「ちょっといい話」その82―首相と乞食の食事― [2017年05月24日(Wed)]
「ちょっといい話」その82 ―首相と乞食の食事― 3月18日から20日までインドのオリッサ州に入り、ハンセン病制圧活動と、コロニーといわれるハンセン病回復者が集団で生活する地域を訪問し、劣悪な環境を改善するようオリッサ州の指導者やメディアに集中的に働きかけた。 オリッサ州は人口約4,400万人と韓国並みの人口と面積があり、インドでも貧困州の一つである。ハンセン病患者の発見は勿論のこと、コロニーに山積する問題、例えば土地、電気、水道の確保、定期診療のための医師の派遣、乞食をやめるための特別手当の支給などの多岐にわたる要請を、州知事(これはイギリス統治時代からの名誉職)、州首相、保健大臣、主席事務次官、障害者問題委員会委員長、社会保障・障害者問題担当次官等々に、1日半で精力的に働きかけた。 日本財団が10年前に設立に尽力した「インド・ハンセン病回復者協会」は、インド全土から約850のコロニーが参加しており、会長のナルサッパ氏は、一昨年の訪日の折天皇皇后に拝謁し、両陛下より指の欠けた手をやさしく包むように両手で握られ、「家族からも触(さわ)られたこともないのに・・・」と涙を流した男である。 オリッサ州のリーダーは、写真のように明るい性格のウメシュさんである。彼は「今まで20回以上も問題解決のために各役所を訪問したが、「係りのところで陳情はストップして進まない」と嘆き、「今回は笹川さんのおかげで高官に直接要請できるので、昨晩から準備と興奮でよく寝られなかった」と、紅潮したおももちで肥満の体を左右に傾けながら語る。オリッサの94ヶ所のコロニーの代表として重い責任を痛感してか、玉のような汗をかきながら寸暇を惜しんで私に実情を説明してくれた。 私はいつも彼らに「あなた方が問題解決の主役ですよ」とハッパをかける。会談ではまず私が簡単に状況を説明し、その後ナルサッパさんや州リーダー、今回はウメシュさんに説明してもらうことにしていた。いつも大きな声で快活におしゃべりをするウメシュさんだが、政府高官を前に、借りてきた猫のように玉の汗を拭きながら小さな声で説明する。指が欠けていることもあるが、準備してきた書類も緊張のあまりなかなか出てこない。「もっと大きい声で説明しては」と促すが、今まで雲の上の存在であった首相や大臣への説明なので無理からぬことではあった。 インド各州を廻っていつも思うのだが、どの州でも話は真剣に聞いてくださり、決して予算がありませんとはいわないのは日本の役所と大いに異なる点である。私の作戦は、まず首相をはじめ関係大臣や担当責任者との会談、その後の記者会見で多くの新聞、テレビ、ラジオ、雑誌などのメディアに一斉に報道していただき、ハンセン病問題が大きな話題となることにより問題解決への大切な一歩とすることである。 4〜5年前、オリッサ州ではハンセン病患者が州議員に立候補して当選したが無効の判決となり、インド最高裁判所も「ハンセン病患者は立候補ができないというルールがある以上、悪法でも法律があるかぎり原告敗訴」となった州である。勿論、その後我々関係者の陳情が屈いたのか、このような差別法は解消されたのは当然のことであった。 好感触を得て帰国後、嬉しい連絡がきた。首相がウメシユさん(苦しいときは乞食をしていたこともある)を自宅に招いて夕食を共にしたという。謹言実直な首相を前に、玉の汗を流しながら州リーダーの責任を果たすために懸命に首相に説明する姿。きっと緊張のあまり何をご馳走になったのかもわからず、食べ物も喉を通らなかったであろう。興奮冷めやらず思いで帰路に着くウメシュさんの満足した足取りが目に浮かぶようだ。 こういう知らせが入ると、次の訪問地ウエストベンガル州でも大いに頑張らなくてはと、気分は昂揚してくる。「どんな困難なことでも第一歩を踏み出さなければ物事は始まらない」とダライ・ラマ師に反論した責任の重さをかみしめている。 溢れる情熱、どんな困難にも耐える精神力、問題解決まで諦めない継続性こそ、私の行動哲学である。 |