「金 鍾泌元首相ご逝去」―知日派最後の重鎮― [2018年06月26日(Tue)]
「金 鍾泌元首相ご逝去」 ―知日派最後の重鎮― 6月4日の報道で金 鍾泌(キム・ジョンピル)元韓国首相のご逝去を知り、驚きと無念さで胸の詰まる思いであった。 私は最近の日韓関係を深く憂慮している。明治時代の大知識人で慶応義塾の創設者・福沢諭吉は「朝鮮人(かつてはそう言った)は約束を守らず、平気で嘘を言う。付き合うべからず」と喝破していた。 韓国は形の上では法治国家であるが、現代は法律の上に国民感情が存在する異型の国家といわざるを得ない。長く韓国で取材に当たる名記者・黒田勝弘氏は、「韓国人は歴史の事実を認めず、過去を振り返り、こうあって欲しかったということを歴史とする悪癖がある」と辛辣な文章を書かれたことがある。昼は反日、夜は親日と自嘲する韓国人もいる。伝統ある日韓議員連盟も、昨年は共同声明も出せず、名存実亡の状態にある。 それでも筆者は、地政学的に離れ難い日韓関係を少しでも改善すべきだとの信念に変わりはない。ただ、私の努力は「蟷螂の斧(かまきりのおの)」で無力に等しい。かつてはサムスングループの創業者・李 秉普iイ・ビョンチョル)氏や浦項総合製鉄(現ポスコ)の創業者・朴 泰俊(パク・テジュン)氏と、格調高い日本語で論壇風発したものである。 希望に溢れる将来の日韓関係のあり方について、両国の重鎮お二人に思いの丈を語って頂き、次の世代を担う両国の政治家は勿論のこと、広く国民にも理解してもらおうと密かにある計画を進めていた。 首相就任後最初の訪問国として韓国を訪問された中曽根康弘元総理(100歳)と、日韓国交正常化の立役者であり初代日韓議員連盟会長を務めた韓国きっての知日派の重鎮・金 鍾泌元首相(92歳)のお二人の腹蔵なき会談を通じて、両国の良好な関係構築へのメッセージを発信していただきたいと願い、準備を進めていたところであった。 韓国の連絡役は金大中元大統領のご子息で、彼は父親から「日韓の良好な関係こそ韓国の生きる道だ。お前はこれを私の遺言だと思って活動しろ」と常々言われていたという。 彼を通じて金 鍾泌元首相にこの考えを提示したところ、健康が許せば喜んで来日したいと強い希望と期待を表明したとの連絡があり、5月15日に正式に招待の挨拶に参上したところ、ソウルから30分ほどの自宅の二階の広間に設置されたベットに横たわっておられた。「2〜3日前から風邪で寝込んでいますが、今日の午前中は笹川さんが来られるのを楽しみにしておりました。午後、薬を飲んだところ、ご覧のように熟睡してしまいました」といいながら、お付の方が「笹川さんがお出でです」と言って体を強くゆするので、「結構ですから。目を醒まされたら来日を楽しみにしておりますとお伝え下さい」と伝言して部屋を出た。 金 鍾泌元首相の日本語は格調高く、ベット脇の大型テレビで毎日、日本語放送を楽しみにしてご覧になっていたそうだ。 中曽根元首相と来日を心から願っておられた知日派の重鎮・金 鍾泌元首相との歴史的会談は、日の目を見ることなく水疱に帰した。誠に残念至極である。 心からのご冥福をお祈りします。 |