「俎板(まないた)の上の鯉のつぶやき」その1―宿命の子の書評― [2015年07月15日(Wed)]
「俎板(まないた)の上の鯉のつぶやき」その1 ―宿命の子の書評― 俎板の鯉とは、じたばたせずに覚悟を決め、料理人の思いのままに潔く捌(さば)かれる状態をいう。 私は作家・高山文彦氏によって『宿命の子』なる著作で俎板の上の鯉の如く捌かれた。出版されたこの本の書評に云々(うんぬん)申すことは、本来、作家に対して失礼なことである。 しかし、何事も例外はあるもの。私のつぶやきは、例外として高山氏もご了解されると期待したい。 この程、作家・渡辺京二氏が、この『宿命の子』の書評を『本の窓』に書いておられることを知った。 渡辺氏は名著『逝きし世の面影』で和辻哲郎文化賞を受賞され、一躍著名になられた。熊本市在住で思想史家、歴史家、評論家でもあり、雑誌『選択』の連載『バテレンの世紀』は毎回楽しみにしている読み物である。渡辺氏は『苦界浄土 我が水俣病』の作家・石牟礼道子氏と共に水俣病闘争に参加された熱血漢で、現在は石牟礼道子氏の身辺の世話を手伝いなが出筆活動に専念されておられると仄聞している。 つまり、私の尊敬する作家渡辺氏が『宿命の子』の書評を書かれたとあっては、俎板の上の鯉であるとはいえ、私は感謝の言葉をつぶやかざるを得ないのである。 勿論、書評は渡辺氏の作家・高山文彦氏に対するものである。 **************** 渡辺京二氏の書評『宿命の子』高山文彦著 小学館 2500円+税 競艇の創設に尽力し「日本のドン」の汚名を背負った故・笹川良一氏と、ハンセン病制圧を中心とした慈善事業を担う三男の笹川陽平・日本財団会長の、父と子の物語を描いた作家・高山文彦氏の『宿命の子 笹川一族の神話』。『本の窓』2015年8月号(7月20日発売)掲載の、渡辺京二氏(日本近代史家)による書評を全文掲載する。 * * * ◆父の汚名を晴らそうとした息子の物語 笹川良一といえば児玉誉士夫と並んで、超国家主義者にして政界の黒幕、競艇界からあがる莫大な利益を一家で吸い上げた不徳義漢というのが、一般の印象だろう。事実、一九九五年に死去したとき、各紙はかつてのA級戦犯容疑者、右翼のドンと一斉に報じた。 実像はまったく違う。なるほど良一は戦前、ふつうの日本人のようにナショナリストであり、右翼団体の指導者だった。だが児玉のように軍部と結託して利を得たことはなく、翼賛議会、東條内閣への批判者で、A級戦犯に指名されたのはGHQに睨まれたからにすぎなかった。競艇事業からは売り上げの三・三パーセント、良一死亡の当時六六〇億円が、彼の創設した財団に流入したが、彼はその金を一銭たりと私せず、政界工作に使うこともなく、ただ世界のハンセン病患者救済のために使った。 虚像と実像の差は目くらむほどだ。だが、この本はそういう良一の雪冤の書ではない。父良一を「戦後最大の被差別者」と感じ、父のハンセン病患者救済の志を受け継ぐことで、父の汚名を晴らそうとした息子笹川陽平の物語なのである。 陽平は良一の嫡出子ではない。良一の妾のひとりが生んだ三人の男子の末子である。良一はこの一家を早く見捨てた。東京大空襲の夜、陽平は母と業火の中を逃げまどい、九死に一生を得た。戦後、母子がなめた辛酸はいうまでもない。のちに、良一が最も気に入りの妾と構えた家に引き取られたが、扱いは下男同様だった。 無情な父を恨んで当然である。良一という男の眼中には世界人類しかなく、家族への私情はほとんどなかった。この点でも特異な人物だったのだ。二人の兄のひとりは父に反抗し、ひとりは適当な距離をとった。陽平ひとりが、誠心誠意父につき従い、ついにその志を継いだ。それも、おまえが後継者だという受託の言葉など、一言もないのにそうした。 年間数百億という資金に恵まれた財団をねらう虎狼をはねのけ、その間いわれのない中傷を蒙りながら、陽平はついに父の事業を守り抜き発展させた。野心とか欲心とか権勢欲とかにもっとも遠い実直な男である。酒も煙草もやらず、女も囲わない。腹心を作らず親分にもならぬ。ただ世界中を飛び廻り、ハンセン病患者を肉親のように抱き締める。 いったいどういう男なのか。著者を突き動かしたのはこの疑問であり、それが週刊誌連載七四回、六八〇ページになんなんとする重厚な評伝となった。父の汚名を晴らしたいという。ただそれだけか。人類すべて兄弟というのは父のいささか誇大妄想的理念だった。ところが陽平の実践は、何のてらいもなく父の理念を日常化している。陽平は父の大らかで無私な善意に惚れこんだ平凡な人で、ただその惚れこみようが非凡だった。著者はその平凡の非凡さに魅せられたのだ。 著者はこれまで、ジョセフィン・ベーカー、北條民雄、中上健次、松本治一郎といった個性の強い人物の評伝を手掛けて成功して来た。事実をしっかり調べるだけでなく、人物の蔭や内面にも踏みこみ、いわば文学的な読みこみのできる繊細な感性の持ち主であることを、その度に証明してきた。今回の大作にもそういう特色が十分に発揮されているが、私が特に感じたのは一種の熱っぽさである。 競艇界や財団に群がるいろんな人物や、入り組んだ複雑な出来ごとを叙述していくのは、大変煩雑で下手をすると労多くして功少ない作業になりかねない。著者がこれをみごとに乗り切ったのは、笹川陽平という不思議な人物、平凡な非凡、平俗な聖性という現象に深く心ひかれたからに違いなく、また彼の半生をたどることが戦後日本史のかくれた真実の発見となったという興奮ゆえでもあったろう。著者はその熱い心の昂りを冷静に語ることに成功した。著者の仕事に新たな里程標が建ったと言ってよかろう。 |