「ハンセン病制圧活動記」その16―村から追放された患者 その1― [2014年05月26日(Mon)]
「ハンセン病制圧活動記」その16 ―村から追放された患者 その1― 1月25日、インドネシア、パプア州のビアク島でハンセン病制圧活動を実施していた際、村八分にされ、物置小屋のようなところで一人暮らしをしているアビア・ルンビアックさんを訪ねた。 15才まで漁師として近くの海で働いていたが、ハンセン病を発症して以来、しばらくは兄家族の家に同居し、現在は、雨がやっと凌げる、といっても壁面の板は欠落しており、マラリア蚊も出入り自由な約3平米程の土間に寝床を作って一人で生活している。 生活用品は一切なく、叔母が届けてくれる食事だけがたよりで、それも届かない日があり、空腹で寝ることもしばしばだという。日がなすることもなく、たまに漁師だったころに使っていた木製の「櫂(かい)」を松葉杖の替わりにして小屋のまわりを歩くが、誰も声をかけてくれず、無視されるという。そのため一日中小屋の中でただ座っているだけなので、一日が長く感じると、48歳位というアビアさんは、諦観した顔でポツリポツリと語ってくれた。 今一度逢いたいと思い、夕食を一緒に食べようと約束して小屋を出た。日が暮れてから弁当とコカコーラをもって再び訪れ、約束通りに来ましたよと告げると、ニコッと淋しそうな笑顔を返してくれた。 小屋の中には容赦なく蚊や蛾が飛び交う。二人でプラスチックの蓋をとって焼き飯を食べはじめた。コカコーラを勧めると喉を鳴らしてゴクッと飲んだ。「おいしいですか?」の問いに無言でうなずく。人と一緒に食事をしたのはいつの日だったか、記憶にないという。村八分の激しい差別の中で、孤立・孤独の生活を続けざるを得ず、深い哀しみが刻まれた眼差と表情には恨みや憎しみの気持ちも消え失せ、まるで厳しい修業に耐えた禅宗の坊さん、というより、まさに仏さまのようであった。 しばし沈黙の中、虫の音と共にかすかに潮騒の音が聞こえた。 (つづく) |