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エチオピアでのハンセン病制圧活動 [2010年11月28日(Sun)]


ハンセン病回復者の自宅を訪問


エチオピアでのハンセン病制圧活動

WHOハンセン病制圧特別大使
笹川 陽平

2010年7月12日〜17日、アフリカ東部にあるエチオピアを訪問しました。同国にはこれまで3回足を運んだことがありますが、前回は2006年でしたので4年ぶりになります。

日本でエチオピアといえば、東京オリンピックを覚えていらっしゃる方はマラソンの金メダリストのアベベ選手、より最近の出来事としては1984年の大飢饉を想起なさるかも知れません。実は私たちの現在の日常の近いところにもエチオピアはあり、あのスターバックスはエチオピア産のコーヒー豆も多く仕入れていますので(コーヒーの原産はエチオピアで、コーヒー豆は今でも同国一番の輸出産品であり、“ブラック・ゴールド”とも呼ばれています)、それと知らずにエチオピア・コーヒーを毎日楽しんでいらっしゃる方も多いかもしれません。

エチオピアでは初期の人類である猿人の骨が見つかっており、また、アフリカ最初の独立国でもあります(建国は紀元前10世紀ごろ)。キリスト教が伝播したのも1世紀ごろと早く、現在も約8000万の人口の6割はキリスト教徒です(次には約3割を占めるイスラム教徒)。

エチオピアの公用語であるアムハラ語は、サブサハラの国で唯一、独自のアルファベット(文字)を発明・使用しているというのですから、アフリカ諸国の中で最も高度な文化を誇る国の一つです。しかも、19世紀には近代的軍備を持っていたエチオピアは、アメリカの解放奴隷が植民していたリベリア以外で、アフリカ大陸の中でヨーロッパ諸国の植民地にならずに独立を守った唯一の国でもあります。

過去においてエチオピアではハンセン病はとても大きな問題で、1950年代からドイツ救ハンセン病協会が活動をしていました。1983年の時点では年間の新規患者が8万人を数えていましたが、同年から特効薬である多剤併用療法(MDT)が導入され、2000年には公衆衛生上の問題としては制圧(人口1万人あたりの登録患者数が1人未満)を達成、2009年当初の登録患者数4000人余り(人口1万人あたり約0.6人)にまで減少し、現在はエチオピア保健省がWHO(世界保健機関)やドイツ救ハンセン病協会等の支援を受けながら、対策活動を継続しています。患者数は減ってきたものの、ハンセン病に対する偏見や根強く、患者や回復者は未だに厳しい差別に晒されているという現実があります。

7月11日に成田を発ち、ドバイ経由で12日に降り立ったエチオピアの首都アディスアベバは、6月から始まっている雨季のために小雨混じりでした。エチオピアは熱帯に位置しますが、標高2400メートルに位置するアディスアベバ、この時季は涼しいというよりはむしろ寒いという感じです。

エチオピア到着の翌日、WHOの事務所に代表のナフォトラオレ博士を訪れました。彼女は西アフリカのマリ出身で、休暇で祖国に帰っていたところ、私がエチオピアを訪問するということで休暇を中断して飛行機に7時間乗ってわざわざアディスアベバにまで戻り、私の訪問を受けてくれました。

エチオピアのハンセン病の状況についてブリーフィングをしてくれましたが、年間の新規患者数は約4000人という数字はここ10年以上横ばい状態で、また、新規患者のうち重度障がい率が7%と低くないこと(=早期発見されていない患者が多いことを示す)といったことが気になりました。エチオピアは人口の75%は都市部ではなく地方に住んでいるので、アクセスが悪いために患者発見や治療のためのフォローが難しいという状況があり、各村に1年間の研修を受けたヘルスワーカーを二人配置し、ハンセン病を含む住民の健康管理にあたっているとのことです。また、エチオピアではエイズや結核が大きな社会問題であるためハンセン病問題はあまり取り上げられなくなってきていることも懸念されます。

翌14日は、まず、ハンセン病回復者組織ENAPAL(詳細後述)の代表者と共にアドハノム保健大臣を訪問し、エイズや結核に隠れがちのハンセン病にも十分に目を向けて欲しいと訴えました。それに対し大臣は、「新規患者は年に4000人だけだが、数字が小さいから問題でないということでは決してない。

保健省にとってハンセン病は優先課題の一つであり、回復者組織と一緒に活動をし、回復者の住宅問題を解決したり、小額融資をしたりしている。ハンセン病に関する社会の意識を高めること、回復者の社会復帰を促進することは重要である」という力強いお言葉をいただきました。

保健省を後にし、アディスアベバ近郊にある全アフリカ・ハンセン病リハビリテーション研修センター(ALERT)を訪問しました。ALERTは、社会の厳しい差別に晒されたハンセン病患者の保護施設として建てられたミッション系療養所を基礎に1965年に設立され、エチオピア政府、アディスアベバ大学,ILEP(世界ハンセン病団体連合)が中心となってハンセン病の診断、治療、外科、眼科、リハビリテーションの専門機関として、エチオピアおよび英語圏アフリカ諸国の専門家のトレーニングに大きな役割を果たしました。


ALERTの病院を視察


現在ではALERTの病院および研修部門は政府に移管され、国立のハンセン病および一般疾患(特に皮膚科)の専門病院として機能しています。職員の方に伺うと、外来患者は300人/日、入院患者200人の半分は障がいがあるハンセン病患者の方々とのことで、私は病棟を回り、入院しているハンセン病患者を励ましました。

次に、ALERTの敷地内にある全エチオピア・ハンセン病回復者協会(ENAPAL)の事務所を訪問しました。

ENAPALは、ハンセン病患者や回復者の諸権利の保護、社会に対する啓発活動、社会的・経済的自立の支援を目的として1996年に設立された、国内全9州の内の8州に計63の支部を持つ、一大回復者組織です。ALERT周辺には、治療を求めて全国から集まってきた回復者たちによる自然発生的なコロニー(定着村)が形成され、現在は回復者とその家族、そしてそれ以外の住民も含めて5000人ものコミュニティーを形成し、8年生まで通える学校も2つあるそうです。

この私の知る限り世界最大のコロニーにおいて、ENAPALは回復者の経済自立を目指した各種の試みをしており、そうした織物、刺繍、油搾などのプロジェクトを視察しました。また、コロニーの一軒のお宅にお邪魔して、回復者のマエギストさんから話を伺うことが出来ました。彼女は5人の子供を育て(そのうち二人は養子だそうです)、今では孫もいて、夫とは喧嘩をしたこともなく、毎日、神に感謝し祈りを捧げていると笑顔で話をしてくれました。彼女がこれまでの人生で経験してきた様々な困難は、私には想像することしか出来ませんが、もし私が彼女であったならば、同じような心持ちでいられるのであろうかと、自問させられました。

公衆衛生上の問題としてのハンセン病の制圧を達成したエチオピアですが、まだまだ問題は山積しているものの、保健大臣のコミットメントと回復者組織のしっかりとした活動に、将来の状況改善への期待を持たせてくれた今回のエチオピア訪問でした。
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