「ローマ教皇とハンセン病発言」その3―国際会議の結論― [2016年07月15日(Fri)]
「ローマ教皇とハンセン病発言」その3 ―国際会議の結論― 日本財団とローマ教皇庁との共催による「ハンセン病患者・回復者の尊厳の尊重とホリスティック・ケアに向けて」と題する国際会議は、6月9日〜10日の2日にわたってバチカンで開催され、45ヶ国から約250名の宗教指導者、国連人権理事会諮問委員、国際機関代表、医療関係者、法律家、NGO、そして回復者組織の代表たちが参加した。宗教指導者では、ローマ・カトリック教会、ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教が参加した。またハンセン病回復者は、インド、ブラジル、ガーナ、中国、韓国、フィリピン、コロンビア、日本からの参加があり、バチカンでは初めてのハンセン病に関する国際会議となった。 各国のハンセン病回復者からは苦難に満ちた人生が語られ、特に長島愛生園から参加された石田雅男さんの「残酷で悲惨な歴史を繰り返してはいけない」と静かに淡々と語る姿に、参加者から大きな拍手が起こった。 2日目の最後に、議論や発言をもとに「結論と提言」が発表された。社会に残る偏見・差別により、いまだにハンセン病患者・回復者とその家族の人権が十分に確保されていないことが指摘され、偏見・差別の解消に向けて宗教界も重要な役割を果たすべきと明記され、偏見・差別を助長するような用語、特に「Leper」の使用は避けるべきとの提言がなされた。 6月12日の日曜日はサン・ピエトロ寺院広場で、「いつくしみの特別聖年」の教皇行事として開催された「病者と障がい者のための聖年」特別ミサが行われた。世界中からおよそ7万人の障害者、医療関係者、福祉関係者、キリスト教信者、一般参加者が集まり、ローマ教皇の話に熱心に耳を傾けていた。このミサでは、私や会議出席者、回復者たちは最上壇の特別席に座らせていただいただき、間近でミサに参加することができた。ミサの中で教皇様から「『病者と障がい者のための聖年』の一環としてローマでこのほど、ハンセン病を患った人々の治療のための国際会議が開かれた。感謝の念をもって開催者と参加者を歓迎し、この病気との闘いにおいて、実り多き取り組みが成されるよう切望する。」とのメッセージがあり、会場から大きな拍手がおこった。 数万人の参加者の中で、私は一人静かに教皇様の言葉を心にきざみ、12億人の信者の最高責任者が従来の発言を訂正し、「レパー」という差別用語ではなく「ハンセン病を患った人々」とおっしゃったそのお言葉に、密かに喜びをかみしめた。 以下はバチカンにおける私のスピーチです。 ****************** 国際シンポジウム 2016年6月9日 於:バチカン市国 ローマ教皇庁保健従事者評議会がこのシンポジウムを共催してくださることに対し、心から感謝しております。また、よきサマリア人財団、ラウル・フォレロー財団、マルタ騎士団の皆さまのご協力にも感謝申し上げます。 私は、実際にハンセン病を経験した人たちの言葉を聞かずしてこの問題を語ることはできないと思います。しかし、実際に彼らの言葉を聞くことができた人は多くはありません。本日、はるばるご参加くださり、その経験を共有いただける皆さまにも心からの感謝の意を表します。 まずはじめに、ローマ・カトリック教会がハンセン病に苦しむ人々のために果たしてきた役割について言及したいと思います。 これまで、多くの教会の方々がハンセン病患者の救済のために尽くしてこられました。その中には、19世紀に宣教師としてハワイ・モロカイ島に渡り、ハンセン病患者に奉仕された聖ダミアン神父や、その活動を評価され、ノーベル平和賞を受けられたマザーテレサもいらっしゃいます。 私自身は、マザーテレサにお会いする機会に恵まれたことがあります。私がインドでハンセン病患者のためのホームを訪ねたとき、マザーは自ら私を案内してくださいました。患者のため、神に祈りを捧げる彼女と共に祈ったことは、忘れられない思い出です。 私が旅してきた場所では、多くのハンセン病回復者の方々が、教会から受けた献身的なケアに心からの感謝の気持ちをお持ちでした。 私が会長を務める日本財団と、関連団体の笹川記念保健協力財団は、世界各地で行っている様々な人道的支援に加え、1960年代からハンセン病の制圧活動に取り組んできました。 1983年、私の父である笹川良一が教皇ヨハネ・パウロ2世聖下自らの執務室に招き入れてくださる栄誉をいただいた時、私も付き添いました。この謁見において、教皇は父を抱き締め、父のハンセン病制圧に向けた取り組みに深く感謝してくださり、引き続き努力するよう激励してくださいました。 その後、1990年代に日本財団はハンセン病治療薬を世界中に無償配布することを決め、WHOや多くの方々のご尽力により、患者数の大幅減少を達成しました。 2003年に再び教皇ヨハネ・パウロ2世聖下に謁見する機会をいただいた私は、世界各国を回り、薬が届いていることを確認したこと、ハンセン病の患者数が大きく減ってきていることをご報告することができました。 薬によってハンセン病の患者数は減りました。このように医療面で改善が見られた一方、社会的な問題は変わりませんでした。多くの人々が、ハンセン病の差別とスティグマに苦しみ続けていたのです。 言い換えると、ハンセン病の回復者は、病気は治っているにもかかわらず、「ハンセン病元患者」としての烙印を押されたままでした。彼らは差別され、家族の元に戻れず、仕事への復帰もかなわず、患者だったときと変わらずにハンセン病療養所やコロニーで暮らす以外の術をもっていませんでした。 これは医療では解決できない、意識の問題です。 社会の意識の問題は、社会の中に根強く残ってしまっている、ハンセン病に対する差別的な意識のことです。それは、ハンセン病が未だに、遺伝病だとか神のたたりであるという誤った誤解に基づいていることが多くあります。 この誤解を解くため、日本財団では、社会の人々にハンセン病に関する正しい理解をもってもらうための活動を行っています。例えば、1月の世界ハンセン病の日に合わせ、2006年から毎年、社会からハンセン病の差別をなくすためのグローバル・アピールを発信しています。これは私たちが力を入れる啓発活動のひとつで、医学界やビジネス界、学術界など、様々な分野を牽引するリーダーの方々と共に行うことで、広く一般に届けようとしています。 2009年には、この活動に対し、ローマ教皇庁保健従事者評議会にご協力をいただきましたことに、あらためて感謝申し上げます。その時私たちは、世界の宗教指導者の方々と共に「ハンセン病における差別をなくし、癒しを開始しよう」というメッセージを発信しました。 このような活動は、ハンセン病についての誤解を正し、社会の人々にハンセン病についてもっと知ってもらうことを目指しています。私は、このことがハンセン病の差別とスティグマのない世界の実現への一歩となると信じています。 しかし、意識の問題にはもう1つあります。それは、ハンセン病を経験した人たち自身の意識の問題です。 私は、彼ら自身の多くもまた同様に、病気に対する誤解を持っていることに気づきました。彼らは、長い間差別を受けて暮らしてきたことで、社会に復帰することをあきらめてしまっていました。そして、さらなる差別への恐れから、自ら社会から隔絶して生きることを選択していました。彼らは、自分たちに人権があることにすら気づいていませんでした。 宗教指導者の方々は、多くの人の心や意識に触れる活動をされています。彼らの言葉は私たちに、思いやりの心を教え、勇気を与え、苦しみを癒し、そして私たち皆を一つにしてくださいます。 昨年、教皇フランシスコ聖下がバチカンで、ブラジルから訪れたハンセン病回復者の人々に謁見してくださいました。彼らはそれがいかに意義深く、報われる思いがしたかを語ってくれました。 本日は、教皇庁の格別のご配慮で、ローマ・カトリック教会を始め、様々な宗教に関わる方々がお越しくださっています。 私たちは、ハンセン病当事者に対する包括的なケアに関して議論し、ハンセン病の社会的差別をなくす必要性を共有するために集まりました。 そして本日ここに集まった回復者の皆さんはすでに自分たちの立場を社会に訴えるために力強く立ち上がった勇気ある人たちです。また、彼らは他の人たちを先導しようとしている指導者の皆さんです。 彼らと共に力を合わせることで、私たちはハンセン病患者や回復者の苦しみを軽減することができるでしょう。共に活動することで、私たちは、彼らが自らの尊厳を回復するお手伝いができるでしょう。 最後に、ハンセン病を克服した私の友人の言葉をご紹介したいと思います。彼は少年時代にハンセン病を患ったことでこの病気に苦しめられることになりました。その後、70年以上もの間ハンセン病療養所で暮らしています。現在89歳となった彼は、その経験を語る活動をしています。 彼はよく私に言うのです。 「自分はひどい差別を受けてきたが、私を差別した人たちを赦したいと思う。彼らを赦すことで、自分の人生は豊かなものになる。」 私は彼の言葉を聞いて、人間とはこんなにも強く、寛容になれるものかと思いました。勇気を振り絞り、差別に立ち向かい、自らの置かれた状況を変えるために立ち上がった多くの人たちがいます。彼はその一人です。 実際に差別にさらされ、苦しみを味わった患者や回復者の方たち自身が発する声は力強く響きます。彼らの声に耳を傾けることで、私たちは、何をなすべきかが見えてくるのではないでしょうか。 |