大人のかくれんぼ [2008年11月21日(金)]
![]() 街中の足裏マッサージ店 「大人のかくれんぼ」 幼い頃、よく「かくれんぼ」をして遊んだものだ。 鬼さん役が電信柱の前に立ち、両手で両目を押さえて「もういいかい?」と言うと、逃げる方は「まぁだだよ」と言って、逃げながら隠れ場所を探して鬼さんに見つからないようにする遊びである。 私はこの遊びが得意であった。ある時は米屋の前に積み重ねられた米俵の中に潜り込み、またある時は炭屋の炭俵の中に入って真っ黒な顔になったりした。日暮れには必ず帰宅するように躾けられていたが、ついつい遊びに夢中になり、よく母親に叱られもした。 先日、中国・北京で開催されたWHO(世界保健機関)の第1回世界伝統医療会議でのスピーチのため、アメリカのテキサス州・ダラスでの笹川アフリカ会議を一泊で切り上げトンボ帰り。成田経由でそのまま北京入りとなった。 中国社会科学院での日中平和条約締結30周年記念の座談会も無事終わり、同行者の慰労をかね、行きつけのマッサージ店に誘った。 普段は「足裏マッサージ」で男女同室、6〜7人が一部屋で治療?を受ける。当日は「足裏マッサージ」組と「普通のマッサージ」組に分かれた。案内役の笹川日中友好基金の胡 一平さんは、勝手知ったる我家のように、私と平野加奈江さんの二人をマッサージ室に案内してくれた。 ベットは2台。私はいつもの「足裏マッサージ」の男女同室の意識から 「平野さん、着替えは隣の部屋でして、同室でよろしいでしょうか?」 「勿論結構ですよ」 「終わった頃迎えにきます」と胡 一平さんが立ち去る。 二人はマッサージ用の衣装に着替え「さぁ、お願いします」とばかりベットに横になる、マッサージ嬢、不満げにあれこれ言うが、中国語でさっぱり解からない。その内、紙パンツを広げる。 何と、何かの手違いで「オイルマッサージ」を希望したことになっていたのだ!! お互い、背中合わせの格好でいきなり紙パンツにさせられ、オイルを塗られる。平野さんのベットとは1メートルと離れていない。 幼い頃のかくれんぼの鬼さんのように、固く両目を閉じ、平野さんが洋服姿になるまで絶対に目を開けないようにするのがせめてもの紳士の嗜みと覚悟した。ほとんど素っ裸状態で隣に同じ格好の淑女がおられると思うと、目は固く閉じているものの、リラックス出来る余裕はない。 固く目を閉じた暗闇の中で、過去の失敗談が脳裏をよぎる。 新婚時代、香港のペニンシュラ・ホテルに宿泊した折、妻が友人の頼まれ物を買いに外出した。窓越しに行き交うジャンクも見飽き、所在無くマッサージを頼んだ。 待つことしばし、ドアのノックと共に、ボーイがアイロン台を大きくしたような治療用ベットを押し、白衣の老婆と共に現われた。老婆より衣装を脱いで台の上に乗れと命じられる。パンツ一つで高さ1メートルはある台に乗ろうとしたところ、パンツも脱げという。あられもない姿で俎板の上の鯉となった。 新妻が帰る前に終わるのかどうか冷や冷やしていたところ、案の定、ご帰還となり、俎上に晒した貧弱な肉体を凝視し、驚きのあまり○い目を△にしたことを憶えている。 知人は、新婚旅行の香港で新妻とウィンドゥショッピング中、 「社長、しばらく!! いい女、紹介しますよ」 と見知らぬ男に声をかけられ、気まずい一日になったらしい。 「知らない男だ」といくら妻に説明しても、「知らない人に“しばらく”とは言いません」の一言を説得するには、過去、女性関係もあり、濡れ衣に甘んじるより方法がなかったらしい。 「人間、過去の行いが悪いとね」と冷やかしてやった。 ニクソン大統領がウォーターゲート事件で辞任後、そのウォーターゲートホテルに2〜3回泊まったことがある。 当時、夕方4時を過ぎると肩こりに悩まされ続けていた。地下にマッサージの室があるとのことで行ってみると、現われたのは身長180cm以上、体重は110〜130kgはあると思われる巨大な黒人男性である。正直なところ、若干の恐怖心と何よりも薄気味悪さを感じ、逃げ出したい心境であった。以来、オイルマッサージは私のトラウマとなって、その後数十年間、オイルマッサージの経験はない。 つまらぬことを次から次へと思い出していると、マッサージ嬢が頭を右の方へ傾けようとする。そこには淑女の―多分―裸体が存在する。必死で対抗を試みると諦めてくれたが、首の筋を痛めてしまった。 衣替えが終わったとの平野さんの声に、長く固く閉じられた目をあけるのにはしばらくの時間を要した。 迎えに駆けつけてくれた胡 一平さんと三人は笑い転げながら、初冬の夜を首をすくめて隣のホテルに帰った。 |










