日中笹川医学奨学金制度 第32期研究者歓迎式典 [2009年09月27日(Sun)]
日中笹川医学奨学金制度 第32期研究者歓迎式典 挨拶 2009年9月9日 東京ガーデンパレスホテル 第32期研究生をお迎えし、この奨学金制度を立案した一人として、本日は感無量の思いです。 指導教官の皆さま、そして関係者の皆さまにおかれましては、目配り、気配り、心配りをいただき、これまで奨学生を温かく迎え入れてくださいました。心より感謝申し上げます。 私は学ぶ側よりも受け入れる側の方が大変苦労が大きいことはよく承知しております。受け入れ側の皆さまには、今後とも引き続きこの奨学制度をお支えくださいますよう、お願い申し上げます。 さて、皆さまの先輩にあたる笹川奨学生は、これまで日本で本当によく勉強してくださいました。そして、笹川奨学生は、SARS(重症急性呼吸器症候群)が中国で猛威を振るったときには第一線で活躍し、四川大震災では温家宝首相に被災状況を報告されたのも笹川奨学生でした。さらには日本からの救援隊の活動に対し、通訳をはじめ献身的にご活躍いただきました。 また笹川奨学生の中には、すでに中国の名門医科大学の学長をはじめ医学界の中心的な人材としてご活躍いただいている人が多くいます。この伝統を引き継ぎ、皆さまには学問に励んでいただき、私たちの期待に応えてくれることを確信しています。 日中間は一衣帯水の国といわれますが、伝統や文化は全く異なります。米国のサミュエル・ハンティントンは、著書「文明の衝突」で世界の8大文明について触れています。そこでは、日本は独立した文明国と位置づけられ、中国とは全く違う存在として記されています。 同じような顔で、同じ漢字文化を有していながら、考え方、行動様式、その他多くのことで私たちは異なっているのです。 そのような観点から皆さまには、もちろん学問は第一ですが、大いに好奇心を持って日本の社会、そして等身大の日本を見ていただきたいと私たちは願っています。 私は日本と中国がより友好な関係が築けるよう努力しています。その一つとして、昨今中国国内で増えている日本語を学ぶ学生へ230万冊の図書を中国の大学に寄贈してきました。次代を担う中国の若者の人材養成に私たちは大変期待しています。 さて、隣国同士というのは大変微妙で難しい関係にあります。常に良好な関係にあるとは限りません。だからこそ、お互いの違いを知ることが大変重要になってきます。 両国の違いを理解することがこれからの日中間の未来への発展のためのキーワードになってくると思っています。 私はこの12月、中国最大のインターネットサイトである人民ネットに出演するため訪中を予定しています。この番組では、反日家の人たちに集まっていただき、私と討論することになっています。さまざまな論争が想定されますが、とにかく両者の違いをお互いが理解し、穏やかな未来志向の日中関係を確立したいものです。 私が両国の違いについて説明するときにお話しすることなのですが、この奨学金制度で初めて皆さまをお迎えしたときのことです。私たちは松花弁当を昼食を用意したのですが、中国の皆さまは侮辱されたと思ったようです。 それはご飯が冷たかったからです。中国では冷めたご飯は動物に食べさせるもので人間は食べないようですね。しかし、日本ではおにぎりもそうですが、必ずしもご飯は温かいものではありません。もし、そのときに疑問に思って私たちに尋ねてくれなかったら、私たちはそのことを皆さまに説明し、納得いただくことはなかったでしょう。そして皆さまは、日本人は私たちを歓迎してくれているようで、心の中では私たちを侮辱していたという誤解を持ったまま帰国することになっていたかもしれません。 一方、日本の指導教官の皆さまも中国の皆さまに対し、戸惑いがありました。昔は皆さん人民服でした。そこで、日本の指導教官は、少しでも中国の皆さまの助けになろうと洋服や生活に必要なものを差し上げたのです。 ところが中国の皆さまが本当に喜んでいるのかわからないと私に話してきました。事情を尋ねると、中国の人は一度しかお礼を言わないというのです。中国では品物をもらったときには一度しかお礼を言わないのが常識だそうです。会うたびにお礼を言うのは日本の文化です。中国では何度もお礼を言うというのは、もっといただきたいという、催促を意味することにつながるというのです。 日常生活でも大いに違いがあるのですから、皆さまもわからないことがあったときには好奇心を持って日本人に納得するまで尋ねてください。これが両国の相互理解に最も重要なことでもあります。 この研究期間中、箱根にお集まりいただき、研究成果や近況報告を発表いただく機会を設けています。そのときには皆さまとゆっくり語り合うことを楽しみにしております。 |