• もっと見る
«10月29日(金) | Main | 速報!!日中首脳会談ドタキャン直後の菅、温家宝両首相の写真»
leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
Google
<< 2024年03月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
プロフィール

笹川 陽平さんの画像
笹川 陽平
プロフィール
ブログ
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
リンク集
https://blog.canpan.info/sasakawa/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/sasakawa/index2_0.xml

「ハンセン病制圧活動」―モザンビーク訪問編― [2010年10月30日(Sat)]


ガリドー保健大臣に制圧記念盾を贈る


「ハンセン病制圧活動」
―モザンビーク訪問編―


モザンビークのハンセン病制圧活動は難行を極めたが、4年間、毎年訪問を続け、ガリード保健大臣の強い指導力とアルマンド・ゲブーザ大統領の支援もあり、患者数1万人に対し1人未満のWHOの制圧基準を突破した。

活動を振り返ると、思い出深い国の一つである。

以下は、岡山県にある長島愛生園(昭和14年開園)、入所者331名の自治会が発行する「愛生」に投稿したものです。

*********************


モザンビーク ハンセン病との闘い


WHOハンセン病制圧特別大使
笹 川 陽 平


2010年3月の11日と12日の2日間、アフリカ南部の国モザンビークを訪れました。モザンビークは北にタンザニア、マラウィ、西にザンビアとジンバブウェ、南アフリカ、スワジランドと国境を接し、東はインド洋に面した縦長の国。17世紀から1975年まではポルトガルの植民地だったことから、ラジオから流れる音楽も建物の壁の色も、どことなくポルトガルの影響が感じられ、同じく元ポルトガル領であった南米ブラジルと似た雰囲気があります。この国には、ハンセン病制圧活動を促進するために2005年から2007年の間は毎年訪れており、今回で通算5度目の訪問になります。

モザンビークは、国レベルで患者数が人口1万人につき1人未満になるという、公衆衛生上の問題としてのハンセン病の制圧基準を2007年に達成しました。しかし、保健大臣が「すべての州において制圧を達成するまでは制圧したとはいえない、国をあげては祝えない」との姿勢を示し、全州におけるハンセン病の制圧という高い目標に向けて行動した結果、翌年の2008年末にすべての州において制圧を達成されました。今回の訪問は、制圧の達成を遅ればせながら関係者と祝うことと、今後のハンセン病対策プログラムについて方針を確認することが目的です。

南半球に位置するモザンビークは、夏真っ盛り。サバンナ型の湿気が少ないからっとした暑さの中、強い日差しが照りつけます。

飛行機で首都マプトの小さな空港に降り立った11日の午後には、WHOモザンビーク事務所代表のエル・ハディ・ベンゼローグ博士、WHOアフリカ地域事務所ハンセン病担当官のビデ・ランドリー博士らとともに、今年1月に就任されたばかりのアイレス・アリ首相、ルカス・チョメラ国会副議長など、国の指導者の方々にお会いする機会を得て、ハンセン病制圧のお祝いを申し上げるとともに、患者数の更なる削減に向けてご尽力いただけるようにお願いをいたしました。


国家元首との面談はハンセン病制圧の重要な活動の一つ


続いて、ジョクイン・シサノ元大統領にもお会いしました。彼とはササカワ・グローバル2000という1985年にスタートしたアフリカ農業増産プロジェクトの関係で、長いつきあいがあります。モザンビークは米が主食ですが、シサノ氏は「米のほかにもメイズ(トウモロコシの一種)、キャッサバ(芋の一種)なども食糧増産のためには効果的だ」と語られました。ハンセン病を国からなくすことも大切ですが、同時に特に地方の日々の食事にも事欠く貧しい地域では、栄養失調が人々の健康と生産的な社会生活を妨げています。人々の栄養状態を改善し基礎体力を増すことで、ハンセン病を含む病気に対する脆弱性を軽減することもできます。何事にも多面的に取り組んでいく必要性を改めて痛感しました。

夜は瀬川進・在モザンビーク大使閣下の公邸にお招きをいただき、ジョージ・フェルナンド・トモ保健省次官、モウジニョ・サイード保健省公衆衛生局長、 そしてWHOのベンゼローグ博士とビデ博士と夕食をともにしました。そこでトモ次官より、保健省が伝統医薬品の研究を進めているという興味深い話を聞き、それはぜひ詳しい話をお聞きしたいと申し出たところ、早速その場で携帯メールで担当者と連絡をとってくださり、翌朝、保健省内にある国立伝統医療研究所を訪ねる運びとなりました。次官の迅速な対応に感謝するとともに、ここアフリカでも携帯電話のネットワークが日々の仕事の中に深く浸透していることを実感した瞬間でした。

翌朝早速に研究所を訪ねると、植民地時代に建てられたという築100年以上の歴史ある建物の中に、実験室や成分分析のための機械など立派な設備が整えられていました。モザンビーク国内には約3200種の薬草があり、西洋薬との併用を含めれば約75%が伝統医薬を使っているといいます。伝統医薬品は西洋の医薬品と比較してずっと低コストで作ることができるため、特に薬が手に入りにくい地方の貧困層の人たちにとって、発熱、腹痛、下痢などの初期症状に対処するための有益な手段となります。日本財団ではモンゴルをはじめとして、ミャンマー、カンボジア、タイなどアジア諸国で伝統医薬品によるヘルスケアの充実に取り組んでいますが、ここアフリカでもまた、この手法を活用できるのではないかと、担当者のお話を伺いながら新しい可能性を確信しました。

午後には、保健省、WHO、ならびにハンセン病支援を行うNGOの6団体が集い、パートナー会議が行われました。オランダ救らい協会(NLR)のチャールズ・パフ博士、イタリア救らい協会(AIFO)のジェナマ・サルヴェッティ氏、ダミアン財団のジャン・マリー・ニャンベ博士、英国救らい協会(LEPRA)のキャンディド・ラファエル氏、モザンビーク障害者協会(ADEMO)のファリダ・グラモ代表とならんで、モザンビーク・ハンセン病回復者協会(ALEMO)のチャマダ・アビボ事務局長もはるばる北端のカーボ・デルガード州から駆けつけてくれました。

続いて場所を保健省に移し、10以上の新聞やテレビなど報道関係者が囲む中、イヴォ・ガリード保健大臣のご出席のもとで保健省によるハンセン病状況の発表が行われました。ガリード保健大臣は同じ週に発生した大規模な洪水の被災地からマプト市内に戻ってきたばかり。今回の洪水では幸いにも死者は出ていないものの、被災地域の住人の生活の糧である農業の耕作地に甚大な被害が出ています。被災地域に住む13万人に対する食糧援助や、感染症の発生予防のための水の浄化など、対応が求められる多忙な中、時間を割いて会議に出席してくださいました。

保健省ハンセン病担当官のアルチーノ・ンデベ博士より、「全ての州においてハンセン病は制圧したが、内陸部の数州においては地区レベルで有病率が1以上のところもある。さらに患者数を減らしていけるよう、今後は全地区レベルでの制圧と、各地区で患者数を半減させることを具体的な数値目標として掲げ、活動にさらに力に入れていく」と発表がありました。ガリード保健大臣も、「自分が先導しこれまでの活動を継続していく。年に一度国内の関係者を集めての会議を継続して開催していく」と語られました。北部地域に患者数が多い問題については、「ハンセン病を単に貧困層の病気として片付けるわけにはいかない。特定の地域に患者が多いのは何か理由があるかもしれない。正しく状況を分析し、対応していく」と、残された問題に真摯に取り組んでいく姿勢を示されました。

夜は保健大臣をはじめ、保健省、WHO、NGOから関係者30人ほどが集まり、ささやかなお祝いの宴を設けました。

公衆衛生上の問題の解決には、政治的なコミットメントが最も大切です。ガリード保健大臣は、2005年の着任早々からハンセン病の制圧についてどうすべきかの方針を示され、実際にそれを実行し、すべての州レベルでの制圧達成という大きな成果をあげられました。これは、大臣の強いリーダーシップのもと、保健省、WHO、NGOが一つの目標に向かって懸命に努力した結果です。人材や資金も潤沢とはいえない困難な状況の中で、地道な努力を続けられ、この目標を達成された関係者の皆様のご努力には心から敬意を表します。再びこの国を訪れてその成果を祝えたことは、大きな喜びです。

制圧目標の達成は、病気をなくしていくための一里塚に過ぎません。しかし私があえて指摘するまでもなく、モザンビークの保健大臣はじめ保健省、WHOの関係者はそのことを深く認識しており、さらに患者数を減らすべく、次の目標への具体的な指針を示してくださいました。

しかし、問題がすべて解決に向かっているかというと、そうではありません。他の国でもそうであるように、制圧を達成して患者数が減っていくにつれてハンセン病が稀な病気として医療関係者の意識が低くなり、診断が遅れてしまうのではないかという懸念の声が何人かからあがりました。制圧を達成したからといって手をゆるめるわけにはいきません。病気が完全に根絶されるまで、最後の患者ひとりまで、適切な診断と治療を受けられるように医療サービスを維持していかなければいけません。そのためには適切な診断をできる医療従事者の育成に引き続き取り組んでいく必要があります。

また回復者の社会復帰も大きな課題として残っています。回復者に対する差別の問題は、ここモザンビークでも例外ではなく、特に都市部においては職業につけずに物乞いをするしかない回復者がまだ大勢いるといいます。モザンビーク全体の経済状況を鑑みると、全ての回復者に職業をとは言い難いものの、少なくとも能力のある人が過去の病気を理由に就職を断られることがないよう、社会の意識を変えていかなければなりません。

病気だけでなく社会的差別がなくなり、真にモザンビークからハンセン病の問題がなくなったといえる日が来るまで、保健省、WHO、そして当事者団体も含めたNGOがさらに連携を強化して取り組んでいっていただきたいと思いますし、私もその闘いの一端を担うひとりとして、また再びこの国を訪れたいと思います。
コメントする
コメント