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「元気をもらった一言」 [2010年12月23日(Thu)]



「元気をもらった一言」


PHP研究所が出版したトップリーダーが綴る「元気をもらった一言」には、174名の方々が仕事や人生の来し方で出会った、心に元気と温もりを与えてくれた言葉、挫折から救ってくれた言葉について綴られております。

不肖私の一文は、下記の通りです。

*******************************



ボーローグ博士と歩んだ農業支援プログラム


情熱と忍耐そして継続

出版:PHP研究所
日本財団 会長 笹川陽平

“緑の革命”と呼ばれる食糧増産でインド、パキスタンの飢餓を解決し、1970年ノーベル平和賞を受賞した故ノーマン・ボーローグ博士は文字どおり信念の人、2009年秋、95歳で亡くなるまで徹底した現場主義を貫いた。

博士がアフリカの食糧増産に関わることになったのは1984年、エチオピアで起きた大規模な飢饉がきっかけ。近代農業を普及させるため「笹川グローバル2000」の会長として現地指導者の育成や農民の指導に当たった。「最低限の生活すらできない人が存在すること自体に我慢がならない」「アフリカの子供たちが空腹を抱えたまま眠りにつくようなことがあってはならない」というのが口癖。灼熱の太陽が照りつけるアフリカの大地を中心に毎年200日近くを途上国の現場で過ごし、自ら泥にまみれ汗を流した。

その姿には飢餓克服に生涯を捧げる情熱とあらゆる困難に立ち向かう忍耐力、さらに成果が出るまで必ず続ける、という強い意思があふれていた。私はハンセン病の制圧や障害者対策、人材育成、途上国での学校建設などさまざまな活動のため一年の3分の1近くを海外活動に当て、「情熱と忍耐そして継続」をあらゆる活動のモットーにしている。博士の生き様から学んだ信念にほかならない。

その博士も、アフリカの緑の革命に参加するには迷いがあったようだ。当時博士はすでに70歳。大学の教壇に立っていたものの、ノーベル賞受賞者として妻のマーガレットさんと静かな隠棲生活に入っていた。しかもアフリカは未知の大陸。そんな博士を口説き落としたのは、博士が“問答無用のサムライの一太刀だった”という、亡父・笹川良一の一言だった。

「あなたは若くはないというがまだ70歳。それに比べ私は85歳。その私がアフリカを助けようとしている。なぜあなたはアフリカで緑の革命をしようとしないのか。」

告別式で私は博士に「農民の心に“夢”という土壌を耕し、“希望”という種を植え、“情熱”という水と太陽を注いだ」と別れの言葉を贈った。当の私もすでに博士がアフリカでの活動を始めた70歳を超えた。ボーローグスピリットを引き継ぎ、夢を追い続けるのが責務と考えている。
 
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