「ペルー訪問」その4―緊急手術成功― [2012年02月20日(Mon)]
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「ペルー訪問」その4 ―緊急手術成功― 1月29日(日)、朝8時起床。 午前8時20分、尾形理事長と電話。 午前8時40分、シャワーを浴びる。 前夜からの記録された波形にも、心臓への刺激が不整脈を起こしているところがあったとの説明を受ける。 午前10時、 シャワーを浴びたので、さっぱりした気分で手術室に入る。 午前10時30分、準備が整い、Dr. Ricardo Colomaが局部麻酔の注射を4ヶ所打つ。 午前10時35分、Dr. Ricardo Colomaの「では、手術を始めます」との言葉に「よろしくお願いします」と返答。鈍い音がしてメスの入ったことがわかる。 ![]() 場所は右乳房の上、肩甲骨の下部3〜4cmの所を横に10cmほど開く。右目は布に覆われているので手術の様子は見えなかったが、局部麻酔なので左目でテレビに映る様子は観察できた。二本の管が別々に動脈の中を奥深く入り、心臓に達するのがよくわかった。 テレビの画面を見ながら「お前なあ、世界の名医100人集めて金庫(安全な場所の意)の中に入っていても、死ぬ時は死ぬよ。人生、おもいきって働くことだ」との笹川良一の言葉を思い出し、手術中にもかかわらず思わずニヤリとしてしまった。傷跡の縫合が終わり、手術室を退室したのは午後12時15分であった。ICUに戻り、退院は明日の午前8時前後と告げられる。 1月30日 (月)、午前8時、 一人でシャワーを浴びる。 午前9時、Dr. Ricardo Coloma往診。御礼と別れの挨拶。 午前10時40分、退院。 ![]() 退院時、御世話になった先生方に感謝をこめて記念撮影 午前11時、13階の会議室で保健大臣を待つも、麻薬更生施設で火災が発生して10数人の死者が出たとのことでキャンセル。 日系人協会幹部と談笑。 WHOペルー代表と面談。 ホテルに戻り、午後9時、ホテル発。午前0時、リマ発。 ロサンゼルス空港で7時間待機の上、2月1日午後6時、成田着。 聖路加病院でチェックの上、翌日午後2時、退院。 日本財団に直行し、書類決裁等、活動再開となった。 以上は筆者の海外旅行にほとんど同行する秘書兼写真家の冨永夏子のメモを参考に綴ったものである。 退院の折「これはペースメーカーの大切な証明です」と書類を手渡された。 「空港での身体検査の折はこれを提示し、検査機械を通過しないように。携帯電話は左手で。右手は3ヶ月間90度以上上げないように。禁酒は3週間」と、諸々の注意を受けた。 ロサンゼルス空港では証明書を提示したので、当然すんなりと障害者扱いかと思いきや、少し離れたところに立たされ、専門官が色々と説明の上ボディーチェックを始めた。昨日、手術したばかりだと下着を巻き上げて見せても、分かっていますとばかりに傷口の上を、ソフトではあるが、手の平で確認したり、へその廻りを触ったり、挙げ句の果てには尻の割れ目から急所の裏まで手を這わせた。その上、三度も爆薬検査の機械で小さな布切れみたいなものを確認していた。腹が立ったが、よく考えてみると、テロリストなら考えそうな手段なのでこれも仕方ないかと妙に納得。 かつてジャーナリスト気取りの女性が、イスラエルの通関で職業欄に「ジャーナリスト」と記入。その上、悪いことに宿泊先がその手の人が集まるホテルであったからたまらない。美人の彼女は別室に呼ばれ、素っ裸にされて厳重検査。持ち物検査も、歯磨きチューブから化粧品まで細い針金で調べられ、小一時間の検査となったらしい。 それに比べればよしとしなければならないが、筆者にとってアメリカでの荷物検査や通関手続きは、世界で最も嫌な国である。 |












