマップにかかわる世界保健総会第66/20号文書(2013年)」を考慮する。

我々、17カ国の蔓延国の保健大臣と、ハンセン病プログラムに関わる全てのステークホールダーおよび世界保健機関(WHO)は共に、、
1.今こそ、ハンセン病蔓延国及び国内外のパートナーがそれぞれのコミットメントを再確認し、ハンセン病のない世界を実現するために出来るだけ早い時期にハンセン病対策への参加を強化することを宣言し、

2.全ての関係者が持続的にハンセン病制圧の優先順位を高め、より多くのリソースを投入することを促し、

そのために、

a) ハンセン病の患者数を減らし、最終的にハンセン病のない世界を目指す。

b) 各国内の高蔓延地域における対策を、早期発見・早期治療に精力的で革新的な方法で取り組むことにより、特に重点的に行う。

c) 2020年までに全新規患者における可視障害(第2級障害)の割合を、人口100万人あたり1人未満までにする目標を達成することを目指す。

d) 障害の発生を防ぎ、既に障害のある人々についてはその障害の進行を防ぐ。

e) WHOの指針に基づき、ハンセン病患者・回復者を身体的、社会・経済的リハビリテーション及び社会統合を含むハンセン病対策の実施ならびに戦略策定の過程に参画させる。

f) ハンセン病患者・回復者のエンパワメントを促進し、国連総会決議(国連文書A/RES/65/215)と、ハンセン病患者・回復者およびその家族の人権と尊厳に関する原則とガイドライン(国連文書A/HRC/15/30)の確実な実行を促進する。

g) WHOおよび関係パートナーによる技術的な支援を用いて国家レベルでのメカニズムを通して目標達成に向けた進捗状況をモニタリングする。

3.ハンセン病のない世界に向けて、政治的なコミットメント及び指導力を再確認する。

バンコクにて
2013年7月24日

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