「日英兵士の和解」―ビルマ戦線― [2015年07月03日(Fri)]
「日英兵士の和解」 ―ビルマ戦線― 私のブログは報道関係者から「大切な情報なのに、いつもトラック競技でいえば一周遅れですね」と笑われる。ものぐさと遅筆の性癖のためである。 6月7日、毎日新聞の小倉孝保欧州総局長が一面と四面全てを使って書かれた『ひるまぬ和解大使』と題した記事が掲載された。 戦後、ビルマ戦線で虐待を受けたと対日憎悪に固まる強硬反日団体の一つであったビルマ戦線生き残りの兵士たちの集まりに単独乗り込み、日英兵士の和解に半生をかけ、7年前に88歳で亡くなった平久保正男さんの特集記事である。 紙面には限りがあり、掲載できなかったであろう事柄で、私の知るところを補遺としてここに記しておきたい。 当時、日本政府は1998年の天皇皇后両陛下の訪英を視野に入れていたか否かは承知していないが、この強硬反日団体の存在に困惑しているところであった。勿論、平久保さんはそんなこととは別に、純粋な気持ちで和解のために誠心誠意汗を流しておられた。 1985年、私は日英交流の大切さから『グレイトブリテン・ササカワ財団』(以後ササカワ財団)を設立。ロンドンに本部を置いて活動していた。ある日、平久保さんより日英兵士の和解のための交流事業についての協力・支援の申し出を受けた。 この財団の当時のスタッフであった井上美津子さん(旧姓 渡辺)と、1991年から引き継いだ仙石節子さん(元トルコ大使夫人)のお二人は、情熱と誠心を持って英国ビルマ戦線退役軍人の日本招待に努力され、親切この上ない『おもてなし』が彼らの反日感情を薄める効果を発揮してくれた影の功労者であったことは確かである。 最初のグループは、1989年に12名が来日した。ほとんどが70歳以上の高齢者で、会談の折、「私たちは日本を憎んで反日で死ぬことを共通の目的としていた。私たちを虐待した日本兵が暮らす日本を訪れるなんて考えてもいなかった。帰国すれば必ず仲間はずれにされるでしょう。しかし、極東裁判で日本兵の多くが法廷で裁きを受けたことを来日して初めて知った」と語り、また、捕虜として施設に隔離された軍人の間では、おかゆや木の根を食べさせられ、屈辱に満ちた悲惨な扱いであったと思っている人が多くいると言い、「しかし、日本兵も食糧難から我々と同じ食事であったことを聞き、このことは帰国したら正確に仲間に伝えたいと思う」と語っていた。 当時の日本ビルマ戦線生き残りの全ビルマ戦友会団体連合会は、確か3万6000人余りのメンバーであったと記憶するが、彼等は真心をこめ、大歓迎で迎い入れてくれた。1回で終わりかと思っていたら、訪日の報告を聞いた元兵士たちが次々に来日を希望され、1995年までに5回、78名が日本の土を踏むことになった。また、日本側からも1992年と1994年、二度にわたり27名の日本ビルマ戦友会員が英国を訪問した。 1995年には高齢による体調不良者が2〜3名も出て、1名は聖路加国際病院に入院させるほど重病で最悪の事態も覚悟したが、日本ビルマ戦友会と仙石節子さんの献身的なお世話で1週間ほどで無事退院、帰国された。 第1回の訪日時、英国元兵士一行は元日本兵と共に靖国神社を参拝してくれた。以降、毎回靖国神社を参拝するのが恒例となった。お世話をしてくれた仙石節子さんは、後年、「あの時は嬉しくて涙が止まらなかった」と、しみじみと語ったものである。 その後英国側より、残っている元兵士は85歳以上の高齢になり、長旅は難しくなった。目的は十分達成された。好意に感謝する旨の連絡を受け、この相互訪問交流プログラムは終了した。 1994年の訪英プログラムでは、バーミンガムにおいて、英国元兵士が日の丸の旗を掲げ、日本元兵士がユニオンジャック(英国国旗)を掲げて行進したが、ヤジ一つ飛ばず、拍手で歓迎を受けたとの帰国報告を受け、この交流プログラムの成功を確信した。 そこで、この交流プログラムの記念に何かを残そうとササカワ財団で話題となり、日英両国のビルマ戦線の書籍を日本側の書籍・資料は日本で、英国側は英国で収集することになり、英国のロンドン大学東洋・アフリカ研究所の図書館に『ビルマ作戦記念文庫』として寄贈した。 また、『ビルマ作戦日本語書籍目録』をササカワ財団の助成金で東京事務所が協力して作成・出版した。その中には全ビルマ戦友会会員から寄付された関係書籍も多数あった。英国側の協力も得て、靖国神社偕行文庫にはほぼ同量の書籍・資料と、全ビルマ戦友団体連合会から提供された資料も含めて『ビルマ作戦記念文庫』が開設され、今もいつでも閲覧できるよう保管されている。 後年、英国大使を務められた林 貞行大使は、「笹川さん、日英間のトゲを除いてくださり有難う」と、わざわざお礼においでになったことも懐かしい思い出となった。 既に多くのビルマ戦元兵士は亡くなられた。私は現在、日本政府代表としてミャンマーの真の統一のため、60年以上にわたり闘ってきたミャンマー国軍と主な16の少数民族武装勢力との和解達成に汗を流している。 何かのご縁であるろうか。英国元兵士の厳しかった顔、満面の微笑みを浮かべた顔、日本人元兵士の助けを借りて歩行された人等、さまざまな場面を断片的に思い出しながら、ミャンマー(ビルマ)での活動を静かに展開しているところである。 ○日英ビルマ戦退役軍人招待訪問交流事業 ☆グレイトブリテン・ササカワ財団(GBSF)、日本財団(NF) *1989年 第1回訪日 英国ビルマ戦退役軍人 12名 助成金額:960万円 *1990年 第2回訪日 英国ビルマ戦退役軍人 12名 助成金額:960万円 *1991年 第3回訪日 英国ビルマ戦退役軍人 12名 助成金額:710万円 *1992年 第1回訪英 日本ビルマ戦友会会員 15名 助成金額:760万円 *1993年 第4回訪日 英国ビルマ戦退役軍人 12名 助成金額:800万円 *1994年 第2回訪英 日本ビルマ戦友会会員 12名 助成金額:650万円 *1995年 第5回訪日 英国ビルマ戦退役軍人 30名 助成金額: (NF)2000万円、(GBSF)700万円 総助成金額:7540万円 計延べ英国ビルマ戦退役軍人78名訪日 日本ビルマ戦友会会員27名訪英 開催期間: 第1回訪日: 1989年11月3日〜14日 第2回訪日: 1990年10月31日〜11月10日 第3回訪日: 1991年11月1日〜14日 第1回訪英: 1992年9月18日〜30日 第4回訪日: 1993年11月1日〜12日 第2回訪英: 1994年 第5回訪日: 1995年11月4日〜15日 |