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笹川陽平ブログ(日本財団会長)

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「趣味は草取り」―禅の修業に優る?― [2018年05月16日(Wed)]
「趣味は草取り」
―禅の修業に優る?―


筆者の近年の趣味は、30年前に購入した富士山麓山荘の草取りである。

冬はマイナス20度を越えることもある寒冷地ではあるが、4月中旬には早々に小さな芽が固い土から顔を出していた。昨年は200坪ほどの面積の草取りを4回行ったが、それでも草々の生命力に負けてしまった。

松の間を通るさわやかな風の音と巣作りに忙しい小鳥のさえずりを聞きながら、地面に両手・両膝をつき、無心に小さな草までも丁寧に抜き取るのである。茎の直径が3cm程で地面に張り付いている草でも、抜いてみると長さが10cm程の根が30〜40本もあるのには驚かされる。根まで抜かないと再生してくるので、小さな草を抜くのにも結構な作業となり、中にはトゲを持っているものもあるから注意が必要である。

5月は6回の海外活動である。寸暇を惜しんで連休の合間の2日間、朝5時から夕方6時まで、昼食のわずかな時間を除いて唯々無心に草と格闘した。時に立ち上がるには近くの木の幹に両手を掛けてゆっくり腰を伸ばさないと動けない時もある。腰が伸びたら仰向けになって何となく青空に浮ぶ雲の流れを見ていたら、犬の散歩をしている女性に「大丈夫ですか? 救急車を呼びましょうか?」と、顔を覗かれたこともあった。

父・良一は、禅の高僧であられた妙心寺派の管長・梶浦逸外(かじうら いつがい)氏に、「足も痛くなるのに、何で禅の修行には座禅が必要なんですかねぇ」と悪態をついた上で、「私は心外無悟道(しんがいごどうなし)、即ち、心の外に悟る道はないですから、便所の中でもできますよ」と言って、高僧を苦笑いさせたことがあった。

筆者に参禅の経験はないが、草取りは唯々無心に目の前の小さな草取りに徹するので、ストレス解消の妙薬であり、座禅の修行に似ているのかもしれない。しかし体の疲労感は、大げさな言い方をすれば、極限に近い。毎日ストレッチ体操で鍛えており足腰に自信があるはずだが、どうしても節々が痛くなる。結局のところ、禅とはまったく無縁のものであり、単なる筆者の意地かも知れない。

ここまで「雑草取り」ではなく単に「草取り」と書いたのには訳がある。かつて、東北出身の参議員議員であった伊藤五郎氏は、中央大学の夜学で勉強して弁護士になられた苦学力行の人であったが、趣味の俳句を上梓。一冊を当時の入江待従長を通じ昭和天皇に献本された。しばらくすると入江待従長より電話が入り、天皇が一句の誤りを指摘されたのでお伝えするとのことであった。

「名もなき草」とは誤りで、すべての草には名前がある。ここは「名も知らぬ草」とすべきと、植物にお詳しい造詣深い昭和天皇のご指摘に伊藤氏は恐懼感激(嬉しさのあまりに、恐れかしこまりながらも喜ぶこと)し、恥入ったとの逸話がある。このことを伊藤五郎氏の弔辞で話したところ、産経新聞の社会面で掲載されたことがあるが、これも遠い昔話になってしまった。

「やはり野におけるレンゲ草」と言うが、私が目の敵にする繁殖力が強く根の深いタンポポも、それぞれの場所を得て懸命に咲いている。植物学者でもあられた昭和天皇は、「名も知らぬ草取り」はご意思に反することであったかもしれない。自然は自然のままであるべきが正しく、私の趣味の草取りは、人間の単なるエゴなのかも知れない。
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コメント
天皇が誤りを指摘された、その俳句を是非、紹介して欲しいです。
Posted by: 小田勝子  at 2018年05月22日(Tue) 08:23

梅雨前に草取りしませんと、その凶暴な繁殖力で人間を圧倒してしまいます。昭和天皇陛下のお話しお聞きしました。4月から5月上旬の草花の艶やかさ、可憐さは後に嘘のように凶暴になる美女の如しと最近思い始めております。
Posted by: 松浦四郎  at 2018年05月21日(Mon) 12:10

ロンドンに勤務しておりましたころ、ガーナでご挨拶させていただきました。ご活躍を楽しみに読ませていただいております。草取りについてのコメントこころから納得しました。すべての植物に名前があるとは聞いておりましたが、名前も覚えられず、庭の雑草取りをしております。100坪ほどの敷地ですが、外での仕事は精神的にはれやかになります。
Posted by: 古川佑子  at 2018年05月19日(Sat) 14:26

忙しい最中、人目には辛い草取りをして、心安らかになる人がいらっしゃる...というのは、人間のエゴというより、大いなる自然の摂理のひとつではないでしょうか?取られる草も草で、誰かの役に立ち、成仏できる?!

皇居の中を武蔵野の面影のまま遺された昭和天皇の「名も無い草は無い」という美しいお考え。向島百花園を作った佐原鞠塢(さわら きくう)の末裔にお聴きした同家に伝わる話がございます、昭和天皇が学習院に学ばれていた幼少の頃、乃木大将と御来園。百花園の小さな草花にひとつひとつ名札がついているのを示して「雑草という草はない」と大将から教わったとのこと。ふと思い出しました。
Posted by: 久米 信行  at 2018年05月16日(Wed) 18:30

私も昭和の天皇陛下の「雑草という草はない。すべて名前のある植物である。」というお考えが大好きです。無心になれるということから考えると草取りも禅の修行に似ているかもしれませんね。数年前ダライラマにお目にかかりたくて思わず禅の修行をしました。生きながらにして戒名を頂きました。
Posted by: 藤堂  at 2018年05月16日(Wed) 09:37

草取りいいですね。私もかなりの時間を費やして健康をつくっております、雑草ということは使わないことにしました。草の名を知らないのはこちらの不勉強でありまして、草に失礼な気がしてきたからです。どんな草にも生えてくるなりの役割はありそうだと思いながら、こうして草を抜きながら、考え事などしている人の役に立ってくれているのだと納得します。それとも頭から離れない考え事から、遠ざけてくれているのかもしれませんしね。
限られた時間の中で、いつも立ち上がるのが口惜しい思いで、やり残しを沢山眺めて帰ってまいります。 名木純子
Posted by:  at 2018年05月16日(Wed) 09:24

無念無想、無我の境地に自分を没入できる状態が一種の悟りなのだと思います。草取りでその状態に没入できるというのは羨ましい限りですし、自分も研鑽を積み俗世の中の身近な中に見出したいと思っています。
Posted by: 岸本  at 2018年05月16日(Wed) 08:25