「私の青山(せいざん―死に場所)」 [2017年05月22日(Mon)]
「私の青山(せいざん―死に場所)」 私は社会人になって以来、常に死を意識する生活をしてきた。 この世に生を受けた全ての人間は、絶対平等である死に向かって行進している。地球上の全ての生物、地球、あるいは広大な宇宙ですら、いずれ死を迎えるであろう。一回限りの与えられた人生を如何に生き抜くか。シェイクスピアの言葉ではないが「終わりよければ全てよし」は、人生に通じる言葉でもある。 王侯貴族であれ絶対権力者であれ、どんな華やかな人生を送った人でも、終末が惨めであればその人の人生は悲劇に相違ない。私は貧しい人のため、苦しんでいる人のために働いているとは一度たりとも考えたことはない。私自身の人生を心豊な満足をもって死を迎えるための自分自身のための活動であり、その結果として若干でも人様のためになれば幸いであると考えている。 78歳の私に「何で世界の僻地を巡り、この年齢までハンセン病患者・回復者の救済とその偏見・差別との闘いに立ち向かい、過酷な活動を続けるのか」と問う人がいるが、人生について高邁な思想や哲学がある訳ではない。ただ人生を深く考え死を考える時、溢れる情熱、どんな困難にも耐える忍耐力、そしてよりよい成果を得るまで努力を続ける継続性こそが、死に向かう私の行動哲学なのである。 私は「世界中到る処青山あり」で、どこで死んでも悔いはない。一切の延命治療はなしで、臓器はすべて、一刻も早く必要とする方に提供すること。海外の場合でも現地で火葬し、骨の一片を同行者に持参してもらい、妻をはじめ、肉親には迎えに来るなと厳しく伝えてある。 ただ、願わくば富士山麗にある30年経過した山荘で死を迎えられたら幸運である。山荘からは雪を頂く神秘的で壮麗な富士山を眺めることができるからである。 私にとっての山荘での一日は、朝日に輝く富士山を目にすることから始まる。刻々と変化する雲の流れの中、早朝の日の光に輝く富士山は、やがて夕日を浴びて赤富士に変わり、壮大なパノラマは時間と共に暗闇の中に消え、小鳥もねぐらで静かな眠りに入ることだろう。早朝の小鳥のさえずりを聞きながら、時々双眼鏡でその姿を観察し、萌いずる新緑に感動する。つかの間の夏は、全ての動植物が躍動する。時には鹿、猪、むささびまでもが遠慮がちにご機嫌伺いにそっと顔を出すこともある。 二階の居間にベッドを出し、悠久の富士山を眺め、対話しながら死を迎えたいものである。そうなるか否かは神のみぞ知るではあるが、私は決して死を恐れないであろう。多分・・・という疑問符がつくことではあるが・・・。 |