CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«12月1日(火) | Main | 12月2日(水)»
leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
Google
<< 2019年10月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
プロフィール

笹川 陽平さんの画像
笹川 陽平
プロフィール
ブログ
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
リンク集
http://blog.canpan.info/sasakawa/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/sasakawa/index2_0.xml
「ミャンマー訪問」その2 [2009年12月02日(Wed)]

僻地の先にある笑顔


「ミャンー訪問」その2
〜届かないところへ届ける 薬とマイクロクレジット〜


長年、ハンセン病制圧活動のため、世界中の僻地を歩いてきた。

私が日本から、時には50時間近くもかかって目的地に行くのは、薬が届いているか、薬の有効期限や品質の劣化はないか等を調査することもハンセン病制圧活動にとって大切な条件だからである。

世界の僻地とはどんな所だろうか? 

まず道路である。

日本人の持っている道路のイメージは、発展途上国の僻地では通用しない。未舗装の道路は凹凸が激しく、平らなところはまずない。まるで腸捻転でも起こしそうな状態で、しゃべれば間違いなく舌を噛む。

沈黙の中、時速10km位で何時間も走ることもあり、乾期は車塵で喉が痛くなり、顔や耳の中まで砂埃となる。雨季は使用不能となり、村々が孤立することもしばしばである。

2日もあれば山間部、離島など、どのような所にも確実に物が届く国は日本をおいて他にない。世界には電気、道路なしは当然で、水汲みや薪拾いにさえ片道数時間もかかるなど、日本に住んでいては想像も出来ない過酷な条件の地域で生活している人が数多くいる。

そして、そういう地域の住民のほとんどは着の身着のまま。財産は藁ぶき家にナタと鍋1個という状態である。そのような地域にもハンセン病者は存在する。

ハンセン病の薬が届いているかの確認のためには、船でしか行けないアマゾンの中州やジャングルの奥地でレパードに襲われかけたような場所にも出向く。そして、キューバの山中、アフリカの砂漠、インドのどのような僻地にも薬は届いていた。

サブサハラの国々の保健省には、壁面の立派な地図上に、保健センターやヘルスポストの位置を示すピンが沢山刺してあった。どこを訪ねても薬らしい薬はほとんどないが、ハンセン病の治療薬(MDT)だけは届いていた。

しかし4年前の訪問時、モザンビークの奥地には一時的に薬が届いていないことがあった。勿論すぐに改善したが、まだまだ世界は広い。

今回のミャンマー訪問の目的は、農民へのマイクロクレジットと伝統医薬品の薬箱の配布状況の現場確認である。

2008年5月2日にミャンマーを襲ったサイクロン・ナルギスは、ミャンマーの主要産業である稲作地帯に大損害をもたらした。復旧が遅れている地域への種籾購入費用のための小額融資制度「マイクロクレジット」立ち上げのため、妻と相談の上1,000万円を送金。今回はその実態調査を3ヶ所で行った。

ミャンマー最大のイラワジ川のデルタ地帯・ペイコン村は、首都ヤンゴンから悪路をバスで2時間、ジープに乗り換えて15分、徒歩で20分。40度を超す炎天下の移動は、露出するジープの座席、トラクターの荷台の鉄板が焼けつくように熱く、体力の消耗が激しい。

しかし、見渡す限りたわわに実った稲穂に、心が洗われる思いがする。終戦直後の輸入米はほとんどミャンマー産であった。ひょっとしたらこの辺で収穫した米だったかも知れない。

ペイコン村の人口は400人。サイクロン・ナルギスは夕方6時ごろに上陸。わずか3時間で6フィートと急激に水位が上昇し、全200世帯中160世帯が全壊した。死者は9名であった。

種籾の他、耕作に使う水牛(1頭約2〜4万円)の80%も失ったが、タイミング良くマイクロクレジットで種籾を購入、収穫も普通であるとの報告を受けた。現在村の水牛は50頭しかおらず、代わりにトラクター1台65,000円をローンで購入。村民共有で使用しているという。



次にペイコン村より船で30分、田圃の畦道を走るトラクターで15分、徒歩15分をかけ到着したチャイパット村も40度の炎天下であった。人口631名160世帯のうち63世帯が農業、他は川魚をとる漁業である。「種籾用のマイクロクレジットに非常に助けられた」との報告と、置き薬が届いていることを確認。

チャイパット村よりトラジと呼ばれるトラクターバスを乗り継いで30分。到着したマヤン村は人口300人。ここでも資金はしっかり活用されており、置き薬も確認することができた。

デルタ地帯の川の入り組んだ孤立した村々にまで我々の手が届いていたことを確認。協力してくれているミャンマーの関係者に「よくぞこんなところまで」という感謝の気持ちと、現場で復興に望みを託し懸命に働く農民の姿は、冷暖房のあるオフィスワークでは得られない感動である。

現場主義―問題と答えは現場にある―これが私の国際協力の原点である。
このエントリーをはてなブックマークに追加
コメントする
コメント
何時も感銘を受け拝読しています。ご活躍の内容に心から感謝をしています。 
心は青年であっても、身体は、少し年を重ねられましたので、余り無理をなさらないように。身体を大切にして、この他に代えがたい活動を長く続けて下さいますようにと祈っています。 
奥様が、支え、協力しておられるご様子にも拍手喝采です。有難うございます。  
Posted by: 野津 小顔子  at 2009年12月04日(Fri) 11:41

いつもながら会長の行動力には頭が下がる思いで拝見しています。自分の行いに最後まで責任を持つ。パフォーマンスのための慈善活動と心の底からの慈善活動の差はここにある・・といつも自分の行動に照らし合わせて胆に命じております。
Posted by: 小山正興  at 2009年12月04日(Fri) 07:25

2回にわたるミャンマーでのご活動のご様子には、感動いたしました。
とかくお金や物資を送るだけでアフターフォローが無いのが国際支援の現状だと思っていましたが、過酷な旅をなさっての現地視察は並大抵のことではないにしろ、たいへん必要なことだと痛感いたします。生涯に一度でもこのようなボランティアに参加することが出来たら・・というのが私の夢でもあります。ことに、日本独特の「置き薬」は、大変いいアイデアで素晴らしいですね!
ハンセン病に関しての永年のご活動にも敬服いたします。
生誕100年を迎えた松本清張原作の映画「砂の器」は私の心の原点でもあります。
本当に、国際人養成塾を作り、無気力な若者を喚起したいですね。
Posted by: 河波 茅子  at 2009年12月03日(Thu) 11:10

人種民族の差別無く、グローバルな地域の片隅にまで、思慮を働かせ、医薬品の不足は無いかとの配慮に基ずいて労苦をいとわず follow up の活躍までなさっている会長のお姿は、本当尊い行為です。大きな宗教的な人類愛の使命に燃えて前進していらっしゃるのですね。どうぞご健康には十二分のご注意を払われまして末永くご活躍して下さることをお祈りいたします。笹川陽平イズムを理念とした国際人養成塾を作って若い国際人を育てていただきたいと思います。
Posted by: 多田 徳茂  at 2009年12月03日(Thu) 02:20

海上交通の時代には海外発展の基地に近い地位にあった天草島は、大正から昭和初期に、多くの方が海外に行かれ戦後引揚者により人口が一気に増えました。僻地に慣れたいたはずでありましたが、日本国以外に具に触れることなく毎日過ごしておりますと如何に大変な地域があるのかと認識することなく、アジアの同胞を始め、お恥ずかしい限りです。
Posted by: 松浦四郎  at 2009年12月02日(Wed) 14:55

ミャンマーでの活動は確かにオフィスワークじゃ体験できないことばかりでしょうね、だからこそ大変であり新鮮でもあると思いますが。。。
自分もいずれこういったことを経験してみたいです。
Posted by: ぴんぐー  at 2009年12月02日(Wed) 13:04

人任せ、他人任せで成果を推測せず、求めている人に届いているか、自身の目で(支援者の目で)最終確認する検証・点検の姿に、大きな大きな親心、慈悲心を感動の中で、読み取りました。大きなミッションに突き動かされて、動く運動が、かくもきめ細かい行為で裏打ちされているとは、瞠目です。
Posted by: 角保恵喜  at 2009年12月02日(Wed) 12:29

笹川陽平会長の世界の隅々まで廻られて紀行記,深い感謝とともに拝読させていただきました。お体に気をつけて、ご活躍の程を。
Posted by: 福田一郎(親学会)  at 2009年12月02日(Wed) 10:52