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写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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「ハンセン病国立療養所多磨全生園」  インドでのハンセン病制圧活動 [2012年03月25日(Sun)]
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多磨全生園の桜


「ハンセン病国立療養所多磨全生園」


原稿は多磨全生園機関誌「多摩」に3月に掲載されたものです。

多磨全生園は西武池袋線秋津駅から徒歩20分。ハンセン病の歴史資料館もあり、広大な敷地に咲き誇る桜が名物です。天気の良い日のお出かけをお勧めします。


インドでのハンセン病制圧活動

WHOハンセン病制圧特別大使
笹川陽平


昨秋、インドの東部チャティスガール州と南部アンドラ・プラデシュ州を訪問しました。両州で、ハンセン病の回復者やその家族が集まって生活するコロニーを訪問すると同時に、彼らの実情や状況の改善を州の要人らに訴えることが主な目的です。

インドは、WHOが定めるハンセン病制圧基準(人口1万人あたりの有病率が1人未満)を2005年末に達成しており、2011年3月現在の有病率は0.69となっています。とはいえ、人口約12億人のインドでは、毎年約12万6千人もの人々が新たにハンセン病と診断されており、全国には回復者やその家族が居住するコロニーが850ヵ所もあります。ハンセン病に対する偏見は非常に根深く、患者や回復者及びその家族は今も日常的に厳しい差別に苦しめられ続けています。インドにはこれまで40回以上訪問していますが、状況を少しでも改善するために何度でもインドの関係者の戸をたたき続ける必要があるのです。

首都デリーに到着した翌朝、チャティスガール州ライプールに飛行機で移動し、空港からそのまま車で約4時間かけてビラスプールを訪ねました。チャティスガール州はインドの中でも比較的発展が遅れている地域です。道は舗装されていないデコボコ道が多く、道路の真ん中に大量の牛が歩いていたり、寝そべっていたりします。車が側を通っても牛は気にもとめず、ゆったりとしています。4時間揺れ続ける全身マッサージの車中から泰然とした牛の姿を見ていると、まさに「インドに来た」という想いが深まります。

ブランバ•ヴィハール•コロニーは少し前に大雨が降ったようで、周囲が水浸しになっていました。衛生状況も良くないようです。このコロニーは1979年に設立され、現在は23世帯45人が住んでいます。この州で110年以上活動を行っているザ・レプロシー・ミッション(TLM、英国救らい協会)の支援で四つの自助グループが形成され、共同で銀行口座を開設して貯蓄する習慣をつけています。生活状況は決して良くありませんが、リーダーのチトラ・シンさんを中心にコロニーの皆さんがよくまとまっている様子が伺えました。私からは州の回復者リーダーであるガシュラム・ボイさんを紹介し、「州のリーダーであるボイさんとコロニーのリーダーであるシンさんとが協力し合い、皆が団結すれば、大きな力となり、状況は必ず改善するのでがんばってほしい。私も皆さんの生活向上のため最大限努力する」と励ましました。シンさんによれば、コロニーが冠水しないようインフラの整備を政府に訴えているが聞いてもらえないとのことですが、州に点在するコロニーが団結して活動すれば、そういった訴えも届くようになると説得しました。

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ブランバ・ヴィハール・コロニーで回復者たちと


この後、ビラスプールの市街地に移動し、チャティスガール州のハンセン病担当官であるバット・パーレ博士が私の訪問に合わせて開催してくれた各県のハンセン病担当官が30人ほど集まる会議に出席しました。パーレ博士から、2001年に1万人あたりの登録患者数が11.0人だったのが、2006年までに1.46人まで激減したこと、その後は2.0前後で推移している状況の説明がありました。インド国内で有病率が1.0を超えている州はチャティスガールとビハールの2州のみで、チャティスガールは有病率が最も高く、18ある県のうち10県が10万人あたりの年間新規患者数が10人以上という蔓延県です。遠隔地域へのアプローチやハンセン病対策の公衆衛生政策上の優先度の低下、人材不足などの課題が残されていますが、パーレ博士からは対策強化への強い意思表明があり、回復者の障害に対する再生手術も力点をおき、回復者の社会復帰に尽力すると強調されました。私もパーレ博士の案内で、手の再生手術を受け、今は壷作りの仕事をしている回復者のクマールさんの家を訪ねました。たくさんの壷がところ狭しと並べられているなか、奥さんとかわいらしい子供3人とで仲良く暮らしている姿がとても印象的でした。会議の場でも「彼が自信をもって生きている姿を見て、一人でも多く彼らの人生を手助けすることが私たちの崇高な責任である」と参加者に訴えました。

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クマールさんの家族と


会議のあと、その日が誕生日というアグラワル州保健大臣に回復者のボイ代表と面会しました。インドでは州といっても、人口からすれば一国に値するほどの規模です。インドは連邦国家であり州ごとに大臣がおり、大きな権限をもっています。医者である娘と共に、「チャティスガール州をハンセン病対策のモデルケースとしたい」と決意を語り、ボイさんとの協力も約束してくれました。

翌23日は、まず車で1時間ほどかけドゥルグ県のアシャディープ•コロニーを訪問しました。このコロニーは笹川インド・ハンセン病財団(SILF)が小規模融資を行っているところです。私が訪問した際にも、融資によって購入した機織り機を使って、女性たちが上手に敷物を織っていました。5枚のサリー(インドの伝統的な女性服)をリサイクルし、1枚の敷物をつくるそうで、政府から学校用に注文を受けることもあります。これにより月4500ルピー(約9000円)ほどの収入を得ることができ、「お金も少しずつ貯めている」と嬉しそうに笑顔で答えてくれました。ほかにも、ホウキづくりや町の清掃を行って生計を立てている方など、それぞれが手に職を持って働いています。また、学校から帰ってきた子どもたちは両親の仕事を楽しそうに手伝っていました。このコロニーからは医者やエンジニアになった子どももおり、コロニー外の女性から尊敬され結婚した男性もいます。コロニーの皆さんの努力によっては一般の人からの差別が解消され、尊敬を得ることができるという一つの事例です。これまで40回以上インドを訪問し、100カ所以上のコロニーをみてきましたが、ここが一番のコロニーだという印象を受けました。聞いてみれば、数十年来コロニーの住民をまとめてきたリーダーのビシュヴァナスさんはコロニーの生活改善の闘いの中で19回の投獄経験のある活動家です。私はこのコロニーを一つの成功事例とし、インド中のコロニーをこのレベルに上げるという決意を新たにしました。

その日の午後は、レプロシー・ミッションと州の回復者団体の共催によるハンセン病対策に取り組むNGOが集まりワークショップを行いました。レプロシー・ミッションは2つの病院と3つの職業訓練施設を運営しており、手の再生手術やカウンセリング、自助グループの組織化、コンピュータや織物、機械などの職業訓練を行っているという発表がありました。回復者団体代表のボイさんは「政府への働きかけを続けていくと同時に、我々自身も起業していかなければならない」と語り、私は、午前中に見学したアシャディープ•コロニーの話をし、「コロニーの人々は働く能力も意欲もあるが機会だけがない。機会さえ与えれば素晴らしい成果を発揮する。努力しだいで社会の差別の心は尊敬の念に変わりうるとこの州で証明されている。」と強調しました。

翌24日の最終日は、朝は車で1時間ほど移動し、セントヴィノヴァ・コロニーを訪問しました。このコロニーはチャティスガール州最大のマハナディ川を含む3つの川が合流する宗教的聖地に位置します。そのため、物乞いで生活している者が多く、コロニーの衛生環境もよくありませんでした。昨日訪問し、皆が仕事をしていたコロニーとは印象が正反対で、住人に元気がなく表情も暗く、まとまりも感じられませんでした。私はインド中のハンセン病コロニーから物乞いをゼロにすることが後半の人生の夢ですが、このコロニーを視察して今までの何倍もの努力の必要性を痛感させられました。

この日はほかに、小学1年生から高校3年生までハンセン病回復者児童約400名が通うジヴォダヤ寄宿舎の訪問や、今回のチャティスガールでの活動を発表する記者会見、関係者との打ち合わせ、地元紙の個別インタビューなど多忙な一日でした。チャティスガール州はインドで最も有病率の高い州ですが、今回の訪問で関係者と精力的に会談し、活動したで、今後の変化を期待して引き続き注視していきたいと思います。

25日は南部のアンドラ・プラデシュ州ハイデラバードに飛行機で移動しました。到着後、早速記者クラブで会見を行い、そのままコロニーを訪問するため車で3時間ほどかけてニザマバードに移動しました。実は、アンドラ・プラデシュ州ではテランガーナという地域が州分離運動を行っており、私の訪問時にも公共交通機関のストライキや都市部各地でのデモなどが行われていました。その状況を現地の方から聞き、安全面で不安があることからニザマバードへの訪問を断念することも日本財団の担当者は検討していました。しかし、今回の訪問を要請してくれていた地元選出のヤスキ国会議員が安全の保証をして下さり、軍の警備つきで訪問が実現したのです。

ニザマバードのデヴァナガル・コロニーでは、200名近くの住人、それに多くの報道陣や警備隊も混じり、ごった返しの歓迎を受けました。そして、ヤスキ議員と再会の握手を交わしたのち、ハンセン病患者、回復者の一人一人と握手しながら挨拶して回りました。ヤスキ議員も私に続いて一人一人と握手を交わされ、彼らへの愛情を表現されていました。このコロニーの住民は180世帯850人で、農業または自営業で生計を立てていますが、1割ほどは物乞いです。若者たちは両親のサポートを受けながら、様々な業種の小売店を経営し、笹川インド・ハンセン病財団からも美容院、写真屋、洗濯屋、小売店の運営とバッファロー畜産に対しての小規模融資を実施しています。私の挨拶の後、ヤスキ議員からは「年金の増額のための働きかけや、道路などのインフラ整備、子どもたちの雇用などに取り組んでいく。また、笹川平和財団の交流事業で過去に2回訪日し、笹川さんとお話したのを機にハンセン病への関心を深めた。ハンセン病差別撤廃のための国会議員連盟をつくる」と表明されました。

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デヴァナガル・コロニーを訪問



ヤスキ議員は、翌日の朝食にも私邸に招待して下さると同時に、午後に開催したハンセン病人権セミナーでも力強い発表をして下さいました。セミナーではハンセン病患者、回復者に対する被選挙権や結婚、公共施設の使用などに関する差別的法律を議題にしましたが、「議員連盟を超党派でつくり、国会での議論や最高裁への働きかけを行う」と述べられました。彼の「お金が重要ではない。共にいる愛がいかに重要かを感じている。彼らの笑顔を見れるように、希望をもって尊厳をもって生きられるようにしたい」という言葉がとても印象的でした。

この日は13のコロニーの代表者会議もあり、男女約50人が集まり、それぞれの困難な生活状況の報告がありました。アンドラ・プラデシュ州には全部で101のコロニーがあり、その数はインドで最大です。土地や住宅、道路や衛生環境、年金や子供の教育など様々な課題をそれぞれが抱えており、集会はやや喧々諤々の様相となりました。しかし、この州でリーダーを務めるナルサッパさんを中心に州全体がまとまっていく過程にあり、このような意見交換と情報共有の場は大変重要なことで、私からも「101のコロニーが一つに団結すれば大きな力となり、州政府に声が届く。ぜひナルサッパさんを中心に団結してほしい」と説得。ナルサッパさんはインドのハンセン病コロニーの全国組織で、私も創設に携わったナショナル・フォーラムの理事でもあります。「他の人に依存するのではなく、自分たちの足で立っていかなければならない」と、集まったコロニー住人たちに力強く訴えていました。

話は少しそれますが、この集会の後の移動の際、先ほど述べた州分離運動の交通遮断デモに遭遇し、車が動かせない状態になりました。周囲は騒然とし、軍や警察、救急車、メディアも駆けつけています。何事も現場を見ないと分からないというモットーの私は、群衆をすり分けデモの最前線に行ってみました。一緒に行った職員が気付かれないように私の背後からビデオ撮影をしていると、デモ・グループの中に、その日、ヤスキ邸で朝食を共にした国会議員が座り込んでいました。お互いに気づいた我々は握手を交わし合ったところ、自分の横に座れと合図がありました。デモ隊の座り込みの先頭に私が座ったらテレビカメラの放映の中で後日、「あの日本人は誰だ!」ということになり危険外国人として入国禁止になったことでしょう。世界中でハンセン病の現場を訪ねると、日本では経験することのない様々な場面に出会います。その出会い一つ一つが現場への理解につながり、私自身の活動の刺激にもなります。

話を本題に戻したいと思います。翌日、アンドラ・プラデシュ州最終日はラジュカール地方貧困対策局局長、サティヤナラヤナ州社会福祉大臣、レディ州人権委員会委員長らと面談。すべての面談に、ナルサッパさんをはじめとした州の回復者リーダーたちに同席してもらい、なるべく彼らから直接話をしてもらう機会をつくりました。政府に何かを要求する際には、各コロニーが個別にお願いをしていては、政府としても全てに応えることはできません。逆に、州全体のコロニーの状況を代表者が整理し、優先順位をつけて、関係部局に的確に陳情することで、政府としても対応しやすくなります。今回はそのことを意識し、回復者リーダーにも、政府要人にもその旨をお話しました。

アンドラ・プラデシュ州はインドの中でも回復者の活動が進んでいるところですが、もう一つ特筆すべきこととして若者の存在があります。この日のお昼、コロニーに住む若者が20人以上集まる集会がありましたが、それだけ多くの将来性豊かな若い人たちと一度に会えたのは初めてのことです。ハンセン病によって苦しんできた親を助けたいという願いを持つ彼らの姿に触れ、ハンセン病コロニーの青年全国組織、ナショナル・フォーラム青年部を組織することを思いつきました。教育を受けた青年たちが一つにまとまり、立ち上がれば、社会を変革する大きな力になるはずです。

今回のインド訪問では、住人の大半が物乞いをしているコロニーから、いきいきと仕事をして住人に笑顔があふれているコロニーまで様々な状況をみてきました。州全体のコロニーをまとめようと奮迅する回復者州リーダーの存在はたのもしく、州によって状況は様々ですが、各州が刺激し合うことで州リーダーが育ち、州全体がまとまることで、その力が強くなり、ナショナル・フォーラムの存在が広く知られ、コロニー全体の生活の改善につながると信じています。そして私自身の長年の夢であるハンセン病の差別のない世界、物乞いをせずに尊厳をもって生きられる社会を実現するまで、何度でもこの国に足を運び、回復者たちと共に歩んでまいりたいと思います。

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