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笹川陽平(ささかわようへい)の国内外における活動の記録。このブログを通じて、私の毎日を覗いてみてください。

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「ジェリコの農産業団地」 [2009年01月14日(水)]

「誘惑の山」から見たジェリコの街並み


「ジェリコの農産業団地」


ヨルダンのアンマンで開催された「西アジア・北アフリカ(WANA)地域フォーラム」のための国際諮問委員会に、ヨルダンのハッサン王子、アハティサーリ元フィンランド大統領、有馬龍夫特別大使と共に参加。

寸暇をさいてPLO自治区・ウエストバンク(ヨルダン川西岸)のジェリコに日本のODAで建設中の「平和と繁栄の回廊構想」(農産業団地建設)の現場を訪問した。

私には、22年前から今も続いているアフリカでの貧農の食糧増産運動の経験がある。「何か参考になることがあるのではないか」との思いで視察させていただいた。

この「平和と繁栄の回廊構想」プロジェクトは、日本のODAを活用し、イスラエルとパレスチナの共存・共栄に向けて西岸に農産業団地を建設。パレスチナ農民が生産する農産物・オリーブ、トマト、バナナ、ナツメ、オレンジ等に付加価値をつけ、ヨルダンを通じてサウジアラビアなどの湾岸諸国に輸出する基地にしようとするもので、日本の主導でイスラエル、パレスチナ、ヨルダンの地域協力を通じて民間セクターの活性化を促し、パレスチナ経済の自立を実現しようとする計画である。

西岸の面積は三重県の広さで、人口約234万人(うち難民75万人)。南北約130km、東西40〜65kmの幅でヨルダン川が死海に流れ込む西側に展開されている地域である。

当日はヨルダン日本大使館・市川書記官の車で出発。30分ほどでヨルダンとイスラエルの国境にあるヨルダン川に架かるアレンビー橋に到着。ヨルダン側の出国手続きはいたって簡単。イスラエル側での手続きは小一時間かかった。イスラエル側では竹内大使、松田公使が出迎えてくださった。

西側の援助が不十分な中、パレスチナ西岸における日本政府のODAの活動は大いに評価されて良い。このヨルダン川に架かるアレンビー橋をはじめその他の橋も、日本政府ODAが建設したものである。

農産業団地建設予定地はアレンビー橋を渡り切って直線で約300mの場所に位置する。しかしここはイスラエル軍の管理地のため、一旦死海の方向へ南下し、更に迂回して北上することになる。

この直線300mの道路の軍管理を解除するためにはイスラエル政府の了解が必要であり、日本政府はこのプロジェクトの成功のため水面下で、イスラエル、ヨルダン、パレスチナ政府との合意形成に向け精力的に活動している。第一次計画での雇用8000人計画が順調に進展するとは思わないが、このプロジェクトは西側の援助が今一つ実現しない中にあって、評価も高く、特筆されるべき活動である。

短い時間ではあったが、イエス・キリストが洗礼ヨハネと別れ、荒野で40日間の断食、その上悪魔に試練を受けたとされる「誘惑の山」に登った。ケーブルカーで5分。何の変哲もない100〜150メートルの荒れ山で、ユダヤ教の修道院の建物が2、3ヶ所岩壁にはりついている以外、宗教色は感じられなかった。ただ一つ、キリスト教信者の多い韓国人の巡礼者が多いのか、ハングル文字の案内版が目に付いた。

山頂から見る西岸は、ヨルダン川から幅約2kmほどは荒野であるが、外側には肥沃な土地が広がっている。ヨルダン川は思った以上に水量が少なく、水面の幅はわずか5〜6mほどである。案内人によると、ヨルダン川の伏流水がヨルダン川西岸の肥沃な土地を潤しているのだろうとの説明であった。

一見、平和な土地のように見えるが、国境検問所では緊迫感が漂っていた。

イスラエルは男女ともに徴兵制度があり、男子は18〜21歳の3年間、女子は18〜20歳の2年間、兵役につく。国境警備は主に女性兵士が多く、背中にマシンガンを背負い、仏頂面で細かく慎重に手荷物検査を行っているのは、いつ自爆テロが発生するかとの恐怖感からと思われる。

ヨルダン側の入り口に比べ、あまりの厳しさに、イスラエル、パレスチナ問題の平和解決の困難さを垣間見た気がした。


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コメント
笹川会長のプログを読みました。8年前訪問したイスラエルを懐かしく思っています。私は耳が聞こえませんけど、イスラエルのろう者と友達が出来ました。言葉が通じなくてもジェスチュアと手話などでやっと通じました。彼らは、聞こえなくても聴者と共に国を守るために兵役に行かねばならない、当然だと言っていたのには、非常に驚きました。そして聾学校ではパレスチナ人のろう者と仲良く勉強していると仰い、感動しました。5歳から11ヵ年義務教育、ヘブライ語だけではなく、アラビア語や英語を習っていることを知りました。教育が進んでいた国だと感動し、帰国しました。今日ガザへ侵入しているのは、何か訳があるかと思われますが、一日も早く平和が訪れるように毎日祈っています。
Posted by: 井上亮一  at 2009年01月15日(木) 11:15

貴重なメールありがとうございます。
私はパレスチナ問題に関しては人間社会において一番見たくない光景であります。
この問題で人がそれぞれの正義の名の下に殺し合い勝ち取ろうとしているものが本当に意味のあることなのか私はわかりません。しかし、国を愛する思いは強く感じます。
これらの国のように我々日本人が同じ状況下であればどうなっていたのか考えただけで身震いがします。
日本人は平和という見えないベールが未来永劫続くと信じています、しかし何時この国土が侵略されるかこの世界情勢ではわかりません。
だからこそこの時期に自らが今何がおき何をなすべきかを考えさせられます。
このような時期に、会長は自らパレスチナに足を運ばれ情勢をお伝えくださる事に深く敬意を拝します。
我々日本人が対岸の火事ではなく感じることが必要だと感じました。
パレスチナの大地に農業という命を育む産業が開花し、緑豊かな癒される環境となり、会長が願う社会が実現できるようにこれからもご活躍を心より応援しています。

Posted by: 熊谷 修  at 2009年01月14日(水) 18:26

何千年も昔には緑豊かな肥沃の大地に文化が栄えていたのでしょうが、家畜の増やし過ぎか、地力の衰えから、飢えと争いの激化、終には宗教に救いを求めるパターンだろうと勝手な推量をしてしまいます。同じ根っこの宗教分派同志が何故殺し合いの争いを何千年も続けるのか理解出来ません。日本の宗教は自然のあらゆる所に神が宿る多神教の世界ですから、他人の信仰を殺しあうほど敵視する人は居ません。あれほど酷い差別社会だったアメリカで、ついにそのグループから大統領が出現します。宗教も言葉も人種も交じり合い、全ての垣根を無くす方向に人類はたゆまぬ努力を続けます。
Posted by: 則包辰男  at 2009年01月14日(水) 16:04

ガザは大変なことになっているのに、西岸は比較的平和なのですね。国境検問の厳しさ、行った方でないと経験できない空気なのでしょう。ハマスの思惑でファタハ勢力が弱体化すると西岸の平和が脅かされかねません。早期停戦を願っています。
Posted by: 長田達治  at 2009年01月14日(水) 16:03

拝啓、

大変お世話になりありがとう御座います。
笹川会長は非常に戦火中である当事国イスラエルへ果敢に現地訪問されていること感銘しております。その積極的な探訪により真実な
情報や国内情勢そして他国とのプロジェクト関係を周知されるのだなあとご苦労称え且つ感慨無量であります。ご健康と安全に注意されて今後も献身的にお励み下さいませ。

                         敬具
Posted by: 友野健次郎  at 2009年01月14日(水) 14:31

毎回楽しみに読ませていただいています。私は昭和63年にイスラエルをハイファ大学の客員教授として訪問しました。イスラエル滞在は1週間以上、講義を3回以上という条件でしたが、1日に3回講演しその他の時間はすべてイスラエルとパレスチナの関係を実地に観察してくださいということでした。コーネル大学卒業の専用のガイド付きで、憲法作成に関わった議員のお宅で建国以前から居住しているユダヤ人のお話を聞いたり、元大地主のパレスチナ人のお宅に呼ばれて、それぞれの本音ヲ伺ったり、病院では、リビヤ?との戦場からイスラエル人とパレスチナ人の負傷した兵士が同じヘリコプターで運び込まれる状況などを見学しました。ヨルダン河西岸にはバンカー(塹壕?)の跡が残っていた時代です。どのお話もユダヤ、パレスチナ両民族が仲良くイスラエルという国づくりをしたいという気持ちを強く感じました。当時は日本はユダヤ人からも、パレスチナ人からも中立で自由に話し合えたと思います。出入国の時間がかかって大変だったのと、日本人の宗教集団が飛行機で100人以上到着したことは驚きました。その後も何度か訪問しましたが、2千年前から続いている問題の解決にはそれなりの大きな智恵が必要と感じています。
Posted by: 長瀧重信  at 2009年01月14日(水) 10:59

ヨルダン川はガリラヤ湖から死海に注ぎますが、数年前にガリレー大学のセミナーに参加したときの旅行中に、ユダヤ人のガイドから、「(イスラエルの多くの耕作地の水源となっている)ガリラヤ湖の水量を保つために、ヨルダン川への水の流れを絞っている。」と説明を受けました。ヨルダン川が思いのほか小さな流れなのは、それもあるのかもしれません。
Posted by: 橋本 靖明  at 2009年01月14日(水) 10:08

21世紀のこの時代に信じられないような光景が映しだされます。
彼等にとっての「神」とはいったいどういう存在なのでしょう。
何を持ってすれば、この泥沼から脱却できるのでしょう。
テレビのニュースにいつも胸を痛めています。
Posted by: 野川喜美子  at 2009年01月14日(水) 09:38