「イスラエル シモン・ペレス大統領」その2 [2009年05月13日(Wed)]
筆者とペレス大統領(2009年4月・大統領執務室) 「イスラエル シモン・ペレス大統領」その2 ネタニヤフ政権は右派主導の連立政権である。 彼の所属する政党「リクード」は、旧約聖書の教えに基づく領土拡大、占領地入植による大イスラエル主義を標榜。 イランやシリヤの核武装には限定爆撃も視野の強硬姿勢。連立相手の政党は「我が家イスラエル」。党首・リーベルマンは、旧ソ連・モルドバからの移民で、今回、外務大臣に就任。イスラエルに忠誠を示さないアラブ人住民には市民権と参政権の剥奪を主張。国家統一党(右派宗教政党)、シヤス(宗教政党)も連立に参加。 このような右派政権の中で大統領を勤めるシモン・ペレスは、かっては労働党(パレスチナとの融和・共存を掲げる中道左派)の党首であった。2009年2月の総選挙でカディマ党はかろうじて第一党の座を維持したが、労働党はカディマ・リクード「我が家イスラエル」に次ぐ第4党になってしまった。 しかし、リクードのネタニヤフはカディマ(シャロンによって2005年に創設された中道主義のシオニスト党)との連立を希望したが、カディマのリヴニがこれを拒否し、カディマは野に下ることになった。労働党は党内が分裂したが、バラク党首の決断でネタニヤフの連立に加わった。 したがってシモン・ペレス大統領は、労働党出身の大統領であり、政権内の基盤は大きくない。 私は、シモン・ペレス大統領が「政治家のドラマチックなジェスチャーは、硬直した局面打開には絶対必要だ」と、サダトのイスラエル訪問、オバマの南米訪問を譬えにしたのは、ネタニヤフ政権の限界を感じ、外国からの強力な協力なくしてパレスチナとの現状の打開はないと判断した重みのある言葉と理解した。 |