インドにおけるハンセン病制圧活動 [2005年03月26日(Sat)]
3月17〜23日、インド出張に行きました。
一昨年5回、昨年も5回、今年は早2度目のインド出張です。 私が主に訪問する都市は、ニューデリーやカルカッタなど、大きな都市ばかりでなく特に北インドや南インドなど、普段皆さまが行かない場所へ行っております。 私は、昨年も1年の約1/3、海外出張をしましたが、世界からハンセン病をなくすための活動が主なものです。 ハンセン病の制圧活動につきましては、日本財団のホームページに詳しく掲載しておりますので、ぜひご覧ください。 日本財団は、世界中に治療薬を無料で配布し、1980年代から約1400万人を病気から解放いたしました。世界保健機関(WHO)が公衆衛生上問題としている人口1万人当たりハンセン病患者1人以下にするための活動を行っています。 1980年代から現在までに116の国が制圧されました。未制圧国は、厳密に言うと、まだ9カ国残っています。 それは、インド、ブラジル、ネパール、アフリカのマダガスカル、モザンビーク、アンゴラ、中央アフリカ、コンゴ民主主義共和国、そしてタンザニアです。 これを何とか2005年までに制圧したいと考え、私は35年も活動してきたのです。ハンセン病の患者さんは、ほとんどの国において病気が治っても社会参加することがなされておりません。 結核などの通常の病気ならば、治れば社会に復帰して働くことができるのですが、ハンセン病だけは“元患者”という名前で呼ばれ、本人が持っている“個人的名前”で呼ばれることがまずないのです。 世の中には、医学的に数千の病気があるそうですが、ハンセン病のように社会が持っている差別と病気という2つの側面持つ病気は大変珍しいわけです。 その方々に対する偏見や差別という人権問題を解決しないと、本当の意味での病気が治ったということにはならないわけです。 国連人権委員会という組織がジュネーブにございますが、昨年私はこの委員会で3分間スピーチをすることが許されました。 ハンセン病が治った方が世界中に約2000万人いるわけですが、1家族5人とすれば、ハンセン病患者をかかえた家族の人たちの総数は、1億人、従兄弟や親族もいれれば数億人おります。しかし、「あの人の家はハンセン病だ」というだけで、いわれなき差別を受けるのです。 これは近代社会で大変おかしなことです。これを国連でハンセン病は人権問題だということを採択してもらうことが、重要であると考え、私はハンセン病の人権問題にも力を入れているのです。 そのようなことから、私は今回インドのマハラシュトラ州のプーネで、3月18日、19日に国連人権委員会の委員の方にも来ていただき、病気から回復した方々がどのような差別を受けているか、直接事情聴取をしてもらうために会議の開催をしたのです。 回復者の皆さまが公の場で話をすることは、過去に例がありませんでしたが、ようやく勇気のある回復者の方が出てきて、発言をするようになりました。 この病気は、紀元前6世紀のインドの書物に出てくる古い病気で、もちろん旧約聖書やコーランでも、或いは仏教の経典でも残っており、ハンセン病の患者は神から与えられた罰だと、また先祖が悪いことをした報いだと、人々の頭の中に深く記憶として残っているのです。 この問題の解決はなかなか困難なことです。今まで回復者の皆さまは、回復者だけが集まるコロニーと呼ばれる不便な場所で、ひっそりと集団で生活しているのですが、そのなかで勇気のある人たちが、自分たちはこのような差別を受けてきた、と発言してくれたのです。 長いハンセン病の戦いの歴史の中で、大変画期的なことでございます。 回復者のなかには、かつてショックで死を覚悟した人もいますし、結婚をしたけれど無理やり親から別れさせられたこともあります。単なる障害にもかかわらず、勤め先の友人にこっそりと「私はハンセン病だった」と言ったことで、一緒に食事さえしてくれなくなったという話も聞きました。 このような人たちが一般の社会の人々と同じような生活ができるために、私は命を賭けてこれからも活動をしようと思っています。 |