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「インドの英雄 チャンドラ・ボーズ」―遺骨処理問題― [2019年09月04日(Wed)]
「インドの英雄 チャンドラ・ボーズ」
―遺骨処理問題―


インド独立の英雄の一人チャンドラ・ボースは、1945年8月18日、台湾で航空機事故の為に客死。その遺骨は杉並区の蓮光寺に安置されている。

寺では一日も早くインド・カルカッタの生まれ故郷へと願い、この問題は再三再四、メディアでも話題になったが、今日まで実現せず、何が理由なのかも不明のままであった。

先般、インパール作戦75周年を記念して戦乱の地であったインパールに平和記念館を開館したことは7月22日のブログで既に紹介した。その折、ハーバード大学教授でチャンドラ・ボースの兄の孫であるスガタ・ボーズ先生が参加してくださり、チャンドラ・ボースの遺骨問題について話を伺う機会を得た。

チャンドラ・ボースは1921年、マハトマ・ガンディーが指導する反英非協力運動(当時、インドはイギリスの植民地)に参加するが、カンディーの非暴力主義には満足せず、インド独立は武力によってのみ達成されるとの信念から、ガンディーとは思想や活動方針を巡って対立することになる。

英国からは危険人物と見做されて逮捕・投獄され、ビルマのマンダレーに流されたこともあった。しかし人気絶大でカルカッタ市長に選出されたが、英国によって免職され、その後、大衆デモや治安妨害の容疑で英国に逮捕・収監されたが、獄中でのハンガーストライキで衰弱のため仮釈放された。

その時、スガタ・ボーズ先生の祖父、チャンドラ・ボースの兄が手引きして徒歩と馬でアフガニスタンに脱出し、ドイツに滞在してドイツ人女性と結婚。その後日本行きを希望したため、ドイツ軍のUボート(潜水艦)でアフリカのマダガスカル近海で日本海軍の伊号第29号潜水艦に乗りスマトラ島北端のサバン港に到着。その後東京に入った。

東京では、新宿の中村屋に寄宿していたビハーリ・ボース(彼が中村屋でカレー料理を教えた)の後継者としてインド独立連盟総裁とインド国民軍最高司令官に就任した。その後、チャンドラ・ボース率いるインド国民軍はインドの軍事的方法による解放を目指して本拠地をビルマのラングーン(現在のヤンゴン)に移し、インド国民軍をインパール作戦に参加させろと再三再四の要求に日本側を困惑させたという。

前述したように、チャンドラ・ボースは1945年に台湾にて航空機事故で客死。9月5日にボースの遺骨は日本に運ばれ、杉並区の日蓮宗蓮光寺で葬儀が行われた。蓮光寺にはインドのプラサード大統領、ネルー首相、インディラ・ガンジー首相も訪れているという。しかしスガタ・ボーズ先生の話によると、今や遺骨返還は政治問題であり、国民会議派は反対で、チャンドラ・ボースの一族の中でも、ソ連で生きていたとかあの遺骨はニセ物だとの説もあり、返還希望は私(スガタ・ボーズ先生)を含め極少数だとのことで、遺骨のインドへの返還は当面不可能だと顔を曇らせた。

不思議なことにある資料によると、2006年インド独立連盟東京代表のラマ・ムルティー氏が遺骨の一部を保管しており、2006年にムルティー氏の弟からボースの兄の孫(スガタ・ボーズ先生もそうである)に返還されているという。しかし、その話は私との短い会話には出てこなかった。

ボースの「飛行機事故」は疑問。ソ連での生存説。遺骨は他人説。

現在では、インド独立運動における国民軍とボースの貢献は高く評価されており、インド国会議事堂にはガンディー、ネルーのみであった肖像画が、遅まきながら1978年にはボースの肖像画も掲げられた。

このインド国民軍の創設には、陸軍中野学校の教官であったF機関で有名な藤原岩市が重要な役割を果たしていた。日本軍がシンガポール攻略に成功した際、英国側のインド兵士を集め、約5万人規模のインド国民軍を結成に尽力した。後にチャンドラ・ボースが最高司令官になるインド国民軍であり、現在のインド国民軍の原型である。

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コメント
いつも多岐に亘るメールを戴きまして、ありがとうございます。
ほとんど内容が理解できないことが多いのですが、
今回のボーズさんのことは、かなり以前に「中村屋のボーズ」という
書籍で知りました。
日本は「維新」か「御一新」で開明しましたが、はたして「近代」を
越えることができたのでしょうか。
東南アジアの国々のどの国にも「ボーズ」さんはいらしたのではないでしょうか。
歴史の掘り起しが、全ての国々で普通に出来るようになれば、
アジアの「近代」化が幕を下して、「現代」を迎えられるような
気がします。
読み込みが浅くて申し訳ございません
Posted by: 杉 礼三郎  at 2019年09月04日(Wed) 16:08

 ゲーテの言葉に、「一流とは、歴史を背負うことだ」という言葉があるのだそうです。日本人は、とかく日本の古い歴史・文化を自慢する傾向があるような気がしますが、本当に一流国になるには、他国の人たちの歴史もよく学び、それを背負って歩んでいく気概と覚悟を持つことが必要なのではないでしょうか。そして、それは、未来の人たちに対する責任を果たしていく姿勢にもつながっていく気がいたします。
 チャンドラ・ボースの遺骨返還問題をきっかけにして、そんな議論も生まれてくることになればと思います。
Posted by: 小野晋也  at 2019年09月04日(Wed) 12:31

笹川会長 様
  お世話になります。
   小職は政治の難しい事は判りませんが遺族が希望し祖国に
  眠る気持ちは尊いものです。
   まして祖国の為に尽力された方ならば、骨等の云々論議で
  なく祖国で眠る、当然の理と想います。【吉田容士 拝】
Posted by: 吉田 容士  at 2019年09月04日(Wed) 09:13